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2008年5月28日 (水)

HINKAKU

何度かこのネタ書いていますけれど。

品格って、数度の注意とかで「取り戻せる」ものなの? それで身に着けられるほど軽い、簡単なものなのか。

その前に、「取り戻す」というのは、何に掛かっているの? 現横綱? だとしたら、横綱が品格を備えていたという事実が必要だね。もしかすると、横綱になった人間て事かな。以前の横綱は品格を備えていたが、ここ最近の横綱にはそれが欠けている、的な。

そもそも、品格に欠けると評される人を横綱にしたのは誰? やっぱり、品格が「無くなった」という事か。でも、品格を備えていた人は、それを失うものなのかな。品格って、そんなものなの?

大体、品格が足りない云々という話が出てから、一体何年経ってるんだろう。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

「品格」って、それを取り沙汰するひとにしかあるなしがわからないような、なんと云うか「人間性」に似たものなんじゃないか、と云う気がします(こればっかりですね。ごめんなさい)。

投稿: pooh | 2008年5月28日 (水) 08:25

本来の品格とは、誰をも納得させるものであり、議論や多数決で決めるものではないでしょう。よって、様々な異論のある中で、物事を決めるための基準になるようなものではないという気がします。そういうレベルを超えたものだと思います。

ところが、横審や相撲協会の「品格」とは実態不明に見えます。少なくとも相撲協会は「品格」を判断基準にしているようには見えません。判断基準は「興業への効果」でしょう。それがあるうちは「品格」有りということになり、無くなったり、別のものが利用できるようになると「品格」無になるような気がします。

なぜ、そうなっているかというと、番付制度が完全な実力制ではないからではと。横綱は負け越しても番付は下がりませんから、なにか意味不明の「基準」が必要でそれが「品格」なのかなと。他の社会でも似たような状況はありますが、相撲界はそれが分かり易く見えると思います。まさに他山の石にすべきことは沢山ありそうです。ちなみに私は相撲ファンです。

投稿: zorori | 2008年5月28日 (水) 08:47

ジーンズにスニーカーで、ヘッドホンステレオを聴きつつ、アサラト振りながら通勤する僕は、「品格」について語る資格がありませんが・・・
 
仮に「横綱の品格」というものがあるとしたら、取り戻すのではなく、各個人が横綱になってから「身につける」ものですわね。

投稿: きくち | 2008年5月28日 (水) 11:13

>poohさん

品格とか人間性とか、一体それは何なんだ、というようなものですよね。ホントに、それを取り沙汰す人達にしか判断出来ないものなんじゃないか、と思います。

結局、横綱の態度の悪さを矯正する事を正当化するための概念として用いて(しまって)いる、という感じがします。「横綱だから」品格を備えていなければならない。品格を備えていない横綱は、横綱の適正を欠いている、と。
じゃあ、何で横綱にしたんだ、という話なんですけどね。横綱になった後に、品格をどこかに落としてきたのでもあるまいし。

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zororiさん、今日は。

私が思うのは、品格がどうこう、と言うのが正当な態度、伝統を順守する姿勢、と看做されると期待しているのではないか、という事ですね。
端的に言えば、「横綱の態度が悪いと、見ている人の印象も悪化するから自重しろ」、という話なんですよね。でもそれでは、いかにも身近で俗で、品のある言動とは看做されない。

品格のある無しを外部が判断して評価する、という図式自体が、私にはちぐはぐなものに見えます。品格云々を連発してどうこう、という事そのものは、とても品の無いものだと思うのですね。

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きくちさん、今日は。

本当なら、品格を備えた、あるいは備える可能性のある人間を横綱に推し、そして横綱になった人が、それをより洗練・練磨する、というものなんだと思います。それが出来る人を篩い分けるシステムになっていないといけないはずなんですよね。しかるに、そうなってはいないようです。そうなっていたら、横綱の品格が問われる事自体がおかしい話であるのですし。

アサラトという言葉を、今初めて知りました(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年5月28日 (水) 13:26

TAKESAN さん、こんにちは、

>端的に言えば、「横綱の態度が悪いと、見ている人の印象も悪化するから自重しろ」、という話なんですよね。

そういう風に受け取られますよね。
品格が漂う人というのは、その分野を極めていて、品格についても自ら考え体得しているような人を思い浮かべます。既に、現役を退き、教育的立場にあるような人です。ところが、その最高位の人に周囲があれこれ子供に対するように注意したり、教育したりしている構図というのは「品格」を演じているだけではないかと。で、その舞台裏が見えないならまだしも、見えていても気にしていないのが不思議な感じなんですね。

もともと、横綱は名誉の地位だったわけで、そのような地位ならば品格というのも違和感はあまりありません。現役の力士に品格を求めたあたりから無理があるような気がします。

投稿: zorori | 2008年5月28日 (水) 14:06

TAKESAN さん、こんにちは

品格の語感について。
一般家庭でお行儀のよくない子供に「品格を身に付けろ」というのは違和感があります。けれど伝統芸能を伝承する家系ではありかもと思えます。
横綱にお行儀レベルでの問題がある指導システムがよろしくないということなんですが。

剣道では高段者の昇段に際して技の品格が問われますが、指導システムがある程度ちゃんとしているのであまり問題が出ないですね。(擁護システムの話はまた別ですが)

投稿: グレートパンダー | 2008年5月28日 (水) 14:45

>zororiさん

既に「品格が無い」と評されている、という現実がある訳ですね。
今後態度が改まった(ように見えた)としても、それに対して「品格」が備わっている、と判断される事は、なさそうな気もします。

品格がどうこうという話があって、それをあれこれ報道する。それ自体が、いかにも「品格」という語には似合わないなあ、と思いますね。

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グレートパンダーさん、今晩は。

やはり、日本的、という印象がありますね。
伝統芸能、武道・武術に携わる場合に、取り沙汰されますよね。

ワイドショーなんかで出てきたりするのは、本が売れたから、というのがあるかもですね。ある意味キャッチー。相撲は、良くも悪くも、メディアでよく取り上げられるものだから、目立つのかな。横綱という存在自体が、ごく希少でもありますし。

投稿: TAKESAN | 2008年5月28日 (水) 18:43

ふむ。
「ジェントルマンは」とか「騎士は」とかいうのは、品格という語彙だと微妙に違うのでしょうかね。
そういえば、大昔オヤジに「ジェントルマンはポケットに手を入れて歩かない」と言われたとき、「へえ」としか思わなかったなあ。いや、自分がたしなめられたのはわかったんだけど(^^;;

投稿: 亀@渋研X | 2008年5月29日 (木) 02:49

「品格」の定義についてはちょっと置いとくとして。
何故「品格を失った」と言われるかについては説明できる気がします。結局これは横綱審議会(横審)のプライドというか対面というか建前の問題なのでしょう。
横綱とは「品格・力量ともに抜群」である者がなるのだそうです。ですから横審が推挙したという事は、少なくともその時点では品格も抜群だという事です。横審が判断を間違えるなどあってはならないのです。少なくとも推挙した段階では品格があった筈であり、その建前は絶対に崩せません。
となれば、今現在品格に欠けるのだとすれば、それはどこかで「持っていた筈の品格を失った」と解釈するしかないのです。横審の建前を守っている限り「失った」「忘れた」「無くした」に類する表現しか許されないわけです(苦笑)。

投稿: PseuDoctor | 2008年5月31日 (土) 12:55

あ、あれ…。

すみません、レス抜けてましたっ。

亀@渋研Xさん、今日は。

武士道精神と騎士道精神が違う、みたいに、共通する部分もあるがニュアンスがある、という感じなのかも知れませんね。

結構、型みたいな感じで、色々ありますよね。仕草とか態度とか、そういう所で。それが体現されている人を称して、「品格が備わっている」、と言うのでしょうね。

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>PseuDoctorさん

そうですね。横綱にするかどうか、という段階では品格を備えていたか、もしくはそれに近い状態にあった、というのを前提にしないと、横綱にした人々の判断が妥当で無かったという事になり、当然当事者は、それを認めたくは無いでしょうからね。

投稿: TAKESAN | 2008年5月31日 (土) 13:39

土俵に浄めの塩を撒きますよね。
よく知らないのですがあれをやるということは、神もしくはその力の降臨を待つか、あるいは勝負か相撲取りかを神に供えるか、その類の儀式をやっている、と見られてもしょうがないですよね。
娯楽やスポーツということ以外の意味を持たされていることを忘れているということではないでしょうか。塩を撒いたりする以上は、儀式として、土俵を下りて引き上げるまでは、取り組み前ににらみあったりする以上には俗人としての余計な振る舞いを演じてはならないことを期待されてしまう。とするなら、「品格」うんぬんでなく、振る舞い方をちゃんと教えていない(教える方も知らない)ということではないでしょうか。
内舘さんが以前、手刀を切るかわりにモンゴルの勝利の舞に似た手の動きをする横綱がいる、と言っていたのを思い出しました。

投稿: ちがやまる | 2008年5月31日 (土) 19:22

ちがやまるさん、今晩は。

その「振舞い方」、別の言い方をすると、型とでも表現出来るかも知れませんが、それを身に着けている事が、「品格」の必要条件と看做されているのだと思います。

後、思うに、見る側の「見方」も、色々あるんじゃないかな、と。
想像ですが、横綱が睨み合ったり、というのを知って、「もっとやれ」的な感情を覚えて、却って興味を持ったり、というのもありそうです。エンターテイメント的、と言うか。結局、品格を備えていないと評される力士が横綱で、しかも人気がある訳ですよね。品格云々が話題になるという所も含めて、一つのエンターテイメントと見る事も出来るように思います。プロレス的、という感じでしょうか。これだけ人気があって相撲界が成り立っているんだからいいだろう、という。

そういうのは、凝った見方をする「筋金入り」の相撲ファンには受け容れがたいでしょうね。内舘さんなんかは、確か、相撲を専門的に研究した方なので、「軽さ」とか「変容」が許容出来ないのかも知れません。でもそういう態度って、知らない人が見ると、引いてしまったりするんですよね。だから却って、「品格品格煩いな」、となったり。ややこしい。

先日、剣道の話が出ましたが、剣道とか合気道とか、筆記があるんですよね。小論文とか。
そういう所は、記号的なものを扱えない人を篩い落とすシステムとして、結構機能しているのかな、なんて思います。
ある論者が、剣道は記号的に複雑な体系だから、それが人格形成や態度等に影響している、という説(超要約)を書いていましたね。

もっとも、相撲の場合には、競技人口が圧倒的に少なかったして、他の競技との単純な比較は出来ませんけれども。

投稿: TAKESAN | 2008年5月31日 (土) 20:07

ぜんぜん次元の違う話かも知れませんが。

ある種のプロスポーツ(場合によってはアマチュアスポーツも)は、「同条件のもとで純粋に技倆を競う」と云う意味ではスポーツではない、と云うことはもちろんあると思います。そうすると、そう云うスポーツには競技以外の要素も求められて当然ですよね。
相撲は多分、いまでも色濃く神事です。

品格、と云うものは、WWEのチャンピオンにも(ヒールかベイビーフェイスかを問わず)実力と同時に必ず求められるものですよね。スポーツ、と云う体裁を取っていないので(いないのか?)、そこは議論になりませんが、品格の伴わないチャンピオンは結局(視聴者の要求に応えられないので)降ろされることになる。そう云う話とも近いのかも。

投稿: pooh | 2008年6月 1日 (日) 09:45

品格を備えていない人は横綱の適正が無い、という指摘があって、一向に改善されない(品格云々と言う人基準で)という事実があって、それが、相撲界のあり方というレベルの議論にもなり、一つのエンターテイメントを形成しているように見えます。

コアなファンは拘り、そうでも無い人は、別にいいじゃない、と言う。で、相撲はテレビで全国中継されているので、拘りは無いがよく観る、という層が、結構な人口いるのだと思います。強いのだからいいだろう、じゃあ何で横綱に推挙したんだ、品格って曖昧、旧い、なんて突っ込みも出てくる。
そういう所のぶつかり合いみたいなものがあるように感じますね。

変な話、仮に、横綱が「品格的なもの」を備えて、大人しく、言動も冷静、丁寧になった場合、相撲の人気は今のまま続くのかな、という事なのだと思います。騒動があるという事そのものが、人気を維持する条件になっているのではないかな、なんて。

投稿: TAKESAN | 2008年6月 1日 (日) 11:39

話の流れとは関係ない、どうでもよいようなことなんですが、さっきTVを見ていたら峰竜太が「朝青竜があきらかに悪い」と言ってました。和田アキ子も白鳳の肩をもつような発言をしていました。
私は千秋楽を見ていて品格ということから考えれば、白鳳が悪いと感じたので意外でした。駄目を押すというのは、流れの中でほとんど無意識に出てくるもので、いちいち怒らないというのが横綱の余裕というか品格かと思っていたもので。ボクシングでもエキサイトするとダウン後もパンチを出したりしてますからね。

もちろん、品格などを気にしなければ、怒ってもいいと思うんです。野球でも危険球に対して打者が怒るのは牽制の意味もありますからね。しかし品格を云々するのなら、白鳳を擁護するのは妙に感じるんですが、どうもそう感じる人ばかりでもないようで。

投稿: zorori | 2008年6月 1日 (日) 15:19

zororiさん、今晩は。

白鵬氏を庇うのは、「どちらが先にやったか」という点に注目しているから、なのでしょうね。少なくとも、両方をたしなめるべきだ、となるのだと思います。初めの北の湖理事長の評価も関係しているのでしょうね。

こういう時、普段の印象というのが、大きく作用するんですよねえ。

投稿: TAKESAN | 2008年6月 1日 (日) 23:19

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