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2008年3月10日 (月)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(7)

・画像情報は前頭前野に行かない

・半ゲーム脳人間と痴呆者の違い

・ゲーム脳人間の前頭前野は活動停止状態

・読書も視覚からの情報だが

ここからは、脳の情報処理過程を説明しつつ、森氏の主張が展開されていきます。以下、箇条書きで、森氏の主張を示します。

  • ゲーム(「テレビゲームや携帯型ゲーム」(P96) )の画像刺激は、前頭前野に信号が行かない。「ゲームのテンポが速くても遅くても」(P96)同様。
  • ノーマル脳人間タイプは、テレビゲームやビデオ・テレビにほとんど接しておらず、β波が低下しない――根拠:「初めてやることなので、次の動作を考えながら意思決定をおこなうために前頭前野が活動しており、β波の活動が低下しないものと考えられます」(P97)
  • ビジュアル脳人間タイプは、頻繁に入る視覚情報によって、前頭前野を使わずに手を動かすために、後頭部中心の神経回路が強固になる。「前頭前野の脳細胞が働く必要性が減っていくことから、βパーセントの急激な減少が生じるものと考えられます。」(P98)

ここから、「半ゲーム脳人間と痴呆者の違い

  • 半ゲーム脳タイプは、ゲームを「小学校低学年から大学生になるまで、週三~四回、一日一~三時間おこなっている人たち」(P98)である。
  • 半ゲーム脳人間タイプは、ゲーム開始と同時に前頭前野の活動が低下し、β波がほとんど見られなくなる。β/αの値は、ほぼ0を示す――「後頭部中心の視覚系の回路が強固になっていると思われます。」(P97)
  • 半ゲーム脳人間タイプのヒストグラムは、α波とβ波が重なり、高齢の痴呆者と同様になるが、それは、高齢者の痴呆の脳の状態とは少し異なる。痴呆者の場合には、梗塞や萎縮等がある点が、大きく異なっている。「若者は脳のほかの場所は働いているわけですから、会話もできるし、ものを覚えることもできるわけです。痴呆の方は、こういったこともできなくなっています。」(P99)

ここから、「ゲーム脳人間の前頭前野は活動停止状態

  • ゲーム脳人間タイプは、「小学校低学年あるいは幼稚園児から大学生になるまで、週四~六回、一日二~七時間テレビゲームをおこなっていた人たち」(P99)である。
  • ゲーム脳人間タイプは、「前頭前野の脳活動が消失したといっても過言でないほど低下」してしまった人たち」(P99)である。
  • ゲーム脳人間タイプは、ゲーム中には、完全と言っていいほどβ波が消失する――根拠:「これは視覚系神経回路が強烈に働き、前頭前野の細胞が一気に働かなくなるためです。」(P100)

以下、森氏の認識を示す重要な部分を引用。

 ゲーム脳人間タイプの人の様子はというと、主観かもしれませんが、表情が乏しく、身なりに気をつかわない人が多いようです。気がゆるんだ瞬間の表情は、痴呆者の表情と非常に酷似しています。ボーッとしているような印象です。ゲーム仲間で集まることが多いようですが、関わりあいは浅く、ひとりで内にこもる人が多いようです。

 計測器がなくても、表情をみればある程度は見当がつけられると思います。幼い子どもでも、同様に無表情で、笑顔がなく、子どもらしくないな、という雰囲気になります。

 もうひとつは自分勝手であること。羞恥心がないこと。そういった人間らしさが乏しい印象の人は、ゲーム脳人間か、ゲーム脳人間になりかかっている危険があります。(P100)

ここから、「読書も視覚からの情報だが

  • 視覚情報だからβ波が低下する、という事では無い。
  • 本を読む事とゲームをプレイする事は違う――「ゲームからの情報は思考がほとんど働かないのです。しかも画面がカラーですと、色に関する想像力もいりません。」(P101)
  • 本を読んでいる瞬間もβ波は低下するが、「そこに思考が入ってきたとき」(P101)には変わる――”「ああ、こういうことを言っているのか」「これからどうなるのだろう」などと読んでいる内容について考えるので、ゲームとは違うわけです。”(P101)
  • ゲームはテンポが速く思考が入らない。本は言葉を読んで理解するから、「過去の記憶と照らし合わせながら、場合によっては右脳が働いて、抽象的に画像も出てきます。」(P101)

森氏は、各タイプについて、ゲームを週にどれくらいする、という内容を書いていますが、被験者をゲームプレイ時間ごとに分けて層別の分布を見る、等をしていません。ですから、ゲームプレイ時間と森氏の測ったデータに連関があるのかも、判然としません。たとえば「ゲーム脳人間タイプ」なら、「ゲームのプレイ時間が多い」かつ「森氏の分類する(簡易脳波計による)ゲーム脳タイプの脳波を実験中に示した」被験者を、「ゲーム脳人間タイプ」と呼んでいるだけに過ぎない、と思われます。

さて、森氏は、ゲームでは「思考が働かない」、と主張します。そして、「本を読む事を」対置し、読書の場合には、書かれている事を元に、記憶と照合したり、ビジュアルイメージを想起したり、という所が特徴である、としています。

この森氏の主張は、明白に誤りです。ここで、「ゲーム」(コンピュータゲーム)について詳しく見ていきながら、森氏の論の不備を指摘します。

テレビゲームをプレイした事がある方なら容易に想像が出来ると思いますが、ゲームは、まず操作系を憶える、というのが必要です。それが解らなければ、ゲームを進めようがありません。そして、操作を憶えるには、取扱説明書を読んだり人に訊いたりして、知識を蓄え、実際にプレイし、試行錯誤を繰り返して身に着けていく、という作業が必要です。つまり、ゲームをプレイしている時間そのものでは無く、その他の時間に、言語的な思考は働かさなければならない訳です。操作系は、いわば「約束事」です。どのボタンを押せばキャラクターがどう動くか、というのが、それぞれのゲームで独自に決められているのです。

上では、ゲームの操作を憶える、という、ゲームに一般的に成り立つ部分について書きましたが、森氏の論では、ゲームの「ジャンルの多様性」も、無視されています。ゲームには、非常に多様なジャンルがあります。ロールプレイング・アクション・シミュレーション・アドベンチャー・パズル 等々。それぞれのジャンルで、全く性質が異なります。たとえば、アドベンチャーやロールプレイングでは、テキストを読みながらストーリーを追ってく、というのが基本的な構造です。文字を読むというのは、まさに「本を読む」という要素を包含している、という意味でもあります。シミュレーションゲームは、将棋や碁に近いと言えます。色々なルールを憶え、戦略を組み立てて進めていく、という。

パズルゲームやシューティングゲーム、あるいはアクションゲームは、比較的、「ゲーム中」には、テキストを読みながら進める、というのは少ないでしょうが、それ以外の時間も考えると、思考しない、などとは全く言えません。敵の配列、動きのパターンを憶える、対人であれば、相手の思考を読む、等の要素があります。これはゲームをやらない方にはピンとこないかも知れませんが、ある種のパズルゲームやシューティング、格闘アクション等は、「実際やっている時に指が(認知を介在せずに)勝手に動く」のが高パフォーマンスである、と考えられます。森氏の言っているのは部分的に正しい、という事ですね。もちろん、そのために、様々な「準備」が必要な訳です。私は詳しく無いのですが、楽器演奏等も、そうなのではないでしょうか。練習では色々悩み考え、本番では何も考えずとも身体が動く事を目指す、という具合に。スポーツ等の身体運動文化もそうでしょう。つまり、「いちいち考えなくとも出来るように」なるのを目指す訳です。

また、近年のゲームでは、様々なジャンルの要素を複雑に組み合わせてあるゲームも多い、という事を、付け加えておきたいと思います。上で書いたような分類は便宜的なものです。操作も複雑になったり(コントローラのボタンが増えた、というのも、端的にその事実を示している)、という部分もあり、ゲームが複雑になってきている事が、ゲーム離れの要因だと考えられる場合もあるくらいです。

森氏の論を見ると、このような、ゲームの実態について全く無知である、というのが解ります。無理やりに、「読書」(と纏めるのも無理があるが)と対置させる所に、それが表れています。

次に、P100からの引用文についてです(「ゲーム脳人間タイプの人の様子はというと~」の部分)。

これは、全くの先入観に基づいた、印象論です。はじめに主観かも知れないと断っていますが、後になると、ほぼ断定的になっています。表情についての言及など、全く根拠不明です。当然のように、心理学や社会学等の調査・実験のデータも示されていません。悉くが、森氏の印象によるものです。次章もそうですが、本書の論理は、このような、ゲームへの無理解を元に、組み立てられています。

○4章 β波を上昇させるゲームもあった!?

・ロールプレイングで脳が活性化?

まず森氏は、ほとんどのゲームが前頭前野の働きを低下させる、と言います。しかしながら、中にはβ波を増大させるものもある、という事を指摘します。それは、森氏によると、「ロールプレイングゲーム」です。森氏の「ロールプレイングゲーム」についての説明を、引用しましょう。

 ロールプレイングゲームにもいろいろな種類がありますが、前頭前野の活動を増大させたソフトは、単にファンタジー的なものではなく、ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいくというゲームだったのです。(P104)

前回も指摘したように、この森氏の説明は、誤っている可能性が、非常に高いです。タイトルが書いていないので断言は避けますが、この記述を見る限りでは、一般的な「ロールプレイングゲーム」の事を指していると考えるのは、かなり困難です。当然、ホラー的要素のあるロールプレイングはあるでしょうが、それにしても、「自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し」、などという説明は、サバイバルホラーアクション(『biohazard』シリーズ等)を指していると見る方が、妥当だと思われます。いずれにしても、ホラーの要素がロールプレイングに一般的に含まれる訳では無い、というのは、強調しておきます。

森氏は、(本書で言う)ロールプレイングゲームプレイ中は、絶えず緊張し、心拍数や血圧が上昇し、自律神経に影響を与える事を示唆し、リラックスがなされないと言います。そして、そのようなゲームを繰り返し行う事によって、「前頭前野から古い脳への抑制がきかなくなり、視床から直接扁桃体に信号が行きやすくなってくると思われます。」(P107)と主張します。更に、長時間やっていると自律神経が不安定になる、という事を、テレビゲームを長時間している子どもが朝礼で立ちくらみを起こしやすいという報告(毎日新聞の記事を元にしている)を挙げて説明します。

もちろん、仮に、ゲームプレイ時間と立ちくらみの頻度について正の相関関係があったとしても、それが脳の機能の低下(という概念も曖昧だが)を示す、とただちには言えません(森氏も、「関係がありそうです。」(P107)という言い方はしている)。

次に、ゲーム中での行動が記憶に残り、「ゲームの場面のような状況に遭遇したときには、異常な行動や心理的恐怖感をもつようになります。」(P107)と言います。そして、またしても、驚くべき論理展開を見せます。

 実際このテレビゲームをおこなってもらった大学生は、ゲームを一人で深夜にやると、恐怖心にかられると言っていました。くり返しおこなっているとナイフで自分を防御しようと思うようになるかもしれません。さらにエスカレートすると、自分の身を守るために警官のピストルを奪おうとする行為に及んでしまうかもしれません。(P107・108)

唖然とする主張です。まず、ホラー的な要素があるゲームをやって恐怖心にかられる、というのは、当然と言えます。これは、ホラー映画を観たら、ホラーものの小説を読んだら怖くなった、と言っているのと同じような事なのですから。にも拘らず、とんでもない論理の飛躍を行います。ゲームが他の文化と異なっている特徴として、インタラクティビティ(双方向性)、つまり、自分の操作に応じて画面上のキャラクターが変化をしたり、という所がありますが、その部分が、ゲーム特有の影響を与える、というのは、当然考えられます。しかし森氏は、そういう部分についての心理学的研究を参照するのでも無く、強引に論を進めます。これは、科学的な論証として、全く妥当ではありません。

この後森氏は、テレビゲームに影響を受け、警官から拳銃を奪おうとした事件を例に出し(木村文香氏の文章を参照。私は原典未確認)、「この事件を起こした子どもは、現実と空想の世界の区別がつかなくなってしまったのではないかと考えられます。」(P108)と結びます。

論理的に言って、ゲームに影響を受けて問題行動を起こす、というのは、あり得る訳です。しかしそれは、他の文化でも同じ事です。ですから、本来行うべきは、社会心理学や疫学による調査研究で、それらの関係を定量的に見出す事です。しかるに、森氏はたった一例を挙げて、それが代表的な事例であるかのごとく扱っているのです。これも、不当な印象誘導である、と言わざるを得ません。

次節からは、ドーパミンやノルアドレナリン等の神経伝達物質の働きや、ストレスに関する論理が、ゲーム脳と絡めながら説明されていきます。

次回へ続く

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コメント

補足。

森氏に文献を参照されている木村文香氏ですが、論文を検索したりサイトを読めば解りますが、ゲームについてきちんとした研究をされている方です。坂元章氏との共著多数。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 00:14

>テレビゲームに影響を受け、警官から拳銃を奪おうとした事件を例に出し(木村文香氏の文章を参照。私は原典未確認)、「この事件を起こした子どもは、現実と空想の世界の区別がつかなくなってしまったのではないかと考えられます。」(P108)と結びます。

ですが、このようなものは、『元気な脳のつくりかた』の中でも何度も書かれています。(『コラム』と題されたところに書かれているのですが)

『ゲームの中と現実がわからなくなったAくん』(44頁)
大阪の公園で実際に起きた事件です。17歳の少年が、公園で遊んでいた4歳の男の子の頭をハンマーで殴りました。その後、警察に出頭してきた少年は、
「ゲームだと1発で死ぬはずだけども死ななかった。」
と言い、また、
「誰でもいいから殺したかった。殺す相手を探していた。」
などと供述したそうです。カバンの中には包丁やアイスピックなど危険なものがたくさん入っていました。この少年はコンピュータゲームのやりすぎでゲームの世界と現実とが一緒になっていたのだと思います。

とか、

『約束をしよう! 殺人ゲームはしない』(67頁)
人を次から次へと殺していくコンピュータゲームをくり返し行っていると、それが脳の中に記憶として残ります。大脳皮質の中にある古い脳で動物脳とよばれているところに残ってしまうと、ある日突然、ゲームと同じような行動をとりやすくなってしまうことがあります。
実際に、ゲーム感覚で事件を起こしてしまった人もいます。事件を起こした人の中には、殺人ゲームでよく遊んでいたという人もいて、ゲームと関係があるのではないかと問題になっています。
脳が発達段階の時期に、血が飛び散るような殺人ゲームはやらないようにしましょう。

など…。
子供向け、で、こういう論を続けている書ですから怖いですよ、この書は…。

投稿: たこやき | 2008年3月10日 (月) 09:44

たこやきさん、今日は。

ゲーム脳本の後半でも出てくる内容ですが、やはり色んな所で、同様の主張をしていますね…。しかも、もろに子育て関連の本ですものね。

それにしても、最悪の論理展開。誤謬もいい所ですね。これがある程度受け容れられるのが、物凄く悩ましい。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 12:21

これまで言葉だけ出ていた「ゲーム脳の人」「半ゲーム脳の人」の定義がこの章でやっと示されたのですね。
それで「ゲーム脳の人」では何が起きるのか、という事について客観的なデータにもとづく主張は無い、と。(そう言う理由は、「客観的に何が示されているか」「森氏が何を考えるか」が峻別された形ではっきり提示される必要があるのに、前者はない、後者もそれに応じてあやふやなものでしかないからです。)
たとえば、「ゲーム脳の人」で何が起きているか。これを示すのに何もゲームをやらせてみる必要はなく、もっとはっきり結果の出る別な課題を与えてもいいのです。ではゲームをさせたら何がおきるか。後頭葉や前頭葉の活動がわかる器械を使っているのでその違いを示すことができる、というなら、その器械を複数用意して同時にあちこちの電位を導出して比較してみればいいのです。そんな実行可能なことすら何もやってないですよね。
自分たちが独自の測定をしました、という結果について、何を測ったか(妥当性)がぐだぐだなら、その先はどんなゴタクを並べてもふつうは人に見てもらえません。やりなおしたり追加したりしてモノになるかな、とか、全く別なところで利用できる方法かな、とかちらっと考えてもらえればいい方で、あとはゴミ箱直行、でしょう。

投稿: ちがやまる | 2008年3月10日 (月) 17:00

前回検討した部分で森氏は、グラフを分類した訳ですが(あれは、分類になっていないけれど)、そこで、「○○タイプとします」、と書かれているので、そこでは、ゲーム脳というのは、グラフの分類の仕方なのか、と思わせますが(しかしそれは、「”ゲーム”脳」の定義にはなり得ない)、ここでは、ゲームのプレイ時間等も持ち出されているのですよね。だから、はっきりとした定義が無い、という。

定性的に定義し直すと、「ゲームによって前頭前野の機能が低下した状態」、と表せると思いますが、「前頭前野の機能が低下」、「ゲームによって」、という所の意味がはっきりしないし、そこに因果関係があるとする根拠が、全く解らない。たとえば、心理検査の結果や精神医学的所見とゲームプレイ時間との連関を見る、等の方法が考えられますが、全く無いのですよね。

結局、文脈によって「ゲーム脳」の意味内容が違っています。最も妥当な解釈としては、ゲームをする習慣があり、森氏の測る脳波が特定の類型に含まれるものを、それぞれのタイプとする、という所でしょうか。

で、森氏は、そこの論証を疎かにしたまま、神経科学的メカニズムによる説明を進めていきます。そもそもの実験があやふやなのに、それを、事実であるかのように書いているんですよね(仮定であるという書き方はしているけれど、そうは読めない)。

ゲームをやる事によって前頭前野へ信号が届かなくなる、という仮説を構築して、それを実験なりで検証する、というのなら解るのですけれど、曖昧な実験結果を都合良く解釈するためにメカニズムを仮定している、というロジックなので、おかしいですね。

あまりに論理がぐちゃぐちゃなので、解きほぐすのが大変だったりします。著者自身が、自分で何を主張したいのかが解っていない可能性があるので。

ゲーム脳を、「ゲームによって引き起こされる悪影響一般」と考えてはならない、が、ゲーム脳にきちんとした定義がある訳でも無い、というのは、ゲーム脳論を考察するにあたって、はずせない部分だと考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 17:45

もうちょっと書きます。

森氏の文を見ると、「ゲーム脳」について、条件がどんどん追加されていくのですね。

最初は、森氏の脳波計によって測られた信号をグラフ化したパターン、と紹介するのに、その後に、「ゲーム脳の人でもβ波が増加」する、と言います。その時点で、脳波では何も判らないと言っているに等しい訳ですね。
で、ゲーム脳なのにβ波が増加する理由として、ゲームの内容がストレスになるから、と言うのですね。これは即ち、ゲームの内容を考えなくてはならない、という事です。

また、ゲームを行う時間についても追加されます。それが必要条件なのかも解らないし、そもそも、脳波とゲーム時間に関係あるかも解らない。

ゲームしてβ/αの値が低ければゲーム脳、高ければ、ゲームの内容がストレスになっているからゲーム脳。しかも、「ゲーム脳の人がゲームをすれば」、という前提。

綺麗に破綻している論理です。

て言うか、書いてて頭が痛くなってくる…。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 17:56

ちなみに、雑誌『食べもの通信』03年2月号に載せられた『「半ゲーム脳」の子どもが増えている』によると、(この時点で)6~29歳の男女240名に対して調査して、「ゲーム脳」が約20%、「半ゲーム脳」が約40%だったそうです。
…正直、「ビジュアル脳」も一定程度いる、と考えれば、森氏の言う「ノーマル脳」はごく少数であり、どこが「ノーマル」なのか、という感じなのですが…。

投稿: たこやき | 2008年3月10日 (月) 18:39

多分、「ノーマル脳人間が少ない」→「日本人の脳はおかしくなっている」→「ゲームをやらせてはいけない」、というロジックなのでしょうね。

森氏的なノーマルというのは、「普遍的なノーマル」なんでしょうね。量的な「標準」、つまり、多くいる、という事では無く、生理学的・心理学的な「正常」を意味している、と言うか。

ところで、私はその資料は未見なのですが、それって、ゲーム時間のデータも載っているのでしょうか? それが無ければ、やはり、「グラフのパターン」だけで各タイプを判定している事になって、極めて恣意的ですけれど。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 19:03

>ところで、私はその資料は未見なのですが、それって、ゲーム時間のデータも載っているのでしょうか?

ですが、殆ど載っていません。
『ゲーム脳の恐怖』にあるのと同様に、「ノーマル脳」はほとんどゲームをやったことが無い人に多い。「ビジュアル脳」は、ゲームは月に数度。テレビを1日1~2時間程度の人。「半ゲーム脳」は週に3~4日、1回につき1~3時間。「ゲーム脳」は、ほとんど毎日、2~7時間ゲームをする人。とだけです。
ちなみに、それぞれの脳波が載っていますが、こちらも『ゲーム脳の恐怖』同様、「ノーマル脳」だけ単位が半分になっているものです、

ただ、私が知る限り、「ゲーム脳」に関して、どの程度の人が、どのパターンなのか、が記されたもの自体がこれだけなんですよね。
ちなみに、この資料は『脳の力を高める』(家庭栄養研究会編)に載っています。

投稿: たこやき | 2008年3月10日 (月) 20:17

情報、ありがとうございます。

なるほど、やはりそうですか…。

そこら辺の具体的なデータは、無いですね。グラフもそのままなんですね。

その資料は未読なので、その内参照してみようかな・・。

投稿: TAKESAN | 2008年3月10日 (月) 23:29

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