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2008年9月 9日 (火)

読解

漂流生活的看護記録 : 水の伝説、略して水伝

Commented by alice at 2008-09-09 13:21
横レス失礼します。

ちょちょんまげさん
お久しぶりです。覚えていらっしゃいますでしょうか、aliceです。
ここのエントリの主張は、ニセ科学批判批判ではないし、水伝擁護をしようとしているのでもないように思います。
ここでは「科学的根拠」に基づいて「論理的」に基づいて物を言いさえすれば、個人攻撃することをすべて免責されるものなのか、とおっしゃりたいのだと思います。
水伝は批判されるべきところが多すぎます。が、それが少々象徴的な存在になりすぎているようにも思います。水伝批判さえすれば人を批判できると言う様な、ある種の思考停止状態に陥る可能性があります。
そういう状態を批判しているという風に私は読みました。

aliceさんって、こういう事ばっか言ってますよね。

”「科学的根拠」に基づいて「論理的」に基づいて物を言いさえすれば、個人攻撃することをすべて免責される”などという認識の人間がどれくらいいるのか、私にはよく解りませんが。

自分で、”「科学的根拠」に基づいて「論理的」に基づいて物を言いさえすれば、個人攻撃することをすべて免責される”と考えている人間の例を挙げて、徹底的に批判すればいいんじゃないですかね。メタぶった事ばかり言ってないで、ご自分で、具体的に論証すれば良いでしょう。

ところで、どこの誰が、リンク先で「水伝擁護」がなされている、と解釈したんですか。ちょちょんまげさんがそう認識されているようには、到底思えませんでしたが。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
お久しぶりです。
夏は、もうバタバタと忙しくしていました。
今も何やら慌ただしくなった総裁選やら食の安全偽装でキィーキィー言いながらいろんなところをROMしています。
ちょっと癒しにと思ってTAKESANさんちにきましたcafe
が、
が、
「あらあら」
TAKESANさん、ちょいと気色ばんでいますよぉおおおおお。
>aliceさんって、こういう事ばっか言ってますよね。

この言い方、あまり感心しませんぞぉおおおお。


さてさて、それはともかく、当該記事を読みました。
一番目に思った事は「あっ、江原さん大学講師云々のときも現場から同じような声が挙ったなぁ〜〜〜」です。
記事を読みながら、
現場にいる方、それも死と立ち向かっていられる方々と共にある医療スタッフの深い思いを知ることができました。
と、同時に、
頼りにすべきもの、信じるもの、すがるものは「贋物」ではあってはならない、と言うのも医療スタッフの大切な仕事である、と改めて強く思いました。
科学的根拠云々の問題は別として、死に立ち向かう現場の医療スタッフは、医学や医療の充実もさることながら、その死生観、宗教観が問われるものなのでしょうね。
「人はいずれ死ぬ」
ならばその受け入れの準備に本人、周りは如何に沿うか、、、、
難しい問題です。
そうした事態は、患者になる前から普段から考えておく事なのでしょうね、、、

なお当該記事の筆者の最後の疑問、読者への問いかけ↓に私ならどう答えるか考えてみました。
>そんな「科学的根拠」もない、ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ、って。(中略)「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ?

いろいろ考えて、
いつも読んでいる仏教やキリストの本も読み直した結果、
患者が「科学よりもすがるものを重視する場合」は、魂が救われるのは「精一杯、死に立ち向かうことである」と伝えますね。
患者が科学や医療を拠り所にする場合は、ひたすら医療の充実を説くでしょう。
いずれの場合も、
「ただの水に奇蹟をおこすことはできないんだよ。
頼るもの、すがるもの、信じる者は最後は自分なんだよ!!!
自分なんだよ」と自分への励ましも兼ねて伝えていくものと思います。

長くなって申し訳ありません。
さて、こうした筆者のエントリーについての感想をわきにおいといて、、、
批判の仕方って難しいですね。
そもそも「批判」という事自体が難しいのであって、
こと水伝だからというものではないのでしょうね。
aaliceさんの言われるような「水伝批判は免罪符、何を言っても許される」と言うことはありません。
尤もaliceさんの本当に言いたかったことは「批判の方法」なのでしょうが。
この問題については私自身の問題意識でもあります。
いえね。
批判して言いっぱなし、あとはしらんべぇ、、、なら何でも言えるのですが、私の目的は、対象に気がついてもらいたい事なのですよね。
その目的の為には、いかなる方法、言い方が、一番効率がいいか???
悩むのです。


なんだか、長くなりましたが、、、
また、考えます。
じゃ〜〜〜〜〜ね。
そうそう、季節の変わり目、ご自愛を。

投稿: せとともこ | 2008年9月10日 (水) 12:27

せとともこさん、今日は。

少し呆れたので、ああいう表現にしました。

ちょっと、私自身の考えを書きます。
私は無信仰・無神論者で、死ねば即無、という考え方なのですが、その一方、死が間近に迫ったら、突然変わるかも知れず、何か神秘的な概念に縋る事もあり得るかも知れない、と思いながら生きています。元々そういう考えなんです。科学的根拠を重視して生きていくというのは、そういう考えと同時にも成り立つんだと思います。

同じような考えの人は他にもいますが、そういう所を蔑ろにされているから、藁人形論法なのでは、と指摘されている訳ですね。批判している側の認識も理解しようとした方が良いよね、と。科学的根拠を重視する人は他を否定する訳じゃ無いのですから。

aliceさんの意見は一般論として正しい。しかし、それをあのコメント欄でちょちょんまげさんに(解っていない人に諭すかのように)敢えて投げ掛けるのはどうなの、と考えました。だから、メタぶっている、と書きました。aliceさんの言っている事自体は合っているから、その具体例を挙げて批判していけばいいんじゃない、と。それは有意義ですからね。

------

もうすぐ秋ですね。一番好きな季節です。

投稿: TAKESAN | 2008年9月10日 (水) 13:22

疑似科学批判者について、喋り過ぎ、だと思っているようで(リンク先コメント欄)。気持ちよく語っているのだとしたら、だそうです。

どうなんでしょうかね。疑似科学批判者というのが何を(誰を)指しているのか、判然としませんが。

投稿: TAKESAN | 2008年9月10日 (水) 16:21

>疑似科学批判者というのが何を(誰を)指しているのか、判然としませんが。

TAKESANさんのことでないことだけは100%保証します。

投稿: やす | 2008年9月10日 (水) 17:27

はい、
私もブログ主のその後のコメントをみて唖然としました。
ヤレヤレです。
なんというか、遠い目と言うか、、、
ハッハッハです。
結局、そんなことを言いたかったのなら「もったいぶんなよなぁ〜〜〜」って感じ。
ですが。

尤も、コメントの流れでブログマスターも思わぬ方向に行くってことはままあることなので、どうなんでしょう?
多分、ご本人も明確な定義なしに「なんとなく」書かれたのでしょうね。確かに本文の最後の締めはそのような下りですから、、、

いずれにしても、ブログマスターの思惑はいざしらずエントリーの本文、内容に関しては示唆に富むものだと考えます。
このような主張で「批判する事」を封じるつもりはなくても、結果として利敵行為になると言う事の一つの例なのでしょうね。
フムフム。
勉強になります。

ではまた。

投稿: せとともこ | 2008年9月10日 (水) 17:36

やすさん、今晩は。どうもです。

>やすさん、せとともこさん

疑似科学(ニセ科学)を批判する人の態度が一致しているかのように看做す意見というのを見る事があるので、ここは拘ってしまうポイントなのですね。批判内容を見ると、そりゃそういう人もいるでしょうね、とは思うのですが、でも一般化には慎重になって下さいね、とも感じるのです。

凄く解りやすい例を出すと、大槻教授ときくちさんはどちらも、ニセ科学を強く批判する方、という点で共通していますが、でも、お二方の批判態度が同じだ、と言うには無理がある訳で、そういう所は押さえておいて頂きたいな、と思った次第です。文字通りに見れば、お二方とも「ニセ科学批判者」ではありますが、かと言って態度までは一致してはいない、と。

本文に書いてある内容そのものは参考になる、というのは、1)目新しい意見で無くとも、他の部分に問題が無く、論点の整理等になっている 2)他に問題のある記述があるとしても、総合的に見れば視点そのものは新奇で興味深く、検討の余地がある
のいずれかの場合に、そう評したい所です、個人的には。

投稿: TAKESAN | 2008年9月10日 (水) 17:52

はじめまして。
リンク先のエントリを読みました。
そのエントリでは、何を(誰を)批判しているのか、わかりませんね。
批判対象のサイト名を書くなり、リンクするなりしていただかないと。
もしaliceさんの読み方が妥当だとしたら、批判対象者は
“「科学的根拠」に基づいて「論理的」に基づいて物を言いさえすれば、個人攻撃することをすべて免責される”
“水伝批判さえすれば人を批判できる”
と考えている(批判者であるブログ主はそうみなしている)ことになりますが、対象がわからないので検証・判断のしようがありません。

投稿: kiriko | 2008年9月11日 (木) 03:39


 こんにちは。あの、台無しかもしれませんが、突如家族が死に向かい合ったことのある家族の一員ですが、実家から、いろいろ持ってこなくちゃいけないときに、巨大なお札をくださる方とか、「いろいろ大変だったから、ご飯食べにおいでよー」と久しぶりに誘われた先輩の自宅で(→介護で疲れているのに仕事がらみで断れない)、宗教に勧誘とかって常識的に考えて迷惑ですよ。
 私の好きなぶどうをクーラーボックスに入れて新幹線でわざわざ来てくれた友達や、とにかくよくわからんがパジャマ買ってきたみたいな親戚や、何か買えと商品券くれた人や、仕事を休職状態にだまって手配してくれた上司のほうがよほどやさしい人だと思います。

>変わり果てた姿の、痛み刺激にも全く反応せず、ほとんど自発呼吸もなく、人工呼吸器頼りの換気を続けている妻の手を握って、日が暮れる頃に帰っていく。

 まったく同じ状態でしたが。私は「生きている」という事実は大きかったです。「チューブにつながれて人間らしいか?」というようなことを書かれている本はありますよね。「おおーほんとにドラマみたい。ダースベーダーみたいな音だなあ」と思ってましたが、それでも「生きている」という事実は「いない」ということとまったく違う。だから、どうやって生かし続けるかというもっとベタな福祉的な話のほうが必要でした、っていうかこのブログ主さん、旅行行ってる間に死んだらとか思わないんでしょうか。葬式はどうするんですか?「奇跡」を信じてもいいですよ。私も信じてましたよ。何の根拠もありませんが。でも「奇跡」が起きるためには生きててもらわないと困るわけですよね。そのためのお金は?人手は?その旅行先でこの人も死んじゃうかもですよ。ありうるでしょう。
 私は「被害者家族」になった途端に「腫れもの」みたいに対応をする人は実に不快でした。「事実」や「客観的な科学的な解釈」遠ざけることは優しさではないです。私は現実にきちんと生きている方にしか人は救えないと思います。
 だから「精一杯死に向かうこと」は違うと思うし、「すがるものが自分なんだ」じゃないと思いますし、このようなことを言ってくる友人はいませんよ。「私に何かできることがあったら言って」でしょう。
 まあ患者の家族もいろいろだと思いますが。

投稿: 安原 | 2008年9月11日 (木) 11:11

kirikoさん、今日は。

恐らく、いわゆる水伝騒動絡みの対象が想定されているのだと思いますが、それを具体的に書けば良いのに、と感じます。しかも、当事者の方々から、それは藁人形論法なのではないの、とか、そういう考えをしてはいない、という反論もある訳ですね。

------

安原さん、今日は。

同じような状況で、疑似科学やオカルトを善意で薦められてうんざりした、という経験も見聞きしますね。poohさんの所でも採り上げられました。

奇跡のようなものを信じたくはなりますね。私もね。あります、やっぱり。
疑似科学批判者は科学万能主義だ、的に批判するのは、やはりそのまま見過ごすのは難しいです。

------

某ブクマで抜粋されていた、安原さんのエントリーの一文。

▼▼▼引用▼▼▼
誰かを特定できないネーミングをつけて、ふわっと大きなものにして、変な被害者顔をするのは、私はかなりかっこ悪いことだと思います。
▲▲引用終了▲▲http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10137812924.html
具体的な文脈は異なりますが、示唆的だと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年9月11日 (木) 12:22

こんにちは。
相変わらず忙しくしています。
ところで、今ここに伺って安原さんのコメントを拝見。
あのぅ、、、最後の下りって、ひょっとしたら私もちょいと関連あるかな、、、と思ってコメントを書きます。

つまり、
>「精一杯死に向かうこと」は違うと思うし、「すがるものが自分なんだ」じゃないと思いますし、、、
云々の項ですが。


うううううう〜〜〜〜〜ん。
ナァンて言うのかなぁ。
私が書いた「精一杯死に向かう」と言うのは、
死を望むとか、生きる事を放棄するという意味ではありません。
むしろ、積極的に「生きる」と言う事と、精一杯死に向かうということは、私の中では同義です。
「今を一生懸命に生きる」というか、、、、
そもそもの意味は、人は死から逃れることができないという真理に対して、
何人でも瞬間、瞬間を大切に生きるというのが私の目指していることです。
したがって、送る立場になったときも、それは厳然と受け止めることであり逃げることではない、、、
と言う意味だったのですが、、、、

また、「すがるのは自分」というのは、問題になっているエントリーで引用されている「ルルド、、、」や或は他の宗教にも言える事ですが、ご利益に奇蹟をゆだねる事の是非を問題にしていたのです。
従って、私は
「信じるものは自分」と言う事で、自らを生きるにしても、死に立ち向かう場合も指針にすべきだと考えます。
自分自身に誠実であるということですが、、、
そして送るものにとっても同様です。
ちなみに私もこの歳になるといろんな方を送りました。
後に遺されたもののためにも、死に様は大切なものであると思います。
私自身、これは大きなテーマであり、自分自身で自分を試す事でもあるのです。
峻厳な気持ちになります。

いずれにしても、先のコメントのその下りは、私の中でメインテーマではなかったのでザッーと書いた感が否めません。

さて、安原さんは最後から二つ目のパラグラフで、
>「事実」や「客観的な科学的な解釈」遠ざけることは優しさではないです。私は現実にきちんと生きている方にしか人は救えないと思います。

と書かれています。
全く同感です。
私が言いたかった事も実にそういう意味です。


さて、
当該エントリーのブログマスターに関しての感想は私のそれと違わないので、最後のフレーズについてだけ書かせていただきました。

急いで書いたので言葉不足だったら、またお申し出いただけると嬉しく思います。

では、、、、


TAKESANさん。
場所おかりましまた。ありがとう。


投稿: せとともこ | 2008年9月11日 (木) 12:38

せとともこさん、今日は。

やり取りはご自由にして頂いて構いません。

死生観はそれぞれだし、周りを取り巻く環境にもよるだろうから、一般論は導けないと思うので、自分はこう考える、というのを紹介していくのが建設的かな、と認識していますので、よろしく・・。

投稿: TAKESAN | 2008年9月11日 (木) 13:10

せとともこ様
>自分への励ましも兼ねて伝えていくものと思います。
と書かれていたので、それは私は嫌だなと思いました。「精一杯死に向かう」と「積極的に生きること」が同義なら、私は後者の言葉を使うべきではないかと思う人間です。

>ザッーと書いた感が否めません。
では今後はザーッと書かない欲しいです。

以上です。

投稿: 安原 | 2008年9月11日 (木) 13:19

TAKESANさま
初めてコメントをさせていただきます。
ちょちょんまげと申します。

TAKESANさんのご活躍は良く存じ上げておりますし、深い学識、深いご理解、頭が下がるばかりでございます。
ご存知のように,ご言及先のブログにコメントを残し、ほぼアラシ認定を受けて苦慮、かつ、よくある風景である、ワケの分からない人格攻撃を受けておりますこともご覧のとおり。
まぁ、生き胆だの鼻くそだのと少々憎まれ口が過ぎたようなところもあるので自業自得ではあるのですが、自分でも少々「不憫」に感じております(笑)
aliceさんについては、おそらく私がご紹介のブログが批判を向けている(であろう)一派の一人と考えていて、TAKESANさんや、poohさんのようなニセ科学批判中心に活動なさっている皆様とは理解度が違っている、というご判断で、あのような質問をなさっているのではないでしょうか。

投稿: ちょちょんまげ | 2008年9月11日 (木) 13:22

 失礼。あと1点。
 医療において「自分を信じること」はないです(ふだんもあんまりないけど)。

 医療は徹底的に他者にゆだねることだと思います。「宗教」もそうでしょうが。
 だからゆだねられる側の人間は激しく倫理や責任や根拠を問われるんだと思いますが。

投稿: 安原 | 2008年9月11日 (木) 14:00

TAKESANさま
連投ごめんなさい。
上記書き込みの
>aliceさんについては、おそらく私がご紹介のブログが批判を向けている(であろう)一派の一人と考えていて、

を、

>aliceさんについては、おそらく私がご紹介のブログが批判を向けている(であろう)一派(と、aliceさんが考える)の一人と考えていて
と、お読みください。
ややっこしくて申し訳ありません。

投稿: ちょちょんまげ | 2008年9月11日 (木) 14:03

せとともこさんと安原さんのやり取りは終了。よろしく。

------

ちょちょんまげさん、今日は。

過分な評価を頂いて、恐縮です。

ニセ科学論においては、ニセ科学とは何か、などの問題が中心に論じられるため、いわゆる水伝騒動関連の議論を見ていると、様子が異なっていて興味深いな、と感じます。

aliceさんに関しては、aliceさん自身、ニセ科学とそれにまつわる議論については、ある程度お詳しいはずなのに、ああいった書き方をなさるのには、納得が出来ませんでした。水伝騒動に関わっている論者でも認識が全く同じな訳では無いのは、よくお解りだと思うのですが…。

リンク先の書き方から、一般論や可能性についての懸念であるとは、私にはとても読めなかったのですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年9月11日 (木) 14:09

TAKESANさん、こんにちは。
お言葉に甘えます。

安原さん>
レスありがとうございました。
さて頂いたレスの内容については検討する事も無い(つまり私も同じと言う事)ので、ここで問題にすべきは書き方だったかもしれません。
「生と死」と言う問題については、私自身、持病があることなど、この年齢になると切実なものです。
また、親の介護と言う当面の現実もあります。
したがって、この問題は私の中ではとても大きなウェートを占めています。
生きるとは何か?
死ぬと何か???
自問自答しながらも「楽しく生きることが正解か」と自分なりの生き様を考えています。
つまり、起こるであろう、あらゆることにド〜〜〜〜ンとしていたい(多分、無理ではあろうが)という願いを持っています。
精一杯死ぬ事も、バタバタと喘ぎながら生き抜く事も、どちらも私にとっては同様の価値あるものです。

さてさて、、、
貴女は「以後ザッ=と書くな」と言われる。
この表現、ムカッときたとしたご免ね。
先ほども書いたように、TAKESANさんご自身のエントリーはaliceさんのコメントの内容だと私は理解していたからです。
看護士さんのエントリーの方は脇だったのですね。
むしろ、私の中では「批判方法」がメインテーマだったのです。
ご指摘のように、メインテーマでないことでもザッ=と書いちゃいけないね。
ありがとう!

さてさてさて、、、
ただザアッ=と書いた理由の一つに以下のようなものがありました。
私は、自分の専門や大切にしているもの、譲れないものであればあるほど考え抜くのですよね。
考え抜いた揚げ句、ザッ=とサラリと書く事を旨としています。
つまり核だけを書くことを心がけているのです。
専門にしても、死生観にしても、あまりに書く事が多く、深く、広いので、、、どこから書いていいのか逡巡、結果、書けないんですね。
そこで、
自分の考え、思考のアレコレをバサリと引き抜く事にしています。
ズバリ、これだけ。
を目指すようにしているのですが、
(結果、貴女に不愉快な思いをさせた表現があったようで、それについて真剣に反省しています。)
でね。

「では書くな」と貴女に言われると辛いなぁ〜〜〜〜〜
うううう〜〜〜ん。
言葉を大切にしていなかったではなく、
思いが深かっただけなのだが、、、

さてさて。
どうしたもんでしょう???

投稿: せとともこ | 2008年9月11日 (木) 14:17

TAKESANさん。
ごめん。
書いているうちに、TAKESANさんのコメントがあったのですね、、、

了解です。

終了。


じゃぁ〜〜〜〜またね。

投稿: せとともこ | 2008年9月11日 (木) 14:19

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