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2008年5月17日 (土)

実は

えっとですね。

私の場合、何故水伝を批判するか。その理由の一つは。

水伝は、言葉や文化の相対主義を許さない主張だから、なんですけどね。

水伝批判に、相対主義擁護の面がある事は、結構解りやすいと思うんだけどなあ。

もちろん、ここで言う相対主義とは、価値観や文化の多様性を認める、とか、そういう意味合いの概念です。自然科学的な論理も強く相対化してしまうような、そういう立場ではありません。

水伝は、道徳の根拠を自然の振る舞いに求めているという点で(それが全く独立しているものとは、私は考えない)、科学依存的、なんですけどね。こういう場合に、もし水伝が本当だったら、という話が出てきますけれど、それを徹底的に思考実験してみればいいんじゃないかな(※ここは最初、そんな思考実験自体全く成り立たないくらいには、科学はものを解っている、と書こうとしたんですけどね。Jさんに突っ込まれる(笑) )。田崎さんの文章にも、ちゃんと書かれてありますね。

※このエントリー、実は、とある所に言及したもので、上の文章は、その余談部分なんですけど、それをばっさり切って、余談をメインにしました。書いたら、かも ひろやすさんに再び鋭い突っ込みを受けそうでしたし。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

私は元々、哲学やら現代思想やらの本を読み齧ってきたので(読み込んだとはとても言えない)、相対主義的な考え(初めは、言語論からののアナロジーで、それぞれの文化の価値観に、絶対的な正しいものは無い、という考え。この視点は、とっても重要だと思う)には、実は親しんでいたのですね。
で、そこから、反科学、みたいな考えに行っちゃったんですよね。今は、その反省がある。結局、科学を勉強しなさ過ぎた訳で。

こんなページを見付けました⇒http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000316crelat.html

それにしても、相対主義という概念自体、とても広いものですね。難しい。

投稿: TAKESAN | 2008年5月17日 (土) 01:01

>もし水伝が本当だったら、という話が出てきますけれど、それを徹底的に思考実験してみればいいんじゃないかな

徹底的ならぬ超簡単な思考実験してみます。とりあえず示したいことは、「水伝は根本的な道徳の根拠にはなっていない」です。

A.(道徳)人に危害を与えてはいけない。
B.(科学?)悪い言葉は人に危害を与える。

A.なる道徳観を持っている人はB.を根拠に悪い言葉を使わないという行為を選択します。

しかし、A.なる道徳観を持たない人は、B.を根拠に人を呪うという行為を選択します。

つまり、B.はさまざまな行為の根拠になるけども、A.(道徳)の根拠にはなりません。

また、この思考実験では、「きれいな言葉」や「人に危害を与える」が未定義で棚上げされています。B.がきれいな言葉の定義みたいなところもあり、さらに、これらが状況依存的、相対的であるということも考慮されていません。と言うよりも、水伝は考慮しないで良いという主張なんですね。ある種の音楽は悪いものだという江本氏の趣味を絶対化するものですから。

言葉や道徳は複雑なものですよね。自然科学的事実が道徳にとって好ましくない事態もあり売るわけですし、究極の選択のような場合では道徳的に矛盾するような事柄が絡み合い、非常に悩ましい事態になったりするわけですよね。古来よりそんなことが文学のテーマになったりしているわけで。それに比べて水伝にはそんな悩みが無く、なんとも脳天気なものだと思います。

投稿: zorori | 2008年5月17日 (土) 10:10

zororiさん、今日は。

corvoさんのブログ関連で出てきた話題と通じますね。

そこでは、悪意を持った人間が「悪い言葉」を投げ掛ける可能性を論じました。
その回避として水伝側は、「悪い言葉を発すると自身にも影響がある」、とアド・ホックな言い訳をしますが、「投げ掛ける側が信じていない」場合もあるのですよね。つまり、片方が「冗談」で言葉を投げ掛け、受け取った方は「本気」にする、という論理。
これは、一般的ないじめにも見られる構造でしょうけれど(いじめる側の、「そんなつもりは無かった」というのは、ある意味真実)、水伝は、「いじめに実体的・自然科学的根拠を与える」ものなんですよね。

水伝って、世の中の全てが同じ言葉を使って、しかも、初めから構成員全てが善意を持っていなければ、意味を持たないのですよね。極めて素朴です。

水伝を信じる善意を持つ人が、水伝なんて嘘っぱちだ、という人に対して感じる「苦々しさ」は、水伝的には許されるのかな。

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私が考えた言語論的な思考実験は、「良い言葉のみを用いる世界は成立し得ない」、というものです。良い言葉を知るには、悪い言葉を知り、対比させなければ認識出来ない訳で。
それを回避するためか、水伝は、言い回しの違いを示そうと、「しようね」は良い、なんて意味の解らない事を言っていますが、だからといって、「殺します」、「命を奪います」が良いとは絶対言わないでしょうね。恐ろしく勝手な分類。

投稿: TAKESAN | 2008年5月17日 (土) 11:58

こんにちは、

>その回避として水伝側は、「悪い言葉を発すると自身にも影響がある」、とアド・ホックな言い訳をしますが、

もし、そうだとしたら悪い言葉を発する人は自然に淘汰され、きれいな言葉だけの世界になりますねえ。あえて、水伝を普及させて道徳教育をする必要もないと。それに、実験のためとはいえたくさんの悪い言葉を発したり書いたりした江本氏の体が心配ですね。

投稿: zorori | 2008年5月17日 (土) 18:39

水伝本には、「悪い言葉」も沢山載っていますね。
悪い言葉だと結晶が醜い、というのを示さないと話にならないので、載せざるを得ませんね。水伝的にはそれはいいのかな。尤も、良い言葉の力の方が強いとか何とか言いそうですが(前、辞書を1ページ破ってビンに貼ったらどうなるか、というのを書きました)。

確かに、良い言葉で綺麗になり、悪い言葉で破壊されるならば、悪い言葉に関わる存在は淘汰されても良さそうなものです。しかるに、世の中には、悪い言葉が氾濫していますね。人間は、かなり長い間生きてきたはずなのに。他者や自己の発する良い言葉によって破滅を免れているのかな。とすると、悪い言葉と言っても、別に大した事はありませんね。

投稿: TAKESAN | 2008年5月17日 (土) 19:00

ふと気になりましたが。

poohさんの所の「えり 改め alice」さんと、愚樵さんの所のaliceさんは、同じ方なのかな。いや、特に珍しいHNでも無いので、偶然かも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2008年5月17日 (土) 19:46

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「水伝騒動」から私自身が考えたこと&学んだことの一部をまとめました。 ※これは私の学習メモ(今後、私が気をつけたいと思ったこと)です。 ※この内容を他者に対して強制するつもりは全くありません。 <問題を発見したときに気をつけること> 1.まずは問題点を整理する  →本当に問題なのかを疑い考える。   問題の根拠・論拠をまとめる。   問題を自分だけの価値観ではからず、様々な角度から検証すること。 2.問題だと感じた対象(人物・事柄)に接触する必要性... [続きを読む]

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