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2008年10月14日 (火)

立ち方

立ち方、中でも足の置き方に着目した概念、色々ありますね。ソの字立ちとかレの字立ち、三角や裏三角、等々。

こういうのって、基本の構えとして意識して身に着けるのはいいのですが、あまりその姿勢の維持に拘ると、自身の身体運動の自由さを奪ってしまう事にもなりかねないのですよね。そこで大腿骨がもうちょい回転すれば合理的な運動になるのに、という場面でも、形をきっちり決めようとする。結果的に、合理性を蔑ろにしてしまう。

結局足の置き方というのは、骨盤の運動と連動する訳なので、それを考えなくてはならない。次にどこに移動するか、という所もですね。足を踏む順序も重要になるでしょう。

で、それをカバーするために、体幹や骨盤についての要訣があったりするのでしょうね。浮身とかね。足そのものについてだと、無足とか。これは、足を先行させるよりむしろ、体幹の変形を先行させて、足(脚も)はそれに従って動くようにする、というのを意識させる言語装置なのだと考えられます。極端に言えば、足は置いていけばそれで良い、となるでしょう。足先の角度は大腿骨の回転と連動しますからね。下腿はほとんど回転しないので。

尤も、それだけではダメで、本来は、足の変形も考えるべきなのでしょうけれども。これは、いわゆる「足裏の使い方」というやつです。支持点の移動とか。

そういうのを考えるとやはり、足がとる角度に着目した立ち方を意識する際は、注意しなくてはならないと思いますね。より重要なのは、「脚」ですから。結局の所、基本的には正中線でコントロールする、という事なんですけどね。まあ、言語化は難しい話です。

ああ、そういえば高岡英夫氏は、黒田鉄山氏の動きについて、センター主導で足裏はまだ開発の余地がある、という意味合いの事を、著書で書いておられましたね(『DSが解く達人のメカニズム』)。仮にそれが妥当であるとすれば(演武の映像を観ると、確かにそうかも、というのは感じる)、色々な理由があるのでしょう。私の推察は、あまりにも無足を強烈に意識して稽古するために、足裏の開発を促す方向へはいかなかったのではないか、というものです。つまり、「足を使わな過ぎる」、という。もちろん程度問題で、そこら辺の人間とは比べものにならないでしょうけれど。

書き加え。

大腿骨の回旋(外旋・内旋)は圧倒的に重要。達人の動きを見ると、脚の位置は変わっていないようなのに、足先の角度だけ変わっているように見える場合があります。これは、大腿骨が綺麗に回転しているという事。股関節の筋肉を柔らかく使っていく必要がある訳ですな。

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