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2008年6月16日 (月)

いくつかの誤解の指摘

ほっとけ 俺の人生だ! 「愛」とか『愛』とか“愛”とか・・・。

いくつかの、誤解に基づく妥当で無い批判が含まれていますので、指摘いたします。

まず、Wikipediaの「疑似科学」の項は、あくまで参考程度にとどめておくのがよろしいと思います。ニセ科学論に関しては、当ブログのサイドバーにリンクを置いていますので、そちらを参照なさるのが良いでしょう。

あくまでも私の受け取り方を前提としての考えではあるが、「ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないということである。

違います。

ニセ科学という概念は、疑似科学概念に包含されるものではありません。全く重ならないという訳ではありませんが、ニセ科学が「一部」である、と言う事は出来ません。ニセ科学Wikiをご参照下さい。

「ニセ科学批判」は菊池誠氏と天羽優子氏に代表される一部の人たちが主として行っている「対水商売(蛇口産業)等」であって

天羽准教授は、積極的に「水商売」を批判しておられますが、菊池教授は、主として水商売批判はなさっていません。”「ニセ科学批判」は”と、括弧で括っているという事は、それ以降の文で一般論を語っていると読めますが、あくまで水商売批判がニセ科学批判の一部であるので、そこは念頭に置かれるのがよろしいと思います。ニセ科学の種類については、ニセ科学Wikiにあります。ちなみに、Wikipediaにある、

正しくは「社会的な有害性を持った疑似科学」による被害の防止を目的とした活動である。

この部分は誤りです。まず、この説明は、ニセ科学が「疑似科学」の一部であるという内容ですが、それが間違っています。また、ニセ科学が批判されるのは、科学で無いものが科学を騙っているという部分についてであり、必ずしも被害の防止という面が強調される訳ではありません。尤も、ニセモノが流布するというのは、一般的に被害を被っている者がいるという事ですから、その点では被害防止と言えない事はありませんが。

※引用は前後します。

ビリーバーを反科学的だとの烙印を押したり反社会的な行動言動と非難することには断固反対する。

ビリーバーについてどのような姿勢を採るかは、論者によります。信じている人を馬鹿だと罵る人は、確かにいます。しかし、だからといって、ニセ科学を批判する人が一般的にそのような態度を採る、とは言えません。ニセ科学批判者とは、ニセ科学を批判するという点で繋がっているのですから、当然の話です。ちなみに、私自身は、ビリーバーに対して、「反科学的だとの烙印を押したり」する事はありません。

私としては、今回の騒動のきっかけとなった「水伝」のみに絞りたかったが「陰謀論批判」などもあることを知り、あえてこの項目も参考にさせてもらう。何故物理学教授が「陰謀論批判」を行うのか?には関心がある。いまだ理由がわからないままであるが、「水伝との親和性」ということらしい。しかしそれこそ科学的な思考でないと私は考える。
「陰謀論を信じる者達は、水伝も信じる」 ←馬鹿なこというのではない!

ここに関して、いくつか疑問があります。

まず、物理学の教授が陰謀論を何故批判するか、というのが、「水伝との親和性」からである、というのは初めて見ました。陰謀論とニセ科学を信じる心性について共通部分がある、という話が出た事はあると思いますが、「水伝との親和性」がある「から」陰謀論を批判している、という意見を菊池教授が主張なさっているのは、私は見た事がありません。見落としかも知れませんので、ご教示頂ければありがたいです。

次に、「陰謀論を信じる者達は、水伝も信じる」という表現。ここについても、私は、自分がいつも接するニセ科学批判論者がそう言っているのを、見聞きした事がありません。そう断言した人がいたのでしょうか。

また、これは強調しておきたい所ですが。

「陰謀論批判」は「ニセ科学批判」の一部ではありません。陰謀論にニセ科学が用いられる事はあっても、ニセ科学に陰謀論が含まれる、とはならないからです。

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たんぽぽさんの行為を挙げて、他のニセ科学批判論者にまで敷衍しているように見えます。しかしながら、ニセ科学を批判する人が、「水伝騒動」に皆コミットしていた訳ではありません。私もそうです。ですから、それを過度に一般化されるのは、大変に困惑します。

「基本的に水伝批判は正しい。」と思っていたがどうにもこうにも最初から(根本的に)間違っていたのではないかとの思いがある。
批判のやり方も騒動と共通したものを感じるが、それよりも大事なことは「ニセ科学批判」そのものが疑似科学批判として私が理解していることから大きく外れ、常識のないやり方で、一般人を相手の「魔女狩り裁判的な」ところを感じるし、「謙遜などは微塵もなく『矜持』などはどこかへ忘れてきたかのような知識人として恥ずかしい態度」が、水伝批判に名を借りた他の方達へ病気のようにどんどん蔓延して行っているようだ。水伝批判はやっても良いのだけれど今回の騒動のように「まるで何かの権限でも与えられたかのような」勘違いの行動は許されないのである。

批判のやり方が妥当で無い場合があるのは当然の事と思います。ですが、たとえば菊池教授に対する批判を援用してニセ科学批判一般を非難するのは、当たらないのではないでしょうか。もし菊池教授や天羽准教授を批判するのであれば、その方々の主張そのものを採り上げて行うのが、「筋」です。当然ながら、批判という行為には、バイアスが掛かる訳です。そのバイアスが掛かった意見を援用して批判を行った場合、その批判が妥当なものにならない事が考えられます。

水伝など信じる人もいれば信じない人もいる。それがどれだけ社会に害となるのだ。そんな一般人にとってはどうでもいいこと

一般人というのが何を指すのかよく解りませんが、それはともかく、社会に害を、というのは、水伝が教育現場で用いられている事例があり、テレビ番組で肯定的に採り上げられた事例もあります。「害」をどう考えるか、という視点もありますが、基本的には、科学で無いものを科学であるかのように言うのは、それだけで、批判は免れるものではありません。批判の仕方には色々ありますが、少なくとも、間違った事を言ってしまっている部分については、批判されても致し方無い面があります。これは水伝ではありませんが、「ゲームのやり過ぎで前頭前野が破壊される」という「ゲーム脳」説は、それが流布され、現在も教育機関や公共の機関が提唱者の講演を主催している、という状況があります。これは、初めに情報が流布された時点での対処が不充分であったのも、要因であるでしょう。

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コメント

 江本氏の「水からの伝言」には、「波動値」の高い水についても言及されています。でもって、水が波動を伝えるという考え方が、つい先日報道されたバイオシーパルスの波動水製造装置による被害発生にほぼダイレクトにつながっています。

 社会にとっては十二分に害といって良いのでは。

投稿: apj | 2008年6月16日 (月) 19:04

apjさん、今晩は。

ですね。波動説は、かなり直接的に繋がっている、と思います。

一応本文では、「水からの伝言」の説の、言葉が水に影響を与えるという部分に限定して言及しました。

投稿: TAKESAN | 2008年6月16日 (月) 19:14

「愛」を前面に押し出して主張された段階で、
議論は難しくなったような気がします。

「愛はあるのか」とか、宗教的な態度に対する寛容だとかを主張されても、科学的な事実に変化が出てくるわけではないのに、「違いを認めろ」というのですから。

「水伝」を我が子に事実として教育されそうになっても、「認めろ」というのでしょうか?
私には、認めることができませんでした。

投稿: 憂鬱亭 | 2008年6月16日 (月) 20:55

憂鬱亭さん、今晩は。

愛の話、何かきっかけで出てきたのでしょうね。
その言葉自体について議論するのは良いと思うのですけれど、この文脈で出てくると、とてもややこしくなると考えています。

基本的に、「ニセ科学」という概念は、まだまだきちんと知られていないと思います。せめて、それまでの議論を、ある程度調べてみて欲しいですね。又聞きで非難するのは、やっぱりよろしくないです。

投稿: TAKESAN | 2008年6月16日 (月) 23:01

アチラ系の人々にはTAKESANさんの言葉はなかなか届かないでしょうね。
私から見ると、議論と言うより、価値観の押し付けに終始しているように見えます。「水伝」も「ニセ科学」も、そのための道具でしかない。だから個々の論の間違いや矛盾は大した問題ではない。
住む世界が違うと言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、こういうタイプの人が多い世の中は住みにくいと感じます(個人的に)。

投稿: Noe | 2008年6月17日 (火) 08:48

事実のみを指摘すべきだ、というご意見もありましたので、自分でやってみました。正直、これ以上の書き方は不可能だったりしますけれど。

届かないでしょうね。ニケさんは、poohさんの所での私のコメントは読んでいるはずですから、このエントリー自体に目を通さないかも知れません。読んでも届くかは判りませんが。そう思わざるを得ないほどのエントリーを書かれた訳ですしね。

投稿: TAKESAN | 2008年6月17日 (火) 11:54

こんにちは、、、

さっきニケさんのところを見ました、、、
田部さんがコメントを残されていて、
なんだか、胸が詰まりました。

TAKESANさん。
改めて思うのは「言葉って難しいね、、、」

昨日も貴方と何回かコメントのやり取りをしながら、
基本的立場は同じでも、
ひっかるところや拘るところが違うと、すれ違うんだと思った次第。
それが立位置から違うと、
本当に難しいね。
「あっ、そんな意味じゃないんだが、、、」
「でも、こう言ったでしょう、、、」
と、なって議論は拡散。

いつもながら当たり前のことしか言えませんが「言葉は難しい」。

福沢諭吉って、侍女に自分の本を読ませて理解できたかどうかを尋ねて、本はそれから世に出した、、、
と言うエピソードを読んだことがありますが、
つとめて「易しい」言葉を書くことから第一歩にしようと思っています、、、

エントリー違いでごめんね。
では、、、またね。

投稿: せとともこ | 2008年6月17日 (火) 14:27

せとともこさん、今日は。

私は心理的には、田部さんにかなり賛同しています。

感情をむき出しにした書き方を抑えている(そうは見えないかも知れないけど)のは、概ね戦略的な意図からです(「戦略」という語に違和感を持つ方もあるかも知れませんが、そんな事は措いときます)。

ニケさんの文章自体が、他者を攻撃するもので、傷付けるものでもある事は、理解しておくべきだと思います。そういう意味で、田部さんが書いて下さった事は、凄くありがたかったとも思います。

少なくとも私は、ニケさんに理解して貰う事などより、誤解を広めるのを防ぐ方が重要だと考えています。そのために、ある程度の感情を込めた書き方はあって良いと思います。それでも、poohさんの書き方は、極力それを抑えた書き方ですが。

------

皆さんへ。

ニケさんは本分を削除されましたので、この件に関しては、これから一切触れません。ニケさんの削除という行為に関する評価も同様です。

この件は、これで終了です。ここのコメントは、閉じます。

投稿: TAKESAN | 2008年6月17日 (火) 15:58

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