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2008年10月28日 (火)

母集団と標本

 最初に述べたように,研究の対象全体のことを母集団(population)といい,母集団について推論を行うために観測した一部の集団のことを標本(sample)という。ただし,心理学においては,研究の対象は人間全体という抽象的な存在を想定して,人間に普遍的な法則を探ろうとすることが多い。このとき,研究対象全体は,抽象的に,1つの数学的分布で表現する。実際に母集団が現実に存在する者として特定されている場合を有限母集団(finite population),モデル上想定される母集団を無限母集団(infinite population)という。「○○大学の学生」「××市の住民」などは有限母集団,「人間」「女性」「子をもつ父親」などは無限母集団として扱われる。

 一般的に用いられている統計学では,標本を用いて,母集団の平均などについて推論を行うことが多い。

 心理学の研究でなんらかの測定を行う場合,測定されている被験者そのものより,被験者を一般化した人間全体に興味があることが多い。たとえば,大学生の友人数人をつかまえてきて錯視の実験を行うとする。その目的は,特定の友人数人に対してどのような錯視が起こるかではなく,人間一般に対してどのような錯視が起こるかに関心がある。このとき,実際に測定を行う対象のことを標本という。それに対して,標本の結果を一般化できるような対象,つまり標本と交換可能な被験者の集まりのことを母集団という。

(繁桝算男・大森拓哉・橋元貴充 著 『心理統計学 データ解析の基礎を学ぶ』より引用)

現象を統計的に解析する場合、実験なり観察なりによって得られたデータを標本とし、ある全体について推測を行う、というのは基本的な論理です。

たとえば、社会学分野では、ある属性を持った有限の人間の集合を母集団として調査する事も多いと思います。いわゆる社会調査ですね。心理学では、知覚心理学等の実験心理学的領域では、人間という動物一般を母集団とするでしょうし、社会心理学なんかだと、社会学と同様に、ある時点における日本に居住する成人、というような有限母集団の場合が多いでしょう。自然科学では、無限回の実験が母集団になるでしょうし、品質管理辺りだと、あるラインで製造される工業製品全体、という無限母集団が想定される事でしょう。

さて、血液型と性格の関係、という問題でこの事を考えてみると、母集団はどのような集合と想定するべきでしょうか。色々考えられるでしょうね。

これまでも何度か書いてきましたが、私の考えを述べます。

私は、「血液型性格判断」を、シンプルに、分布の問題だと捉えています。性格判断とは論理的に、ABO式血液型の情報から高い確率で性格を言い当てる(あるいは逆)事が出来る、という現象だと考えられます。

これはつまり、血液型の情報を知る事が出来、更に、観察から人間の「性格」を分類する事が出来ると仮定すると、分布さえ偏っていれば「現象し得る」、のだと言えます。簡単に言うと、□型に○○な性格の人が著しく多い、というのが事実としてあれば、「性格判断」は成り立つ、という意味です。本質的に、社会学的・社会心理学的問題だと捉えているという事ですね。

母集団としては、有限母集団。ある時点における限定された空間に存在する人間の集合、とでも言えるでしょうか。たとえば、2008年に日本に居住する人間、というように。

もちろん、細かく考えると、標本調査論的な問題が色々ありますが、統計的な対象としては、ある程度理想化した集合を母集団と想定し、様々な誤差を考えながら調査を進めるしかない訳ですね。人間は、時を止めて全てを完全に調べる事の出来る存在では無いのですから。

さて、人間という動物全体を母集団とする訳では無いので、当然、血液型性格判断というのは、ある時には成り立たないが別の時には成り立つ、というのは、論理的にはあり得ます。性格の構成比が偏りさえすれば良い。「性格判断」というのは、(生物学的論理を基盤としながらも)多分に心理・社会的現象であるのですから。

そして、以前は見られなかったステレオタイプが見出されたようだ、というような信頼出来る研究結果が出たら、それは、血液型と性格との連関には心理・社会的因子の影響が強い事の証拠である、とも考えられる訳です。社会心理学的研究が、生物学的な連関の強さを否定する傍証になる、という事ですね。

逆の方向から考えると、仮に、生物学的に、血液型が強く性格に影響を与えるのだとすれば、研究の時期によって連関の仕方に大きな違いが出る、というのはあってはならないのだ、とも言えるでしょう。

もちろん、性格概念そのものについても色々考えがある訳で、強い状況論を採ったり強い行動主義だったりする場合には、性格という概念を、行動観察や質問紙調査で把握する、という事自体に懐疑的であるかも知れません。性格という固定的なものなど無い、という風に。当然その場合、性格判断という概念は無意味になります。性格を判断・分類出来ないのだから、血液型と性格の連関に言及しようが無い。

まあ、私は今の所、こんな感じで考えています。

そういえば、一般に母集団は想定しない、とかおかしな事を言っていた人がいましたね。

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