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2008年4月10日 (木)

成績の比較に関して色々考えた人

思うのですが。

テストって、その点数自体が客観的なものでは無いですよね。

たとえば、テストで、平均80点の国語で92点取って、平均67点の数学で85点取った、という場合、国語が92点だったから国語の方が良い成績だった、とはならない気がします。

だって、テストって、難しい時もあれば、皆が高得点を取れるような易しいものの事もありますよね。だから、数値自体の大小を考えても、あまり意味が無いんじゃないかなあ、と。

うーん、じゃあどうするか。なんかいい方法は無いかなあ。

あ、そうだ。

平均からの離れ具合を見る、というのはどうでしょうか。上の例だと、国語は(平均点から)12点差で、数学は18点差。だから、数学の方が成績が良い、と。

…。

む、これだと、同じ平均点だった場合、どうすればいいのかな。

理科も社会も平均が75点だったら、それより高い方に離れている点の方が、いい成績、と言えるのかな。

いや、なんか違うか。

平均点というのは、全員の点数を足して人数で割ったものだから、それが同じでも、皆の点の取り方が違う、というのがあるんじゃないかな。3人が10点満点のテストを受けたとして、それが1点・2点・6点だった場合と、全員3点だった場合は、両方平均点は一緒だけど、内容は全然違う…。

むう…。

あ、何か、点数の「広がり方」的なものがあればいい気がする。さっきの例だと、前の3人は、点数がバラけていて、後の方は、全員同じ点数。だから、その点数の広がり方をなんとか数値にして、それを利用する。

広がり方が小さいと、平均点に近い点を取った人が沢山いるって事で、それが大きいと、ばらついている、って事になる。

とすると、同じ平均点のテストで同じで点数を取ったとしても、広がり方が大きい時とそうで無い時とは、価値が違うって事になるか。

たとえば、平均点からの差を取って、「広がり方」で割る、っていうのはどうだろう。そしたら、同じ点でも、「平均点から”広がり方”何個分離れているか」、というのが解るかも。それが大きい方が、「珍しい点数」って意味になるのかな。だから、同じ平均点のテストで同じ点数を取った場合、そのテストの点数の「広がり方」が小さい方が、より珍しい点だからいい、ってなるのかな。

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多分、中学生くらいなら、これくらいの話は、簡単に理解出来ますよね(厳密さには目をつぶって下さいな)。

○○はこういう意味だよ、と初めから言うより、まず「考えさせて」、その考えを突き詰めたものが○○なんだよ、と言った方が、有意義な気がします。

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コメント

ありゃりゃ、違うところに(突破)コメントしてしまい失礼しました。

薬の副作用で、ここ数日頭痛がするせいかな。

投稿: zorori | 2008年4月10日 (木) 16:59

あ、いえいえ。構いませんです。

投稿: TAKESAN | 2008年4月10日 (木) 20:48

ついでなので、もう少し脱線コメントを続けます。

ある集団内での位置づけは偏差値などで表せます。国語と算数では平均点もばらつきも違うので、同じ点数でも集団内での位置づけは異なります。そこで、偏差値を用いて、同じ数値であれば同じ位置づけであるように調整するわけです。国語も算数も同じ偏差値であれば、集団内で同じような位置づけであることが分かります。しかし、このことは国語と算数の能力が同じ程度であることを示すわけではありませんね。その集団が算数の天才児の集まりだとしたら、平均的な偏差値でも相当な能力といえるでしょう。そして、それは国語の能力とそもそも比較できるようなものでもありません。比較できるのは集団内での相対的位置づけに過ぎません。したがって、国語と算数の偏差値を合計して総合学力とすることはほとんど無意味に思えます。しかし、現実にはこのような合算が良く行われます。

人には、比べられないものを比べたい、一次元でランキングを付けたいという欲求があるのではないかと感じます。相撲とプロレスではどちらが強いかなんて無意味な比較をしたがるわけです。柔道3段、剣道4段、将棋3段、計10段という冗談と偏差値の合計は同じようなものじゃないかと。そういえば、北京オリンピックも近いですけど、金メダル獲得数の競争なんてのもありますね。一個一個の金メダルの意味は全く違うので足し算できないはずですが、金メダル1個という共通単位を与えたとたん足したくなっちゃうんですね

投稿: zorori | 2008年4月11日 (金) 08:47

zororiさん、今日は。

偏差値とは、点数が分布のどこにあるか(平均値から標準偏差いくつ分離れているか)を示す指標である、というのを認識するのが大切なのですよね。

このエントリーを書いた意図は、
多分、中学生くらいになると、「能力を点数で測られる」事に対して抵抗感を覚えると思うのですよね。で、そこから、「偏差値教育」がどうこう、とか考える。
でも、そこで、きちんと対象がどんなものが把握してからものを言っているか、というと、そうでは無いのですよね。まず「点数を付けるのは嫌だ」という直感と、世間で言われている偏差値の悪口を、「何となく」結びつける。
でも、元々偏差値というのは、統計的な指標「でしか無い」訳ですよね。分布のどこに位置するか、というのを表す便利なもの。で、重要なのは、その「用い方」。
だから、ただ何となく嫌うよりも、まず、それが何であるかを認識する、というのが大事かな、と。
そうすれば、メタに見られますよね。相対化出来る。偏差値について嫌悪感を覚える事自体があまり妥当で無い、というのも解ってくる(批判すべきは、その概念の内容を無視して用いるやり方)。

そんな事を思って書いたのでした。偏差値って、その元々の意味が考慮されずに嫌われる(のに、それが高いと賞賛したりする)最たるもの、という印象があります。偏差値教育がダメ、と言う人に対して、じゃあ偏差値って何? と訊いて、どれくらいの人が答えられるのだろう、と。偏差値という概念を理解した上で、それを何でもかんでもに持ち出す事を批判している、という場合、初めてちゃんとした批判、と言えるのだと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年4月11日 (金) 11:45

おっしゃる通りだと思います。(やっと、TAKESAN さんの思うところに沿ったコメントになってきた)
偏差値は非常に便利な道具なので、忌み嫌う必要も無いけど、万能の道具みたいに思うのもいけない。何事もその意味するところを理解して、適用範囲を考えなければいけないというまあ、当たり前のことですが。

投稿: zorori | 2008年4月11日 (金) 16:25

知能指数なんかもそうですよね。それが、客観的に能力を表す数値であるかのように思われていたりしますよね。
現代、偏差知能指数も用いられている事を知る人は、それほど多く無いかも知れません。

以前kikulogで、IQ300なんて言う人がいたなあ…。

投稿: TAKESAN | 2008年4月11日 (金) 20:30

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