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2008年4月24日 (木)

万能包丁

別エントリーのコメント欄にも、感想を書いたのですが⇒「トンデモ」を批判する記事を書く皆さんにお願い。

書かれてある事については、うん、そうですね、と、納得するものですね。と言うか、そうするしか出来ない。

つまり、物凄い一般論で、ある意味、「トンデモのまずさがきちんと解るような文章を書いて下さい」、と書いているに等しい訳ですよね。

個別の内容を見ても、どう考えても両立が出来ないだろうという条件が、まとめて含まれている。だって、

「美しい」って単純に言うけれどね、「美しいと思う形」を描かせたとき、皆が皆、まるで印刷したように幾何学的模様しか描かないのと、本当に一人一人が自由に様々な形を描いているのと、どちらが美しいと感じられるだろう?

これとか、凄い「婉曲表現」ではありません? 文脈による、という事なのかも知れませんけれど、そうだとしたら、「文脈によって様々な表現が考えられる」、という話になりかねませんしね。それは全く正しいけれど、あまり何も言った事にはならない。

うーん、結局、この増田を読んで、ちょっと首を傾げてしまうのは、

皆さんの記事の思惑とは全く逆に、引用されているトンデモの内容に感心して引き込まれ、皮肉なことに問題のある部分が記憶に刷り込まれてしまっています。

ここで言う「思惑」って何だろう、という所だったり(それは、書き手それぞれのものです)。そもそも、この増田を書いた方が「どういう思惑」でどのようなテキストを用いたのか、というのが解らない訳ですね。

何と言うか、材料の特性を見ずにそこら辺にある包丁を片っ端から使って切ろうとして上手くいかなかったから、どのようなものでも切れる包丁を用意して欲しい、と主張しているように、見えてしまうんですね。

やるべき事は、色々な種類の包丁を集め、それを研ぎ澄まし、きちんと使える状態にしておいて、材料に応じて適切に使っていく事、なのではないかな。

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コメント

こんばんは。
言及先に別ルートでたどり着いて、はてブしたところでこちらを拝見しました。

書き手(あの増田さん)は「読む人のことを考えて、効果的な表現方法を選択しましょう」という以上のことは言っていないと思います。
書いた人のもどかしさは、痛いほどわかるんですけどね。「もったいねえよお!」みたいな気持ちがあるのでしょうね。

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月24日 (木) 03:29

「勝つ」のが目的なら、まぁこの増田さんの云うことは正しいのでしょうね。

この増田さんの文章には(意図的であるかどうかは分かりませんが)まさに「勝つ」ための戦術がいっぱい詰まっています。反論を受ける隙になりそうな実例は挙げないとか、誰かの行動の思惑や目的を(説明なく)規定してしまって、そのなかだけで主張を展開するとか。「増田」と云う場所を選んだのも、戦略の一環なんでしょう。

でまぁ、そう云うやりかたが一定の効果を挙げられるのは、はてブの反応を見れば確認できるわけです。それもひとつの方法でしょう。「勝つ」ためなら。
ぼくなんかは「勝つ」ことが目的じゃないし、負け戦は覚悟のうえなので(ついでに云うと「トンデモ批判」なんかしているつもりもないので)、あまり関係のない内容です。

投稿: pooh | 2008年4月24日 (木) 07:58

亀@渋研Xさん、poohさん、今日は。

解りやすさと説得力と充分に論理な説明を全て実現させるのは、不可能と言って良いと思います。

ある意味、どうしたって読むのに負荷が掛かるというのを解って書いている、という部分がある訳ですしね。書き手にはそれぞれの「思惑」があるのだから、目的をきちんと見ないといけないし、その目的を達成出来るか否かという視点でこそ、批判は成り立つのだと思います。

読み手に合わせて書きましょう、という提言にも見えるし、「批判はこう書くべきだ」、という結構拘束的な主張にも見えます。前者であれば、読み手の性質に大きく依存するので、具体例を挙げるなりしないとほとんど意味が無いし、後者なら、そもそも読み手の多様性を否定しているので、同意は全く出来ない。

ああいう書き方がなされているので、どういう主張をしたいのか、今一つ解らない所があります。焦点を合わせないと、ぼやけて見えないです。

投稿: TAKESAN | 2008年4月24日 (木) 11:32

思うに。
「批判」のテキストというのは、即「説得」の機能を持つものとは言えないと思うのですよね。

たとえば、私が書いたゲーム脳本批判の連載は、「トンデモ批判(この文脈に沿って、ゲーム脳をトンデモだとします)」ですが、それをそのまま読ませてゲーム脳の怪しさを理解して欲しい、と思って書いたものでは無いんですよね。他のエントリーのコメント欄でも書いた通り、これは、おかしい所を原典に沿って読み取っていく事を主眼としており、ある程度「批判的に」興味は持っているが詳細を知っている訳では無い人に対する情報提供のような意義がある、と考えて書きました。

ものを読んだり科学的定量的思考を巡らせるのを好まない、苦手な人を説得する文を書くのは、端的に言って、異様に難しい。と言うか、私はそれを書こうとして断念して、先の連載を書いたのですね。詳細に批判したものを書いてみるので、それを道具にして使ってみて下さい、という感じで。

投稿: TAKESAN | 2008年4月24日 (木) 12:20

>「美しい」って単純に言うけれどね、「美しいと思う形」を描かせたとき、皆が皆、まるで印刷したように幾何学的模様しか描かないのと、本当に一人一人が自由に様々な形を描いているのと、どちらが美しいと感じられるだろう?

これ、賛同できません。
幾何学模様しか描かない方が美しいと感じる人は少なからずいると思います。全然一般化できていないと思います(私は北朝鮮のマスゲームを「非常に美しい」と感じる人間です、ってこれは関係ないか)。
少なくともニセ科学批判においてこの表現が「「美しい結晶」という基準が曖昧だ。だからこれはナンセンス。」という表現より優れているとは「私には」感じられません。

投稿: Noe | 2008年4月24日 (木) 13:48

Noeさん、今日は。

江本氏の本が、ある程度の人に受け容れられたのは、実際に、載っている写真が美しいと感じた人が多かったから、だと思います。
私も、あの写真そのものは、とても綺麗だと感じますし。
整った形を美しいと思う事自体は、結構一般的なのだと考えています。

水伝の問題は、美醜と善悪を対応させる所なんですよね。

引用部は確かに、様々な前提が無いと説得力を持たないものですね。結局は相手の価値観に委ねている、と言うか。
田崎さんの文章なんかは、そこら辺が考え抜かれて書かれているものですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月24日 (木) 14:04

こんにちは、皆さん。

 ニセ科学批判を始めたばかりの頃には良く「骨董の真贋」と対比させて説明していました。

 まずは約束事というのがあるにはあるんですよね。「この時代の古伊万里の高台はこのくらいの大きさでこのくらいの高さ」とかね。でもね、これだけ覚えても、単に「約束事を守った風な偽物」を掴まされるだけでしょ(笑)。

 でもって、その次ぎの見分け方になるとかなり感覚的に成らざるを得ないのね。「壺の肩の張りが凛々しいでしょ」とか「絵に思い切りの良さがあるでしょ」とかね。でもって、これはまさに「美術館に通って身体で覚えてくれ」としか言いようが無いんですね。

 なんていうか、中島誠之助あたりは「一目見たら遠くから見ても真贋は分かります」という訳ですよ。彼が「こうなっているから、これは偽物」なんて言うのは、彼がそこで判断している訳では無くて、「どうやって説明してあげようか」のために言っているだけなのね。何かが偽物何じゃなくて全体が偽物なんだからね。実のところ、多くの科学者が「こうだからニセ科学」なんて判断している訳ではなくて、その話をざっと見ただけで「ああ、これはニセ科学」と分かって、「さて、これをどうやって説明したらニセ科学と分かってくれるかな」で説明しているだけなのね。じゃあ、中島誠之助に「誰でも偽物を分かるように説明しろ」というなら、「その意識がある限り本物は手に入りません」と言われるんじゃないかな。

投稿: 技術開発者 | 2008年4月24日 (木) 17:11

「あれこそ中華の包丁や。刃そのものは鋭く丈夫なため肉や皮はたちどころに切れる。特に付け根の厚く丈夫な刃はその重さを利用して骨まで叩き割る事も可能。そして薄い先端は細かい作業もこなせるわけや」(「鉄鍋のジャン」より)

万能って見果てぬ夢というかロマンをかんじますよね。万能チューリングマシンとか。KYなコメントですみません。

投稿: グレートパンダー | 2008年4月24日 (木) 17:40

>技術開発者さん

なんだか、「誰にでも理解出来る数学(統計学でも微積分でも何でもいいですが)の入門書を書いて欲しい」と言うのと似ている気がします。

当然、より解りやすい、納得して貰えるものを書く工夫をする努力は大切ですが、それを考えるには必ず、「どういう対象に向けるか」、という視点が欠かせないのですよね。
トンデモやニセ科学批判の場合だと、「これはデタラメである」という説明が含まれる訳ですから、機能として、「デタラメである事を”納得”させる」というものが必要とされる。だけれど、デタラメだと納得させるには、デタラメであるという論理をきちんと理解して貰わなければならないのですよね。それが無い場合は、「科学者が言っているから」、という方法に頼らざるを得なくなったりして、おかしな事になってしまう。

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グレートパンダーさん、今晩は。

おお、ジャンとはまた、マニアックなネタ…。

万能であるとか汎用性を求める、というのはありますね。しかも、一つの道具に求めるという風に。FFで万能薬が欲しい、みたいに。

万能薬は存在し得ないから、様々な薬を組み合わせて使っていこう、という方が、現実的だと思うのですよね。尤も、薬を甘くしたりオブラートに包んで飲みやすくしよう、というのは重要ですが。

投稿: TAKESAN | 2008年4月24日 (木) 18:30

こんにちは、皆さん。

>「誰にでも理解出来る数学(統計学でも微積分でも何でもいいですが)の入門書を書いて欲しい」と言うのと似ている気がします。

 無駄話みたいになりますが、以前に分析方法の手順書を作成した事があります。手順書というのは「作業者が読んでその通りにすれば必ずきちんとできる」様に書くべきだというのは当然なんですが、その作業者というのが、いろんな器具の使い方をマスターしているという前提を巡って議論になったことがあります。「100ミリリットルのメスフラスコを用い、試料溶液を蒸留水で100ミリリットルに定容希釈する」と書けば、メスフラスコの使い方が分かっている作業者なら何も問題なく作業出来ます。ところが、中には。「100ミリリットルのメスフラスコに試料溶液を入れ、次いで蒸留水をメスフラスコの標線まで入れ、蓋をして振り混ぜる」の方が親切だという人もいる訳です。

 でも、そう書かないと間違える作業者なら、メスフラスコの洗い方も書いておかないと洗い方を間違えて正しい値にならないだろうし、乾燥の仕方も書いておかないと高温の乾燥機で乾燥して容量を狂わせてしまうかも知れないわけです。つまり、作業者のレベルを一旦下げて仮定してしまうと、分析の手順書の部分よりも、化学分析実験の初等教科書の部分が多くなってしまうわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008年4月25日 (金) 12:54

技術開発者さん、今日は。

数学系で、「ゼロからわかる」とか、誰でも出来る、的なタイトルがつけられているものが、ありますね。

で、厳密に知識がゼロというのはあり得ないから、どういった層を想定しているか、というのがポイントになるのですよね。整然と方法や公式を並べるだけでは初学者向けにはならないから、もっと基礎的な所を丁寧に説明するという事になるけれど、それを理解するには他の知識も必要であるから、となって、よく解らなくなったり。

だから、どういった対象、つまり、どのくらいの知識がある人に向けているものかをはっきりさせ、使う側は、それをきちんと把握してからやるべきかな、と。

と、入門書ハンター(笑)の私としては、そんな事を思い、このトピックと繋げて考えたのでした。

投稿: TAKESAN | 2008年4月25日 (金) 13:30

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