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2008年3月 5日 (水)

『ゲーム脳の恐怖』の書評に見る、ダメな批判および的外れな擁護、の例

批判というものにも当然、ダメな批判、つまり、批判自体がおかしい、という場合があります。また、批判されているものを擁護する際にも、的外れになっているものも、少なくありません。

そこで、『ゲーム脳の恐怖』の、amazonの書評を検討する事によって、それらの例を見ていきたいと思います。

amazonの書評にも、いわゆる「釣り」的なコメントがある訳ですが、そういう所は考慮せず、全て真剣に書かれたものとして捉え、検討します。

もちろん、採り上げる私の考えそのものがおかしな場合もある、という事もあるでしょう。その場合には、ご批判を頂ければありがたいです。

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書) Book ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

著者:森 昭雄
販売元:日本放送出版協会
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「評価の高い順」でソートし、星の多い方から検討します。

そこでよく見られるのが、「ゲームが有害で無いとは言えないのではないか」、とした上で、本書の擁護をする論調です。批判はあるが、ゲームの危険性に目を向けさせる役割があったので良いのではないか、という具合です。

しかしこれは、的外れです。

まず、本書を批判している人は、必ずしも、「ゲームの有害性」そのものを否定している訳ではありません。そもそも、有害性という概念自体が、どのような観点で、どう定量的に捉えるか、という所を考えなければならないものなのです。「有害性が全く無いとは言えないのではないか」、というのは、論理的にはその通りですが、それは、あらゆる物事について、言える訳ですね。

また、「森氏が言っている事はまとも」、という書き方をしているものも、あります。

これは、基本的な生活習慣に関する部分「だけ」を見て、その他の部分は捨象してしまっています。たとえば、「身体をよく動かす事が大事」、という記述があれば、そこをクローズアップして、「まともじゃないか」、と考える訳です。ところが、普通は、「全く一つもまともな事を書かない」、などというのは、あり得ないのですね。常識的な事を二つ三つ書けば、それは「まとも」と言えるのですから。本書の問題は、それを、脳波の状態などで、根拠不明確なまま説明してしまおう、という部分なのです。

他によく見られるのが、「実感」を元にした意見。

たとえば、塾の講師の意見であるとか、身近の子どもに対する「印象」によって、「ゲームは害を及ぼす」、という主張。

これは、二重に間違っています。つまり、1)自分の経験を過度に一般化している 2)仮に、子どもが変わったというのが妥当だとしても(仮定)、それが「ゲーム」のせいであるかは、また別の問題  という事です。

小さな子どもを持つ方に薦める、という意見もあります。私はこれには、明確に反対します。理由は、このカテゴリーの記事に、散々書いてありますので…。

テトリス(パズルゲーム)が、ゲームの適切なサンプルである、という意見もありますね。つまり、ゲームに共通する部分を取り出すと、パズルゲームの要素が残る、という主張。これも的外れです。何故なら、「ゲーム(コンピュータゲーム)」はそもそも、多様なあり方をしている文化現象そのものを指している概念なのですから。この例は、過度の単純化、と言えるでしょう。

次に、一つレビューを引用してみましょう。※文字修飾は、はずします。コメントの一部を引用

冷静に読めば,えるところのある本, 2007/10/22

しかし,論理に不完全な点があったり,おもいこみにもとづいて書かれた部分があるのはこの本にかぎったことではない.この本を冷静に読めば,著者がそんなにバランスを欠いた主張をしているわけではないことがわかる.

仮にも、学術的研究成果を披露する著作なのですから、論理的整合性や科学的客観性は、必須不可欠の条件であり、それを蔑ろにして良い訳がありません。また、論理的に不完全な本が他にもあるから――、というのは、おかしいですね。他に論理性の欠如した本があれば、それも批判されて然るべきである、と考えなくてはなりません。

ここから、(的外れな)批判的意見を採り上げます。※ほとんどは、妥当な批判だと思います。擁護する意見は、それ自体少ない訳ですけれど。

「ゲーム脳などあり得ない」、という意見がありますね。これは結構、難しい所。そもそもまともな定義らしきものが存在しないものなので、その意味で、そんなもんあり得ないよ、と言うのは、正しい。だけれど、それを主張する際、「ゲーム脳」に、「ゲームの有害性」という意味を含ませている場合には、それはあり得ないとは言えない、という事になります。まあ、これは、少々複雑な問題なので、立ち入るのはよしましょう…。

よく見られるのが、「自分はゲームをよくしていた(る)が、特に問題は無い」、という意見。これはまず、自身が問題無いと思っているのが妥当とは限らない、という所がポイント。で、それが妥当であると仮定しても、だからといって、それが理論の反証になる訳では無い、という事ですね。ゲームをやる人間が全ておかしくなる、という主張ならともかくも、そういうものでは無いのですから、一つの事例は、参考資料にしかならない、という事です。これは、「元々主唱者が何を言っているか」をきちんと把握していないが故の、的外れな反論と言えるでしょう。

斎藤環氏の文(正確には、インタビューの記事)を、それと明示せず抜粋しているのがあるな…。何やってんでしょ。

皮肉を含めて批判する、というのは常套の手段ですね。私もやる事があります。これは、加減が難しい。一歩間違うと、単なる罵倒になりかねないので。

標本サイズが小さい、という意見。必ずしも、人数が少ないからダメだ、という事では無いですよね。実験の内容や学問分野を検討した上で、考えなくてはならないと思います。医学や心理学等では、小サイズのサンプルというのはよくある事でしょうし、統計学的厳密な無作為抽出というのは、不可能な場合が多いだろうから。その場合には、母集団をきちんと限定したり、どのようにサンプリングしたかを明記するなりの配慮が、必要ですけれど。一事例研究のようなものもあるしね。あ、もちろん、森氏の研究では妥当だ、と言ってる訳じゃ無いですよ。

ああ、後、実験データが詳しく公開されていない、というのをどこまで突っ込むか、の部分も、結構難しいですね。新書ですから、ある程度省略して記述する、という言い分も、理解出来ますので。サンプルサイズとかサンプリングの仕方くらいは、必須だと思いますけれど。本書は、あまりにも足りない、という印象は持っています。

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大体、こんな所でしょうか。

これは、他のニセ科学に対する批判を考える際にも、敷衍出来るのではないかと思います。批判の内容は妥当か、とか、擁護の仕方がどうおかしいか、というのをきちんと考えるのも、大切ですよね。

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