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2008年6月18日 (水)

説得という事

ニセ科学論で、信奉者を説得するか、という話。

きくちさんが、ビリーバーを説得するのは諦めている、という意味合いの事を仰いますが、これは、ネガティブな意味で、つまり「突き放して、”絶対誰にも不可能だ”と信じる」、というのでは無くて、「限界を弁える」という事なんじゃないかな、と。

たとえば、説得の「場面」というのも、多種多様な訳で、元々の知り合いが何かを信じたというケースから、WEBで親しく交流している内に、信じている事が判明した、というのもあるし、また、知り合いでは無いが、信じた人がそれを広める事で、他者が不利益を被らんとしている時(善意でもそういう事はある)、それを止めさせようと説得する、というのもあるでしょう。

もちろん、何を信じているか、というのも関係してくるし、いつ誰から情報を得たか、というのも関わる。そういう風に、「信じる」という現象、あるいはそこに至る過程そのものが、とても複雑な訳ですよね。

私の場合で言えば、間違い無く、信じている人の説得も目的にしています。もちろん、「ゲーム脳」の話です。で、方法は、直接信じている人に何か言う、というよりは、ゲーム脳のおかしさを詳らかにしたテキストを書いて、それを「利用して貰う」、というものです。「信じている人を説得したい」という目的がある人が、「信じた人の説得を直接的に試みる」とは限らないのだと考えています。信じている人を説得したいが、対象のおかしさを具体的に言葉にする事が出来ていない、という人に情報を提供するのも、目的を達成するための一つの意義ある行為だと、私は考えます。

むしろ、実際の知り合いでも無い、お互いに信頼関係を築いている訳でも無い、という間柄において、「説得」を試みるというのは、実はそもそも無謀なのではないかな、という思いもあります。

「聞く耳を持つ」か否か、というのは、言ったり書いたりしている事の整合性や論理性以前に、発信者に対する印象や信頼関係に大きく依存する、と考えます。

だから、私はたびたび、「万能包丁」は無い、色々な人が色々の方法でやっていって、「色々ある事そのもの」を知らしめていくのが良いのではないか、と書いています。どういう方法が良い/悪い と初めに決定するよりも、ね。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

対話になれば、説得、と云うフェイズにも入れますけど、多くの場合どこかで打ち切ることに(ぼくの場合は)なるんですよね。ただ、それだけで終わらせないために、書くべきことは必要と思われる分だけ網羅的に書く、と云うようなことはしています。有効なロジックがあれば、以降も活用が可能なわけですし(と云うか、ぼく自身他の方や自分の既出のロジックをできるだけ活用しようとしています)。

投稿: pooh | 2008年6月18日 (水) 08:41

TAKESANさん。
poohさん。
こんにちは。


poohさんのところで差し出がましい事を書いてごめんなさい。
実は私はかなりショックだったのです。
ニケさんには分かっていただけると思っていたのに、
突然、あの暴挙。
責任を感じていたのです。
「方法が間違っていたのか?」と真剣に悩みました。

ただ、
今、ニケさんのとろこを見たら田部さんが書かれていて、凄く嬉しくなっています。
なんというのか、、、
昨日もここでちょっと書いたのですが、
田部さんの迫力ある言葉。
まっすぐな怒り。
胸に詰まりました。

私はできないんだよなぁああああ。
すぐに「お利口ぶる自分」がいて。
つまんない奴です。

ちょっと派生した話ですが、
以前、歴史修正主義者と討論している方に、
「どんなに正論でも罵りや侮蔑を交えたら会話にならないだろう」と意見したことがあります。
すると丁寧なお返事をいただきました。
「これくらいなら大丈夫。
これくらいなら許す。
と、いう態度がいつの間にか教科書問題、教育基本法につながって行くのだ、、、」と。

poohさんがいつぞや言われていた「曖昧な共感」は唾棄すべきものなのでしょうね、、、
今回の田部さんの真摯な対応、本当に学ばせていただきました。


どこまで、徹底的にできるかはわかりませんが、
まぁ、私は私のペースで私らしく。

と、言う事でこれからもよろしく!

投稿: せとともこ | 2008年6月18日 (水) 12:23

poohさん、今日は。

早速dlitさんがTB下さっていて、私も同意しました。
信奉者の説得は諦める、とは、絶対誰にも不可能だと考える、という事では無いと思っています。もちろん、「自分には無理だ」と判断する事ではありますが。
ビリーバーから懐疑主義者までは、連続している訳ですし、信じるに至った動機も多種多様なのですよね。だから、結局の所は、ケース・バイ・ケースとしか言いようが無い。※論理的には、懐疑主義者かつビリーバー、というのもあり得ますしね。具体的な知識が無ければ気付けない、というのが必ずあるので。

------

せとともこさん、今日は。

出来る事をやっていく、というのが大切だと思います。一人の人間に出来る事は限られていますしね。それこそ、科学者にだって限界はある訳ですから。だから、科学者で無い自分にも出来る事があれば、やっていきたいと思います。

料理は、野菜を栽培したり、家畜を飼育したり、包丁を鍛錬したり、器を焼く人がいたりして、それを使って調理する人がいて、初めて出来上がるものですね。

※すみません、ニケさんに関しては触れない、と宣言しましたので、よろしくお願いします。

投稿: TAKESAN | 2008年6月18日 (水) 13:01

「高尚」だなんて言われるとは思わなかった。

私は、きくちさんが「ビリーバーは説得出来ない」と言ったのはどういう意味か、それを推量しただけなんですけどね。特に、それを公言する事について論じたつもりは無いし、きくちさんの発言の是非について書いたつもりも無いのですけれど(本題は、「信じている人を説得するとはどういう事か」、「信じている人」の多義性、についてでした)。

少なくとも、近い立場にいる人が発言の意味内容を正確に理解しておいた方が良いよね、という、そういう意図で書いたつもりでした。

ちなみに、私自身は多分、ビリーバーは説得出来ない、という類の発言は、あまりした事は無いと思います(恐らく、何度かあります。きくちさんの仰るようにトートロジカルなんで、「説得困難な信奉者」を「ビリーバー」と呼んでいるようなものですね。批判者同士でやり取りする際に、経済的で、便利ではあります)。

言うよりは言わない方が良いよね、というのはその通りでしょうね。でも、どういう意味で言ったかは把握しておいた方がいいですよね。その上で、それは使わない方がいいんじゃないですか、て言った方が望ましい気もします(いや、そうなっているとは思います)。

あ、後。
わたし的には「信奉者」は説得出来ます(説得される信奉者は存在する)。当たり前ですよね。多分、以前FREEさんとやり取りした際に(「信じる」について)、ちらっとその話を出したと思います。
まあ、文脈によって、「信奉者」の意味が異なってくるので、ややこしいですけれど。て言うか、その話がこのエントリーの主旨だったつもりなんですけどね(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年6月18日 (水) 15:38

おっと。

肝腎な事を書き忘れていた。

lets_skepticさんの見解には、ほぼ同意です。

でも、「百害あって一利無し」なんて言ってしまうと、過去のきくちさんの発言のある程度の部分が、「害なす言葉」と看做されちゃいますよ。それはあまり好ましく無いですよね。
だから、「どういう意味で用いられたか」を推測して書いてみた訳です。誰にだって限界があるよね。その、どうしようも無い、言葉の届かない人をビリーバーと呼んでいるのでは? とね。

投稿: TAKESAN | 2008年6月18日 (水) 15:52

こんにちは。
poohさんのエントリーも拝見し、色々考えさせられました。
私自身は「相対性理論?なにそれ?食べられるの?」程度の人間ですから、ニセ科学批判についても専門家の先生やTAKESANをはじめとする論客のブログを参考に、勉強している途上です。ですからニセ科学批判をするつもりなど毛頭なく、あくまで学ばせてもらっているという立場です。

ただし、です。
自分はきくち先生のところにも書きましたが、子どもが出来ないということで、同じことで悩んでいる人達と交流していたり、死産の経験があることで、同じような経験のある方やお子さんを幼くして亡くされた方々とも親しくさせてもらっています。
こういった集まりでは、ちょくちょく科学的に問題がある理論を基に、怪しげな話をする人が出てきます。(当事者ではなく外野からくる場合が多い)そういった場合に、反論や批判めいたことをしています。

そういう時、被害が切実であるために、つい感情的に相手をののしったりしてしまいがちになる自分がいます。特に医学的にはデタラメで命に関わるような非常に危険な“自然なお産”を宣伝している人や、ホメオパシーを信じるあまり、家族に医療行為を受けさせないという人に対しては、怒りが先に立ってしまい、揶揄するようなコメントをしてしまったこともあります。つい最近もmixでやってしまいました…orz
これは説得と言う意味では致命的かもしれません。ロムしているだけの迷っている第三者の目を忘れてしまっていますから。

こういった経験から、最初に書いたように「知識がない」というのを差し引いても、自分のようにすぐに冷静さを失うような者、そもそも「被害者である」というある意味で強い立場にある人間は、“批判”という行為を行うべきではないのかもしれないと、考えてしまいます。行うべきではないとは言いすぎかもしれませんが、もうちょっと冷静にならなければならないでしょうね(これはもちろん私自身のことです)
批判ではなく、単なる反論であっても、その点をもっと考えなければならないとも思います。思いますが、でもやっぱり……というところをグルグル回っていたりもするのですが。

この問題は非常に深いものを孕んでいますね。色々考えているうちに、取り留めのないコメントとなってしまいました。申し訳ありません。
(なんだか元エントリーのテーマと若干ずれが生じている気が……)

投稿: キャリン | 2008年6月19日 (木) 13:51

キャリンさん、今日は。

すみません、凄く乱文になってしまいました。

私は、不当に非難された側が感情を表出する余地はあった方が良いのではないか、と考えています。やっぱり、強い言葉で何か言いたくなる事はあると思うんです。
で、私自身のスタンスとしては、「自分はやらない」、というものです。見方にもよるでしょうけれど、私は、かなり表現には気を配っているつもりです。でも、だから、自分が使いたく無い言い回しや表現を誰かが使っているのを、即批判したりするのは、また別の話だと思ってます。

やっぱり、自分が愛好するものであったり、大切な経験に関わるものを非難されるのは、非常に辛いものがあるんですよね。たとえば、ゲームをやる人間は脳が壊れるとか人格が壊れるとか、そういうのを言われて、冷静に淡々と指摘する方が、難しいんですよね。

で、当事者の立場にある人が、怒りなりを表明しながら批判をしていくのは、重要な事だと考えています。もちろん、それでも冷静を保って、なるべく表現を抑えていくべきではあるのですが、全く淡々と、事実を指摘するのみの冷静な批判を求めるというのは、「酷」なんじゃないかな、とも思います。

私は、「ゲーム脳」に関しては、怒りの感情を込めつつも、あからさまな罵倒や誹謗は行わないように努めています。今の書き方が、私の限界でもあります。これ以上淡々と書く事は、私には無理ですね。もちろん、総体としてそうなるよう心掛けているという事で、テキストによってウエイトは変えていたりもしますけれど。

で、自分の姿勢と同じものを、どこまで他者に求めるか、というのは、また難しい話だと思うんですよね。自分の方法がどこまで妥当か、というのも定かでは無いのですから。

投稿: TAKESAN | 2008年6月19日 (木) 15:09

ブクマコメント欄は短いのでここに。読んで下さっていれば良いけれど。

>pollyannaさん

「周回遅れ」や「初心者」が損な表現だというのは、その通りだと思います。発言者にそういう意図が無くても、「揶揄されている」という印象を、持ってしまうかも知れないので。

だからこそ、「周回遅れ」はどういう意味か、というのを理解して知らしめていった方が良い、と私は思っている訳です。当然、揶揄を込めて表現する人もいるし、単に客観的な評価として使う人もいるのですしね。事実として、「両方の意味で使われている」、というのがあるのですよね(一切の揶揄的表現がダメだ、と考えている訳でも無いですけれど)。

ちなみに、私自身は、あまり使ったことは無いと思います。思っているだけで、憶えて無いだけかも知れないけれど。

基本的なスタンスとして、言葉というものは、「発信者がどういう意味を込めたか」というのと、「どう読まれる可能性があるか」、というのを、両方考慮するべきだ、と考えています。で、対話に準ずるやり取りの場合、本質的に重要なのは、前者。

もちろん、話題にもよります。科学の話をしていて、術語を用いた場合には、発言者の意図よりも、学術的にどういう定義がなされていて、それを踏まえているか、というのが重要になる場合がありますし。

投稿: TAKESAN | 2008年6月19日 (木) 15:52

TAKESAN、ありがとうございます。

昨日の投稿は考えがまとまらないうちに投稿してしまい、ご迷惑をお掛けしました。といっても、今日に至っても頭の中がごちゃごちゃしていて、まとまっていないのですが(苦笑)

>私は、不当に非難された側が感情を表出する余地はあった方が良いのではないか、と考えています
>全く淡々と、事実を指摘するのみの冷静な批判を求めるというのは、「酷」なんじゃないかな、とも思います。

そう仰っていただき、うまく言えないのですが、とにかくホッとしたというか、肩の力が抜けました。
以前、某代替医療を批判した際にかなり強い文章で書いてしまったため、「自分が辛い経験をしたことは免罪符にならない」と指摘されました。実はそれまでニセ科学批判というものを知らず、当然ニセ科学批判をされている方々がどれほど気を配っているか、全く知らずにおりました。指摘されたことで改めて皆様が書かれているものを読み、大いに反省した次第です。
(これはあくまで私個人のことであって、多くのニセ科学を批判されている方は、非常に気を遣われていると思います)

>私は、「ゲーム脳」に関しては、怒りの感情を込めつつも、あからさまな罵倒や誹謗は行わないように努めています。今の書き方が、私の限界でもあります。これ以上淡々と書く事は、私には無理ですね
それで自分の書いたものをよくよく読んで、これは注意されても仕方ないと反省し、以後出来るだけ気をつけるようにしています。

TAKESANの一連の「ゲーム脳」批判を読ませていただきましたが、非常にいい書き物だと感じました。
あまり書くと仲間褒めのように思われるので控えますが(笑)、感情で書きなぐるのではなく、冷静に調査分析している点がスゴイです。なにより分かりやすい文章であったことが、ありがたかったです。

今後、身の回りに降りかかってくる怪しげな健康情報について批判したり、誰かを説得する際には、参考にさせてもらいます。
でも人間が出来ていないので、まずは精神修行から。

投稿: キャリン | 2008年6月20日 (金) 13:44

キャリンさん、今日は。

もちろん、一般的に言って、批判という活動には、努めて冷静に、感情を抑えて行う、という所が重要ではあるのですよね。ですけれど、感情を顕にしているものについて、それを抑えるべきだ、というのをどれくらい言って良いものか、と考えると、やはり悩ましいものがあります。

自分の書いたものについて、「解りやすかった」と言って頂けるのは、一番嬉しい事です。ありがとうございます。いかに解りやすく説明出来るか、というのは、私の中で、かなりの重要事項です。

ゲーム脳本批判シリーズは、相当意識して、冷静に論の矛盾を指摘する事に努めました。それでも、多少は森氏の言動そのものについて批判していますけれど。

投稿: TAKESAN | 2008年6月20日 (金) 17:13

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/

追記:リンク間違ってました。自分の所にリンクしてどうする。
http://d.hatena.ne.jp/alice-2008/20080621/1214012442

無粋と承知で書きますけれど.

 >ニセ科学と同じ文脈で批判がなされる。

この「文脈」というのが、ちょっと判然としません。これは、論者によるものだと思いますし。

▼▼▼引用▼▼▼
それであればいっそ、カルトや宗教までも含んだ、科学とは無関係の文脈でとらえらる観点があって、その中の一種としてニセ科学も論じられるような状況が望ましいのではないだろうか。
▲▲引用終了▲▲
より包括的に捉えるのは、いわゆる懐疑主義的な人達の視点かな。ASIOSとか、lets_skepticさんのブログとかは、そういう立場なんじゃないかと思っています。

ニセ科学批判はニセ科学批判で独立させて良いと思います。カルトや超常現象と共通する要因を見て批判する、というのであれば、その場合には、きちんとした整理を要求すべきでしょうけれど。

もちろん、ニセ科学批判をする多くの人は、そういう視点は持っているものと思われます。だから、混同されるのもしばしばです。

ちなみに、きくちさんは、菊池聡氏の本を参考文献としてよく挙げておられます。私も、クリシンについてここで色々教えて頂いて、ニセ科学論についても理解が深まりました(ニセ科学論の射程を捉える、という事でもあります)。

批判する側としては、ニセ科学批判者がオカルトを批判する事があっても、それは「ニセ科学として批判してはいない」、というのを言い続けるしかありませんが。

▼▼▼引用▼▼▼
もう一つは、ニセ科学の「ニセ」が含む否定的なニュアンスだ。相手の信じるものが「ニセ科学だ」と言ったとき、すでに「あなたの信じているものは間違っている」との決め付けがされている。この決め付けが、ニセ科学批判にどことなく“上から目線”を感じる人がいるという一因になっているのではないだろうか。
▲▲引用終了▲▲
これはもう、一言で言えます。
「譲れない部分」

ニセモノをニセだと表現する所は許容する方が良いでしょう。上から目線だと感じる人が出る、というのはその通り。どちらにしても、科学を騙っているものを表す概念なので、否定的な意味合いは含ませざるを得ませんよね。

ニセ科学というのは、不思議現象や非合理的思考を信ずるというものから、科学的実証の文脈に関するものを切り取ってきたもの、と見る事が出来るでしょう。その意味で、問題を整理しやすくしたものだ、と捉えられます。だから、単にオカルトを信じているだけでは、「ニセ科学」として批判される訳では無い、というある程度はっきりした位置づけが出来るのですね。

「説得」と「克服」の対比については、視点の違いですよね。書いておられる通り。相手が信じているものが実はニセモノだと説明して納得してもらう、という目的があるなら、それは「説得」と表現出来る訳ですし。

投稿: TAKESAN | 2008年6月21日 (土) 12:48

ニセ科学という言葉を使うと決めた時点で、「ニセものにははっきりニセと言おう」というある種の決意があったわけですね。
 
一方で、ニセ「科学」という言葉は問題の切り分けのためにも使っています。
あまり文章にしていないから、伝わっていないとは思うのですが、ニセ科学問題についてしゃべるときは必ず、「周辺分野ではあるが、ニセ科学とは問題を分けるもの」としてオカルト・超常現象・陰謀論などを紹介しています。これは「科学を装っていないから」という理由です。ただし、かならず「批判しないという意味ではなく、問題をはっきりさせるためにニセ科学とは分ける」と注意しています。
 
これは僕の個人的な立場だし、ある意味で「便宜上」でもあります。実際、二分法指向であるとか非合理であるとかいう部分でニセ科学と共通点があるという認識はもっていて、香山さんとの対談はそういう話を中心にしたものでした。
 
僕のブログでスピリチュアルや陰謀論を扱うのは、「ニセ科学だから」という理由ではないわけです。また、「ニセ科学に分類されないから、批判もしない」という立場もとっていません。

投稿: きくち | 2008年6月22日 (日) 02:15

TAKESANさん

こんにちは、aliceです。
上に書いておられるリンクは、もしかして私のブログへ張ろうとしています?
(違うならすみません)

【ニセ科学というのは、不思議現象や非合理的思考を信ずるというものから、科学的実証の文脈に関するものを切り取ってきたもの、と見る事が出来るでしょう。その意味で、問題を整理しやすくしたものだ、と捉えられます。】
このコメントではここが重要な点だと思いましたので、コメントさせていただきます。
私もこの観点に異論はありません。まったく、おっしゃるとおりだと思います。

これまでニセ科学の観点で批判をされてきた方たちは、それがやりやすかったというのは理解できますし、そういった人にまで、違う観点を持って欲しいと思っているのではありません。カルトや宗教も含んだ視点で、人文系のアプローチがあってもいいのにと思っていたら、あったので安心した、といったところが大きいです。
ニセ科学批判批判をするつもりはありませんでした。たまたまニセ科学批判を見ながらもやもやしていたもので、ちょっと批判批判調子になってしまったかも知れません。

超常信念の合理性については、ニセ科学批判をされる方でもベテランの方はおそらく何らかの形でイメージされていると思いますが、初心者の方でもすぐに意識できるかというと難しいでしょう。そのあたりの情報は超常信念、ニセ科学共通知識として整理されていると良いのかなと思っています。そしてお互いに参照できるようになっているとなおよさそうです。

【ちなみに、きくちさんは、菊池聡氏の本を参考文献としてよく挙げておられます。】
はい、ようやく気付きました。苗字が同じで、名前が漢字一字なのも同じなので、ご自分の本を挙げておられるのかと思ってました。まことにすみませんm(__)m

投稿: alice | 2008年6月22日 (日) 10:57

きくちさん

【これは僕の個人的な立場だし、ある意味で「便宜上」でもあります。】
このあたりは、最近だんだんわかってきました。

【また、「ニセ科学に分類されないから、批判もしない」という立場もとっていません。】
この辺も、kikulogを見ていて了解しています。ただそのせいで、ニセ科学の対象を無意識に広げて考えてしまっている人もいるのではないか、とは懸念します。もちろん実質的な問題がないなら、今のままで良いと思います。

あと、上のTAKESANさんへのコメントにも書きましたが、参考図書の著者名で、菊池聡先生を菊池誠先生と読み違えておりました。大変すみませんでした。

投稿: alice | 2008年6月22日 (日) 11:03

ひとつ指摘しておきたいのですが、「ニセ科学」という言葉で「科学に見えるもの」を切り分けようというのは、むしろ最近の話だというのが僕の認識です。
 
大槻先生であれ安斎先生であれ、超常現象やオカルトを積極的に扱ってこられたし、それを他の創造論科学や血液型の問題と「科学に見えるかどうか」で分けてはいなかったと思います。
 
僕の中では、「ニセ科学のほうが科学よりも科学に見えるのではないか」「科学のパブリックイメージと実態との乖離が問題ではないか」という印象があり、「科学に見えるかどうか」で切り分けることに意義を見いだしています。また、オウム真理教が「科学技術省」という組織を持っていたことの意味も考えたいと思っています。
その後、いろいろ考えるうちに「道徳の根拠を物質科学に求める」という事例に出会い、やはり「科学に見える」ことは重要だと再認識しました。ゲーム脳の受け入れられかたもそのバリエーションに見えます。
 
こういうことは、まず何を問題とするかということなので、どれが正しいとか正しくないとかではありません。僕はいったん切り分けて整理しようとしていますが、最初から統合したほうがいいという考えかたを否定するわけでもありません。むしろ、いろいろな人がいろいろなことをしたほうがいいんですよ。
 
ちなみに、僕の参考文献の中で、菊池聡さんの本は重要な位置を占めていて、多くの人に読んでもらいたいと思っています。

投稿: きくち | 2008年6月22日 (日) 11:48

余談ですが、菊池聡さんの本と僕の本を間違えないためには、「菊池誠はニセ科学の本も超常現象の本も書いていない」ことを憶えておいていただければいいと思います(^^;
香山さんとの対談が唯一、その手の本です。
ちなみに、物理の専門書も書いてないですけど。というか、分野を問わず、SFの翻訳以外に単著は一冊もないんで。
理由は怠け者だからです。

投稿: きくち | 2008年6月22日 (日) 11:56

きくちさん、今日は。

きちんと、「ニセ科学」がどういう概念か、というのが説明されているのに、ニセ科学を批判している人が陰謀論やオカルトを批判しているのを見て、陰謀論やオカルトまで「ニセ科学」だと看做してしまう、というのをしばしば見ます。

以前から結構繰り返して書いてきているように、まずニセ科学という語がどういう意味を持たされているか、というのを調べるべきだと思うんですよね。批判論を批判したいのであれば。

------

aliceさん、今日は。

リンク間違ってました。修正しました…。

あ、もちろん、(いわゆる)批判批判と取った訳では無いです。無粋かも、と書いたように、aliceさんが前提しておられる所に改めて指摘をするかも知れないが書こうと思った、という感じでしょうか。

aliceさんにばっちりなサイト、ASIOSのサイトを貼りましょう(知ってたらごめんなさい)。FAQページです⇒http://www.asios.org/faq.html

少なくとも私は(そして、こちらにいらっしゃるような方もそうだと思います)、FAQにあるような態度を採ろうと心掛けています。

ニセ科学というのは、科学的に実証されているか否か、という所で議論出来るようにした、きくちさんが言われるように、問題を切り分けられるようにした概念だと言う事が出来ます。ニセ科学という判断は、主張が真理であるか否か、という基準で行われるのでは無い、というのを明確にした所にも意義があります(”真理であっても”、きちんと論証されていないのに論証された、あるいは真理であるかのように主張したら、それは批判される)。

菊池聡氏は、心理学者ですね。菊池氏の本は、必読です(丁寧な批判の仕方です。ダメな批判がどういうものかもちゃんと出ています)。

ニセ科学批判論者がオカルト等も批判しているのを見て混同してしまう、というのは、気持ちは解らなくも無いのですね。そういうのが丸ごと同じカテゴリーとして批判されてきた、というのが確かにあるので。
ですから、取り敢えずきちんと調べて欲しい、というのがあります。だから、ニセ科学Wikiなんかをいつもオススメするんですね。

------

>きくちさん

私も、「科学に見える」という所を注目するのが、大変に重要だと思っています。仰るように、まさにゲーム脳などは、科学っぽさを前面に出す事によって信じさせる、というものですしね。水伝の場合には「実験」。血液型性格判断の場合は、「統計」である事もありますね。

こういうのは、問題を解りやすくする、という点があると思います。と言うか、私自身、きくちさんの言説に最初に触れて、ああ、解りやすいなあ、と感じたんですね。それまでに、疑似科学という言葉自体は知っていたし、科学者が超常現象を批判しているのを見て、そこに「科学万能主義」的なものを感じていたりもしていたんですね。科学哲学の本をちょこちょこ読んでもいましたし。

でも、科学のようで科学で無い、という整理がされているのを見て、なるほどな、と思いました。そういう事か、と。

 >菊池誠はニセ科学の本も超常現象の本も書いて
 >いない
そろそろこの説明が通用しなくなるのを願っています…。「菊池誠氏はあのニセ科学本を書いた人だ」、という説明が出来るといいなあ。

------

あ、aliceさんへ。

aliceさんのブログでFSMさんが書いておられた事ですが。
ホメオパシーは、「効いている」と言っているからニセ科学的である、という部分について。

薬(にしろその他の施術にしろ)が効く、と主張した時点で、それは科学的検証対象なんですね。要するに、個人差が少なく沢山の人に安定して効く、と言っている訳ですから(効くか効かないか解らないなら、医療として主張される事は無い)。
で、それを検証するのは、統計的な方法を利用したり、メカニズムを解明したり、というやり方が必要です。そして、原理がその他の科学理論と整合しているか、とか、臨床的に効果が確認されたか、という観点で評価されるのだと思います。
そういう意味で、「科学の土俵に乗っている」と看做せると考えています。
だから、鍼灸なんかでも、ちゃんと実証の程度を理解して説明しているなら、それは構わないんですね。で、もし、効果が確認されたと言っているなら、それはちゃんと調べる必要があります。効果を確認するというのは、きちんと臨床試験を行ったりする、というのを意味するので。後、説明原理ですね。たとえば、気の概念を出して、それを現代医学と整合する、といきなり言ってしまっては、もちろんダメですので。気は実は「波動だ」、とか言ったり。

投稿: TAKESAN | 2008年6月22日 (日) 12:34

きくちさん

【僕はいったん切り分けて整理しようとしていますが、最初から統合したほうがいいという考えかたを否定するわけでもありません。むしろ、いろいろな人がいろいろなことをしたほうがいいんですよ。】
了解です。まったく異論ありません。

【「菊池誠はニセ科学の本も超常現象の本も書いていない」】
ぜひ、ニセ科学についてお書きになってください。TAKESANさんに一票。

投稿: alice | 2008年6月22日 (日) 13:04

TAKESANさん

FAQページの紹介ありがとうございます。後ほど目を通して見ます。

ホメオパシーの件ですが、今回ご指摘の点も検討事項に入れておきます。代替医療については、もやもやが形になるのはもっと先になりそうです(TAKESANさんに完全に同意する形でもやもやが解消する可能性もあります)。関連書籍も読んでみたいです。今回はコメントを返せずすみません。

投稿: alice | 2008年6月22日 (日) 13:08

TAKESANさん

>菊池聡氏は、心理学者ですね。菊池氏の本は、必読です

はい。ハハハ、実は大学の先輩で、よく知ってる人なんですよ。15年以上会ってないけど。本、借りたり中古買ったりしないで、新刊買わなきゃ。(^^;

投稿: alice | 2008年6月22日 (日) 13:28

医療に関しては、私もまだまだ勉強中です。取り敢えず、EBMは重要な概念だと思うので、ここら辺をもっと調べなきゃな、と思ってます。で、これは理解するには疫学を勉強しなければ、という感じです。

ちなみに、多分このブログのどこかに書いたのですが、私は、鍼灸は疑似科学だ、という見方に反対した意見を主張した事があります。鍼を打つ事で治療効果が得られる、という主張そのものは、未科学だと看做すのが妥当だと思ってます。

いずれにしても、その分野のスタンダードな方法から著しくかけ離れた場合には、ニセ科学と判断される事になろうかと思います。その「かけ離れ方」も問題になる訳ですね。

 >実は大学の先輩で、よく知ってる人なんですよ。

ほう、そうだったのですね。

『不思議現象 なぜ信じるのか』は、心理学の入門書でもあるので、とてもよいですね。amazonでも高評価。

投稿: TAKESAN | 2008年6月22日 (日) 13:39

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poohさんのブログの最近の2つのエントリで、ニセ科学批判についていくつか考えさせられることがあった。 Chromeplated Rat:奈辺に愛か存じませぬが Chromeplated Rat:「説得する」 私は以前からニセ科学批判のされ方に、時々ぼんやりとした違和感を感じることがあったが、そ... [続きを読む]

受信: 2008年6月22日 (日) 11:04

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