« ゲームとの付き合い方 | トップページ | »

2008年3月11日 (火)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(8)

・前頭前野で働く化学伝達物質

ここからは、ドーパミン等の神経伝達物質の働き、また、ストレスについての理論を紹介しながら、ゲームをする事によって前頭前野が機能低下するメカニズムについての推測が、開陳されます。

前回と同じく、森氏の主張を箇条書きでまとめてつつ、考察していきましょう。

・ドーパミンを止めるスイッチ

  • ゲームをする事によって、ドーパミンを神経伝達物質とする神経線維の働きがおかしくなる――原因:「たとえばビジュアル脳人間タイプの場合には、ビデオ、テレビ、パソコンなど視覚性入力が多くなっていることから、視覚系から運動野への神経回路が強く働くためと考えられます。」(P110)
  • テレビゲームを行うと前頭前野の働きが低下するが、それは、ドーパミンの低下と関係があるのかも知れない。「テレビゲームや携帯型ゲームをおこなったとたんに、ドーパミン神経線維がセロトニンという化学伝達物質によって抑制されてしまうため、前頭前野のニューロン活動が一気に低下してしまうのではないかと考えられます。」(P111)
  • 半ゲーム脳人間タイプおよびゲーム脳人間タイプは、神経回路があまり活動していないか、ドーパミンの量が低下していると考えられる。

森氏は、外国のドキュメンタリー番組で、手のつけられない子どもが長く作業を出来た際の報酬として、3分間携帯ゲームをやらせる、という内容のものがあったと紹介し、次のような推測を立てます。これも、大変飛躍しています。

 この子どもたちは、家庭でテレビゲームあるいは携帯型ゲームをひんぱんにおこなっていたり、格闘技やホラー映画のビデオをよくみていたのではないかと思われます。あるいはまた、幼児期の神経回路がまだ未発達な時期に、両親の絶え間ない夫婦喧嘩の影響を、知らず知らずのうちに受けてしまったのかもしれません。

 いずれにしても、このように落ち着きがなく暴れまくる現象は、少なくとも前頭前野の働きが低下したために起こっていると考えられます。もちろん、生まれながらに前頭前野に脳障害があって異常行動を引き起こす場合もあります。(P112)

ここで、子ども達や養育者の習慣について語られている部分は、全くの憶測です。子どもが問題行動を起こす要因というのは、様々に考えられるのですから、対象の環境をしっかり分析する事無くこのような憶測を並べるのは、妥当ではありません。

・緊張するゲームは脳のストレス

  • ゲーム脳人間でもゲーム中(ホラー要素のある「ロールプレイングゲーム」。前回を参照の事)にβ波が増大するのは、脳の興奮性を高めるために、各神経の活動が高まったため。
  • 緊張が続くゲームを長時間行えば、自律神経のバランスが崩れる。そういう状況が続けば、「体調を崩すことになり、学校を休みがちな結果に陥ってしまいます。いわばストレスを受け続けているのと同じ状態なのです。」(P113)
  • 極度のストレス、長時間のストレスを受けると、コルチソル(コルチゾール)が過剰分泌され、「脳のセロトニンに作用して、うつ状態を引き起こすと考えられています。」(P115)と言い、ホラー映画やホラーゲームがそのストレスとなっている可能性を指摘。

・ストレスに身構える脳

この節では、ストレスの影響に関する神経科学的論理を紹介。ゲームについての言及はありません。

  • 軽度のストレスが生体に悪いものでは無いと指摘。
  • 強いストレスによって海馬が萎縮するという研究を紹介。※帰還兵の脳をMRIで調べたら海馬が萎縮していた

○5章 体を動かせば脳も動き始める

・ダンスゲームも脳を活性化?

ここではまず、テレビゲームをしている時に「前頭前野の活動(β波)」(P120)が低下することを強調し、次に、β波が上昇するゲームもある、と言います。一つは、前章後半で考察された、「恐怖をかきたてられるようなゲーム」(P120)であり、もう一つは、「体を動かすテレビゲーム」(P120)である、と言います。そして、後者によって(森氏の主張する)前頭前野の活動が増大するのは、運動が脳に影響しているからである、と主張し、本章において、運動による脳への影響について考察されていきます。

まず、ダンスゲームプレイ時にはβ/αの値が低下し、ゲーム後にはそれが高まった事を示し、「これはゲームそのものの内容よりも、運動をすることの効果だと思います。」(P121)と主張します。

以前にも説明しましたが、ダンスゲームのようなジャンルにおいて、「ゲームそのものの内容」と「運動」を分けるのは、妥当ではありません。運動が、ゲームの要素として組み込まれているのですから。専用コントローラで無くゲームパッドでもプレイ出来るものもありますが、それを考えると、議論の前提が変わってしまいます。

・ゲーム脳への運動効果

ここでは、ビジュアル脳人間タイプとゲーム脳人間タイプの人が、”テレビゲームを用いない「運動」”(P122)を行っている時のデータが示されます。ここで示されているグラフは、以下の通りです。

  • A:ビジュアル脳人間(つま先立ち反復運動)
  • B:ビジュアル脳人間(ウォーキング)
  • C:ビジュアル脳人間(ジョギング)
  • D:ゲーム脳人間(ウォーキング)
  • E:ゲーム脳人間(ジョギング)

※横軸:時間(分)、縦軸:β/α  Aのみ10分刻みの目盛りで、残りは2分刻み。縦軸のスケールは全て同じ。ウォーキングは5km/h、ジョギングは7km/h。それぞれのタイプのグラフを見ると、運動を行っている時間がバラバラになっている。A:3分(本書に記述あり)、B:約10分、C:約10分、D:約8分、E:約7分  運動の効果を調べるのに時間を揃えないのは、妥当では無いと思われる。

森氏は、ビジュアル脳人間タイプは、運動後にβパーセントが上昇したが、ゲーム脳人間ではほとんど上がらなかった、と言います。そして、ゲーム脳タイプの人は、「歩いたり走ったりするだけでは改善されないほど、前頭前野の働きが低下してしまうようです。」(P123)と結論します。

しかしこれは、おかしい論理です。ここで示されているのは比のグラフであって、β%が上昇していないか解りませんし(α波も共に上がれば、比は大きく変わらない)、仮にそれが事実であっても、それが前頭前野の機能を反映している、と即言える訳ではありません。また、これは、各タイプの内、一人ずつのデータです。そもそも、どうやってタイプ分けしたかも解りません。たとえば、CのグラフよりDのグラフの方が(ゲーム中の部分)、比の値は大きいように見えます。森氏によれば、この比は、ビジュアル脳>ゲーム脳  であったはずです。文脈によって、比の大きさとβ%の値を、恣意的に使い分けらているように思います。

この後に森氏は、ゲーム脳人間タイプの人が運動後にもβ波が上昇しなかった理由(運動中に下がるのは、セロトニンによってβ波が抑制されている可能性がある、と説明している)として、「前頭前野のノルアドレナリンやドーパミンといった物質の上昇が起こっていないことを意味しているのかもしれません。」(P123・P126 途中に図を挟む)と推測します。

・「楽しい」ことが重要なポイント

ここでは、運動をするラットとそうで無い(普通の飼育箱に入れられた)ラットとの、海馬におけるニューロンの増加の違いについての研究が紹介されています(楽しい運動では増加し、特別な運動をしない群および嫌いな運動をする群では増加しない)。

・シナプスは反復刺激で増える

この節では、シナプスの可塑性についての説明がなされています(長期増強等)。そして、「成長過程の子どもの脳に何度も同じ刺激を与えると、そこのシナプスの数が増えるということになるわけですから、テレビゲームをやり続けることは、重大な問題を含んでいるのです。」(P130・131)と主張します。

これも飛躍でしょう。テレビゲームをやり続ける事が、生理学的な意味での同一刺激である、などとは言えません。そもそも、ゲームをやり続けるというのは、同じゲームを全く同じようにやる事を、意味しません。同じものをやり続ければ良い、という事だったら、新しいゲームを買う、という現象が成り立たちません。

・運動もシナプスを増やす

運動学習によってシナプスが増える事が示され、一般の大学生より剣道有段者の方が短い時間で運動が生じる、という事を見出した研究を挙げ(「一般の大学生では、手首の運動が発生する一・五秒ぐらい前から脳の電位が大きくなってきます。一方、剣道有段者では、だいたい0・五秒前から脳の活動が始まっており、急速に大きくなります。一般大学生とくらべて、はるかに短い時間で運動が生じていることがわかりました。」(P133) )、それが、脳の神経回路の単純化によるものであると推測し、ゲームにおいて素早い指の運動が可能になる現象と似ている、としています。

・ゲームは反射神経をよくするわけではない

ここは、非常に読み取りにくい節です。

まず、ゲームによって「反射神経がよくなる」という意見がある事を紹介して、その後に、生理学的に、反射と条件反射の区別を説明します。また、様々な反射の論理が説明されます。そして、テレビゲームで操作が速くなるのは、実は「反射」では無く「反応」であるとし、ゲームによって「反射神経が良くなる」訳では無い、と主張します。

しかしこれは、おかしな話です。そもそも、世間一般に言う所の「反射神経」というのは、生理学的論理を踏まえられているものでは無いはずです(「反射神経」という語が、それを示している)。にも拘らず、ゲームによって向上するのは反応であって反射では無い、として、世間で言われる「反射神経が良くなる」という意見が妥当では無い、と結論するのは、論理が捩れています。まず、一般に言われる「反射神経」と対応する科学的概念を考察して、妥当であるか否かを判断するべきです。

・体で覚えたことは一生忘れない

最初に、ゲーム脳人間タイプの人と痴呆者に、「もの忘れが激しい」点が共通している、と言います(ここにも、論理の捩れや定義の曖昧さが見られる)。そして、記憶のメカニズムについて、説明されます。※宣言的記憶や手続き記憶、短期記憶と長期記憶の違い等。本書では、「認知記憶」、「運動記憶」等の語が用いられている。

森氏の主張を引用します。

 たとえば人と会って、話の内容を忘れてしまうことがあるかもしれません。ところが痴呆の人は、人と会ったこと自体を忘れてしまいます。三~四分で、「どなたでしたか」という程度、一五分もすると「お会いしたことがありますか」となります。

 ただし、ゲーム脳人間になると、こういった会話もできなくなります。やる気がなくなって、いろいろなことに興味も失ってきますから、だれと会って、なにを話したかなど、どうでもいいことになってしまうのです。コミュニケーションがとれなくなってしまいます。(P141)

ここでも、心理学的な現象についての言及がなされています。しかし、それをきちんと研究していないのは、再三指摘した通りです。

・歩くほどに脳が冴える

まず、二宮金次郎や伊能忠敬が例に出され、歩行運動が脳を活性化させるのではないか、と示唆します。「このことからもわかるように、歩くことをおろそかにしてはいけません。」(P142)

その後に、運動による神経活動についての説明がなされ、運動が脳全体を活性化させると主張します。そして、ダンスゲームがβ波を増大させる事をもって、「ゲームもものによっては、そう悪いものではないかもしれないという気になってきます。」(P143)と言い、ホラー系のゲームでも同様である事を示した上で、「これらのことから、前頭前野を活性化させる健康的なゲームソフトの開発の可能性も十分考えられると思います。」(P143)とします。

次に、運動の要素を採り入れたダンスゲーム等の効果を示唆し、ホラー系のソフトへの懸念も示します(業界の取り組みとして、レーティングを紹介している)。そして最後に、「また、ゲームソフトを開発している人には、ぜひ本書のデータを参考にしていただけたらと思います。」(P145)と結びます。ちなみに、この節には、次のような記述があります。

データとしては出しませんでしたが、将棋ゲームではβ波の活性がやや高まる人も一部にはいました。これはゲーム脳人間タイプの人でした。ただし、これも慣れるとβ波が低下したままになってしまいます。考えなくても、ゲームができるようになるからでしょう。(P143・144)

これは、慣れが影響を与えている事を、森氏自身が認めているのを意味します。また、ゲームが将棋である事から(文脈から、コンピュータゲームだと思われる)、「将棋というゲーム」についての言及にもなっています。つまり、コンピュータゲームという概念から離れている訳です。将棋の盤面をディスプレイ上で再現し、操作をコントローラ等で行うと、いう違いがあるだけで、構造的には、「将棋そのもの」なのですから。ここにも、森氏の論理のおかしさが表れています。

次回へ続く

|

« ゲームとの付き合い方 | トップページ | »

『ゲーム脳の恐怖』を読む」カテゴリの記事

コメント

124頁~125頁の運動効果の比較のグラフですが、運動時間がバラバラである、ということも重要ではないでしょうか?
Bの「ビジュアル脳」のウォーキングは、2分の目盛の前から始まって12分の目盛の直前までの約10分間。Cの「ビジュアル脳」のジョギングは2分の直前から12分の直後までの約11分間。
一方、Dの「ゲーム脳」のウォーキングは0分と2分の中間付近から8分から10分の中間付近の約8分間。Eの「ゲーム脳」のジョギングは0分と2分の中間付近から8分の中間付近ですので7分間弱です。
ウォーキングは時速5キロ、ジョギングは時速7キロという一定の速度を課しているのに、時間がバラバラでは当然、運動による負荷に差異ができるわけで、それを全く考慮していない辺りも問題だと思います。

投稿: たこやき | 2008年3月11日 (火) 10:43

TAKESANさんが書いてくださったことから、「比較」なんてされてないことがよくわかります。例を取り出してきて対比させてみせているだけですね。
「一流選手とそうでない人で走る時のフォームを比べると、膝の屈曲角度が、、、て、片方は防寒具つけて走ってるじゃない。」
比較をしている時ならそれはツッコミとして重要でしょうけれども、単に説明(というより無駄話?)をしているだけですよね。知らずに本を手にした人がどこまで読み進んだところでばかばかしさに気付くか、気付けるか、というところがひとつのポイントではないでしょうか。

投稿: ちがやまる | 2008年3月11日 (火) 11:51

たこやきさん、今日は。

あ、そうですね。ちゃんと書いておいた方がいいですね。
前回と同じく、横軸スケールが異なるという部分に、追加しておきます。

投稿: TAKESAN | 2008年3月11日 (火) 11:52

まじめに本をつくろうとする人なら、たこやきさんの書かれたような点にも気を配るだろうともちろん私も思います。

投稿: ちがやまる | 2008年3月11日 (火) 11:55

たこやきさんにご指摘を頂いたので、追加。かなり重要な所です。

以下、追加部分を示します。
▼▼ここから▼▼
それぞれのタイプのグラフを見ると、運動を行っている時間がバラバラになっている。A:3分(本書に記述あり)、B:約10分、C:約10分、D:約8分、E:約7分  運動の効果を調べるのに時間を揃えないのは、妥当では無いと思われる。
▲▲ここまで▲▲

------

ちがやまるさん、今日は。

多分、気付く人は数ページでバカバカしさに気付いて、解らない人は、「読み飛ばす」んでしょうね。それで、メカニズムの推測部分だけに注目するのかも知れません。

この本、所々に、神経科学のテキストに書いてあるような内容のものが、入ってるんですよね。そこら辺はとても難しく、しかも合っている訳なので、それと絡めてゲームをやっている人の脳の状態について論じられると、何となく「正しそう」、だと思われるのかも知れません。
事実、小児科医等で賛同する人も、いる訳ですし…。

------

この連載、後2・3回で終わる予定です。残るは一つの章と後書き。

投稿: TAKESAN | 2008年3月11日 (火) 12:13

ある意味、この計測方法ですらちょっと見ると滅茶苦茶である、というのは、他の部分はどうなのだ? と言う感じがしますよね。

>ゲーム脳人間タイプの人と痴呆者に、「もの忘れが激しい」点が共通している

なんていう「もの忘れ」に関しても、あくまでも「ゲーム脳」タイプの人の自己申告に基づいているわけですし(そもそも、コミュニケーションをとるのすら難しい、という人からどうやって聞いたのか? というところからして謎です) これなど、聞き方ひとつで、かなり誘導されますからね。
最悪なのは、「ゲーム脳の人は、毎日、数時間ゲームをやるような人がなります。そうすると、認知症のように、もの忘れがひどくなったり、キレやすくなったりします。あなたはどうですか?」というような尋ね方をした場合。誰にだって、1つや2つ、もの忘れをして失敗したり、ちょっとしたことで怒って失敗した、なんていうことはあるわけで、それを思い出させる誘導尋問になってしまいますからね。
機械的にすぐに判明する単位や時間ですら滅茶苦茶では、質問とか、わかりづらい部分はどうなるのか? と思わざるを得ないですからね。

投稿: たこやき | 2008年3月11日 (火) 12:27

本当に、森氏の論は「捩れている」、と思います。

もの忘れという概念も曖昧だし、激しいというのも定性的ですよね。しかも自己申告ですし。仰るように、訊き方によって、全く回答の仕方も異なると考えられます。

そういう、心理検査によって定量的に考えるべき問題の検証が、全く無いのですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年3月11日 (火) 12:44

通俗書のレベルの話をこえないように注意しておいて「こうかもしれません」「こうとも考えられます」と言っていればシッポをつかまれる恐れはないでしょうね。
昔だと時実利彦の岩波新書のとか、興味があったらまずはこのへんから、みたいな定番がありましたが、今は無いのでしょうか。ちょっと方向感覚がわかればこんな「恐怖」の本にひっかからなくてすみそうですけど。

投稿: ちがやまる | 2008年3月11日 (火) 19:43

こんばんわー。お疲れさまです。ちょっとおもしろい記事があったのでご紹介します。

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/8_04ce.html
「刑法犯全体は減少傾向にあるなか、高齢者の犯罪が急増している。背景にあるのは「孤独」「孤立」「喪失」。そして最近、「格差」と「認知症」も加わった。団塊世代の大量退職により拡大も懸念され、抜本的な対策に迫られている。」
浜井先生がコメント出している記事です。
ここいるんですかね(笑)
>脳の前頭前野の外側部が衰えてくると、怒りっぽく、キレやすくなる。
「窃盗」の話で、ぜんぜんキレてはないように思うのですが。これだと認知症=キレるという短絡的な話に。認知症の中核症状と周辺症状を混同してしますような気がします。

この前も夕方のニュースで高齢受刑者のことを福祉の観点からとりあげていたので
こういうふうに目が向くようになったのは、ほんとによかったなあと思ってはおります。

投稿: 安原 | 2008年3月12日 (水) 01:17

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yw/yw08030901.htm
安原さんの記事はこれですね。
どういう「犯罪」と結びつくのかと思ってつい捜してしまいました。「万引き」なんですね。受刑者の介護のことも記事でとりあげてはいるようでした。コメントの「キレる」は、「高齢者では『人格の先鋭化』とよばれる共通の傾向がみられることが多い」というあたりを評者(独自)のことばで縮めたもののように思いました。雑多な内容を取り込んだ記事のようですので、うまくまとめきれなかったのかもしれませんね。

投稿: ちがやまる | 2008年3月12日 (水) 05:40

お久しぶりです。原典批判ということで、骨の折れる作業ですが、労作お疲れ様です。

オレ自身はゲームを殆どやらないので、森氏のゲーム脳説についても当事者的な関心が薄く、アウトライン程度しか識らなかったのですが、この連載を通じてそもそも何処まで馬鹿馬鹿しい妄説なのかがよくわかりました。

正しい理解なのかどうかわかりませんが、つまり最初の最初に掲げられた「観測的事実」に関して、本来なら「長時間テレビゲームをプレイする人の脳波は、作業時ではなく安静時の特徴を示す」というふうに解釈すれば何の問題もないという話ですよね?

普通に考えれば、認知症という病的状態とテレビゲームを長時間プレイする人の状態を何の根拠もなく結び附けて解釈することがまず出鱈目で、普通は認知症ではない人間同士の間で比定が行われるのが当たり前ではないでしょうか。

普通なら、「テレビゲームをやり込む習慣を持つ人は、そうでない人に比べてプレイ時の脳波の特徴が安静時のそれに似ている、それは何故なのか」という至極穏当な疑問に結び附くはずで、それに対してたとえばゲームの習熟による作業負荷の低下とか、極普通の仮説が立てられるはずですよね。

それが何故か前提条件の異なる認知症と無理矢理結び附けられ、自己言及的に捩れた飛躍を重ねて「テレビゲームを愛好する人間は認知症と同じだ」という決め附けに飛躍する。

その出鱈目な飛躍を根拠附けているのが「脳波の特徴で認知症が判別出来る」という主張で、この主張もよく視てみると科学的検証に耐えないお笑い種の出鱈目だとすれば、出発点からして完全な出鱈目だということですね。

TAKESANさんの検証を総合して考えると、この森氏の論理は「物事の都合の好い部分だけを取り出して都合好く解釈する」という、科学の手続においては最もやってはならないベタな欺瞞で貫かれているということで、或る意味典型的な疑似科学だということになりますでしょうか。

TAKESANさんの解説によると、森氏は科学的研究の手続に関しては完全な素人のようですが、語り口が面白くて口舌の巧みな素人ほど手に負えないものはないという見本のようなものですね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月12日 (水) 05:54

TAKESANさんがくわしく書いてくださったおかげで、本を読まなくても
「テレビゲームをやり込む習慣を持つ人は、そうでない人に比べてプレイ時の脳波の特徴が安静時のそれに似ている」
ということすら言えてないらしい、ということがわかるかと思います。

「森氏は科学的研究の手続に関しては完全な素人」
"Brain Research"という立派な雑誌に論文を出したこともあったようですが、脳のある部位にマーカを注入してそこへ足をのばしてきている神経に取り込ませ、その神経がどこにあるかを記述するという仕事をしていたようです。一例でどうなっていたかを示せば(一応)万人(万猫)の話をしたことになる、という領域だからそれで済んでいたわけです。それでは済まない領域に出てみたら、そこではシロウト以下だった、ということでしょう。

投稿: ちがやまる | 2008年3月12日 (水) 07:20

すみません、前の発言で万猫というのは黒猫亭さんの関係ではなく、森氏がネコを実験動物として使っていた(南無阿弥陀仏)ことからです。

投稿: ちがやまる | 2008年3月12日 (水) 08:55

皆さん、今日は。

>安原さん、ちがやまるさん

篠原氏って、結構評価が難しい所があります。ブログを読むと、きちんとした考えをお持ちのようなのに、マスメディアで発言したりするのを見ると、ちょっと誤解されそうな感じの内容だったり。

森氏の論のごとき説が流布するのは、本来他に考えるべき事に目を向けなくなってしまう、という悪影響があるので、非常にまずいのですよね。これは、体感治安悪化論とも通ずると思います。

キレるという概念ほど曖昧なものも無いですね。「暴力」とかと同じような感じかな。

------

書いてる途中で電源切れると泣けるので、コメントを二つに分けます…。

投稿: TAKESAN@PC瀕死中 | 2008年3月12日 (水) 13:02

>ちがやまるさん

どうもです。この連載はTAKESANさんとちがやまるさんの掛け合いを含めて全体として機能している部分もあると思いますので、ちがやまるさんにもお疲れ様です、と言わせて戴きますね(笑)。

>>TAKESANさんがくわしく書いてくださったおかげで、本を読まなくても

この「本を読まなくても」というところが、この種の批判においては重要だと思いますね。たとえば水伝について批判的に捉える場合は必ず水伝を買って精査しなければならないのか、となると、それもまた水伝の伝播に一役買っているようで業腹ですが(笑)、信頼出来る論者の方が原典批判を展開されることで、まずはその二次情報を踏まえて判断することが出来る、これは非常に公益に適う言説だと思います。

本来なら深く踏み込んで批判するなら、やっぱり他人任せにせず一次情報に当たるべきなんでしょうけれど、論の総体というものの信頼性において判断することが可能になるというのはやっぱり大きな意義のあることだと思います。

実はオレなども水伝の原典をまったく読んでいないので、その意味では声高に水伝批判を云々することには引け目があるのですが、信頼出来る論者の方がすでに総体として膨大な二次情報のテクストを用意しておられるので、そこに立脚して展開した論には「いわゆる水伝という言説」として伝播しているテクストに対する言及という範囲なりの妥当性があると信じています。

一方このゲーム脳原典批判の連載は、これまで剰り正面切って採り上げてこられなかったゲーム脳に関して纏まったテクストを用意するという意味で、二次情報としてはかなり意義深いものになるのではないかと思います。

ベタな話をすれば、水伝にしろゲーム脳にしろ、批判を加えている論者のほうが原典の著作者よりもよほどマトモな良識と知的誠実性の持ち主であるという信頼性が、二次情報の精度を保証しているわけですけれど(笑)。

水伝の江本氏にせよゲーム脳の森氏にせよ、原著作の記述やそれを巡る公的コメンタリーの中で平気で曖昧表現や嘘に近い牽強付会を口にされるわけですが、批判者の論客には、少なくとも正面切った批判の言説において、その種の不誠実を犯さないだろうという信頼性がある、これは大きな違いですね。

>>すみません、前の発言で万猫というのは黒猫亭さんの関係ではなく、森氏がネコを実験動物として使っていた(南無阿弥陀仏)ことからです。

そんな意味ではないかと類推して読みましたのでお気遣いなく(笑)。まあ、オレと今ホットな話題を提供している某猫さんを一括りにして論じる意味なのだったら泣いて怒りますが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月13日 (木) 12:46

ちょうど、黒猫亭さんへのコメントを書いている途中で、電源が逝ってしまったのでした…。

という訳で、メモ帳に下書きして(こんな事もあろうかと…)あったコメントを載せますね。

>黒猫亭さん、ちがやまるさん

ちがやまるさんが補足して下さっていますが、森氏のやった事(あれは研究とは言えないですよねえ)から言えるのは、「森氏の脳波計によって測られたものが何なのか解らない」、という事だと思います。

仮に、森氏の脳波計によって、ゲーム中の人と安静時の脳波が似ている、というのが(それにある程度の妥当性を認めるとして)言えるのだとしても、そこからは、黒猫亭さんが仰るように、何故そうなるか、というのをきちんと考えるべきであって、それをすっ飛ばして、ゲームをよくやる人は問題行動を起こしやすい、とか、記憶力に悪影響をおよぼす、とか主張するのは、飛躍もいい所なのですよね。

ちがやまるさんのコメントの後半は、特に重要かと思います。それぞれの分野で適切とされる方法は異なっている訳で、それを踏まえないと、金槌で刺身を作ろうとするがごとき、となってしまいますね。

投稿: TAKESAN | 2008年3月18日 (火) 14:35

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ゲーム脳の恐怖』を読む(8):

« ゲームとの付き合い方 | トップページ | »