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2008年9月14日 (日)

とらこさんへ

要らぬ議論を呼び起こしてしまい、ご負担をお掛けして、申し訳無く思います。

そちらでも書いたように、私はシンシンさんとはやり取りしません。その事について他の方からいかに解釈・評価されようが構わないと考えています。

もちろん、「すり替え」と言われたから「絶縁」する、などという事は思ってすらいなかった訳ですが、そう解釈されたのは、仕方が無いのでしょう。

私が申し上げる事でもありませんが、私とシンシンさんのやり取りに関して、とらこさんが責任を感じる必要は全く無いと思っています。どうか、お気になさらずに。

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コメント

TAKESANさん

TAKESANさんとシンシンさんのやりとりについては、シンシンさんのお考えがもう変わることがなければ後はギャラリーの判断に任せて打ち切ることをコメントで書きました。

おっしゃるとおり、お二人のやりとりに関しては私が責任を負う必要はないと思いますが、事態をこじらせ、さらに対応が後手後手にまわって場の仕切りをまともにできず、結果として当事者をはじめたくさんの方を不快にしてしまったであろうことについてはブログ管理者の責任はまぬかれないと思います。本当に申し訳ありません。

いつも変わらない、親切かつ丁寧なコメントとお心遣いに篤くお礼申し上げます。

投稿: とらこ | 2008年9月14日 (日) 12:59

とらこさん、今日は。

私については、特に不快になったという事もありませんので、お気になさらずに。

なお、柿の木さんが私の言葉に疑問を感じられたとの事ですが、具体的にご指摘があれば、釈明するに吝かではありません。恐らく、このブログに書くと思います。

もしかすると、柿の木さんもこちらを読まれる事があるかも知れませんし、とらこさんのブログのROMもお読みかも知れないので、少し説明を。

私が書いたのは、厳密な定義が必要とされる術語を用いる場合にはともかく、そうで無い言葉遣いに関しては、当事者同士のやり取りにひとまず任せるべきで、他から「こういう解釈も可能だから」、と評価して話を進めると どんどんずれていくのではないか、という指摘でした。

ちなみに、私が「ややこしい話では無い」と書いたのは、「ピーマンの好き嫌い」の話に掛かっていて、最初に書いたコメントについての説明です。それをああ解釈されては、困惑せざるを得ないですね。あの調子で好きなように解釈されてはズレが大きくなるので、コミュニケーションを取るのを止めました。それを「絶縁」と捉えられるのは、別に構わないですけれども。

ところで、
▼▼▼引用▼▼▼
とらこさんの姿勢が「単なる排除」を思わせる、というのは不思議な認識だなあ、と感じました。
▲▲引用終了▲▲(私のコメントから抜粋)
これって、小馬鹿にした態度ですかね。Lightさんに対してのとらこさんの態度から、「排除」を見てとるのは不思議だ、と書いたのですが、それをもああ解釈されると、ちょっとどうしようも無いです(←自分にはどうする事も出来ない、という意味ですよ。念のため)。

私が最初に書いたコメントを載せておきます。
▼▼▼引用▼▼▼
投稿者:TAKESAN2008/9/8 11:53

今日は。

「○○が食べられない」という言い回しで好き嫌いを表現するのって、以前から使いませんでしたっけ?

ちなみに、「人々の意識の変化」というのは、調べなくては解らない事ですね。個人の観察による「実感」と、社会がどうであるかという「事実」には、大きな隔たりがありますので。

で、そういうのを調べる学問はあるし、調べている人達はいますよね。言語学者や心理学者、あるいは社会学者とか。

社会的な傾向を論ずる場合、それらの研究によって得られた知見を援用するのが筋ではあります。そうで無いと、「自分はこう思う」、のぶつけ合いから抜け出せなくなったりしますしね。

結局何が言いたいか、というと、個人の経験に基づいた主張というのは、それだけではコンセンサスが得にくい、という事です。
▲▲引用終了▲▲

「そんなにややこしい話」では無いと思うのですが、どうでしょうね。

あ、それから、私が「使用者の認識を決定」と判断したのは、シンシンさんの、
▼▼▼引用▼▼▼
一体、妄想と判ずる根拠はどこにあったのでしょうか。論とは懸け離れた次元で病的だと判断したということでしょうか。あまりに理不尽です。
▲▲引用終了▲▲(投稿者:シンシン2008/9/11 6:32)
この部分を受けての事です。整合性を確認された方が良いと申し上げたのは、全体的に見て、論旨が一貫していなかったり、批判対象の文についての恣意的解釈が多かったと感じたからです。

一応言っておきますけれど、私は、とらこさんが使われた「妄想」という言葉は強過ぎる、と思いました。しかし、さすがに病的云々という意味合いまで含めているとは考えなかった。であるからこそ、とらこさんにどういう意味で用いたかを確認した方がよろしいだろう、と書いた訳です。

おおまかかも知れませんが、説明です。疑問等がおありでしたら、出来る限り説明しますので、どうぞ。

投稿: TAKESAN | 2008年9月14日 (日) 14:13

もう少し説明。※やり取りを追っている方向けの文なので、引用元のエントリーへのリンクは張らないです。投稿者と投稿日時の情報のみ書きます。

私が「ややこしい話をしているつもりは無い」と書いたコメントから、前後の文と共に抜粋。
▼▼▼引用▼▼▼
もう一度整理しますが、私が言いたかったのは、データによる根拠付けが必要とされる主張を、エビデンスを示さないままに行い、それを元に論を展開すると、ずれが大きくなるので注意すべきだ、という事です。
そして、そのような論を批判する側は、エビデンスが示されなかった事を指摘すれば充分である、という話です。そんなにややこしい話はしているつもりは無かったのです。
▲▲引用終了▲▲(投稿者:TAKESAN2008/9/11 11:49)
主に私の最初のコメント(と、後半は、立証責任の話ですね)に掛かっていますね。いつの間にか言葉遣いの話になっていたので、改めて、そもそも私がコメントした意図の説明をした訳です。
で、ここに対するレスは、
▼▼▼引用▼▼▼
先方から対話を求めておいて、その最初のコメントからして「不思議な認識だなあ」などと小馬鹿にするような物言いをされて(もちろん、ご当人に聞いてもその「意図」は否定されるのでしょうね)、その次のコメントでは「そんなにややこしい話はしているつもりは無かったのです」って、それは分からないほうが馬鹿だということですか。
▲▲引用終了▲▲(投稿者:シンシン2008/9/14 7:17)
この部分です。さっき投稿した上のコメントとも合わせて検討して下さい。思ってもいない事を引き出されてそれを前提に論を展開されても、途轍も無く面倒なので、積極的にやり取りはしようとは感じないです(私がやり取りしないと書いたのは、上記引用コメントが投稿される前ですが)。意図は無いので、否定せざるを得ません。当たり前です。

投稿: TAKESAN | 2008年9月14日 (日) 14:33

TAKESANさんの意見は正しいのですが「確度の高いデータを出せ」って言うのは、猫猫先生が絶望書店さんに要求したことでもあるんですよね。論そのもので判断したほうがいい場合もあるのではないかと思います。

とらこさんは研究者ですしTAKESANさんと同様に論理を重んじているので、お二人ともそういう所はきっちり押さえるべきと考えているのは分かるのですが、データが最重要となる話をしているわけではないので、懐の広い論者や研究者もいるよというのを見せてもらえるといいなと思ったりします。

Lightさんのデータは個人的かつ数値化されていないものではあるのですが、サンプル数、調査期間共にそれなりに量がそろっているようですし、子供たちを通して間接的に見えていたものが議論のテーマとして目の前に現れたということですから一定の評価をしてもいいのではないかと思います。

妄想についてはLightさんに対する文体や「常識」と対比されてることと、とらこさんを含むたんぽぽさん寄りの立場の人がLightさんをどう評価しているかを考え合わせると、よりきつい意味で語られたと(Lightさん、あるいはLightさん寄りのROMに)解釈されたとしてもしかたないと思います。

小馬鹿については、自分もそれなりに考えて書いたコメントに対して「小馬鹿にされた」と言われたことがあります。信義に基づいて始められた議論の場でシンシンさんの意見の多くがとらこさんによって却下されている事でもあるので、シンシンさんが過敏になっていて出てきた感想ではないかと思います。ただ同じ事を言うにしても「不思議な認識だなあ」と言うのと「自分はそうは感じなかった」と言うのでは、相手に与える心理的影響が変わると思います。

投稿: taka | 2008年9月15日 (月) 18:18

takaさん、今晩は。

猫猫先生(小谷野氏の事ですよね)についてはよく知らないので、そこは何とも言えないので、他の部分について。

うーんと。
私が最初に書いたコメントを、もう一度載せてみます。
▼▼▼引用▼▼▼
投稿者:TAKESAN2008/9/8 11:53

今日は。

「○○が食べられない」という言い回しで好き嫌いを表現するのって、以前から使いませんでしたっけ?

ちなみに、「人々の意識の変化」というのは、調べなくては解らない事ですね。個人の観察による「実感」と、社会がどうであるかという「事実」には、大きな隔たりがありますので。

で、そういうのを調べる学問はあるし、調べている人達はいますよね。言語学者や心理学者、あるいは社会学者とか。

社会的な傾向を論ずる場合、それらの研究によって得られた知見を援用するのが筋ではあります。そうで無いと、「自分はこう思う」、のぶつけ合いから抜け出せなくなったりしますしね。

結局何が言いたいか、というと、個人の経験に基づいた主張というのは、それだけではコンセンサスが得にくい、という事です。
▲▲引用終了▲▲
こういう風に書いていて、そもそも、それほど強い調子でも無かったんですね。個人の経験を社会的な「事実」として取り扱ってしまう、というのは往々にしてある事なので、それに気を付けた方がいいんじゃないかな、と思ってコメントしてみた訳です。自分で言う事でもありませんが、かなり表現に気を遣っています。

たとえば、治安悪化言説がありますね。少年犯罪は増えた、凶悪犯罪は増えた、という類の。それも、注意深く統計データを見れば、前提とするには非常に懐疑的にならざるを得ない主張です。
ですから、証拠が重要だという事ですね。だから、「ずれが大きくなる」というのを書きました。前提についてコンセンサスが得られていないと、議論が進まなくなりますしね。

▼▼▼引用▼▼▼
サンプル数、調査期間共にそれなりに量がそろっているようですし
▲▲引用終了▲▲
一般化に重要なのは、サンプルの大きさ(データの数)だけでは無く、それが「偏っていない」事、だと思います。ですから調査研究では、得られたサンプルに合わせて母集団を限定する、という場合もあるようです。対してLightさんの一般化はあまりに大きく、そのまま前提とするには無理がある、と考えられます。

「妄想」の部分については、ほぼ同意します。もちろんとらこさんも、それを認識した上で敢えて使われたのだと思いますが、良い選択では無かったのだと考えています。そこに私が入った事で、よろしく無い印象を与えたと思います(私は、「病的」という意味を含めたか否か、というのは重要な部分だと考えたので、どうしても書きたくなりました)。

「不思議な~」については、他に書き方があったのでは、というのは、私は賛同しかねる所です。不思議な、という表現から、小馬鹿云々と解釈されるのは、さすがに納得はしがたいものがあります。しかも、「意図」は否定するだろう、と予め書いてそういう印象を言われましたので、私にはどうする事も出来ない、と感じました。こちらが何を言おうが無意味、となりますから。そういう風に解釈する方とやり取りは無理だと考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年9月15日 (月) 19:15

TAKESANさん、こんにちは。

ちょっと教えていただきたいんですけれど、Lightさんのコメントで、「一般化」や「社会的な傾向を論」じた部分はどこですか。私が読んだ限り、なんか個人的な経験の話みたいなんですけど。

投稿: やす | 2008年9月15日 (月) 21:50

▼▼▼引用▼▼▼
それが、「ピーマンが食べ『れ』ない」という「可能」の表現がされるようになってきたのは、ここ最近のことです。・・・と私は感じています。(申し遅れましたが、私はある場所で小学生の子どもたちを指導する立場にあります。)
この「表現法の変化」は何を表しているのだろうか、ということを考えています。
▲▲引用終了▲▲
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/62.html#comment11737
▼▼▼引用▼▼▼
それがいつの間にか、「属することに違和感を感じる」というような、好き嫌いや欲求の問題とごっちゃにされている用法が見られるようになりました。
なぜ「属したくない人」「属することが嫌いな人」という表現を用いないのか。私はそこに、人々の意識の変化のようなものを感じています。
▲▲引用終了▲▲
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/62.html#comment11738

ここですね。

特に、
▼▼▼引用▼▼▼
なぜ「属したくない人」「属することが嫌いな人」という表現を用いないのか。私はそこに、人々の意識の変化のようなものを感じています。
▲▲引用終了▲▲
この部分でしょうか。これは一般的な傾向についての言及に私は読めました。で、その根拠の一つとしてピーマンのエピソードを出された、と読み取った訳です。

私が最初にとらこさんの所に書いたコメントは読んで下さいましたよね。もう一度載せます。
▼▼▼引用▼▼▼
投稿者:TAKESAN2008/9/8 11:53

今日は。

「○○が食べられない」という言い回しで好き嫌いを表現するのって、以前から使いませんでしたっけ?

ちなみに、「人々の意識の変化」というのは、調べなくては解らない事ですね。個人の観察による「実感」と、社会がどうであるかという「事実」には、大きな隔たりがありますので。

で、そういうのを調べる学問はあるし、調べている人達はいますよね。言語学者や心理学者、あるいは社会学者とか。

社会的な傾向を論ずる場合、それらの研究によって得られた知見を援用するのが筋ではあります。そうで無いと、「自分はこう思う」、のぶつけ合いから抜け出せなくなったりしますしね。

結局何が言いたいか、というと、個人の経験に基づいた主張というのは、それだけではコンセンサスが得にくい、という事です。
▲▲引用終了▲▲
直前のLightさんのコメント2つへのレスです。

投稿: TAKESAN | 2008年9月16日 (火) 00:04

……もしかして。

単に、一般に「ピーマンが食べられない」と表現する子どもが増えた事の根拠を出すべきだと私が書いた、と思われているのだろうか…。
そもそも書いたのは、
▼▼▼引用▼▼▼
ちなみに、「人々の意識の変化」というのは、調べなくては解らない事ですね。個人の観察による「実感」と、社会がどうであるかという「事実」には、大きな隔たりがありますので。
▲▲引用終了▲▲
これです。

自分のコメントでも、最初に書いた意図からはずれて再解釈してしまう事があり得るので、言っている事が変わってしまってる場合があるかも知れません。

なるだけ正確に思い起こすと、

Lightさんが「人々の意識の変化」を感じとっている。その証左の一つとして、身の回りの「ピーマンが食べられない」という表現の変化を挙げた。それについて私が、意識の変化云々というのは調べなければはっきりしない事だし、調べないままに前提として論をすすめるとずれるのではないか、と考えコメントした。

となるでしょうか。確か、ピーマンの話についての根拠を出した方が良い、と書いたのではありません。ピーマンについては、そういう言い回しは前からありましたよね、という風に書いたはずです(コメントでもそうなってると思うけど…)。

くどいですが、もう一度、私のコメントを一部分載せます。
▼▼▼引用▼▼▼
結局何が言いたいか、というと、個人の経験に基づいた主張というのは、それだけではコンセンサスが得にくい、という事です。
▲▲引用終了▲▲

少なくとも、ならデータを出せ、という意味合いと言うか、調子ではで書いてはいないと思うのですが、どうでしょうね>takaさん

2つ目に書いたコメントも、経験に基づいた意見を言ってはならないという事では無い、と主張しているのですが、うーん…。3つ目以降は、もう一般論になっていますが。

だから、シンシンさんに書いたような言い方になる訳です。そもそも「そんなにややこしい話」をしてはいないのに、と。

て言うか、やり取りをこじらせたのは、私なのかな? よく解らんです(本音です)。

投稿: TAKESAN | 2008年9月16日 (火) 00:35

これは多分、非常に大きい誤解がありますね。
とらこさんは少なくともピーマンの話にこだわっているし、TAKESANさんもピーマンの話から入るから、そのことを話しているのかな、と思ってしまうし。
Lightさんの最初の主張には少なくともピーマン以外に「人々の意識の変化」に言及していることはないので、多分彼女の主張と「人々の意識の変化」っていうのはあまり関係がないのでは。きっと彼女はただ二つの表現をするグループがあってそれを比べたかっただけであり、それが歴史的事実として変化していると主張したかった訳ではないと思います。彼女の頭の中では、時間的変化としてのピーマンの話があったので、つい「人々の意識の変化」が感じ取られるって書いちゃったんだと思います。ま、書いたのがいけなかったんでしょうけど。
で、変化があってもなくても、二つの言い方が理論上でも存在する限り、彼女の論理は成立すると思います。(正しいか正しくないかは別)

投稿: やす | 2008年9月16日 (火) 04:50

TAKESANさん お返事ありがとうございます

事後の分析なので結果論になってしまうことはお許しください。ただ責任論ではないことは理解してもらえるとうれしいです。責任があるとすれば四人に少しづつ責任があって主因を特定できるものではないと思います。

TAKESANさんの9/8のコメントは自分の目から見ても妥当なコメントだと思いますが、段落ごとに対象や確定度とか確信度が微妙に異なっていますよね?それを注意深く区別して読み込まないとTAKESANさんの言いたいことが伝わらなくなってしまう可能性は捨てきれないと思います。もちろんこれはTAKESANさんの文に問題があるのではなく、読み手に問題があるのでもなく、言葉の持つ一般的な問題だと思います。

Lightさんは、「偏っている【可能性】があるから一般化できないし個人的データ【だけ】では不同意の意見を否定できない」とは読まずに「偏っているから間違って【いる】し個人的なデータだから否定されて当然」と言われたと読んだように見えます。とらこさんの反応はこの読み方を確定させてしまったように見えます。

シンシンさんは主にLightさんの視点からこの【状況】を見ているように見えます。また、ほかの場所も含めて今までに見てきたシンシンさんの姿勢は「議論を【継続】することで何かが見えてくる」というものに思えるので、対話を打ち切ったTAKESANさんや「ブログで書け」と言ってるとらこさんに反発しているようですし、とらこさんを含めたコメントの流れの中で、特定の表現に対して「ひっかかりを感じた」というレベルのものが明確な反感に成長したのだと思います。

データの信頼性とコンセンサスの関係については同意です。LightさんのデータについてはTAKESANさんは「一般化するのが問題」とらこさんは「議論に持ち出すこと自体が問題」と考えているように見えるのですが、そのあたりの見解(の違い?)を解説してもらえたらと思います。

▼▼▼引用▼▼▼
ちなみに、「人々の意識の変化」というのは、調べなくては解らない事ですね。個人の観察による「実感」と、社会がどうであるかという「事実」には、大きな隔たりがありますので。
▲▲引用終了▲▲
前半は可能性の問題ですが後半は一般論としての否定なので、その段落だけ抜き出すとTAKESANさんの意図とは違う読み方を否定できなくなってしまいます。さらにコメントの冒頭で疑義、あるいは消極的な部分否定をしているので、当事者だと文意の判別が難しいかなと思います。

Lightさんのコメントの構造は、データから結論を導出してそれを議論に持ち込んだというのではなく、データと「できない」表現にこだわりを持つ人たちの出現という事象をつき合わせた結果、意識の変化と言う結論を得た(あるいは確信した)と自分は読んだのですが、Lightさん側に寄り過ぎですか?

投稿: taka | 2008年9月16日 (火) 05:59

お騒がせしております。

ちょっと私用で取り込んでおりまして議論に参加できずすみません。数日後にもしまだ私が参加したほうがよいような状況があれば発言させていただくかもしれませんが、とりあえず読ませていただくだけで失礼致します。

投稿: とらこ | 2008年9月16日 (火) 07:17

やすさん、今日は。

誤解、うーん、あるかも知れませんが…。

えっと、私がLightさんの主張も誤解していた、という事でもあるのでしょうか?
少なくとも私は、ピーマン(←略しています)について根拠を出した方が良い、と単に言った訳ではありませんし(意識の変化云々についての根拠とするなら考えた方が良いのでは、という言い方)、経験に基づいた主張そのものを否定したのでもありませんでした。

えっと、Lightさんの書かれた「意識の変化」って、それまでの議論と関わるものですよね。で、それの一例としてピーマンの話を出した、という風に考えています。つまり、やすさんの分析とは逆、と言うか。

▼▼▼引用▼▼▼
で、変化があってもなくても、二つの言い方が理論上でも存在する限り、彼女の論理は成立すると思います。(正しいか正しくないかは別)
▲▲引用終了▲▲
これはその通りかと。
で、「属さない/属せない」に関しての議論という流れがあって、「意識の変化」というのはそれについての主張ですよね。それは結局、ある程度社会に広く見られる傾向として論じようとした、というように考えられました。で、ピーマンの話が出てきた訳ですね。全く論理的に何の関係も無い経験談であるなら、書く必要性も無いのですし。
コンテクストとしてそういうものがあったと思うのですが、違うのでしょうか。

------

takaさん、今日は。

4人に少しずつ責任がある、というのはよく解りません。責任、という語を用いるべきかどうかも。

私は、ブログでのコメントのやり取りは会話に準ずるものだと考えているので、そもそも一つのコメントが誤解無く読まれるというのはほとんど不可能であるし、誤解を防いだり正したりするためにコミュニケーションする、と思っています。

で、いかように解釈出来たか、という事後的な分析は、そういう読み方も出来るだろうな、という参考にはなるにしても、それ以上の感想というのは特に生まれないかと思います。

シンシンさんについては、シンシンさんが何を考えておられようが、私は関心を持ちません。少なくとも私に対してのコメントを見ると、「議論を【継続】することで何かが見えてくる」という姿勢には思えません。私の態度が問題だったからだろう、という指摘も聞き入れるつもりはありませんので、悪しからず。

▼▼▼引用▼▼▼
Lightさんは、「偏っている【可能性】があるから一般化できないし個人的データ【だけ】では不同意の意見を否定できない」とは読まずに「偏っているから間違って【いる】し個人的なデータだから否定されて当然」と言われたと読んだように見えます。とらこさんの反応はこの読み方を確定させてしまったように見えます。
▲▲引用終了▲▲
私は、それにフォローするために、2つ目のコメントを書いたつもりでした※ 最初のコメントをそのように読まれたとすれば、全く私の意図とは異なるので。

▼▼▼引用▼▼▼
データの信頼性とコンセンサスの関係については同意です。LightさんのデータについてはTAKESANさんは「一般化するのが問題」とらこさんは「議論に持ち出すこと自体が問題」と考えているように見えるのですが、そのあたりの見解(の違い?)を解説してもらえたらと思います。
▲▲引用終了▲▲
とらこさんはそう捉えておられたのでしたっけ。私ととらこさんに見解の違いはあるかも知れませんし、ズレはほとんど無いかも知れません(私は後者だと考えました。↓をご参照下さい)。

------

疑問なのですが。

Lightさんは、社会的な傾向について論じている、と看做された事は否定していないですよね(ピーマンが、じゃ無いですよ)。だから、その判断は間違っていなかったのだとして議論が進んだと思うのですが、違うのでしょうか。

http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/67.html?b=40#comment
より引用。
▼▼▼引用▼▼▼(一部引用)
投稿者:Light2008/9/9 22:34

私自身は、議論の中で「経験」とそれに基づく「考察」を得て、それらに何らかの共通項を見出すことは、大変意義深いことだと思っているのですが、こちらではそれは意味のないことだということですので、以後経験をもとにした考察を展開することは控えたいと思います。
▲▲引用終了▲▲
こうあります。で、私は、「とらこさんも私もそんな事は言っていない」というのを説明するために、
▼▼▼引用▼▼▼
投稿者:TAKESAN2008/9/9 23:45

また横レスですが。

>Lightさん

えっとですね。
これって、単に自身の経験に基づいた意見を言うべきでは無い、というのでは無く(そんな事は現実には不可能です)、「何を主張するか」、というのが関係してくると思うんですよ。

注意深い論者は、自身の経験について書きつつも、「これは一般化出来るものではありませんが…」とか、「あくまで自分の経験に基づいた意見ですが…」などの補足を加えたりするんですね。

ちょっと喩えを出します。

ある所に、「日本では去年に較べて殺人事件が急増したように思う」、と主張した人がいるとします。その人は、テレビで観て、よく殺人事件の報道を目にしたから、そういう認識を形成しました。

ところが、実際調べてみると、件数はそれほど変わっていませんでした。つまり、その人は、自身の経験を過度に一般化してしまった訳ですね。

この場合、自身の経験、つまり、「犯罪報道に多く接した」というのは事実です。それは疑う必要は、特にありません。
しかしこの人は、「日本全体で増えたのだろう」、と推測した訳ですね。これはもう、調べないと絶対に解らない事なのです。もしかすると、報道の件数すら変わらないのに、生活のサイクルが変わってテレビを観る時間が増えた、という理由があるかも知れないのですから。

自分の周りではこういう事があってね……という意見自体は、文脈により、有用なものになる場合もあります。

結局、「論点」が大事だ、という事です。

ここら辺の論理を押さえておくと、議論は建設的なものになるんじゃないかな、と思ってます。科学で「証拠(あるいは根拠)」が重要だと言われるのは、こういう所が関係しています。直感や個人の経験を大事にしつつ、それが必ずしも信用出来るものでは無い事を織り込んで、観察や実験を行い、データを集め、それを検討する訳ですね。
▲▲引用終了▲▲
これを書きました。「喩え」の前までは、Lightさんの誤解に対して説明。喩えは、経験による印象と一般化との関係についての自分の見解。

私は、自分の文はほとんどLightさんには理解されなかった、と思っています。

------

とらこさん、今日は。

コメントは、いつでもどうぞ。歓迎します。
とらこさんを差し置いてここで進めても良いのだろうか、という気もしますが…。

投稿: TAKESAN | 2008年9月16日 (火) 11:54

TAKESANさん、こんにちは、

いえ、TAKESANさんが誤解しているという訳でなく、TAKESANさんの本来ならわかりやすいはずのせっかくの説明が、誤解を生み出す一因に不幸にもなってしまっているということです。私もすっかり誤解していました。これについてはのちほど。

えーと、「意識の変化」は『「属さない/属せない」に関しての議論という流れ』にどのように関連してくるのでしょうか。ちょっと関係ないように思えるんですけど。なんかLightさんはPragmaticsの議論がしたかったように思えますね。

つまり、もともと「ピーマン」メタファーは言葉の多義性を表現したかったのであり、(意識の変化に伴う)言葉の変化について言及するつもりではなかったのではないかと。

いや、もちろん、主張する気のない「意識の変化」に言及しちゃっているLightさんが一番の責任者ですが。

投稿: やす | 2008年9月16日 (火) 12:58

「属さない/属せない」という表現と社会的認知(社会的な意識の変化)が関係していて、それの一つの根拠としてピーマンの話が出たのでは、と思った訳です。つまり、語用論の話を社会的認知の反映の例示として持ってきた、と考えました。

Lightさんがどういう意図で書かれたかはご本人しか解らない事ですが、私は、コメントへのレスのされ方に応じて説明に努めたつもりではあります。Lightさんの私へのレスから、社会的な傾向について全く論じる気が無かった、と読むのは難しいと感じます。そういう気が無かったのであれば、はっきりとそう言われれば良かったと思うのですが。※Lightさんのコメントを引用して、そう読み取れる部分もあったのでは、と言われたとしても、そういう読み方も可能かも知れないですね、としか返せないと考えています。

ちょっと気になるのが、この場で、Lightさんがどういうつもりだったか、というのが議論の軸になっている所。私としては、コメントを書いた時点での自分の認識の説明に努めるしか無い訳です。自分はこう読んだ、だからああコメントした、と。

投稿: TAKESAN | 2008年9月16日 (火) 13:38

TAKESANさん  こんばんは

TAKESANさんのコメントが妥当なものである以上、Lightさんに対する最適解にならなかった理由を紐解くには、Lightさん側の視点から考える必要があると思うのですが…

>フォローするために、2つ目のコメントを書いた
>とらこさんはそう捉えておられたのでしたっけ

2つ目のコメントもきわめて妥当なコメントだと思うのですが直後のLightさんのコメントを見るとLightさんは依然として理解を改めてはくれていない。ではなぜ改まらないかと言うと、とらこさんがLightさんの「感じた」表現を何度も否定しているからだと思います。エントリーで唯一緑文字が使われているところも「感じた」についてです。Lightさんから見れば、TAKESANさんの意見ととらこさんの意見ではなく、TAKESANさんととらこさんの共同の意見に見えていると思います。自分はそのとらこさんの発言にTAKESANさんととらこさんの見解の違いを感じます。

改まっていないことを前提に考えると、犯罪発生についての印象の例示は、乖離の可能性の例示としてではなく、Lightさんのデータが間違っていることの例示として読まれてしまって、誤解を強化してしまったように見えます。さらに
▼▼▼引用▼▼▼
これって、単に自身の経験に基づいた意見を言うべきでは無い、というのでは無く(そんな事は現実には不可能です)、「何を主張するか」、というのが関係してくると思うんですよ。
▲▲引用終了▲▲
は、「単に」という語が入ったことで「経験に基づいた意見を言うべきでは無い」事を前提条件として遵守した上で、さらに一般論に拡張することも控えるべき、と誤解されてしまったように見えます。今まで自分が対話してきた人たちに二重否定や入れ子状態の理解を苦手とする人が何人もいたのですが、Lightさんもその傾向があると推測します。


責任についてはTAKESANさんが「やり取りをこじらせたのは、私なのかな?」と言われたので、もしもTAKESANさんに責任ありとするなら他の三人にも同時に責任があると言う意味で言いました。しかし今回の場合、四人それぞれに改善できる点があるとは思うのですが、それが会話の相互作用によって生じているので責任の重さと言う意味においても主因の特定と言う意味においても責任【追及】はできないと思います。

齟齬とは度し難いもので、今の対話においても、自分が前のコメントで「もしも~」という文を付け加えていれば、TAKESANさんがレスを返す必要があると感じるほどの違和感を責任という単語に感じなかったかもしれず、そういう意味で私に責任があると表現することもできるわけです。

TAKESANさんは一方の当事者としてシンシンさんのどこがいけなかったのかは自分が説明するまでもなくよく分かっているはずで、それに対して自身のことやシンシンさん側の考え方は見えにくくなっていると思うので自分がコメントしているわけです。必然的にTAKESANさんにとっては厳しい内容が多くなってしまうわけで、自分が責任論ではないと前置きしたのはそいう事情を考慮してのことです。

シンシンさんは悪魔の証明の適用についてTAKESANさんの意見を素直に受け入れている(礼まで言っている)ので少なくとも聞く耳を持たない状態ではなかったように見えます。尤も強い言葉を好む傾向にあったり言い切る文体であったりするのでTAKESANさんの言語感覚とは合わなかったのですが。

自分のこういう切り口の分析では参考にするメリットと責められてる感とのバランスが悪いとTAKESANさんが思うのでしたら、これ以上差し出がましいことは控えますが…

投稿: taka | 2008年9月17日 (水) 03:39

takaさん、今日は。

コメントを頂くのは構いません。

ただ、Lightさんがどう解釈されたかについての分析は、それほど考慮はしないと思います。

▼▼▼引用▼▼▼
自身のことやシンシンさん側の考え方は見えにくくなっていると思うので
▲▲引用終了▲▲
多分、そうでも無いです。

私にとって厳しいのは全く構いませんが、事後の解釈は解釈としてしか受け取れない、という事です。

えっと、参考にする、とは言っても、「なるほど、そうだったのか」、と新しく気付く、という事でも無いですね。

投稿: TAKESAN | 2008年9月17日 (水) 11:42

TAKESANさん、こんにちは。

えーと、私は別にTAKESANさんを責めようとしている訳ではなく、むしろ柿の木さんが抱いていらっしゃるであろう誤解を究明しようとしているだけでして、takaさんを応援している訳でもありません。

まず、「Lightさんがどういうつもりだったか」というのは、私も別にどうでもいいんですけれど、大事なのは、Lightさんのtextが、私とTAKESANさんとではまるっきり逆に解釈されている、という事実です。この事実は、Lightさんのtext が曖昧であるということの証拠になると思います。

次に、どうして誤解が起こったかと言うと、とらこさんがブログでピーマンの話とTAKESANさんの話を結びつけている「ような」記述をされているからです。別にとらこさんを責めている訳ではなくて、とらこさんもTAKESANさんがピーマンの件で応援してくれていると思ったのでしょう。これは非常に自然なことであります。

しかし、結果として、TAKESANさんととらこさんが結託してLightさんやシンシンさんを攻撃している、とTAKESANさんを知らない一部の第三者に捉えられてしまったのでしょう。(あるいは、知らない人がこれからとらこさんのブログを読んだらそう捉えてしまうかも知れない、という危険性があると私は思います。)これは不幸なことです。なぜなら、TAKESANさんは、相手を正そうとして意見を言うことはあっても、攻撃を意図して誰かと徒党を組んで発言することは(少なくとも私の知る限り)ないからです。

ご自分でも認めていらっしゃるように、とらこさんはLightさんに対して好意的ではありません。それ自体に悪いことは何もありません。ただ、好意的でない人の意見を、公正な立場を一貫して崩さないTAKESANさんの論理で武装した場合、傍目には(あるいは相手にも)、どうしてもTAKESANさんが公正でないように見えてしまうのではないでしょうか。

現に、takaさんと私のコメントが交互に現れるので、「やすもTAKESANさんを非難している」、という印象を持たれたのではないか、と思います。

つまり、今回の場合、Lightさんの曖昧さ、とらこさんのLightさんに対するおもいなどが複雑に絡まって様々な誤解を生み出したのではないかと思うんですよ。で、その誤解の責任の一端でも公正なTAKESANさんに押し付けるのはよくないとわたしはtakaさんに申し上げたいのです。takaさんのおっしゃることは有る意味もっともだけれども、そこまでTAKESANさんに求めるのは不公平ではないかと。

私はTAKESANさんの発言自体には何の問題もないと思っています。私がいろいろ質問したのは本当にわからなかったからで、他意はありません。なんか不愉快な思いをさせてしまったようで申し訳ありません。

文中とらこさんのことをあたかも悪いように書いていますが、とらこさんもきわめて自然なことをなさった訳で、全然悪くありません。

投稿: やす | 2008年9月17日 (水) 13:34

やすさん、今日は。

まず、私は、特に責められているとも感じていませんし、不愉快な思いをしている訳でも無いです(私が不愉快になるのは、よほどの事じゃ無いとありません。で、こちらでのやり取りは、別によほどの事では無いです)。

柿の木さんが感じられた疑問というのはもう知る事が出来ない訳ですが、他の方でも、疑問があればお書き下さい。上で展開した事の繰り返しになる可能性もありますが、そこはご了承頂きたい所です。

▼▼▼引用▼▼▼
しかし、結果として、TAKESANさんととらこさんが結託してLightさんやシンシンさんを攻撃している、とTAKESANさんを知らない一部の第三者に捉えられてしまったのでしょう。(あるいは、知らない人がこれからとらこさんのブログを読んだらそう捉えてしまうかも知れない、という危険性があると私は思います。)
▲▲引用終了▲▲
その可能性はあるでしょうね。で、このエントリーが説明になっていれば良いかな、という感じです。ある程度の誤解はもう、しょうが無いです。「意図は無い」と言うしか無いのですね。

ピーマンの話については、関係付けようとしているように私にも思えたので、とらこさんと大きなずれがあるようにも感じないのですが、うーん、どうなのでしょうね。

もちろん、その他のとらこさんの意見に全部賛同しているか、というと、そうでは無い訳ですよね。不同意の表明が無いのは同意の表明とイコールでは無い、という事なので。

投稿: TAKESAN | 2008年9月17日 (水) 13:59

ブクマ(少々書き方が問題かもしれなかった。括弧の部分は後からつけた補足)でも書きましたが、私は、やり取りの後の方では、シンシンさんの話の持っていき方の筋が悪かった、とは思ってます。理由は、ここの上の方に書いた通り。それは率直な思いです。

投稿: TAKESAN | 2008年9月17日 (水) 14:26

TAKESANさん  こんばんは

>多分、そうでも無いです

ということですが、それでは「不思議」発言を小馬鹿にされたと評する理由として、シンシンさんの他者とは共有できない言語感覚以外にどんな理由が考えられるか示してもらえますか?

投稿: taka | 2008年9月18日 (木) 02:39

takaさん、お早うございます。

それ以外に特に思い当たらないし、興味も無いです。

仮に示せたとして、それが妥当か否かをtakaさんが判定あるいは検討する、という事ですか?

投稿: TAKESAN | 2008年9月18日 (木) 10:57

TAKESANさん  こんばんは

示すことができればシンシンさん側からの見方もできているといえるのですが、やはり相手側から物を見るのは困難なようです。

自分が9月16日のコメントの時点で不思議についてレスしなかったのは、これに気がつかなくて特に責められるような事ではないと判断したからです。

コメントの相互作用についてはやすさんに同意します。とらこさんのコメントより早くLightさんのコメントが入れば違う展開になったかもしれません。

また公正であるという点も同意します。でもLightさんに対して中立の立場ではなく対抗論者としてコメントしたため、コメント後半の公正かつ中立な意見がLightさんには識別しにくかったようです。TAKESANさんを責められるほどの大きなミスではありませんが、改善できる点ではあると思います。

シンシンさんとのことについては、お二人とも互いの誤解を積極的に解こうとしなかったという意味で両成敗だと思います。論の筋の悪さは対話を打ち切ることによってではなく、指摘することによって是正されると思います。

不思議については一つ理由が思い当たるのですが、興味がないとの事なので控えます。

投稿: taka | 2008年9月18日 (木) 21:37

言語感(観)以外に何かあるとして、それに私が気付けなかった事から、私が相手の認識や感情を捉えられていないと判断するのは妥当なのかな、と思った次第です。

後の部分については、ご随意に評価なさって下さい。

投稿: TAKESAN | 2008年9月18日 (木) 22:19

自分は、得意分野におけるTAKESANさんがお持ちの見識がより多くの人に、より心地よい形で伝わるといいなと思っています。

これまでイナゴの妄言に付き合っていただき、ありがとうございます。
前提、仮定として書いた文がうまく伝わらなかったのは少し残念ですが、全体として責めたてる文章になってしまったことをお詫びします。

投稿: taka | 2008年9月19日 (金) 10:58

takaさん、今日は。

イナゴの妄言、などと卑下あるいは謙遜なさる必要は無いかと。大変誠実に論を進めようとなさっているように感じられました。

私は、公正なやり取りを心掛けてはいますが、時には攻撃的で、やり取りを拒絶する場合もあります。意図的にそうする事があり、ある程度考えた末の決断でもあります。そういう意味では、皆さんの評価は買い被りじゃないかな、とも思わないでは無いです。

投稿: TAKESAN | 2008年9月19日 (金) 11:43

ああ、でも、ちょっと「面倒」かな、と思ったのも事実です。まあ、そのくらいは勘弁して下さいね(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年9月19日 (金) 11:45

議論が終わるまで参加できず失礼しました。話題になっておりましたTAKESANさんと私の認識にずれがあるかどうかについては、私自身はほとんどないと認識していますが、読む方に違った風に受け止められるのは止むを得ないと思います。ピーマンにこだわったつもりはないしTAKESANさんがピーマンの件で応援してくれていると思ったことなどもないのですが、それも、自分の書いたものをそう解釈されたというのは止むを得ないと思っています。

Lightさんについては私はバイアスを認めていますが、ひどく敵視したりやっつけようとしている訳ではなく普通に議論するつもりでした。しかし何を前提に議論するかなどは私の一番ひっかかるところで、きつい言い方に及んでしまいます。追記しましたとおり、自分では良心に恥じるところはないのですが、議論の内容よりも態度の悪さやなんかで不快な思いをさせたであろうことを申し訳なく思っています。

今度から物議をかもすエントリをあげるならちゃんと自分がコメントやらアウェーの議論にも充分対応できる状況にあるときに致します。大変お騒がせいたしました。

投稿: とらこ | 2008年9月21日 (日) 18:48

とらこさん、今晩は。

私も、大きなズレは無いと認識しています。具体的な書き方は違いましたけれども。

私は、そんなに負担に感じてもいませんので、あまり気にしないで下さい。自分がどういう認識でコメントを書いたか、というのは一通りここで説明出来たので、それは良かったかな、と思っています。

投稿: TAKESAN | 2008年9月21日 (日) 21:26

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