泥む思考
自分の思考が泥のようであるのを自覚して、情けなくなる事、ありますよね。
停滞して、流れない。どろどろで、混沌としている。
もっと、サラサラで、整然として、透明な思考にならないものか、なんてね。
まあ、どろどろなのが自覚出来るのは気付かないよりはマシ、だと思って、自分を慰めましょう。
もうちょっと色々インプットすれば、整理が進むんですけどね。でも、インプットするのが困難。泥にちょっと水を足すだけでは、いかんともしがたい。気長にやらないとね。
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コメント
考える要素が増えるほど、思考はまっすぐに進まなくなって。ときおり力技で捨象して親展を図るんですけど、切り捨てた要素が気になって気になって。
ぼくはいつも水牛のごとく泥の中をとろとろと歩んでおります。
投稿 pooh | 2008年4月30日 (水) 07:59
poohさん、今日は。
入力すればするほど処理が大変になって、でも、入力しなければどうしようも無い、という感じですね。内容量が小さければ、流れは良いかも知れませんが、それは結局、空っぽ、って事なので。
若い頃に入力をさぼったツケが出てきてるのですね。それを何とかしないと、って思っています。
投稿 TAKESAN | 2008年4月30日 (水) 11:38
子ら去りし水辺に春泥残り居り 茅
平らかな泥をもくもくゆく田螺 茅
春泥に影落としたる泡二つ 茅
検索してみると、「なづむ」には馴染む、打ち込むという意味もあるようで。じっくりと行くのもまたいいのではないでしょうか。いかにも晩春の風情で。
投稿 ちがやまる | 2008年4月30日 (水) 11:45
ちがやまるさん、今日は。
田螺という言葉に、何とも言えない懐かしさを覚えます。
元来慌て者なので。あれが足りない、これも足りない、というのは見えているので、 ついつい焦ってしまうのですよね。気長にやろうとしてはいるのですが、どろどろのままでは気持ちが悪い(笑)
投稿 TAKESAN | 2008年4月30日 (水) 12:46
こんにちは、皆さん。
>もうちょっと色々インプットすれば、整理が進むんですけどね。でも、インプットするのが困難。泥にちょっと水を足すだけでは、いかんともしがたい。気長にやらないとね。
こうすれば良いというものでは無いんだけど、自分の中に流れを作り上げておくと、そう泥が沈まない気はしますね。私はいつも幾つかの流れを身体の中に持っていて、入れた知識はその中で流れているうちに、たいてい落ち着くところに落ち着いてくれる感じがします。
例えば「経緯論として考える」なんてのも私の中の流れの一つです。なんていうか、目の前に不合理に見える事柄があっても、「じゃあ、こういう話が合理的と思われた経緯は何だろう」とか考える事で、「こういう時代にはそれなりに合理的だったんだろうな」という部分が見えてくる。そうすると、「不合理に見えるけど、この部分は胃までもあまり情勢が代わっていないから合理性が残っている。この部分は情勢の変化の中で不合理性が前面に出ているから変えていかなければ成らない部分だな」とか整理出来てしまうわけです。
あるいは「中庸論として考える」という流れもあります。「基本的には合理的なんだけど、行きすぎることでこういう不合理性が発揮され居るのだな」なんて整理される事もありますね。
こういう流れを幾つか自分の身体の中に作り上げておくと、楽だし、ついでに知識が整理されるから必要な時にスッと取り出すのも容易です。
投稿 技術開発者 | 2008年4月30日 (水) 17:39
技術開発者さん、今晩は。
何かを考えていて、ああ、もうちょっとで、きちんと言葉にして出力出来るのになあ、と思う事が、しばしばです。そういう時に、ちゃんと頭の中を交通整理してくれる知識が無いと、混じったままなのですよね。その、交通整理をしてくれる知識の一つが、数学なのだと思っています。
解りかけているのだけど言葉に出来ない歯痒さ、というのが(笑)
投稿 TAKESAN | 2008年4月30日 (水) 23:04