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2008年10月14日 (火)

恣意性

poohさんの所にも書きましたが。

水伝への批判的アプローチとしては、自然科学的観点と言語論的観点がありますよね。自然科学的には、水が長時間情報を保存する事は出来ない、という話だったり、脳のような構造が無いから複雑な情報処理や認知も出来ないだろう、という見方だったり。

で、言語論的アプローチ。記号論でもいいと思いますが、そこで、「恣意性」という最も重要な概念がありますよね。言語記号で、語義と語形の結び付きに必然性は無い、という原理。こっちからのアプローチも凄く重要だと思う訳です。

もちろん、水伝批判ではほぼ、そこには触れられるのですが、その際に、もうちょっと詳しく説明する、という方法を採ってもいいかも知れない。必ずしも水伝批判のテキストに組み込まなくとも、記号論の解りやすいテキストに誘導する、というやり方も考えられます。

ある言語観に凝り固まっているのだから、すぐに恣意性の概念を理解する、というのは、当然難しい。ですが、だからといって、どうせ理解しないだろう、と考える事も無いから、そこら辺をフォローするテキストが増えてもいいんじゃないか、と思います。包丁の種類は多くて良い。なまくらで無ければね。

まあ、じゃあ、お前がやれ、と言われそうですが。一応、一回書いたんですけどね。今一つ説得力が無いかも。硬直した言語観に囚われているキャラが対話を通じて次第に理解していく、というのもアリかな。やる夫みたいに。

田崎さんがよく使われる「shine」の例は、最高の反論例ではあるんですよね。ただ、それで、ほう、と納得するのは、そもそも疑う側にいるか、揺らいでいる立場の人なんでしょうね。もう少し、あるかも、という側に寄っている人には、そんなの屁理屈だ、と言われるかも知れませんから、そこを突っ込んで説明したものが増えても(いくつか優れたものがあるので)いいんじゃないかと思ってます。

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個人的には、池上氏のテキストは解りやすくて、勉強するには最良だと思っているのですが、専門的に見て、お薦めしても構わない本なのでしょうかね。解りやすい本でも専門的には不正確な所がある、というテキストは見られるので、当該分野に特別深い知識を持っていない場合には、薦めるにちょっと怖いものがあるのです。私は「記号論といえば池上氏」、なんて認識を持っているもので…。あ、リンク貼れなかったんですが、『自然と文化の記号論』という本もいいと私は思います。

そういえばこのブログ、全く機能していない「記号論」というカテゴリーがあるのだった…。あってもあんまり意味無いから、消すかなあ…。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

その本読んでないのに無責任にコメントすると名前で判断して立ち読みしないで買っても問題ないと思います。なんて偉そうに池上先生の本についてコメントしたとはリアルでは恐れ多くて誰にもいえません。専門的に見て立場の違う見解や批判はあるかもしれませんがいい加減なことを書く先生ではないと思います。ということで遅ればせながらですが(遅れすぎ)読んでみます。

>そこら辺をフォローするテキストが増えてもいいんじゃないか

ですね。いつも明日こそはフォローしようと思うのですが。

投稿: とらこ | 2008年10月14日 (火) 08:49

とらこさん、今日は。

おお、ありがとうございます。

池上氏の本、凄く丁寧で解りやすく書かれていて、また、一般の学術書とは全然体裁が違うんですよね。もちろん、分野やレベルによっても異なるのでしょうけれど。基本的な所の勉強にはとても良いのではないかと思い、紹介してみました。

▼▼▼引用▼▼▼
ですね。いつも明日こそはフォローしようと思うのですが。
▲▲引用終了▲▲
是非是非。
※読者へ註:とらこさんは、既にいくつか書いておられます⇒http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/3.html

投稿: TAKESAN | 2008年10月14日 (火) 11:18

>水伝への批判的アプローチとしては、自然科学的観点と言語論的観点がありますよね。

質問なんですが.
「「美しく」感じるなどというのは主観的な経験であり,客観的な「美しさ」尺度なんてあるか」
というのはどっちに入りますか?

なんていうかですね.これは「自然科学」っていうには微妙な感じで,どういうカテゴリーに入れられているのか気になったもので.

投稿: sor_a | 2008年10月14日 (火) 23:53

sor_aさん、今晩は。

結構重要な事だと思ったので、レス代わりに、新しいエントリーを上げました⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-6359.html

投稿: TAKESAN | 2008年10月15日 (水) 01:25

やはりこの本自体は読んでないのですが、僕も池上先生がお書きになったというだけで変なことは書いてないと判断できると考えます。
ちょっときつい言い方かもしれませんが、研究者としての信頼性は同じく一般向けの書籍を多く書いている町田健氏などとは比べ物にならないと思います。

今度書店でざっとでも立ち読みしてみます。

しかしpoohさんのところでもお話がありましたが、恣意性の話は結構理解するのが難しいのでしょうか。僕は大学の学部一年の時に受けた言語学概論では結構成績が悪かったのですが、少なくとも恣意性の話はすんなり理解できたように記憶しています。

投稿: dlit | 2008年10月15日 (水) 18:03

dlitさん、今晩は。

おお、やはりそうなのですか。

私は逆に、町田氏の書いたものを読んだ事が無くて(読もうとしたら解りにくくて挫折した…)。

ああ、池上氏の記号論の本は、もしかすると、現代思想系でよく引用されるのかな。前はそっち系の本をよく読んでたのですが、参考文献で池上氏の本は頻繁に見かけたような気がします。

▼▼▼引用▼▼▼
恣意性の話は結構理解するのが難しいのでしょうか。
▲▲引用終了▲▲
軽い理解、「ふむ、なるほど」、というくらいなら、すんなりいきそうな気もしますが、それが本質的に重要だと認識するには、ある程度まとまったテキストで教わる、というのが良さそうな気もします。
私は、高岡英夫という人の書いたテキストで記号論を知り、それからソシュールや丸山圭三郎氏の本を読んだのですが、高岡氏の本でかなり結構詳しく説明されていて(そこで池上氏の本が参考文献として挙げられていました)、それでなるほどなあ、と思った記憶があります。

投稿: TAKESAN | 2008年10月15日 (水) 19:15

非常に卑近な経験に基づく、あんまり正確ではない意見ですが。

「言葉の意味するものが、使われる状況、使うひとによって実際に違っている」と云う実体験があるかどうか、と云うのでも、感覚的に掴めるかどうかが分かれてくるかもしれないな、みたいに思ったり(神戸育ちで田舎が長崎で広島と東京と群馬と福岡に在住経験がある仙台市民としては)。

投稿: pooh | 2008年10月15日 (水) 20:05

poohさん、今晩は。

そういうのはあるかも知れませんね。身近の方言なんかを思い浮かべれば、結構解りやすいのかも。

勉強していて、眼からウロコだったのは、たとえば「あ」の音が、物理的には異なる音なのに「あ」と認知される、というものでした。音韻論と音声学の所で出てくる話ですね。とらこさんが書かれたエントリーで採り上げられているものでもあります。

投稿: TAKESAN | 2008年10月15日 (水) 20:50

ずいぶん前のエントリーなので、コメントを書き込むかどうか、ちょっと迷ったのですが。

池上さんの本を読んでみました。初心者にもわかりやすい良書でした。実は、私も町田健の本を読もうとして挫折したことがあります(町田康の本なら好きなんですけどね、というのはまったくの余談)。
わざわざ物理や化学の法則を持ち出さなくても、この本1冊があれば水伝なんか木っ端微塵、と私などは思うのですが、信者になってしまっている人には何を言っても無駄なんでしょうね。

個人的に面白いと思ったのは、服装や建築などの意外なものも記号として捉えることができるということでした。珍走団(笑)の特攻服なんかも非常にわかりやすい記号ですよね。実は私、♀でありながら、ブランド物を欲しがる同性の心理というのが理解できなかったのですが、あれも「豊かさ」や「趣味のよさ」を表す記号なのだと考えれば納得できます。
さらに、映画やマンガ、ゲームなどの映像表現でも、記号的な約束事が数多く使われていますよね。例えば、あるキャラクターが画面に登場した途端に、そのジャンルに親しんでいる人にとっては、どういう人物なのか一目で見て取れる、などというのもよくあることです。

こんなふうに、あちらこちらに考えを広げてくれる本に出会えたことは、とても有意義だったと思います。ここで紹介してくださって、ありがとうございました。

投稿: 月森 | 2008年11月 1日 (土) 17:44

月森さん、今晩は。

古いエントリーにコメントを頂けるのは、むしろ歓迎ですので、お気兼ね無くどうぞ。

おお、読まれましたか。池上氏の本は良いですよね。
(個人的には、記号論の知識を得るという観点からは、『自然と文化の記号論』がすっきりして読みやすいと思っていますが、あれは教科書なんですよね。『記号論への招待』は、読み物としての味付けがしてありますね。)

水伝への反論として充分なものだと、私も思います。あれが言語についての主張である事を考えると、自然科学の論理よりも重要かも知れませんね。

記号論は、社会や文化についての見方を広げる、メタにしてくれるものだと思います。

私は疎いのですが、多分、記号論的にゲームやマンガを分析しているものは、沢山あると思います。思想的にそういうのが流行した、という話もあるみたいですし。現代思想の文献を紐解くと、ソシュールやらパースやら記号論(記号学)やらは、大抵出てきますね。

私としては、あまりそういうのが行き過ぎると、事実を元に確認していくという作業を疎かにして、どんどん理論的考察を積み重ねて、現実に全く即さない空論を構成する可能性があるので、気をつける必要があるとも思っています。て言うか、経験者語る、です(笑)

眼鏡なんかは、「高い知性」を象徴する記号ですね。共示義。なんちゃって。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 1日 (土) 18:06

いやあ。眼鏡はけっこう多義的なんじゃないでしょうか。童話の赤ずきんのおばあさんが鼻眼鏡をかけてたりするし。

それはともかく、よい本を紹介していただいたお返しというのもなんですが、私も最近読んだ本を紹介します(というか、ついさっき読み終わったばかり)。
鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった』(新曜社)です。心理学の世界に未だにはびこる迷信や誤謬を解説しています。面白いです。一気に読めます。目次はこんな感じ。

第1章 オオカミ少女はいなかった―アマラとカマラの物語 / 第2章 まぼろしのサブリミナル―マスメディアが作り出した神話 / 第3章 3色の虹?―言語・文化相対仮説をめぐる問題 / 第4章 バートのデータ捏造事件―そしてふたごをめぐるミステリー / 第5章 なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか―ソークの説をめぐる問題 / 第6章 実験者が結果を作り出す?―クレヴァー・ハンスとニム・チンプスキー / 第7章 プラナリアの学習実験―記憶物質とマコーネルをめぐる事件 / 第8章 ワトソンとアルバート坊や―恐怖条件づけとワトソンの育児書 / 終 章 心理学の歴史は短いか―心理学のウサン臭さ消すために

サブリミナルが捏造だったというのは、今ではかなりよく知られてるんじゃないかと思うのですが、日本のテレビ局も未だにサブリミナル広告を禁止していますよね。オオカミ少女の話もちょっとネット検索してみたら、少なからぬ人が信じているようです。
ひょっとしたら、TAKESANさんにはおなじみのトピックばかりかもしれませんが、ニセ科学批判にも深く関わってくる分野だと思います。
巻末の注も素晴らしい読書の手引きになっています。ただ、(大きな声では言えませんが)体裁の割にちとお高いので、図書館にリクエストするといいかもしれません。

投稿: 月森 | 2008年11月 3日 (月) 08:52

月森さん、今日は。

▼▼▼引用▼▼▼
いやあ。眼鏡はけっこう多義的なんじゃないでしょうか。童話の赤ずきんのおばあさんが鼻眼鏡をかけてたりするし。
▲▲引用終了▲▲
あー、確かに。他の条件も加味して判断してるんでしょうね。眼鏡の形なんかも関係するかも。最近のアニメでは、と限定するとか。

ご紹介の本、たびたび目にしますね。面白そうなので読んでみようかな。

アマラ・カマラは、今も、(狼に育てられたという部分を)事実として疑わずに紹介する人は、結構いますね。確か、森昭雄氏もそうでしたか。

ところで、その本では、サブリミナルに関して、どういう風な説明だったでしょうか。
というのも、「サブリミナルは捏造」という表現は、実はちょっと危うくて、どういう現象に関しての主張かを考える必要があるんですね。

サブリミナル、つまり、閾値(知覚出来るギリギリのライン)より下の刺激が認知や行動に影響を与えるか、という現象そのものに関しては、実験的にも認められていまして(プライミング効果とか)、サブリミナルはニセ科学的だ、と言った場合には、サブリミナル刺激が強く行動に影響を与える、といった類のものを指します。サブリミナルアドの類ですね。

ですから、実は結構ややこしいんですね。尤も、「サブリミナル効果」にどのような意味を含ませるか、という事でもあるので、サブリミナル広告の意味であると限定して使うのならば、サブリミナル効果はニセ科学的な、捏造されたものだ、と言う事は出来なくは無いですが、ちょっと危ういかもです。

参考資料として⇒http://www.hss.ocha.ac.jp/psych/socpsy/akira/media/sub.htm

参考文献(一番最初のレビューは、明らかに読まずに書いているものなので、注意)⇒http://www.amazon.co.jp/dp/4762009067

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 12:19

すみません。言葉足らずでした。あまりいい加減な書き方をしてはいけませんね。
著者の鈴木氏が言っているのは、「サブリミナル効果を実証したとされるジェイムズ・ヴィカリーの実験(例のポップコーンとコーラのやつですね)が捏造だった」ということです。
実験心理学におけるサブリミナル、というか、閾下知覚については、きちんとした学問的裏づけのあるものとして説明されています。TAKESANさんのご紹介くださった本も、巻末の注に載っていました。
しかし、ご指摘いただいてはじめて気がついたのですが、私自身も「サブリミナルはニセ科学」という先入観にとらわれていて、著者が公正な立場で書いているものを無意識のうちにねじ曲げてしまっていたようですね。
こうやって、よそ様のブログにお邪魔して、いろいろ意見を聞かせていただくことは、本当にためになります。他の方たちのように鋭い洞察や論理的な議論はできないかもしれませんが、これからも、たまにお邪魔させていただきます。

投稿: 月森 | 2008年11月 3日 (月) 14:33

あ、そうでしたか。これは失礼しました。

「”ゲーム脳”とゲーム悪影響論」との関係に似ているかも知れませんね。ゲーム脳は、ゲーム悪影響論一般に包含されるけれども、同じでは無い、という。ゲームが攻撃性を高めるなんてニセ科学だ、という主張があった場合と同様ですね。ニセ科学とされるのは、ゲーム脳のような、根拠無しの極端な悪影響論であって、攻撃性を高める可能性に関しては、心理学的には確認されている。

・ゲーム脳(サブリミナル広告の強い効果)
・ゲーム悪影響論(識閾下刺激の効果一般)

との対比ですね。

▼▼▼引用▼▼▼
「サブリミナルはニセ科学」という先入観にとらわれていて、著者が公正な立場で書いているものを無意識のうちにねじ曲げてしまっていたようですね。
▲▲引用終了▲▲
サブリミナル効果がサブリミナル広告の事を指していて、それを疑似科学やニセ科学といって批判しているのは結構見かけるので、ある程度は仕方の無い事なのかな、とも思います。語の用いられ方、解釈の問題でもありますよね。学術概念の定義の話でもあります。
たびたびここでも話題にしていて、このエントリーとも関連する事ですね。

でもあれですよね。
条件を統制した知覚心理学等のレベルでは確認されている、という所を悪用して、強く効果があるかの如く言う輩もいますよね。

ポイントは、もっと一般化した状況(様々な条件が絡む状況)ではそんなに強い効果がなさそうだ、というのが見出された所にある訳ですが、そこを無視して商売に使う、というのもあるでしょうね。程度問題なんかに関心を持たないと、そういう言説に騙される事もあるかも…。

▼▼▼引用▼▼▼
こうやって、よそ様のブログにお邪魔して、いろいろ意見を聞かせていただくことは、本当にためになります。他の方たちのように鋭い洞察や論理的な議論はできないかもしれませんが、これからも、たまにお邪魔させていただきます。
▲▲引用終了▲▲
いえいえ、恐縮です…。

コメントは歓迎ですので、お気軽に書いて下さい。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 15:52

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