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2008年3月に作成された記事

疑う事は、楽しい事

信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く

おおっ、画像でかっ。

書かれてある事は、言わば「基本」、ですね。とても大事な部分だから、繰り返し言い続けるべき所。

kikulogの説明をなさっている部分↓

「ひとりでに動いてくれるようになったので、ニセ科学を議論する場として機能していると思いますね。かなり見識と良識のある人たちがいてくれますから」

全くそうですね。kikulogとニセ科学論を知らなければ、私の認識は、かなり低い所に留まっていた事でしょう。

渋滞論文の話もありますね。確かに、「そんなの当たり前だろ」、という反応が多かった。私自身の感想は、「全然意味が解らなかった」、です。きちんとした所に採り上げられたんだから、多分興味深い事実が発見、あるいは確認されたのだろう、と考えて、そこで止まりましたね。説明を読んでも解らなかったので。で、解らないなら解らないままで置いとくのがいいんじゃないかなあ。ほんと、見出しと記事の一部分を見ただけで適当に言ってるだろ、という意見がありましたからね。いや、大した事無い、と言うのだったら、きちんと論文にあたって科学的論理的に批判すればいいのに、という感じ。

まあ、あれです。

重要なのは、鵜呑みにしない事と、解らない部分は置いておく、という事。「解りたい」ならきちんと調べなくちゃね。「解らなさへの耐性」というのが、ニセ科学論で出てきますが(技術開発者さんが初めに使われたのかな)、私としては、これはつまり、「解らなさを楽しめる」事なのではないか、と思っているのであります。未完成のジグソーパズルを見てワクワクするのと、根っこは一緒なんじゃないかな。

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情報・影響

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):突き落とし少年の自宅から「ひぐらしのなく頃に」、「DEATH NOTE」など押収 …犯行動機との関連性調べる

たく脊髄反射が多いな。進学を諦めるほど経済的に困窮していたのにマンガを持っているのはおかしい。通常の人よりその内容に傾倒していた可能性は否定できない。動機に結び付き得るものを調べるのが警察の仕事だ。(hogawaさん)

違う、と言うか、論点が異なっているように思える。

この件で問題になっているのは、現時点であのような情報を報道する事に、一体どういう合理性があるか、という所なのではないかな。つまり、アニメやゲームをわざわざクローズアップする事に、どういった意義があるか。それは結局、先入観があるからではないか(あのようなメディアや作品は、特段の良くない影響を及ぼす)、という、そういう話だと思う。

今私達に、犯人が所持していたマンガの種類が明かされたとして、それをどう活用しますか?
ワイドショーや居酒屋談義で、推理小説ごっこが展開されるくらいでしょう。そして、マンガやゲームに対するネガティブな社会的認知が形成される可能性がある。そういう事なんじゃないと。

「影響」というのは大きさであって、方向では無いんじゃないかなあ、なんて。殊更に「悪」影響ばかりを仄めかされれば、反発もしますよ、そりゃあ。

影響が無い、なんてのはあり得ないですからね。なんの影響も無い(もしくは、考慮の必要が無いほど少ない)文化を擁護する、というのはおかしい訳で。自分に「影響を与えてくれた」素晴らしい文化だから、それによく解らない(根拠薄弱な)評価がなされると、黙っていられないのです。

これは付け加えておかないといけないかな。

『DEATH NOTE』は、確信犯の物語だから、読者が思想的なものを受け取るという、そういう可能性は、あります。それは当然。「子どもがこういうの読んでアホな考え持ったりしてね」、って思った事はありません? 私はあります。

だけれど、実際に個人の心理にどう影響したか、というのは、様々でしょう。他にどういうメディアやコンテンツに触れているか、というのもあるし。警察がそれを調べるのは、当たり前の話。でも、それを報道するのにどういう意味があるんだろうな、という所は、考えなくちゃならない。

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飲みにけーしょん?

痛いニュース(ノ∀`):「飲みニケーション」をしないヤツは仕事でも使い物にならない…ゲンダイ

何で飲みュニケーションじゃないのか、というのはともかくとして(見た目が微妙だからか)。

そういうので親睦を深めるという考えはあって良いのかも知れないけれど、それに参加しない人をネガティブな目で見るような認識は控えるべきでしょうね。自分が好むものは他者も好むべきだ、的な。たまにいますからね。自分が興味を持っているものに関心を示さない人を奇異の目で見る人が。我慢しているように見られたり、とか。いやいや、好きじゃないだけですって。他にもやる事一杯あるし、的な。

アルコールを受け付けない人は、酒自体飲めないし、素面だとああいう雰囲気は嫌な人もいるでしょうし。

結局、誰と行くか、という事なんじゃないか。それじゃ話が終わっちゃうけど。

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メモ:武道禁止?

ちょっと物騒な話も入ります。ご了承下さい。

【ネタ】犯罪防止のために禁止にすべきものリスト :: 事象の地平線::---Event Horizon---(Niimiさんのコメントです)

ネタエントリーで質問したりするのも激しく無粋なので。て言うか、コメント自体ネタなのかも知れないし(本当にネタじゃなかったら、ちょっと…)。

柔道、剣道、弓道、相撲、空手、拳法などの古武道の流れを汲むものは「人殺しの技術を向上するのが目的」なため、全面禁止すべきでしょう。

これは面白い。色々な意味で。

特にNiimiさんご自身に何か言う、とかでは無く、本気でこの類を主張する意見があった場合、それをどう評価するか、というのを考えるのは興味深い(類似の主張は、よく見かける)。

以下、走り書き的。思いついたままに書きます。

ポイントは、「人殺しの技術」という所かな。ここをどう捉えるか。

柔道だと、衣服を掴んで投げる、極める、剣道だと、棒状の物体で叩く、等の競技構造ですね。これらを「人殺しの技術」と呼ぶのが、果たして妥当であるか、と。

実体としては、投げ技をコンクリートの上でちょっと「工夫して」使ったり、堅い木の棒で「思いっ切り」打ちつければ、人間に肉体的に危害を与える、という事は出来る訳ですね。だから、その意味では、「人を殺す事の出来る技術の訓練に”結果的になっている”」、というのは言える。少なくとも、書道や華道、キーボードタイプよりは、確実にそう。

で、それを、「人殺しの技術を向上するのが”目的”」と言って良いか。

たとえば弓道の場合、道具があれば、弓を触った事も無い人と較べれば、「矢で人を射抜く」技術は、圧倒的に高いですね。

でも、ここで、「弓道は、弓矢で人を殺害する技術を鍛える事になるから禁止するべきだ」、という論を出しても、多くの人は、首を傾げるのではないでしょうか。

何故なら、弓道というのは極めて記号化された競技構造を持っており、道具立ても複雑で、様式美を求めるシステムになっている事が、広く了解されていると思われるからです。

つまり、一口に、「古武道の流れを汲む」と言っても、その実相は複雑なのですね。

次に、心理面に目を向けると。

ほとんどの格闘技や武道をやっている人は、「人殺しの技術が由来である」事は知っていても、実際に学んでいる体系は、それとはかけ離れているし、少なくとも積極的に人に危害を加える事を目的とはしていない、と思います。一般的には、大会に優勝するとか、そういう目的意識でしょう。尤も、喧嘩に強くなりたいから、等の動機で始める人もいるでしょうから、そういう人にとってはまさに、暴力のスキルを磨く、という目的なのですが。軍隊で用いる、というのもそうですね。

細かい所。

ボクシングはどうするべきなんでしょうね。あれは古武道由来じゃ無いけれど。後、拳法は古武道由来? 日拳なんかはそうだろうけれど。少林寺拳法はどうだっけ。

知ってる事と、それを使う事は別か? 人体の急所を知識として持っている人は、そうで無い人よりは、どうすれば危害を有効に加えられるか、知ってる訳ですね。で、武道だから、攻撃する技術もある。それを身に着ける事自体を問題と考えるか。「そこに包丁があったから殺した」、という場合と同じに考える? 武器になるようなものが存在しなければ殺害には至らなかった、というのを考えて、肉体を武器にして他者に危害を加える可能性を低める、という。

統計的な観点もありますね。

現代武道をやっている人は現実にどうであるか、という見方。いつやったか、というのもね。どういう指導者についたか、という所も考慮したいです。

仮に武道を全面禁止にした所で、暴力は無くなるかな。また、無くならないとしても、総体としてスキルが下がる訳だから、別にそれで、人を殺す事がより出来なくなる、というのも無さそう。

こんな感じ。

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ますます

瀬名秀明の時空の旅: 信じぬ者は救われる(コメント欄)

うーん。

うーん…。

瀬名さんのコメントがいくつか追加されたのですが。

もう、まるで意味が解らなくなってきました。

これはつまり、「解っている人にだけ解って貰えれば良い文章」なのか。

もちろん、それはそれで、そういう書き方はあるのでしょうけれど、少なからぬROMには、「全然意味の通らない文を連ねる人」、という印象を与えると思います。

あ、いや。

自分が読めないから他人にとってもそうだろう、と単純に思った訳では無いです。他人が読んでもこれは読解が出来ないんじゃない、という考え。事情を知ってる人ですら読めないなじゃないかな、という感じ。当たっているかは判らないけれど…。

ごちゃごちゃに縺れた糸を解きほぐそうとしている時のような、そんな思いになるなあ。

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蓋し名文

朴斎雑志: そんなら、客でいたまえよ。――あるいは「学界とオーケストラ」――

特に説明はしません。取り敢えず、読んで下さいな。

登録タグ  喩えに定評のある朴斎先生  名文製造機

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その情報は必要か

「悪いとも思っていない」金川容疑者が供述(読売新聞) - Yahoo!ニュース

 金川容疑者は、三浦さん殺害後、逃走中に購入した新作ゲームで遊んでいたと見られることも判明。忍者が刃物や飛び道具で敵を次々と倒す内容で、捜査本部はゲームが殺意を助長させ、JR荒川沖駅の8人殺傷事件につながった可能性もあるとみている。

こりゃひどいな…。可能性、と言われれば、全否定は出来ないし、ある意味極限の状態だから、何がどのような行動のトリガーになったかは、解らないと思う。ゲームが要因であったかも知れない。それはその通り。否定し切るのは、論理的に無理。

だけど。
殺意を助長した、というのをどう検証するか。そして、それをどう一般化するか、どこまで出来るか。

仮に、ゲームに影響された犯罪者がいたとして、そういう犯罪者が存在したから危ないものだ、という情報を流布する?

まだ何も解っていない状況で、ゲームが殺意を助長した可能性を積極的に報道する事に、どういう意義がある?

何故か水俣病を喩えとして出した人もいたけど、ゲームというのが文化現象だという事を、忘れているのかな。よく解らない。

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ロークオリティ

apjさんのブログのコメント欄経由で⇒週刊文春_080403(2008年4月3日号。一番上の記事)

これは素晴らしい印象誘導ですね。

得られている情報の内、ウケそうなものをクローズアップするという、実に下品なやり方。

こういう記事を好んで読んで、鵜呑みにする大人には、なりたくないものです。メディアリテラシーを鍛えるために、ダメな記事として採り上げるくらいしか、価値が無いかな。

あー、一応。

これは、記事本文を読まなくても可能な批判です。目次を見るだけでダメな記事と解る、良い例。

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G

発売と同時にダウンロードクエストを配信! 『モンスターハンターポータブル 2nd G』 / ファミ通.com

発売ですな。

結構入手しにくい、という情報もありますね。本体同梱版も、価格がアレだったりします。

これから、数多くの人が、狩りを楽しむんでしょうね。

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当日分は、やっぱ無しみたい。

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どこも、普通に定価より高いですね。

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勇者希望

誰か、岡田尊司氏の本を詳細に読み解くシリーズとか、やってくれないかなあ。

え、私?

うーん、引用して検討するくらいなら出来ますが…。詳細に考察するとなると、ゲーム脳本より何十倍も難しいですからねえ。

何故こんな事を書いたかと言うと、apjさんの所のコメント欄で、岡田氏の名前と本が出てきたので。少なからぬ影響は与えているだろうな、と思います。

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読者に優しく無い管理者

私の事です、はい。

「最近のコメント」の表示件数を無視したコメント連発をして、ごめんなさい。流れてしまって読みにくいですよね。尤も、コメントを全部読もうとなさる奇特な方は、あまりおられないでしょうけれど。

ほとんどメモ帳代わりになってる所もあるからなあ…。

自重…は多分しません。ごめんなさい。

ココログが表示件数を増やしてくれるのを、期待したい所であります。

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想像して欲しいのは

ああいう報道によって自分達が傷付くから止めてくれ、じゃ無いんですね。

ああいう報道によって謂れ無き先入観を植え付けるのを止めろ、と言っている訳です。

嫌な話ですけど、自分達がどうこう、というのは、どうでもいいんです、ある程度はね。もう慣れてしまった。ずっと昔から言われているから。激昂するのを抑えるくらいには、感情・思考をコントロール出来る。そんなのに傷付くほどナイーブでは無い。苛立ったりはしますけどね。

で、今行われているのは、ゲームをよくやる子ども達とか、ゲームを制作する人達とかに対する偏見を助長するような報道なんですよ。根拠も無いのに。

特に子どもはね。大人になった私達は、はいはい、アホな事言うなよ、で済ますのも可能。知識を蓄えて、論理的に反論する事も出来る。他人の趣味を貶すダメな人がいる、とメタに考えるのもね。だけど子どもは、そんな事は出来ない。自分が悪い事をしてしまっているんじゃ、と過度に不安になったり、クラスメイトから奇異の目で見られたりね。大人からも、おかしな子として見られる事もある。

駄目でしょ、そんなの。どう考えても。

ゲームの文化としての素晴らしさを解ってくれ、とか、そんなんじゃ無い。そんなの解りませんよ、すぐには。浅い文化じゃ無いんだから。そもそも、ちょっとやそっとで解られてたまるか、というのは、何かに強い関心を持つ人なら、ありますよね。

だから、そうじゃ無くて、自分が興味を持っているものが貶され、それに興味がある人間が普通で無い、と思われるような言い方をするのはおかしいでしょ、という話です。これは、誰にだって理解出来るもののはずです。

何故ここまで言うか、って、実際、報道が物凄いからです。この異様さは、おかしい。特定の文化を安易に犯罪行為の原因に結び付けているのだから。

ゲームに全く興味の無い人でも、想像力を働かせれば、報道のおかしさには、気付けると思います。

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臨時避難所、的な

ただいま、スパムよけ発動中。ココログGJ。私は管理者だぞっ。

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「またか」へ頂いたコメントへのレスを、こちらへ。参照しにくいかもですが、ご容赦を。同じような事があった場合、こちらに追加するかも知れません。

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>黒猫亭さん

 >調べてみたらその部分ウィキの丸写しですね(笑)。

ほほう。
どれどれ…。
▼▼▼引用▼▼▼(ZAKZAK)
「打撃」「投げ」「さばき」の3要素の技の読み合いが要求される3D格闘ゲームで、一対一の対戦型とは異なる駆け引きが楽しめるという。対戦中の女性の胸の激しい揺れや、コスチュームのバリエーションが豊富なことでも話題になった。
▲▲引用終了▲▲

▼▼▼引用▼▼▼(”デッドオラアライブ”@Wikipedia
このゲームには、攻撃に際して打撃(HIT)は投げに勝ち、投げ(THROW)はさばきに勝ち、捌き(さばき、HOLD)は打撃に勝つという「三すくみ」状態を作り出したことに特徴がある。これにより技の読み合いが要求されるようになり、『バーチャファイター』とはまた異なる駆け引きが楽しめた。また女性の大胆な乳揺れや、バリエーション豊富なコスチュームも本作の売りのひとつ。
▲▲引用終了▲▲
おお、これは…。ZAKZAKの、「一対一の対戦型とは異なる駆け引きが楽しめるという。」という意味不明だった箇所が読解出来る…。

多分、マスメディア的ロジックとしては、「格闘アクション」→「暴力衝動喚起」→「殺人衝動」→「殺人実行」、なんでしょうね。もちろん、「論理的にはあり得る」訳ですが(何だってそうですね)、あり得る事と、「そうだった」事は全く違うし、そうだったとしても、ゲームが一般に悪影響をおよぼす事をは、また違うのですよね。

加山氏は、『鬼武者』とかバイオ好きでしたね。鈴木氏は熱いです。凄いですよね。

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Narrさん、今晩は。

私も割り切っています。と言っても、ちょっと方向性が違っていて、「ゲーム好きだからかばっている」と言われるのを覚悟する、という意味ですけれど。

で、そのような反応を見越して、「出来る限り丁寧に書く」、「徹底的に論理を詰める」、という事をしています。ゲーム好きだから、という言い方をされても、それがどうした、と言えるくらいに。その一つとして、先の連載を書いた次第です。

この部分に関しての理論武装は、かなり色々やっています。きっちり考えないと、隙を衝かれてしまうので。だから、「ゲーム脳に対する批判の駄目な例」なんかも書いたり、悪影響論を否定する事は出来ない、と繰り返し言ったり。

それでも、ゲーム好きだからかばってるんだろう、という意見は絶対に出てくる訳ですが、それはもう、仕方が無いかな、と。聞かない人はどこまでも聞かないですからね。

▼▼▼引用▼▼▼
何て言うか、「社会の偏見に攻撃されている、かわいそうな僕たち」「僕たちは自分が好きなものを否定されたくない。だから他人が好きなものも否定しない。これが多様性の尊重なんだ」みたいな意識は、私は決して持ちたくないというか。
▲▲引用終了▲▲
これは、どういう書き方をしても、そう取る人はいるのだと思っています。ですが、気をつけて書く事は出来るので、やってみています。そう言われたら、「ゲーム脳」カテゴリーを見て下さい、と言えるくらいに、コンテンツを蓄積させようと考えました。
そして、ある程度は出来ていると思っています。

尤も、このエントリーでは、ある程度意図的に、感情を入れて書いている訳ですけれど。それも必要かな、と。

 >私は所有ゲーム数、350本くらいです。

おおっ、凄い。

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a-geminiさん、今晩は。

あれ、そのページ、以前見た記憶があるのですが、なんのきっかけだったかな…。

食事を一人で食べるくらい良いじゃない、って感じです。どっちかと言うと、身だしなみなんかと絡めて論じてるようですが、余計なお世話的でもありますね。

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どらまちっくふらいとしゅーてぃんぐ

MORI LOG ACADEMY: SDのフィギュア

ホーッ!

昨年からの極秘プロジェクトの1つは、Wiiのゲーム「スカイ・クロラ」だった。

この発想は全く無かった。

森作品とWiiって、結び付きにくいという印象があるね(共感得られるはず)。

こりゃあ、興味深いね。

バンダイナムコ、Wii「スカイ・クロラ(仮)」2008年秋発売。映画「スカイ・クロラ」を題材としたフライトシューティング

スカイ・クロラ(仮)

Yahoo!ゲーム - <スカイ・クロラ>Wii用ゲームで今秋発売 「エースコンバット」チームが制作

バンダイナムコ、映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」をWiiでゲーム化 - iNSIDE

押井 守監督の最新劇場映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』がWiiで登場 『スカイ・クロラ(仮題)』【映像インタビューつき】 / ファミ通.com

ほう、『エースコンバット』チームが開発とな。

スカイ・クロラ Book スカイ・クロラ

著者:森 博嗣
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

カウントダウン・オブ・「スカイ・クロラ」count.3 DVD カウントダウン・オブ・「スカイ・クロラ」count.3

販売元:VAP,INC(VAP)(D)
発売日:2008/03/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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またか

ゲーム好き、1人で食事=高卒後はバイト暮らし-金川容疑者・土浦死傷事件(時事通信) - Yahoo!ニュース

本当に、もう止めてくれないか。

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批判の姿勢

私はゲームユーザーで、ゲーム脳説が流布された事で迷惑を被る当事者になり得る人間な訳ですが、そういう人間が批判活動を行う際には、えてして感情的になりがちです。

だから、それはかなり抑えて、批判を行っています。森氏に対しても、出来る限り丁寧に、人格批判に向かわないように、気を遣っています。

本当は、あれほどの説を流布した人なのだから、ある程度罵倒されても仕方が無いんじゃないか、と思うんですよね。本音としては。やっぱり、そういうのは考えます。

でも、それでは、批判としての効果が薄れる可能性があるので、自制しています。かなり強く。

当事者が批判をすると、見てる人が引くかも知れないんですよね。何でここまで? っていう感じで。私の今の態度ですら、そう受け取られる事はあると思います。でも、私としては、これくらいが限界です。これ以上感情を抑えた書き方をすると、今度は淡々とし過ぎてしまうんじゃないかな、って。

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話は替わって。

一昨日の、川端さんのブログに言及したエントリーに関して、ちょっと付け加えます。

書くべきが迷いましたが、書いてみます。

私は、元村氏が、あれほど言われる(た)のは、期待をされている(た)から、だと思います。
もっと言えば、「もし今からゲーム脳についてきちんとしたものを書けば、賞賛します」、という含みがある。少なくとも、私はそうでした。後一歩踏み出してくれたとすれば、けじめをつけたその勇気に、敬意を表したい。そして、あの連載が始まった時には、今書けばまだ間に合う、という、そういう思いがあったんじゃないかな、と。

何故、(た)と書いたか。

もはや、元村氏に強い期待は抱いていないから、です。川端さんは、数日前に、私が言及したエントリーを書かれた訳ですが(だから言及した。今更元村氏に感情的に思う所がある、と推測されると、誤解を生む虞もあるから)、元村氏が期待されていたのは、昨年の話な訳で。
そういう意味ではもう、遅きに失した、のかも知れない。

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どこまで求めるか

ちょっと気になりました⇒リヴァイアさん、日々のわざ: 理系おたく?

私は、書評をした事は無いですが、元村氏の姿勢に関しては批判的に考察しているので、ちょっと触れてみようかと。

しかし、ネットの書評ぐぐってみたけど、辛辣なのが多い。
ゲーム脳関連で、いまだに恨みを抱く人が多い模様。でもね、それをバネにして、「理系白書」などに進んだことなんぞも是非評価してください、と思いました。

確かにそうなのですが、なかなか難しい所もありますね。昨年の記事をどう評価するか、とかね。あの連載があったのは、肯定的に評価されてしかるべきだと思います。だけれど、もう一歩踏み込んで欲しかった、という思いもある。要求し過ぎでは、と言われるかも知れませんが、真っ先にゲーム脳を報道したのは、事実な訳ですからね。遊鬱さんと同じような意見です。何かに害がある、という情報の方が、それは実は妥当では無かった、という情報より、圧倒的に流布しそうですしね(妥当で無かった、というのは、害が無い、というのを意味しないし、害が無いと言うのは一般的には無理だから)。

恨み、というのは、どうなのでしょうね。積極的に書評する人が、そういった感情から、というのはあるのかな。別に自分の事を言われた訳では無いけれど、私自身は、そういう感情は持っていないです。恨み、と言うより、苛立ちとか、そっちの方が近かったかな。で、おかしいと思った所には批判はするし、それはやっぱり、必要なんじゃないかな、と。

このブログで書いた、元村氏に言及したエントリー(コメント含む)を、いくつか貼ります。

Interdisciplinary: 予測

Interdisciplinary: なにで書く?

Interdisciplinary: 理系白書にゲーム脳

Interdisciplinary: 偏った見方かも知れないけれど

当時はそうでも無いと思ってたけど、結構感情入ってますね。あんまり良くないな…。

あ、川端さんのブログ、TB閉じてるんでしたね。忘れてた…。

ところで、ゲイムマンさん、グッドアイデアですね。

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テキスト真っ白

私は、学術書とかを読む時、傍線を引いたりとかしないんですけど、これって、珍しいんですかね。

いや、以前は、ノートとったり赤線を引いたりしてたんですよ。

線を引くって、重要な語句だと認識したから、そこを強調する訳ですよね。でも、その時点で憶えようという認知が働くから、敢えて視覚的に目立つようにする意味が、どれくらいあるのかな、と、疑問に思ったりするのです。

中学生の頃だったか、先生が授業中に、線を引く場所を指示するんですよね。ここはとても大切だから二重線、とか。まあ、試験の答えにするような所に引かせる訳です。

重要度によって色分けして線を引く、という方法もあるみたいですが、私には、効力のほどがよく理解出来ない。本というのは、著者が注意を払って、一文字一文字を工夫して書いてあるはずだから、文脈や前後の語との関係をちゃんと考えながら読むのが、適切じゃないのかな、と思うんですね。で、読みというのは、読むごとに変化していったりしますよね。読みの深度が違う、と言うか。そういう時には、以前に引いた線とかは、邪魔になったりします、私は(ほう、前はこんな読み方してたのか、というのもあるかも知れないけれど)。

今は、(それもほとんどやらないけれど)「テキストに書かれていない事を付け加える」とか、「自分の感想を書き込む」、とかをしています。

憶えるには、繰り返し読む、というのがいいんじゃないかな。線を引く場所を探す時間があるなら、書かれている事をビジュアル的に展開させようとします。そうやって、概念同士の関係を構造的に把握した方が、記憶の定着も良くて、全然別の分野の概念との関係もつけやすい気がします。気がするだけですけど。基本的には、そうやって、脳に刻み込むような感じでやってます。

子どもの頃って、教科書に線引いたりするのが、「勉強した証」になったりしますよね。どう、教科書赤だらけでしょ、って感じで。でもそれは、他者へのアピールにはなっても、知識や認識力の向上には全然寄与しなかったりしますね。

そんな事を考えたのでした。

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余談。

若かりし頃に懐いた、「本音」。

「ノートとるって、教科書に書いてあるのを写すだけじゃない。読む事じゃ無くて書く事に意識を割いたら、憶えられなくなるんじゃないの?」

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本には文字が印刷されてるんだから「テキスト真っ白」ってのは無いだろ、というツッコミは無しの方向で。

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伝言ゲームのように

はてなブックマーク - 「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇――デューク大学調査 - ITmedia News

元ネタ⇒「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇――デューク大学調査 - ITmedia News

やっぱタイトルがおかしいよね。

最後の段落にある研究者の弁も、こういう類の研究から言うのは早計なのではないか、と思いますけれど、それにしても、

ブランドのイメージは想像以上に人々の潜在意識に大きな影響を及ぼすことが、調査から明らかになった。

という研究結果から、

「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇

という見出しをつけるのは、ものを注意深く見る読者からは、懐疑の目で捉えられるでしょう。

ところで、はてブには、

あっはっは。被検者にすでにバイアスかかっとろうが(natsumotoさん)

カルトって怖いな(nam323さん)

どれだけ膨大なデータを見せられてもおそらく信じられない。(Kmusiclifeさん)

等の反応があって、かなり否定的ですが、この記事の内容からだけでは、そういう評価は導けないんじゃないかな、と思いますが、どうでしょうか。

この研究の肝は恐らく、識閾下の刺激が行動に影響を及ぼす、という所なのでしょうけれど、そういう現象自体は、あって構わない訳です。映画の途中にコーラの画像を入れたらコーラを飲みたくなる的なサブリミナル効果については、科学的には支持されていなかったと思いますが、潜在記憶等は、心理学的にも認められている訳で。改めて研究したら実は影響、というのは、あって良いですよね。

だから、この研究を批判的に検討するには、実験計画はどういうものであったか、とか、創造性を測るテストは妥当性・信頼性が確認されているものなのか、とか、そこで測られた「創造性」というものが、私達が普段用いる「創造性」と どれくらい一致するか、とか、Appleのロゴを見せた学生は、そのロゴに対して「創造的」という意味を見出していたか、とか、「創造性」を想起させる記号を見せられた人間が、課題でより創造性を発揮したのは何故か、とか(「創造的」って文字を見せたら創造的になるの? 識閾下で無い刺激を与えても創造的になる?)、群間にどれくらいの差があったのか、とか、それは実質的に意味があると言えるのか、とか、その研究からマーケティング方法まで言及するのがどれくらい妥当か、とか、そういう所から、きちんと考えなくちゃらないないのではないかな、と。

オカルトのタグつくとか、「カルト」と表現するのは、何か違うんじゃないかな。この記事だけからじゃ、そんなのは言えないと感じます。

そう思いません?

------

以下、個人的な、この記事に対する感想。

「正直な」、という意味を想起させる記号が、「正直な行動」を取らせるのは、まあ、何となく、解らなくも無いです。だけど、「創造性」を想起させるものが、実験環境という限定的な場において、人間を「創造的にさせる」というのは、どう考えても意味が解らない。だって、創造性なんていうのは、そうなれと指示されてなれる、というものでは無いでしょう? 「慣習に従わない」というイメージが、「型にはまらない」行動を促し、それが結果的に、「創造性が高まった」と看做された、とか? よく解らんですが。

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ Book サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ

著者:下條 信輔
販売元:中央公論社
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サブリミナル効果の科学―無意識の世界では何が起こっているか Book サブリミナル効果の科学―無意識の世界では何が起こっているか

販売元:学文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

どっちも未読っ。

心にきく薬奏 サブリミナル効果による不安解消 Music 心にきく薬奏 サブリミナル効果による不安解消

アーティスト:植地雅哉
販売元:ダイキ
発売日:2002/03/02
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※これはネタです。上の本と対照的なので、貼ってみた。

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機構

カクレカラクリ—An Automaton in Long Sleep Book カクレカラクリ—An Automaton in Long Sleep

著者:森 博嗣
販売元:メディアファクトリー
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これ、すっごい面白かった。

何だろう、おもちゃを分解して仕組みの精密さに唸る、みたいな、そんな感じと言うか。

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終わった

連載、キリが悪く9回で終了(笑)

ご批判、よろしく・・。

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『ゲーム脳の恐怖』を読む(9)

○6章 ゲーム脳人間とキレる脳のしくみ

・テレビゲームと集中性の関係

まず森氏は、ゲームが「集中性を高める」という説が信じられてきた事を紹介し、それは実は誤解である、と主張します。そして、ゲームによって前頭前野の神経細胞の活動の低下が起こった、という推測を、その主張の根拠としています。

ここで森氏は、被験者の報告を出しています。たとえば、

 彼らに自分自身を分析してもらうと、その大半はもの忘れが激しいと言います。鍵、財布、友達との待ち合わせ時間の間違いなど、毎日あるそうです。そしてほぼ全員が、もの覚えが悪く、集中性も悪いと答えています。(P148)

この部分についても、それまでの主張と同じく、詳しい情報は明記されていません。分析というのがどのようなものだったか、客観的に測定出来る心理学的指標なりを用いたのか、他に分類された人との違いはどの程度であったか、等々。

森氏は、次のような例も出します。

 小学校三年から大学三年まで一二年間(引用者註:引用にあたり、表記はそのままにしてあります。本書は縦書きなので、この部分は、「12年間」。以下、文脈に沿って読み替えて下さい)、六~七時間毎日ゲームをしている人で、計測してみるとβ波が全く出現しない状態の人が某大学にいました。彼は、大学の授業も休みがちで、約束したことはよく忘れてしまうなどの特徴がみられます。しかも現在もゲームをやめられず、アルバイトもゲームセンターでやっているゲームマニアです。

 彼は現在、団体競技スポーツをおこなっています。そこで人とのコミュニケーションがありますから、まだ助けとなっていると思われますが、社会人になったときに自分の世界にこもってしまうようになると、厄介なことになるでしょう。このままでは、将来がたいへん心配です。(P148・149)

この部分が極めておかしな論理である事は、明らかでしょう。まず、何度も言うように、森氏の脳波計によって得られたデータが、前頭前野の機能低下を示す指標として無反省に用いられている事。また、大学の講義に出席しない事は、即、社会性の欠如や脳の生理学的機能低下を示す訳ではありません。ゲームセンターでアルバイトをしているというのは、この文脈では、特に重要な情報ではありません(アルバイトにまでそれを選ぶほど、ゲームに執着している、という印象を著者が持ったのかも知れない)。直後に、その人が、スポーツによってコミュニケーションの機会を持っている、という事が書かれています。「社会人になったときに」、以降の文は、全くの憶測ですし、それまでの文章から論理的に導かれるものではありません。

次に、森氏が講演で受けた質問が紹介されます。その質問とは、息子がゲームばかりやるので叱りたいが、ゲームは集中性を高めるのだ、と言われると反論出来ない。ゲームが集中性を高めるのは本当か? というものです。森氏はこの質問に対して、それ(集中性を高める)が誤解である事を、「データを示しながら」(P150)説明したと言います。そして、ゲームを止めさせなくてはならないと実感した人の、ゲームを止めさせるにはどうしたらいいか、という別の質問があったと言い、それについての森氏の答えが説明されます。

 この質問に対しては、その子を私のところに連れてきてくださいと言いました。実際に、お子さんの前頭前野の頭皮上から脳波を記録して、自分の結果を本人がみれば、ほとんどの人はやめるようになりますよとお話します。しかし、この本のデータをみせれば、ことの重大さをわかってもらえるでしょう。(P150)

つまり、森氏の脳波計によるデータが、「子どものゲームを止めさせる」道具として、用いられる訳です。もちろん、画像診断の所見を示して深刻さを実感させる、というのは、一般的にもある程度行われるのでしょうけれど、ゲーム脳の場合、そもそも、森氏の脳波計による計測が妥当であるとは言えないのですから、全く話が異なります。「恐怖感を煽る」道具として機能している、とも言えるでしょう。

・激情を抑制する前頭前野

以降、森氏の主張を、箇条書きで示します。

  • ゲーム脳人間タイプの人(男性)に自己分析してもらった所、ゲームの成績が悪かったために「頭にきてゲームセンターのゲーム機を複数回壊したことがあるという人が多くいた」(P150)
  • ゲーム脳人間タイプの内80%が、よくキレやすいと答えた。その内の90%は運動しているため、今の所、キレやすい人は80%に抑えられている可能性がある。「しかし、その彼らが社会人になり、運動をやめたとき、社会に適応できなくなるのではないかと心配です。」(P151)
  • 前頭前野が理性をコントロールしている事を、ゲージの症例を紹介して説明。
  • ゲーム脳人間は、ゲームを長年にわたりプレイする事によって「視覚系が強化」(P152)され、前頭前野の脳細胞の活動が低下した。そして、抑制が効かなくなり、キレる。
  • 幼児期には、運動する事が、脳の健全な発達にとって重要。
  • 子ども達がゲームプレイに費やす時間が増えている事を指摘。
  • 子どもはテレビゲームの習慣がつき、麻薬と同様に止められなくなる。

ゲームセンターのゲーム機を壊すというのは、かなりおおごとですが、これは、筐体を破壊した、という意味でしょうか。多く、という所の根拠は示されていません。運動しているからキレやすい人が抑えられている、というのも、論理的におかしいです。その後の憶測も。ゲージの症例は、外傷によって脳が障害を負った例なので、ゲームの話と結び付けるのは、早計です。

・ゲーム中毒は幼児期に形成

  • ゲームを始めた頃は、ドーパミン神経系が刺激され、快楽を持つようになっていると思われる。
  • しかし、常習化した場合、本人が楽しいと思っているかどうかは解らない。「単にやらずにいられなくなっているだけのような気がします。」(P156)――理由:「シナプスの反復刺激によって脳の神経回路が、そのように組み上がってしまっているからです。ゲームに対して体の反応が決まってしまっているのです。」(P156)
  • ゲーム脳人間になると、楽しいという気持ちも感じられなくなっている。
  • 中学生や高校生になってからゲームを始めた人は、ゲーム脳人間にはなりにくい(10歳頃までに神経回路が組み上がるから)。ゲームをやらせるなら、中学生以降、出来れば大学生以降で、18歳未満はやらせない。時間は30分、週一回程度。
  • 幼児期に組み上がった神経回路のために、ゲームをするのが本能であるかのようになる。
  • 大人は止めようと思えば止められるが、「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(P158)

楽しいとうい気持ちが感じられないというのは、全くの主観です。所々に論理の飛躍があり、科学的推測とも言いがたいです。

・育てたい前頭前野のワーキングメモリ

  • 子どもの頃に色々の遊びや多くの経験をするのは、前頭前野を鍛える事になる。それが、「社会で活躍できる人間を育成することにつながります。」(P158)
  • 子どもの健全な発達には、作業記憶を鍛える事が重要。
  • 森氏の開発した脳波計によって、テレビゲーム歴の長い人は、β/αの値が2.0より低い。ゲームを全くやった事の無い女子高生は、安静時で3.0で、ゲーム10分やらせても低下しなかった。理由:発育期にゲームをしてこなかったから。

・子どもの神経回路は親がつくるもの

  • 刷り込み(imprinting)や、猫の視覚の発達に関する研究(いわゆる臨界期の研究。こちらを参照:サルの視覚野)を紹介し、幼児期における経験の重要性を説明。
  • 森氏の見解を示す部分を引用。
    • 〇歳から三歳までは、赤ちゃんは好き嫌いの表現はしますが、なにひとつ文句を言わないで神経回路が形成されます。親や環境から与えられるままの、まったくのコピーなのです。ただ人間としての立派な態度を示しておけば、赤ちゃんはそれをそのまま受け取るわけです。(P164)
  • 子どもは何でも情報を収集してしまうので、テレビやラジオの音を垂れ流しにするのは良くない。※そのすぐ後に、乳児に幼児教育のビデオを見せるのは、赤ちゃんは何も解らないので養育者の自己満足に終わる、と書いている。
  • 現在の子ども達は、言語的で無いビジュアル的な情報に多く晒されているため、「言語を理解できないままイメージ的情報が脳に容易に取り込まれます。」(P166)

猫の研究のような実験的状況を、テレビゲームをする子どもに当てはめるような書き方は、妥当ではありません。また、引用部を読むと、極端な経験説を採っているように思われます。何でも情報を収集する、というのは、心理学的な注意の概念等を無視した意見でしょう。無意識的に記憶されるという現象はあり得るでしょうけれど、森氏のように一般化出来るかは、疑問です。また、現在、ビジュアル的な情報の方が多い、という主張も、根拠が不明です。

○7章 健全な脳を育てるだめに、今できること

・手をとって教えることの意味は大きい

ここで森氏は、「スキンシップ」、「手をとって教えること」が重要だ、と主張します。乳児を母親から離すとストレスのために脳に悪い影響が出る、と言います。そして、孤独が精神的不安を起こす事を示すために、ネズミを群れから離した実験(数週間後に凶暴になった)や、サルの実験(ネズミと同様)を紹介します。さらに森氏は、「テレビゲームやビデオに没頭して、自ら孤独の世界に入り込んでいる人はつらくないのでしょうか。人と人とのコミュニケーションがとれないと社会生活が送れなくなるのでは、と心配です。」(P170・171)と言います。しかし、この部分も、論理的ではありません。テレビゲームを好んで行う事は、即孤独を意味する訳では無いですし、また、動物の実験を人間の生活にそのまま当てはめるのが早計であるのは、他の部分と同様です(※発達心理学におけるストレンジ・シチュエーション法の研究等もあるので、養育者との関係が重要であるのは間違い無いと考えていますが、「ゲームをする子ども」に当てはめるのは早計だ、という事です)。次に、いくつかの例を挙げながら、「スキンシップ」、つまり触れ合いの効用を説きます。

さて、森氏はP173で、いわゆる「オオカミ少女」、アマラ・カマラの例を出していますが(カマラの体をさすってやったら警戒心や恐怖心がほぐれた、という)、この説の信憑性については、疑問が提出されています。

・自分の頭で考えられる人間に

この節では、パソコンを用いた教育について、疑問が呈されています。

先に述べたように、画面をみているだけでは前頭前野に情報が行かず、視覚野だけで処理してしまいます。パソコンを使うのなら、子どもが受動的に知識を取り入れるのではなく、自分のものとして能動的に取り入れられるようにしなければなりません。(P175)

と森氏は書いていますが、その直後に、

パソコンを使えば、たしかに知識は増えるかも知れませんが、自分で工夫して身につけた知識ではないので、そこから新しく組み合わせて何かを創造することができない子どもになってしまいます。創造性に乏しいといわれる所以です。(P175)

と言っています。しかし、教材というのは、コンテンツの内容が重要なのであって、メディアの特性のみをもって、その効果を云々する事は、出来ないでしょう(しかも、メディアの特性について、ちゃんと論じられていない)。そもそも、2つの引用文の内容が、矛盾しています。また、現在の子どもが創造性に乏しいと言われる事はあるのかも知れませんが、それが妥当な意見であるかは不明です。

・前頭前野の働きを高める方法があった。

ここで、ゲーム脳を調べている人にはお馴染みと言える、「お手玉」の話が出てきます。グラフが示されています。以下、説明を箇条書きします。

  • 被験者―テレビゲーム暦10年以上の大学3年生(年齢は不明)。
  • 実験内容―お手玉(3個)を行わせる。
  • 実験期間―毎日5分間、2週間程度継続。
  • グラフA―10円玉立てを行わせたデータ。横軸:時間(分)、縦軸:α%・β% および、β/αの値
  • グラフB―お手玉を行わせた2週間後(2週間継続した)のもの。Aと同じスタイルだが、横軸のスケールが異なる(Aは2分刻み。Bは1分刻み)。どの状況で計測したかは明記されていない。

Aのグラフでは、10円玉立てをしている時にはβ波(と森氏が言っているもの)が減り、β/αの値も下がっています。森氏はこれを、慣れてしまったから、と推測していますが、ゲームについてそのような解釈をほとんどしない事は、これまで見てきた通りです。

対してBのグラフでは、いずれのレベルも上がっている事が示されています。森氏はこれについて、お手玉が、目や手を駆使しているから、というような説明をしています。ところがこのグラフ、お手玉を2週間続けた後、と書かれているだけで、どのような状態で計測されているかが、明記されていません。お手玉を行っている最中のグラフはありません。

森氏はこの後、爪先立ちや剣玉も同じような効果が期待出来る、と主張しています。そして、

 けれども、もしも子どもが「一時間お手玉をするから、一時間テレビゲームをやってもいい?」と聞いてきても、いいとはいえません。結局ゲームをしているときに脳の働きは低下してしまいます。(P180)

と言います。ある程度大きく身体を動かすもので、同じようなデータが出たのなら、(これまでの森氏の論証を見ても)そういう「動き」を拾っていると考えるのが、妥当でしょう。

・創造の喜びや挫折感も体得させたい

ここでは、遊びについて、論じられます。全身を使っての遊びから、数本の指しか使わない遊びへと移行してきた事が指摘されます。そして、その最たるものが、ゲームである、と言います。

この後には、ゲームは指先を用いるといっても、巧緻さが求められるものでは無く、単純に素早く動かすものばかりである、と主張される訳ですが、これは明確に言って、誤りでしょう。もちろん、指先の巧緻さを定量的に測る指標をもって、ゲームとそれ以外のものが比較された研究、等を参照した訳ではありませんが、ここでは、そういうデータも示さずにゲームが単純な指先の運動しか用いていない、という部分を批判すれば充分です。

全身を用いた運動が重要である、というのは、その通りでしょう。しかしそれは、ゲームの有害性を「ゲーム脳」説を用いて批判する事とは、別の問題です。運動生理学や医学、心理学的に、全身運動の効用、あるいはそれを行わないリスク、を評価すべきであって、ゲームをすれば前頭前野の機能低下が起こる、という説を補強するためにそれを用いるのは、妥当では無いでしょう。

・脳に必要な栄養素は

ここでは、食べ物について論じられます。いくつかの生理学的な説明が行われた後、ファーストフードに対する懸念を表明し、魚等に含まれるEPAの効用を説明し、青魚をもっと食べさせたいものだ、と結びます。

五感を鍛えるイキイキ体験を

ここでは、節のタイトルの通りに、五感を充分に活用した遊びが重要だ、と主張されます。そして、大学の学園祭の時のエピソードが語られます。二人の男の子を連れたご夫婦に、脳波を計測させてくれないかとお願いし、それを承諾して貰った、というエピソードです。少々長いですが、引用します。

 お母さんのお話ですと、いつもお兄ちゃん(一一歳)が力ずくで弟(六歳)のぶんまで長くテレビゲームをやっていると言っていたのですが、前頭前野からの脳波を記録してみると、やはり弟よりもお兄ちゃんのほうがβ波の低下が顕著でした。

 弟のほうはビジュアル脳人間タイプで、積み木合わせの携帯型ゲームを始めたところ、途端にβ波が一気にα波レベル以下に減少してしまいました。これをみていたお兄ちゃんは、低下することが悪いことだとわかったようで、「ああ、下がっている、下がっている」と言っていました。五分間の記録時間中、お兄ちゃんは「僕もやるの?」と不安そうに言っていましたが、自分のデータに興味もあったようで、彼にも積み木合わせ携帯型ゲームをやってもらうことにしました。

 すると、お兄ちゃんは半ゲーム脳人間タイプに近い状態であることがわかりました。もともと低かったβ波のレベルから、やはりゲーム開始と同時に弟と同様の低下がみられたのです。

 けれども、一分半もしないうちに「僕、頭が痛いよう」と訴え、途中でやめてしまったのです。どうやら、ゲームに対する不安が”頭痛”というかたちで表れたようです。

 お母さんのお話ですと、ふだんは二時間ぐらいは平気でやっているとのことでしたから、この日のことは子どもなりにショックだったのでしょう。実際にゲーム中のβ波の減少を目の当たりにして、これを契機にもうテレビゲームはやらないと言っていたのがとても印象的でした。記念に、記録したデータを差し上げました。

 またやりたいと言わないように、勉強机のまわりの目立つところに貼っておくことをおすすめしました。(P191・192)

頭に何か着けられて、グラフで「脳の良し悪し」を測られる少年の不安は、いかばかりであったでしょう。常識的に考えれば、ゲームに対する不安以前に、「自分が実験される人間になる事」への不安と見るのが、妥当でしょう。直前に弟のデータを目にして、グラフが下がる事が悪い事だと認識した上で、受けたのですから。ここで(森氏の脳計による)脳波は、脳の機能を直接測るものとして、他人にも認知されてしまった訳です。

○あとがき

ここで森氏は、テレビゲーム等の普及・発展による影響を懸念します。そして、注意欠陥・多動障害(ADHD)の原因として、ゲームのやり過ぎも含まれている、と推測しています。更に、引き続き研究を行い、警告を続ける事を宣言します。最後に、知人の自動車教習所の経営者から、バイクの免許を取る人が減っている事を聞いた、というエピソードを紹介し(昔より友達と遊ぶ事が激減した、という。友達とバイクで遊ぶよりメールやPC、ケータイでやり取りする事が多くなったからではないか、と書いてあるが、それを「遊ぶ」という概念には含めていないのだろうか)、「私たちはもう一度、人と人とのコミュニケーションのあり方について、考える時期にきているのではないでしょうか。」(P195)と結びます。

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ここまで、『ゲーム脳の恐怖』の内容を順に追いながら、その論証の甘さ、論理の捩れ、森氏の、主観に基づく思い込みの主張のおかしさ等を、指摘してきました。

ゲーム脳について調べていると、ゲーム脳がデタラメでも、それで、言う事を子どもが聞くのなら良いのではないか、という意見があったり、「ゲーム脳」という語に独自の意味を付与して、「それはあり得るのではないか」、という主張がなされているのを、目にする事があります。

本シリーズでは、「ニセ科学」の一つと看做されているゲーム脳説が、何故そう考えられているのか。また、実証されていないとしても、子どもに言う事を聞かせる道具として用いるのは構わないのでは、という主張に対して、森氏が明らかに行き過ぎた事を言っているという事実を示し、独自の「ゲーム脳」概念を用いる意見に対しては、「そもそも森氏がどのような論を展開したか」、というのを知らしめる事を、企図しました。

本書は、厄介な著作です。グラフという、「客観的なデータのようなもの」が出てきたり、教科書からそのまま抜粋したような、「正しい記述」もあり、また、一般常識として妥当だと思われている事が、根拠不明確な「ゲーム脳」という言葉と絡めて主張されているので、一定の説得力を持つ可能性があるからです。そして、論理が捩れているために、詳細に批判するのが難しいものでもあります。あまりにも不整合が多いので、解きほぐすのに苦労する、という意味です。

私の目的が、このテキストによってどれほど達成されるかは解りませんが、原典を詳細に検討するものとしての意義はあると信じます。ゲーム脳論、より一般的にはニセ科学論について論じる際の参考にして頂ければ、幸いです。