動きの説明
怒涛の武術関連エントリー連発。
ググってたら、懐かしいものを発見⇒武術稽古法研究 010 「〈体内波〉=支点の処理から支点の質的転換へ」
2011/10/18追記:リンク切れだったので別ページへリンク⇒http://www3.ocn.ne.jp/~hanmiken/010.htm
懐かしいもの、というのは、甲野氏の説明体系、という事。著者は甲野氏自身ではありませんが、合気ニュースの本に収録されたので、私はそっちを読んでいます。
当時は、熱心に甲野氏の本を読んでいた時期でしたねえ。かなりかぶれていたかも。懐かしいなあ。
と、前置きはここまでにして。
さて、武術に興味のある方も無い方も、リンク先の説明を読んで下さい。
どうでしょう。「何を言っているのか全く解らない」のではありませんか? それは、武術の専門用語を理解していないから、では無いので、ご安心下さい。
甲野氏の動きの説明(少なくともこの当時の)が問題なのは、「ヒンジ運動」や図形を用いて、それに人間の運動を当てはめて、武術の動きを解釈しようとした、という所です。これは、ある意味で、気や呼吸力等の概念を使うよりも、ややこしい(何故なら、後者は、高度に抽象的な概念であるから)。
こういうモデルを使った説明が有意義であるためには、
- モデルが、物理学的にきちんと説明出来るものである事。
- そのモデルが、人間の運動において成立し得るものである事。
- それが可能であるとして、実践する者が、そのモデルを「体現」出来ている事。※つまり、「言っている事とやっている事がずれていない」、という意味。
- 実際に体現出来ているとして、それが目的(ここでは、武術の技法として有効か否か)に適っている、という事。
これらの条件が必須です。人間は、解剖学的構造や生理学的機能に従って運動する実体であるから、動きのモデルが物理的にある程度妥当であるとしても、それがバイオメカニクス的に成立可能でなければならない、という事ですね。
単純な力学を武術の技の説明に用いようとして、過度に単純化してしまったり、というのは、結構見られます。人間が、複雑な構造を持っていて、その運動は脳によって制御される、という側面を、スポイルしている訳です。してはならないのにね。
人間の動きは、物理学的にも生理学的にも限界付けられているのです。だから、それを「踏まえなければならない」。人間の動きを幾何学的なモデルに「沿わせよう」とすると、却って、人間の運動の複雑性や、柔軟な変形性を蔑ろにしてしまう可能性があるのですね。視覚的イメージに、認知が規定されてしまい、それに身体運動も従ってしまう。「伸筋」による説明なんかもそう。だから、古来の達人は、知覚的な側面(良い動きをした時の主観的な「感じ」。科学的には「身体意識」等)を重視した、と私は考えています。
| 固定リンク
« 掛からない | トップページ | 思い込みが激しい »
「科学論」カテゴリの記事
- メタスパイラル(2011.12.14)
- 主観、主観、ただ主観(2011.12.12)
- 公衆衛生(2011.12.07)
- ひとまずまとめ――患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について(2011.12.06)
- 科学コミュニケーション――科学語での会話(2011.12.04)
「武術・身体運動」カテゴリの記事
- 主観、主観、ただ主観(2011.12.12)
- 斬り方(2011.11.25)
- 赤池弘次と身体運動とイメージ(2011.10.18)
- 高岡英夫と遠当て(2011.09.28)
- 柳龍拳氏が(2011.09.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんばんは。
>武術に興味のある方も無い方も、リンク先の説明を読んで下さい。
というから読み始めまして、最初の段落で匙を投げたくなりました語義がわからないだけではなくて、話の筋が追えない。泣きたくなったところを、なんとか無理をして「●〈井桁崩し〉」まで読み進め、そこでギブアップしました。
で、戻って来て続きを読み始めたら……
>どうでしょう。「何を言っているのか全く解らない」のではありませんか?
ひ、ひど……(爆)
ぼく自身は人間工学も生理学も解剖学も、ま〜ったくわかっていませんが、過度な単純化というのはありそうな気がします。
類似に着眼した思いつきにとらわれちゃうと、しでかしそうですね。
投稿: 亀@渋研X | 2008年5月23日 (金) 02:07
亀@渋研Xさん、今晩は。
ごめんなさいごめんなさい。
直後の文章なので、目に入るかと思ったので…。
あくまでコツくらいに止めておくのなら、良いのですよね。胸の前に三角形をイメージして…とか。
だけれど、それが「原理」であったり、汎用性のある説明、となってくると、慎重に見なければならないのですね。身体は結局、物理に従う構造を持った存在なので。ほどほどに使いましょう、という事ですね。
------
人間は、ある程度はイメージに身体を合わせられるので(それくらい複雑な構造)、逆に厄介だったり。たとえば、「上半身に杉板が入っているかのように」、と言われれば、そういうイメージに従う身体の状態にする事は出来ますね。がっちがちに筋肉を固めて。
でも、それが実は、物凄く不合理な身体の使い方だったら? という。
投稿: TAKESAN | 2008年5月23日 (金) 02:28
>直後の文章なので、目に入るかと思ったので…。
老眼をなめてはいけない(爆)
いや、なめてたのは自分か(自爆)
もうね、数時間パソコンに向かっていると、うるうるというかヤニヤニというか、もうだめ(誤爆)
ああ、コツとかイメージとかたとえとかね、なるほどね。やりそうだなあ、自分でも。「こんな感じのものなのでは」ということに気づくと、うれしくて暴走して「原理がわかった」とかなんとか。
暴走の実例が、ほんの数行前に(自爆〜誤爆)<だから似てるだけで(ry
投稿: 亀@渋研X | 2008年5月23日 (金) 21:29
亀@渋研Xさん、今晩は。
私は、ディスプレイから1mくらい離れてるんですけど、それも結構疲れたり。て言うか、ディスプレイのサイズからすると離れ過ぎ…。
---
特に身体運動は、測定出来るものですからね。
絶妙なバランス能力を持ってると自負する武術家が、Wii Fitで惨憺たる結果に終わる、というのもあり得たりするかも(笑) 同じような外形でも内側の状態が全然違う、というのもあるんですねえ。
客観的に確認する手段が無いから、どんどん「理論」を作って悦に入る、という。
投稿: TAKESAN | 2008年5月23日 (金) 23:06