再解釈
言葉遣いなんかについてやり取りしていると、「あれは、これこれこういうつもりで書いた」、という風に、後から説明する事がありますね。
その場合、書いた時点とは違う意味付けをしてしまう、というのも、しばしばあります。文章は複数の解釈が可能だから、後から受けた指摘なり批判なりに「合わせる」ように、自分が書いた文章を「再解釈」してしまう。
もちろん、それが意図的なものである、という事では無く、無意識的なものである場合が多いでしょう。書いた時点での記憶が正確に残っている訳では無いから、改めて説明する際に、書いた時には持たせていなかった意味を加えて批判に対処したり、というのがあるんですよね。
この間の、とらこさんのブログで自分が書いた文章についての説明でも、そこの所を注意しながらやっていました。やはり、自分の意見なりに矛盾や誤りが含まれているのはいやなものですから、知らない内に修正しようとするのですね。それを抑えるのは、かなり難しい。だから、強く意識して、注意深く考えなければなりません。
自分のコメントについてなのに、「だったと思います」的な書き方をしたりね。
松浦さんのブログのコメント欄での「須らく」の用法についての議論を見ていて、そんな事を考えたのでした。人間の認知と言葉の恣意性は、まことにややこしい。
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