TENSAI
これはすっごい面白いね。一気に読んでしまった。
え、私?
10代後半くらいから21・2歳までにかけて、自分は天才だと思ってました(笑) それが馬鹿な間違いだと気付いたのは、24・5かな。結構早かったのか。その時感じたのは、自分が生活してきた狭い空間での位置付けだけで評価する事の愚かさ。それと、自分が天才だと思い込む、あるいは天才にコンプレックスを持つ事が、自分の能力を高める事になんら寄与しない、という所に気付いた。他人の存在を意識して自分を鼓舞する、なんてのは、ある程度はいいけど、それが行き過ぎると、自尊心肥大のコチコチの認識になるしねえ。そんな事考える暇があったら勉強しようよ、なんて。
一箇所だけ突っ込み。
そして測定とか計量とかいうものが、いかに信用ならないかということ。
信用ならないのは、測定とか計量とかの意味を知らず、調べもせずに、それを適当に使ってしまう、「人間」なのですね。それこそ、数量化の理論とかは、天才的な人達が考えてきた訳ですから(←余計な一文だなあ)。
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コメント
自分が天才だと思っている人は、天才ではありません。本当の天才には、自分が天才であるという自覚はありません。
多数の天才とのつきあいの結果得た、経験則です。
投稿 かも ひろやす | 2008年5月10日 (土) 15:04
この方の経験は極端ですが、成績が平均以上の人は程度の差はあれ、同じような勘違いと挫折を経験しているのような気がします。得意分野はそれぞれなので、ほとんどの人が経験しているのではないかとも。
スポーツや将棋という勝負の世界ではよく聞く話でもあります。
それにしても早熟度を示すにすぎないIQの誤った解釈は罪作りですね。
投稿 zorori | 2008年5月10日 (土) 15:26
かも ひろやすさん、今日は。
私が知っている(直接は知りませんが)天才は、思いっきり、自分を天才だと仄めかしていて、天才論を展開していたりします(笑)
残念ながら、この人は天才だ、という人に、直接出会った事が無いのです…。
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zororiさん、今日は。
IQが高い、人よりちょっと上達が速い、という場合、周りにおだてられて、調子に乗ってしまい、もしかして自分は……と考える事が、あるのですよね。
知能指数にしても偏差値にしても、その意味合いが深く考えられる事無く適当に用いられますね。結構悲劇的だと思っています。
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天才、というのも、かなり曖昧な言葉ですよね。それぞれの「天才観」みたいなものがありますし。私にとっては、イチロー選手や宮本武蔵は天才ですけど、賛同しない人も多そう。身体を使う文化と言葉を使う文化、という違いもあったり。
投稿 TAKESAN | 2008年5月10日 (土) 17:36
こんにちは、TAKESANさん。
>私が知っている(直接は知りませんが)天才は、思いっきり、自分を天才だと仄めかしていて、天才論を展開していたりします(笑)
ギクッ・・・私だろうか?(笑)。
まあ、天才の幸福論に関しては、普通の能力の人間が「天才だからって幸福とは限らないよ」なんて言うより、天才の振りして言った方が説得力があるのでね(笑)。
一応説明すると、私も「二十歳過ぎたらただの人」への道を一直線に歩んでいたんですよ。どこかで、道を踏み外してしまって、なにやらかやら「やっかい事」を皆押し付けられる道に踏み込んじゃったんですね。でもって「仕方ない」とやっかい事をこなしている内に、とても自分を普通とは言い張れない面がでてきただけです。
投稿 技術開発者 | 2008年5月12日 (月) 12:54
技術開発者さん、今日は。
あ、いえ、別の人でした(笑)
確かに、天才は幸福か否か、っていうのは、天才に言って貰った方が、はるかに説得力がありますですね。
実際問題、天才や超早熟(普通は、これは天才と称されるでしょうね)の人が幸福になれるかどうかは、周りのフォロー如何なんでしょうね。平均から大きくはずれている人、という事に変わりは無いのですしね。
投稿 TAKESAN | 2008年5月12日 (月) 13:51