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2008年6月26日 (木)

ゲーム脳と物差しと弓矢

森昭雄氏がやった(やってしまった)事は、「間違った(もしくは不正確な)物差しを作った」事、と言えるでしょう。

まず、認知症を判断する方法として、脳波の出方に着目した。そして、その脳波の出方と、ゲームをしている人の脳波の出方が似ていたと感じた。で、脳波計を開発し、それを用いてゲーム中の人の脳波を測定したら、やはり認知症の人と同様のものだった。そして、それを「ゲーム脳」と名付けた。

このロジックが適切であるためには、

  • 脳波によって正確に認知症を判別出来る事。

が必要な訳ですね。そしてそれには、認知症以外の人にはその脳波が出ない、という条件も要るのです。「リンゴを食べたら甘かった」、から、「食べて甘いものはリンゴだ」、と判断するのがおかしいのと一緒です。ブドウもミカンも甘いのですから。

で、森氏の論、実はその段階で、とても怪しいのですね。もしかすると、認知症の人に多く見られるが、必ずしも特有のものとは言えない変化を拾っている可能性がある。たとえば、表情の変化であるとか。

そこら辺の検証が全く不充分なままに、つまり、物差しが正確であるかを確かめるのを怠って、「ゲーム脳を調べる物差し」として使ってしまっている訳ですね。

結局、不正確な物差しで色々計測して、これはゲーム脳だ、ビジュアル脳だ、とやっている、という事です。

たとえば、心理学で、色々な心理検査があります。これも、心のありようを調べる物差しと言えます(心理測定尺度)。

それで、その物差し、測ろうとしているものがきちんと測れているか(妥当性。つまり偏り)、また、安定して測る事が出来るか(信頼性。つまり精度)、というのを、きちんと確かめるんですね。正確さが確認された他のテストとの相関を調べたり、何回かテストして結果が安定しているかを調べたり。

よく使われる、解りやすい喩えを用いてみると。

弓で的を射る、という状況を思い浮かべて下さい。和弓でもアーチェリーでも構いません。

何度も何度も的を射た後に、的を見てみます。そうすると、

  • どれだけ的の中心に近いか。
  • どれだけ矢が集まっているか。

という観点で、弓矢の正確さと射手の腕前を考える事が出来ます。

つまり、中心に近ければ、当てたい所に当てられた、という事で、遠ければ、文字通りに「的外れ」という事。矢が狭い領域に集まっていれば、矢がばらついていないのを意味するし、広ければ、あちこち矢が飛んで定まらない、という事になる。つまり、前者が妥当性(当てたい所に当てられたか)で、後者が信頼性(ばらつき無く安定して当てられたか)。

科学的な「物差し」も、色々な方法によって、それが確かめられなければならないのですね。でも、森氏はそれをやっていない。科学者は、それを論文にして、他の科学者から、その物差しが正確であるかを確かめられなければならない(追試)にも拘らず、です。

結局の所森氏は、正確で無い矢をデタラメに撃って、あれもこれもゲーム脳だ、と言って回っているのです。ですから、本来は、弓の調整と撃ち方からやらなくちゃならない訳です。

そこら辺を見ていない賛同者は、森氏が「優秀な射手」、脳波が「正確な弓矢」だと誤解している、と言えるでしょう。だから、ゲームをやる人がある種の脳波を出していて、それは認知症の人と同様ものである、というのを鵜呑みにしているのですね。

もしかすると森氏は、ただ的に当たっただけなのに、中心に当たったのだと錯覚しているのかも知れませんね。矢を撃った時の「手応え」だけ感じて、的をきちんと確認しなかったのかも知れません。

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一応、解りやすさを重視してみました。

追記:ちょこっと修正。「で、」が多過ぎた。

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コメント

この種の人々の問題としてさらに考えられるのは、たとえばゲーム脳というようなアヤシゲな言説が広く受け容れられることで、その主唱者に「権威」としての信用性が発生して、ゲーム脳レベルの「裏付け作業」すらないいい加減な放言が「専門家の発言」として重みを持ってしまうということもあるかもしれませんね。

つまり、言いたい放題ってことです。とくにマスコミレベルの公然性のない講演なんかでは、その場の思い附きレベルの話が「権威者の発言」として秘やかに伝播していくという側面もあるんでしょうね。

以前コメント欄で紹介されていた講演潜入ルポなんかを読ませて戴くと、結構「てけとー」な話をしているんだなとか思いますし(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月26日 (木) 01:13

矢の刺さったところが的だった、とか強弁しているだけにも見えなくはないです。森氏。

投稿: pooh | 2008年6月26日 (木) 08:07

黒猫亭さん、今日は。

森氏の場合、「脳の専門家」、「脳神経科学の人」、という風に権威付けされていますね。もちろん、それは間違いな訳ですが。

権威性を判断の拠り所にするというのは、ある種の合理的な判断でもあるとは思います。専門家が言っている事にまで懐疑のメスを入れるのは、結構大変でもありますしね。ところが、残念な事に、世の中には、ものを解っていない自称「専門家」がいてしまう、のですよね。

森氏の講演では、例のグラフが用いられるようです。他の部分ではおかしな話を連発しているはずですが、グラフのインパクトは大きいのでしょう。
いくつかの前提があれば、生体信号が心理的・生理的状態の何らかの指標になる事自体は、原理的にはあり得るので、ゲームに詳しく無い人が鵜呑みにしてしまうのも、状況を鑑みると、それほどおかしな事でも無いのかも知れません。
そういう意味で、森氏は上手いんですよね。意図的かは知りませんが。

聞きに行く人は、たこやきさんのようなスネーク的な方は別として、基本的には、ゲームについてネガティブな感情を持っているはずで、関係無い話を捨象する「構え」が出来てしまっている、と見る事も出来るでしょうしね。

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poohさん、今日は。

あー、思いっ切り違う所に当たったのに、「実はあそこを狙っていたんだ」、と言うような感じですね。客観的には得点低いのに。

投稿: TAKESAN | 2008年6月26日 (木) 12:06

いまさらながら、「ゲーム脳」は知名度といい論理のいい加減さといい「ニセ科学的思考」及び反面教師としての「科学的思考」の教材としては非常にすばらしいものであると感じます。こういう切り口でどんどん取り上げてもらえるといいと思います。

ところで、私の地元では1年近く前に森氏の講演があったのですが、その後再演の話は無いようです(ずっと広報紙のチェックはしています)。私が文句を言ったからではないとは思いますが、担当の方がちゃんと考えてくれるようになったのなら嬉しい。近所の人がこういうのにかぶれていると面倒くさいですから。

投稿: Noe | 2008年6月26日 (木) 12:25

読み返すと、初めは測定尺度を射手として喩えているのに、後の方では、尺度を使う人間を射手としてますね。ちょっと変ですけど、多分意味は通じるので、ご容赦下さい。
弓矢の機能が測定尺度で、射手が尺度を使う人間、とでもすれば良いかな。

うーん、やっぱり、ちょっと修正します。弓矢の正確さと射手の腕前の両方でたとえました。履歴は残して無いです。

弓矢:尺度

射手:尺度を使う人間

アナロジーに厳密さを求めたら負けです(言い訳です)。

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Noeさん、今日は。

教材として恰好のものですね。
ニセ科学論でも、もっとピックアップされていいんじゃないか、という願望があるくらいです(笑)

近所で講演なりが行われるのは、頭が痛いでしょうね。今の所、私の近所では、無いですけれど、いつ行われるか解りませんからね。こういうのは、教育機関が主催したりするのが悩ましい所です。

投稿: TAKESAN | 2008年6月26日 (木) 13:01

こんにちは。

>森昭雄氏がやった(やってしまった)事は、「間違った(もしくは不正確な)物差しを作った」事、と言えるでしょう。

松下和弘氏の「クラスターの小さい水はおいしい」も、これに似てますね。

投稿: Enzo Romeo | 2008年6月26日 (木) 14:38

Enzo Romeoさん、今日は。

なるほど、確かに(尤も、水のクラスターの方は、きちんとは理解していませんけれども。今、apjさんの解説のページを再読してきました)。

本来、認知症を見分けるという説の検討を、しっかり行うべきなのですよね。それをすっ飛ばしてゲーム云々などと言ってしまうから、めちゃくちゃになってしまう。それには、森氏だけで無く、大友氏も関わっている訳ですが。

投稿: TAKESAN | 2008年6月26日 (木) 16:52

こんにちは。
一番近いというとやっぱり「水の結晶」ではないでしょうか。弓矢でいえば、実際はめちゃくちゃばらつくけれどまぐれで当たったところだけ見せてる、という。だから1例ずつしか見せないのでは?
波動測定器のは、弓を使わず的に手で矢を刺していた、というのですが、「水の結晶」も実はこっちに近いことやってるのかもしれませんね。

投稿: ちがやまる | 2008年6月26日 (木) 17:26

ちがやまるさん、今晩は。

水伝は、的の中心付近以外の矢をこっそり引き抜いた、という感じでもありますね。
ゲーム脳の場合には、そもそも的なのか何なのか解らない、という感じですけれど。

数量化って、ものすごくデリケートでシビアなものだと思うのですが、ゲーム脳にしろ水伝にしろ、そこら辺が無視されていますよね。

ちがやまるさんには、ゲーム脳の検討の時には色々教えて頂きまして、ありがとうございます。

投稿: TAKESAN | 2008年6月26日 (木) 18:24

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