違い
ニセ科学に関して、「呪術」という概念からアプローチされているエントリーがあって、はてブも結構ついていたり、poohさんが言及なさっていたりしますね(元々poohさんは、こっち方面のアプローチをよくされる)。それについて(分野としては、人類学とか民俗学とかになるのかな?)の知識が無い私は、読んで、なるほどなあ、と思います。
重要なのは、合理的・論理的であるからといって、即、それが科学的である訳では無い、という所かと思います。これは結構前から、何回か書いています。
Interdisciplinary: 科学的、合理的、論理的(他にもいくつか書いたはずだけれど、見つけるのが面倒…)
コメント欄に、「木を切ったら風が止むのでは」、という推論を子どもがした、というエピソードを書いていますが、これは、実に「合理的」な思考だったりする訳です。ですが、「科学的」では無い。それまでに実証的(実証という概念をどう考えるか、というのも、物凄く重要なトピックだと思いますけれど)に確認された知識と整合するか否か、という点を考えなければならないからですね。それぞれの分野が完全に独立している訳では全く無いのですから。
超能力捜査も水伝も、それなりに論理的ではあるのです。他の物事を無視すればね。
科学って、やっぱり優れているのですね。現象の構造を解明したり、予測や制御に応用したり、という目的を考えると、やはり、他の文化とは違う、と言っていいかと思います。それをまず認識するべきなんじゃないかな。
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コメント
「Interdisciplinary: 科学的、合理的、論理的」も読み、なるほど、
<「合理的」な思考であっても、「科学的」では無い。>との論が分りました。
素人は自分で合理的、論理的思考で納得させられても、「科学的知識」が十分でなく、抜けている要素が多く、だまされやすいと云うことでしょうか?
だまされない為には、幅広い(科学的な)視野(知識)が必要となり、それは、素人の雑学程度では、不十分と云うことでしょう。
深い科学的な知識は、普段のテレビ等の流すマスコミの情報では、片手落ちで(マスコミ<記者>の思い込み等で、誤った情報を流すこともあり、)注意しなければならず、自身で勉強するにも限られて来るような気がします。
その為には、素人はどのように対処すれば良いのでしょうか?
普段から森羅万象に疑問を持ち、知識を吸収する努力をし、深い思慮を持ち、惑わされないよう、自分の考えを持つこと(疑念を持つこと?)からしか、無いような気もしますが…。
投稿: mohariza | 2008年5月 3日 (土) 23:20
moharizaさん、今晩は。
ものによっては、専門的な知識が不足しているから判断がつかない(間違った判断をする)、という事があると思います。
だまされないためには、全ての科学の基盤である物質科学的な知識を、ある程度でも知っておく必要がある、と考えています。現代社会では、そのため(でたらめに騙されないという目的)に学ぶという面もあるのではないかな、と。科学っぽいもので騙す人が、存在する訳ですしね。
あくまで私の個人的な考え、という事で受け取って頂きたいですが……
▼▼▼引用▼▼▼
深い科学的な知識は、普段のテレビ等の流すマスコミの情報では、片手落ちで
▲▲引用終了▲▲
その通りだと思います。私は、テレビを観て断片的な知識を得るくらいなら教科書を読もう、と言うと思います。多分、高校くらいまでに、数十冊のテキストを持つと思いますが、そこに書かれてある事は、「深い科学的な知識」です。
後、心構えとしては、自分も騙される可能性があるかも知れない、というのを念頭に置いておくべきかな、と。疑うべきですよね、色々。
何か一つでも疑問に思った事を調べていく、というのも良いかも知れません。そうすると、色々勉強しないとどうしようも無い、というのを思い知ります。私もそうでした。たとえば、「人間はどうして物が見えるか」、とか、「言葉をどうやって理解しているか」、とか。そういう所を考えていくと、水伝なんかがどれほど薄っぺらい主張か、というのが解ってきて、科学の威力と言うか、凄さが実感出来るのだと考えます。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 4日 (日) 02:22