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2008年8月 8日 (金)

無知

無知について過去に書いたもの。

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Interdisciplinary: 無知の知と既知の知と未知の知

  • 今までに何が知られ、何が知られていないかを知らないと、自身の無知を知る事は出来ない。

Interdisciplinary: 無知の知

  • 既知の知が無いばかりに、自身の、客観的に見れば大した事でも無い思いつきを、大きな発見であるかのように誤解する。

Interdisciplinary: 受けとめ方

  • 本来、金を払って教えてもらうような事を、忠告として受け取る。それはありがたい話なのだが、自身の不充分さを責められているようで、受け容れがたいのかも知れない。

Interdisciplinary: パズル

  • 思考と知識は、まるでパズルのよう。

Interdisciplinary: あったまいい

  • メタになって、無知な自分を知ろう。

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知らない事そのものよりも、知っているかのように装う方が恥ずかしい。それに、装う事に頭を使って、当該対象をちゃんと見なくなってしまう。

知ったかぶりする時間があるなら、その時間を使って勉強すればいいじゃないですか。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

知ったかぶり大会は自分とこだけでやっててほしいです。。。weep

投稿: とらこ | 2008年8月 8日 (金) 17:11

とらこさんに対して言語論の講釈をしているのを読んで、をを、と思ったものです・・。いや、まあ、知らないからしょうが無いとも思うんですけどね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 8日 (金) 18:20

そう言えば、とらこさんもご存じの話ですが、言語学者のブログで、どう考えても素人の方から「自然言語を勉強しろ」と言われたことがあります。ブログ主の方は困惑しておられましたが。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月 9日 (土) 15:25

いえ私も素人に毛が三本程度です。ウィトゲンシュタインなんかほんとはこっちが教えてほしいんですが。ああいう知ったかぶりじゃない人に。

投稿: とらこ | 2008年8月 9日 (土) 18:07

黒猫亭さん、とらこさん、今晩は。

幸いというか何というか、ここなんかは、専門家の方が幾人か読んで下さっているので、正直「怖い」です。だから、あまり不用意な事は書けないし、解らない事は解らないと言わないと、物凄い恥をかくことになります。

個人的には、こういう「怖さ」を感じる心性というのは、ある程度あった方が良いと思っています。

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今poohさんの所を覗いたら、お出ましに…。今から読もう。どういう意見を書いているのかな。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 9日 (土) 18:57

おっと、突っ込むのを忘れていた。

とらこさん
▼▼▼引用▼▼▼
いえ私も素人に毛が三本程度です。
▲▲引用終了▲▲
思いっ切り、素人じゃ無いじゃないですか。毛1本辺りの価値がどれほどか、にもよりますが。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 9日 (土) 19:00

TAKESANさん

>いえ私も素人に毛が三本程度です。
>思いっ切り、素人じゃ無いじゃないですか。

はい、毛が三本分ほど知ったかぶりしてます。そのうち玄人にボコボコにされることでしょう。だから今のうちに偉そうにしとこうと思いまして。

投稿: とらこ | 2008年8月 9日 (土) 19:42

やっぱ、数を見誤らないようにしたいものだなあ、と、最近の色々なやり取りで、痛感しました。うん、自戒自戒。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 9日 (土) 22:17

こんばんばー。

知ったかぶりっこ、めためた言葉の弄びが許される分野と、それができない分野があると思います。つまりそもそも何かを知るというのではなくて、語り合う、語り続けることそのものに意味がある(つまり無内容一般論であることが最強)ことと、情報なり知として常に正誤、新旧が問われる自己革新が求められるものみたいな。それがウェブでは後者と前者が変に異種接触することがあるから困り者みたいな感じ?

投稿: 遊鬱 | 2008年8月10日 (日) 00:58

遊鬱さん、今晩は。

メタぶるだけじゃ進まない議論に、メタぶった方が参入する事があるんですよね。実証科学の議論というのはまさにそれな訳で。
知らないなら知らないで良いから、知らないと言えばいいのに、というのが感想ですね。
て言うか、私も知らない事だらけだから、他の人とやり取りして知ろうとしてる訳で。

でもまあ、批判の仕方にメタな次元から批判を加えているのだから、そこに、具体的に調べてみたらどうですか、と言われても、受け容れがたいのでしょうね。

投稿: TAKESAN@睡魔がやばい | 2008年8月10日 (日) 03:34

こんにちは
彼の場合は、単純に面倒なことは嫌いなだけじゃないでしょうかね。
メタを気取った無内容な一般論を語るのには、なんの手間も苦労も要りませんから。
手間をかけずにえらそうなことを言うには、それが一番手っ取り早いわけですし。

投稿: かつ | 2008年8月10日 (日) 16:20

かつさん、今日は。

具体的に考えるのは面倒ですからね。その手間を厭うのでしょうね。
ニセ科学批判をよく批判(とは言えないですが)する人で、論宅さんという方がおられるのですが、あの方も同じような感じでした。

どちらのお方にしろ、面倒だと自覚しているのか、無意識的にそうなのか、それとも本気で、脳内で構築した論が通用すると思っているのかどうか解りませんが、いずれにしても、かなりダメではあります。

投稿: TAKESAN | 2008年8月10日 (日) 17:06

>TAKESANさん

>>個人的には、こういう「怖さ」を感じる心性というのは、ある程度あった方が良いと思っています。

自分にも覚えのあることですが、ちょっと概説書を読んだりネットを調べて囓った程度の知識でも、「すっかりわかったような気になる」というのはありますね。

その程度でも、そういう知識をまったく識らない相手よりも賢くなったような気がするものですが、学の体系に沿って正しく意味附けられた理解がない限り、半可通というのは無学者よりもよほどタチの悪いものです。

これは独学が陥りがちな陥穽であって、体系的な意味附けに則って正しく理解している専門家の目を恐れる謙虚さというのは、意義ある言説を為そうとする限りは必ず必要な態度だと思います。

まあ、思い附きで適当に尤もらしいことを言いたいだけならその限りではありませんが、自分の識らないところで独学ゆえの恥ずかしい勘違いを嘲笑われるリスクくらいは背負ってもらっても罰は当たりませんね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月10日 (日) 17:53

黒猫亭さん、今晩は。

独学だと、自分より知っている人がいるのを意識しづらいですし、それまでに知らなかった事を理解していく過程なので、つい、「自分は出来るんだ」感を持ってしまいますね。

実際、専門家というのは、人生の大半をその分野に捧げている訳で、本来、そういう人にものを言うには、相当な覚悟が要るのだと思います。また、そういう人達にものを教えてもらうというのは、本当は金を払ってお願いするくらいのものなのですから、そこら辺を弁えて謙虚にいきたい所です。

悪い意味で評論家的にはなりたくないですね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月11日 (月) 00:38

こんにちは。

ここのコメント欄を読んでとらこさんのところを読みに行ったのですが、なんかすごいことになってたんですね。

ソシュールもウィトゲンシュタインもそこそこ勉強しましたが(というか勉強したからこそ)、僕の中では「迂闊に名前を出したくない研究者ランキング」のかなり上位を占めていたりします。

僕も一応専門家を自称していたりしますが、まだまだひよっこなのでエントリやコメントを書くたびに戦々恐々です。実際、この道の先輩方から「こいつまだまだ分かってねえなあ」と思われてるだろうなーと思いますし。まあそれが勉強へのモチベーションにもなるのですけれど。

投稿: dlit | 2008年8月11日 (月) 14:50

dlitさん、今日は。

そうですね。下手に名前を出すと怖い事になるな、というのがあるんですよね。

いや、まあ、私もソシュールの名前はよく出す訳ですが、その時は、教科書に載っているような、誰でもが知っているごく基本の所しか言わないようにしています。深入りすると、大変な所になりますし。

そんな私でさえ、『一般言語学講義』くらいは読んでたりするんですけどね。後、丸山圭三郎さんとか(『ソシュールの思想』とか)。もうあまり記憶に残っていないのですが。
しかも、学問はそこからどんどん進んできている訳ですし。

牽強付会な援用はしないよう、心掛けたいものです。

投稿: TAKESAN | 2008年8月11日 (月) 15:34

ちょっと、話がずれますが。
以前、Apemanさんのところで、「言語ゲーム」というフレーズが出てきたら「静かに本を閉じて書棚に放り込みたくなる」、と書いてあるのを読んで(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080708) 、「激同!」と思い、自分のブログに書こうと思ったのですが、タイミングを逸して結局書けませんでした。
それから、ネットで、「語りえぬことについては、沈黙せねばならない」という言葉を引用している人間の半分以上は『論考』に目を通してもいないんじゃないかと私は疑っています。 

投稿: a-gemini | 2008年8月11日 (月) 22:42

a-geminiさん、今晩は。

原典に目を通さずに援用する、というのは、あるでしょうね。私もやってしまう事でしょうから、自戒しなければならないですが(かなり気を遣ってはいます)。

私は、「論考」は読んで無いのですが(読もうとしたが無理だった)、そのフレーズが哲学的にとても重要で、安易に用いてはならない、というのは、何となく感じています。
ウィトゲンシュタインに限らず、そういうのは各分野にありますね。それこそ、「量子力学」なんてのも、実はそうなんだと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年8月12日 (火) 01:43

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