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2008年7月 6日 (日)

昔書いた事3

Interdisciplinary: 昔書いた事2の続き。

○1999年1月~

・手の内について

悪い手の内―横から太刀を持つ。親指の所から崩され、太刀を奪われる。

・下肢を動かす時、股関節の働きが主となる。

・重心移動

余計な重心移動は決して行わない。たとえば、前方へ斬り込む時、一度後脚に体重をかけて行うのは良くない。(中略)後脚の膝関節伸展による丹田の浮き上がりも見られる。これも出さない様気をつける。極くゆっくり行う場合は、体重を後脚にかけないと出来ないが、そうでない時はよく意識する。

・武術の技法体系において、各要素は、他の要素と連関している。安易に他武道の動作を取り入れる事は絶対避けねばならない。佐川先生も、様々な格闘技・武術の技を単に寄せ集めたのではなく、「合気」という理合に基づいて融合させた技法体系を造り上げたのだろう。

・小胸筋の働きが大切である。

・アレクサンダー・テクニークは、非常に参考になる。体の地図ということ。

・体から肩甲骨を引き剥がすように。

・相手の体の事を考えずに、自分勝手に力を発しただけでは、技はかからない。力を加えるべき角度を考える。

・投げる形ばかり見てはならない。投げられる時の形をよく見る。

・武道の科学的・論理的・体系的な解明を目指す。広範囲の学際的な研究。(注:ここら辺は、高岡氏の受け売りぽいですね。初めのの文は引用かな)

・肩は絶対に力まない。絶対というのは、幾ら言っても言い過ぎではない。

・気の流れ技―他者運動量の利用。

・股関節屈筋群を知覚する。腹と脚とのつながり。

・骨は、筋肉の力によって、互いに引き合う。

・統計学的手法はどうも信用出来ない。使い方によっては非常に重宝すると思うが、何十年データを蓄積しても、無駄なものは無駄。

(注:恥の記録も載せておきます。今では考えられない記述。ちなみに、この時点で私は、統計学の入門書を1冊も読んでいないです。こういう経緯もあったりしたから、知らないのに非難する人に、「具体的に解ってて言っているのか」、と問うたりするんですね。)

・高岡の「瓦重構造」の概念は、非常に重要である。

・やはり自分には、科学的な考え方が向いている。少なくとも武術の実技面に於いて、あまり観念的・抽象的な説明ばかりするのは宜しく無い。何故ならば、武術は「力学的実体を因子とする文化現象」(高岡)であり、「文学や形而上哲学の如き観念的・思弁的或いは唯言語的な文化現象とは異なり、本来的に実証的性格を有する」(高岡)からである(注:鉤括弧内は、高岡英夫 『武道の科学化と格闘技の本質』より引用)。

・競争は大いに結構。然し、そこには絶えざる向上心が無ければならない。互いに切磋琢磨し、高め合う所に意義がある。互いに足を引っ張り合って、少しでも自らが有利に立とうとする様な貧しい心では全く意味が無いのである。

・素晴らしい能力を持った他人を認める事が出来ず、妬み・恨みの心を持ってしまう。悲しい話だ。

・今日、岡本正剛先生の、「大東流合気柔術」を読んだ。参った。あの体は尋常ではない。あの腕の位置はどういう事だ。素人には分からないだろうが、あの脱力は出来るものではない。目安としては、「腕が長く見える」という事。

・己を過信してはならない。他人を見下してはならない。

・物事の本質が直観的に解っているのと、それを更に科学的・論理的に研究して認識するのとでは、非常に大きな違いがある。前者のレベルが低いというのではない。

・外受け

胸の開き、沈身、肩の降ろしを使う。腰へ収束させる(体の裏)。前腕の回内。

・内受け

胸の閉じ、沈身、肩の降ろし。肚(ハラ)へ収束させる(体の表)。前腕の回外。

・今日、テレビで少林寺最高武僧の方の動きを見た。流石に少林寺最高武僧というだけあって、体はゆるゆる、正中線も腰腹もしっかりしていて、肩の力も見事に抜けていた(注:少林寺の釈徳健という方。今まで見た武術家の動きの中でも最高峰だったと、現在も考えています。大きな声では言えないけれど、You Tubeにあったり。アウト動画か微妙なところなので、貼りません)。

・科学的に考える。観念的ではなく論理的に。直感も大切に。構造を把握する能力。

○2000年1月~

・自分がやっている事を解りたい。人に何を訊かれても、矛盾無く答えられる様になりたい。それが科学的認識。本質の構造の解明。身体運動は力学的現象であるから、実証主義的認識を併せ持っていなければならない。「こうかも知れない」ではなく、「こうである」と言える様にならなければいけない。

・何処にどの様な筋肉があり(位置・形・大きさ)、それはどの様な運動を引き起こすか。ある程度大雑把な理解でも、運動に対する認識はがらりと変わるだろう。身体の分析的な把握。人間の身体は、非常に複雑精緻な構造をしている。従って、身体を単なる一塊の物体と考えるのではなく、又、身体各部を全く別な物として考えてもいけない。だからこそ、運動構造という認識が必要となる。

以上、1999年・2000年の覚書より抜粋。

毒舌過ぎたり意味不明な文章だったりで、なかなか選ぶのに苦労した…。段々と、科学的な思考になってきているようです。

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コメント

自省のための誤解されていた部分ものせられるとは。
武とどのように向かい合うかという決意の表れがあちこちにあふれ出ていて,清々しい。
 DSを想起させる意識の用い方が散見されますね。
 肩とワクの関節の脱力とあり得ないほどのゆるみは,発勁においては必須だと思っています。肩関節に卵乗せるなどのチェックをやったりしてました。

投稿: complex_cat | 2008年7月 6日 (日) 09:25

complex_catさん、今日は。

昔書いたものを持ってくるというやり方だからこそ出来る事でもありますね。これでも、載せても構わないかな、というのを厳選しています(笑)

日本武術には、中国武術における勁のような概念が体系に組み込まれているものがあまり無いので(自分の身体の「気の流れ」という考え方はありますが、それでもあまり具体的では無い)、当時は、そこら辺の所でかなり懊悩していたように思います。

振り返ると、凄まじい回り道をしたものだ、と思いますが、それによって、色々な方向からアプローチした事で、多少はメタにものを見られるようになったと考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年7月 6日 (日) 11:30

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