« 秀夫天才 | トップページ | にゃウンド? »

2008年7月29日 (火)

「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話

PSJ渋谷研究所X: 「原理がわかってないと科学的と言えない」という誤解と、「原理はわかってなくてもいい」の不十分さ

凄く面白いので、是非読んで下さい。

実は私も、科学的であるとは、必ずしもメカニズムが解明されている事を意味しない、というのを知ったのは、せいぜい2年くらい前だったりします。このブログを作った最初の頃のエントリーを見ると、「メカニズムの解明が重要」というフレーズが、結構出てきます。

それまで、心理学の教科書とかで、「統計の所だけ飛ばす」という、馬鹿丸出しの事をしてたり。だから、統計学の勉強を始めて、まだ2年も経っていません。統計って、料理で言うと包丁のような役割のものなのにね。

私が統計的方法の重要さに気付き、勉強しようと思ったきっかけは、ニセ科学論と、治安悪化言説についての反論に興味を持ったから、ですね。治安悪化論はまさに、集団の傾向がどうなっているか、という問題ですし、ニセ科学論では、血液型性格判断や、薬が効くかどうか、という所で、臨床的方法や疫学的な観点が必要になってくる訳ですね。そういう所から興味を持って調べていって、実験科学において再現性を確認するというのが、きちんとした実験計画に基づきデータを採り、それを適切に処理して行うものである、というのも解ってきた。社会心理学なんかで、ある属性を持つ人の傾向がどうだ、と言う場合も、統計的方法によって相関関係を見ているのだ、という事が解った。

上にも書いたように、科学における統計的方法というのは、料理における包丁のようなものだと思います。分野によって、適用する統計解析の方法は違ったりする訳ですが(食材によって、出刃・薄刃・柳刃等の包丁を使い分ける、ようなもの)、包丁(もっと一般的には刃物だけれど)を使わない料理(体系)が無いように、実証科学においては、統計的方法というのは、欠いてはならないものだと思います。また、現に「使われている」訳だから、ちゃんと使えているかを確認するためにも(切り口は綺麗か、形は揃っているか、目的の料理に適した切り方か)、その「使い方」を、知っておくべきでしょうね。これは、それまで等閑にしてきた者として、「痛感」しています。

中には、材料を雑に切り刻み、素人には解らないだろうと高を括って料理を出すが如く、データを不適切に処理し、実証されただの効果が得られただの、と触れ回る者がいる訳ですしね。それをある程度見抜くためにも、科学的方法に関心がある人は、使い方を心得ておくべきでしょうね。

よく知らない人に、「メカニズムは必ずしも解らなくて良い」、というのを説明する際には、「だが、統計的方法を用いてきちんと厳しく評価されねばならない」、というのを教えるべきなのだと思います。

一応補足。

メカニズムが解らなくても良い、というのはもちろん、科学はメカニズムの解明を企図するものでは無い、というのを意味しないです。現象の構造を分析し、その論理を解明していくのは、科学の本質的な意義の一つですから。ただ、問題を見る場合には、層を考えなくちゃならない訳ですね。どのようなレベルで現象を説明するか、という。それが、薬が効くか否か、という現象であった場合には、(生化学的論理を踏まえつつ)作用帰序はブラックボックスでも構わないから、薬を実際に与えて効果が出るか、というのを調べるのですね。もちろん、心理学のように、メカニズムに関する仮説を立てて、それを検証するために、刺激と反応の関係を見る、という方法もあります。

|

« 秀夫天才 | トップページ | にゃウンド? »

「科学論」カテゴリの記事

コメント

さっそくの言及、どーもです。あんまり早くて、昨夜びっくりしました(笑) ブクマコメントも感謝。

統計の勉強、まだしてないんですよぅ。ていうか、ちゃんと取り組もうと思うと、勉強しないといけないことが多すぎて、へこたれています。軽いサイフを抱えて討ち死にって感じ。
だもんで、あちこちのネット上の議論には、本当に助けられています。いや、いい時代になったもんだなあ。もっとも、ぼくは要領が悪いので、その分、本を読む時間が取れなくなっていて、なんというか自分の業界の首がしまっている実感もひしひし。

そうそう、さっき気づいたのですが、いただいたトラックバック、記念すべき100個めでございました(笑)

投稿: 亀@渋研X | 2008年7月29日 (火) 10:23

亀@渋研Xさん、今日は。

アップされてすぐ気付いて、途中まで読みながら、言及しようと決めたのでありました。凄く重要な所ですしね。

一番良いのは、統計を知っていて、遠慮無く訊ける間柄の人に、訊く事でしょうね。私は100%テキストでの独学ですが、やっぱり効率は良く無いです。

(お勧めは、大村平 『数字のトリック』 大村平 『統計のはなし』)

 >記念すべき100個めでございました(笑)

おお、これはラッキィ。

投稿: TAKESAN | 2008年7月29日 (火) 12:15

こんにちは、皆さん。

作用機序が分からなくても科学的と言えることはあるから、作用機序不明=ニセ科学では無いんだけど、ただ私みたいな技術屋にしてみると、作用機序の解明こそが、実用化の上で一番の近道になるという事は良く経験してきたわけです。だから、作用機序の解明に意識が向かう方が損得勘定で得であって、それでもどうしようもない部分が「損を承知で作用機序不明だけど科学的」になっていると思うわけです。

例えば私は「耐食性の高さでもてはやされる材料の中の不純物の分析法」なんてのをやっている研究室にいたのね。本質的に矛盾があって、耐食性が高いってのは要は薬品にも強いわけです。でも微量成分の分析をきちんとしたければなんとか薬品で溶かさないと測れない。という中で「こうやったら溶けました」をやってきた訳です。溶けるメカニズムなんて本当の所は分からない面も大きいけど、皆、必死になって「こういう酸化が起こって酸化した部分が加水分解して」とか或る程度の絵を描こうとしてきたのね。絵を描いておくと、「こういう材料なら溶けるけど、こういう材料だと工夫しないと溶けないかも」とか、さらなる難物に出会ったときに考えることができるし、「こういう成分が入っているけど溶けるかな」なんて聞かれても、「今はこういうメカニズムだろうと思っていて、それならその成分は大して邪魔しないんじゃないかな」とか先に考えることができるよね。まあ、どのみちやってみるしかないんだけどね。

なんていうかな、作用機序の解明というのは、その後の進展をするためにはキーポイントであって、できるならやっておくのが一番の近道なんですね。そのことは忘れないで欲しいわけです。それをやらなないのは、できない場合だけで、「回り道を覚悟でやる」事だという事ね。

投稿: 技術開発者 | 2008年7月30日 (水) 18:10

技術開発者さん、今晩は。

車の両輪、と言うと、いかにも「解りやすい」たとえですが、実際その喩えが適切で、それまでに集積された知識の体系がある訳ですから、そこからメカニズムを考察する、というのはとても重要だと思います。
一応、「補足」の部分で、念を入れたつもりでありました。

最近のムペンバ効果にまつわる議論なんかも、両方からのアプローチで考えられたようにも思います。

仮説の構築・修正・破棄と、それを確認する実験・観察の方法が、互いに補い合って、現象の構造を解明していくのかな、と。一般論過ぎて当たり前な感もありますが、一般的な事は、重要で、忘れられがちでもありますね。

投稿: TAKESAN | 2008年7月31日 (木) 01:20

亀レス、雑談モードで失礼します。

「原理がわかってないと科学的と言えない」という誤解と、「原理はわかってなくてもいい」の不十分さ

この話を読んでふと頭に浮かんだのが「タネがわかってないとインチキとは言えない」という、超能力ビリーバーが言いそうな言葉です。これは上記と比べて微妙に紛らわしいロジックだと思いますがどうでしょうか。

ジェームス・ランディーというマジシャンが、超能力の存在に100万ドルの懸賞をかけた話は有名ですが、いまだ賞金を獲得した人物がいないということは、彼にとってタネの想像もできないような現象は今までなかったということだと思います。

でも、世の中広いですから、もし天才的なアイデアマンがいて、きわめて独創的な(マジックの)原理をあみだし超能力と詐称して、ランディーにもそのタネがわからなかった場合、彼はどういう立場を表明するのだろうと疑問に思ったことがあったので、上の言葉が頭に浮かんだわけです。

投稿: ネット沙代 | 2008年8月 6日 (水) 08:56

ネット沙代さん、こんにちは。
エントリ〈「原理がわかってないと科学的と言えない」という誤解と、「原理はわかってなくてもいい」の不十分さ〉をお読みいただけたようで、ありがとうございます。

おもしろいご指摘だったのでコメントを書いていたら、長くなってしまいましたので、自分ちに投下しました。よろしかったらご覧ください。
http://shibuken.seesaa.net/article/104282456.html#more

投稿: 亀@渋研X | 2008年8月 6日 (水) 12:30

ネット沙代さん、こんにちは。

>もし天才的なアイデアマンがいて、きわめて独創的な(マジックの)原理をあみだし超能力と詐称して、ランディーにもそのタネがわからなかった場合、彼はどういう立場を表明するのだろうと疑問におもったことがあったので、

その場合は、「超能力かもしれない」と表明してもらいたいですね。そうでないなら、ランディーもかの火の玉教授と同類かと落胆するでしょう。
例えば、私程度の人間ならタネが分からなくても、現在の科学的知見と矛盾するのでタネがあるのだろうと推測するのが常識的判断ですが、ランディーのみならず世界中の誰一人としてタネが分からないなら、ひょっとしたら科学的知見を修正すべき大発見という状況かもしれません。マジックであるという前提で考えているので、違和感があるだけのことで、自然現象なら修正を考えるでしょう。自然現象を観測して、現在の知見と矛盾した結果を得たのなら、普通は観測の不備などを疑うのが普通です。しかし、世界中で追試して、誰一人として不備が分からなかったら、現在の知見の修正を考えてもおかしくは無いでしょう。

要するに、明確なニセ科学の領域ではなく、グレーゾーンの未科学の領域になっていると思います。ニセ科学と言うのは、マックロな簡単に分かるインチキのことだと思います。

仮に本当の超能力ならそれはそれで大発見だし、タネがあったとして、それほど高度で独創的ならば十分賞金に値すると思います。

投稿: zorori | 2008年8月 6日 (水) 13:02

ネット沙代さん、亀@渋研Xさん、zororiさん、今日は。

面白いトピックですね。

ランディが、自分が見破れなかったら賞金を出す、と言って行っているのは、極めてパフォーマンス的・デモンストレーション的なものですよね。インチキ超能力者を撃破し、それを世間に知らしめる、という、とても戦略的な方法。
これは、ランディが見破れなければ100万ドルもの大金が獲得出来る、という部分が効いていて、いかにもそれ自体がエンターテイメントとして機能している、という見方も出来るでしょう。

それで、仮にランディが見破れなかったとしても、科学的・論理的には、「超能力の存在証明」にはならない訳ですね。ランディが見破れなかっただけで、トリックが否定出来なかった事にはならないから。
しかし、超能力を信じている、信じかけている人は、そんな所はお構いなしで、ほら見た事か、ランディが見破れないのだから、それは超能力に違いあるまい、とまくし立てるでしょう。
これは、ランディの戦略のリスクですね。そういうリスクを認識しながらその方法を用いているので、本来は、結構怖い。それでもやるのは、ランディの知識と認識力と自信の現れなのでしょうね。

ここら辺の所が、今でも超能力のある無しの論争が収まらない理由なのでしょう。仮に、徹底的にトリックの可能性を排除した条件で実験を行い、超能力を示せなかった場合でも、「調子が悪かった」、「あいつはニセモノで他に本物がいる」、「実験者の意識が失敗させたのだ(羊―山羊効果)」などの言い訳が出来るし、もし見破れなかった場合には、実は実験デザインに不備があったのだ、とか、トリックを見逃してしまったのだ、という言い訳が出来る。遠当て実験のエントリーでも同じような事を書きましたが、この手の論争には、本質的にこういう難しい問題が付きまとっているのだと思います。

実際には、羊―山羊効果を主張する人は、論証の機会・可能性を放棄しているので、相手にする必要はありませんし、もし超能力があるなら、安定して同じ結果が出て(再現性)こなければならない訳ですが。もちろん私は、透視やサイコキネシスは無い、と言い切る立場です。それが無いと言い切れるくらいには、科学はものを解っているので(残念な事に、ここら辺が突っ込まれ所だったりするのですが)。
もちろん、基本的に、zororiさんの見解に賛同します。それが、健全な懐疑的姿勢、というものだと思います。(直前の文と矛盾するようですけど、矛盾しないんですねえ、これが。)

投稿: TAKESAN | 2008年8月 6日 (水) 13:15

山羊―羊効果、でした。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 6日 (水) 13:20

私の友人に相当マニアックなマジック研究家がいるのですが、彼に言わせると「マジックほど知的で合理的な趣味はない」のだそうです。なぜならマジックというのは「合理的な方法で非合理の現象を生み出すアート」なので、どういう合理的な方法をとるかということは大きな研究対象であるそうです。さらに、ある非合理現象を生み出すための合理的な方法は何通りも考え得るのだそうです。

ですから、まず合理的な説明を選択しようという、オッカムの剃刀の原則に照らし合わせれば、説明亀@渋研Xさんがブログで述べられている「(A)超能力を持ち出さなくても説明が可能であることを示す実演」でほぼ十分なのだろうと思います。そして、現状では何通りもの方法論どころか、ランディーが第一に示した方法論さえも否定できずにドロップアウトしてしまう自称超能力者ばかりなのだと思います。

それともうひとつ、友人の知る限りでは、今まで世に出てきた超能力現象は、マジックの観点から見るとあまりにも稚拙で不思議でないものばかり。ところが、マジックの世界では、マジシャンでも簡単にはタネの推定がつかない不思議な新作がしょっちゅう新しく出てくるのだそうです。

ということで、上の「ランディーにもそのタネがわからなかった場合」には、マジックである可能性の方がきわめて高いであろうと私は思いますので、仮に私がランディーならこう言うでしょう。
「私の考え得る方法論はすべて否定されたということであって、今のところそれ以上でも以下でもない。もう一つ言わせてもらえれば、世の中には私にも考えつかないすごいアイデアを持ったマジシャンがいるものだ」

まあ、そうはいっても100万ドルの方は払う必要がありそうですが。

投稿: ネット沙代 | 2008年8月 6日 (水) 14:52

こんばんは。

ランディーはマジシャンなので、その意図も科学者とは違うかもしれません。ネット沙代さんの仰る通り超能力者の芸は程度の低いマジックであり、そんな芸でも超能力者と称すれば商売になるのが許せないのかもしれません。従って、マジックの素人が考えるほどランディーは危険な賭けをしているのではないということも考えられます。万が一、見破れないようなマジックを見せられたら、ランディーはマジシャンとして相手を称賛し、負けを認めるのであってほしいです。

ところで、タネは分からなくても間違いと言える例としては永久機関があります。実際私レベルではその間違いを指摘できないものがあります。しかし、エネルギー保存則から間違いであると判断できます。また、仕掛けが分からないというのは理屈上のことで、現物を作成すれば、動かないわけですから、実験で間違いということもできます。ところが、ランディーへの挑戦は実演つまり実験で行うわけです。永久機関を実際に実験してそれが動いて、トリックだと誰も指摘できないのであれば、エネルギー保存則を疑う必要もあろうというものです。そんな事態があるとはほとんど思えませんけど。

投稿: zorori | 2008年8月 6日 (水) 20:40

 ランディのサイキックチャレンジに対して、若干の誤解があるのかもしれないと思ったのでちょっとだけ。

 ランディはサイキックチャレンジにおいて、基本路線として種を見破るようなことをやっていません。つまり、ランディに種が見破れるかは、あまり本質的な点ではありません(環境の設定に影響を与えるので重要ではある)。

 単に、マジシャン的な視点からトリックの行えないと考えられる状況を用意した上で、普通の方法で(例えば二重盲検をしたり、統計的に偶然ではまず起こらない条件をクリア条件に設定したり)試験しているだけです。

 さらに言うと、予備試験と本試験があって、予備試験をクリアした例もないとのことです。

 内緒の話ですが、サイキックチャレンジを「全くの偶然」でクリアする可能性はジャンボ宝くじの1等が当たるより非常に高い確率なんですよね…確か。

投稿: lets_skeptic | 2008年8月 6日 (水) 21:06

lets_skepticさん、今晩は。

>皆さん

私が興味深い所だと思っているのは、ランディの態度そのものでは無く、周りの人々が現象についてどう認識するか、という部分ですね。

ランディへの期待が高ければ高いほど、あるいは、ランディに敵愾心を持った人なら尚更、もしランディが敗れれば、本当に超能力があるのだろう、と周りは考えるのではないかな、と。ランディの態度や科学的にどうか、という所より、社会的にどうか、というのが興味深いです。

宝くじは、一等の当たる確率が低すぎますね。
前にkikulogで話題になってましたけど、確か、そこで話題になってた番組での条件をクリア出来る確率は、二百数十分の1とかでしたね。物凄く高いですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 6日 (水) 22:36

lets_skepticさん、おはようございます。

>ランディはサイキックチャレンジにおいて、基本路線として種を見破るようなことをやっていません。

その通りですが、それはマジシャンとしてのルールに則っているからでしょう。

ランディは挑戦者に超能力を演じるにあたり「条件」を付けます。タネが分かっているから、どのような「条件」を付けたらよいか決められるわけです。タネは分かっても明かさないのがマジシャンというものです。

投稿: zorori | 2008年8月 7日 (木) 07:07

zororiさん、今日は。

あれ自体が、一つのエンターテイメントであるのかなあ、と思ったりします。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 7日 (木) 13:24

zororiさん:
>超能力者の芸は程度の低いマジックであり、そんな芸でも超能力者と称すれば商売になるのが許せないのかもしれません。

前述の私の友人の話によれば、マジシャンが超能力者を装って超能力現象を演じる場合、原理的には次の条件を守れば、信じる人が飛躍的に増えるはずだそうです。

(1)不思議すぎたり鮮やかすぎたりする現象は駄目
(2)手際よく演じないこと・時間をかけること
(3)完璧過ぎる結果は出さないこと・たまには調子が悪くて失敗したりすること

これらはマジックではしてはいけないことばかりです。鮮やかに演じれば「あれはマジックだ」と言われ、逆に、下手くそに演じれば「これこそ本物だ、マジックと違ってインチキではない」と思ってしまう、これが一般の信じやすい人々の反応なのでしょう。日頃から修練を積んでいるマジシャンにとっては、こんな不条理なことはないですね。

でも考えてみれば、マジシャンにとって、より巧くならともかく「より下手に」演じるのは簡単なことですよね。亀@渋研Xさんのブログに紹介されている「カルロス事件」の話もうなづけます。逆に、仮に自称超能力者がマジックを演じるとするなら、「より巧く」ですから非常に難しいでしょう。ユリ・ゲラーがまだマジシャンであった頃、マジックが下手なためイスラエルのナイトクラブをクビになった話は有名です。

投稿: ネット沙代 | 2008年8月 7日 (木) 18:42

ネット沙代さん、今晩は。

なるほど、それは、いかにも巧いテクニックですね。時折失敗する、というのが、何らかの能力を持っている事を仄めかす訳ですね。集中が上手くいかない、とか。マジックそのものとは異なる所の「騙す」コツがあるんでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年8月 7日 (木) 19:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/22620256

この記事へのトラックバック一覧です: 「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話:

» [ニセ科学]批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと [Skepticism is beautiful]
経緯*1 もとともは大槻教授が「ムペンバ効果」に対して行った批判*2がダメダメすぎるというところから始まりました*3。その反応として「機序が明らかではないことを全部拒否したら生活できませんよ? - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」というエントリが立ち、「い... [続きを読む]

受信: 2008年7月29日 (火) 11:11

» 思い出話とか [『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録]
 大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠さんは、不定期ではあるけれど「かわ... [続きを読む]

受信: 2008年7月30日 (水) 01:01

« 秀夫天才 | トップページ | にゃウンド? »