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2008年10月12日 (日)

健全な精神と健全な肉体と武道

最近はてブで話題沸騰のこれ(重いかも)↓

はてなブックマーク - ノーベル賞受賞者の哀れ - 心に青雲

はてなブックマーク - 「心に青雲」ステキ語録集 - NATROMの日記

まあ、ここまでのクラスのは滅多にいないので、くれぐれも、「武道をやるとこうなる」、なんて思わないで下さいね(笑)

武道っていっても、色々ありますんで。それと、流派云々というより、指導者の認識にもよるでしょうなあ。心に青空の人は、「わが流派の最高指導者」の影響をめちゃくちゃ受けているようですし。あ、最高指導者ってのは恐らく、南郷継正氏の事です(南郷氏とは別だとしても、近い人でしょう)。

この人の事は、ストイック氏について調べていた時に見つけたのですが、他のエントリーを見て驚嘆したのでした。これはやばいぞ、と。

後、突っ込みで、健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らない的なものもありましたけど、そもそも、武道をやったからといって、優れた肉体が得られるとは限りませんぜ。運動にも質があるからね。言えるのは、武道をやれば、優れた肉体が手に入るかも知れないしそうじゃ無いかも知れない、肉体のありようと認識は強く連関してる訳じゃ無い、って事ですね。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

凄いですね

>体外受精では遺伝子が傷つけられ、粉ミルクでは牛の遺伝子が入ってしまう。だから3歳から小1くらいにいくら躾けようとしても、脳細胞の実体が牛と化しているのだから、人間としての躾けができなくなる。

人間は食べたものの遺伝子を自分の遺伝子に取り込む力があると。
ハンター×ハンターのキメラアントかよwww

投稿: 黒屋ぶるー | 2008年10月13日 (月) 00:37

黒屋ぶるーさん、今晩は。

実はかの人は、カービィのメカニズムを解明したのかも知れませんぜ。

あのレベルの人は、滅多にいないなあ。ホント、超ド級だと思います。

まあ、武道関連には、結構凄いのはいますけどね…。甲野氏だって充分凄いし。

投稿: TAKESAN | 2008年10月13日 (月) 01:10

もともと,健全なる精神云々の話は,「せめて健全な肉体に健全な精神が宿れば良いものを」という,現実,そういうことはあり得ないという前提で,健全な肉体を持っているのに健全な精神を持てないどうしようもない人間の酷さを嘆いた台詞だったと記憶します。
 その意味で,多くの方が,件の台詞を「健全な精神の持ち主=健全な肉体の持ち主」という意味であると取り違いをしているのですが、その意味で「暗雲の道場主」の方は,その通りの期待を裏切らない状況だということだと思います。

投稿: complex_cat | 2008年10月13日 (月) 05:11

遺伝子に接すればその遺伝子の影響を受ける、と云うのは、一種の接触呪術ですね。
科学の用語を使った目新しい呪術と云う意味では、原理そのものはニセ科学の王道とも云えるかも。呪術としての洗練度は決定的に低いですけど。

投稿: pooh | 2008年10月13日 (月) 09:12

「健やかな体に宿る健やかなこころを(ください)」ですか。何かと話題になるWikipedia(英語版)に一節がのっていますね。出典はユウェナリウスの「警句」らしいです。
(スパム対策というのにひっかかるようですのでurlは書きません。"mens sana" などで検索してみてください)
皮肉が入っているかどうかは別として、徳を歌い上げたものであるのは確かなようです。

その以前にはタレースが、幸せな人というのは「健康な肉体を持っていて豊かなたましいと学習に適した性質をもつ」と言った、なんていうことも書いてありました。

投稿: ちがやまる | 2008年10月13日 (月) 09:59

皆さん、今日は。

ああ、元々の言葉が誤って伝わった、という事なのですね。

武道をやれば高い精神性が身に着く、というのを素朴に信じている人達もいますが、ダメですね。て言うか、本気でそういうのを信じているから、ちょっとどうにかしないといけないですね。

あ、そういえば、書いてる内容としては、この間のバカ漫画の詰め合わせのような感じですね。

かの人に匹敵出来るのは(同じような方向性で)、もはや正論一喝氏、有害図書撲滅氏くらいしかいないでしょう。……意外といるな。

投稿: TAKESAN | 2008年10月13日 (月) 12:13

NATROM先生も指摘しておられますが、「人間は健康なのが当たり前、不健康なのは何か間違ったことをしているからだ」式の論理というのは、独善的な差別の温床だと思いますね。基本的に考え方が素朴なだけなのだと思いますが、素朴さは美質や美徳でも何でもなくて、単に思考の単純さや想像力の欠如を表す特質に過ぎないのだな、と更めて思います。

人間は健康なのが当たり前、出産は安全なのが当たり前、「五体満足」な子供が生まれるのが当たり前、その当たり前のことが起こらないのは、天然自然な人間の本然に反するような間違ったことをしているからだ。

こういう独善的な論理が、如何に不幸な社会的弱者を痍附けるのか、そういう想像力の欠如は何処も美徳では在り得ませんね。不合理云々以前に、幼時病弱だった一個人として強い嫌悪感を感じます。或る個体が健康で頑健なのは、たまたま偶然に恵まれた肉体的資質に過ぎなくて、そうでない個体だって幾らでも「自然に」存在しているのだという、それこそ「当たり前のこと」を識らない傲慢な無神経さには呆れます。

人間以外の生物なら健康に恵まれなかった個体は滅びるしかないけれど、人間の知恵は数千年かかってようやく多少肉体的ハンディを抱えていても生きられるような世の中を実現したわけで、この方のような考え方というのは、そのような世の中の在り方を理解していないのだし、有り体に言えば否定しているわけですね。

何故なら、今現在健康でない人は「間違っている」わけですから、この方の仰る通りに実践しても健康になれない人は、やっぱり何処か別のところが間違っているわけで、これは「報われないのは信心が足りないからだ」式の循環論理です。

そして、人間は健康であらねばならない、不健康なままでいることは怠惰な罪悪だとすら思っているわけですから、突き詰めて考えると、肉体的に虚弱な人や障害を抱えた人が存在してありのままに生存している実情を否定しているわけです。さらに言えば、健康が損なわれるのは生活習慣の何かが間違っているからだとすれば、病気や障害というのは特定の誰かに問われるべき責任があるということです。病人ならばその当人に、障害者ならその親たちに、間違いを犯したという責任を問う考え方です。これは完全に差別であり、何ら有益な結果をもたらさない害悪でしょう。

この種の考え方の独善性については、数百年前に兼好法師がすでに苦々しい思いを吐露していて、「無病強健な人は友とするのに向かない」と語っています。彼のような病弱な人が、人間は無病息災で当たり前だと思っている人と交われば、いろいろ理不尽な言い懸かりで痍附くことも多かったのでしょうね。

殊に、彼の生きた時代では、病弱であるということはいつ死ぬかわからないということですから、病気に対する恐怖は現代の比ではなかったでしょう。寧ろ身体強健な人よりもよほど生活習慣に気を附けていたはずですが、健康ではないという事実によって何かが間違っているという前提で物を言われる、これは堪ったものではない。

けっこう個人的な感じ方の話になってしまいましたが、まあオレが一番嫌いな種類の考え方ですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年10月13日 (月) 12:14

昔、思ったことですが(「ゲーム脳」があるのなら「スポーツ脳」もあるだろうと、『健全な精神は健全な肉体に宿る(の誤解)』に関連して)、

ゲーマーが犯罪を起こすとゲームとかゲーム文化が否定されるような報道がたくさんありますが、大学のスポーツ部員(大抵はスポーツエリートです)が犯罪を犯してもスポーツを否定するような報道はされませんね。

不思議なことです。

投稿: エディ | 2008年10月13日 (月) 12:27

黒猫亭さん、今日は。

素朴さ、純真さ、素直さ、等は、無知による暴言を決して免責しないのですよね。poohさんもよく仰っていますけれど。

私自身は、子どもの頃は病弱、運動能力皆無、でした。そうであると、それが何か悪い事であるかのように見られたりしますね。まあ、結構辛く、自分を責めたりルサンチマンを増長させたり。

心に青雲氏は、自身の言説が差別だと指摘されればおそらく、「それは差別では無く、当然だ」、と反論するでしょう。全く確信的であろうと思います。エントリーの端々に、そういう認識が垣間見られます。
そういう所が、差別の本質的な厄介さでもあるのでしょうね。

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余計なお世話だけど、他の玄和会の人達は、かの人をどのように見ているのだろうなあ。もしかすると、流派一般の認識であったりして……だとしたら、かなり恐ろしい。

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エディさん、今日は。

スポーツを批判する論は、無いではないですが、サブカルチャーの責められ方に対して圧倒的に少ないですよね。

多分これには、社会的認知が大きく作用しているのでしょう。ステレオタイプ・バイアス。
後、解釈の問題もありますね。身近にいたらどうしようも無いだろうと思われる猪突猛進で無思慮な人でも、業績を上げたら、豪胆であるとポジティブに捉えられたり。

スポーツや武道を行えば健全な精神が一般的に身に着く、という社会的認知が、「スポーツをやっているという情報による価値付けの補正」や、「スポーツをやっている人格低劣な人間を”例外”と扱う補正」などを掛けるのかも知れません。
これは、勝れて心理社会的な論理であろうと思います。※上の私の論は推測です。

投稿: TAKESAN | 2008年10月13日 (月) 12:52

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