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2008年11月18日 (火)

ニセ科学の見方2

Interdisciplinary: ニセ科学の見方の続き。

はてなの方は、ニセ科学の議論でも何でも無いというのが判明したので、こちらの有意義なやり取りを進めましょう。

lifecrack - Blog: ニセ科学を信じることを許してはならないか?

しかし、やはりニセ科学と未科学を見分けるのは、なかなか難しいですね。
それでも、少しは理解できたと思います。

たとえて言うと、ゲームのジャンル分けにも通ずる所がある気もします(もしゲームをされないのでしたら、有用な喩えになりませんが、だとしたらごめんなさい)。基本的には専門的な知識なので、具体的に見分けていくのが難しいのは、ある意味当然ですよね。

とすると「ニセ科学を信じる」というこ(原文ママ)に対して、いかなる寛容さも許すべきではないということでしょうか。

これはちょっと違うと思います。何を信じるかは、個人の自由かと。ただ、考える訳です。信じる事は他者に情報を広める可能性を必然的に持つ、と。

だから、信じる事を許さない、と言うより、信じるからには批判されるリスクは甘受すべきである、と言った方が良いでしょうか。

ところで、「寛容さも許すべきではない」という文は、「信じている事そのものを非難する」、という意味合いに取れます。文脈からも、そう見えます。その後に、

どうも私には、最近「ニセ科学への批判」ではなく、「ニセ科学を信じる人」や「ニセ科学を信じる人(こと)へ寛容さを示す人」を一切許さないというような批判が増えているように思えて、そこに違和感を感じるのです。

こう書いておられる事からも。

この引用文については、まず、

「増えているように思えて」の部分が妥当であるか、という所を考える必要があります。

私達は、あるトピックについて議論が盛り上がった際、その目立った部分に着目します。しかし、そこで見た反応が典型であるとは限らない訳です。

また、言葉が広まった結果、「知っている」人間が増え、そして、強い非難を向けている人も多く目につくように「感じる」という可能性もあります。

ちょっと伺いたいのですが、「増えているように思える」のは、何を観察した結果の考察でしょうか。もしかすると、はてブの反応、あるいはあのエントリーにTBをつけたエントリー群、でしょうか。

端的に言って、はてブのコメント等も、ニセ科学の概念をきちんと理解していないだろうと推測されるものが、かなりあります。それは当然ですよね。また、ブクマコメントの文字数制限なんかも、印象形成に影響しているかも知れません。

もし信じる人に対して一切の寛容さを示さない論者がいるとするなら、私は賛同しません(下でも書きます)。

そもそも田崎教授が水からの伝言に対して批判を行われたのは、影響力が大きい教育の場でニセ科学が使われるという"実害"の大きさに危機感を感じたからではなかったですか?

その通りです。優先順位の評価というのは、論者の対象への重み付け次第です。私がゲーム脳に最も重きを置いているように。そして、教育現場で用いられる、等を問題視する人は多いでしょうから、強く批判されるものは、ある程度リストアップされてきます。

ニセ科学批判というものが盛り上がりを見せる中で、ニセ科学のみならず、オカルトやスピリチュアルなどに否定的な人まで参加して、"ニセ科学やオカルトを信じている人"への批判、さらには批判とよべないような"叩き"が増えているように思います。

上と同じです。オカルトやスピリチュアルを含めて無反省に「ニセ科学」として批判するのは、少なくとも昨今の日本におけるニセ科学論に関して無知である、と言えます。そういう人は批判します。

思うのです。

何故そういう反応を一緒くたにして、ニセ科学批判者の態度一般であるように表現なさるのでしょう。それは、かなり早計ではないでしょうか。

それがあまりに攻撃的だったりすると、正直、見ていてうんざりしてしまうこともあります。

私もうんざりします。とてもうんざりします。

質問です。

私の認識や態度は「攻撃的」でしょうか。

「ニセ科学」という語を用いてそれを批判する論者には、色々いる訳です。誤った認識で用いていても、それを見抜くにはニセ科学論の知識が必要だから、誤解も相当受けるのです。

ニセ科学批判者というのは、あまり知識が無い人からすると、ニセ科学という語を用いて何かを批判している集団、としか捉えられないのですね。でも、実態は、様々な論者が様々な理解で批判しているのです。

だから私は、菊池教授や田崎教授、天羽准教授の論を踏まえるべきだ、と言っているし、なるだけ丁寧に説明しようと心掛ける訳です。色々な態度の人がいる以上、自分が丁寧な態度を示すべきだと考えているのです。こうした方が良い、と言いつつ、自分もやる。

知識不足を埋めるための方法には、2つあります。

一つは、勉強して知識を増やす事。

もう一つは、自分の知識に合わせるように現象を解釈する事。

ニセ科学はこう用いられていて、こう誤解する人もいる、というのを理解するよりは、ニセ科学という語を用いて何かを批判している人達には一般的にこういう傾向がある、とメタに解釈してしまった方が、楽な訳です。

「ニセ科学を信じること」や「ニセ科学を信じることや、ニセ科学を信じている人を『まぁ、害がないなら良いんじゃないの』と許容すること」それらは許してはならないことなのでしょうか?

もしかすると、ニセ科学を信じる人への対応や考えが一様である、と思ってはおられないでしょうか? 信じ方、広め方、用い方、は様々です。ですから、色々なアプローチがあります。ニセ科学の主唱者への言及と、ふとしたきっかけで信じるに至った人への言及は、違う訳です。一般論として、上にも書いたように、ニセモノを信じる人は、それはニセモノだ、と批判されるリスクは負うべきです。しかし、具体的にどう接するかは異なるでしょう(ああ、ここら辺は、poohさんの所を見てもらった方がいいかも…)。

ちなみに、ゲーム脳Q&Aは私が作ったものですが、ここでは、「ニセ科学」という言葉は一度も出していません。そういうアプローチもある、という事です。

ものすごく端的・率直に言うと、私だってニセ科学的なものをいくつも信じてきた訳です。それを棚に上げて、信じる人間一切を許容しない、なんて考えは、持った事は無いのです。多分(多分、ね)、ここをよく読んで下さる方は、理解して下さっています。なぜなら、そういう事をくどいほど書いてきたから。

アドバイスと言うとすごく偉そうですが……はてな辺りの議論は一端忘れて、kikulogPSJ渋谷研究所X  Chromeplated Rat:So-net blogなどのログを読んでみて下さい。もしかすると、印象が変わるかも知れません。批判者同士で批判、とかよくやってますしね。

なんか、返答になっているのかなっていないのかよく解らない文章になってしまいましたが、こういう感じですね。

関連エントリーいくつか。

Interdisciplinary: メモ:ニセ科学批判者

Interdisciplinary: 万能包丁

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コメント

 ちょいと向こうにコメントを残して来ました。
ついでにエントリーも上げました。
http://www.cml-office.org/archive/1227037646177.html

 トラックバックしてみたんですけど、上手く見えないみたいなので(単に時間がかかっているだけかもしれませんが)、コメント置いておきます。

投稿: apj | 2008年11月18日 (火) 19:51

なんかずいぶんいろんな人が発火しているようで,全然流れを追えてないんですけども.
(はてな界隈の,このバースト的な話題の消費のされ方はどうも性に合わんです…)

多分ニセ科学を飯の種にしているわけでもなく,「"水の結晶"とってもイイ話なのに(←何か他のニセ科学でも可),信じてたのに,難癖つけやがってムカツク >科学者」ってわけでもなさそうな人が,「科学教」とか「ニセ科学でも科学でもどーでもいいじゃん」とかいう文章をわざわざ書いて公表する意味というか,それによって何をどうしたいのかというのが,それこそ「さっぱりわからん」ので困惑します.
「ニセ科学批判」について「そんなに目くじらたてなくても」とか「放っておけばいいのに」と,わざわざブログにエントリ立てて表明する人達自身が,放っておけばいいのに目くじらたてて「ニセ科学批判」を批判するっていうのは…なんなんでしょうね?

なんてことを,ここで問いかけてもアレなんですが,なんかいっぱいあってどこの人にコメントつけたらいいのかよくわかんないので,こちらで愚痴らせてもらいました m(__)m

投稿: たかぎF | 2008年11月18日 (火) 23:58

apjさん、今晩は。

今見たら、TB通ってました。時間差あったみたいですね。

信じる事そのものを非難したり、というのは私は無いのですが(ケース・バイ・ケースとしか言えないですし)、それが批判されるのを忌避してはならない、と思っています。何かを信じていて他者に全く影響を与えないという事は無い訳ですしね。

------

たかぎFさん、今晩は。

はてな界隈は、はてダ・はてブ・増田辺りに一瞬に広がっていきますからねえ。

うーん、どうなんでしょうね…。元々メタな問題意識を持っていて、それを披瀝するきっかけとして、私のコメントが機能しちゃったのかも知れません(小さい火花かもですが)。私は初めから、具体的な話だよ、と言いたかったのに、全然踏まえられずに、論宅メソッドがあちこちで展開されていますね。

せめて、言葉の用いられ方を追うくらいはして欲しいものです。はてブつける人達に対してもそう思います。て言うか、議論の基本ですよね、それは。

まあ、率直な感想としては、私に絡まれたと言うんなら、私が言ってる事を批判すれば良かったのに、という感じです。

投稿: TAKESAN | 2008年11月19日 (水) 00:19

こんばんは。

たかぎFさんの疑問に対する私なりの答えになるかと思いますが。
「メタぶる事の快感」と「科学へのルサンチマン」を同時に満足させられて気持ちいいのではないかと。
前者についてはWikiに追記しておきましたのでご覧下さい(確かにNKHHの部分は長くなり過ぎた感がありますね)。

投稿: PseuDoctor | 2008年11月20日 (木) 00:03

PseuDoctorさん、今晩は。

メタぶるのが気持ちいい、というのはありますよね。そういう人に「メタはスタート地点」だよ、と言ってもまるで通じないでしょうね…。

こうしてみると、本当に、Shimさんは真摯にやり取りに応じて下さったな、と思います。ありがたいです。
もちろん、ニセ科学流布に関しては意見の相違がある訳ですが(多分誤解もまだある)、そういうのはあっていいんですよね。具体的に意見をぶつけ合っていけば良いので。
メタぶり論だと、全く建設的で無いですので、徒労感を覚えますね。徒労感しか無い、と言った方がいいかな。

投稿: TAKESAN | 2008年11月20日 (木) 01:00

>>> TAKESANさん
> せめて、言葉の用いられ方を追うくらいはして欲しいものです。はてブつける人達に対してもそう思います。て言うか、議論の基本ですよね、それは。

あるところからは「議論」する気がまったくないエントリが増えますからね.それはそういうものなんでしょう.
なんか話題になってるものに "インスパイア" されて(議論を追ったり議論に参加したりするつもりはなく),日頃考えていることを書く,っていうのもあると思うし,それ自体はそんなに悪いとは思わないんです.でも,"はてな" みたいに関連エントリがどんどん集められちゃうシステムだと,議論するつもりのもそうじゃないのも全部一緒くたに集められちゃうので,話が発散しやすいんでしょうね.バーストしちゃったら議論は難しいんじゃないでしょうか.

>>> PseuDoctorさん
>「メタぶる事の快感」と「科学へのルサンチマン」を同時に満足させられて気持ちいいのではないかと。

Wiki追記読みました.「何か一言…」ってのはナイスなタイトル :-)
何か言ってみたいだけで,それ以上でもそれ以下でもないんでしょうかねぇ,やっぱり.
…それにしてもFAQ,やっぱりそろそろページを分けないとですよねぇ.

投稿: たかぎF | 2008年11月20日 (木) 01:21

たかぎFさん、今晩は。

私が思ったのが、はてなでの反応を見てニセ科学批判者の典型のように看做しているな、という事でした。そもそもそれがおかしい訳で。
はてなにほとんど目を向けていない誠実なニセ科学批判者なんて、沢山いるはずなのに。

インスパイアって言うか、「インスパイヤ」ですね。皮肉を込めると。

それにしても、まさか論宅さんクラスのがいくつも見られるとは思っていませんでした。

メタに語るなら科学哲学辺りをきちんと押さえるべきだし、科学という営みについてものを言うなら、科学の活動そのものを調べるべきですが、そのいずれもしていないんですよね。
恐らく文献を一冊参照する事すらしていないでしょう。色んな意味で中途半端ですね。

ところで、wiki、私が何箇所かで紹介してまわりましたが、アクセス数は増えてたりします?
私の経験上、リンク貼って紹介したものは、それほど参照されない、と思ってるので、恐らく読んだ人は、そんなにいないかな、と考えています。
それでも、少しでも多くの人の目に触れてもらえればな、と思って貼った訳ですけれど。
(某所で宣伝か?って言われちゃったけど…。脈絡無く紹介する事なんて無いんだけどなあ。)

投稿: TAKESAN | 2008年11月20日 (木) 01:41

>>> TAKESANさん
> はてなでの反応を見てニセ科学批判者の典型のように看做しているな、という事でした。

はてブを中心にバーストしてるときって,ニセ科学の話題に限らずそんな人が出てくるような印象を受けますね.
まぁでも,たまたま自分がその内容について知ってる時は「ズレた話が多いなぁ」と思えるけど,よく知らない話題だったら「みんなそう言ってる」あたりで理解が止まるってのは,あると思いますよ.
# もっとも,その程度のたいした興味がない事についての適当な意見を *公表すること* のリスクくらい引き受けろよ,とは思いますけど.
ブクマが100越 & 言及エントリが10数個,とか並んでると,なんかすごい大勢の意見が見えたようが気がしちゃうんですよね.確かに全部読んで回るのは面倒なくらい"沢山"ではあるんだけど,でも結局高々100個ですからねぇ.

なんて,適当な印象論を振り回す人を印象論で語ってもしょーもないんですが.

> ところで、wiki、私が何箇所かで紹介してまわりましたが、アクセス数は増えてたりします?

あぁ,作成責任者がボーっとしている間に,みなさんに紹介していただいてすみません m(__)m
アクセス数はよくわからないんですが,「リンク元」は日々増えてるし,はてな界隈から辿って見に来る人もいるみたいです.どうもありがとうございます.

投稿: たかぎF | 2008年11月20日 (木) 15:06

たかぎFさん、今日は。

自分がはてブを最近始めて、ダイアリーの方を使っていないから、ある意味外から見る事が出来ている、というのがあるかも知れません。

ニセ科学論に興味を持っていてはてなを使っていない人、というのも沢山いるはずなんですよね。

もちろん、ある傾向があったりしても、それは、個別に批判していこうよ、という話になりますよね。一般化してしまうより、そちらの方が良いと思います。現に、ダメな批判のやり方というのは採り上げて検討している訳で、そういうのを無視されてステレオタイプ形成を助長されるというのは、ちょっと勘弁して欲しいな、と。

アクセス元が増えているって事は、参照されるのが多くなっている、と考えても良さそうですね。より多く読まれて欲しいです。

投稿: TAKESAN | 2008年11月20日 (木) 15:17

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