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2008年6月29日 (日)

昔書いた事

昔書いていた武術関連の覚書の内容を載せてみたいと思います。昔どんな事を書いていたのかを見てみるのも一興。細かい所は変えたりしますが、基本的には書いたままで。意味がよく解らないのも敢えて載せます。※当たり前ですけど、今と考えが違う所があるので、よろしくです。

○1996年?~1997年

・剣素振り

後足で蹴らない。力を抜く。膝を抜く。腕の力を抜くのだから腕で振れないのは当たり前。だから全身で振る。あくまでも腕は全身の力を伝達する為にある。

・関節を攻める事を意識してはならない。関節を自由に出来ない硬直状態を作り、相手の体を崩す。力で関節を極めようとしても、強い人にはなかなか出来ない。

・精神的な事を考える前に、まず強くならなければ(もちろん精神的な事も非常に大事だと思う)。ボクサーのパンチや、キックボクシング・空手等のキックを捌くにはどうすれば良いか。プロレスラーの様な体を持った人間を軽く投げ飛ばし、関節を極めるにはどうすれば良いか。

・全ての技法

人間の骨格の弱点を攻める。相手の力を利用する。

・人に教える時

あまり教え過ぎない方が良いかもしれない。ある程度分かった人じゃないと、教えても理解できないのではないか。相手の技術のレベル、性格等も考える。やはり人に教えるというのは凄く大変な事だ。手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。

・武術上達には、他武道・武術の研究は絶対に必要ではないだろうか。

・何故技が出来ないかを考える。そこれでこそ何故技が効くかが分かってくる。

・先輩や先生に言われたことは常に素直に聞くこと。自分が上達して初めてその意味が分かり、それを元にしてさらなる上達が望める。疑問を持つことを忘れずに。自分の考えを持ちながら、他人の考えを参考にする。うのみにしてはいけない。

・武術は人間が作ったものだ。当然、秘伝と呼ばれるものも人間が考えたものなのだから、自分が絶対に考えつかないということもないだろう。そのために人の何倍も努力する必要がある。

・正しい力を出すには

正しい姿勢。力を抜く(一本筋を通す)。体をつなげる(意識を通す)。力を出す=力を入れない=力を抜く。

○1998年

・胸を張ると気の流れが滞る。

・型を学ぶのは形に囚われぬためだろう。型に疑問を持っていたころが懐かしい。

・素振り

体と剣を一致させる。そうしないと、剣がぶらぶらして、体とばらばらになる。この感覚が分かると、少しは素振りが楽になる(楽になるというか、違和感が少なくなる)。

・名人・達人の動きを見ると、明らかに体の内部感覚を使っているように思われる。だから、我々が外見を見て真似しようと思っても、しょせん無理でしょう(もちろん外見から分かることもある)。

・結局、技が優れている人達は、同じような原理を用いているはずで、全く違う理論を唱えていても、共通点があると思う。だから様々な技術書を読むし、全く違うタイプの先生が書いた本等も読んでいる。せっかく先生方がいろいろ研究し、発表しているのだから、それを利用しない手はないだろう。

・○○さんから借りた、馮志強老師のビデオを見た。非常に良かった。確かにきんなの部分は、古流柔術や合気柔術、合気道の逆技に通じる部分があった。柔らかく全身を協調・連動させているという感じ。やはり中国武術の理論(練習体系等)は素晴らしい。力の方向等、日本武術とは比べものにならない程細かく理論化されている様だ(自分が知らないだけかも知れない)。

・分からないものは分からないと素直に認めることだ。分からないものを分かったように言うのはだめだ。大変なことになる。

・甲野先生や黒田先生

甲野先生や黒田先生がおっしゃっていることは素晴らしいことだと思うが、逆に混乱を招くことになると思う。特に、甲野先生の、「円の否定」。人間のイメージというものは、それぞれ十人十色だから、研究する方も、慎重にいかなければならないと思う。

・色々な人がいる

投げようという気持ちが強過ぎる人、型通りにきちんとやろうとする人、説明を全く聞かない人、聞いてちゃんと考える人、自分の考えを持っている人(1:他人の説明を参考にしながら自分の考えを作る人。2:説明を聞いても自分勝手に考えてしまう人)、ただ単に人の言うことを聞いて自分では全く考えない人等。

先ず他人の言うことは聞いてみること。自分の思っていることとは違っていても、とにかく聞いてみる。何故この人はこう考えているのか、そう考えると、自分も色々な考えが浮かんでくるだろう。自分が全て正しいとは思わないことだ。然し、自分をなくしてしまわないように。

・人間は背面を攻撃しにくい。

・今日、やっとなつきクライシスの最終巻を見た。非常に面白かった(感動した)。鶴田さんの考えはここまで来たかと思った。でも一般の読者には分からないだろう。なつきクライシスは、日下が登場したあたりから人気が落ちて来たそうだが、やはりそういうものなのだろうか。

・胸を張るということ

張るという単語を辞書で調べてみると、「延び広がる」とある。よく武術で、胸を張れとか胸を張るなとか色々言われるが、結局は、その言葉の受けとりかただろう。反らしてはいけない。

・宮本武蔵の「五輪書」「兵法三十五箇条」は素晴らしい。願立の伝書等もそうだが、やはり具体的な術理があるほうが良いと思った。心法的なことは、その後になってわかるものだと思う。初心者に、「戦わずして勝つ」などといってもだめだと思う。

・武術で健康を得ようとするならば、絶対にリラックスしなければならない。そして、一本芯を通す。リラックスしても、ふだんの姿勢が悪ければ、血行も悪くなるし、気の流れも滞る。初心者の時から姿勢は直すべき。高岡英夫の「ゆる」は確かに良い。いかに健康法と武術が密接な関係にあるか。武術は、一人で自分自身に全身マッサージをするようなもの。だからとても難しい。自分のどこがゆるんでいて、どこが緊張しているかを知覚する。そして、武術ではそれをどう用いていくかが重要。

・いかに原理が解明出来ても、それを体現しなければ武術ではない。

※何年後かに書いた追記(読み返して追記する事が、よくありました。いつもは日付を書くのですが、ここは日付無し)――そもそも力学的実体的現象の相を持つ身体運動を、数少ない普遍の原理で説明しようというのが間違い。気や呼吸力等のメソレフパワーはともかく、屈筋や伸筋等の解剖学的な概念(学術的に定義された自然科学的概念)をもち出すのは特にまずい(疑似科学)。

以上、1998年8月頃までの覚書から一部抜粋。

やー、色々書いてますねえ。実に面白い。いや、他の人にとっては面白くも何とも無いでしょうが…。

今読んでも、おー、いい事言ってるなあ、と思ったり、いい事書いてるけど当時は意味解って無かったり、全然出来てなかったでしょ、と思ったり。意味不明と言うか、個人内で閉じてる文章だったり(他人に読ませるために書いたものでは無いので当たり前だけど)。

基本的な考える態度というのは、今とそんなに変わっていないのかも知れません。知識とか認識力が、まるで違いますけれど。

意味が解らない部分も多々あると思いますが、これでもほんの一部で、もう、むちゃくちゃな事書いている所も一杯です。気の話とかね。さすがに、載せるのは躊躇します…。

昔書いたものを並べるのは、考えの変遷を振り返るという意味もあるし、またやると思います。

ちなみに、「・胸を張るということ」を今風?に書くと、こうなります⇒Interdisciplinary: メモ:武術の言葉

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コメント

メモ,大変興味深いです。
 公園で練習中,居合いの練習をしている青年に会いました。彼の演舞を見ていると,動線が私が学んだ八極系のそれと似ているので,はてと不思議に思って声を掛けたら,お爺さまが八極を大陸で習ってその理合を練習に取り入れたとのことです。その剣術は,本当に美しかった。通備系八極の馬家では奥伝に倭寇由来の苗刀(日本の長い反りの少ない太刀)が伝えられており,その系統とは無関係なのですが,日本剣術との親和性は高いと思っております。類似点を見て,一種の理合を求めた場合の収斂現象だと思いました。

 ちなみに,私も,理合は多様なものを吸収して熟成するやり方が,武の確信に至ると思っています。

投稿: complex_cat | 2008年6月29日 (日) 11:03

complex_catさん、今日は。

当時は、直観的に色々気付く事はあったが上手く言葉に出来ずに懊悩していた、という状況であったように思います。

ご紹介のエピソードは興味深いです。

武術では、一つに拘る人も見られますね。核になるものがある、というのは重要ですが、ともすると硬直した思考に陥る虞もありますので、気を付けたい所です。尤も、あれもこれもと表面的なもののコレクションに終始する、あるいはつまみ食い的な意識になるのも避けたい所です。

一番重要な、ベースとなる知識として、解剖学の基礎程度は押さえておきたいですね。バイオメカニクスや心理学なんかも知っているのが望ましいですけれど。人間がどのように動き得るか、という体系的知識ですからね。

メモに興味を持って頂けて良かったです。凄く読者を選ぶ内容ですし(笑) 実は、数十%は疑似科学的内容なのです。穏当なものを選んで載せてるんですね。

投稿: TAKESAN | 2008年6月29日 (日) 13:00

>complex_catさん

>>公園で練習中,居合いの練習をしている青年に会いました。彼の演舞を見ていると,動線が私が学んだ八極系のそれと似ているので,はてと不思議に思って声を掛けたら,お爺さまが八極を大陸で習ってその理合を練習に取り入れたとのことです。

ああ、なんか美しい情景です。綺堂の短編や国枝史郎の長編の冒頭を視る想いがしますね。月夜の公園だったりするとまさに時代小説の一節のようなイメージですが、そこまでお誂えではないのでしょうね(笑)。所謂「太刀筋」が他の武術の秘奥に通じるということが、玄人目には本当にあるものなんですね。

>>通備系八極の馬家では奥伝に倭寇由来の苗刀(日本の長い反りの少ない太刀)が伝えられており,その系統とは無関係なのですが,日本剣術との親和性は高いと思っております。

伝統的な中国武術の世界では「剣は君子の武器」と謂われる一方で、刀は下賤の武器とされていたようですが、仰るように拿捕された倭寇を通じてもたらされた倭刀の評価は中原ではかなり高く、当時日本刀はかなり中国に輸出されたそうで、彼の地でも精妙な拵えの倭刀が多く伝えられていると聞き及びます。

別のエントリーでも触れましたが、剣(両刃)と刀(片刃)というのは、戦国春秋の時代からすでに戦場では主要な武器とは成り得なかったわけですが、剣に比べて刀が蔑まれていたのは、剣というのは支配権などを象徴する神器としての性格がある一方、刀というのは多く日常生活用の刃物として用いられたことから(中国武術で「刀」と謂えば、鉈や中華包丁のでかいもののような鈍器と刃物を兼用したような武器です)、出自の宜しくない匪賊などの遣う武器という理由があったようです。

中華武侠映画などを視るとわかりますが、剣術と刀術は全然動きが違うわけで、刺突主体の優美な剣術と、得物の重みを利して叩き切る野蛮な刀術では全然体の捌きが違うわけですが、中国武器的な意味では刀というより剣に近い形で、刺突と挽き切る動きが組み合わされた日本式の剣術は、まあ中国武術の体系にはない新鮮な体捌きだったのだろうと想像されます。

また、八極拳というのは南拳北腿と謂われるように腿法よりも極短い間合いでの拳打主体で、どちらかと謂えば外家拳で内功を重んじる掌打ではなく独特の握りの拳による打撃主体の拳法ですから、仰るようにその体捌きは近接の間合いで一撃必殺を期する居合い術に通じるものがあるのでしょうね。

ただ、八極系の器術は短いリーチをカバーする槍術だと聞いておりますので、倭刀を奥伝とするというのは珍しいような気がします。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月29日 (日) 17:25

いささか長文になるのをお許し下さい。
いくつか補足させていただきます。

 八極系にも強力な蹴りがあります。youtubeに斧刃脚の試割があります。これぐらいは,全盛期の私でも使えましたので開示されても問題がないと判断しております。古事記にある原初的な「相撲」の「けたぐり」的破壊技を彷彿とさせます。

 また,部門の秘匿すべき技術としてここには書けませんが,独特の勁道を持つハイキックもあります。ただ一般に「無影脚」ぽいものが多く,蹴りは文字通り影が映らないほど超低空です。これは,タックルや集団戦闘を前提とすると,ハイキックは自殺技になる場合が多いからです。平和な時代になって,1体1の試武が基本になるとハイキックも使いどころが出てきたのではないかと思います。
 中国政府が格闘術のコア・テクノロジーとして,国家機密レベルで管理している武技については,足技主体というのは少ないです。

 また,「八極系の器術は短いリーチをカバーする槍術」という分けではなく,もともと「芸中の王」槍術の理合から生まれ出た拳法だからです。それと,リーチは肩や撃肘法が喧伝されすぎたので,短いような印象を受けますが,沖拳もありますし,ちゃんと技術を身につけた人のリーチは,長いですよ〜

 更に対馬術兵器として,三節棍類似の双節棍(体軸形勢のトレーニングに最適)があって,早い時点から学ぶので,秘守性の高い門派では武器術をベースとした戦闘技術という面が今の表演武術より明確です。

 個人的には陳式太極拳の古式も習いましたが,理合を考えると八極は完全に内家拳ですね。内功技術は,一番外には出てこない部分ですから私もちゃんと把握しているか怪しいですけど。どちらも真意六合拳や意拳からの影響を受けているか,もしくは収斂現象を起こしていますので,因子に何を選ぶかですが,クラスタリングすると近いと思います。
 ちなみに馮志強老師の技は,現在の太極拳の枠組みで考えると判断を間違うかも知れません。形意拳ベースもあって,リアル・マトリックスの17世陳発科老師があの方のスタンダードですので,今の陳家溝の価値下げを意味するわけではないのですが(実際失伝もあります),次元が違うと思います。

 見切りやすい円圏で振り回す中国刀術や剛刀の一太刀を受けきれない中国剣では,当時の暫鉄を可能とするハイテク日本刀術の餌食ですね。剣が,所属する階級によっては手に入れがたいものであったという視座はなるほどと思いました。それと大剣よりも,レイピアのような小型の剣,双剣の方が一般的ですね。

 一方中国の剣の技術は,フェンシングとして西洋圏に伝えられ,日本剣術を凌ぐ高速戦闘技術に独自進化したと思います。正面から撓りながら背面を襲うほどの三節棍のようなフルーレのフレキシビリティやエペの実戦性は,対戦者の力量も影響しますが,いきなり戦えば,ほとんどの武器術で苦戦を強いられると思います。問題になったダガーナイフも,もとは,実戦フェンシングの補助兵器ですよね。これも,かなり実践的な使い方があるようです。「あの事件」は,ただの不意打ちの一差しで,ダガーナイフの威力と被害に相関性はないのですが。

投稿: complex_cat | 2008年6月30日 (月) 11:56

この覚書は何かに使われたものですか?
何かの原稿?

私自身、自分の考えを文章にしておくという習慣が無いので、メモの使途に興味を覚えてしまいました。

投稿: Noe | 2008年6月30日 (月) 12:22

黒猫亭さん、complex_catさん、今日は。

いやあ、面白いですねえ。

武術の歴史的変遷について疎い者にとって、参考になります。

長文は全然構いません。むしろ長文の方がありがたいかも。

斧刃脚は観た事あります。確かブロックを割る演武だったかと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年6月30日 (月) 12:38

Noeさん、今日は。

自分が直観した事を文字にする練習、といった所でしょうか。武術は、直感を重視し、分析や言語化を忌避する場合がありますので(メモを取る事を厳しく戒める所もあるようです)、「教える」場合なんかに、とても苦労するんですね。上手く言葉に出来なかったり、そもそも自分が考えた事は正しいのか、と思ったり。
ですから、とにかく論理的に考えて、知識を整理しようとした訳ですね。

元々は、先輩が覚書を取っておられたのですね。それまで私は、メモは絶対取らない人間だったのです。でも、やっぱり「人」を見るんですねえ。素晴らしい先輩がやっておられる事を真似よう、という思いが出てくるんですよね。結果的には、やって良かった、と思っています。このカテゴリーの記事は、その延長でもあります(読んでもらって批評を得る、というメリットもあります)。

投稿: TAKESAN | 2008年6月30日 (月) 12:45

後、読み返してみて当時の認識を振り返る事が出来る、というのもあります。今回もそうですね。これは結構面白いです。考えの変遷も解りますし。

投稿: TAKESAN | 2008年6月30日 (月) 12:47

>complex_catさん

詳しいご教授有り難うございます。TAKESAN さんからお許しも出たことですし、実際に中国武術を習得しておられる方からお話を伺う機会など滅多にありませんので、もう少しお話を続けさせてください。

身辺が落ち着いたら明日にでもじっくりお話をさせて戴きたいと思うのですが、ちょっと今バタバタしておりますので、まず一番聞いてみたかったことを質問させてください。

他でもないんですが、実戦武術において「内功」というのはどういうふうに捉えられているのか、ということでして。とかく世間では気功なんかと関連附けて神秘的なものと解釈されがちなわけですが、普通に考えて実戦の場面でそんな神秘力が役に立つわけはないので、実戦武術の秘奥においては一種合理的な根拠附けが為されているんじゃないかと想像するんですよ。

その辺のところのお話を少しお伺い出来たら、と。

投稿: 黒猫亭 | 2008年7月 1日 (火) 22:07

黒猫亭さん、今晩は。

レスを書いていたら激しく長くなりそうなので、エントリーにしますね。

「気」については、このカテゴリーでも色々書いてきましたので、多少参考になるかも…。

投稿: TAKESAN | 2008年7月 2日 (水) 00:50

エントリー上げました。

コメントの続きは、向こうでもこちらでも、どちらでも構いませんので。

投稿: TAKESAN | 2008年7月 2日 (水) 01:18

>TAKESANさん

基本的に続きは向こうで書いたほうがいいと思いますが、疲れていて前回のコメントが舌足らずだったと思いますので、一応ここで一言だけcomplex_catさんに伺ってみたいことを具体的に補足しておきますね。

オレの推測として、多分、中華文化圏全体における内功の認識と、実際に実戦武術の秘奥に達しておられる方のそれとは実はギャップがあるんじゃないか、そのギャップは意外と複雑なんじゃないかな、と想像しておりまして、その辺現実の武術家はどうお考えなのかな、というのが質問の趣意でした。

TAKESANさんのお書きになったエントリーも内功を考える上で大変重要な視点だと思いますので、体力が回復したらレスさせて戴きますね。何分、その辺の話を語り出すとけっこう大変だと思いますので、complex_catさんの補足意見なども伺いながら進めていきましょう。

投稿: 黒猫亭 | 2008年7月 2日 (水) 02:32

諒解です。

では、続きは、あちらへお願いします。

投稿: TAKESAN | 2008年7月 2日 (水) 03:43

おっと,こういう展開とは・・・びっくり(笑)。
 私の功夫や知識は吹けば飛ぶような屁のようなものなのですが,後で時間を作って,お答えできることだけレスいたします。

投稿: complex_cat | 2008年7月 2日 (水) 10:52

complex_catさん、今日は。

コメント欄はご自由に使って頂いて構いませんので、いつでもお書き下さい。

私はギャラリーになるかも知れませんが(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年7月 2日 (水) 12:33

こんばんは。

 フェンシングの話がちょっと出たので、書き込ませて頂きます。
 新しいエントリの方へとも思ったのですが、中国の武術とは違う話になってしまうので、こちらにコメント致します(流れを無視する形になってしまって済みません)。

>complex_catさん

 フルーレの撓りを利用した技術(私たちは「振込み」と称していました)ですが、これは電気剣が採用された後に盛んになったもの認識しています。
 剣先の“スイッチ”がぎりぎりで反応する力が加われば有効と判定されるようになったからこその技術で、それまでの目測による審判では成り立たなかったと思います。目測だけでは、剣先がきちんと押された(有効)のか、側面から叩いただけ(無効)なのか判断は難しかったと思われます。
 しかし、試合では勿論これはかなり効果的で、特に左利きの振込みは防禦が困難です。

 次に、エペの技術です。良く知られているように、エペは決闘用の作法をスポーツ化したものです。しかし、その元となった決闘用の作法は、あくまで「血を流させればよい」というもので、だからこそ指先からつま先まで有効面とされている訳です。
 と言う訳で、こうした特殊なルールに対しては攻防両面の緻密な技術はありますが、武術的な実戦性というところまでは行かないのではというのが私の印象です。
 因みに、やっていて、一番痛い思いをしたのはサーブルで、危ない思いをしたのはエペでしたね。

 ただ、棒状のモノを避けたり払ったりする技術に長けることになりますし、エモノこみの距離感覚もある程度は付くので、実戦的ではないとも言えませんが。

>ダガー・ナイフ

 初期には、左手に楯や短剣を持つスタイルであったようです。この短剣は相手の剣を払う(パラードする)ためのもので、マイン・ゴーシュとかパリーイング・ダガーとか呼ばれていました。三つ叉になっていたり、櫛形になっている短剣もそうです。
 件のナイフは、防禦用としてはあまり使い勝手は能くなさそうですが。

投稿: Momonga | 2008年7月 4日 (金) 01:26

すみません。連投失礼します。

>中国の剣の技術

 私は近代フェンシングの歴史については余り詳しくはないのですが、そのような事があるのでしょうか。とても興味が引かれます。

 私たちの知識では、16-17世紀に火砲の発達等によって鎧が廃止され、長大な剣が不要になってきたことから、突きをメインとするフェンシングが生まれました。近代フェンシング剣に近い細身の剣は、この頃フランス辺りで作られるようになったようです。
 そして刺突を主とする剣術は、主にスペインやイタリアで発達したと言います。

 やがて大きな戦闘で剣を交わすことは無くなり、主に決闘における手段となります。この頃には、フェンシングはダンスや馬術などと同じ貴族の「たしなみ」となっていたようです。
 練習も安全性が重視されるようになり、18世紀半ばには練習剣とマスクを用い、一定のルールに則って練習するという形式が整いました。これが現在のフルーレの原型です。

 サーブルはちょっと違っていて、アラビア騎兵からハンガリーを経てスイス・イタリアに入ってきた「斬る」剣術が元になっています。

 なお、電気剣は1955年から使われています。

 そう言えば、フェンシングを学ぶに当たっては、精神的な内容は全然ありませんでした(強いて言えば試合前の礼くらい)。隣の剣道部とはその辺が随分違った気がします。これは東洋と西洋の違いなんでしょうか、それともウチとこが適当だったのでしょうか?
 素振り(みたいなこと)は散々しますし、型も重要であるなどの点では剣道とも類似しているとは思うのですが。

投稿: Momonga | 2008年7月 4日 (金) 01:53

Momongaさん、今晩は。

私はフェンシングの知識はゼロなので、実に参考になります。

ある日本武術の達人が、フェンシングの技術に学ぶ事があると考え、フェンシングを研究した、という逸話も残っているようです。やはり、剣法として共通性がある、という事なのでしょうね。

いやあ、それにしても、色々な知識を皆さんに教えて頂いて、本当にありがたいですね。

投稿: TAKESAN | 2008年7月 4日 (金) 02:35

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