理解る事を保留する
賢い人は、自分がそれほど詳しく無い分野について、ちょっとした興味を持って調べたら、すぐに「わかる」ような感じがするのかも知れない。
論理性が高く、頭の回転が速いが故に、自分が詳しい分野の知識から類推したり、対象をメタに、一般化・相対化する事が出来るのではないか。
そうすると、実際そこで何が行われているか、とか、中でどういう議論が行われているか、という部分が、蔑ろにされる。
だから、そこから物を言うと、「間違ってはいない」意見にはなるが、誰でも解り切っている一般論を尤もらしく語ったり、具体的・詳細な考察を欠く事があるのだろう。
だから、立ち止まって、じっくり考えてみるべきだろう。
自分が感じた事は、既に論じられているのではないだろうか。どのように捉えられているだろうか。
自分が対象について感じ取った印象等を、安易に一般化して良いのだろうか、と。
「わかったつもり」にならない、という事。
自分が解ったかどうか、というのを、徹底的に問い掛ける事。
これは逆説的だが。
私は、あまり、頭の回転が良く無い。
興味を持った分野があれば、何度も何度も関連した文章なりを読むし、同じテキストを繰り返し読む事も、しばしば。
それが、結果的に、良かったのかも知れない。
ニセ科学について興味を持った時も、代表的なニセ科学を批判する皆さんの主張を、繰り返し読んだ。そうしないと、「全体像」が、ぼんやりとも見えてこなかったから。
「わからない」んだよね。でも、そのままだと気持ちが悪いから、色々調べる。ちょっと調べたくらいじゃ、俯瞰してものを見られないから。
そんな事を、考えたのでした。
なんか最近、こんなエントリーばっかりだなあ。
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コメント
こんばんは。多くの事を知るたびに、当然理解できる範囲がひろがるのだけど、それと同時に膨大な知らない事が見えてきます。
自然科学に関わって絵の仕事をするようになってから、そういったことを強く感じることになったように思います。
最近つらつら思うのは、生半可な表現や芸術というのは、ニセ科学との親和性が高いのでは?ということです。僕自身がはまってしまっていた時期を考えると、プロ未満であるのにアーティストぶっていたときと、ぴったり一致します。でも、本質的には芸術とも相容れることがあってはないと思うのです。
そこのところがなかなか考えがまとまらない今日この頃です。
投稿: corvo | 2008年2月 1日 (金) 02:24
corvoさん、今日は。
武術でも、そういう事があるかも知れません。武術系の雑誌を読んだりすると、めちゃくちゃなものがあったりします。
私が考えるに、「感覚」、「直感」、「表現」等を重視する場合、論理や分析を疎かにする場合があるのではないか、と。矛盾するものでは無いし、どっちかを採る、というものでも無いのですよね。
勉強すると、知識が増えていくけど、解らない事も増えていくのですよね。何が解らないかが解ってくる。それは、結構きついですけど、とても面白いものでもありますね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 12:34