何故かと言うと
はてなブックマーク - なぜいつまでも水伝? - uumin3の日記
ちょとよく解らないので、引用しつつ感想を。
以下のような杜撰な実験には大した意味がないんだということは子供にもわかるのではないかと。
子どもどころか大人でさえ真面目に受け取る人がいる、という所が問題になっているように思います。それこそ、ブログ検索でもしてみれば、そこそこの数の人が肯定的に受け取っている事は、確認出来るかと。
それから「よい言葉」をかける云々全般については、なぜ日本語に反応しているのか、というあたりで問いかけて見ればいいのではないでしょうか?
水伝は、どんな言語でも、良い意味を持つ言葉であれば水は反応する、という説明をしていますね。もちろん、それ自体無茶な設定なのですが、信ずる人はそれでも信ずるのであって…。
そしてそれでもなお、という人が本当に今でも多いのかということについてはこれこそ検証しなければいけないことではないかとも考えます。
これは、よく出てくる事ですね。うーん、必ずしも、量的な所、つまり、「信じている人が多いから」、というのを批判の根拠にはしていないですね。教育現場に用いられた事、超有名芸能人がテレビで紹介した事、バラエティ番組で紹介された事、等が、かなり重視されていますね。それに、日本以外にも広く知れ渡っているようです。ところで、「多い」というのを、どのように評価するのでしょうね。推定をして、このくらい信じている、というのを調べる、って事なのかな。どのくらいいれば、「多い」と判定するのでしょうか。
水伝本が売れたのはもう2、3年前の話。そして具体的な水伝を広めようとした事例も、もう1、2年前のものが多いのではないかという印象も受けました。
最近、江本氏の本が文庫化されましたね。講談社の。広めようとした事例が1・2年前のものが多い、と判断されるのが、よく解らないですね。今の方が少ないという判断は、どのようにしてなされたのでしょう。いや、まあ、印象と言っておられますけれど。
で、その流行はどうなったかといえば、結局どれも数年で火が消えたように祀り捨てられているわけでして、もしかしたら水伝についてもその類のものではないかという感触がないではありません。
あと1、2年も放っておけば、自然に消滅してしまうようなものではないかという印象が強いんですよ。それこそ何か陰謀的なものがない限り、私でしたらほとんど消えるほうに賭けたい話ですね。そういう妙な危惧(陰謀論につながりかねない不安みたいなもの)も批判なさる側に実はあるんじゃないかと思えたところもちょっと…ということなのでした。
まず後半。陰謀論に繋がりかねない、というのが何を指しているのか…。もしかして、玄倉川さんが書かれたような、ニセ科学を広める陰謀がある(というのを言い出す人が出てくる可能性)、的な話? 違うかな。ちょっと読み取れません。
前半に関しては、事前にそういう評価を行うのは難しいんじゃないかと。ゲーム脳も最初、ほっとけば消え去る、というように捉えられていましたよね。特に業界も動かなかったし。その結果がどうなったかは、まあ、言うまでも無い事です。ですから、放っておけば消える、という見立てには、ちょっと首を傾げてしまいます。
て言うか、水伝は、ここ2・3年で広まった訳ではありませんよね。批判活動が目立ってきたのがここ2・3年だ、という事なのでは。
水伝が採り上げられた事例としては、某ブクマ(カテゴリー:水伝)とかwiki(芸能人が紹介した例)が参考になるかと思います。
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コメント
トラックバックありがとうございます。整理した(つもり)の論点は7日の記事で書きましたので、よろしければご覧ください。
さて陰謀論云々についてですが、あれはちょうどアメリカでインテリジェントデザイン論が宗教右派による宗教教育展開のための策略である、というように捉えられたのと同様に、水伝に関してもその背後に何か(商売以上の)企みがあって、それで殊更叩くべきと思っている人が多いのかなと少々思えた、ということです。
書籍販売の展開をも詐欺的な商売とするなら血液型の方が出版点数は多いですし、テレビの影響と言う面ではオーラの泉の方が悪い影響をふりまくでしょうし、教育の点においても各種宗教教育の方が教えられる学生数は多い…にもかかわらず、なんで水伝が特別視を?という素朴な疑問がありました。
水伝の背後にけしからぬ企みを見てしまっている人が多いのかなあとそこらへんで思えて、それで「陰謀論につながりかねない不安」をもつ人がいるんじゃないかという推測を立てたのでした。
ここらへんが説明です。おわかりいただけますでしょうか?
また疑問点がございましたら、トラックバックなりコメントなりでよろしくお願いいたします。
投稿: uumin3 | 2008年5月 7日 (水) 06:53
おはようございます。
ニセ科学の根強さ(例えば、ホメオパシーなど)が分かっていらっしゃらないのだと思います。
商売と結びつくと、ネズミ講のように何度でも繰り返されるのに。
このような言い方をする方は、実はニセ科学批判を聞いて初めて、「そんなこと子供でも分かる」と自覚したのじゃないかという気がします。批判を知らないと、分かる、分からない以前に問題意識が無く、考えることすらしないので、何となくまともな科学だと見逃しているのではないかと。
「TVなんてどうせヤラセに決まっているじゃないか、目クジラ立てることも無い」というのと似ている気がします。ヤラセと分かっていて視聴率が取れたり、ニセ科学と分かっていて本が売れたりすると思っているのかなあ。
uumin3さん、
「水伝」は道徳教育現場まで侵食したという事情で多少特別視されている面もあると思います。皆さんの地道な批判もあって、やっと沈静化し始めたところではないでしょうか?
ただ、他のニセ科学も批判されており、水伝がとりわけ特別視されているわけでは無いと思いますよ。
投稿: zorori | 2008年5月 7日 (水) 07:15
水伝の事例リストは No.4560さんのとこのまとめのほうが,ちゃんと時期が書いてあるし,古いものも充実していてよいと思います.
http://www.geocities.jp/mizo4560/mizu/mizu001.html
TOSSは2000年くらいからありますね.ほとんどのページは,批判がマスメディアに出た頃に消されちゃってますが.
投稿: たかぎF | 2008年5月 7日 (水) 09:51
uumin3さん、今日は。
よく解らないのですが、ほぼ全て、印象に基づいて評価されていますよね。後、「○○より△△が」、というような、優先順位の問題。
水伝普及になんらかの陰謀が…的な、という所を批判しているものは、少なくとも、私は見た事がありません。また、水伝流布において、何をもって陰謀とするか、というのも判然としません。
えっと、世間に対する影響度の大きさの度合いに応じて批判の強さは変わるべきだ、という事なのでしょうか。批判というのは、それぞれが優先すべきだと思うものに対してなされるのであると思います。ある公的な組織が、というのなら別でしょうけれど。
水伝批判が目立つのは、田崎氏の文章が話題を呼んだり、菊池氏が代表的なものとして採り上げておられるから、というのもあるでしょう。ある意味(ニセ科学の)象徴的存在として看做されているのでしょう。ある程度広まっていて、しかも凄まじく間違っていて、それが解りやすいから(予備知識がほとんど要らない。血液型性格判断のニセ科学性を説明する方が、圧倒的に難しい)、採り上げられる、というのはあるかも知れません。「批判しやすいから」、という面は、確かにあると思います。ケースとして扱いやすいですから。
ところで、菊池氏は、江原氏も強く批判している、というのはご存知ですよね。血液型性格判断に関しても、そうです。
宗教教育と水伝を比較する観点は、私にはよく解りません。
そもそも、「ニセ科学」の話だったのでは?
uumin3さんは、ニセ科学を批判している人の言説を眺めて、何故か水伝批判が多い、と感じられた訳ですよね。それって多分、はてブの反応なんかですよね。その印象自体が正しく無いかも知れませんよね。
もちろん、総体として、水伝批判が最も多いという可能性はありますが(私自身、割合は多いという印象は持っています)、必ずしも、批判者にとって、水伝が優先されているとは限りません。たとえば私は、ゲーム脳批判を優先しています。それは、個人的に、水伝よりも危険だと考えているからです。分量的にも、ゲーム脳批判の方が圧倒的に多いです。
しかし、だからといって、水伝批判が多い(としても)事に、特に何か言う事はありません。それぞれの論者が問題だと思ったものを採り上げ、きちんとした批判を行えば良いのですから。
ゲーム脳批判に関しては、私がゲーム愛好者だから、というのもあります。そこそこ知識を持っているから、という。批判しやすい所を批判する面もあります。
------
zororiさん、今日は。
ニセ科学批判者への批判としては、そんな誰でもインチキだと判るものを批判してどうする、とか、他にも採り上げるべきものがあるだろう、というのがありますよね。
私自身、出た当時は、ゲーム脳なんてその内消えるのかな、と思っていた方なんですよね。ところが、全くそんな事は無く、未だ講演会が開かれたり、教育に関わる人間が肯定的に扱ったり、保育学の教科書に載ったりする現状です。
水伝は、ホメオパシーとの親和性も高いですよね。そして、言葉に対する誤った認識を植え付ける。外国にも結構広まっているみたいですし。
------
たかぎFさん、今日は。
あ、ありがとうございます。そちらも貼っといた方が良かったですね。
TOSSのページが消えたのも、批判が目立ってから、でしたね(それが理由かは判りませんけれど)。
現在も実践例はあるようですし、apjさんの所の学生さんの質問を見ても、何人か、水伝に触れた方がおられるようです。そこから考えると、結構浸透しているのではないか、と思います。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 7日 (水) 11:51
ええと。典型的な「調べないで思いつきを書く」ですね……。激しく脱力……。
あんまりだ……。
仕事をしなければならないのだけど、エントリ書きます。
投稿: 亀@渋研X | 2008年5月 7日 (水) 12:00
uumin3さんのご意見の主眼は、批判者が、水伝普及の背景に陰謀があると見ているのではないか、だから、殊更に採り上げるのではないか、という所ですよね。
ここについては、水伝をよく批判している者の一人として、意見を申し上げる事が出来ます。
そういう事は、全く考えていませんでした。むしろ、そういう捉え方があるのか、と新鮮に感じたくらいです。と言うか、何をもって陰謀とするのか、と思いましたし。それ自体、凄く広い概念でしょうから。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 7日 (水) 12:04
亀@渋研Xさん、今日は。
そうですね…新しいエントリーも読みましたが…うーん。
あ、そうだ。
>uumin3さん
このブログの右サイドバーに、ニセ科学関連のリンクを置いていますので、是非参照なさって下さい。特に、総論として、ニセ科学のwikiをお勧めします。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 7日 (水) 12:08
最近また還付金詐欺が多発しているようですね。
傍からみていると「まだあんなのに引っかかる人がいるの?」って感じなんですが、まだまだいっぱいいるんですよね。
エントリーとは関係なかったですかね。すみません。
投稿: Noe | 2008年5月 7日 (水) 13:28
ちなみにー。進化論と宗教の攻防戦の歴史(ダーウィン展の冊子から抜粋)これ以前もありますが割愛しまする。
>インテリジェントデザイン論が宗教右派による宗教教育展開のための策略である、
「策略」もなにもアウトでしょうって話なんですが・・。日本人からすると不思議だなあーという話なんでしょうが(年表にも日本では考えられないことですが、と一筆入っております)。
◎スコープスのモンキー裁判 1925
合衆国ではテネシー州が公立学校で進化論を教えることは軽犯罪にあたるという州法を成立。24歳の教師ジェームス・スコープスがあえてその州法を犯すことにした。裁判では州側代理人のウィリアム・ジェニングス・ブライアンと被告弁護人クラレンス・ダローが論戦を交わし、世界中の注目を浴びた。
1948年、テネシー州は公立学校における進化論教育を禁じたことでスコープス裁判を招来してしまった法律を撤回。
◎教室の創造説(1981-1982)
アーカンソー州は「創造論科学と進化論科学を均等に扱う法律」を制定した。アーカンソー州の公立学校では、創造説と進化論の両方を教えるように命じる法律である。連邦最高裁はその翌年、この州法も合衆国憲法に違反するとの判断をくだした。
◎法王ヨハネ・パウロ2世
法王ヨハネパウロ2世は、進化論は「単なる仮説ではない」と述べることで、進化の科学とカトリックとの間に本質的な違いはないと宣言。ただし、この考えについてカトリックの一部の指導者から異論が出ている。
◎教育委員会と親たちの法廷闘争(2004-2005)
ペンシルバニア州ドーバーの教育委員会は高校の生物学の授業では、ダーウィンの進化論には「欠陥」があるということ、それに代わる説としてインテリジェントデザインが有望あると生徒に明言しなくてはならないと決定した。この命令を阻止するために、11組の親が教育委員会を告訴した。
------------------
投稿: 安原 | 2008年5月 7日 (水) 20:07
Noeさん、今晩は。
こういうのって、え、そんなのに騙されるの、と思うけれど、でも、いざ自分が騙される側になると、つい引っ掛かってしまうものなのでしょうね。
私も、全然身に覚えの無い請求が文書で届いた事があるのですが、それでもやっぱり、なんかあったっけ、と考えてしまいました。まあ、弁護士事務所と称しているのに携帯番号しか無かったり、WEBで調べたりして、詐欺だと解りましたけれど。
------
安原さん、今晩は。
ありがとうございます。参考になります。
日本では、宗教観の違いなのか、それほど広まってはいないみたいですけれど、かといって、楽観視は出来ませんね。新聞(産経系だったかな)でも肯定的に採り上げられる事があるようですし。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 7日 (水) 20:40
亀@渋研Xさんのエントリーです。読んでね⇒http://shibuken.seesaa.net/article/95943014.html
素晴らしく丁寧です。頭が下がります。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 8日 (木) 00:33
>素晴らしく丁寧です。頭が下がります。
ありがとうございます。
でも、「ていねいすぎると読む人が激減する」に1万カノッサ(T^T)
投稿: 亀@渋研X | 2008年5月 8日 (木) 05:12
亀@渋研Xさん、今日は。
>でも、「ていねいすぎると読む人が激減
>する」に1万カノッサ(T^T)
まさにジレンマ的、ですよねえ。短くすると言い尽くせないし、長いと読まれないし…。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 8日 (木) 11:52
>uumin3さん
「…にもかかわらず、なんで水伝が特別視を?という素朴な疑問がありました。
水伝の背後にけしからぬ企みを見てしまっている人が多いのかなあとそこらへんで思えて、それで「陰謀論につながりかねない不安」をもつ人がいるんじゃないかという推測を立てたのでした。」
「水伝の背後にけしからぬ企みを見て」「陰謀論につながりかねない不安」
というのは、もしかして私の記事をお読みになってお感じになったことでしょうか。自意識過剰ならすみません。
「陰謀論系ニセ科学批判」の可能性について - 玄倉川の岸辺
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/5f0481a7c7620e94bd9d7460c0f4d7c5
私の知る限り、継続的に水伝(を含むニセ科学)批判をしている人で「背後のけしからぬ企み」を見て陰謀論に傾いた人はいません。もともと陰謀論好きのブログが水伝に言及して変なことを言っているのは何度か見たような気はします。
ほとんどの水伝批判派は同時に陰謀論批判派でもある、というのが私の認識です。
私の記事は今はまだ存在しない脅威について論じたものです。鳥インフルエンザほど深刻ではありませんが、ニセ科学批判にも陰謀論が取り付く可能性がある、ということを警告したつもりです。
>TAKESANさん
トラックバック送りました。
表示されないので届いてないかもしれません。
投稿: 玄倉川 | 2008年5月 9日 (金) 01:22
玄倉川さん、今日は。
ニセ科学の裏に陰謀を見る、というのは、可能性としては、充分にあり得る事なのだと思います(そう思っていた方が良いですね)。そういうのを防ぐために、批判に対して開かれた態度を採り、批判者同士の相互批判を行う事が重要ですね。そして、論を進める際に、何よりも「証拠」を重視する。
TB、届いていますね。時間差が出るのかな。
---
余談ですが…。
Lightさんの所では、お疲れ様です。
私も何度かコメントを入れましたが、議論は不能だと思いました。
投稿: TAKESAN | 2008年5月 9日 (金) 11:25
こんにちは、皆さん。
実のところ「深刻な脅威にならない言説」というのが流行ることが怖いのだろうと思ったりしています。なんていうか、私は「原始時代の工夫と祈り」なんて変なたとえ話をこさえたりするのですが、原始時代に「弓矢の工夫をする暇があったら祈ろう」という人と「いやいや、まずは獲物が獲れる工夫をしっかりしてから祈ろう」という人が村を2分して議論したかもしれませんが、実のところ、この論争というのは「今の蓄えが尽きる前に次の獲物を獲らないと村が飢える」というリアリティがあったんだろうと思います。だからこそ、「工夫する暇があったら祈る」という人たちよりも「工夫してから祈って狩りに出る」人の方がより多くの獲物を獲れたなら、あっという間に「工夫してから祈る」人が多くなったんだろうと思います。
なんて言いますか、「深刻な脅威にならない言説」の方がずっと長く生き延び、そして定着しやすいのです。でもって深刻な脅威では無いけれども、やはりわずかに社会を非効率化する面はあります。私は土用の丑のうなぎについて「平賀源内も罪なことをした」なんて言ったりします。なんらたいして脅威ではないのですが、この江戸時代のキャッチコピーはしっかり定着し、土用の丑の日に非常に大きなうなぎ需要が生じています。実のところ経済において最も良いのはピーク的な需要ではなく、或る程度コンスタントな需要の方です。平賀源内が土用の丑なんてピークを作り出さずに「夏負けによしと言うぞ、むなぎとり召せ」を上手く使って暑い時期全体にわたるコンスタントな需要をつくっておいてくれたら、養鰻業者もスーパーももっと効率的なうなぎの養殖や販売ができるのにと思ったりするわけですね。
なんていうか、血液型と性格相関にしても「重大な脅威」が無いからこそ、長く蔓延しそして定着して仕舞ったわけです。じゃあ、本当になんの非効率も生じていないのかというと、わずかずつ、ボディーブローの様な社会の非効率の増加は起こして居るんだろうと思ったりします。そういうわずかなものの積み重なりは、直ぐには社会に脅威では無いけれども、たぶん累積するとかなり大きなものに成るのだろうと思うわけです。できれば、そういうのは少ない方が良いと思います。
投稿: 技術開発者 | 2008年5月 9日 (金) 17:31
技術開発者さん、今晩は。
「じわじわ」くるものは、すぐに大きな脅威になる訳では無いので影響が過小評価される、という面があるのだと思います。だから、「そんなのほっとけば」、という風になる。当然、事前に影響力を評価するのはなかなか難しい。説得も困難な訳ですね。
ボディブローというのは、まさに言い得て妙、だと思います。
気付いたら、ある程度広まっていて、看過出来ない状態になっていたりすのですよね。初めの方に手を打っておけば、という。私はゲーム脳に拘る人間なので、こういうものの例として、ゲーム脳が浮かびます。
投稿: TAKESAN | 2008年5月10日 (土) 00:14
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080512#p1
えっと…。
きくちさんとか田崎さんとかapjさんが書かれたものは読まれたのかなあ。
これをやればこうなる、というのを想定しておくのは、戦略的には重要だと思うんですけど、既に、結構語られてきている事でもあったり…。
私は、「色々な種類の批判」を行って、後はそれを適切に使用していく、というのが重要だと思っているのだけれど…。
自覚はしてます、としか言いようが無いのですよね。自覚した上で色々やっています、と。こういうのを書くと、自覚しているからといってやっている事を正当化出来る訳じゃ無い、と非難をする人もいそうですけれど、そんな事も自覚してます。
ここでのきくちさんのコメントもどうぞ⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_f48c.html
投稿: TAKESAN | 2008年5月12日 (月) 12:48