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2008年7月21日 (月)

読書感想文

個人的には、宿題で読書感想文をやらせるという意義が、今一つ解らない。

いや、そんな事を言ったら、宿題一般がそうだという話になっちゃいますけどね。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

いやいや、痛いお話です。
われわれ国語教師が読書感想文を書かせる動機にはいくつかのパターンがあります。

1 コンクールに出す。
 毎日新聞社主催のヤツがメジャーですね。
 あるいは地域で統一して学校が参加することになっていると、避けようもありません。

2 「本」を読ませたい。それも「良書」を。
 課題図書を数冊から100冊程度に指定して、読ませます。教員が複数で提案する場合には、それぞれの好みの本を挙げて、お互いの好みには干渉しません。

3 何でも良いから、文章を作らせたい。または書かせたい。
 とにかく文章を作ることを回避する生徒に、作る経験をつませたいのですね。

4 (恥ずかしいのですが)
 他に適当な宿題が思いつかない。
 宿題を出すのが一番簡単なのが読書感想文です。長期休み前で忙しいときに、宿題を考えるゆとりがなければ、最適に思える宿題です。

 その他にもあるかもしれません。

 で、私、今回、2の意味で課題を出しました。
 課題図書には某文庫の100冊と、ジュニア新書、ブックレット、です。
 希望としては、ジュニア新書を読んで、小説以外の文章に対する感想を書く、という、小論文学習の準備のつもり、なんですが。

投稿: 憂鬱亭 | 2008年7月21日 (月) 20:42

憂鬱亭さん、今晩は。

こんなぶっきらぼうなエントリーにコメントを頂いて、恐縮です。

実は、最近小学生の間でも、WEBから切り貼りして持ってきて感想文だ、と言って提出する例がある、というニュースを見て、このエントリーを書いたのでした。

そこで出ていたのが、どこからコピーしてきたのかを調べる試みだったり、というので、それよりは、質疑で理解度を調べた方が合理的なのではないか、と思ったんですよね。

で、どこからか内容をぱくってきてそれを宿題の解答として出す、というのは防ぎようが無い訳ですが、それを考えると、感想文の意義云々と言うより、宿題そのものに含まれる問題だよなあ、と思った次第です。

実際は、どういう宿題を出すか、というだけでは無く、それをどう活用していくか、という事が重要なのでしょうね。

今はどうなのか知らないのですが、私が小学生の頃は、読書感想文=あらすじ でしたね。ページ数が多いのが優れた感想文→あらすじは文字数を稼げる→あらすじを纏める  という流れでした。それはそれで、「合理的」ではある訳ですね。歪んでしまっていますが。そういうダメな方向に行かないためにも、どういう指導者に当たるか、というのは大きい気がします。

投稿: TAKESAN | 2008年7月21日 (月) 21:26

 私は読書感想文が書けないコでした。

 意味がわからなかったんです。「読書感想」の。

 いやそりゃ、「かわいそうだと思います」みたいな「感想」はあるとしても、正直、私の感想は1行で終わるんですよ。
 だから「読書感想文」というのが、どういうものかわからなかった。

 で、結局、適当な本を持ってきてあらすじを書いて最後に1行「感想」を書いて終わってたんですが、自分でも「これってただのあらすじやん」と。

 中学の3年生くらいになるとそのへんの分別というか、先生がどういうのを求めてるかなんて智恵も働いてきて、「ああ、こういうのを望んでるのね」とは思えるようになったんですが、それでも他人が頭の中で作り上げた創作物に対して「登場人物はこういう気持ちだったと思います」なんて、馬鹿らしく(思え)て書けなかったです。そんな人(登場人物)、実際にはいないわけですから。
 例えその作品が創作ではなくノンフィクションだったとしても、それに対する「感想」というのはその事実に対する感想であって、その作品に対する感想じゃないだろうと、まあ当時はそんなはっきりと考えていなかったんですが、実感としてはそうでした。

 で、仕方なくやったのが、「この描写はうまい」とかでした。
 そしたら「それは感想じゃなくて評論ですね」と。(^O^)

 まあ何とかそれでOKとしてもらいましたが、それ以来「読書感想文」は書いていません。
 美術の時間に絵画展を指定されてその感想文を書いてこいとか、音楽の時間に何曲かクラシックの曲を聴いて感想書けとか言われたときはそんな引っかかりもなく書けたんですけど。……この違いは何なんでしょうね。(^^;

投稿: hietaro | 2008年7月21日 (月) 23:03

私もhietaroさん同様、一言で感想が終わっていてどうしようと苦しんだ口ですね(笑)

正直、私も小学生、中学生の頃は、ひたすらに粗筋を書き連ねたり、はたまた、やたらと遠回しな言い回しをすることに思いを馳せていた記憶があります(笑)
今考えると、「読書感想文」の何がつらいかというと、「原稿用紙○枚」というような規定が辛かった、というのを思います。結局、「面白かった」でも、「つまらなかった」でも良いのですが、その規定枚数にはどうしても足りず、そこへ至るまでどうやってマス目を埋めよう、という部分ばかりに目がいっていたのを思い出します(実際に、課題図書に「つまらなかった」と感想文はかけませんでしたが)
今になれば、先生の「感想文を書かせたい理由」は理解できるのですが、やっぱり課題図書が決まった上で「原稿用紙○枚」とかは辛いだろうな、と思います(^^;)


というか、実のところ、この時期、私のサイト、やたら「感想文」で検索してクセスする人の数が多いんですよね(笑)

投稿: たこやき | 2008年7月21日 (月) 23:28

やっぱり「感想」で原稿用紙を埋めようとするのは間違ってますよ。というより最初にこれを考えた人は生徒がこれをこなせるかどうかを考えたのかと聞きたいです。

>というか、実のところ、この時期、私のサイト……

サイトの内容からして感想(書評)が多いですからね。この時期PV数稼ぐには読書感想文の書き方を載せれば結構なPV数稼げそうですね。

投稿: アルファ | 2008年7月21日 (月) 23:51

私も「一行で感想が終わる人」でした.読書感想文に限らず作文全般がダメなんですけど(←現在進行形 orz).

本はよく読む子供だったんですよ.っていうか新聞から雑誌からそのへんに活字があったらとりあえず読む,くらいのかんじで.しかし,読んだら感想文を書かねばならないと思うと,まったくもって読む気がうせる.しかも課題図書って,つまらない本が多かったような…なんかもう,わかりやすく説教臭い,道徳の副読本みたいな…感想文を書くのがあまりに嫌だったために記憶が変容してるんでしょうか (^^;
そういえば小学生のときに,買い物の道すがら,何だったか読書感想文用のつまんなそーな本を買ってもらって,持ち歩いていたのに,家に帰ってきたときには何故か手ぶらだったということがあったなぁ…いや別に故意にどこかに置いてきたわけではないのですけど,気付いたらなかった.

というわけで,読書感想文は子供を本嫌いにさせるためにあるのです.
ついでに言うと,弁論文は不幸自慢をするためにあるのです.間違いない.

投稿: たかぎF | 2008年7月22日 (火) 00:50

高校の宿題で、一度だけ読書感想文がありましたが、私はクラスで唯一意地でも書かなかった悪い子でした。結局向こうは諦めまして、別の課題を出されましたが、先生にとっては面倒な生徒だったでしょうね。
まぁ反抗期というのもあって、半分、分かってやってましたが、書いても意味が見い出せない物を、納得も出来て無いのに書けないのも事実。自由に書ければ、まぁそれなりに楽しんで書けるとは思いますが、私は自分にブレーキをかけないとフリーダムすぎるので、書き直しさせられるのは目の見えてましたしね。

そんな面倒な子でした。ちなみに今は面倒な大人ですが。

投稿: 知己 | 2008年7月22日 (火) 01:27

皆さん、今晩は。

おお、こんなにコメントが。

>hietaroさん

そうそう、あらすじを書いて、自分はこう思いました、と取って付けたように書き加えるんですよね。結局、単なるあらすじになっちゃう。

学年が上がってくると、何を求めているか、という所を考えるんですよね。つまり、型みたいなものを作って、ウケを良くする、と言うか。

変な話、読書感想文は別にちゃんとやるようなもんじゃ無いよ、という学習もなされているかも知れません。それが、どっかから引っ張ってきて切り貼りする行為を正当化したり。推測ですけど、そういうのがあると、ちょっと困りものですが。
今の私だったら、短くても良いからちゃんと「感想」を書けば良い、と言うと思います。

小学生の頃は、「何枚書けたか」というのを競ってたりしましたね。

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>たこやきさん

この言い回しの方が文字数稼げるな、とかですよね。まあ、大学のレポートとかでもあったりする訳ですけれど(笑)

こういうのって、「今となっては理由は解る」んですね。大人になって、多少はメタになるから、子どもに何をさせようとしているか、というのは理解出来る。ただ、それをどう子どもにちゃんとやってもらうか、というのは、結構難しいかも知れません。私は、最も嫌いな時間の一つだったし…。

中二病的になると、こんなもんやってられるか、というダメな積極性が出てきて困りますね(経験者語る)。

今の時期だと、感想文でのヒットはバンバンくるでしょうねえ。タイトルが感想文ですし(笑)
でも実際、たこやきさんの文が使われる事があったりして…。

------

>アルファさん

読書感想文の書き方の指南とか、「正しい面接の方法」的な感じですね。ウケるにはどうするか、的な。うーん、形骸化しているって事なのかなあ。少なくとも私は、それについて詳しく論じた経験は無いですね。

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>たかぎFさん

書くために読む、というのが、やらされてる感たっぷりなのですよね。本は、それを楽しむために読むのであって。
尤も、柔軟な姿勢の先生方は、もっと幅広い対象の感想文を書いてもらう、というのを聞いた事があるような。

私は、何でも良いと思うんですね。興味を持った対象なら。それこそ、夢中になってるゲームの取扱説明書の解りにくさを詳しく論じる、とか。マンガの感想文でも良いですし、ゲームそのものの感想でも良い。何か創作物に触れて感じた事を表現するのですから、その方が良いんじゃないかな、と。
好きな歌手の歌について語る、とかだったら、原稿用紙がいくらあっても足りない、という人は沢山いるでしょうし。

▼▼▼引用▼▼▼
家に帰ってきたときには何故か手ぶらだったということがあったなぁ…
▲▲引用終了▲▲
それは多分、シンソーシンリですよ。ムイシキの仕業です。

私も、作文苦手なんですが、これはもしかすると、読書感想文が嫌いだったから、とか…。

------

>知己さん

ふっふっふ…。

別のエントリーに、こんな話を書いた事があります。

私、高校生の時、クラスで一人だけ、感想文の宿題を出さなかったんですよ。理由は、「こんなものやってられるか」。

別の所で、ウケが良さそうな感想文を書いてやれ、と思って適当に書いたのが、なんか評価されちゃったり。
困った人でした。

いや、今は、そんな困らせるような事しちゃいけない、と思っています。考えが足りなかったのです。変に反抗的な所があって。それより、課題の目的を捉えてきちんとやった方が、勉強になるでしょうし。反面教師にして欲しいです。素直さというのは、やはりある程度はあった方が良いですしね。私みたいな、猜疑の塊よりは。

投稿: TAKESAN | 2008年7月22日 (火) 02:39

わあ、読書感想文が苦手という人が、こんなにいるなんて。いや、多いということは知っていましたが。
ぼくは読書感想文とか作文は楽勝と考えている子どもでした。すいません。
なんか読んだりすると、とめどなくむやみにいろんなこと考えるんですよね。いまもそうですが。
で、書くことが純粋に楽しかったし。

あ、清水義範の作文の本、おもしろいですよ。何冊も書いているみたいですが、ぼくが読んだのはこれかな。
http://www.amazon.co.jp/dp/4150306184

投稿: 亀@渋研X | 2008年7月22日 (火) 05:37

実際、羨ましいです。
私は、文を書く事が嫌で、多分それがきっかけで、「読む」のも大嫌いになってしまって。物凄くもったいない事をしたなあ、と。図書館のカードとか、綺麗なものでしたし。

でも、親が持ってた推理小説とかは、よく読んでたんですよねえ。私の読解力とかは、マンガ・ミステリー・ゲーム で育てられたようなものです。

ちなみに私、作文・レポート・小論文をテーマにした本、多分一度も読んだ事無いです…。

投稿: TAKESAN | 2008年7月22日 (火) 12:38

社会派はともかく、本格ミステリなんて読書感想文には合いませんからねえ。(^O^)

投稿: hietaro | 2008年7月22日 (火) 13:37

私は、読書感想文のために、自分では読みたくない本を読むのが苦痛でした。どうせ同じ時間を使うのなら、自分の読みたい本を読みたかった。

投稿: Noe | 2008年7月22日 (火) 13:59

hietaroさん、今日は。

西村京太郎・森村誠一・和久峻三・赤川次郎 辺りでしたから、感想文書く図書としては、そぐわないかもですね。

投稿: TAKESAN | 2008年7月22日 (火) 14:05

Noeさん、今日は。

やっぱり、課題図書を設定したりで、(いわゆる)読書に限定すると、やらされてるという感じになるんですよね。マンガでもゲームでも良いから、という風にすれば良いのかな、と。

ああ、後、批判的な書き方を指南する、というのがあっても良さそうな気もします。私の時は、いかにも「大人が求めている」型みたいなものがあったような。
やっぱ、指導者の考えとか方針が重要かも。

投稿: TAKESAN | 2008年7月22日 (火) 14:09

こんにちは。
やっぱり皆さん、読書感想文に対しては言いたいことがいっぱいありますよねえ。

 一昔前の読書感想文は、「感動的な」小説を読ませてオトナ好みのウソっぽい感想を書かせる、というのが主流でしたね。
 その流れで、「走れメロス」の感想文を書き直させられた小学生が自殺して問題になったりしました。
 その小学生は「メロスはバカだ」といういかにもまっとうな感想を書いたのに、担任に書き直しを命じられたのです。

 最近の流れとしては、中学生以上では入試の小論文を意識して、「説明的文章」を読んで意見を書く形が増えてきつつあります。
 一方では昔ながらの感想文も多いのですが。

 いずれも、ネット経由のコピペが増加してきて、気がついている教員たちを悩ませています。
 気がつかない教員たちは「あの生徒がこんなすばらしい文章を!!」と無邪気に喜んでいますけど。

 ところで。
 赤川次郎の小説の感想文、かなり読みましたよ、仕事で。
 なかには、文庫本解説丸写し、という兵もいて、書き直しを命じたこともありましたね。

投稿: 憂鬱亭 | 2008年7月22日 (火) 18:44

憂鬱亭さん、今晩は。

私は、「やらされている」、「型を求められる」、という印象が、強烈に刻み込まれていますね。
感想文というのは、「好き嫌い(つまり価値観)」が少なからず入ってくるでしょうから、それをどう評価されるか、というのは、結構難しい問題のように思います。

▼▼▼引用▼▼▼
 気がつかない教員たちは「あの生徒がこんなすばらしい文章を!!」と無邪気に喜んでいますけど。
▲▲引用終了▲▲
なるほど。あまりネットに触れない人なら、そうなるかも知れないですね。そういう意味では、生徒達が一枚上手なのですね(もちろん、良い意味ではありません)。

赤川さんのは、普及の割合から言っても文体の感じから見ても、感想文は書きやすいのかもですね。

これは個人的な意見ですが。
今は、参照出来る情報が、十数年前と較べると、桁違い所では無いですよね。もしかすると、何千倍、という違いかも知れない。
と、そういう現状なのだから、どこからか持ってきて切り貼りしたかどうかを把握するのは、そもそも困難なんですよね。
とすると、何か本を読ませ、それについて感想文を書かせ、その感想文自体を評価する、という方法そのものが、成り立ちにくくなっているんじゃないかな、とも思います。
で、そういう考えから、本文に書いたような認識に繋がってくる訳ですね。

投稿: TAKESAN | 2008年7月22日 (火) 19:17

TAKESANさん、おはようございます。
リアルが、もう忙しくて、、、
なかなか自分のブログも更新できない日々が続いています。
が、
TAKESANさんのエントリー、興味深く拝見しています。
本当は、書きたいのですが、時間がないので、
以前、作文教室についてホームページを作ったので、URLだけ貼っておきます。
http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/sakusaku/3_1.htm
お時間のあるときでも、ご覧いただけると嬉しく思いますbook
では、書き逃げゴメン。
またね〜〜〜〜

投稿: せとともこ | 2008年7月23日 (水) 10:30

せとともこさん、今日は。

私は上で、作文の作法についての本は読んだ事が無い、と書きましたけれど、実は、小学校低学年の頃とか、自分が書いた作文を、こうした方が良い、と直された事があったんですよね、親に。そういう意味では、学習をしていたと言えるのかも知れません。

私は、せとともこさんが書かれているような、ディベート的なものが足りないんじゃないかな、と思っています。批判的コミュニケーションですね。批判というものが、論を戦わせるものである、というのを解らせるのも重要かな、と。
(余談:ブログやってると、戦闘的なコミュニケーションに関わる事もしばしばですね。これもディベートに似ているかも知れません。尤も、私のそちらのスキルは、武術的な考えが基礎になっているのですが。)

投稿: TAKESAN | 2008年7月23日 (水) 13:23

 遅ればせながら。私も、読書は大量にするけど感想文は大嫌いでした。あらすじまとめて最後に1行、のパターンばっかり。
 大量に読んでるからと、クラスから一人書けばいいってのが回ってきたときにやらされて、余計に嫌になりましたよ。
 何て言うか、自分の中の価値判断基準が定まらないと感想なんか持てないということです。それを小学生に要求するのが間違ってると、今では思ってます。
 ところで、授業の宿題で「この物語の続きを書け」という課題が出たときは大量に書きまくりましたね。あれは楽しかった。架空の登場人物に感情移入ができると、それで書けるものは感想文じゃなくて二次創作なんですよねぇ、実のところ。

投稿: apj | 2008年7月24日 (木) 00:22

思い出しました。私は小学生のとき、「ハマヒルガオの小さな海」
http://asunaro.bookmall.co.jp/search/info.php?isbn=9784751508626
の感想文で、「少年のとった方法では塩田を作ってしまう。結局、魚を殺すぞ、バカ」という主旨のことを書いたのでした。

投稿: かも ひろやす | 2008年7月24日 (木) 03:47

子供のころから作文が好きで感想文も苦手じゃなくておとなになっても自分ちで感想文を書き散らかしてるぼくはなんか相当少数派みたいですねぇ。

夏休み課題図書は「本を買ってもらえる!」と云うだけでうれしかったりしました。神戸市の小学校六年生の課題図書が「ホビットの冒険」だったときの喜びは忘れられなかったり。

投稿: pooh | 2008年7月24日 (木) 08:23

こんにちは。
私も「読書感想文は書かない派」でした(^^;)

小学校のとき、課題が自由だったので、カブトガニの生態で感想をかいたことがあります。出来上がった感想文が「カブトガニとはどのような生物か」という内容になったので、教師を困らせてしまいました。

中学時代は、SF関連の本を読むほうが忙しく、「課題の本なんて読んでられない」と書く気なし。

高校のときは、指定図書のリストが配られたのですが、リストにない本でも良いとも書かれていて、「宇宙のランデヴー」で書きたいと教師に進言すると、「SFはダメ」。代替案として選んだのが武者小路実篤の「真理先生」。右も左もわからない高校生には、なんでもない日常の描写がピンとこず。なんでもない日常の良さなんて、ある程度大人にならないとわからないですよね。

投稿: A-WING | 2008年7月24日 (木) 11:18

皆さん、今日は。

>apjさん

▼▼▼引用▼▼▼
授業の宿題で「この物語の続きを書け」という課題が出たときは大量に書きまくりましたね。あれは楽しかった。
▲▲引用終了▲▲
ああ、これは楽しいですね。マンガとかゲームとか小説とかの続きを考えたりオリジナルのキャラを考えたり、というのは、考えている最中も、面白くてしょうが無い。

確かに、感想文というのは、実は早いのかも知れないですね、小学生とかには。

------

>かも ひろやすさん

その種の感想文だと、どう評価されるんでしょうね。そこから、先生の姿勢が垣間見えるのかも。

前に書いたのですが、私は、『スイミー』で、魚が集まって巨大な魚を装って難を逃れるシーンを読んで、「前から見たら縦長の線みたいになって、魚には見えないんじゃないのか」、なんて感想を持ちました。そんなのを感想文として書いたら、なんて言われるんだか(笑)

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>poohさん

私は、本をよく読むようになったのが、高校を卒業した後、という物凄く遅い人なのですが、それまでは、とにかく読むのも嫌いだったんですよね。でも小説とかはちょこちょこ読んでいました。いわゆる「本」というものの、何か典型的なイメージがあったのかも知れません。それこそ、感想文の課題図書に選ばれるものや、古典の名作と言われるものなど。

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>A-WINGさん

 >「SFはダメ」。

こういうのを言われると、やる気が消え去りますよねえ。何でダメなの? って。意味解んないよ、となりますね。好きなものを否定されている感じで。

課題図書を与えるのなら、「感想文」というかたちにはしない方が良いのではないかと思います。感想文なら好きなものについて書かせるべきだし、課題を与えるなら、もっと技法的と言うか、そういう所の学習としてやった方がいいんじゃないかな、と。

投稿: TAKESAN | 2008年7月24日 (木) 14:07

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受信: 2008年8月10日 (日) 18:23

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