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2008年8月28日 (木)

信じ込んでいる

教えて!gooで、血液型と性格関連の質問を調べてみました。

血液型判断の好きな人への対応… - 教えて!goo

血液型で判断したくは無いのですが、私の彼氏はB型でして。。 - 教えて!goo

男性に質問です(O型の人いませんか?) - 教えて!goo

星座と血液型だけで - 教えて!goo

A型は歯止めがきくって本当ですか? - 教えて!goo

B型の男の人や付き合ったことがある方に質問です。(長文ですみません) - 教えて!goo

A型男性の方、教えてください。 - 教えて!goo

A型男とO型女って相性わるくないですか? - 教えて!goo

自分の血液型について - 教えて!goo

ややこしいねえ。ややこしい。

そして最後に、kikulog経由で知ったYahoo!知恵袋での質問。

私は今まで血液型にこだわってました。私はA型。 - Yahoo!知恵袋

憤りでは無くて、悲しみを覚えるのです。

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コメント

>憤りでは無くて、悲しみを覚えるのです。

私も同じ思いを持ちました。
気にしない,関係ないというベストアンサーを選んでおられますが,本人は,血液型原理主義の中に依然としてどっぷりなのが分かります。
血液型性格診断にこれだけの闇を作り出す力があったとは正直思えませんが,これがある種の人には,最悪の新興宗教と同じように機能するということだけは確かなようです。
 何のために信じるのでしょうか。それが問題ですね。

投稿: complex_cat | 2008年8月28日 (木) 00:59

血液型性格判断をそれほど問題視しない人の中には、そんなの遊びだからいいじゃない、と言う人もいますね。でもそれは、発言者の認識であって、実際には、信じ込む人間というのはいる訳で、それはちゃんと押さえておくべきだと思っています。

私自身、血液型性格判断は全く信用していませんでしたが、他の差別的な認識は数多く持っていました。その頃の心理状態と重ね合わせ、胸が痛くなります。

現在も、自分に全く無いと言い切る事は出来ません。ただ、自身の認知にそのようなものが無いか、というのをチェックしながら修正していく、という体勢を常にとろうと心掛けています。

投稿: TAKESAN | 2008年8月28日 (木) 01:20

余談。

かの聡明なるタモリさんが、先日、血液型性格判断トークに乗っていて、それを観て、むー、となったのでした。
信じているのか話に乗ったのかは知りませんが、いずれにしてもね…。

ここ2ヶ月くらいで、テレビでその手の話がされていたのを観たのは、15回くらいあるかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2008年8月28日 (木) 01:26

生まれたときはO型で、30過ぎたらAB型になっちゃった私は、どんな扱いになるんですかねぇ
(^^ゞ

いずれにせよ、それは差別だと粘り強く伝えるしかないのかも。

投稿: yu-kubo | 2008年8月28日 (木) 07:08

あぁもう、なんか、最後にリンクされているYahoo!知恵袋の例なんか、考え付く限りいちばん悲しいサンプルに見えます。

> 血液型性格判断をそれほど問題視しない人の中には、そんなの遊びだからいいじゃない、と言う人もいますね。でもそれは、発言者の認識であって、実際には、信じ込む人間というのはいる訳で、それはちゃんと押さえておくべきだと思っています。

これはもう強烈に同意します。
遊びだったら、いいんです。そのことを分かっていれば。でも、もしそれを誰かに信じ込んでしまわせた場合に、本人が「遊びだ」と思っていたことでそのことについての責任は減免されないんです。イノセンスはなにごとも免責しません。

投稿: pooh | 2008年8月28日 (木) 08:21

お久し振りです。
最近の一連のエントリーを見ていて触発されたので、プチ実験してみました。

僕の彼女に、よくある血液型性格判断のサイトで紹介されているタイプごとの「性格」を、僕とは違う血液型の「性格」を、彼女にはわからないように僕に当てはめさせてみました。(ちなみに僕はB型です)

結果見事に「あー、そうそう、あんた当たってる~☆」と、A型やO型の「性格」と「一致」しました。

逆に彼女にも異なる血液型の「性格」を自分に当てはめさせても「あ~、それあるかも~」と納得してました。

ネタばらししたら、「え~、でも関係あると思うけどな~」「そういう意地悪いところはやっぱりB型だよー!」と、非難されました。

なかなか人を説得するのは難しいようです(泣)。

投稿: 慶 | 2008年8月28日 (木) 08:23

>TAKESANさん

芸能人では、とんねるずの貴明が血液型性格診断が大好きで、食わず嫌いでは女性ゲストと必ず血液型トークをしますね。それが女性との対話の定番ネタ的なものならまだマシなんですが、どうもアタマから信じ込んで語っているようなのが不愉快です。

まあ、現実生活の上では、よっぽど親しい相手以外には血液型トークを振られても否定しづらいということはありますね。明らかに場が白けて偏屈者のレッテルを貼られてしまいますから、適当に話を合わせるということになります。

否定して説得するかどうかは、その相手との関係性で判断する部分で、友達だったら何とか説得しようとするでしょうね。単なる義理の飲み会の席上で出た話題だったら、その場の雰囲気のほうが大事ですから、適当にお茶を濁すということになるでしょう。

なんというか、この辺も宗教に似ていますね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月28日 (木) 10:28

皆さん、今日は。

>yu-kuboさん

血液型が変わった場合とか、間違って憶えていた場合、とかありますね。

言い続けるしか無いのでしょうね。

------

>poohさん

冗談とか遊びって、それに関わる皆が解った上じゃないと、成り立たないと思うんですよね。冗談だから解れよ、とか、遊びなんだから気にするなよ、というのは身勝手な正当化な訳で。
それに、血液型性格判断は本質的に差別ですしね。

------

>慶さん(お久しぶりですねー)

おお、それは、ラベリング実験的ですね。

▼▼▼引用▼▼▼
ネタばらししたら、「え~、でも関係あると思うけどな~」「そういう意地悪いところはやっぱりB型だよー!」と、非難されました。
▲▲引用終了▲▲
あちゃー。それはなかなかの切り返し…。意地悪いところはやっぱりB型、って、何気に結構ひどい…。

------

>黒猫亭さん

友人と血液型性格判断の話になった事があるのですが、まるで噛み合いませんでした。というのも、私自身が、「直感」によって「否定」、という立場だったので、直感対直感になって、噛み合うはずが無かったんですね。

今ならどうだろう…。直感の相対化と統計の基本、というのを理解すればOKなのですが、それを解ってもらえるか否かがポイントなんでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月28日 (木) 12:32

私の周りでは、最近はなんとなく会話の中で血液型を持ち出す人が浮き始めたという印象があります(あくまでも印象ですが)。

血液型本がいまさら大々的に出ることによって、かえって食傷してしまったのかなと感じていますが、ニセ科学批判の機運の高まりとも対応しているのかもしれません。

余談ですが、テレビショッピングでゲルマニウムブレスレットとネックレスが投売りされていました。セットで5800円!とかいって。

投稿: Noe | 2008年8月28日 (木) 15:19

Noeさん、今晩は。

「血液型性格判断に根拠は無い」、という知識も普及しつつあるのでしょうね。そうなると、お互いの認識を揶揄し合う、というのも起こってきそうですね(面と向かって言う事は少ないでしょうけれど)。

ニセ科学商品のバーゲンセール、ですねー。

投稿: TAKESAN | 2008年8月28日 (木) 20:52

百歩譲って、血液型が性格形成に関係あったとしても、他人との相性にまで影響するようには到底思えないのですが。人間関係ってそれほど単純じゃないですよね。

投稿: やす | 2008年8月29日 (金) 00:20

やすさん、今晩は。

環境要因の影響の大きさを考えると、果たして血液型が、というのは疑問には思います。いや、もちろん、血液型性格判断肯定論者は、環境要因より血液型という因子が強く作用する、と言いたいのでしょうから、結局は実証が必要になる訳ですが。

ステレオタイプの影響の大きさ等が詳しく明らかになれば、それは環境要因の影響の強さの証拠にもなるのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月29日 (金) 00:54

初めてコメントします。

>憤りでは無くて、悲しみを覚えるのです。

まったく同感です。
実は、我が家は子供3名も含め5名全員がAB型なんです。子供にA,B,ABの発現確率が同じなのに珍しいとは思うし、もしも緊急の生鮮血輸血が必要になったときに有利、という意味で他人にそのことを話したことがありました。しかし、相手が信じ込んでる人だったら、「一家そろって嫌われ者」であることを自慢そうに言う、とマユをひそめられていたかも知れないんですね。ちなみに、世でAB型がどういう政客と言われているのかは私は知りません。

投稿: ひでき | 2008年8月29日 (金) 15:57

失礼しました。

 政客→性格

投稿: ひでき | 2008年8月29日 (金) 15:59

またまた失礼しました。両親ともAB型の親から生まれる血液型のA,B,ABの発現確率は1:1:1ではありませんでした。前2つも含め、コメント自体削除しておいてください。

投稿: ひでき | 2008年8月29日 (金) 16:09

ひできさん、今晩は。

連投は全然構いませんので、お気遣い無く。

えっと、興味深いご意見だと思うので、残しておいても良いのではないかな、と考えるのですが、いかがでしょう。

もし非公開をご希望でしたら、お手数ですが、もう一度コメントをお願いします(このコメントごと消しますので)。

血液型で性格を云々するのは、その他の身体的特徴による決め付けと同じなのですが、意識はされないのでしょうね。多分、外見には現れないからなのでしょうけれど。

投稿: TAKESAN | 2008年8月29日 (金) 17:38

TAKESANさん、おはようございます。(こんにちは)

間違いだらけのコメントですが、残しておいて頂いてもかまいません。

私はあるきっかけで2ヶ月ほど前から疑似科学に関する本を読んだり、色んなブログを当たったりしています。科学論争にはついていけない面もあり、このページがとっつきやすく思ってコメントしてみました。今後もある程度考えをまとめて投稿することがあると思いますがよろしくお願いします。

投稿: ひでき | 2008年8月30日 (土) 12:32

ひできさん、今日は。

私も、(当たり前ですが)調べ始めた時には訳が解らず、菊池さんや天羽さん、田崎さんのサイトで資料を読んで、勉強しました。シンポジウム用のテキストなんかは、丁寧で解りやすいものでしたので、大変参考になりました。

ここでよろしければ、どうぞお気軽にコメント下さい。

投稿: TAKESAN | 2008年8月30日 (土) 16:03

昔読んだ森瑶子の短編に、これからというときに女性が血液型の話をし始めたために、その女性を追い返してしまうプレイボーイの話がありました。しかし実は女性がそういう話をし始めたのには、あるカラクリが・・・という洒落た短編です。

その頃私は「血液型性格判断」の非科学性云々などはまったく知らなかった(恐らく森瑶子も同じ)のですが、女性との洗練された会話も情事のうち、と考える主人公の姿勢を通じて、森瑶子が考えるある種の「魅力的な女性像」というものがうかがえ、そういう女性がしてはいけない「月並みで洗練されず知的でない会話」の典型例として血液型の話が出てきたことに妙に納得するとともに、自分もうっかり血液型の話はしたりしないように気を付けようと、変な決心をしたのを記憶しています。

「KY」や「面白味がない」や「しらけさせる」という非難が、逆に血液型の話をした方に向けられるという場合があっても、ちっともおかしくないですよね。むしろなかなか結構な状況です。小説の中だけでなく、そういう雰囲気を醸成することができればと思います。

投稿: ネット沙代 | 2008年8月31日 (日) 07:43

ネット沙代さん、今日は。

それは面白そうな作品ですね。

▼▼▼引用▼▼▼
「KY」や「面白味がない」や「しらけさせる」という非難が、逆に血液型の話をした方に向けられるという場合があっても、ちっともおかしくないですよね。
▲▲引用終了▲▲
そうですね。
こういう傾向はどのくらいあるのでしょうね。興味深い所です。今の所は、「血液型性格判断話にめくじらを立てる」事を無粋だと評価するのが、やはり大勢なのだと推測します。テレビ等でもたびたび出ますし、やはり量的に圧倒してますものね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月31日 (日) 12:45

>TAKESANさん「憤りでは無くて、悲しみを覚えるのです」

みんな人間ができてるなぁ。最初に件の質問を見たときに湧き上がってきた複雑な感情はなかなか言葉にしがたいですけど、一番近いのは決して「悲しみ」ではなく「怒り」でしたよ。

>慶さん「最近の一連のエントリーを見ていて触発されたので、プチ実験してみました」

教員をしていた頃に、たまに生徒相手に同じような実験(?)をしてました。星占いでもやりましたね。私はB型でなかったからか(笑)、慶さんが体験したような反応は少なかったかな。まぁ、相手が教員だから言いづらかっただけで、きっと心の中では慶さんの彼女のような事を思っていたのでしょうけど。

>黒猫亭さん「まあ、現実生活の上では、よっぽど親しい相手以外には血液型トークを振られても否定しづらいということはありますね」

自分なんかは、逆に友人選びの踏み絵になってるかも(苦笑)。「え~っ、いまどき血液型性格診断なんて信じてるの~!? それヤバいって(笑)。そういえばさ、この前ネット見てたら、生まれてきた自分の子がAB型だから愛せないって真剣に悩んでる母親がいたよ。血液型って、なんていうか、差別偏見増幅装置?」みたいな事を言って、「そうそう、付き合ってる彼がB型だと分かった途端に関係がぎくしゃくして結局別れたとか、そもそも最初からAB型の人とは絶対付き合わないと決めてるとか、そういう人いるよね~」といった反応を示してくれる人とは友達になれるけど、それで場がしらけるようなら、その人たちとは友達になれない(笑)。

>ネット沙代さん「「KY」や「面白味がない」や「しらけさせる」という非難が、逆に血液型の話をした方に向けられるという場合があっても、ちっともおかしくないですよね。むしろなかなか結構な状況です。小説の中だけでなく、そういう雰囲気を醸成することができればと思います」

本当に心からそう思います。そういう雰囲気を醸成する事に自分が少しでも貢献できればと真剣に考えています。たぶんそれは血液型による差別をなくしていく事だけではなく、うまく言えないけど、もっと大きな波及効果があるような気もしています。
「“月並みで洗練されず知的でない会話”の典型例として血液型の話が出てきた」というのは本当に痛快ですね。他にどんな話題が「月並みで洗練されず知的でない会話」とされているのかにも興味を持ってしまいます。

投稿: 田部勝也 | 2008年9月 2日 (火) 01:32

多分、私が悲しみを覚えたのは、お子さんに対してあまりに理不尽な思いである、と感じたからです。そして、下らない俗説に惑わされた母親に対して、果たしてどこまで痛罵出来るか、というのも思いました。
水伝を信じる人やゲーム脳を信じる人に対しても同様で、まず怒りを感じる、というのは、あまりありません。
もちろん、主唱者に対しては、強い怒りを覚えますけれども。
同じような事は、poohさんの所でも、以前話題になりましたね。

なんと言うか、私は、文脈の力は大きい、と思っているんですね。あるいは、雰囲気とでも言いましょうか。これは、社会心理学的な構造かな。だから、それに巻き込まれてしまった人よりは、それを作り、引きずり込む人間に対して怒ります。

血液型性格判断話に突っ込む事を野暮だと看做されるような雰囲気というのは、失くしたいですね。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 2日 (火) 02:02

>田部勝也さん

まあ、基本的に「キミは○型だから○○なところがある」的なことを素で口に出来る人とは友達になれないことは事実ですね(笑)。以前ネットの友人に一人そういう人がいたんですが、ネットの上の附き合いだからこそかなり手厳しいことも言いました。それで血液型の話をしなくなったのは、それが馬鹿げていることを理解したのか、単にこいつにはその話をしないほうがいいと思っただけなのかはわかりませんが、最終的にその人とは衝突して訣別することになりましたから、所詮は馬が合わなかったのでしょう。

ただ、たとえばとらこさんの例のシリーズエントリーで語られているような問題もありますし、非合理的心性にどれだけ重点を置いて人と附き合うかというのは、個人の価値観の問題ではありますね。田部さんがそこを最重要視されるのはわかりますが、そうではない人もたくさんいるわけで、けっこう難しい問題ではありますね。

やはり、日常的に困るのは、友人でも何でもない義理の附き合いでそういう話題がかなり普通に出ることですかね。これは、皆さんが仰るように世の中の空気が変わっていかない限り、礼節や気配り、もっと謂えば実利的な人間関係の問題になってきますから、なかなか自分の意志ばかりを通すというわけにもいきませんね。

個人的に謂えば、オレは血液型性格診断というのが、ただ間違っていると思うだけではなくて積極的に「嫌い」ですね。概して性格診断術全体が嫌いです。結局性格診断というのはタイプシンキングですよね。あなたはこれこれのタイプの人間だ、というステロタイプの鋳型を基準にして人間を視る考え方ですが、これは本来、関心のない人や嫌いな人に対して下すべき判断手法で、関心や好意を抱いている相手なら、どういう人間なのかを具体に即して判断すべきだと思います。

性格診断術一般には、そういう対面的な観察や考察を省いて、非常にわかりやすいインデックスに基づいて人間を特定の鋳型に振り分けて判断しようという、非常に下司な性格があると思うのですね。

今は「個性」という言葉を素直に遣うのが難しい時代ですが、オレは個人的には特定の個人を他の個人とは別の人間とあらしめる属性はすべて個性だと考えていますから、少なくとも相手を顔のある個人と認めて体面するのであればタイプシンキングではなくその当人の具体を視るべきだと考えます。血液型だとか十二星座だという講釈が附けば、人をタイプシンキングで判断する行為の本質的な非礼や図々しさが糊塗されてしまう。そこが不愉快ですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月 2日 (火) 08:35

黒猫亭さん、今日は。

性格判断は本質的に、一面の属性によって対象の性質全体を決め付ける、というものですよね。
私は、子どもの頃から血液型性格判断が大嫌いだったのですが、それは、そのような面を直感的に認識したからなのだと思います(しかし、自分自身が、他の属性によって判断する、というのをやっていたりして、そこがややこしいのですが)。

ある属性に過剰に重み付けをすると、後からその属性を知った場合に「再解釈」する、というのがありますよね。「ああ、この人がこういう性格なのは、○型だったからだ」、というように。これは、人間の認知心理学的な性質によるものなのでしょうが、性格判断というのは、こういうのを巧みに利用しているのだと考えられます。

性格判断話がコミュニケーションの手段となる、という現状は、ややこしいですね。私がとても尊敬していた方もそれを信じておられたりして、うう、となったものです。身近の観察による傾向の過度の一般化、というのを相対化出来るかどうかが、重要なポイントなのでしょう。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 2日 (火) 12:35

>田部勝也さん
>他にどんな話題が「月並みで洗練されず知的でない会話」とされているのかにも興味を持ってしまいます。

かなり昔のことで記憶が定かでないとは言え、他には何も覚えていないので、恐らく象徴的な話として血液型だけを使っていたのではないかと思います。ショートショート的な落ちがあって思わずニンマリしてしまう短編だったと記憶しています。

森瑶子のように、血液型性格判断の非科学性云々は知らずとも血液型性格判断の話は大嫌いという人、また、そこまでではなくとも「下らぬ」と思っている人は、少数派とは言え、そこそこいるのではないかと思っています。ただ、そういう人達の意見が何らかの形で表に出てくることは皆無に近いでしょう。だからまったく目立たない。非科学性云々の話ならこういうブログもあって、少しは目立つでしょうが。しかしいずれにせよ、血液型性格判断の目立ち方とは比較にならないことは確かですが

投稿: ネット沙代 | 2008年9月 2日 (火) 22:15

>TAKESANさん

おっしゃる事には心底同感で、誤解されるのは嫌なので弁解しておくと、私が怒りに近い感情を抱いたのは、母親個人よりも、TAKESANさんのおっしゃるこのような母親を生んだ文脈とか雰囲気とかいうものに対して──と言ったほうが適切だったと思います。
まぁ、とは言え確かに、毎日こんなサイト(↓)
http://dqname.jp/
を見に行ってるような人間なんで、この母親に対する怒りも決してないわけではないのですけど……。なんというか、「知識が我々を自由にする」とか「無知は罪である」とかいった古い言葉が痛烈に胸をえぐります。

>黒猫亭さん、ネット沙代さん

私も血液型性格診断というのが(「非合理的心性」がどうこういうよりも)生理的に大嫌いです。ネット沙代さんの紹介された森瑶子さんの感受性と似たところがあるのでしょうか、あくまで生理的にムカツクだけなんで論理的な理由とか聞かれても困るんですけど、以前kikulogにこんな事を書きました(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1170423461
端的に言って、血液型性格診断は「差別偏見増幅装置」でしかないと思っています。TAKESANさんも指摘されているように、あらかじめ持っている差別・偏見に合う点だけが認知されて、「当たってるー!」となるわけですから。

>黒猫亭さん「(前略)もっと謂えば実利的な人間関係の問題になってきますから、なかなか自分の意志ばかりを通すというわけにもいきませんね」

そんな事もないですよ。少なくとも私は実践しているつもりです。それが私なりの「礼節や気配り」だと思っています。他人に同じ生き方を薦める気はないですけど、そういう生き方は可能だという事は強調しておきたいですね。
というか、実利的な事を考えても、自分の意志や努力で成長パラメータを決める事を放棄したり否定したりするような人たちと良い仕事なんてできません。幸い私の出会ってきた人はそんな人間ばかりではないのでそれで困る事はないですし、そういう生き方をする事で素晴らしい人たちと出会える機会が増え、むしろ私のほうが成長させてもらっています。
NATROMさんのところでも話題になっていますけど(↓)
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080825
こんな上司のもとで働くのと離れるのとどちらを選ぶのがより自分の実利に適うかという決断ですね。血液型で人を判断するよりも、血液型性格診断を信じているかどうかで人を判断するほうが、より実利的と言えるかも知れません──皮肉ですけど(苦笑)。

投稿: 田部勝也 | 2008年9月 3日 (水) 00:13

>TAKESANさん
>田部勝也さん

時に、なんで俺はこんなアホと付き合っているのか…と、悲しくなることもしばしば(笑)
恋愛というものは恐ろしいですね。

とはいえ、僕も高校ぐらいまでは血液型性格判断は信じていたのです。
たしか、成長していくにしたがって、別にB型だけど、他の人に比べて自己中ってわけでもないし、B型が言われているほど嫌われていたわけでもないし(気づかなかっただけかもしれないけど)、少しずついろんな世の中を知り始めてから、「B型だろうがO型だろうが、人それぞれ違うんだし、気にすることもねーかな」って思うようになったと思います。

そこで、なぜ信じていたか、過去を振りかえってみると、血液型性格診断が流行っていたのは大きいかと思いますが、他にも、マンガやゲームのキャラクター設定で、なぜか血液型までもが設定されていたことが大きく影響していたように思います(あくまでも記憶を頼りにしています)。

というのも、みんなの人気者の主人公はO型、ヒロインはA型、ってなものが多かったように思います。
そして…
「B型が主役になっているものを見たことがない」→「B型は主役になれない」→「俺はB型」→「いつもグループで後ろからついていくほうだし」→「俺は主役になれない」→「クラスで人気者のあいつはO型だ」→「O型なら主役になれる」→「B型なんてやだぁぁぁぁぁ!!」
みたいな感覚はあったと思います。
キャラクター設定に血液型を持ち出しているのは結構でかい気がしますね。
意識的にも無意識のうちにもキャラクターの性格と血液型がリンクして刷り込まれる…。

思うに、わざわざマンガやゲームのキャラクターに血液型を設定するのって、性格と結び付けようとしているんじゃないかという気がします。
輸血するわけでもないようなマンガやゲームのキャラクターに血液型を設定する必要性はないように思うんです。無いものに血液型を設定するには、何らかのあてはめの基準が必要だから、典型的な血液型性格判断あるいは自分オリジナル性格診断を使うことになるでしょう。
身長や体重と同じように、感情移入するための個人情報の一つとして設定するにしても、血液型ってそんなに重要かよと思うんですが…。

投稿: 慶 | 2008年9月 3日 (水) 00:42

皆さん、今晩は。

やはり思うのは、血液型性格判断が深く浸透していて、それを話題にするのは普通で、突っ込むのが野暮だと思われたりする、その恐ろしさです。
何度か書いていますが、ここ1月くらいの間で、10回くらいは、テレビでそのネタが採り上げられたのを観ました。もちろん、肯定的に、です。

これって、目の色や髪、あるいは肌の色によって性格を決め付けるのとほぼ同じですが、それに気付く事無く、無意図的に、差別的な認識を形成しているのですよね。これにはやはり、外見に違いが無いから、同様のものだと思われない、という理由があるのではないか、と考えています。

慶さんが仰るような事は、あるでしょうね。

件の母親については、その状況を作った人や説に対して怒りを覚えますし、いつの間にかそういう認識を形成してしまった当人については、悲しみを覚えます。

差別心というのは誰しも懐き得るものですから、いかにそれを自覚出来るか、というのが重要なのだと思っています。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 3日 (水) 03:46

TAKESANさんの仰るように、血液型性格診断は見た目に違いが無い分、人を差別化しているという罪悪感が低いので、ここまで浸透しているんでしょう。
特に、日本と韓国で血液型性格診断がもてはやされているのも、それが背景にあると考えます。

アメリカのような多民族国家やナチスの人種差別政策の歴史のあるヨーロッパ地域では、こうした差別に対して良くも悪くも敏感ですが(それに配慮しなければ自らの生命すら危ぶまれる事になる可能性がありますし)、日本や韓国では、移民の数も少ないですし、異なる民族や宗教間での大規模な戦争も無かった分、そこら辺の配慮は決定的に欠けていると考えています。

あと逆にいうと、日本で血液型で人間性を判断している人(件の母親も含んでよいと思います)がナチス政権下のドイツやアパルトヘイト政策下の南アフリカに産まれていたら、彼らは多分ユダヤ人や黒人を何らかの方法で差別していたと思います。
もちろん何かの大義名分(おそらく私はこうした事にニセ科学的な事が使われる可能性は高いと予測します)や言い訳(社会の空気に逆らえば、家族や親戚、友人に危害を加えられた可能性があるとかなんとか、なんとでも言うでしょう、それが責任回避の悪あがきだったとしても)を用いて正当化しながら。

彼等はそうは認めないでしょうけど(^_^;)

投稿: 内海 | 2008年9月 3日 (水) 10:09

>TAKESANさん、田部さん

>>私がとても尊敬していた方もそれを信じておられたりして、うう、となったものです。

これは田部さんに対するお返事にもなると思いますが、皆さんが血液型性格診断の「蔓延」を問題視されているのは、或る人間にとって、別段人間の価値や美点は「血液型性格診断を信じるか否か」で決定するとは限らないということもありますよね。

具体的には言いませんでしたけど、たとえば慶さんが仰ったことなんかはまさにオレも念頭にあったことで、端的に大問題ですよね(笑)。恋愛感情というのは、割合相手の一般的な意味における人間的価値や美点とは無関係に発生する感情ですから、デートの際に相手が「あなたは○型だからこういうところがあるんだよね」とか言い出す可能性は常にあるわけです(笑)。で、そういう流れになると大変困る。テキトーに応えたり受け流したりすると嫌われる可能性が高いわけですから、積極的に会話を盛り上げる必要すらあるわけです。

このジレンマを解決するには、「血液型性格診断の不合理や不倫を説得すべきだ」とか、それがダメなら「そんな奴なんか好きになるな」とか「別れてしまえ」という極論にしかならないわけなんですが、そういうふうにスッキリ割り切れたら誰も恋愛問題なんかで苦労しないわけで(笑)。恋愛関係においては、何を差し措いても相手に自分を好きになって欲しい、という理不尽な感情が絶対無二の動機となる場面があります。

恋愛なんかは極端な例ですが、人間の生にはいろいろな価値基準によって判断を迫られる局面というのが、無限の階調で生起します。それ故に、尊敬していた人がいきなり血液型の話題を振ってくるとか、大好きなあの子が血液型の話題で確答を求めてくるとか、そういう局面は幾らでもあるわけで、その場面場面で相手の何に価値を認めるかは違うわけです。

なので、大多数の人は田部さんの仰るような「自分がよしとしない事柄に決然と背を向ける」という対処が解決に成り得るとは見做さないでしょう。人間や人間の営みに認める多様な価値基準において、何を最重要視するかはその都度判断していくしかないことです。

主張を通すことで生じる影響によって何か不都合が出来する場合、田部さんがそれに価値を認めなくても、それに価値を認める人は幾らでもいるわけで、その価値観が間違っているとは決して言えないわけですね。そのような価値観の持ち主にとって田部さんの対処は、問題性の在処自体が違うということになります。

血液型性格診断それ自体が間違っているということよりも、それが「普通のこと」として蔓延していることが遙かに重大な問題だというのは、そういう前提のことだと思います。「普通のこと」として蔓延している以上、それを無邪気に信じ込んでいる人を一概に断罪したり切り捨てれば終わる問題ではない。さらには、訣別覚悟でそれを直接説得することが最善の対処ではない局面というのが幾らでもあるわけです。

たとえば皆さんが仰るように、血液型性格診断には差別的な側面があると思いますけれど、血液型性格診断を受け容れるからと謂って、その人が元々差別的な心性の持ち主だということにはならないとオレは考えています。まず、「普通のこと」だから受け容れるというプロセスがあって、受け容れた「普通のこと」に内在する差別性がそれを受け容れた人に無自覚に差別を行わせる。

こういう構造が、否応なくダブルバインドを迫ってくる局面がごく普通に存在するのですから、そのような構造自体を拒絶するというのは一つの解法ではあります。しかしながら、大多数の人々は、それを拒絶すると決して得られないものにこそ大きな価値を見出していたりするわけで、人間の社会というのは常にこういう矛盾や不合理を内包しつつ持続していくものでしょう。

そういう前提において、「蔓延」ということが問題になるわけで、「普通のこと」を受け容れるのは普通の人々にとってごく普通のことであるというトートロジーが成立します(笑)。オレはこのような「普通さ」自体は否定しませんし、客観的に謂えば世界は普通の人々のものなのだから「蔓延」が問題になるのだと捉えています。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月 3日 (水) 12:06

内海さん、黒猫亭さん、今日は。

ポイントなのは、「差別では無いと”思っている”」、という所だと思います。差別だと気付いていない、というだけでは無く、「それは差別的なのでは」と問うと、いや、これはそうでは無い、と返されたり。
もちろん、信じ方というのも段階があるから、

---

……。

今テレビ観てたら、血液型話が…。@ミヤネ屋
さらっと出てくるなあ。

---

閑話休題。

信じ方には段階があるので、どこまでからはっきりと差別と言えるか、というのは、なかなか難しいですけれど、いや、そんなの差別では無いと、という風に傾くのは、非常に危険だと思います。血液型性格判断が本質的に差別の構造を含んでいるのは明らかな訳ですから。

私自身は、黒猫亭さんのお考えに近いと思うんですね。やはり難しい。割り切れない所もあります。
やっぱり、ネット沙代さんが仰るような、社会的認知みたいなものが重要になってくるのかな、と考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 3日 (水) 15:01

これは本人に直接聞いた話なのですけど、その人はかつてシナリオライターをしていたんですね。彼は、まず世界とキャラクターを先に創って、その世界の中にそのキャラクターを放り込んで勝手に動かせてみて、その様子(脳内妄想?)を観察しながらその世界とキャラクターに相応しい物語を見つけ出していく──という創作の仕方をしていたそうです。
だから、まずはキャラクターを創らなければならないわけですけど、凡人の想像力なんてたかが知れていて、いくつも創ってきてるとどうしても似たようなキャラクターばかりになってきてしまう──そんな時に、血液型性格診断や星占いの本などを参考にして、「あ、この性格使えるかも」とか「この世界にこんなタイプの奴がいたら面白いかな」とかいった感じで、キャラクターの方向性を決めていく事があったそうです。
そう言われてみれば、血液型性格診断や星占いの本などは、人間の性格やタイプを形容する言葉や修辞を集めた表現集として重宝するものなのかも知れません(笑)。

一応念の為強調しておきますけど、上の話はあくまでサンプル数1の話ですので、そういう人が1人いたという以上に敷衍して受け取らないで下さいね。

投稿: 田部勝也 | 2008年9月 3日 (水) 23:51

みなさん、こんばんは。

「差別」は私の個人的な興味のメインテーマなので、皆さんの意見交換を興味深く読ませていただきました。

TAKESANさんの言う「差別では無いと”思っている”」という感覚が比較多数の人々に共有されている状態が持続していることが、日本の差別に関する認識が深まらない理由ではないか、というのが、20年来の私の持論です。

例えば、
一部地域で言われている「在日外国人はケンカが強い」とか、
マスコミでコメンテーターが平気で言う「黒人はリズム感が優れている」とか、
誰も突っ込まずに済んでしまうから、初めて聴く人も「そういうことがあるんだ、私も言って良いんだ。」と思ってしまうわけです。

 先天的な違いや不可逆的な違いを言い立てて、さらにそれに優劣をつけることを差別といいます。

 その点では、ABO血液型による性格判断は、多くの場合AB型を差別する内容になっているようです。
曰く「二面性」、曰く「分裂型」、曰く「裏表がある」などなど。

 本を書く人、マスコミで話す人、などなどは差別に積極的に加担している、と気付いて欲しいものです。

 ところで「石橋」というタレントですが、若手として深夜番組に出演していた頃から、差別的な内容で笑いを採ることを得意にしていた人間ですから、「差別だ」と自覚しても変わらないでしょうね。
 こういうタイプの人については、自覚を求めるのとは別の対応が必要かもしれません。

投稿: 憂鬱亭 | 2008年9月 4日 (木) 00:07

>黒猫亭さん、他の皆さん

しつこいようですけど、何度でも繰り返しますが、私は「他人に同じ生き方を薦める気はないです」。
ただ、「“普通のこと”を受け容れるのは普通の人々にとってごく普通のことである」ならば、それを「普通のこと」ではないと心底切実に訴えたい人間はどうするべきなのか──という話です。TAKESANさんの言葉を借りるなら、「社会的認知みたいなものが重要になってくるのかな」という事ならば、その社会的認知を変えて行くために自分は何ができるのか、何をする覚悟があるのか──という話です。
だから、優先順位の問題として、それをするのに失うモノと得られるモノを秤にかけて、するかしない(もっと別の有意義な事をする)かを決めれば良いというだけの話です。その文脈で、私は自分の選択を紹介してみただけです。

かつて、技術開発者さんはよく「イノベーターとアーリーアダプター」の話をしましたよね(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1211820517#CID1211845135
ずっと昔、強い者が弱い者を支配し搾取し尽くすのが「普通のこと」だった時代に、「それが“普通のこと”だという世の中は間違っている」と断固立ち上がって磔の刑に処された人がいたわけです。たぶん今では多くの人が、強い者が弱い者を支配し搾取し尽くすのを「普通のこと」だとは思っていないでしょうけど、彼が立ち上がった頃は間違いなくそれが「普通のこと」だったし、彼に対して「貴方がそれに価値を認めなくても、それに価値を認める人は幾らでもいるわけで、その価値観が間違っているとは決して言えないわけですね」とか「そういう対処が解決に成り得るとは見做さないでしょう」とか「問題性の在処自体が違うということになります」とか揶揄する人はたくさんいたでしょう。
もちろん立ち上がった彼が根本的に間違っていたという可能性は決して低くはありません。そうであればきっと彼は少しの賛同者も得られないまま朽ち果て忘れ去られていくのでしょう。それは彼の選んだ人生です。おそらく人類の歴史上、そうやって立ち上がったほとんどの人は間違っていて、さんざん迷惑がられた揚げ句に笑い者として記憶されればまだ良いほうだったでしょう。まぁ、一種の賭けかも知れませんね。それが反社会的とか迷惑だとか無駄だとかいうなら辞めます。

あ、弁解しておきますけど、私は決して磔の刑に処された髭面の痩せ男に自分を投影して酔ってるわけではないですよ(と思う(苦笑))。黒猫亭さんのロジックが、不合理や不倫が「普通のこと」として蔓延している現実を、分かったような顔をして黙認し諦観する良い便法でしかないように感じたので、ちょっとイラついただけです。私は単に現状を愚痴りたいだけの人ではないという前提を共有できていなかったようなので。

投稿: 田部勝也 | 2008年9月 4日 (木) 00:09

田部勝也さん、憂鬱亭さん、今晩は。

田部勝也さんと黒猫亭さんのやり取りは、終了です。よろしく。

------

差別は難しいです。
違いがあるかどうか、という面では、それはあり得る事で、調べれば判るものですよね。で、もし違いがはっきり判明したらどうするか、という所が問題。kikulogでもありましたね。違いはあるかも知れなかった。調べたら無かった。でもこれは、無かったからどうだ、という事では無くて、もしあったとしても、当然差別はしてならない。グールドの本の内容が例に出されていましたね。

実際、私自身、まだ色々考えている最中である、と言えます。人間社会において最重要の問題ですからね。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 4日 (木) 00:49

>TAKESANさん

>>田部勝也さんと黒猫亭さんのやり取りは、終了です。よろしく。

諒解致しました。おそらくこういう成り行きになるだろうとは予想しておりましたから、田部さんのご意見に対しては反論を想定しておりません。寧ろ適切にジャッジして戴いて有り難く感じます。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月 4日 (木) 01:18

意見に相違があって、時には感情を込めたやり取りをするのは、有意義であろうと思います。しかし、このブログの方針として、そういうやり取りはあまり好まないので、ご理解頂ければ幸いです。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 4日 (木) 01:33

社会生活の中で、ビリーバーと如何につきあっていくかというのはopen questionですね。特に社会の隅々にまで浸透している血液型性格判断の場合は厄介です。とはいっても、これはall or noneの話でもないので、「自分の姿勢は崩さないという方向性は念頭に置きつつ、その場その場に関わってくる色々な価値観を考慮した上で自分が最も適切と判断した対応をとる」というのも一つの方法ではないかと考えています(無能な官僚の無内容な答弁みたいですが)。

仮に血液型性格判断を是としない人がとりうる姿勢を荒っぽく次の4段階に分けたとします。
(1)非科学性・差別性を問う姿勢
(2)嫌い・下らぬとする姿勢
(3)興味を示さないという姿勢
(4)関心を示すポーズをとる姿勢

例えば彼女の歓心を買いたいと思っている人が常に(4)の対応をとらないとうまくいかないかというと必ずしもそうではないでしょう。もっと上位の姿勢をとりながら、血液型の話に対する興味は失わせた上に、こちらへの関心も高めるなんて高等戦術も、時と場合によったら可能かもしれません。空気の読み方や話術、さらにはパーソナリティーや度量までが問われる面倒くさい話だとは思いますが。

ということで、社会生活上の種々のしがらみから生じる別の価値判断基準も加味しながらも、上の例でいえばできるだけ上位の段階の姿勢を維持するためにどうしたらよいかを色々考えてみるという、まあ、きわめて当たり前で地道な対応も重要なのではないかと。ともかく手放しで譲歩することだけは避け、何とかその場に応じた工夫を試みる。それを積み重ねていくことによって、少しは現状よりましな雰囲気が醸成されていくのではないかと思います。

(すみません、タイミングを逸して寝ぼけた話になりましたが、以前から漠然と考えていたことです)

投稿: ネット沙代 | 2008年9月 5日 (金) 11:42

ネット沙代さん、今日は。

これって、水伝を信じていたり、ゲーム脳を信じていたりする人とどうコミュニケーションするか、という、ニセ科学一般に共通する問題なのですよね。信じていると一口にいっても、それには様々な層のようなものがあるでしょうから、そこも考えなくてはならないと思います。以前、こんなエントリーも書きました⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_7641.html
水伝の反証実験をしてもいいのではないか、と考えていた頃ですね。

人間関係というのは、時々刻々状況が変わっていく複雑な現象なので、難しいですよね。でも、仰るように、変わるからこそ、色々なやり方も考えられると思います。私がよく、万能包丁は無い、と言うのも、そこら辺を念頭においています。

投稿: TAKESAN | 2008年9月 5日 (金) 13:02

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