« 木刀 | トップページ | ゲーム性 »

2008年7月12日 (土)

上達の過程と体幹主導系

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: マッサージ屋さんの熟達化

興味深い記事。

上達論・学習論的に見ても、身体運動論的に見ても、とても面白いです。

 マッサージとは「手で押して」はならないそうです。「体」を使って、垂直方向に押さなくてはならない。そうしないと、患部の深いところまで到達しないのだそうです。

これは、手指や肘・肩関節が先行して運動するのを戒める段階と見る事が出来ます。武術にも、手を使うな、という教えがあります。腕の関節を使ってしまうと、力の方向も安定しないし、重みを使う事も出来ない訳ですね。相手の身体を土台にして自分の身体を動かしてしまう、なんて事もあるのでしょう。大切なのは、体幹主導で使う事。肩から先は、棒のようにする訳ですね。肘や手首は固定して、力は体幹等の変形で生み出す。

ただ、注意すべきは、「固定」という意識を強く持たない事。固定という意識はともすれば、身体運動、この場合には、手首や肘の関節を、周りの筋肉を収縮させる事によって固定する、という方向に誘導してしまいます。これは良くありません。ですから、肘や手首がぎりぎり折れ曲がらない最低限の筋収縮によって固定する訳ですね。空手の柳川昌弘氏は、このような身体の使い方を、「受動筋力を使う」、と表現されています(これはなかなかに上手い表現だと思います)。言及先の、マッサージの上達過程の内2年目から3年目が、この段階へ進むプロセスなのでしょう。

上にも書いたように、重要なのは、体幹部の運動を先行させ、四肢はそれに従うように運動させる事。これを高岡英夫氏は、「体幹主導系(被制御体幹系)」と概念化しています(高岡英夫 『究極の身体』参照)。

剣術では、いかに剣が美しい軌道を描くか、というのを目指して振ります。そうすると、肘や手首をごちゃごちゃ動かしてはいけない訳ですね。最初の段階では、肩から先は棒のようにして、使わないようにする。それで、体幹や肩甲部の運動を促すのです。それが出来るようになれば、今度は肘や手首の関節を、より合理的に剣が運動するように微細な操作をすべく働かせるのですね。

また、剣の突き等の鍛錬とも繋がります。上のマッサージの例でもあったように、単に手や腕で押し込もうとすれば、自分が後に動いたりするんですよね。突きは、色々な物体が集合したものを刃物で刺し貫く技です。紙を破るのとは訳が違います。エンジンが止まっている車を押すような事をイメージしてみて下さい。肘や肩でえいっ、とやった所で、びくともしませんよね。全身を用いて、腕は力を伝達させるようにするはずです。突きも、それと似ているんですね。(で、その理合のまま、剣を無手にすれば……解りますよね。)

いきなり話は飛びますが、現代人は、このような身体運動が乏しくなっていると、私は推測しています。ロジックとしては、道具を用いるのが少なくなった事や、移動手段に徒歩があまり選択されない、というのがあると考えています。生活様式が身体運動構造を規定する訳ですね。尤も、この観点で実証研究がなされているという話は聞いた事が無いので、あくまで推測的ロジックですが(高岡氏の論に倣っています)。もしこの観点から、色々な文化ごとの傾向が判明すれば、有意義かも知れませんよ。日本のスポーツ界とかにとってもね。

後、身体運動と心理状態との関係、という観点もありますが、推測の積み重ねは、あまりやり過ぎるとちょっと危ないんで、この辺で(齋藤孝氏になっちゃう)。

※一応、ロジックだけ出しときましょう。

体幹系の運動の不足(四肢主導系)→体幹部の筋肉等の組織の硬直(わざとこういう表現にしてます。医学的には色々な専門概念があると思います。高岡氏的には、「拘束」が身体に現れた状態、といった所でしょう)→体幹部の硬直時の生理状態が心理学的影響を与える

と、こんな感じ。まあ、肩凝りが心理的に影響を与えるというのは誰しも実感する所でしょうから、その延長、あるいは一般化、とでも考えて下さい。

参考文献

究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 木刀 | トップページ | ゲーム性 »

「武術・身体運動」カテゴリの記事

「科学論」カテゴリの記事

コメント

何処に作用点を持っていくかということで,固定の意味だと思うのです。武器と一体化するにはリジットな固定では,駄目なのだという気がします。それでは固定しているjointing pointに逆に強力な反作用が生まれてしまう。
 例えば拳で相手の内臓深部に加撃を加えようとすると,相手のプロテクターである筋肉や骨をこちらの拳の延長としての武器として一体化するように打つ,そういうイメージがあります。拳と相手のプロテクターと反発させてはいけない。それで,体内に浸透する拳を打ちます。
 マッサージが同じ要領だというのも分かります。「気を使って」(正確には勁を使って)一打ち,師の見よう見まねで打ち込むと,事故でずっとマッサージしていてもほぐせなかった女性の肩こりを一発で解消できたときに,ああ,これなんだと理解できました。

投稿: complex_cat | 2008年7月12日 (土) 09:48

ああ、私は無手の打撃技を主とする武術では無い(当身は仮当て)ので、大変参考になります。

▼▼▼引用▼▼▼
をこちらの拳の延長としての武器として一体化するように打つ,そういうイメージ
▲▲引用終了▲▲
これ、結構秘伝レベルのような。いや、中国武術ではそうでも無いのかも知れませんけれど、ぶっちゃけ、目から鱗です。
お陰様で、打撃の際のイメージの手掛かりが得られました。嬉しいですね。このありがたみは、知らない人には全く解らない(笑)

日本武術だと、剣を持つ事が一種の拘束になって、体幹の運動を促すという作用があるのだと思います。ただ、ガチガチに固めてもある程度の事は出来てしまうので、結局、力を抜くには、強烈に意識していかなければならないですが。

投稿: TAKESAN | 2008年7月12日 (土) 12:12

>中国武術ではそうでも無いのかも知れませんけれど

いえ,表演武術をやっている人には,自分には無関係で,興味もないという方が普通だと思います。

 表演というジャンルが存在しますし,関わる方の価値観も多様です。私の関わった師のように,金的ありの組み手をするなんぞ(稽古をつける人のべらぼうに高い力量が必要です)気○い沙汰だというのも普通かも。

>ガチガチに固めてもある程度の事は出来てしまうので、結局、力を抜くには、強烈に意識していかなければならないですが。

力を抜くというのも,現象の定義が難しいですね。本当に全ての力を抜いたら,何も出来ませんので。
「必要な筋肉だけを使って制御された動きが出来る状態」が,それなのかも知れません。

投稿: complex_cat | 2008年7月12日 (土) 13:30

なるほど。

中国武術に言う表演のようなものは、日本武道にもありますね。大きな声ではいえませんが。

実は、脱力に関しては、明確な定義を持っています。高岡氏に倣ったもので、こちらで論じた事があります⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_3056.html
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_49c6.html

高岡氏は、「積極的脱力」や「動的脱力」という概念を出していますね。つまり、「適切な筋収縮」が「脱力」概念に含まれるという定義で、バイオメカニクスにも矛盾しない見事な定義だと思います。

で、この定義を行った後は、「適正な筋収縮の配分(使用筋配分。これも高岡氏による)」とは何か、という所を解明する必要があります。ここで、各競技の構造の分析が重要になってくる訳ですね。競技においてどのような身体運動を行うのが最も合理的か、というのを考え、それにはどのようなバイオメカニクス的メカニズムが必要か、というのを解析する。そして、それを体現していく、という。

投稿: TAKESAN | 2008年7月12日 (土) 13:49

追記ですが,ご注意いただきたいのは,これは私の勝手な言語化なので,正確なのかどうかは分からない部分があることです。少なくとも秘伝レベルではないです(笑)。

 ボクサーのグローブは,相手の軀と接触〜一体化するジョイントとして機能するには非常に良くできているので,危険ということです。重い浸透するパンチが打てるようになっている人は,同じことをやっていると思います。グローブ危険さは接触時間が長くなるのでぶち込まれるエネルギーが大きくなると云うことで説明が可能ですが,結果的に相手の筋肉などのプロテクターを手の延長として,深部にダメージを与えるということでもあると思います。相手の力も体も,全ては,自分のものにしてしまう。
 いささか情緒的ですが,私は,妙なことにそこに「愛」を感じてしまいます。
 
 もちろん,これは,ある程度力積が大きいパンチ(発動時間が長い)が打てないと無意味です。まともな発勁を食らったことのある人はそんなにおられないと思いますので書きますが,数メートル飛ばされる間,自分に食い込んでくるものは凶猛でしかも時間が非常に長く感じられました。
 受けるときに,頑丈なプロテクターを使っても,呼吸法を使わないと,人によっては衝撃で呼吸が止まったままになったりします。
 こう云うテストは,相手の力量を見て威力を変えたりするのですが,私は,初対面でいきなり飛び後ろ回し蹴りをその場にあったプラントをなぎ倒すように師に食らわせようとしたので,皮肉でなく大変師に気に入られて,相当にキツイのを食らいました。
 食らっている最中は,永遠とも思えるというと少し大げさですが,それまで打突系で受けた攻撃のいかなるものとも質が異なる時間でした。同時に師の愛を感じました。そうでなかったら多分,プロテクターの上からとはいえ,ただでは済まなかったから。

投稿: complex_cat | 2008年7月12日 (土) 14:19

大変興味深いです。

私は打撃系の武術の人間では無いので、実感としては解らない所もありますが、体験を元に言語化して頂くのは、とても貴重な情報です。

それにしても、
▼▼▼引用▼▼▼
初対面でいきなり飛び後ろ回し蹴りをその場にあったプラントをなぎ倒すように師に食らわせようとしたので
▲▲引用終了▲▲
これはなかなか。植芝翁に本気で掛かっていった塩田翁のエピソードを思い出しました。

投稿: TAKESAN | 2008年7月13日 (日) 02:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/22230631

この記事へのトラックバック一覧です: 上達の過程と体幹主導系:

« 木刀 | トップページ | ゲーム性 »