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2008年8月11日 (月)

殺意

高校・大学・専門学校生 親に殺意3割 「よくある」は3%(産経新聞) - Yahoo!ニュース

「殺意」という概念をどう捉えるか、がとても難しい所です。自覚の線引き、感情の閾値、価値付け。A氏が誰かに「殺意を抱く」のと、B氏が「殺意を抱く」のは、同じ現象か。それを客観的に調べる尺度をどう作るか。

訊き方によっては、回答者が、「ああ、そういえばあれは”殺意”なのかなあ」と考える、そういうバイアスも掛かるかも知れません。親に全く反抗心を懐いた事の無い人はあまりいないでしょうし、そういうのを「殺意」と「再解釈」する可能性は、あるでしょう。後から情報を与えられて意味付けし直す、というのはよくある事です。それが感情のあり方に作用を及ぼす事もあると思います。

この記事で一番押さえておかなくてはならないのは、

 赤沢研究員は「本気で殺意を抱いた若者は、ごく少数の可能性があり、慎重な判断が必要」とした上で、「高頻度で殺意を抱く傾向が全体の3%にみられたことは気がかりだ。家庭や学校などでの生活背景を調べ、対策に生かしたい」と話している。

ここであって、色々な観点から分析して総合的に考える必要がある訳ですが、見出しのインパクトは大きいかも知れません。これを不用意に、「今時の若者」とか「心の闇」に結び付けたりね。

見るべき所は、ネガティブな感情を懐く頻度の方かも。頻繁にそうなるという事は、親子関係が良好で無いのを示している訳だから。

サンプルをどのように採ったか、とかが判らないから、どこまでこの結果を一般化出来るかは不明。この記事から確実に言えるのは、「調査した900人の内、○○に殺意を懐いた事があると回答した人は△△%だった」、くらいですね。

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コメント

こんにちは、TAKESANさん。少し逆説的回折をします。

>親に殺意3割 「よくある」は3%(産経新聞)

実のところ、健全な発達過程からみると「少なすぎる」のでは無いかと思います。思春期の心理学からするなら、もう少し親というか自己の外部に対して激しい攻撃性を持つ事が「健全な発達のために」必要なのではないかと考えられます。おそらく、日本の社会が産経新聞をはじめとして、青年期の発達を阻害する用にシステム化されているために、思春期の青年が外部に対して激しい葛藤を持つことすら抑制されているという事を表す結果だろうと思います。健全な発達のためには、まず自己と外部との間に激しい葛藤の時期をきちんと経験し、その後、それが調和する形で「自己同一性」を獲得しなければならない訳です。その激しい葛藤の時期を産経新聞などが代表する社会風潮が「そのような葛藤の時期を持ってはならない」と発達の阻害を引き起こすシステムを日本の社会に組んでいるために、産経新聞の記者に代表される要に、「自分で考えることができない大人」を日本に量産しているのではないかという解析できます。

なんてね、こういう解析も可能と言えば可能なんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008年8月11日 (月) 16:54

技術開発者さん、今晩は。

途中まで読んで、むむっ、となっちゃいましたよ(笑)

実際問題として、親にしろ友人にしろ、攻撃的な感情というのは懐く訳ですよね。それは、かなり一般的な事なのだろうと思います。

で、調査した研究者も恐らく、短絡的な結論は出さずに慎重に見ていこうという立場なのだろうと思います。
問題は、このような調査によって得られた情報を、いかに社会に向けて発信するか、という所なのでしょう。下手をすると、上にも書いたように、俗流若者論や「心の闇」に安易に結び付けかねないですからね(と言うか、いつもやっている事ですね)。

投稿: TAKESAN | 2008年8月11日 (月) 17:57

▼▼▼引用▼▼▼
俗流若者論や「心の闇」に安易に結び付けかねないですからね(と言うか、いつもやっている事ですね)。
▲▲引用終了▲▲
まあ、予想されるのは、ここから、「キレる」に結び付けたり、「命のありがたみが解っていない」と嘆いたり、ですね。ワイドショーのコメンテーターとかが。

投稿: TAKESAN | 2008年8月11日 (月) 17:59

>見るべき所は、ネガティブな感情を懐く頻度の方かも。頻繁にそうなるという事は、親子関係が良好で無いのを示している訳だから。

というものなのですが、私はこの頻度に関しても、「うーん…」と思うところがあるんですよね。
この頻度の尋ね方って、「1、2回」「ときどき」「よくある」と非常に曖昧なんですよね。
この「1、2回」っていうのは、どの時間軸で、なんでしょう? それまでの人生全部? 年に? 週に? 1日に? どれなのか、この記事ではわからないですね(ついでに言えば、人生で1、2回しか殺意を覚えたことがなかった、1度もなかった、という人は、逆に私は凄いと思いますけどね)
まして、以降の「ときどき」「よくある」に関しては、完全なる主観の世界。私の「よくある」が、他者の「殆どない」よりも少ない可能性だってあるわけですから、これも難しいと思うんです。

あと、人と接触する機会が増える、ということは、他者に対して反発や怒りを抱く機会が増えやすくなる、とも言えると思います。
そうすると、頻度が多いから問題だ、としてしまうのも危ないかな、と思います。

投稿: たこやき | 2008年8月11日 (月) 23:29

殺意というのは,相手に対する激しい攻撃衝動を意味しているのでしょうか。それとも,暴力は介在せずに相手に消えて欲しいと思うことなのか。後者も殺意とすると,かなり意味が違ってきますね。

 冷静に,親の命を屠るプロセスに限定するかどうかで,答えるニュアンスも違ってくるのではないかと感じます。その人にとって暴力が普段の行動から乖離している行為であればあるほど,私には,殺意ってよく分からなくなります。相手が壊れても良いと思いっきり暴力をふるうこと=殺意ではなく,よく使われるところの「死ねばいいのに」とか,直接的な暴力衝動とは無縁という場合だってあると思います。だからなおさら,殺意=暴力衝動という解釈への誘導が,うさんくさく感じてしまいます。

 多分日本では,相手に対して銃を構え引き金を引くではなく,バットを頭に打ち下ろすとか包丁でめった刺しにするという行為を想起すると思うのですが,具体的に何をイメージすることをもって殺意としているのか,その辺りも知りたいですね。というか,その中身のフォローがなくて,殺意という曖昧な,対象者に内容をゆだねるような質問自体がこういうデリケートな内容のリサーチとしては,不十分なような気がしました。
 頻度についても,私もたこやきさんと同様に感じました。週に卵をどのくらい食べますか,お酒をどのくらい飲みますかというような食生活のアンケートでもかなり曖昧なのに。
 とりあえず何らかの実態把握のための調査が必要だと感じられてアンケートをとられた経緯は評価されますが,この調査において問題なのは,脳内状況が寄与していると勝手に想定している結果が異なる過去や地域や国との外群との比較という概念がないので,「異常な高さという印象操作」に,マスコミも簡単に填ってしまっていると云うことが気になります。

投稿: complex_cat | 2008年8月12日 (火) 00:39

こんばんはー。
>殺意を抱いた経験がある若者は倫理観や規範意識が低く、殺人行為に同調しやすい傾向があることも判明した。

一般的に、人間が言動と行動に一貫性を持たせようと思うのは、別にまあ不思議でもないし、質問票に答える(行動する)ときにそこが連動するのは、そうかなとも思いますが、これが多いとか少ないというのは何かと比べてくれないと(ここ10年で、とか各国比較データでとか)何とも言えません。

青少年意識調査だと、非行少年とそうでない少年との意識調査などもここにいろいろあったかしら。全部みてないんですが。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu.htm

各国調査や経年調査したとしても、そもそも日本の犯罪が少ないので、「犯罪の結果」を憂慮するという意味では、基本的には「なんで少ないか」「なんで少なくなったか」という部分との相関にしかならん気がしまする(笑)

でもまあ心配なんですよね。有効回答数の678人の3%ですか。20人くらいですかね。例えば学校に置くカウンセラーやソーシャルワーカーの配置数を想定するような数字には使いたいんじゃないでしょうか(学校に1人か2人くらい?みたいな)。まあそういう提案なら教師の手間も省けるしいてもいいかもしれませんね。

って方向の議論にならない場合が多いですわね。

投稿: 安原 | 2008年8月12日 (火) 00:57

たこやきさん、今晩は。

確かに仰る通り、記事を読む限りでは、なんとも評価しにくい所ですね。そのまま、「1・2回/ときどき/よくあった」という質問だとすると、ちょっと曖昧ですね。

あ、ちなみに、誤解は無いと思いますが、私が書いたのは、「より着目すべきは頻度の方かも」、というので、「頻度が高いから注意すべきだ」、という赤沢氏の発言の部分にそのまま同意している訳ではありませんので・・(高頻度でそういう感情を懐くとすれば注意すべきかな、くらいの見方でしょうか)。

そもそも、「殺意」というのは、計数的な尺度なのかな。「何回」というより、雲のように漂う感情なんじゃないかな、とも。

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complex_catさん、今晩は。

その視点は重要だと思います。

殺意というのは多分、存在が無くなって欲しい、という欲求を含むものだと思います。それがただちに「攻撃」や「暴力」と結び付くかというと、必ずしもそうとは言えないと考えています。

たとえば、勉強しない所とか素行不良とかを窘められて、「あいつ、ぶっ殺してやる!」と認知しただけで、それを「殺意」と呼ぶのか。言葉の問題か、それとも感情か、身体的な反応を含むのか、等を考えると、分析するに一筋縄ではいかない概念だと思います。
「破壊」と「殺意」が同じなのか、というのもありますしね。

こういった研究をもって「多い」と評価するのは、恐らく、「親や友人に”一度でも”殺意を懐くのは健全な人間らしからぬ感情である」、という直感からではないか、とも推察されます。要するに、殺意という感情は持ってはいけないもの、という前提がある訳ですね。そうすれば、「一度でも」懐いた事のある人間が数十%もいれば、必然的に、「多い」となるのだと思います。まあ、素朴だと私は感じます。

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安原さん、今晩は。

規範意識や倫理観との連関をどのように見たか、というのもポイントですね。いくらでも数字のマジックが入り込む余地がありますし。

まあ、そこが妥当な分析であったとして、仰るように、「それはそうだろう」、という気もしますね。

これを、直接的に犯罪に結び付く傾向として採り上げる人もいるかも知れませんね。もちろんそれは、あまりに筋が悪い訳ですが。

私が思うのは、頻度が高いと回答した人は、自身の感情がネガティブな方に引きずられる傾向にある事を自覚しているんじゃないか、というものです。

つまり、他人が軽い気持ちで懐いた「殺意」(殺意を軽いと表現するのは良くないかも知れませんが、特に誤解もされないと思うので)程度の感情の動きについてよりネガティブな価値付けをしたり、他の人にとっては、殺意以前の感情について「殺意」と意味付けたり、という(本文に書いた、「閾値」、「価値付け」)。
それは明らかに精神衛生上良くありませんので、周りがフォローした方がいいだろうな、と思います。

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後、

「殺したい」

と、

「死ねばいいのに」

と、

「消え去ればいいのに」

は、同じようで、でもちょっと違うんですよね。思春期に懐く感情は、下の2つに近いんじゃないかなあ、なんて思ったり。それは「殺意」と呼ぶのかな。でも、それを「殺意」と思う人はいるかも知れませんね。そういうのも考えなくちゃならないから、質問紙がどのように構成されているかが、凄く大事なんですよね。もし、「殺意を懐いた事がありますか」、という単純な質問だけなら、質問紙調査としては素朴だと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年8月12日 (火) 02:17

>それは明らかに精神衛生上良くありませんので、周りがフォローした方がいいだろうな、

そうですね。こういう調査はついつい「犯罪」にひっぱられますが、どっちかいうと、まあ親を「殺したい!」と思って(程度はいろいろありますが)日々過ごしているのは、まあ、あんまり「幸せ」じゃないですよねえという見方をしたほうがいいんじゃないかなと思います。現実問題として学校でそういうこと言っているのに教師が気がついたら、ほっておくわけにもいきませんからね。個別に時間をかけられる体制はあったほうがいいと思います。

投稿: 安原 | 2008年8月12日 (火) 02:27

やっぱり、丁寧に正確に見ていくべきだと思うんですよね。大袈裟に考えるのもダメだし、過小評価してしまってもいけない。

周りから情報を得る事で、「自分はこうなのかも知れない」、と思い込んで、そっちに引きずられる、というのがあるんですよね。一種の自己成就現象と言うか。

まあ、なんでこんな事書くか、というと、自分がそうだったから、なのですが。

投稿: TAKESAN | 2008年8月12日 (火) 02:36

「死ねばいいのに」レベルの「殺意」をいだくのって、そんなに異常なことじゃないような気がするのは、ぼくの個人的なバイアスでしょうかね。なんとなくえでぃぷす・こんぷれっくすなんかを持ち出したくなってしまいますが。

あと、「殺意をいだくこと」と「実際に殺人を犯すこと」はあんまり直結して考えないほうがいいんじゃないかって気がします。このふたつは別のレイヤーの規範に規定されるもののような気がするので。前者が減れば後者も減るとは限らないし、逆もそうだと思います。

投稿: pooh | 2008年8月12日 (火) 08:17

こんにちは、poohさん、そして皆さん。

>「死ねばいいのに」レベルの「殺意」をいだくのって、そんなに異常なことじゃないような気がするのは、ぼくの個人的なバイアスでしょうかね。

そう、そんなに異常な事ではないわけです。と同時に「死ねば良いなんて考えちゃいけなかったな」なんて感情もどこかに持つ事ができて、そのバランスとして、外に現れる感情としてはそれほど強いものではなくなる訳です。これができるのが「成熟」であるとすると、未成熟な思春期において、「死ねばよい」「殺してやりたい」くらいの感情と「そんなこと思うなんて自分は生きる価値が無いほどの冷血漢だ」みたいな強い感情どうしのせめぎ合いをするのが普通であり、成熟に必要な思春期の葛藤なんだろうと思うわけです。

理解して欲しいのは思春期を経て形成される「自己同一性(アイデンティティ)」というのは、この葛藤がきちんと強く存在してそれが調和することで、強固なものとなるわけです。思春期の葛藤を穏やかにやり過ごすことで自己同一性こそありはするものの、ちょっした刺激でゆらゆらしてしまう弱い自己同一性の持ち主となる可能性はあるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008年8月12日 (火) 09:13

TAKESANさま
>私が思うのは、頻度が高いと回答した人は、自身の感情がネガティブな方に引きずられる傾向にある事を自覚しているんじゃないか、

自覚しているのか自覚してないのかは個別に他者が介入しないとわからないと思います。ですから回数を「きちんと調査する」ことのメリットとしての話しですね。例えばですけど1日10回以上(回数が雲のようでイマイチなら時間でもいいですけど)「殺してやると思う」(暴力をふるいたいと思う、でもいいんですが)、自覚しててもしてなくても嘘書いてても問題かなとは思います。あともう1点、自分で認知できてて言語化できるレベルなら、まあいいんじゃないかなと思いますが「無自覚」で「言語化できない」タイプは逆に数値のほうが見えやすいのかなとも思います。へんに言語化しないほうがいい場合もありますしね。

心理的な解釈はみなさん書かれているように、一般的にはわりあい何とでもいえますし、思春期の葛藤は基本の話です。マスメディアではそこがよくオミットされてるのは問題だと思いますが、それをふまえたうえで、そことのアクセスをどう確保するかということを問題にするなら実があるんだろうなということです。中途半端な知識の教師や(別の場面でもつきあわないといけない人間)がやるよりカウンセラーが入るほうがよいかなと思います。

カナダなどの犯罪関連の更生現場では認知を変えていく技術を採用してて、性犯罪者のカウンセリングなどには使われていて、実績は出しています。「自分は変わっていない」という強固な認知をもっています(これは犯罪者に限らず、人は自分の行為を正当化しやすすい)、メディアやまわりでそれを強化されたりはするみたいですね。ただ、一番問題なのは認知療法は知的障害者などの性犯罪の場合は使えないってことだったりするらしいです。もちろん万能ではありませんけど。

投稿: 安原 | 2008年8月12日 (火) 11:22

>poohさん

「この世から消え去ればいいのに」、と思った事は、結構あります。それくらい誰にでもあるんじゃない、と、正直思ってます。

私としては、「軽い殺意」でも人を殺す事があるのかな、なんて考えてます。

もちろんこれは、そういう感情は多少なりとも持っていて構わないだろう、というのを正当化したい、というのでは無いです。一般的には、そういうネガティブな感情は、心身にも好ましく無いでしょうしね。人間関係にも支障をきたすかも知れないし。

------

>技術開発者さん、今日は。

葛藤を懐きながらそれを解消したり冷静に見ようとしたり、という経験は、重要なものかと思います。
それが必要なのだ、と考えているのでも無いですが、そういうのをすぐ良くない事だ、と判断するのは、どうかな、と思います。マスメディアがよくそういうかたちで煽りますしね。

私自身は、そういう強いネガティブな感情は懐かない方が良いだろうし、そうなっていくべきではあると思っています。そうで無かった人間としての羨みでもありますけれど。良好な親子関係・友人関係を形成している人を見ると、純粋に羨ましいと感じるんですね。蟠りは無いに越した事は無いかな、と。

------

>安原さん、今日は。

怖いのは、素人が思い込みで判断して、誤ったやり方で改善しようとする事ですね。科学や学者に嫌悪を持つ人がそうしたり。よくある、「学者に何が解るか」、的な。

認知の話ですが、より具体的に「殺意」らしきものを分析的に認識出来ている方が良いでしょうね。何となくもやもやした、言語化出来ない感情の渦みたいなものを抱えたままの状況の方が、もしかすると良くないかも知れない。そいうのも含めて考えるべきで、安易に結論を出さない方が良いでしょうね。件の研究者がそういう所を弁えていらっしゃる、というのを期待したいですが…。

投稿: TAKESAN | 2008年8月12日 (火) 12:45

 わかりやすくいうと、非行(犯罪ではないです)では深夜徘徊とか喫煙の補導が一番多いですが、たとえば保護されてあんまりしゃべらないが「親をぶっころすー」みたいなこといってる・・・よくよく調査してなんとなく聞いてみると母子家庭でお母ちゃんに新しい彼氏ができて、ウキウキウッキーで家帰ってきません。でも、お母ちゃん幸せそうだし、でもでもなんか違うんじゃなーい!しかし他人にいったらカコワルイ!みたいな話だったりするわけで、そこの状況にさらっとうまく介入している人がいるから、犯罪の芽がつまれたりするんですが、「起きなかったこと」っていうのは証明できませんし、そういう人はメディアで適当なことはしゃべらないんで、私としてはそういう人の邪魔にならないようにしたいなあとは思います。

>件の研究者がそういう所を弁えていらっしゃる、というのを期待したいですが
ほんとそうですね。してたりもするんですが、出ないんですよね・・・。あとそういう文脈で出ないっていうんですかね。

投稿: 安原 | 2008年8月12日 (火) 13:04

人間の場合,攻撃や性行動は,学習により成立する要素が非常に大きいので,学習つまり過去経験の内容で,行動的な多様性は大きくなると思います。この二つについては,哺乳類では,儀式としてリンクしていたりします(詳細は省略)が,学習しないと出来ないという部分ではあります。ここで,面倒なのは,リアルタイムに情報を処理して,学習していくと云う能力も高いので,過去何らかの,類似行為のあるなしだけでは測れないと云うことです。
 ただ繰り返し繰り返し,攻撃行動を履修させていけば,ある割合で,それは,更に過激になっていく個体もあると思われます。

 一方武術は,相手を倒すと云うことのコントロールやレベルを身につけるわけで,そのことを通して,意図的に,殺さない技術を身につけることも可能な分野だと思います。
 今,ある場所に加撃を与える瞬間に,どのくらいの威力で,どのように打つのかと云うところで自分が何をしたのか理解できる(場合もあります。)手応え有ったもんなというのが後で思い出されたりするわけです。だから,立てないだろうとか,2日ほどは,力が入らないだろうとか,咳しても転げ回るだろうとか,歩いてトイレに行けないだろうとか,自分がやられる経験も含めて,理解できるわけです。

 何が云いたいかというと,コントロールを学ばせない状況で,かつ繰り返えし暴力の履修を図らずも行うことは,しない方が良いと云うことです。余計なものを拙い形で学習させるのは,最悪です。爆発させないと云うことは,結構重要だと思います。抑圧せずに,コントロールを学ぶと云うことは怒りが大きな場合,簡単ではありません。暴力は常習者やそれを生活の糧としてしまった犯罪者でなければ,通常は,矢張り感情で誘導されるわけですから。

 幼児虐待やDVの定番で,何度も夢の中で刺し殺すシーンを見て目覚めるというのも,消耗します。言語化出来ていれば,爆発しにくいけど本人はやはり苦しい。逆に,何時襲われるか分からずに眠るというのも。だから,出来れば,冗談でも殺す殺さないとかそういう思いとは無縁の世界で過ごした方がよいかと思います。
 わだかまりは無いに越した事は無いと私も思います。

 子供に対して,親には,その義務があると思います。てめぇぶっ殺してやるという呪詛の言葉を吐きながら,子供が,それなりに健全に親を無事卒業する(親が親でなく一人の人間であると理解して愛せるようになる)ことも普通のことだとは思います。子供は,どのような状態でも健全にうそぶいて,親なんか何にも分からない人たちだと割り切って大きくなればいいけれど,親の立場,責任を考えれば,無駄に消耗するやり方は子供達には歩んで欲しくないと思うと思います。

投稿: complex_cat | 2008年8月12日 (火) 14:40

ん〜。発表前の研究で、統計が正当に使われているかどうかが確認できないから、研究自体に言及することはできませんけれど、逆に言うとなんで新聞は発表前の研究を記事にしたんでしょうかねえ。
新聞が発表する統計は信用できるものが少ないと言われています。最近の例では、福田政権の支持率が新聞社によって違い過ぎてるとかありましたよね。
今回の記事も、新聞社の都合の良いように、発表前の研究を利用した(ネタにした)にすぎないような気がするのですが。ま、ほんとのところはわかりませんけど。
でも、マスコミが研究をこのような形で利用することが、ニセ科学の蔓延に一役買っているようにも思えますね。
一言だけ研究につっこみをいれると、一回調査しただけで比較対象も無いのにいったい何がわかるんでしょうかねえ。

投稿: やす | 2008年8月12日 (火) 15:24

やすさん、今日は。

>皆さん

こういう段階でメディアで流布するのはどうなのだろうな、というのを思います。もちろん、調査結果が出た事を報道するのはありでしょうけれど、それには「伝え方」に配慮する必要がある訳で。

私はよく、新聞記事の社会調査系のやつとか、どこそこの大学の研究によると……的な紹介記事とかを採り上げて言及しているのですが、新聞社自体が恐ろしく杜撰な調査をしていたり(産経のアレとか)、もしかすると真っ当な研究かも知れないのに、インパクトの強そうな所だけクローズアップして採り上げて煽ったりとかで、かなりダメですね。

別のエントリーにも貼りましたが、血液型性格判断を政治カテゴリーの記事で肯定的に紹介する、という事をしでかしたりしてますからね。そういう意味で、科学的なリテラシーというのを疑ってしまいます(なんと柔らかい表現なのでしょう)。

この件は、「殺意」という概念およびそれを心理学的に研究する難しさ、と、研究途上の段階の情報をどのように世間に発信するか、という2つの問題があるように思います。

怒り・攻撃・暴力・殺意、等々の概念については、私も色々考えた事があります。十代後半くらいには、そういう事ばっかりだったかも。そういうのを相談なり議論なり出来る間柄の人が一人でもいれば、少しは楽になるのかな、なんて思います。一人でごちゃごちゃ考えるのは、きっついですからね。頭がおかしくなりそうになったりしますし。

投稿: TAKESAN | 2008年8月12日 (火) 16:22

私のブログの<「福田内閣支持率」に見るマスコミの世論調査の欺瞞性>の中で、

新聞各社の「内閣支持率」の違いから、明らかに<世論調査は、当てにならない!マスコミの世論調査は、バイアス(偏向)が掛っている!>ことを明らかにした例として、

トラックバックさせていただきました。

投稿: mohariza | 2008年8月23日 (土) 08:54

moharizaさん、今日は。

お知らせ頂いて、ありがとうございます。

こういう社会調査は、なるべくバイアスを取り除くように注意して行うべきですが、なんか、わざとやってるんじゃないか、と思えるくらいひどいものを、よく見かけますね。なんとかして欲しいものです。

投稿: TAKESAN | 2008年8月23日 (土) 13:00

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