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2008年5月30日 (金)

疑似科学批判とニセ科学批判

不定期更新 思索日記(時々戯れ)  疑似科学批判(1)

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不定期更新 思索日記(時々戯れ)  疑似科学批判(番外編1

不定期更新 思索日記(時々戯れ)  疑似科学(3)の若干の(?)修正ないし補足

途中で、玄倉川さんと最近やり取りされていた方のブログだと気付きました。

書かれてある事はどちらかと言うと、科学哲学上の境界設定問題とか、そっち寄りの話になってますね。少なくとも、昨今の「ニセ科学批判」と一致するものでは無い。

昨今のニセ科学批判(「昨今の」←こういう書き方になっちゃうんですよね)の意義としては、たとえば、形而上学的な概念を原理とする説明体系を主張するだけでは、それはニセ科学と判断しない、という所を明確にした事にあると思います。つまり、神秘主義的なものを、「ニセ科学である」と批判したりする事は無い。ニセ科学として批判されるのは、形而上的概念を用いつつ、現代科学の概念を説明しようとしたり、という場合でしょうね。超越的な存在を実験によって証明した、とかね。

これは論理的に当然ですが、ニセ科学批判者がオカルトを批判した場合、オカルトをニセ科学だと看做している訳ではありません。

うーん、まあ、「疑似科学」を独自に定義して論を展開するのはご自由だとは思うのですが、どうでしょう、現在、科学哲学方面で、神秘主義や超能力等を「疑似科学」と評価するのは、常識なのでしょうか? よく解りません。文献によっては、社会科学全般を疑似科学と看做したり、形而上学的な論理を擬似j科学と判断したり、というのは見た事がある気もしますが(ソース失念)、疑似科学には「擬似」という語が入っていますからね。通常は、「非科学」とでもされるべきだと思います。宗教を非科学だと言っても、反対する人はいないでしょう(「非科学である」という判断にネガティブな印象を持つ、というのはあるだろうけれど)。言及先では、疑似科学に「科学の装いを有している」という条件が含まれていますが、それだと、神秘主義や超能力を疑似科学に含めるのはよく解りませんね。しかも、「科学的方法によって真偽を明らかに出来ない」、という条件もある。ニセ科学論的には、これは、ニセ科学と判断されるための必要条件では無かったりするんですけどね。

池内氏の本の書評なんか読むと(原典未読)、quine10さんと同じような分類の仕方なのかな、とも思います。

○○(擬似・似非・ニセ 等)科学、という概念を作って、そこに宗教や超能力やスピリチュアルを含めるのは、意味内容的にも戦略的にもあまりよろしく無い、と感じるんですけどね。科学を基準として文化に優劣をつける印象を与えそうですし。

最初、引用しつつ、ここはニセ科学批判についての指摘としては的外れである、というのを書いていこうと思ったのですが、そもそもニセ科学批判について語っていないのだから、書いても仕方無い、と思い直したのでした。

やっぱり、「水伝騒動」と呼ばれるやり取りの観察から、「疑似科学批判」一般について語るものを、最近見かけるようになってきましたね。

そこで立てた一般論を、「ニセ科学批判」にまで敷衍しないで下さいね。色々前提が違っていますので、的外れになるのが落ちですから。

少なくとも、言及先で書かれている所の「疑似科学批判派」に、自分は含まれないですね。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

ぼくも含まれませんね。絶対に。
(純粋なオカルトをニセ科学として批判することは、今後にわたってまずしない)

だれが含まれるのかはわかりませんが。

投稿: pooh | 2008年5月30日 (金) 08:01

poohさん、今日は。

今時、オカルトとか超能力を「疑似科学」と呼ぶ人、いるのかなあ。むしろ、「疑似科学批判について言及する」人が、そう言いがちな気すら…。

陰謀論を「疑似科学(ニセ科学だったかも)」と言っている人もいましたしね。

ああいった分類をして、それを元に、水伝とかゲーム脳を批判している人について論を展開すると、どんどんずれていくんですけどね(誤謬が起きる)。だから、ニセ科学や疑似科学についての議論そのものを調べれば、という話なのに。

投稿: TAKESAN | 2008年5月30日 (金) 13:29

私は最近この分野を知り、伊勢田哲治著『疑似科学と科学の哲学』を読んでいる途中なのですが、創造科学や占星術、超能力などと科学との線引き問題について書かれています。(といっても最初に書かれていることによると、最終的には「線を引かずに線引き問題を解決する」のだそうです)
ポパーやクーンの理論の解説も行われています。

おそらく伝統的?な科学哲学による科学論のアプローチだと、quine10さんのような考え方になるのではないのでしょうか?
阪大の菊池先生が展開されているニセ科学とは別物なのですよね。

菊池先生が本を出されると、もう少しこの差について議論がしやすくなるのかも知れません。

投稿: alice | 2008年5月30日 (金) 17:54

aliceさん、今晩は。

既読でしたら申し訳無いですが、kikulogにこんなエントリーがあります(きくちさんと田崎さんの書評もリンクされてます)。参考になると思います⇒http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1149857287

私が思うのは、「”疑似”科学」と称するのであるから、そもそも科学と同じ方向性のものに対する評価であるべき、だと思うのですね。で、占いや創造科学、超能力等を「疑似科学」と判断する場合には(伊勢田さんの本もそうだと思いますが)、それらが科学と同じようなスタイルを採っている、あるいは採ろうとしている所がポイントになっている、と考えています。占いを統計学的に説明しようとしたり、超能力の超心理学的研究等だったり(超心理学を疑似科学と言っている訳ではありません)。

そうで無い場合には、普通に「非科学」と表現すればすっきりするかな、と。

「ニセ科学」の場合には、(私の解釈ですが)その時点で妥当だと考えられている科学的方法に則っているかどうか、という所が重要なポイントです。従って、現在ニセ科学と看做されている血液型性格判断は、古川の時代(正確には、性格判断では無く、関連しているかどうか、という説ですが)にはニセ科学では無かった(血液型と気質に関連があるのではないか、という仮説を立て、それを実証しようとした所までは)、と説明されます。

だから、「将来実証されるか否か」は、現在のニセ科学という評価とは、また異なる話なのですね。
ですから、たとえば、Aという食べ物を食べたら頭が良くなる、という考えがあったとして、それをきちんと調べないままに、「効果が臨床的に確認された」と言ってしまったら、それは「ニセ科学」と称される事になります。その反論として、「まだ解らないのでは?」というのは的外れな訳ですね。解らない内に「効果あり」と言っている事に、変わりは無いので。

※ここに書いているのは、私なりに勉強して理解している事なので、もしかすると、他の方とズレがあるかも知れません。ご指摘頂けるとありがたいです。

『臨床心理学における科学と疑似科学』なんかは、ニセ科学論とかなり共通している、という印象です。自然科学以外の領域での議論という意味でも興味深いですし。

投稿: TAKESAN | 2008年5月30日 (金) 18:55

あ、挨拶2回しちゃいました。

kikulogには、伊勢田さんのコメントも結構あるので、そちらも参考になると思います(「血液型と性格」シリーズは読まない方がいいかも…)。

投稿: TAKESAN | 2008年5月30日 (金) 19:03

URL紹介ありがとうございました。大変参考になりました。
今であれば「非科学、ニセ科学、科学」という分類がより有効だろうことには同意です。科学哲学ではすでに疑似科学という用語で議論がかなりなされているので、今更変更するのは難しいのかも知れません。またしだいに使われなくなるかも知れません。

TAKESANさんのニセ科学の定義に異論はありません。

私のイメージではもう少し役割があって(どなたかのWebで見たように思いますが)、ニセ科学は社会的に悪影響を及ぼすものに対し、ラベル貼りしていくツールのようなものという雰囲気を感じています。また、それをきっかけに関心を持った人の思考レベルを向上させるという面もあるのかと。

投稿: alice | 2008年5月31日 (土) 13:02

aliceさん、今日は。

きくちさんや他の方々が主張する「ニセ科学」という概念と、最近よく見かける「疑似科学」という語の意味は違っているというのは、最近疑似科学論を展開する論者には、踏まえて頂きたい所です。
未科学などの概念もありますね。

後段の部分は、apjさんが仰っていますね。
すなわち、ニセ科学とは、科学で無いものに科学というラベルを貼っているものであるから、ニセ科学批判は、そのラベルを剥がし、また、ニセ科学というラベルを貼って注意を促す活動である、と。

上にも書いた、血液型性格判断。これを、きくちさんは、「練習問題」と位置付けておられます。単なる血液型―性格関連説と「血液型”性格判断”」説との違い。古川の時代にはニセ科学では無かった。反証されたニセ科学の一つ。等の論点が含まれていて、ニセ科学論を考えるのに良い題材です。

投稿: TAKESAN | 2008年5月31日 (土) 13:56

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16

↑ここでのたんぽぽさんのコメント(たんぽぽ(2008-06-04 23:57) )へのレスを、こちらに書きます。

>たんぽぽさん

「感じる」のはご自由かと。

ニセ科学とは何か、という観点と、批判はどのように行うべきか、という観点は、分けるべきでしょうね。後者には、それこそ本流も何もありません。ケース・バイ・ケースとしか言いようが無いものです。

そもそも、私とpoohさんでも、批判の仕方に関しては、考えが異なる所がある訳です(ニセ科学とは何か、という所は、ほぼコンセンサスがあると思うし、無くてはならない)。poohさんを批判してエントリーを引っ込めさせてしまった(ここの表現は難しいけれど)のは、私なのですし。

ゲーム脳にはゲーム脳の批判の仕方があるし、水伝には水伝の批判の仕方がある。それも、具体的なケースによって、やり方を変える必要がある。それを手探りしている状態です。

ところで、私の質問に、出来ればお答え頂きたいです。さほど難しい事でも無いと思いますけれど。

投稿: TAKESAN | 2008年6月 5日 (木) 11:24

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やっと、読み終わった。細かいところで読み落としはあるけど。もともと哲学の素養がないので、「理論負荷性」「過小決定」の理解に手間取り、他の本を読んだりしていた。 内容についてはこちらに良い紹介文がある。 http://d.hatena.ne.jp/hal_tasaki/20051211 一つだけ気に... [続きを読む]

受信: 2008年6月 4日 (水) 17:29

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