開会式。動き
直感な話ですが。
オリンピックの開会式観てたら、中国武術の演武をしている女性の方がいたので、注目してみました。
私は中国武術の世界には疎いので、その女性が斯界での有名人なのか、とか、何の武術か、というのは解らなかったので(テレビでは太極拳と紹介されていましたけど)、動きの質そのものを観察。
私の見立てによると、身体運動一般のレベルとしては、かなり凄いものなのではないかな、と感じました。身体の本質的な柔らかさとか、バランスの良さとか(前者に依存する)、見事なものだな、と。
で、武術の動きとして考えてみると、力を発するという所があまり見られないように思いました。とても滑らかで柔らかい動きではあるが、「極め」が見えない、と言いますか。
まあ、そういう印象だった、という事で、当たっているかどうかは解りません。一応、武術の動きとしての一般的な所を見たつもりではありますが、知らず知らずの内に、自分が知っている体系のフィルタを通して見てしまう、というのは往々にしてありますので。
それにしても、大人数で武術の演武で図形を描くマスゲームみたいなやつ、あれは凄いと思った。何が凄いかと言うと、そこそこ動ける人をあれだけ集め、あれだけ統制した動きを実現させた、という所。良い悪い好き嫌いは別にして、総合的にレベルの高いパフォーマンスであったとは言えるでしょう。
最後の花火を間近で見られた人が羨ましいなあ。
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コメント
演舞は武術の一部でしかないので,それで表現されるもの=武術でなかったりします。
ここまでは,書かなくてもご理解されていると思いますが,中国武術的な表演には,次の概念があります。
明打←→暗打
明勁←→暗勁
要するに,威力の発動を伴うかということと,それを外に見える形にして見せるということとは,別の次元だと言うことで,高いレベルほど,勁道が見えませんし,それが発動した痕跡が分からないということです。
ただし,一般表演が,態とそれをやっているというわけではありません。逆に暗打は,通常は見せたりしないのが本当です。表演で暗打,暗勁が行われると言うことはありません。
太極拳などでは技が全部繋がるということはあります。技の最終動作が,次の技の予備動作になるということで,全部繋げるということも可能です。突き蹴りも歩法と同様に「居着かない」のです。完全な発勁を伴えば,技は直後は流石に途切れますが,ただ,発動し終わった後で,脱力するのが基本なので,極めがありません。ちょっとテキストでは,表現しづらいですが。
日本武術で言う極めのためには,パフォーマンス終了前から,発動の威力にマイナスとなる筋肉の作動を伴うことになります。これは,勁道の流れを遮断するので,有害です。日本武術的には,全部「流れてしまうように見える」というのがあるかもしれません。ただ,ボクシングなどでは,パンチを打つ腕の動きは,固まることがないので,日本武道の演舞における極めの方が,特殊な用法ではないかと思ったりしますが,それを解読できる知識が私にはありません。
通備系の拳などでは,鉄球がぶつかってそのままぼとっと下に落ちるイメージで引きません。確かに威力はその方が上がると思います。多少囓った空手の場合,極めで「引く」という動作についてはタイミングが微妙で,この「重い鉄球状態を作って引き戻す」効果があると思いますので,同じ理合でない限り一概に極めのない打ちっぱなしが良いというわけではないと思います。
そっと触った唐付きピーナッツが粉々に砕けるのを見たことがあります。北京の太極拳の使い手の方でしたが,これが暗打かと驚愕した覚えがあります。その方は,ゲームセンターのパンチ力を競うマシンでも同様の技を恥ずかしそうに見せてくださったので(かなり控えめに打たれたと思います。勿論私ごときには勁道は分かりません),マジックではありません。が,暗勁はみかけ魔法に見えます。
同じように手をマシンに触れた状態で寸勁をぶち込んで,その日のマシンレコードレベルの威力を出すというのは,私でも必死にやれば出来ますが,残念ながら打っているのは明らかに分かるのでこの明打と暗打の間には,赤ちゃんと大学生ぐらいの違いがあると思っています。多分,力の向かう方向以外のブレがないので余計な動きが最小化しているのだと思います。ぶれながら飛んでいく弾丸と,独楽のように回転の振動が見えずに飛んでいく弾丸の違いではないかと。勁道以外の筋肉が余計な仕事をしないことによる,最小化によるものではと思います。抜重による沈降の反発と初歩的な勁道を使ってもできるので,私レベルでも見かけの体重移動は必要としません。従って,暗打が使えるレベルと云うことは,威力は推して知るべしでしょう。
投稿: complex_cat | 2008年8月10日 (日) 02:17
complex_catさん、今晩は。
お詳しい方から反応があるかな、と仄かな期待を懐いたりしてたのでした。
もしかしたら、「極め」の意味にちょっとずれがあるかもなあ、とも思うのですが、なかなか分析的に表現するのが難しかったりします。
どこまで動きを消せるか、日常と見分けが付かないほどになれるか、また、解る人はそれでも判断出来るのか、というのは、私が最も興味を持つ所です。間違い無くバイオメカニクスに関わる事なので、じっくり考えていこうと思っていますけれども。
自分がどれだけ見る目があるのか、というのは、なかなか評価が難しいですね。利き酒ならぬ「利き身体運動」、あるいは「利き武術」、といった所でしょうか。
科学的には、落花生が砕けるという物理現象から、いかなる身体運動を行えばそれが現象し得るか、というのを、物理学・生体力学の理論から演繹的に導くのが、「解る」という事なんでしょうけれど、私は残念ながら、そこまで至って無いのですよねえ。まあ、一つの到達目標なので、そう簡単には行き着かなくて当然ですけど。
余談ですが、日本武術では(多分、他の武術にも通ずると思いますが)、引きは即受けかつ崩しで、それは全く止まらない動きです。剣の体捌きですね。
投稿: TAKESAN@睡魔がやばい | 2008年8月10日 (日) 03:48
テキストでのやりとりは,困難な部分が多いですね。私も「極め」の,ズレというのを感じております。
TAKESANが仰られているのは,恐らく,発勁的動作を態と抜いた演舞というものが普通に行われている表演に対する違和感かも知れません。
殻付きピーナッツを糸でつるして,これを叩いてみてください。このような軽くて小さなものに,力をぶち込むというのが,至難の業なんてものじゃないのが分かります。
「引きは即受けかつ崩し」
剣術や日本武術の表演(と読んで良いのか)の理解に疎いので,自分の中国武術的理解だと,通常その用法となるのですが,自信がありませんでした。
投稿: complex_cat | 2008年8月10日 (日) 10:08
complex_catさん、お早うございます。
えっと、ちなみに、本文を読んで頂くと解るかと思いますけれど、私は違和感を懐いたのでは無く、わざとなのかそもそもそういう所が無いのかは解らないけれど、ともかくそれが自分には見えなかった、という事なのでした。
で、その見方が妥当なのか、それとも自分のスキーマが不充分な事による誤解なのか、というのも考えた訳ですね。
私自身は、空手以外で「引く」という概念は見た事が無かったりします。剣で考えると斬りの体捌きに含まれているものですが、それを明示的に対象化して技術のコツとしたものがそうなのかな、と思いますが、よく解りません。
投稿: TAKESAN | 2008年8月10日 (日) 10:48