過小評価と過大評価
2008年5月18日追記:下の方に追記してます。
合気について調べていて、こういうエントリーを発見⇒合気道の科学」と「空手・合気・少林寺」 - 武術とレトロゲーム - Yahoo!ブログ
ちょっと惜しい読解だと思いますね。
高岡氏の疑似科学性を指摘する姿勢には共感しますが、若干的外れの箇所もあるように思います。吉丸氏の説を科学的と看做しておられるのかな。それはちょっと、筋が悪いと感じるのですが、どうでしょう。屈筋優位と伸筋優位という概念は、全く不充分ですしね。※ところで、少し調べてみましたが、伸筋/屈筋という概念、リハビリテーションの分野等で用いられているようですね。
高岡氏の、レフ/ラフパワー概念が優れているのは、そこから、メソレフパワーという概念を導出した所にもあると思うのですね。ある体系内で通用する運動が他の体系にも優れたものであると一般化出来る訳では無い、という所を解明したのですね。これは、一般的な言い方をすれば、「それぞれの武道で有効な力の出し方は、他にすぐ応用が出来る訳じゃ無い」、となって、「当たり前じゃん」、と思われるかも知れませんが、科学とは、当たり前だと思われている事をきちんと対象化する、というのも含んでいるのですね。この概念については、「鍛錬シリーズ」に詳しいですね。メソレフパワーは、「名前」との結び付きも重要ですね。尤も、かなり仮説的ではありますが。「法力」の部分については、確かに、かなり言い過ぎっぽい所がありますしね。私は、あれは数割は冗談だ、と解釈しています。主旨は、言葉の意味世界が身体運動に及ぼす影響は強いから、「名前」が重要だ、という部分だと思います。※高岡氏はどこかで、「言い換えに過ぎないじゃないか」、という批判について言及していたと思います。ソース失念。
話を高岡英夫氏と「空手・合気・少林寺」に戻します。結局、高岡氏は、「何だかよくわからないけど、すごそうなことが書いてある。」と一般大衆に思わせたかったのだと思います。また某教団と同じく、「インテリ学生が強さや達人の動きに憧れて、コロっといく。」方法をよく心得ていると思います。内容は対話形式で進みますが、実際は高岡氏が創作した架空の人物ではないかと想像され、言わば自画自賛・我田引水的な構成となっています。高岡氏が新造語、新概念を提唱したあと、作中の他者が「これは、歴史的な発見になるかもしれませんね。」と言った感じのコメントをするノリです。
この分析、高岡氏の意図については知る由もありませんが、それを措くと、確かにそういう面は感じますね。よく言えば、とても巧み。まあ、教団に準えるのは、色々考えるべき所ではありますけれども(信仰に近い思いを懐いている人は、いるでしょうけれど)。
それに対して、「丹田」や「経絡」のような実在しない観念上の器官名を多用せずに、西洋の運動生理学やスポーツ理論でも認められている「屈筋」と「伸筋」の二分法によって、二種類の力の使い方・出し方を解説した吉丸氏の理論は斬新で、日常の稽古にも応用の利く具体的な理論でした。
ここにはちょっと、首を傾げます。人間の身体の複雑な運動を、「屈筋/伸筋」という観点で分類するのは、物凄く無理のある主張で、過度の単純化であると考えます。バイオメカニクス的には、目的とする運動に関して最も効率的な筋収縮が行われるのを、「優れた運動」と呼ぶ訳です。時々刻々と、適切に、筋の収縮・弛緩を行う。論理的には、「伸筋優位」な運動という概念は、あまり適切とは言えないでしょう(たとえば、ハムストリングスはどっちでしょう)。簡単に言うと、腕を伸ばさなくても良い局面では、伸筋は「弛緩させなければならない」場合もあるのですね。
仮に高岡氏がラフパワー=ガムシャラな力=素人の力み方=屈筋群優位の運動、レフパワー=洗練された力=呼吸力・合気・気の力・勁=伸筋群優位の運動と、吉丸氏の著作より先に表明していれば、もっと評価していたかと思います。「屈筋群」の箇所を「表層筋(浅層筋)」、「伸筋群」の箇所を「深層筋」に置き換えて、当時発表していたとしても、同様に評価していたと思います。
屈筋は、浅層の筋肉を指すのではありませんよね。当たり前ですけど、伸筋が深層筋を指す訳でもありません(それに、上の方、イコールで結んではいけないです)。ところで、高岡氏は、たとえば『意識のかたち』の105ページ辺りで、腸腰筋の重要性を説いていますね。腸腰筋の重要性は、各所で語られるようになりましたが、この筋肉、伸筋/屈筋のどっちでしょう。
高岡氏が独自の概念をよく提出するのは、その通りですね。ただ、それまでに、適切に概念を示す術語が無かったなら、それを提唱するのは、科学的に当たり前の話です。当然、既存の体系、あるいは先行研究との整合性が確認されねばならないのは、言うまでも無い事です。その意味では、独自過ぎるという印象はありますね。とても有用で興味深いものではあるのだけれど。
私が高岡氏を「だめだコリャ」と思った瞬間は何度かあります。ひとつは、福昌堂の某誌上で「合気特集」があったとき、高岡氏が「合気」を解明するようなコーナーがあり、その中で高岡氏は「合気」をいくつかに分類して解説していました。その中に「波動合気」と言う分類があったのです。宗教界や疑似科学の分野で「波動」と言う用語が、本来の自然科学の定義を離れて、どのような使われ方をしているか知っていて「波動」などと言っているのでしょうか。
ここは、部分的に同意。確かに、波動の使い方は、ちょっと怪しい。ですけれど、合気の分類自体は、とても興味深いものでした。特に、「第一の合気」と「第二の合気」については。あれは、その後の「低次合気」、「中次合気」に通ずる考え方だと読み取る事が出来ます。
別に四重でも八重でもいいのですが、高岡氏の弟子がヒクソンの弟子にスパーリングで勝てたら信用します。前述の「丹田」よりもさらに実在しない観念上の器官である「四重構造の腰」を持ち出されても、思弁的で具体性に欠けます。「四重構造の腰」を提唱しなくても、ヒクソンのテクニックと強さは十分説明できます。むしろ、ヒクソンの妻とヒクソンが、サーフィンの達人であること等に注目すべきでしょう。
腰のディレクターが多重構造である、という部分についての批判は、その通りですね。思弁的と言うか、疑似科学的。身体運動の構造が、腰の運動が多重構造であるが如くなる、という論理自体は、それほど「思弁的」ではありません。ポイントは、何故、単なる観察でそこまで解るか、という所と、それを確認する術が無いのに断言している、という部分でしょう。まあ、何をもって多重とするか、というのが全然明らかで無いから、実体的で無いとは言えるけれど、「思弁的」というのは、ちょっと語感が合わないですね。それにしても、弟子が勝てたら、という論理展開は、この種の論では、あまり筋の良いものではありませんね。だって、弟子が勝つ事と身体意識の構造のあり方が証明されるのは、全然異なった現象なのですから。
また「空手・合気・少林寺」では、塩田剛三氏のことを「技の切れなら植芝盛平以上と言われている」と記載しています。私は武術・格闘技関係の雑誌や書籍をかなり読んでいるつもりなのですが、いまだに「空手・合気・少林寺」以外の文章で、「技の切れなら植芝盛平以上」と言う表現に後にも先にも出会ったことがありません。学術的な体裁にするのなら、参考文献(出典)は全て明らかにしてほしいものです。それとも、単なる「耳からの伝聞」なのでしょうか。たとえそうだとしても、多数意見である必要があります。
高岡氏の書くもので、伝聞あるいは噂話的なものは、結構多いですね。引用文献も(特に、最近の著作では)あまり無く、良いとは言えません。その意味では、学術書としては不充分ですね。
うーん、高岡氏の論評については、異論はあるけれども、概ね妥当な批判だと思うのですけれど(批判は当たっているが、過小評価もしている)、吉丸氏の論が優れていると看做すのは、あまり適切では無いと感じます。
武術関連ではあまり見ない、良エントリーですね。ここでは、高岡氏に関しても色々論評しているので、ご批評頂ければありがたいです。
2008年5月18日追記:高岡氏が丹田について語っているものを引用します。引用文献は、『極意要談』(P180・181 伊藤信之氏との対談の部分)
伊藤 正中線は、陸上競技でも肉体と直接的対応を考える段階では軸として理解することができますが、武術でしきりにいわれ、高岡先生も重要視されている「ハラ」とは、一体どういうものなのですか。
高岡 「ハラ」、「下丹田」と古来から言われてきたものは人体下腹部の中心にあるとされている点ないしは球状の部分です。しかし、その部分は、解剖学的には腸があるばかりで他には何も見いだせません。ところが、その丹田があるとされる周りには、大腰筋、腸骨筋、上下双子筋、方形筋、横隔膜などの深層筋群と腹筋、腰背筋などの浅層筋群が丹田を中心に長球状の構造を形成しているのです。
つまり、「丹田ができる」とは、こうした「長球状筋構造体」が至適のバランスを持った統一体として筋収縮活動を行うことを指すのです。
伊藤 武道家の人達のハラに対する説明には、極めて観念的な印象を持っていたのですが、先生の説明は極めて明快ですね。
高岡 ただ、深層筋や深層小筋群は、意識化することが極めて難しいのです。そこで意識と動作の関係がまた出てきます。丹田自体は、それらの筋肉群を統一的に動員するための「意識装置」であるわけです。
伊藤 なぜ、ハラが利くと動きがよくなるのでしょう。単に意識化できない筋肉というのは、その丹田周辺の筋肉群以外にも体全体に沢山あると思いますが。
高岡 それは、四肢の運動や体幹・呼吸運動の本質的な因子を根底から支えているのが、この長球状筋肉群だからです。それが本質的な因子を担っているということは、脊椎や骨盤とのつながりを考えれば容易に推察できると思います。
ついでに申しますと、中丹田があるといわれている胸の部位、つまり胸郭を取りまく筋肉群も長球状構造体をなしており、この意識中心が中丹田なのです。
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空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論 著者:高岡 英夫 |
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空手・合気・少林寺 (続) 著者:高岡 英夫 |
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合気道の科学―合気・発勁の秘密を解く! 著者:吉丸 慶雪 |
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高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに 著者:高岡 英夫 |
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
もちろん、レフパワーという、ごく一般的な概念を提出した事自体にも、大きな意義がある訳ですけれど。メソレフパワーというイーミックな概念は、そこから導出されるのですから。
投稿: TAKESAN | 2008年5月18日 (日) 11:54
これから、高岡氏が丹田について語っているものを引用して、本文に追記します。
投稿: TAKESAN | 2008年5月18日 (日) 12:33
このあたりの著作,知り合いの太極拳修行者から教えて貰ったときは衝撃的でした。レフパワー的なダメダメな力の使い方という部分は,何となく理解できる部分もあったのと,当時,構造主義もどきを武器に武術を読み解くというアプローチが新鮮でした。
武技の場合,使えてなんぼ,実際に手合わせすれば,理屈で何を言おうが,と云う部分もありますが,それなりに違う断面を見せてくださった方ではあります。
本当の意味での武術家は,彼の元には入門させてもらえないようです。そのあたりが見えてしまうと,やや萎える部分もあります。甲野さんのような商売がしたかったのかもしれません。
ダイレクターの話も含め,単純に毒されるとやばい部分もたくさんある方ですね。
吉丸 慶雪氏の「発勁の科学」については,自分は八極系の発勁しか経験がありませんが(師に食らう方の経験です),・・・です。
陳家4傑を上回る馮志強老師に教わった後で出されたようですが,うーん,伸筋理論も含め,過剰一般化,未消化の部分が多すぎるような。
投稿: complex_cat | 2008年5月19日 (月) 17:41
complex_catさん、今晩は。
私の場合は、武術を論理的・科学的に分析しているものを読むのが、高岡氏の本が最初だったりします(笑) それまでに、実践家の本はいくつも読んできましたが、それとは異なる高度の論理性に、やられました。
武道・武術と西洋科学の両方に関心を持つ、という事自体が、あまり無いのだと思います。これは、武術の体系が、そもそも分析的・自然科学的な対象とされるのを嫌っているから、と推測しています(現代武道の内、柔道・剣道等は、バイオメカニクス的なアプローチも盛んですね)。で、それを結び付けて論じた高岡氏の業績は、高く評価されてしかるべきである、と考えています。やっぱり、何だかんだ言って、「最初にやった」人は凄い、というのはありますね。
高岡氏の本に触れていなければ、今の自分は無いです。
尤も、行き過ぎの面がありますから、そこは強く注意しなければなりませんね。上手く採り入れていかないと、妄信する事もありますしね(経験者語る)。
またこれがややこしいのですが、高岡氏、動きが尋常じゃ無いのですよね。「出来る人」ですからねえ。武蔵の動きとかも、本人の動きが凄いだけに、おお、そうなのか、と鵜呑みにしてしまいかねない。
※私は、武蔵の文献や肖像画の解析等を行って、それを実技として表現した、という面で、とても貴重な仕事だと思っています。でもそれは、死んだ人のDSを云々、という所とは、切り離して論じるべきなのですよね。
吉丸氏の説については、全く科学的で無い、と考えています。伸筋/屈筋なんかが、解剖学的に定義された術語であるだけに、却って紛らわしい、という事もありますね。人間は、目的の運動に合わせて骨格筋を適切に収縮・弛緩させていく訳で、それを伸筋云々というものに還元してしまうのは、結構まずい。その意味で、レフパワー(のイーミックな概念)である「呼吸力」や「気の力」を用いた方が、逆に有効である可能性すら考えられます(レフパワーという概念は、「絶対に正しい」、つまり、トートロジカルな正しさを持った概念だから)。
馮志強氏の演武は、大分前にビデオで観た事があるのですが、物凄かったですね。
ちなみに、高岡氏の比較的近年の著作、たとえば『究極の身体』などは、レフパワーのバイオメカニクス的な論理を解説したもの、と位置付けられると思います。レフパワーという一般的な概念の提出と、その実体的構造機能の解析・説明が、車の両輪だと捉えています。
腸腰筋やハムストリングスの重要性を、武術関係で10数年前から論じていたのは、やはり凄い事だ、と感じますね。当時は確か、東京世界陸上を研究した生体力学者のチームの仕事が大きかったのですよね(『鍛錬の展開』でもデータが引用されている)。
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武術関連だと、長文になる悪い癖が…。
投稿: TAKESAN | 2008年5月19日 (月) 18:20
ちょっとググってたら、Wikipediaの「合気道」内の、「合気と呼吸力」という項がヒットしたので、読んでみたら、実によく纏まっていました。
で、書き手の名前を見てみたら…。
>Musounoken
おお、もしかして、夢草の剣さんでは。
投稿: TAKESAN | 2008年5月19日 (月) 19:54
長文レス,嬉しいのでお気になさらず,お願いします。内容について,同意いたします。特に,現代科学用語が,正確に使われないことによる混乱は,「進化」「適応」等と同様,意図せず偽科学が生まれる構造と類似してしまうので,注意が必要だと思います。
日本武術の場合,中国武術で言うところの「勁」や「勁道」,仙道用語で言うところの「神」(≒気脈)という概念が「気」に含まれているので,話がややこしくなりますね。気から勁を分けたところは,中国の発明かなと思います。武術の科学的解析アプローチにおいて,先ず,分けられるだけ分けたアトミズム的解析後の統合,ホーリズムというのが必要かなと思ったりします。
馮志強老師,陳家の4傑レベルは北京に100人単位で居ると曰っただけのことはありますね。4傑の一人の完全発勁をこっそり拝見したことがありますが,化け物でしたので,その強さは想像できません。形意拳系もベースになっていることもあるのかも知れませんが,陳発科老師のレベルを師のスタンダードとして修行されただけのことはあります。私は老師の技に触れる機会もなく,まことに残念です。
八極系の師に対し失礼にあたるので,余り無節操にやれないのです。
投稿: complex_cat | 2008年5月20日 (火) 12:01
complex_catさん、今日は。
実際にある術語の意味をきちんと踏まえないままに、独自の体系に組み込むと、それはニセ科学的なものになってしまうのだと思います。一部分は妥当だが、それを何でも説明出来る「原理」として扱ったりする場合も、同様ですね。
勁の概念は、素晴らしい発明(あるいは発見)だと思います。経験的に、膨大で精緻なシステムを創り上げたのは、凄いです。
仰るように、アトミスムとホーリスムの両方のアプローチが必要ですね。どちらか、というのでは無く。そこでは、領域横断的、学際的な視点がとても重要ですね。
中国武術の名人の映像を観ると、物凄いですね。動きが全然違う。
投稿: TAKESAN | 2008年5月20日 (火) 13:22