ジュニア・スケプティック
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これは応援せざるを得ない。
逆にやりたくないこともあって、これが活動を難しくしている要因でもあったりします。それは、超常現象と聞いただけで調査も何もせずに「どうせ嘘でしょ」とか「超常現象なんてアホらしい」と考えるような人を出してしまうことです。
私たちは、このように考えてしまう人も、超常現象を簡単に信じてしまう人と同じだと考えているからです。
ここは重要ですね。
余談ですが、私はほんの4年くらい前までは、超能力捜査について、あるのかも知れないな、と思っていました。そこから色々考えて、今は、まああり得ないな、という考えに至りました。両方ともかなり論理的に考えて至ったものです。ですが、前者には、「十分な調査・知識を基礎に置」(リンク先より引用)く思考が足りなかった。ベースの思考のプロセスは、それほど変わってないようにも思ってます。「知識」や「事実」が重要なのですね。
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不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門 著者:菊池 聡,宮元 博章,谷口 高士 |
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クリティカルシンキング 不思議現象篇 著者:T・シック・ジュニア,菊池 聡,新田 玲子,L・ヴォーン,Jr. Theodore Schick,Lewis Vaughn |
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コメント
こんにちは、TAKSANさん。少し危険なことを書くことになるのかも知れないんだけどね。
>私たちは、このように考えてしまう人も、超常現象を簡単に信じてしまう人と同じだと考えているからです。
>ここは重要ですね。
実のところ、「教育」という意味では「子供たち全員が正しい懐疑主義姿勢を持つ」ということを目指すのは正しいのだけど、社会のあり方として「全員が正しい懐疑主義姿勢を持っている」という前提で社会を考える訳には行かないのだろうと思うんです。むしろ「正しい懐疑主義姿勢を持つ人は少ない」くらいの中で社会のシステムは作られていかないとならない。
以前、「原始の村の巻き狩りの勇者」なんてたとえ話をこさえたことがあったけども、それに少し似ているわけです。村の子供たちが「大きくなったら『仕留め役』ができる勇者になりたい」と思うことは大事だけど、そこは人間だから大人になっても「怖くてすくんじゃうよ」となる者も多いわけです。でも中には逃げたりすくんだりせずに『仕留め役』ができる者もいる。そして、そいつが仕留め役を嫌がらずに進んでやらせるように村のシステムを作り上げることで村は巻き狩りの獲物にありつけるわけですね。
「子供が皆正しい懐疑主義姿勢を身に着ける」は教育の目標ではあるけれども、大人になって社会を構成するときに身についている者が多いわけではない。だからこそ、正しく身につけた者が進んで社会に正しい判断を提供する様に社会を作っていかなくてはならないし、またその判断が懐疑主義を身につけ損なった者たちにうまく受け入れられるように社会を作っていかなくてはならないのではないでしょうか?
>超常現象と聞いただけで調査も何もせずに「どうせ嘘でしょ」とか「超常現象なんてアホらしい」と考えるような人を出してしまう
これは確かに正しい懐疑主義姿勢ではないのだけど、それが正しい懐疑主義姿勢を持つ者の判断を社会にきちんと受け入れさせた事の一つの形である可能性もあるわけですよ。
投稿: 技術開発者 | 2008年7月 1日 (火) 04:12
技術開発者さん、今晩は。
私としては、あくまで教育的な観点から、子どもが皆正しい懐疑的思考を身に着けるのを目標にする、というのを考えている訳ですけれども、視野を広げて社会全体のあり方について考えると、なかなか手に負えない所があります。
▼▼▼引用▼▼▼
これは確かに正しい懐疑主義姿勢ではないのだけど、それが正しい懐疑主義姿勢を持つ者の判断を社会にきちんと受け入れさせた事の一つの形である可能性もあるわけですよ。
▲▲引用終了▲▲
ここ、なんか、凄く同意出来るんですよね。
ただまあ、社会は連続的であるので、健全な懐疑的思考を普及・浸透させていく、というのは、とても意義深い活動であると思っています。人間の心理・認識は、いつでも変わる可能性がある訳ですから、そのきっかけを作るよう仕向けていく、というのは重要かな、と。
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考えがまとまっていない所があるので、全体的に言葉を濁しています。
投稿: TAKESAN | 2008年7月 1日 (火) 13:17
http://asios-blog.seesaa.net/article/101945395.html
実に興味深い。
投稿: TAKESAN | 2008年7月 1日 (火) 19:04
身近な人なんかだと、いつもは慎重な××さんが言下に否定する、断定する、とかいうシーンに直面すると「なんかある」と思うわけです。でも、通りすがりだとそういうわけにはいかない。
難しいです。
投稿: 亀@渋研X | 2008年7月 2日 (水) 02:38
亀@渋研Xさん、今晩は。
どこで誰が言っているのか、というのもあるでしょうね。
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私自身、「超常現象なんてアホらしい」と基本的に考えていますが、こういう言い方をするかどうかは、どういう場で超常現象が採り上げられているか、という事にもよると思います。テレビで無批判に肯定的に採り上げているのなら、具体的な発言としてそういう風に言う、というのはあるでしょうね。
もちろん、具体的にどう表現するか、というのと、基本的な認識の姿勢としてどう接するか、というのとはまた別の問題なので、切り分けておきたい所ですが。科学的厳密に言えば、超常現象を実証的に研究する、という方向性はある訳ですしね。私はそれは否定しませんし。
なんか、文が変だな…。
投稿: TAKESAN | 2008年7月 2日 (水) 03:50
こんにちは、皆さん。
私は「傾いた地面での綱引き」なんてたとえ話をするんですけどね。もし、「綱を引く人数とか体格が同じなのが公正」としか公正を思わなければ、その綱引きは引くまでもなく傾いた地面の下の方にいるチームが勝つでしょうね。「平らな地面でやるのが公正」と思ったり、「どうしても傾いた地面しかなかったら、傾きに応じたハンデを考えないと公正ではない」と思うのが「公正」という事なんだろうと思います。
でもってね、私は人間の意識の指向性というのは「疑似科学を好む」様にかたむいているんじゃないかなと思っているのね。でもって人間は試行錯誤の中でハンデを構築してたんじゃないかと思うんです。上で言った社会的雰囲気の様なものであったりとかね。
でもって、今、その傾きを理解しない人が「なんかハンデがついているのは不公正だ」とハンデを取っ払うのが「公正」に思えたりしているんじゃないかな。
投稿: 技術開発者 | 2008年7月 2日 (水) 18:02
技術開発者さん、今晩は。
うーむ。何となく解る気もするのですが、上手く掴めていないかも知れません。
基本的には、人間は須らく懐疑的思考を身に着けるべきであって、それを社会が志向するのを目指し、そのための活動を色々行う事に賛同する、という認識でいます。
投稿: TAKESAN | 2008年7月 3日 (木) 02:54