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2008年10月 7日 (火)

考え方

血液型信者の告白 - catsnratsの日記

※引用にあたり、文字修飾をはずします。

血液型と性格に関連があると思っている人を、以下、信者と呼ぶ。

まずこの言葉の選択が不適当な気もします。信者という言葉に色々な含意を読み取る人もいるでしょうから。

「性格判断」という言い方自体、ニュアンスが強すぎる。

「ニュアンスが強」いという意味がよく解りませんが、血液型の情報を知る事で性格傾向を当てられる、という話なので、性格判断という言い方をするのに問題は無いと考えています。ちなみに、私は意図的に、「性格診断」という言い方はしません。医学的な判断を連想させると思うからです。また、日によって運勢が変動する類の占いとは分けて考えています。

私にとって問題は、血液型と結びつけうる因子を操作的に定義するのが難しいことにある。

ううむ、どういう意味なのだろう…。

人間も精密にできているので、糖蛋白の微細な違いが行動に反映されやすく、またそれを観測できると憶測される。

うん、確かに憶測ですね。(自分の言葉で「憶測される」という言い方は、あまりしないと思うけれど)

私の主観データが多い。

それを「データ」と呼んで良いものか、という疑問が。

およそ世の中に、関係がないことを示すほど難しいことはないのに。そして、科学じゃないと言われても困ってしまう。

この部分については後述。ああ、困るかどうか、というのは、別に関係無いです。科学は事実を追究するものなので。困ってしまうと言われても困る、という感じでしょうか。

自分で信じるのは簡単で、人様を折伏するには根拠がいる。この簡単な原則をわきまえる理性を、信者諸兄には求めたい。

はい、「根拠」が要ります。そして、根拠を求めた人がいます。まずそれを調べてみれば良いのに、と思うのは、私だけなのでしょうか。

------

「およそ世の中に、関係がないことを示すほど難しいことはないのに。」について。

はてブ⇒はてなブックマーク - 血液型信者の告白 - catsnratsの日記

2008年10月05日  false_alarm 心理学 仮説が支持されなかったら、その仮説を棄却するのが科学なのだから、関係は認められなかったという結論になる。誰も「関係がない」ことなど証明していない。ただ、関係があるという仮説が否定され続けているだけ。

このブクマコメントに呼応したエントリー⇒あら? - Gavagai

実は、false_alarmさんのコメントを引用して、私も同じような事を書こうとしていたのでした。先に読んでおいて良かった。

ポイントは、「関係が無い」とは何か、という所。

よく、「悪魔の証明」という例が持ち出され、「無い事は普通証明出来ない」、というのが説明される事があります。それは、多くの場合は妥当な訳ですね。白いカラスの話がよく出ます。白いカラスが存在する、というのは一匹見つければ証明出来るが、白いカラスは存在しない、という命題は、全てのカラスを調べなければならないから証明不能である、という風に。

ただ、この文脈で言う「関係が無い」は、カラスの例とは少し違っている訳です。

そもそも、「関係が無い」という概念自体、何についての話なのかによって、内容が変わってくるのです。

血液型性格判断の文脈で言うと、各血液型における性格類型なりの構成比が大きく異なっていれば、血液型から性格を当てられる、という科学的命題が成り立つ、となりますが、これは裏を返すと、調査して差が小さい事が論証出来たら「関係が無い」と看做していい、とも言える訳です。

つまり、「関係が無い」=「統計的帰無仮説が正しい」では無い、という事です。

だから、帰無仮説が正しい(差が無い)かどうかを正確に知るのは全数調査するしか無いから、それを証明するのは一般には不可能、というのは妥当ですが、関係があるかどうか、というのはそもそも、実質科学的な視点によって考察されるものなので、統計解析を元に「関係無い」と結論するのは可能だ、と言えます。

そもそも血液型性格判断は、「血液型と性格はわずかでも連関するか」、という問題「では無い」のですね。たとえば、「性別と身長に関係が無い」、という命題は、普通「男女の平均身長に差が無い」と同じ意味ではありませんよね。それと似たようなものです。

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コメント

false_alarmさんは、
▼▼▼引用▼▼▼
誰も「関係がない」ことなど証明していない。ただ、関係があるという仮説が否定され続けているだけ。
▲▲引用終了▲▲
と書いておられますが、もし、「関係があるという仮説が否定され続けている」のが、きちんとデザインされた研究によってであるのならば、それはもう、「関係が無い事の証明」と言って良い訳ですね。

後、補足余談。
論者によっては、現在の知見では、「血液型性格判断を否定出来たとはまだ言えない」、と主張するでしょう。そういう見方は、あると思います。

ですけれど、仮にそういう見方に賛同するとしても(私はしないけど)、「血液型性格判断はニセ科学である」という判断には影響しない訳ですね。ニセ科学は、確認されていないのに確認されたと主張するものを言うのだから。

投稿: TAKESAN | 2008年10月 7日 (火) 15:01

こういう人は能見さんを信じる人より悩ましいですね.
能見さんの血液型性格判断であれば,心理学の知見から否定することは可能ですが,この人のは否定できてはいませんから(彼が「なんとなく受ける感じ」というのは測定していないので,心理学の言う性格と自分の言う性格は違うと言われればおしまいです).
なので,TAKESANの「血液型性格判断はニセ科学である」ことから批判するのは難しいかなと思います.

彼が「人様を折伏」してくれれば,その性格とは何かを問えますが,自分で勝手に思っている分にはどうしようもありません.
幸いなことに,血液型は外的に現れるものではないので自衛するしかないのかなと思いました.

投稿: sor_a | 2008年10月 7日 (火) 22:06

sor_aさん、今晩は。

うーんと、このケースだと、「血液型性格判断はニセ科学である」事を認めつつも「血液型性格判断は成り立つ」と信ずる、というのが両立し得るような気もします。それは、「科学」についての理解が関わってくるでしょうね。

「操作的定義」などの、それっぽい言葉を用いているから、色々考えておられるのだとは思います。

少なくとも「血液型性格判断」は、分布の問題である(メカニズムの問題では無い)と言う事が出来るので、そこを理解出来るか否か、という所が重要でしょうか。

ちなみに、私は、このカテゴリーでちょくちょく整理を試みているのですが、同じような整理をしているものにお目にかかった事が無いので、自分の考えがどれくらい妥当か、心許なかったりします。

投稿: TAKESAN | 2008年10月 8日 (水) 01:30

TAKESAN,おはようございます

>、「血液型性格判断はニセ科学である」事を認めつつも「血液型性格判断は成り立つ」と信ずる、というのが両立し得るような気もします。
そうだと思います.でもそれは「科学」に関する理解と言うよりはむしろ「性格」に関する理解の問題(心理学がしている操作的定義としての性格と日常用語としての性格の違い)だと思います.心理学としては構成概念としての「性格」を操作的に定義して何とか標準化しているのですが,一般的な用語としての「性格」はもっと豊かなんですね.だから,一般的な性格判断に対して心理学で言うにはまず,前者でいうところの性格をきちんと測ることが必要です.能見さんの場合は過去の研究者がいろいろ測ってくれているのでそれを基に否定できるのです.
しかし,彼の場合彼個人が受ける「何となく受ける感じ」であり言語化もされないものなので,「何それ?オーラ?」としか言いようがありません.


彼の文章をsor_aなりに極端に言い換えてみると,こんな感じでしょうか?
「自分はオーラが見える.周囲の人のオーラから血液型によってオーラに違いがあるのを発見した.だが,オーラは科学的に測定不可能だし,単に自分がすごいから見えてるだけかもしれない.だから,科学とはいえないが,自分が血液型とオーラに関係があると信じるには十分だ」
まあ,この解釈は好意的に過ぎるかもしれませんが(笑)?

投稿: sor_a | 2008年10月 8日 (水) 04:35

sor_aさん、今日は。

リンク先の方は多分、「心理学では”性格”を捉えきれていないのではないか」、と思っていますよね。そして多分、「自分は直感的に捉えられている」、とも思っている。その時点で、科学としては終わりな訳ですね。

そもそも科学(ここでは心理学)の方法そのものに疑いを向けているから、「ニセ科学? そうかもね」と言いながら、「でも心理学における性格の捉え方は」云々と続ける事が出来る。
そういう意味では、かなり厄介だと思います。ニセ科学だよ、と言っても「だからどうした」、となるし、そりゃ直感でしょ、と言っても、現状の心理学で捉えられていないんだ、と反論出来る。無敵といえば無敵。

いずれにしても、血液型性格判断は、集合全体についての話なので、個人の経験をいくら積み重ねられてもほとんど無意味なんですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年10月 8日 (水) 12:28

TAKESAN

なんか違和感があります…

確認したいのですが,「性格」というのが日常用語で「性格判断」というのは日常的に行われているものだというのはよろしいでしょうか.

ええと,私は彼に限らず日常的な性格判断というのは「個人の経験の積み重ね」であり,そこから「何らかの手がかり(言動など)から何らかの性格を導き出す」という俺様ルールを作成することだと思うのです.そういう意味では,彼の場合手がかりが血液型と言うだけで手続きは個人的にはそんなものだろうと思っていたのですが.

彼を科学的ではないというのはごもっともですが(彼は科学<一般的な事実>ではなく個人的な事実と言っているようなのでニセ科学は言い過ぎかと思います),日常的な性格判断で科学的なものを想像できません.

TAKESANはどのように性格判断をなさっているのですか?

投稿: sor_a | 2008年10月 8日 (水) 18:15

あれ…。

うーむ。私はそもそも、sor_aさんとそんなに違う事を言っていたつもりは無かったのですが、違和感を覚えられますか……なんでだろう。

お書きの事は、ちょっと意味が掴めませんでした。

私は、直接にリンク先の方に対して「ニセ科学」とは一度も書いていないのですが、そう読めました?※もちろん言ってる事はニセ科学的です。

私が書いたのは、「ある血液型に特定の性格の人がとても多い。だから、血液型の情報のみから高い確率で性格傾向が推測出来る」というのは「ニセ科学」ですよとリンク先の方に言ったとしても、「あ、そうですか。でも、自分の判断では関係無いと断ずる事は出来ないですね。」となるでしょうね、という事でした。そもそも心理学における性格概念に疑義を呈しておられる訳だからそうなるだろうな、と。

つまり、リンク先の方は、「血液型性格判断が”ニセ科学”として批判されている事」を理解していないだろう、という話ですね。その上で「ネット上を見てみると」(リンク先より引用)なんて事を言ってもあまり意味はありませんよ、と。そもそもどういう議論がなされているかをちゃんと調べていないでしょう、という指摘でもあります。

投稿: TAKESAN | 2008年10月 8日 (水) 19:14

TAKESANこんばんは

なるほど、わかりました。

私は彼の文章のラストから彼のメッセージは「血液型性格判断を信じることは共感できるが、しかしそれは霊と同様に個人的なもので他者を説得できるようなものではないので、(彼がいうところの)血液型性格判断の信者はそれを弁えてことさら他者に自分の説を主張してもめごとを起こさず個人的に使っていってください。そうしないとアンチを生んで困ったことになるから」という意味だととらえていました。
「血液型性格判断はニセ化学である」ということに理解を示していると思うのは《自分で信じるのは簡単で、人様を折伏するには根拠がいる。》という文章からです。血液が性格判断は根拠がないのに主張するから批判されているということかなと思っていました(まあ、本人に聞かなきゃわかりませんが)。

だから、心理学をもとにして批判されることに違和感があったのです。

投稿: sor_a | 2008年10月10日 (金) 03:23

sor_aさん、今日は。

いずれにしてもリンク先の方は、科学の方法を解っておられないし、心理学の現在の論理に疑義を唱えておられる訳なんで。糖蛋白云々の微細な違いがどうこうと書いてあるから、それは科学の文脈です。

投稿: TAKESAN | 2008年10月10日 (金) 13:33

TAKESANこんばんは

まあそうですね.

>心理学の現在の論理に疑義を唱えておられる
ここらはまっとうな指摘ではあるのですが

>糖蛋白云々の微細な違いがどうこうと
ここらへんは本当によく分からなかったです.というか,そういう理論武装の前に「行為者-観察者効果」とか「確証バイアス」で終わる話でしかないですしね.そういうところが「科学的態度」ではないのに,「科学的態度」とおっしゃるところは「ニセ科学(的態度)」であるかもしれません.

投稿: sor_a | 2008年10月10日 (金) 21:39

「科学の土俵に踏み込んでいる」って場合がありますよね。たとえば水伝。江本氏は、自分で「ポエム」、「ファンタジー」と言ってはいるのだけれど、主張は自然の振る舞いの事実について言明になっている。そういう事がある訳ですよね。
これはもう、科学の文脈になります。
※ここら辺に関しては、poohさんの所でのきくちさんのコメントにヒントを得ました。
(すいません、リンク貼ろうと思ったんですけど、探し切れませんでした)

糖蛋白云々というのは、自然科学的・生物学的概念な訳で、それを用いているという事はつまり、科学の文脈に関わっているという事なんだと思います。

もちろん、いくつか主張があるので、ちょっと解きほぐしにくいものがあるのですけれど、結局の所、自身の直感の根拠について生物学的論理を想定しているので、そこは科学の話だろう、というのは一応言えると考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年10月10日 (金) 22:37

こんにちは。

>poohさんの所でのきくちさんのコメント

ここかなと思ったのですが、違いますでしょうか。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-06-13-1#comments 

また、以下は私個人の拙い理解なので、危うい感じのところがあったらぜひ指摘していただきたいのですが……結局は、言説の種類・内容によって、それが正当化されるために踏まえられているべきとされる手続きというのが規定される。(あるいは、実際になされた手続きから常識的な範囲で導かれる結論のみが正当化される。)だから、ある言説について、それが正しいと外に向けて主張するという事は、つまり、その内容から想定される、踏まえられているべきとされる手続きが実際に踏まえられているのだと言っているに等しい、という事なのかなと思っています。
で、一般にニセ科学とされているものっていうのは、その主張するところから想定される、踏まえられているべき科学的手続きが明らかに踏まえられていないという点に於いて嘘である、と。

投稿: spiklenci-slasti | 2008年10月11日 (土) 02:26

spiklenci-slastiさん、今日は。

ああ、それですそれです。深謝。

えっと、正確に引用すると、
▼▼▼引用▼▼▼
科学の問題であるかどうか」は、提唱者が「科学」と呼んでいるかどうかではないですよね。再現可能な客観的事実として提示されているのであれば、ポエムと呼ぼうがなんと呼ぼうが、科学者の検討対象になります。「物質の性質についての事実の言明」であるかぎり、そうなります。
もうひとつ言うと、彼らの白衣と顕微鏡と冷凍室というセットアップは「科学に見せかけるための道具立て」なわけだから、「ニセ科学」と呼ばれてもしょうがないでしょう。
自称「ポエム」なだけです。
▲▲引用終了▲▲

「物質の性質についての事実の言明」ですね。これを読んで、なるほどな、と思いました。

仰る事、その通りだと思います。
自分なりに整理すると・・
まず、「手続きを踏まえて無い」ものがある。
つまり、実証科学の手続き、実験や観察でデータを得てそれを統計解析なりで検討し、査読を経て追試され、科学理論として認められる、という一連のプロセスを満たしていないのに、証明されたと主張するもの。

そして、主張が、自然・社会現象の振る舞い・性質についての”事実の言明”になっているものがある。
これは、主張そのものが科学の検討対象となる訳ですね。科学というものはそもそも、そういう物事を解明する方法と知識なのですから、たとえば「水に声をかける・文字を見せると、性質が変化する」、という主張をした時点で、それは既に、科学の文脈になる訳ですよね。spiklenci-slastiさんが仰る所の、
▼▼▼引用▼▼▼
つまり、その内容から想定される、踏まえられているべきとされる手続きが実際に踏まえられているのだと言っているに等しい
▲▲引用終了▲▲
という事だと思います。ですから、ポエムだファンタジーだと言っても、全く通用しないですよね。

実証されたと仄めかさなくとも、全く現在の科学とは違った論理体系で同じ対象について説明した場合、そしてその対象が、科学で充分説明出来ている場合には、その「違った論理体系」は、一般に疑似科学と呼べると思います。

そして、「現在の科学に則っている」のを仄めかしていたり、それを「事実」だと主張している場合には、「ニセ科学」と言えるでしょうね。水伝のケースだと、実験によって水と言葉が関係していると証明した、と主張しているから、ニセ科学なのだと思います。

殊更に科学性を仄めかさず、独自の論理体系を主張するだけなら、それは疑似科学と呼べるでしょうけれど、まあ、峻別出来るものでは無いですね。現象を説明する論理体系である以上、やはり科学と関わらざるを得ないですし。

投稿: TAKESAN | 2008年10月11日 (土) 12:35

http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-12-1

はいはい。kikulogで何度も繰り返されてきた事を、「最近解った」事であるかのごとく言うのは止めましょうね。知ってるはずなのに、わざとらしい。

で、定義はなんでしたっけ。あっちのサイトに何か書いてあったような気もしますけど、日本語とは言えないような内容だったような。

ところで、ABO FANさんは、血液型性格判断が成り立たないのは認めるようですね。よかつたよかつた。

投稿: TAKESAN | 2008年10月13日 (月) 02:44

いきなり関係のないところから失礼しします。
血液型性格判断関係。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20081021#p1

投稿: anomy | 2008年10月21日 (火) 12:41

anomyさん、今日は。

ああ、今ちょうど読むところです。NATROMさんの所は巡回ブログなので。

------

読み終わりました。

総合的には良い作りだったみたいで。目がテンは、評判良いですね。

ただ、NATROMさんも書いておられる保育園での観察は、私としては、ほとんど意味の無いものと思います。サンプリングの段階から相当工夫を要すると考えられますので、ちょこっとやったくらいでは、傍証にすらならないのではないかな、と。NATROMさんも、
▼▼▼引用▼▼▼
当たり前だが、これだけの実験で、血液型と性格の関係について肯定も否定もできない。
▲▲引用終了▲▲
と書いておられますね。

投稿: TAKESAN | 2008年10月21日 (火) 12:55

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受信: 2008年10月12日 (日) 18:07

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