手の裡の事
斉藤先生の画像を見ていて、武器の操作について気付いた事あり。
いや、以前から、何となく感じていたのですが、ビデオを見ながらだったので、静止画でじっくり検証しようとならなかったのですね。今回、改めて詳しく調べてみようと思った次第。
内容は、手の内について。あまり詳しくは書きません。
次は、この気付きがどのくらい普遍的であるかを、ビデオや写真で検討する必要があるでしょう。つまり、いつもそうしているか、という事。ずっと気になっていたくらいだから、それは成り立っているのでしょうけれども。
その後には、「何故そうなるか」の考察。明らかに違うと感じ、ずっと疑問に思ってきた事なのだから、それには武術的に合理的な理由があると推測出来ますが、それはどういう論理かを考える。武術の動きには、必ずしも合理的で無くとも、「他の人がそうしていたから」、「癖だから」、という理由で用いられるものも、時にはあります。だから、何故そうしているか、というのを追究するのが必要。
私のその気付き、他に気付いた人がどれくらいいるのかな…。
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コメント
こういうの中国武術でもあります。
本家で失伝仕掛けてあわてて,老師の一人がが戻って伝えようとしたときには,歳取りすぎていて,震脚が普通の手順でできずに,動作が変わってしまったのがそのまま伝わってしまった套路の一式とか。
用法を考えて,こじつけてみたけど・・・というのが実際にあります。
後,動作の中で,適応的ではない形質は,コンバージェンス(収斂現象)を起こさないので,そういう動作の中で,武術としての機能的価値のない動作をトレースすることで,門派の系統関係が分かることがあります。
これは,コンラートローレンツ博士が,行動学という学問の開祖的な存在でありながら,その分野を自分一代で進めて,行動を比較分析することで系統進化な解析にまで及ぶ領域まで持って行った業績のコアの部分を理解すると納得できます。ノーベル賞は,伊達ではありません。
私の経験から申し上げますと,武技としての収斂現象と適応的機能とはニュートラルな共通祖先形質を区別して読み解くことは,武術の解読に非常に役に立ちます。
投稿: complex_cat | 2008年10月 8日 (水) 20:21
complex_catさん、今晩は。
そのエピソードは示唆的ですね。
科学的にきちんと整理されている訳では無いから、場合によっては、体系を崩壊させかねないんですよね、武術の伝承って。それが武術の特徴でもあるのでしょうけれど。
私は動物行動学には疎いので、実感として掴めないですが、なんだか興味深いです。
なるほど、そちら方面の知識を蓄えれば、武術について新たに見えてくるものがありそうです。
投稿: TAKESAN | 2008年10月 8日 (水) 23:45