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2008年3月31日 (月)

情報・影響

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):突き落とし少年の自宅から「ひぐらしのなく頃に」、「DEATH NOTE」など押収 …犯行動機との関連性調べる

たく脊髄反射が多いな。進学を諦めるほど経済的に困窮していたのにマンガを持っているのはおかしい。通常の人よりその内容に傾倒していた可能性は否定できない。動機に結び付き得るものを調べるのが警察の仕事だ。(hogawaさん)

違う、と言うか、論点が異なっているように思える。

この件で問題になっているのは、現時点であのような情報を報道する事に、一体どういう合理性があるか、という所なのではないかな。つまり、アニメやゲームをわざわざクローズアップする事に、どういった意義があるか。それは結局、先入観があるからではないか(あのようなメディアや作品は、特段の良くない影響を及ぼす)、という、そういう話だと思う。

今私達に、犯人が所持していたマンガの種類が明かされたとして、それをどう活用しますか?
ワイドショーや居酒屋談義で、推理小説ごっこが展開されるくらいでしょう。そして、マンガやゲームに対するネガティブな社会的認知が形成される可能性がある。そういう事なんじゃないと。

「影響」というのは大きさであって、方向では無いんじゃないかなあ、なんて。殊更に「悪」影響ばかりを仄めかされれば、反発もしますよ、そりゃあ。

影響が無い、なんてのはあり得ないですからね。なんの影響も無い(もしくは、考慮の必要が無いほど少ない)文化を擁護する、というのはおかしい訳で。自分に「影響を与えてくれた」素晴らしい文化だから、それによく解らない(根拠薄弱な)評価がなされると、黙っていられないのです。

これは付け加えておかないといけないかな。

『DEATH NOTE』は、確信犯の物語だから、読者が思想的なものを受け取るという、そういう可能性は、あります。それは当然。「子どもがこういうの読んでアホな考え持ったりしてね」、って思った事はありません? 私はあります。

だけれど、実際に個人の心理にどう影響したか、というのは、様々でしょう。他にどういうメディアやコンテンツに触れているか、というのもあるし。警察がそれを調べるのは、当たり前の話。でも、それを報道するのにどういう意味があるんだろうな、という所は、考えなくちゃならない。

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コメント

 久々に書き込みます
 事件報道におけるマンガやゲームの扱いについて昨今TAKASANさんのブログに多く書かれておりますが、私も非常に疑問に思うところです。
 個人的には「サイコを愛読していた猟奇殺人犯」よりも「サザエさん全巻揃えていた猟奇殺人犯」の方がインパクトがあるし、不謹慎だけど色々想像力がかきたてられて興味深いです。
 
 どうせ紹介するマンガやゲームも、「それっぽい」文脈のものが選ばれるのでしょう。「それっぽい」を判断するのは捜査側であったり、マスコミであったり。また、「それっぽい」ものを喜ぶ視聴者も多いわけで。
 そこに存在するのは、犯人の動機ではなく、第三者が求める動機でしかなくて、そんな「分りやすい原因」れが求められる風潮は、水伝や血液型性格判断が受け入れられる土壌につながっていると思う。つまりは、「想像力の放棄」といったところか。

 ちなみに、「犯人はTVの報道番組を良く見ており、特に猟奇的な犯罪に関する微に入り細に入るような報道内容に影響を受けたようです。」こんなコメントがマスコミから出される事は恐らく無いんでしょうね。

投稿: | 2008年4月 1日 (火) 01:05

あ...TAKASANさんではなく、TAKESANさんでした。誠に失礼しました。

ちなみに、私の蔵書の別冊宝島等々は、万一私が道を踏み外して何らかの猟奇殺人をしでかしたら、マスコミさんが大喜びするようなものばかり...。

投稿: | 2008年4月 1日 (火) 01:11

Jさん、今晩は(名前はお気になさらずに)。

多分、「それっぽい」ものが選択されて報道され、それが視聴者に情報として採り入れられ、視聴者に「受ける」情報を報道する→そして、視聴者はますます「それっぽい」という印象を強める……というループになっているのでしょうね。だから、ああいった報道がなされると、マスメディアに信頼を置いている人は、「ああ、やっぱりな」、となるのだと思います。

マスメディアに対しては、かなり強い不信感を懐いていますが、その理由の一つに、「相互批判がほとんど見られない」というのがあります。主にテレビについての話ですね。やるとしたら、どこのテレビ局の社員が不祥事を起こした、という時くらい。自己批判も無いですよね。マスメディアが与えた影響をマスメディア自身が考える、というのを、あまり見ないです。

私が何かしでかしたら、部屋に置いてある木剣や杖に注目されるのは必至…。

投稿: TAKESAN | 2008年4月 1日 (火) 01:38

僕が今人殺したら、毎日新聞から「理系白書を異常なまでに叩いた偏執狂」と書かれるに違いない(^^;

投稿: JosephYoiko | 2008年4月 2日 (水) 02:15

ぼくがなにかしでかした場合は、経済的な困窮と、あとはなにかなあ。料理をするから、包丁との関連とか? 「地元の小中学校のボランティア活動で云々。穏やかではあったが、異様な風体が云々」とかかなあ。あ、エッチ系の本もネタになるかな(^^;;

ああっ、違うよ! 明らかに、引きこもりのネット中毒者じゃん!(爆)

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月 2日 (水) 02:39

おはようございます。
僕がもし殺人を犯したら、きっと家にある骨格コレクションや解剖図集との関連から報道されるでしょう。
「犯人は平素から骨に対する異常な執着を示し、人を殺す事でその主たる興味の対象を直に見る事を切望し・・・」とか。
怪しいものたくさんあるしなあ。

投稿: corvo | 2008年4月 2日 (水) 08:36

おはようございます。
TAKESANさん、お元気ですか?

さて、今日の話題。
不謹慎ながら笑っちゃいました。
皆さんのコメントを見てさらにゲラゲラ。
ごめん。

でね。
テレビのワイドショーなんかを見ていると、
捕まった人の知人とか友人が出てきて、なにやら話すじゃないですか。
「何を考えているか分からない人だった」とか
「挨拶する丁寧な人で、明るくてそんな人には思えません」とか
「きれやすい」とかとか、、、
あれを見ながら、そんなの「みんな同じ」と思っていました。
近所の他人にベラベラ自分の考えを話す方が不自然(と、いうか気味悪いと思われる)。
挨拶なんて普通するよね。
きれやすい、、、って言われても、誰だって時には怒るよね。(私なんか子どもにきれまくっています、、、すみません)

結局、いわゆる世間って(この場合は警察か?)人を「型」にはめないと安心できないのでしょうかねぇ〜〜〜
そういう人や物を隔離する事で「より安心」だと考えて、こうした分析(?????)をするんでしょうか。
こんな事していてもいつまでたってもモグラたたきではと思います。
どうなんでしょう。

投稿: せとともこ | 2008年4月 2日 (水) 09:56

皆さん、今日は。

おお、皆さん、心当たりが色々…。
やっぱ、何とでも結び付けられるんですよね。「一般的で無い」事柄に注目されるんでしょうね。

せとともこさんが書いておられる事、その通りだと思います。
ああいうインタビューを見るたび、違和感を覚えます。
近所の住人へのインタビューには、「近所に住んでいる人について、そんなに詳しい訳が無いでしょ」、「友人」のものには、「本当に友人なら、そんな言い方する?」という感じで。
誰にでも等しく同じような態度で接する人というのは、極めて稀な訳で、気分もあるし、心は一定では無いんですよね。
全人格の一部分を切り取ってその印象を増幅するような報道をしてどうするのだろう、と思います。

投稿: TAKESAN | 2008年4月 2日 (水) 12:52

こんにちは。
論文書きから開放されてすぐなので何かおかしなことを書いてしまうかもしれませんが。

こういう報道や分析を見ていて思うことなのですが、まず

1.ゲームやマンガなど、本人の(特に隠された)趣味と結びつけるという分析

については、主たる原因を個人の中に見つける、あるいは個人の特性と結び付けようとする努力に見えてなりません。この点についてはapjさんが以前お書きになっていた「普通の人も犯罪を犯すということを認めてはどうか」という主張が気になるところです、さらに

2.「そんな風には見えなかった」というような言説、あるいはそういう証言を集めて回るメディア

などを見ていると、全員で「私たちは当事者ではない」という確認とその手助けをしているように見えるのです。

どちらにも共通しているのは「私たちは知らなかったのだ(だから仕方ない)」というような心持というか。
いや、例えば近くに住んでいた人々がそういう形でなんとか理由付けをする、あるいは折り合いを付けようとするのはわかるのですが、マスメディアがそれに付き合う必要は無いような気がしますし、自らの持つ影響力を考えなさ過ぎですよね。

…こういうのを安易な社会学風/心理学風分析もどき、っていうんですかね。すいません、わけがわからなかったら捨て置いてください。

僕が今何かやらかしたら原因は留学と英会話によるストレス、ですね(あながち外れでもない(^^; いや、何もしませんけど。

投稿: dlit | 2008年4月 2日 (水) 17:53

dlitさん、今晩は。

いえ、私も、社会心理学風の分析は、よく書く事がありますので…。気をつけて、「かも知れない」という書き方にしていますけれど。

私としては、ああいった報道、あるいはそれに同調する人々には、「自分達を”普通”だと思いたい」、という認識があるのではないか、と考えています。
つまり、自分達に馴染み深い物事に「原因を見出さない」事で、安心を得ている、という。差別化ですね。自分はそのような人間とは違う、という。

そのために持ち出されるもの(ゲーム等)に関わっている側としては、堪ったものではありませんが。

こういうのは、社会学系の専門的な議論がありそうですね。

------

今日も、小さい子どもが親に殺害された事件についてニュースでやっていましたが、作文を紹介するのにどういう意味があるのでしょうね。私には、「そんな親思いの子を何故?」という所を強調して視聴者の同情を呼ぶ、という演出にしか見えないのです。報道の役割なのだろうか、それは。

投稿: TAKESAN | 2008年4月 2日 (水) 18:13

ああ、なるほど。
おそらく僕が感じている違和感もTAKESANさんと同じ方向を向いているんだろうと思います。まあ分析がどのようになるかはともかくとして、いずれにせよそれはメディアの役割ではないよなあ、と。しかも犠牲にするというか槍玉に挙げられることによって蔑ろにされるものがあるわけですしね。

ちなみに、僕が上のようなエクスキューズを書いたのも、もうこういう議論は心理学や社会学の方でなされているんじゃないか、と思ったからだったりします。

安易にわかりやすい答えを用意するという点で、なんかやっぱりニセ科学問題で問題にされるメンタリティに通じるところがあるんじゃないかなあ、と思ったり。

投稿: dlit | 2008年4月 3日 (木) 15:14

dlitさん、今日は。

こういう場合に槍玉にあげられるのは、実在する文化なりな訳ですから、甚だ迷惑なのですよね。また、他の要因から目を逸らせてしまうという面も考えられますし。

納得しやすい答えを、という点は、共通する心理的なメカニズムがあるのでしょうね。社会的認知とも関わってきそうですけれども。個人のレベルでのニセ科学の信じ方については、菊池聡氏の本等が参考になりますね。

投稿: TAKESAN | 2008年4月 3日 (木) 16:38

二次元至上主義さん経由で⇒http://kitaharak.exblog.jp/8556078/

なかなか興味深い新聞記事。
ただ、魚住氏を出すのはいかがかと思う。泰羅氏、橋元氏の見解が妥当なのではないかな。

投稿: TAKESAN | 2008年4月 4日 (金) 12:30

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