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2008年4月13日 (日)

再び、科学とかニセ科学とかのイメージ。後キノコ

キノコでたとえます。

まず、科学~非科学の白―グレー―黒をキノコで考えると、白:食べられる事がはっきり判ったキノコ、グレー:食べられるかどうかがまだ判らないキノコ、黒:食べられない事が判明したキノコ、つまり毒キノコ、となるかと思います。

で、ニセ科学というのは、黒~グレー、つまり、毒キノコと、まだ食べられるか判っていないキノコを、「これは安全に食べられますよ」、と言って紹介している、と看做せます。

そして、「ニセ科学か否かを判断する」という状況は、「どのキノコをどのように紹介しているか」、というのを見極める文脈である、と言えるでしょう。

ですから、この文脈で、「白で無いものは取り敢えず黒と看做そう」というのは、多分、「安全に食べられるキノコだと”言っている”けど、見た事も聞いた事も無いから、取り敢えず”毒キノコ”だと考えとけば安全だ」、と判断するのに相当すると思われます。

これはつまり、「言ってる事が本当かどうか判らないから”嘘つき”だと看做そう」、という事ですよね。これが妥当で無いのは、明らかです。だって、「嘘つき」だと言えるためには、「嘘をついている事」が確認されていないといけないから。ここで嘘をついているかどうかを判断する基準が、「紹介されているキノコが食べられるか、その専門家による判断」な訳ですね。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

「判断保留」しているものと、「(現時点では黒)判断完了」しているものは区別しないと駄目でしょうね。

まあ、キノコの例ですと、後から「酢漬けにすればとか、水にさらせば白」なんてのが出てくることはありますけど、これは、「生じゃやっぱり駄目」を補強するだけで、分けて考えないとマズイなんてのも出てきます。

投稿: JosephYoiko | 2008年4月13日 (日) 13:15

JosephYoikoさん、今日は。

食べられないと判明したキノコ(毒キノコ)、というのが、科学として間違いだと解ったものや、科学の対象にはなりようが無いもの、と対応すると思います。

白というのは、少し無理矢理にキノコにたとえると(このアナロジーだと限界がありますね)、色々な調理法を確かめて、安全に食べられる方法がきちんと確認されたキノコ、とでもなるかと思います。グレーゾーンは、まだ調理法を試している段階のキノコとか、最近見つかった新しいキノコ、とか。

わたし的には、以前JosephYoikoさんとやり取りした際の、だんごの喩えなんかがすっきり解りやすいのではないか、とも考えています。

それにしても、喩えというのは便利だけれども、完全に正確に表す事は不可能なので、注意深く用いる必要がありますね。なかなか難しいと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 14:05

比喩は話半分くらいにしとかないと、妙なことになりかねませんね。
 
僕のブログにも書いたのですが、少なくとも「黒いものの例」はいくつか挙げられているので「黒いもの」はある。というか、「こういうものをニセ科学と呼べばいいんじゃないか」という実例つきの問題提起がなされたということです。
「白いもの」はたぶんそんなに真剣に考えなくても、世の中にたくさんあるはず。
というふうに、経験的に白いものと黒いものの存在はわかっているわけです。定義ははっきりしないけど。
 
だめですかね

投稿: きくち | 2008年4月13日 (日) 20:20

きくちさん、今晩は。

喩えは、あんまり凝ろうとすると、ややこしくなりますね。具体的にイメージしにくいものを理解する手助け、というくらいでやるのがいいのだと、凝った比喩を出したがる(笑)私は思います。

丁度、戸田山和久 『論理学をつくる』という本を読み始めているのですが、1章の初めに、面白い事が書いてあったんですよね。kikulogでのやり取りにも通ずるものがありました(長過ぎるので引用しませんけれど。「まず定義」して進めるというのが筋が良いものな訳では無い、という話でした)。

結局の所、ニセ科学というものは、主張と実際とのギャップが大きいもの、という概念で、具体例を見ながら考えれば、はっきり黒と言えるものはある、という風になるのかな、と。何故水伝はニセ科学か、何故ゲーム脳はニセ科学か、という所を考えると、ちゃんと説明出来る訳ですしね。

なんかまとまりませんが、そういう感じです。

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 20:54

具体的に考えると。

どういった主張か、というのを考えると、色々なケースがあるように思います。
たとえば、「ゲーム悪影響論」というのは、そもそも概念が指す内容が広く、それ自体がある区間を切り取ったようなものなので、検討しづらい。
対して、「ゲーム脳」説であれば、それは森昭雄氏が独自に創出した概念であるし、自説を開陳した著作もある。従って、より狭く、検討しやすい主張である。

水伝もそうですね。江本氏が何を言ったか、というのを見ると、言葉の意味内容が水を変容させる、という主張で、それを「実験」によって説明しようとした。

血液型性格判断なら、それが指しているのは、各血液型ごとの性格の構成比が大きく異なる(から、高い確率で予測が当たる)という現象で、実際心理学の調査によって、大きな差が無い事が示されている(大きな差がある事が示されていない)。

このように、元々検討される主張、概念、等がどのような論理構造を持っているか、というのも重要な要因であるから、そこも考えるべきなのだろうな、と思います。そして、ニセ科学とされているものは、それが検討された上で判断されているのですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 21:06

定義からはじめると失敗するというのが経験的にあってですね(^^;、できれば、実例の集まりとして「こんな感じのもの」という形で提示したいんです。
既に知っている個々の例は、それぞれどういう意味でニセ科学かを割ときちんと説明できると思います。まさにゲーム脳も水伝も。
 
定義しようとすると、たぶん例外だらけになっちゃうと思うんですよ。だから、定義は最後に決まればいいのではないか、くらいのつもりで。

投稿: きくち | 2008年4月13日 (日) 21:10

きくちさん:

黒の実例のバリエーションが増えれば、自然に解決されるかもしれませんが、実例少ないうちは、「黒認定」の仕方を実例の拡大解釈により行なう人の抑止が難しいのではないかという懸念があります。

「ゲーム脳」支持の逆パターンとして、科学へのマスコミの過干渉の道具に使われるような場合です。

拡大解釈の正当化はマスコミの得意技ですから。

ちょっと前に、アマサイちゃんが「魔女狩り」と書いて顰蹙かってましたけど、あれは言葉足らずだっただけで、こういう懸念じゃないのかなあと想像しています。

投稿: JosephYoiko | 2008年4月13日 (日) 21:17

定義については、poohさんの所でもお書きになっていますね。

ニセ科学とされるものの必要条件、つまり、科学的に認められていないのに科学を装っているもの、というのを示しておいて、後は実例を集めるのが良いのでしょうね。そもそも、綺麗に定量的に定義出来ないという所から、グレーゾーンという話も出てくるし、伊勢田さんの本が参考書として紹介されたりする訳でしょうから。これって、「科学を定義する」のと同じ話ですものね。

私は以前、「コンピュータ・ゲーム」を正確に定義しようとして、大変な目に遭いました(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 21:20

上のコメントは、きくちさんへのレスです。

------

>JosephYoikoさん

私としては、「黒」とされたものが「何故黒であるのか」、というのが徹底的に説明されている必要があるかと思います。これはつまり、批判者側に縛りを入れる、と言うか。ちょっとの事では「ニセ科学」とは言ってはいけないし、言うなら根拠はきちんと示そう、という風に。
で、その一つの例として、先日のゲーム脳本解説を書きました。

私は、「魔女狩りのように見える」という考えは、特にニセ科学について調べていない人が、ニセ科学批判活動を目にした場合に持つ印象としては、あるものなのだと思います(何度も何度も目にしました)。
ただ、魔女狩りという言葉は、元々は冤罪で処刑する、という現象を含んでいるのでしょうから、やはり違和感は拭えないのですね(そういう意味では適切な喩えでは無いと思うのですが、いかがでしょうか)。広辞苑の2番目の用法という事なのかも知れませんけれど、出来れば他の言葉を使って頂きたいな、というのは、率直な感想です。

正直な所、きくちさんに、マスメディアによってニセ科学論を広めて欲しいと思う一方、それが解りやす過ぎる言葉であるが故に、誤解もされるかも知れない、という懸念もあります(私がマスメディアに強烈な不信感を持っているのは、ここに色々書いている通りです)。実際、『視点・論点』に関する感想で、やはり的外れなものもあった訳ですね。
ですから、丹念に実例と論証を積み重ねる、という軌跡を残しておくべきかと思っています。

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 21:39

TAKESANさんの懸念はよくわかります。というより、僕自身その懸念は抱いています。それこそ「ゲーム脳」という言葉が森さんの研究(?)を離れて、勝手な解釈で使われるように、ある程度広まった言葉は解釈が変えられていく宿命にあります。とはいえ、問題を社会に訴えるには、ある程度わかりやすい言葉は必要なんですよね。
 
「ニセ科学」という言葉が独り歩きするのを止めることはできませんが、せめて自分の言葉が届く範囲だけでも、ある程度ストイックな使い方に限定することを確認しておきたい。という感じですかねえ
 
やっぱり、丁寧に説明した本を書かなくてはだめですね。書いてもだめかもしれないけど。

投稿: きくち | 2008年4月13日 (日) 22:16

TAKESANさん:

「魔女狩り」って表現は100%まずいと思ってます。
こちらはよく覗いているのですが、偶々あの時は出先だったので、見てなかったんですよね。

フォロー出来なかったのが悔やまれる。

投稿: JosephYoiko | 2008年4月13日 (日) 22:45

>きくちさん

ある概念を広く知らしめたい、という場合、誤解されて伝わる可能性というのは、どうしたって付きまとうのですよね。リソースは有限ですし、受け手の状況も様々であるから。
かと言って、誤解される虞があるから広めないでおこう、というのでは、何も出来なくなってしまう。

だからこそ、きちんと丁寧に、それこそ くどいくらいに議論を積み重ねなくてはならないのですよね。きくちさんの言われる「ストイックな使い方」、まさにその通りだと思います。
重要なのは、批判に対して開かれた態度をとり(当然、批判者同士の批判も)、充分な説明の論拠を蓄積する事であろうと思います。

 >やっぱり、丁寧に説明した本を書かなくてはだめですね。

是非。是非。すっごく望みます。…いや、言うのは簡単ですね。すみません。

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>JosephYoikoさん

魔女狩りというのも相当強い言葉なので、言われた方も、少し敏感だろうか、と思われるくらいな反応をしてしまいます(ROMでそう捉えた方もいらっしゃるでしょうね。冷静に捉えたつもりではあるのですが…)。もちろん、強い言葉を使ってはならない、という意味では全く無く、それを用いる論拠が欲しい、という事ですね。あるいは、これこれこういう意味で用いている、という意味内容を明らかにして頂くとすっきりする、と言いますか。

投稿: TAKESAN | 2008年4月13日 (日) 23:44

どういう意味で「魔女狩り」かを説明してくれれば、わかったかもしれません。
でも、アマサイさんのブログに書かれていたことは、結局、全然的はずれだったからなあ。

投稿: きくち | 2008年4月13日 (日) 23:55

きくちさん、お早うございます。

そうですね。

早速論宅さんが、新しいエントリー上げてたりします。ここのやり取りを見ててあの内容を書くのだとしたら(こことは全く独立に、という可能性は…無いか)、大変困ったお人です。

尤も、あの方が困った人だ、というのは、もはや周知されたに近いでしょうから、どうという事も無いかも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2008年4月14日 (月) 10:34

すみません、もう一つ余談です。こんどはこちらに。
先ほど紹介した「狂気と王権」のあとがきが面白かったので、ちょっと紹介します。
天皇制について書いているので、京都府警が勤務先の国際日本文化センターの所長の梅原猛に「井上章一は赤じゃないのか」と問い合わせたところ、梅原猛は、「井上君が赤? いや、そんなことはないでしょう。彼はむしろピンクじゃあないかな」と答えたそうです。
ピンクについては、井上章一は、「美人論」なども書いているので、女好きということで、そう答えたのだろうということです。

ここでも読めます。
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2008/02/post_bfda.html

投稿: ドラゴン | 2008年4月15日 (火) 19:16

へー。なんか、面白いエピソードですね。気が利いている、と言うか。

投稿: TAKESAN | 2008年4月15日 (火) 21:24

こんにちは、TAKESAN さん、ドラゴンさん。

 余談に変な反応してすみません。

 でもね、なんとなくこういう問い合わせが平然と本の後書きに書かれるという事に時代の変化を感じるんですね。私なんかが公務員に成ったときに代々木のオリンピック村に一週間閉じこめられて研修を受けるんだけどね。同室だった奴らと「思想調査とかするのかな」「お前みたいな研究所組は知らんが本省組はあるだろ」「警察上級はたぶんやると思うけど、親戚とかに聞いても特にかぎ回られたことはないんだよね。だぶん、うまくやるんだろう」なんてね。まあ、思想調査みたいなのがあるにしても、決して表には見えないようにやるに違いないみたいな共通認識があったのね。なんていうか、表に出してはいけないことのはずだ、みたいな雰囲気があったんですね。いつの間にか「表に見えても普通」になっていることが、少し怖いんですね。

投稿: 技術開発者 | 2008年4月16日 (水) 17:53

うーむ、これは重い話ですね…。

私は疎いので、あまり不用意な事は言えなかったりします。

投稿: TAKESAN | 2008年4月16日 (水) 18:57

技術開発者さん

もう一つのエントリでも、ドキドキしながら書きましたが、私の周りには、両極の方々がいますので、まだ気を遣う部分はあります。
ただ、井上章一も書いておりますが、「赤」という言葉を使ったあたりに、「えっ」という思いもあります。
まあ、梅原猛は流石に大物だったということですね。

投稿: ドラゴン | 2008年4月16日 (水) 19:05

私とかは、たとえば「赤」と聞いても、「ピンと」こなかったりします。こういうのは良い事なのか悪い事なのか…。

投稿: TAKESAN | 2008年4月16日 (水) 19:22

脱線部分への反応ですいません。

>技術開発者さん
ご指摘の「こういう問い合わせが平然と本の後書きに書かれるという事に時代の変化を感じる」「いつの間にか『表に見えても普通』になっていることが、少し怖い」について、教えていただけますか。

実は、技術開発者さんの懸念がよくわからないのです。

ぼくは「一般企業でも、大きなところなら採用時の身辺調査なんかをやっててもおかしくない」「その際に思想信条も項目に入っていて採否に影響するとしても、良し悪しはともかく驚かない」と考えています。
そして、それを話題にするのがはばかられるとすると、事なかれ主義というか「告発と取られると面倒」というような気持ちが働くから……というなら、賛成はできませんが理解はできます。しかし、技術開発者さんがお書きなのは、そういうことではありませんよね。
「公務員などは思想調査をされるのが当然」という時代の気分を醸成しないか、といった危惧なのでしょうか? 引用されている後書きを読む限りでは、ぼくには、そのような懸念は生じないのです。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 01:33


うー、舌足らずだなあ。
ちょっと長くなって申し訳ないのですが、ぼくにはどう見えているのかを書いてみます。

ぼくなりに考えると、著者がこのエピソードを後書きに書けた理由は、「時代の変化」以外にもいろいろ思い当たります。
1)24年前のできごとだから。「まあ昔話だから、時効だよね」という感覚ですね。
2)登場人物が故人であり梅原猛氏だから。調査があった話を井上氏に明かしたことを責められたり、それがその人に対する世間の評価を大きく変えちゃいかねないようだったら、書けませんよね。
3)「講談社学術文庫」だから。「講談社文庫」だったら、編集者によっては通さないでしょう。
4)著者が井上章一だから。ちょっと調べてみると、著者は常識とされてきた考え方を調査でくつがえすような著書をたくさん著して来た、ある種「反骨の人」のようです(ぼくは読んではいないのですが(^^;;)。ですから、こういう噴飯ものの手法で思想調査を行う側への軽い揶揄や、軽い告発めいた気持ち、そんな調査にさらされる自分や梅原猛氏の(準公務員?という)立場への自嘲などがあったとしても、おかしくないと感じます。

(1)と(2)は「時代の変化」という要因も背景にあるかもしれませんが、主として時間経過の問題です。(3)(4)は、編集者・ライターゆえの世間知のつもりですが、偏見や先入観じゃないかと受け止める方もおいででしょう。

ぼくの場合は、こうして公然と書かれることに、危惧よりはむしろ「風通しのよさ」を感じます。そして、その風通しのよさは、時代の変化もあるにはあると思いつつも、むしろ上記のようないくつかの要素が支えているもので、条件が違えば(たとえば、一般書と目される媒体だったら)現在でもストップがかかる、自主規制されることはあり得ると考えるわけです。
さらに、実は編集者の間ではそのまま通すかどうかで一悶着あったかもしれないとか、こういう本の後書きでさえも編集者が止めよう、自粛しようとしはじめたらイヤだな、とか、逆に「調査した側が一般書に平然と書く」というような話だったら、かなり怖いな……と思ってしまうのです。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 01:47

亀@渋研Xさん、今晩は。

こちらを使って頂いて構いませんので、どうぞです。

投稿: TAKESAN | 2008年4月17日 (木) 03:10

こんにちは、 亀@渋研X さん。

>実は、技術開発者さんの懸念がよくわからないのです。

 う~ん。堺屋太一が「倫理の腐敗と退廃」という事で書いて居るんだけど「腐敗=悪いことが悪いことと認識されながら横行している状態」「退廃=悪いことが悪いと解らなくなっている状態」なんて言っているんですが、それに近い感覚ですね。

 善悪というのは社会が決めることですから一概に言えないのですが「人を思想信条で差別してはならない」というのが、かなり強い規範として社会に認識されていた時代というのがあったわけです。でもって、現実にそれにベッタリだと「現実に困るカモね」みたいな意識はありながら、でも、その規範そのものは「守らなきゃね」という社会においては「裏でやる」があるわけです。なんていうか、思想信条の中には過激なものもありますから、社会の治安を守る警察官なんかを採用するのに「思想信条で差別しない」なんてのは、皆、「現実には困るだろうな」と思うけど、「でも警察だからと許せば、公務員は、会社員は、隣人は、と拡大して戦前のように成るんじゃないか」という意識があるので、「あくまで、表ではそんなことは『無い』としろ、裏でやれ」みたいな意識ですね。

まあ、公務員に思想調査が裏であったかどうかは私は知りませんが、あまり穏当ではない私が公務員になっていたのだから、そうそう厳しいものでも無かったのでしょうね。

なんていうかな、私なんかは政治家がマスコミの前で「選挙に勝てないからこうする」とか言うのを聞くと、すごく違和感があるんですね。昔の政治家はたとえ選挙のためでも表つらは「選挙対策じゃない、国民のためだ」と言い張ってくれたわけです。国民も「嘘付け、選挙対策じゃないか」と思いながら、できるだけ「国民のため」を言わせて、選挙後に反動化させないくさびを打つような事をしていたわけですね。例えば、選挙前に減税をすると「選挙のための人気取りだろ」「いえ、消費を増大させて景気を良くするためです」と言わせておけば、選挙後に増税しようとすると「おいおい、まだ景気は上向いて無いぞ、やはりこの前の減税は選挙のための人気取りだつたんだな」「うっ、少し増税を待ちます」となる訳でもないけど、まあそういう部分はあったように思うわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008年4月17日 (木) 08:26

引き続き、こちらをお使い下さいね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月17日 (木) 10:53

TAKESANさん、ご配慮ありがとうございます。
技術開発者さん、早々のご教示感謝です。

お話をうかがってみて、技術開発者さんのおっしゃることに、まったく異論はないのです。それにも関わらず、同じ井上氏の文章を見て技術開発者さんは「該当例だ」と思い、ぼくは「該当例ではない」と思った、という具合に真逆の印象を覚えてしまったわけですよね。それが不思議なのです。
ぼくは、そこに引っかかっているのです。この感覚の差が、なにに由来するのかを考えてしまっているのです。
といったところで、ぼくの疑問が伝わるでしょうか。

うーん。どう言ったらいいんだろう。
あまりにもささいな部分なので、引き続きこの話をしていてもいいのか、迷う部分もあるのですが、「批判の手法としてわらう」ということや、「時代の空気をどう読むか」といったことともちょっと関係があるので、恐縮ですがもう少し。

ぼくは、井上氏の態度は、“少なくとも、あからさまな手法で行われた「問い合わせ」を、問題なしとは見ていない”と感じているわけです(ひょっとすると、だからこそ話題にしているのではないかとさえ考えています)。
しかし、技術開発者さんは、井上氏がそうした「問い合わせ」を容認しているとお感じになったということなのですよね?

僕は、井上氏の書きぶりに「警察からの問い合わせに対する苦々しい思い」のようなものを感じ取っています。ただし、井上氏の態度は「暴く」とか「弾劾する」というような強いものではなく、ばかばかしいと感じて軽く扱っているといったものだと読み取ったのです。正面切って批判するのではなく、うっすらと嗤うような態度ですね。「腐敗」と「退廃」のお話でいうならば、井上氏は「問い合わせ」に対して「退廃」のようなものを嗅ぎ取っている、と読みとったわけです。
しかし、技術開発者さんは、むしろ井上氏に「退廃」を嗅ぎ取ったわけですよね。違うのかな。もしそうだとすると、どこに退廃を感じ取ったのでしょう。あっさりしているところ? わらうようなところ?
もしも後者だとすると、「わらう」という手法の危うさ(「わらっているのだ」ということが’伝わらないと、現状肯定に見えかねない)という問題もあるのかもしれませんね。

もちろん、引用元には省略されている部分がありますので、そこを含めて読んでみないとわからない(あるいは、そこを読んでもわからない)ことを僕が勝手に先入観や期待で補って読んでいる懸念はあります。そうだとすると、「自分が期待しているために『そこにはないもの』を見てしまう事例」ということになるのでしょう(汗)。ですから、けっこう、おっかなびっくり書いています。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 13:38

ああ、そうか。
ぼくには、ああした「電話で上司に直接聞く」なんていう方法は、杜撰で拙劣だとしか考えられないんです。警察の思い上がりや、自分の日々の行動に馴れ切っているいやらしさのようなものさえ感じます。
井上氏だって、技術開発者さんだって、そう考えているはずだという思い込みがあるのかもしれません。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 13:47

亀@渋研Xさん、今日は。

実は、こちらのやり取りでの論点がどこなのか、把握出来ていなかったりします…。

▼▼▼引用▼▼▼
あまりにもささいな部分なので、引き続きこの話をしていてもいいのか、迷う部分もあるのですが
▲▲引用終了▲▲
私は全然構わないです。

投稿: TAKESAN | 2008年4月17日 (木) 15:02

みなさん、こんばんは。

すみません。
私が、技術開発者さんの最初のご意見に同意したのは、これを学校の校長と一般教諭に置き換えると、確かに外で言えることではないと思いました。
亀@渋研Xさんは編集者というお仕事なので、また違う見方だろうと思います。

実際、この文章は省略されているところもたくさんあります。全文は難しいですが、最初と最後を引用します。

まず、最初が
「ちょっとした自慢話をここに書きとめたい」
そしてこのくだりの最後が
「それに、当局から「赤」かもしれないとにらまれたことで、私はすこしうっとりしていた。反逆者の美名をあたえられたようで、鼻も高くもしている。警察には、感謝したいくらいである。まあ、じっさいには、過分にすぎるほめ言葉でしかないのだが。」
ということです。

ちょっと物議をかもすような話題で恐縮しております。

投稿: ドラゴン | 2008年4月17日 (木) 18:02

ドラゴンさん、今晩は。

補足、ありがとうございます。色々な読み方が出来そうですね。

 >ちょっと物議をかもすような話題で恐縮し
 >ております。
いえ、お気になさらずに。

投稿: TAKESAN | 2008年4月17日 (木) 18:27

TAKESANさん
>実は、こちらのやり取りでの論点がどこなのか、把握出来ていなかったりします…。

わかりにくくてすいません。
思い切り短くすると「技術開発者さんの懸念そのものは理解できるし、共感も同意もする。ただ、井上氏のあとがきのどこが、その懸念を呼ぶきっかけになったのかがわからない」となるでしょうか。

昨夜から今朝は、寝ぼけ眼であれこれ書きすぎて、いよいよ訳をわからなくしたかもしれません。すいません。

似たような感覚をもっていると感じられた話題だけに、小さな違いが気になっているといった話で、本質的な問題は含まないだろうとも考えています。しかし、そうはいっても、現物(井上氏のあとがきでの態度)については、僕は「歓迎」で技術開発者さんは「警戒」なわけで、「ささいだが決定的な違い」でもあるのです。「どこが」がわからないだけに、「技術開発者さんとぼくの感じ方の差が、なにに由来するか」もわかりません。それだけに気になります。

ふつうだったら「同じ意見の持ち主に見えるが、事例に適用すると真逆の答えを出す。興味深い」で済ませていい話なのだろうと思います。いわゆる個人的な感覚の差で片付けられることかもしれません。

ドラゴンさん
>最初と最後を引用します。
ありがとうございます。
警察の「問い合わせ」に対して皮肉な感情をもっていることは、確かめられたと思います。「自慢話」や「うっとり」といった書きぶりを「本気」ととるか、衒いや韜晦、自嘲に近いシャレといったポーズととるかで、これが「退廃」や「腐敗」の事例かどうかという評価も、分かれるかもしれませんね。ぼくの「揶揄」という印象自体は変わりませんでしたが。

しかし、井上さんって、やらしい人ですねえ。おもしろすぎです。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 22:22

連投すいません。

ドラゴンさん
>亀@渋研Xさんは編集者というお仕事なので、また違う見方だろうと思います。

そうなのかもしれません。ああいう権力嫌悪みたいなエピソードを、学者が学術文庫あたりで書くことまで自粛する(させる)ようになったら終わりだ、みたいな感覚があります。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月17日 (木) 22:26

あ、技術開発者さんは、井上氏の態度に懸念を表明されていたのか…。最初から読み違いをしてたかも。

井上氏の文章は、初めに、強烈な皮肉や揶揄だと取りました。

投稿: TAKESAN | 2008年4月18日 (金) 04:47

こんにちは、皆さん。

>あ、技術開発者さんは、井上氏の態度に懸念を表明されていたのか…。最初から読み違いをしてたかも。

う~ん。申し訳ないんだけど、実は書いたときに「誰に対しての懸念」という意識が私自身に無いのね。いい加減なことで書いてごめんなさい、になっちゃいそうだけど、実のところ、「時代に対する懸念」なんです。

もともとは私の知っているある時代なら、公安があからさまにされるおそれのあるような方法で調査はしなかっだろうがあり、それをしてしまうから、こういう形であからさまにされるがある訳だけど、なんていうか、そういう事を全て含めて、「時代が変わってきたな~、コレで良いのかな」という警戒感なんですね。

私は色んな所で「社会全体の人の意識のシフト」というものを気にしてしまうんだけど、まさにそういうシフトの臭いを嗅ぎ取ってしまった面があるんです。

投稿: 技術開発者 | 2008年4月18日 (金) 12:22

 >実のところ、「時代に対する懸念」なん
 >です。
あ、じゃあやっぱり、私の読みは合ってました。まさにそういう風に感じましたので。

思うに、社会の構造なり意識なりがシフトしてきた、というのは共通了解ですよね。ずっと同じという事は無いですし。
後は、それをどう評価するか、という所で違いがあるのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月18日 (金) 12:36

技術開発者さん、重ねてのコメントに感謝です。
なるほど。腑に落ちました。エピソード全体かあ……。確かに、問い合わせをした人にも、梅原猛氏にも、井上章一氏にも、ある種の「ゆるさ」「にぶさ」を感じます。少しもぴりぴりしたところがない。気色ばんだところが、微塵もないですね。ぼくは梅原・井上両氏については、ついつい「おとなだなあ」なんてヒイキ目で見ちゃっていたような気がします。ご指摘のような文脈で考え直すと、むしろ小児的な反応というべきなのかもしれないなあ……。

ぼくなんぞは「問い合わせ」の浅はかさも含めて、「思想調査の無効化が進んでいる」ような受け止め方をしていました。
上司に電話で聞いて口止めもしないような調査なんて、形式を整えただけですよね。どんな意味があるかといえば、なにかがあったときに「行幸先の職員に不心得者がいないか、できる範囲で調査はしました」と答えられるようにしておく、いわばアリバイ工作ぐらいの意味しかないわけで。
これは確かに異様です。

とはいえ、こうしたエピソードが公然化される(といっても、学術文庫の、しかもあとがきですから「ささやか」と言ってもいいぐらいだと思うのですが)こと自体は、有用だと思うんですけどね(^^

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月18日 (金) 12:49

亀@渋研Xさん、今日は。

私は、件の文章を読んだ時は、亀@渋研Xさんと同じような読み方をしました。で、技術開発者さんが懸念を示されて、どういう事なのだろう、と思いました。そして、追加で説明を頂いて、皆さんのお話を伺っていると、なるほど、そうも読めるのか、と。

▼▼▼引用▼▼▼
とはいえ、こうしたエピソードが公然化される(といっても、学術文庫の、しかもあとがきですから「ささやか」と言ってもいいぐらいだと思うのですが)こと自体は、有用だと思うんですけどね(^^
▲▲引用終了▲▲
私もそう感じます。

投稿: TAKESAN | 2008年4月18日 (金) 13:14

>大変困ったお人です。
 ひさしぶりに見たら惨いことになってますねえ。
 『魔の系譜』とか読んでみたらいいのに。そんな昔じゃない日本でも、憑き物筋差別っていうのがあって、巫女とかがその中核を担ってるわけですが、それをなくそうと説明してたり議会を動かす政治家や学者さんが批判されたり脅迫されたりしてるんですよ(巫女さんたち生活かかっていたりするので)。昭和の話ですよ、「人狐解消決議案」とかある自治体の議会に提出されたのって。当時だって、昭和ですからリテラシーの高い層は「そんなあほな」だったと思うのですが(で、きっとスルー)、歴史をまず勉強したほうがいいかと。馬鹿の怖さを知らなすぎ。どんなことをやってたかというとここに書くのも憚れるような話ですよ。そういう地道な活動が論宅さんを見ると忘れられるのはいかがものかと思ったりします。
 被差別者も資金はめちゃめちゃあったりしますから、金で縛り、思想で畏怖させて、団結をはかり自らで差別を助長することですね。ようするに「差別されてた方がいい」ってなることです。
 社会心理に興味があるなら、エセ科学にはまる人たちの階層調査とかないですよね?(もともとな階層調査自体が日本には少ないので、調べたわけではありませんので、あったらごめんなさい)。人文系はそういうのやるとか。最近の「犯罪不安」については欧米では、わりと社会階層と連動してたんだけど、日本は社会階層が上のほうが不安が大きいみたいなデータを以前みたことがあって(若干データとしては母集団のスクリーニングが弱かったのですが)、ほほうとか思ったんですけどねえ。

投稿: 安原 | 2008年4月20日 (日) 17:36

安原さん、今晩は。

論宅さん、なんか、凄いですよね。いや、もはやほとんど読んでいないのですが、他の所での話題を自分に都合良く使うのは、見ていてちょっと、何だかなあ、です。

憑き物筋のお話、大変興味深いです。考えさせられます…。
ちなみに、あるもの(被差別の対象として全国的に有名なもの)に差別心を懐いている人が身近にいますが、その人は、自身が差別を行っているとは微塵も思っていないのですよね(と言うか、差別が当然の事だと考えている風)。大変に悩ましいものです。合理的な思考が出来ない人では全く無いのですが、強く植え付けられたイメージというのは厄介です。

ニセ科学や不思議現象の信じやすさに影響する因子、もしくは階層を調べた研究というのは、私は思い当たらないですね(この間論文を調べたのですが、ちょっと見つかりませんでした)。大学生を対象にした研究なんかで、単に、どのくらいの割合の人が信じているか、というのを調べるのなんかは、あるみたいですけれど。
仮説を論ずるものはあっても、きちんとした調査研究は、あまり無いのかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月20日 (日) 20:23

 こんにちわー。
 さすがに「憑き物調査」(とある地方では婚姻のときに調査するのが当然だったみたい)は今はなくなってると思うのですが、そういう今なくなってるものについては、蒸発してなくなったみたいに思ってるっぽいかんじが。
 エセ科学は昔の薬の広告でも追っかければわかると思いますが、ヒロポンは「疲労防止と快復に!」というキャッチとかで昭和25年まで21社から発売されてました。これはまだマシなほうで、エセ薬やエセ健康器具は新聞にあふれかえっております。精神病にも痔にも効く薬とか、見てみたいですよ。今でも有名な企業とか当時大きな企業もいろいろやっちゃってくれてますね。まっつぁん的になると、「昔はめちゃめちゃでした(今することなし)」になって、そういう評価になる気持ちはわからんでもないですが(笑)、そういう次から次へとあらわれる怪しげなものを地道に調べた人がいたんでしょうねえ。
 ちょっと話がずれますが、戦時広告とかも、なんかプロパガンダばかりの暗いものとか思いがちですが、けっこう明るい。ライオンとかは「歯磨きチューブ」を回収して「戦闘機作ろう」と学校とタッグを組んでリサイクルボックスを設置してたりして、なんかえらい楽しそうですね。「何本集めれたらできるのですか、先生?」とかいったらまわりにKYいわれたのでしょうかね。
「憑き物」以外の話は「懐かし新聞広告批評」町田忍著 からの感想でした。

投稿: 安原 | 2008年4月22日 (火) 12:50

TAKESANさん。
安原さん。
こんにちは。

安原さん>
横レスでごめんなさい。

「 社会心理に興味があるなら、エセ科学にはまる人たちの階層調査とかないですよね?(もともとな階層調査自体が日本には少ないので、調べたわけではありませんので、あったらごめんなさい)。人文系はそういうのやるとか。最近の「犯罪不安」については欧米では、わりと社会階層と連動してたんだけど、日本は社会階層が上のほうが不安が大きいみたいなデータを以前みたことがあって(若干データとしては母集団のスクリーニングが弱かったのですが)、ほほうとか思ったんですけどねえ。」


これは、かなりコワイ発想ではと考えます。
仮にこうした調査が現実に行われたら、それはそれで「差別」の芽を内包しているのではないでしょうか???


つい余計なことを書いてTAKESANさん、ごめんなさい。


投稿: せとともこ | 2008年4月22日 (火) 16:49

安原さん、今日は。

今もやっちゃってくれちゃってますよね、色々。このトピックだと、「昔も相当やってたけど、今も結構凄いなあ」、という感じかもですね。色々なメディアがあるから、情報の伝達の仕方を考えると、以前より危ない部分も、あると言えばあるかも知れません。

------

せとともこさん、今日は。ご意見は歓迎ですので、お気兼ね無くどうぞ。

うーん、これは、捉え方の問題なのではないかと。
まず、調べれば、結論は出ますよね。層別に傾向を見ていけば、何らかの違いは見出せると思います。もちろん、「あまり差が無い」という結論が出るかも知れません。いずれにしてもそれは、科学的研究対象として、興味深いものであると考えます。

構造的に、「血液型別に性格に違いがあるかを調べるのは、差別に繋がる虞がある」、というのと似ているのではないか、とも思います。
論理的には、社会の層別の傾向を見出そうとする事そのものが、差別に結び付く可能性を持っている訳ですよね。

たとえば、所得のレベルとリテラシーとの関連を調べる社会学的研究はどうか、と言われると、どうでしょうか?

せとともこさんが書かれた「発想がコワイ」、というのが、文字通り、それを調べようと志向する事そのものを危惧する、という意味なのか、そういった研究なりで判明した事実が差別に利用される、という所を危惧しておられるか、というので、解釈も異なるかと思います。前者であれば、少々的外れだと感じます(差別心と科学的探究心を、無理に結び付けているから)。後者だと、その危惧には尤もな所がある、と考えます(だから、データの取り扱いや研究結果の情報の流布に気を遣う必要がある)。

ちょっと、どちらについて危惧されているかが判然としないので、こういう書き方になりました。

投稿: TAKESAN | 2008年4月22日 (火) 17:19

ちょっと解りにくいかもなので、補足です。

たとえば、「○○人と△△人の知能を比較する」、という問いがあった場合。

 ・それを発想する事自体が差別を内容する心
  理である。追記:内容→内包

 ・それを科学的に研究した結果得られたデー
  タなりが、差別に利用される危険がある。

の、どちらの危惧であるか、という事ですね。前者であれば、「違いを見出そうと志向する事は、即”差別”になる訳では無い」、となると思いますし、後者は、その虞は尤もである、と考えます(しかし、研究そのものを否定するものではありません)。

投稿: TAKESAN | 2008年4月22日 (火) 17:34

>情報の伝達の仕方を考えると、
あっという間に広がりますからねえ。「犯罪不安」もそれはあります。
魔法陣ってすごいですよねー。ピンク呼吸は女性誌でも見たことがありますね。

>これは、かなりコワイ発想ではと考えます。
懸念は理解できます。こういう議論については、教育学分野ではえんえんとしてるんじゃないでしょうか。学力テストをしないかするかみたいな議論と似てますね。TAKESANがまとめてくださっているとおりなんですが、私は階層と教育格差の調査を行っていてきちんと説明をしている研究者の方のほうの実績のほうが、「格差解消」につながる現実的な議論になっているかと思います。今は格差の話はされるようになってきましたが、そういう話が出てきてから10年くらいかかってますね。そして、三浦展のように、思い切りベタにいってしまう人もいます。後者は批判しておりますが、ベタにひろがる可能性は高いです(実際広がってますし)。

ただ、日本の格差問題や貧困問題については、こういった階層データが少なく、「心のもちよう(でなんとかなる)」問題に集約されてしまっていたことが問題であると私は思います。
本としては、岩田正美さんの「現代の貧困」をおすすめします。ルポルタージュでは山本譲司さんの「累犯障害者」をおすすめします。これをきちんと読んだら「差別」につながるとは思えませんが、差別につなげてしまう人はいるのだと思います。

投稿: 安原 | 2008年4月22日 (火) 18:00

短く書くとぶっきらぼうのようですが、どんな知識でも使い方が大切ということではないでしょうか。
社会的位置のゆえに機会が失われている、ということがある場合、悪用・濫用をおそれてそっとしておくのと、皆に見えるようにするのとどちらがいいか、というと、直感的には明らかにする方がいいように思えます。

投稿: ちがやまる | 2008年4月22日 (火) 18:01

TAKESANさん。

詳しく繙いて頂いてありがとうございます。
勿論、後者です。

TAKESANさんも、いつも此方でも、
多種多様な問題に関して、データや統計の切り取り方に危惧を表明なさっています。
私も、同意です。

偽科学の問題って、たぶんに「こころ」や「考え方」に言及していく部分ってあるじゃないですか。ちょっと宗教に近い要素もありますよね。
デリケートな問題ですよね〜〜〜
依存と言う意味で。


TAKESANさんの例として出された↑
「○○人と△△人の知能を比較する」、という問い
とは、違うのではと思います。
これは差別というより区別になるかと考えますが、、、

どうなんでしょう???

投稿: せとともこ | 2008年4月22日 (火) 18:10

私が書いている間に安原さんとちがやまるさんが書いてくださっていたので、、、

安原さん>
私も山田さんの希望格差や三浦展さんの下流社会、内田さんなどを読んで、階層問題については、ずっと考えています。
今度、ご紹介の本も読んでみようと思います。

ちがやまるさん>

本当に使い方だと思います。
だからこそ、その統計をどの様に使われるか、私たちは見守る責任と必要もあるんでしょうね、、、

投稿: せとともこ | 2008年4月22日 (火) 18:18

ちがやまるさん、今晩は。

>皆さん

情報が差別に用いられるという懸念は、私も持ちます。これはつまり、凄く乱暴な言い方をすると、「世の中、データをきちんと検討するような人達ばかりなら、苦労はしない」、となるかと。
けれども、基本的には、「どうなっているか」は明らかにした方が良い、と思っています。ちがやまるさんの仰る事に近いです。

せとともこさん
▼▼▼引用▼▼▼
TAKESANさんの例として出された↑
「○○人と△△人の知能を比較する」、という問い
とは、違うのではと思います。
これは差別というより区別になるかと考えますが、、、
▲▲引用終了▲▲
えっと。
こういう、それ自体は特に価値判断を含まない問いについて「差別」を見てとるか、という例示のつもりだったのですけれど…。安原さんの問いも、社会階層によってニセ科学へのハマりやすさに違いはあるかどうか、というものでしたので。

------

参考図書として、グールド 『人間の測りまちがい』なんてどうでしょうか

投稿: TAKESAN | 2008年4月22日 (火) 18:27

TAKESANさん。
ありがとうございます。

参考図書、面白そうですね。
今度、是非、読みたいと思います(^.^)

それから、↑
「こういう、それ自体は特に価値判断を含まない問いについて「差別」を見てとるか、という例示のつもりだったのですけれど…」


はっはっは〜〜〜〜
すみません。
(笑って誤魔化すな、と自分に突っ込む)


安原さん提示の「階層とはまりやすさ」、、、
については、今度、ご紹介の本も読みたいと思います。
いずれにしても、一筋縄では行かない難しいもんだいですね、、

また考えます。

いつも、ありがとうございます。

投稿: せとともこ | 2008年4月22日 (火) 19:01

グールド 『人間の測りまちがい』(和訳)は古い装丁(ドクロの絵のカバー)のものを何年も前に買ったのですが、まだ読了していません。とにかく読みにくい和訳で。
それはともかく、グールドは悩ましい問題提起をしていますね。今のところ人種による知能の違いは観測されていません。しかし、これはたまたまのことで、違いがあるという可能性もあったわけです。ネアンデルタール人が絶滅せずに人類と共存していたということもあり得たかもしれません。これは絵空事ですが、知的障害者は現実に存在します。また、明白に凶悪犯罪を犯しやすいグループというのも存在していて、それは男性です。それらを差別して良いと考える人はあまりい無いとおもいます。
皆さんがおっしゃっていることと被りますが、違いがあることを即、差別に結びつける発想が短絡的すぎるのだと思います。

投稿: zorori | 2008年4月22日 (火) 19:10

>せとともこさん

グールドの本は、知能の研究の歴史を知るにも良いし、ニセ科学について考える際にも参考になる本だと思います。

------

zororiさん、今晩は。

本当に、あの異様な読みにくさは、何とかならないものか…。

血液型性格判断の議論の際にも出てきますよね。研究によって、大きな差がある訳では無い事が解ったけれど、もし差がある事が判明したとすれば、それはどう考えるべきか、という。

ビネーによる知能検査はそもそも、知的な発達が遅れている子を見つけて適切なフォローを行う、という目的のために研究されたものだったのですよね。それが差別的に用いられるようにもなってしまった。まさに、使い方をどうするか、という問題なのだと思います。

違いが「あるかどうか」に触れる事そのものを、「違いを根拠にして不当な扱いをする」、という所に結び付ける人は、実際にいますね。

------

kikulogにある、こなみさんによるグールドの著作(私は未読)の要約を、引用してみます⇒http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1169803398
▼▼▼引用▼▼▼
肌の色の違いなどの外見によって区別され,場合によっては差別も生んでいる人種という区分が,生物学的にはきわめてわずかな差異によるものでしかないということが,近年の生命科学の成果としてはっきりしてきた。これまで,差別主義者たちは白人が進化的にもっとも優れた種であり,有色人種を劣ったものだとしてきたのだが,その論拠はことごとく覆された。このことはたしかによいことである。
しかし,遺伝的な差異がないという科学的事実が,人種差別をしてはいけないという道徳的,政治的な根拠になってしまうのは,戦略的にも感心できない。だったら,もしも実は遺伝的な差異があるという新しい科学的事実が突きつけられたら,そのとたんに,差別に反対する根拠は崩壊してしまうことになるのだから。自分はあらゆる人間の機会の平等性を,普遍的で絶対に奪うことができない,個人の生物学的状態とはなんら関係のないものだとみなしているのだ。個体間の変異を見るとき,明らかに能力に限界のある重度の障害者に対して,一人の人間として扱わないような社会は,私には満足できるものではない。
▲▲引用終了▲▲

投稿: TAKESAN | 2008年4月22日 (火) 20:06

こんばんは。
夕飯の後片付け、しながらコメントを拝見しています。

グールドですかぁ、
格調高いですね。
「自分はあらゆる人間の機会の平等性を,普遍的で絶対に奪うことができない,個人の生物学的状態とはなんら関係のないものだとみなしているのだ。個体間の変異を見るとき,明らかに能力に限界のある重度の障害者に対して,一人の人間として扱わないような社会は,私には満足できるものではない。」


なるほど。
健全な社会とは何か?
明らかに能力に限界があると思われる人々に関しても、人間として扱い、受け入れる力、つまり社会の「能力」を問われているのですね。
奇しくも、今日、山口で母子殺害事件の犯人、当時少年の判決が言い渡されました、、、
重いです。
考えてしまいます。

あっ、ちょっと話がずれてしまいました。
そうか、、、難解な本、これって訳者のせいですかねぇ???
いずれにしても私にはかなり厚く高い壁ですね(^^;
TAKESANさんの読了を待つか!
なぁ〜〜〜んて。

では、今日はここまでにします。
またね!

投稿: せとともこ | 2008年4月22日 (火) 20:41

『人間の測りまちがい』は、私は読了済み(変な日本語)なのですが、知識不足で読めなかった所もあるので、その内再読しようと思ってます。

超読みにくいです。直前に、セーガンの激しく読みやすい訳書を読んだので、尚更…。

母子殺害事件、重いですね。物凄く難しいです。今日もぼんやり考えていましたが、色々な問題が絡み合っていて、なかなか…。

投稿: TAKESAN | 2008年4月22日 (火) 21:12

せとともこさん

『人間の計りまちがい』は翻訳の評判が最悪ですが(あまりに評判が悪いので私は読んでない)、こなみさんが紹介している『フラミンゴの微笑』の方は、悪い訳じゃないですよ。
「人種の平等は歴史上の偶然である」が入っているのはハヤカワ文庫版の上巻の方です。

投稿: a-gemini | 2008年4月22日 (火) 21:25

こんばんは。おじゃまします。

 アメリカでの調査ですが、学歴と(創造論ではなく)進化論を信じる割合には相関がある、という結果が出ていますね。NATROMさんがエントリにしてらっしゃいます。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071203
 文化的背景を考えると、アメリカでの創造論は、日本での憑き物に相当しそうなので(ちょっと強引かな)、なにかしらの関係はあるかもしれませんね。学歴と社会階層の関係も調べないといけませんけど。

 それから区別を差別につなげる要因の一つとして、生活不安や将来への不安があるのだろうと思います(必要条件ではないでしょうけど)。いまの日本は貧困や格差がどんどん拡がっているので、ちょっとした違い(区別)もすぐに差別や排斥につなげる風潮はなかなか減らないでしょうね。残念ながら。
 ニセ科学にも色々ありますが、将来不安に付け込むタイプ、特にオカルト的なものは、そういう時にはびこるのかなあ、という気がしています。

投稿: FSM | 2008年4月23日 (水) 00:24

a-geminiさん、今晩は。

ご教示、ありがとうございます。
あ、そちらは読みやすい訳なのですね。良かった。私も読もう。

------

FSMさん、今晩は。

学歴は、科学的知識と論理的思考のトレーニングを積んだ度合いを示すものなので、そういう結果が出るのかも知れませんね。

差別というのは難しいですね。社会的な面と、心理的な面があるでしょうし、いつの間にか形成されている、つまり無自覚だから、なかなか厄介です。かく言う私も、そういう認識は持っていないだろうか、というのは常に考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年4月23日 (水) 01:14

みなさまこんにちは。
そういう調査が大規模にされている例のひとつにPISAもあります。だからどうしたというわけではありませんが、まあ、情報提供。

いま、ちゃんと出典を見つけることができなかったので記憶だけで書きますが、経済などの社会的格差と学力(PISAの場合はリテラシーになるのかな)の相関について触れられていたことがあるんです。
国際的にはかなりはっきりした相関が認められるそうですが、日本では他国に比べるとかなり相関が低いらしいです。

まあ、PISAは経済協力開発機構(OECD)のやっている調査ですし、目的のひとつは「各国が自国の教育施策を改善するための情報」を提供することなので、こういう分析を含むのは当然といえば当然なのでしょう。

えーと、シュライヒャー講演での質疑応答だったかなあ。とすると、2000年の結果についての下記のPDFなんですが、ざっと見返した限りではどんぴしゃの話は確認できませんでした。見落としてるような気もします(汗
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/coe/workingpaper/Vol.1.pdf

いずれにしても興味深い講演なので、教育に関心がおありで未読でしたらどうぞ。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月23日 (水) 07:34

亀@渋研Xさん、お早うございます。

あ、そうですね。PISAもあるか。

要約した記事はちょっと読んだ事があったのですが、そのPDFは未読でした。大変興味深いので、じっくり読もうと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年4月23日 (水) 09:58

>せとともこさん
明らかに能力に限界があると思われる人々に関しても、人間として扱い、受け入れる力、つまり社会の「能力」を問われているのですね。

ほんとそうですね。

>山口で母子殺害事件の犯人、当時少年の判決が言い渡されました。
死刑については一般予防の観点から、実証的に効果があるというデータはありませんが、私自身も死刑存置か死刑廃止かについては、ほんとうによくわかりません。情報だけ紹介すると、死刑廃止をした国も民意が高まって(半数を超えて)廃止したわけではないようです。厳罰化不支持に、どういう背景や社会心理があるかという研究だと、「社会保障に対する信頼感があり」、「将来の生活に対する不安感が少なく」、「専門家が犯罪対策に対して科学的な態度を維持していること(法曹養成に科学的、犯罪学的な犯罪学・刑事政策が組み込まれていること)が条件(ニュージーランドの犯罪学者 ジョン・プラット)だそうです(「論座3月号 浜井浩一論文から」)。

FSMさま
>文化的背景を考えると、アメリカでの創造論は、日本での憑き物に相当しそうなので(ちょっと強引かな)、
進化論が入ってきたときに「天皇への崇拝がなくなるかも」とかいってた欧米人がいて、「はあ?」ってかんじだったみたいですが、やおよろず系には弱いんですかね(笑)→かなりうる覚えなええかげんなコメントです。
東京か大阪にお住まいであれば「ダーウィン展」楽しかったですよー。ダーウィンってやっぱりすごいなあーと思いました。創造論教育の問題も展示されていました。
http://darwin2008.jp/


>せとともこさん
ピンカー「人間の本性を考える」が読みやすいかなと思うのですが、ただこの本を出すと、なぜかぷちキレる人がまわりに多少いますが、怒る理由も考えて読むとけっこうおもしろいかも。「累犯障害者」は刑務所に知的障害者がなぜ多いかという答えにもなる本です。TAKESANさん書かれているように、ビネーのそもそもの目的をそのままストレートに出している本かもしれませんね。

投稿: 安原 | 2008年4月23日 (水) 13:17

安原さん、今日は。

死刑制度なんかも、大変悩ましいです。究極的な問いの一つですしね。

ピンカーの本、いつか読むリストに入っています。リストに一杯入り過ぎて、どれから読もうか、ってなってるんですけどね(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年4月23日 (水) 13:22

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