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2008年8月 1日 (金)

メモ:ニセ科学批判者

まとめていないです。乱文。

「ニセ科学批判者」という言葉について。

これ、多義的ですよね。

文字通りには、ニセ科学を批判している人間の集合、と考える事が出来ますね。最も意味を広く取ると、そうなります。

でも、使い方(今の使われ方)としては、ある程度名が知られていたり、よく議論を行っている人、というように、意味を狭めて用いられますね。きくちさんとかapjさんとか、そういう方々を指している、という。

また、ニセ科学批判者という言葉が、批判の仕方(言葉遣いなどの「態度」の問題)や他の部分まで認識を共有している集団、というような意味で用いられる。そうすると、あんな批判の仕方をしている人はちゃんとしたニセ科学批判者では無い、とか、こういう批判者がいるが放っといていいのか、とか、そういう言い方が出てくる可能性がある訳ですね。まあ、端的に言うと、仲間の行動をどうするか、という感じかな。

個人的には、「ニセ科学批判者」なんだから、ニセ科学を批判している、という条件を満たせば、そう呼んで良いと思うんですよ。だから本当は、「ニセ科学批判者というのはおこがましいが」、的な謙遜の言葉を見ると、「いや、ニセ科学を批判しているのだから、別に良いのでは」、なんて感じたりもするんですね。却って「大袈裟」にしてしまうきらいがあるんじゃないかな、と。

別に、「本物の」ニセ科学批判者があるとか、「あるべきニセ科学批判者の姿」、という話では無いのですし。ニセ科学を批判すれば、それはもう批判者なので、後は、その批判の内容とか「ニセ科学概念への理解」が妥当かどうかが検討される、と、そういう話なんだと思います。

一部の批判者の言動をもって「ニセ科学批判者一般」に敷衍して非難する、という場合もあって、なかなか厄介ではありますが。←この場合に、「ニセ科学批判者」というのが、単に、ニセ科学を批判している人を指す、という理解があれば、無闇な一般化に気付けると思うのです。

まあ、一部の代表例を指して使う、というのは便利だし、私もやらない事は無いのですが、ほどほどにしないといけませんね。言葉の意味の広がりはややこしい。

追記

このエントリー、公開するようなレベルの文じゃありませんね。一旦上げたので、このままにしときますけど。

結局言いたかったのは、別に、「ニセ科学批判者」という、何か資格(これも変な喩えだなあ)みたいなものがある訳では無いから、そんなに大袈裟に扱う事も無いよね、って話です。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。

ajtptwtptjaさんの所に投稿したコメントに、緊張のせいでかなりフワフワした精神状態だったせいか、投稿前に読み返してちょこちょこ手直しをしたにもかかわらず日本語の不自由な箇所が多く見られた事によってかなり落ち込んでいたのですが、こちらで好意的に言及して下さっているのを見る事によって少し回復できました。
ありがとうございます。

ところで、この記事に書かれてあるような、である為に、ニセ科学を批判する人であるという事以外に必要な資格や条件のようなものを想定して、何かそれ(ニセ科学批判者)が大仰なものであるかのように扱うというのは、まさに私がajtptwtptjaさんの所に投稿したコメントの中であるいはについて言及した部分に於いて軽くやってしまった事であったりします。

具体的には、「ニセ科学wiki」に書かれたそれ(目的・動機)から逸脱する目的・動機を持った者は継続的にニセ科学批判に携わっておられる方々の中にはいないはず、という、あたかも”真の”ニセ科学批判者が存在するかのような書き方をしてしまったのですね。
(私が失念していただけで、実際の「ニセ科学wiki」に於いては、ニセ科学批判の目的は”人それぞれ”であり、そこで箇条書きされているいくつかの目的は典型例に過ぎない、という事がしっかりと明記されているので、そこからの逸脱というのは不可能になり、いくらかの文章が無意味な文字列になってしまったものの、結果として論旨にさしたる影響がなかったというのは不幸中の幸いだったように思います。)

おそらく、ニセ科学批判を行なう人は、そのそれぞれが、人に話せるような形で、ある程度明確に目的意識やなんかを持っているべきではあるのだと思いますが、しかしそれらの(目的意識やなんかの)あり方はという呼称によって規定されるような性質のものではないと考えた方が色々とやりやすいし適切であるだろうと、私(も)考えます。

と、上に書いた目的・動機の問題についてのよろしくない記述の他にも、”まともでない”発言の出所がはてなブックマークのコメントであると勘違いしていたりして(この勘違いも殆ど論旨には影響しないのですが)、自分がまだ外向きに意見を発信できるだけの知識も姿勢も身に付けられていないな、という事を痛感したので、今後(ajtptwtptjaさんにまつわる一連のイベントが終わって以降)はまたしばらく(心臓のためにも)ROM専に戻ろうと考えている者ではあるのですが、この記事については、言及して下さった事に対するお礼と、あと日本語のおかしさやその他いくつかの事に気付いていない事もないよという事のアピールも兼ねて、コメントさせていただきました。

投稿: spiklenci-slasti | 2008年8月 1日 (金) 05:09

こんにちは、皆さん。

なんていうか、1人の人間を観察していても多様性というのはある訳です。ビジネスの世界で冷徹な判断を下す人が家庭では思いやりのある父親であったりとかね。日頃はのんびりとした仕事しかしないのだけど、必要と感じたら獅子奮迅のはたらきをする人とか。

そういう人間の集まりである社会も本来、とても多様な側面を持つのが当然なんです。そして、その多様性がうまく調整されることで、社会は弁証法的な発展をする面があるんですね。「経済成長を優先させよう」「いや、経済成長ばかり優先させると格差が広がって社会の治安が悪くなるから格差是正策を優先させるべきだ」といった多様性間の対立が止揚される中で、経済成長のためにこういう政策を、その結果引き起こされる可能性のある格差拡大の是正にこういう政策を行おう」なんてね。

問題は、その多様性が「有って当然、対立して当然、対立に調整が起こることでちょうど良い道が見えてくる」という認識が社会から失われているということなんです。対立を調整する能力を持たないように教育された人間は対立そのものを忌み嫌う様になりますから、対立を引き起こす多様性もまた「持っては成らない」と考える様に成っていきます。そのため、「何かのカテゴリーでくくられる集団の考えかたや行動は一つでなければならない」という事が前提と成ってしまうわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008年8月 1日 (金) 08:21

個人的には、ニセ科学批判の動機は何でもいいと思っています。「正義感」でも「私怨」でも。
たとえ動機が褒められたものでなくても、「正しい」ニセ科学批判というのはあり得ると思いますので、この辺、「あるべき論」はする必要は無いんじゃないのかなあと思っています。

ただ、効果的に批判しようと思ったら、動機が何であれ、取るべきスタイルは一定にものになっていくと思います。例えば、罵倒は一般的にはあまり良い策ではないとか、木乃伊取りが木乃伊にならないように気をつけるとか。この辺は、人に伝える技術ですね。
そういう意味でニセ科学批判を技術的に向上させることに関しての発展を願っています。

投稿: Noe | 2008年8月 1日 (金) 10:10

>、「ニセ科学批判者というのはおこがましいが」、的な謙遜の言葉

はいっ、私もやってます。

水伝を批判する時、私はむしろ水伝のニセ科学以外の問題点に言及することが多いです。ですので対象がニセ科学だからそれを批判すると自動的にニセ科学批判者になるのはわかるのですが、ニセ科学性については何も言ってないのにニセ科学批判者と言われるのはなんだかおこがましいような気がしてしまいます。が、そんなこといちいち表明しなくてもいいんですね。

>却って「大袈裟」にしてしまうきらいがあるんじゃないかな

おっしゃるとおりかと思います。気をつけます。

投稿: とらこ | 2008年8月 1日 (金) 10:42

ぼくはしばらく前から「ニセ科学批判者」と云う言葉を使わなくなっています。理由はまぁいろいろですが。
Noeさんのコメントに同意です。そう云う意味でなんらかの貢献ができればなぁ、みたいには思っています。

投稿: pooh | 2008年8月 1日 (金) 12:36

すみません。

上に書いた自分のコメントを読み返してみたら、半角の山括弧でくくった文字が消えている事に気付きました。
常識がない事を晒してしまった感じで、お恥ずかしいです(なぜプレビューしなかったのか……)。

どこか二箇所に「ニセ科学批判者」が、そしてどこかにある"あるいは"の前後に「目的」と「動機」が一つずつ入ります。

みなさんのコメントを読んだ事によって、書き込んだ時とは認識が違っていたりするので、もう少し書き込むのを我慢しておけばよかったとも思いつつ……。

投稿: spiklenci-slasti | 2008年8月 1日 (金) 12:54

spiklenci-slastiさん、今日は。

丁寧で緻密な文章でしたので、感心しました。ご謙遜されてますが、あれはなかなか書けるものでは…。

ニセ科学批判者としての典型を想定して、それに至っていないものを「ニセ科学批判者」と呼ばない、と考える事自体は、まあ、あると思うんですよね。それはそれで、やってはならないとまでは思いませんが、ほどほどにやった方がいいだろうなあ、と。実際、ある特定の人達の集合を指して「ニセ科学批判者」と言って、それについて論評する、という方もおられましたので。

「ニセ科学批判者」というのは、目的・動機で結び付く集合では無く、「ニセ科学」という概念を正確に捉えていて、その上で批判を行っている、という人達を指す概念として見る方がいいと思ってます。

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(1つめのコメントの後半及び2つ目のコメントへのレス)ブログ等、WEBでのやり取りは、会話に準ずるものなので、不備があれば、適宜修正・補足して議論を深められる、というメリットがありますから、肩の力を抜いて参加なされば良いのではないかなあ、と考えます。たまに、コワイ人もいますけど(笑)

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技術開発者さん、今日は。

対立する事をそもそも問題だと考える、というのはありそうな気もします(それが「失われた」、「以前より少なくなった」かは私には判りませんけれど。←いつもの調子ですね)。

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超余談。解らない方は無視推奨。

「止揚」、カタカナでは「アウフヘーベン」ですが、これはカッコイイですね。なんだか、魔法攻撃とか炎・吹雪等のダメージを半減しそうです(文字数からして全然違うけど、なんかこう、「感じ」が似てませんか?)。

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Noeさん、今日は。

ニセ科学というものは、それだけで批判されて構わないものなので、具体的にどれを批判するか、何故そうするか、というのは、それぞれあって良いと思っています。

apjさんが仰っていた事に賛同します。つまり、ニセ科学を批判するというのは、ニセ札やニセブランド品を批判するのと同じ。ニセモノの存在を知らしめ批判するというのは、当然の事だと思っています。

有効な批判の仕方(態度・スタイル)が、ある程度一定のものとなる、というのは、確かにその通りでしょうね。で、それは、ニセ科学批判、というよりも、批判一般の態度の問題として捉えるものだと考えています。

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とらこさん、今日は。

水伝を批判するというのは、多分、ニセ科学性と切り離して考えて行う事は出来ないですよね。ニセ科学と明示しなくても、実際にはその部分を批判している、というのはあると思います。ですから、ニセ科学批判者だ、と言われたら、まあ、ニセ科学を批判しているのは事実だから、そう呼べばいいんじゃない、という程度で取って、それを共通の態度にしてもいいんじゃないかな、と思った次第です。

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poohさん、今日は。

 >理由はまぁいろいろですが。

多分、ですけど、その理由の一つは恐らく、私がこのエントリーを書いた理由であると思ってます。敢えて詳しく書きませんが。

たとえば、ニセ科学を批判する際に手本とすべき態度、というのは考える事は出来ると思ってます。つまり、きくちさんとかですね。かと言って、そういう態度を採って無い人を「ニセ科学批判者」と呼びたくは無い、なんて考えが出てきちゃったりすると、それは言葉を大袈裟に捉えている事になるんじゃないかな、と。なので、このエントリーを書きました。

ニセ科学批判者か否か、というのは、ニセ科学という概念を正確に捉え用いているか、という部分で判断するべきだと思います。ニセ科学概念に誤解があれば、ニセ科学を批判しているとは言えない訳ですしね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 1日 (金) 15:06

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