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2008年5月20日 (火)

策士

GJ⇒錯覚・トリック - ASIOS -

いい仕事、してますね。

錯視を紹介するページは多くあるけれど、実際同じ色なの、とか、ホントにまっすぐなの、というのは、ディスプレイに顔を近づけて手で他の部分を隠して確かめる、という具合で、結構面倒なものですが、マウス操作で手軽に確認出来るようにするとは、あまり見ないですね。これはいいアイデア。

このページについて解説しているエントリーはこちら⇒ASIOS公式ブログ: 「錯覚・トリック」で伝えたかったもの

ASIOSは、どんどん知られるべきだと思う。正しい「懐疑的思考」という概念を周知させるためにも。

ここもいいですね⇒錯視―視覚の錯覚

ちなみに、私が一番好きなのは、これ⇒ザンダー錯視

最初見た時、シンプルだけどこれは凄い、と思った。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

錯視大好きです。自分の感覚が信じられない、でも信じて生きていくしかない、ということをまざまざと体験できます。<おおげさ?

その意味でもASIOSの錯視紹介、いいですよね。あのJavaで動かせるのなんか、とっても素敵。
「伝えたかったもの」で蒲田さんが書いておいでのことにも同感です。そう思っているので、うちでも時々紹介しています。っていうほどのものではないですけど。

ASIOS公式ブログにはコメント欄がないし、今日はエントリを上げすぎたので、こちらで応援コメントしちゃいました(^^;;

TAKESANさんご紹介の「錯視―視覚の錯覚」、ここは知りませんでした。ここもいいですねえ。

投稿: 亀@渋研X | 2008年5月20日 (火) 03:50

おはようございます。

私も錯視大好きです。理屈抜きで感動します。視覚の不思議と言えばラマチャンドランの脳の中の幽霊、これでずいぶん目の鱗が落ちました。

ところで、錯視しないことが良いように考える人もいますね。あるいは、少しマイナスイメージのある心理上の作用(合理化など)も無い方が良いと思ったり。でも、避けようと思って避けられるものではなく、そういうものだという認識が重要なんですね。

投稿: zorori | 2008年5月20日 (火) 09:12

錯視から外れますが、視覚つながりということで勘弁願います。

入院中の暇つぶしに小さなスケッチブックに写真の模写をしています。中学から大学にかけて良くやってましたが、数十年ぶりのことです。で、思い出しました。人間の顔は線の幅1本分ずれても似無くなります。その一方で似顔絵は相当デフォルメしているのに似ていると感じます。(似顔絵音痴というのがあって、写実的な絵は誰かわかるが、デフォルメされた似顔絵は分からないという人もいますが)人間の顔以外の風景などにはそんな敏感なところはありません。

脳の研究者が言うには、人間にとって顔の認識は重要だからそうなっているとのことですが、理屈はともあれ実感として実に不思議なんですね。顔以外で敏感なのはお札。偽札は大体分かるのに、どんな絵がらだったか思い出すことすら出来ません。

投稿: zorori | 2008年5月20日 (火) 09:33

TAKESANさん、皆さん。
おはようございます。
私も」錯視大好きです。
以前、エントリーに挙げたことがあります。
お時間がある時でもよろしければご覧ください。
http://ts.way-nifty.com/makura/2004/11/post_16.html


では、、、またね(*^_^*)

投稿: せとともこ | 2008年5月20日 (火) 11:23

>亀@渋研Xさん

あれは良いアイデアですね。「ゲーム的」で楽しいし、自分の感覚について「えっ?」となれるのは、示唆を与えると思います。

蒲田さん(違う人みたい)の書かれている事がポイントですね。まさに、懐疑的思考のプロセスを体験させる、というもの。ちがやまるさん的には、「確かめる」プロセス。懐疑とは、疑い、確かめる事なのですよね。「猜疑」では無く。

------

zororiさん、今日は。

錯視というのは、人間が物を「そのまま」知覚する訳では無いのを教えてくれる、恰好の教材ですね。
私なんかは、人間の知覚が心理学的な作用に限界付けられているのが面白い、なんて考えたりするんですよね。

乳児は顔の知覚が早くから出来る、という話もありますね。
似顔絵音痴、というのもあるんですねえ。

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せとともこさん、今日は。

錯視は、自分の知覚が絶対では無い事を、教えてくれますね。盲点なんかも、結構インパクトがありますね。あれは、あるはずの物が消失してしまう訳ですし。

ハーマンの格子は、心理学のテキストか何かで初めて見て、おおっ、となりました。

投稿: TAKESAN | 2008年5月20日 (火) 13:04

実は私もASIOSブログ更新を楽しみにしている読者の一人です。特に本城さんと若島さんと那須野さん(笑)

投稿: newKamer | 2008年5月20日 (火) 20:21

newKamerさん、今晩は。

 >特に本城さんと若島さんと那須野さん(笑)

ふふふ…。

ASIOSのブログ、いいですね。最近の若島さんによるエントリーは、懐疑論者の心構えが書かれていましたね。誤解される事も多いと思うので、ああいったエントリーが読まれると良いですよね。

私も、超能力操作とか遠当てに関心を持ってきた、という歴史があったなあ。興味自体は今も持っていますけれど。

投稿: TAKESAN | 2008年5月20日 (火) 22:14

ちょうど、私のところでも錯視について書いたのところで、シンクロしちゃってますね。

私が錯視で驚いたのは、昔、「世界まる見え!テレビ特捜部」で見たヤツ。

http://jp.youtube.com/watch?v=WPkR-H_b7y4

投稿: a-gemini | 2008年5月20日 (火) 22:33

a-geminiさん、今晩は。

ああ、それ、リアルタイムで観てました。かなりびっくりしましたね。軽く目が回りましたけど(笑)

今も目が回った(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年5月20日 (火) 22:51

こんにちわ。

>軽く目が回りましたけど(笑)
目が回りました(くるくるー)。子供のころに、ゼビウスやったあとに、「テレビが伸びるーうぎゃー。」と騒いでたら錯覚について、親がいろいろと教えてくれました。「やり過ぎじゃなくて、錯覚。しかし、やり過ぎはいけませんね」ってかんじでしょうか。

リンク先のページ、おもしろいので友達に教えたあげたら「ものさしがまがってるに違いない(笑)」っていってました。

投稿: 安原 | 2008年5月21日 (水) 13:15

安原さん、今日は。

ゼビウスの後に錯覚とは、なかなかマニアックですねえ。

 >「ものさしがまがってるに違いない(笑)」

気持ちはすっごい解ります(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年5月21日 (水) 17:34

zororiさん
>ところで、錯視しないことが良いように考える人もいますね。

TAKESANさん
>錯視というのは、人間が物を「そのまま」知覚する訳では無いのを教えてくれる、恰好の教材ですね。

私も錯視は大好きです。ところで、錯視には色々なレベルのものがあるようですが、このサイトに照会されている checkershadow illusionなどのタイプは、危険を回避したり自然現象を現実に即して理解するために獲得された、脳の高度な視覚情報処理能力のゆえに起こるものと捉えてよいと思います。ですから、私なんか「錯視」というネガティブなイメージを持つ言葉を使うのが果たして妥当なことなのだろうかと疑問に思ってしまうのですね。

元のサイトに説明があるように、右方から光が当たっているが、円筒があるため左側は影になっているという認識を補正条件に入れた上で情報処理を行う。

仮に実際にこういう風景があったとしたら、AとBの明るさがこのようにはっきりと異なることは妥当な現実認識であって、むしろ物理測定器のように両者を同じ明るさとしか捉えられないとしたら、生存には不利だと思われます。

似たような意味合いのことは元のサイトにも書かれているわけですが、私の解釈も加えここに書き込ませていただきました。

投稿: ネット沙代 | 2008年5月21日 (水) 18:12

ネット沙代さん、今晩は。

確かに、錯視という日本語は、ネガティブイメージで捉えられそうですね。カタカナでビジュアルイリュージョンとかにすると、全然イメージが違いますね。

錯視であるとか運動残効であるとかを知ると、人間の脳の情報処理の複雑さ、巧妙さに驚かされます。

上で紹介頂いたグルグル(アルキメデスの渦)は、ものの本によれば、神経系の感度が下がったために起こると考えられているとか。面白いですね。

投稿: TAKESAN | 2008年5月21日 (水) 19:22

今後のエントリのネタ晴らしは感心しません(爆)

投稿: newKamer | 2008年5月21日 (水) 19:56

>ところで、錯視には色々なレベルのものがあるようですが、このサイトに照会されている checkershadow illusionなどのタイプは、危険を回避したり自然現象を現実に即して理解するために獲得された、脳の高度な視覚情報処理能力のゆえに起こるものと捉えてよいと思います。ですから、私なんか「錯視」というネガティブなイメージを持つ言葉を使うのが果たして妥当なことなのだろうかと疑問に思ってしまうのですね。

知覚心理学の下條伸輔は「<意識>とは何だろうか」(講談社現代新書)の中で、「知覚・認知の錯誤は、ヒトの生理・心理過程の異常であるよりは、むしろ正常な機能の反映である。したがってまた、錯誤は、正常な精神機能と特殊な環境状況との相互作用の結果と捉えるべきである。」と書いていますね。

投稿: a-gemini | 2008年5月21日 (水) 22:06

ありゃりゃ。結論が出てしまった。ネタばらしすると、あの記事は三部作で、もう下書きできてます…。

投稿: newKamer | 2008年5月22日 (木) 10:00

newKamerさん、今日は。

あら、ネタバレ入っちゃってましたか。
ここは、懐疑主義的好事家(適当な日本語)が集まる所、という事でご容赦を…。

続きを楽しみにしてます。

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a-geminiさん、今日は。

そうですね。錯視をそのようにポジティブに捉えるというのが重要だと思います。
盲点の話とか、視覚の恒常性の話なんかもそうですよね。「そのまま」見えている訳では無いけれど、その「見え方」が、とても大切。

投稿: TAKESAN | 2008年5月22日 (木) 13:04

ありゃ、ネタばれでしたか。
どうも、すみません。
書こうと思っていたネタを、「そして誰もいなくなった」でクリスティーに先にやられてしまったエラリイ・クイーンと同じ気持ちかとお察しします。

投稿: a-gemini | 2008年5月22日 (木) 17:18

ちょっと皆で書きすぎちゃったみたいですねー。

クリスティもクイーンも読んで無い私にとっては、そのネタは初耳(目)だったのでした(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年5月22日 (木) 17:30

 zororiさんの投稿の時点で悪い予感はしていたのですけどね(笑)
 無念。無念。まあ、気にせずそのまま出しちゃいますけど!

投稿: newKamer | 2008年5月22日 (木) 21:31

あれです。ここが予告編なのですっ。

どういう風な構成で記事が書かれるかが楽しみです。

投稿: TAKESAN | 2008年5月23日 (金) 01:48

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