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2008年2月21日 (木)

色んな想像力

「想像力」というのを考える場合、「事実」に思い至るか、というのが重要だと考えます。簡単に言うと、「実際どうなってるんだ?」と考えて、色々調べる、とか。

後、これは何度も書いているけど、「自分程度の想像力は他人も持っているだろう」、と考える「想像力」は、必要ですね。それは結局、自分を過大評価せず、自尊心の肥大化のストッパーの役割を果たす訳ですね。つまり、「謙虚」。

それから、喋る時には、自分が喋る内容を内言として再生して、それがどう解釈されるかを推測する、というのも肝腎。文章だと、推敲を丁寧にやって、様々な「読まれ方」を想定する。

で、想像力には当然、「知識」が絡んでくる訳ですね。知らなきゃ、想像した事が合っているか、他に同じ事を考えた人はいないか、というのは、当たり前ですが、解らない。だから、それを知るために、「調べる」のです。知識が積み上がってくれば、他人が言った事が、どこに位置付けられるか、というのも出来るようになる。自分の想像が、とっくに考えられたであるのを知る。そうやって、頭の中に、知識のネットワークが構築されてくる。調べるのを癖にする。※この段落には、矛盾を感じるかも。

また、これは他所で書いたのですが、想像力というのは、考える対象によって、発揮のされ具合が異なってくる、というのもありそうです。「こんな賢い人が何故あんなのを信じるの」、という場合がありますね。これは、誰が言ったか、とか、情報を受け容れた場とかが関係していたり、対象を批判的に吟味出来るだけの知識が無かった、とか、そういうのが関係しているのだと思います。

それと、「保留」する事。知識が足りない分野については、知識が積み上がるまでは、判断を保留する。特に、ある程度専門的な話題だと、保留するのは重要。もちろん、専門的な話題だからといって、他分野と隔絶している訳では無いから、自分が知っている知識から類推する、というのも大切。

まあ、そんな感じなんじゃないかな、と。

参考:PSJ渋谷研究所X: きくちまことはkikulogで想像力について何を語ったことがあるか

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「随想」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
いつも、いつも楽しく拝見しています(^.^)
実は先日の理系・文系も興味深く読ませて頂いて、エントリーに私も書こうか、、、と思っていた矢先、
コソボやイージス艦出、ついそっちを書いてしまいました。
今日は今日はで、とても面白いテーマなので、
またTAKESANさんからアイディアを頂いて記事にしました。
トラックバック、お送りしたのですが、どう言うわけか嫌われたよぉおおおお。
届きません。
と、言うことでURLはっておきます。
http://ts.way-nifty.com/makura/2008/02/post_c113.html

それから蕎麦のお話、面白かったですよ(^.^)

投稿: せとともこ | 2008年2月21日 (木) 14:04

せとともこさん、今日は。

あれ、TBは通ってますです。時間差かな…。

想像力という言葉は、物凄く一般的な概念なので、局面によって、発揮のされ方に、様々な違いがあるのですよね。

そうそう、お書きのエントリーに、「偏差値」が出てきているのを見てふと思ったのは、たとえば、子どもが偏差値について何か疑問なりを言ったら、偏差値ってそもそも何だろうね、と想像力を向かせる、というのも良いかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 14:29

こんにちは、TAKESANさん。たまには、というかいつもの変な話を書いてみますね。

王陽明というのは私がかぶれている陽明学を興した人ですが、ある時、中の悪い親子が何かの相談に来たので、古代の聖帝とされる舜とその父親の瞽叟の話をしたのだそうです。

舜と瞽叟の話というのは史記に書かれている事によると、瞽叟は盲目で、かたくなであり、後妻の子を慈しむことにより舜を憎み、何度も殺そうとしたけど、舜は危なければ逃げ、小さな罰なら受けて従順に孝行をしたために殺せなかったとされています。その孝行が有名になることで、聖帝の堯に見いだされて、堯から帝位を禅譲されたことになっています。

王陽明は「瞽叟は舜を愛し、舜は瞽叟に対して親不孝であったのだ」なんて無茶苦茶な事を言うわけです。その意は、瞽叟は「自分は舜を育ててやった」という思いに囚われて舜がどれ程孝行をしてもそれに満たされず、舜は自らの孝行が「足りない」という思いを常に抱いていたから、孝行を尽くせたと言うわけです。

まあ、あまりに古い説話から引っ張っている話である訳ですが、私は、この説話に刺激を受けて「独断専行の多い人は、自分が周りに気配りした経験のみを良く覚えていて思い出す。気配りしすぎて内向的に成ってしまう人は、自分の気配りが足りなくて周りが不快に思ったことばかり覚えていて思い出す」なんてなんて話をこさえた事があります。

適当な話ですが、主観と客観をつなぐ橋として、想像力というのは大事なものという事で書いてみました。

投稿: 技術開発者 | 2008年2月21日 (木) 17:05

技術開発者さん、今晩は。

示唆的なお話ですね。

▼▼▼引用▼▼▼
この説話に刺激を受けて「独断専行の多い人は、自分が周りに気配りした経験のみを良く覚えていて思い出す。気配りしすぎて内向的に成ってしまう人は、自分の気配りが足りなくて周りが不快に思ったことばかり覚えていて思い出す」なんてなんて話をこさえた事があります。
▲▲引用終了▲▲
私はもう、圧倒的に後者です(笑) 大分ましになりましたけれども。その時はその時で、想像力が適切に行使出来ていないと言うか、偏ってしまっているのですよね。そのせいで、過度の自己嫌悪に陥ってしまったり。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 19:35

仕事をしていると、何か新しいことにチャレンジしなければならなくなったときに、「自分はそれやったことないから」とか「難しそうだから」といわれて敬遠されることがあります。
こんなとき私は、「サラリーマンの仕事なんてそんなに特殊なものはない。とりあえずやってみれば大抵のことは何とかなるはずだ」と思うのですが、この「他人に出来ることは自分にも出来るはず」ぐらいの傲慢さ(ある意味では想像力の欠如)も時には必要だなあと思います。

投稿: Noe | 2008年2月22日 (金) 12:15

こんにちは。講師をやっている勤務先からです。
Noeさんのおっしゃった「「他人に出来ることは自分にも出来るはず」ぐらいの傲慢さ(ある意味では想像力の欠如)」を持つ人が、昨今すごく少なくなっているのかなあと思うことがあります。こういった人たちは、何かを生み出したり、社会をよりよくする原動力になっていくと思うので、僕は肯定的にとらえています。想像力の欠如というよりも、より強い想像力を必要とする行為ではないでしょうか。
一方、「他人に出来ないのだから、自分も出来なくてよい」と考える人が増えてきている様に思います。こういった風潮がニセ科学の蔓延を助長しているように感じています。
謙虚のはき違いではないかと、思うことがよくあります。

投稿: corvo | 2008年2月22日 (金) 12:33

Noeさん、今日は。

▼▼▼引用▼▼▼
この「他人に出来ることは自分にも出来るはず」ぐらいの傲慢さ(ある意味では想像力の欠如)も時には必要だなあと思います。
▲▲引用終了▲▲
ああ、なるほど。
これって、「他人に出来てるんだから自分にも出来るだろう」、という「想像力」があるような気もします。
やらずに「出来ない」と言うのは、自分の不足した想像で結論している、みたいな。

て言うか、どちらの場合も、度合いがあるのですよね。一方に極端になると、自尊心が肥大し、明らかに出来ない事も、根拠無しに出来ると言い放ちそうだし、逆の場合、自己嫌悪とか自己肯定感欠如、とかになりそうだし。

------

corvoさん、今日は。

▼▼▼引用▼▼▼
一方、「他人に出来ないのだから、自分も出来なくてよい」と考える人が増えてきている様に思います。
▲▲引用終了▲▲
ああ、確かに、そういう「開き直り」的な人はいますね。これは、私はかなり苦手なタイプです。

ただ、「増えて」いるかどうかは、私には判りません。←これは、いつも書いている、私の拘りポイントです。

------

想像力って、ごく一般的な概念なだけに、結構色々使えますね。言葉遊び(←この用法は適切なのか?)にならぬよう、自重しなければ…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 12:51

「想像力」の話が出る度、いつも思い出す好きな話題があります。それはkikulogのこの話題、「納得力」。↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1132677934
ここでは「説得力」の対語として扱われてますが、きくちさんの最後のコメントが「想像力」の浅さ深さを示唆しているように感じられ、思わずニヤリとさせられてしまうのです。

投稿: OSATO | 2008年2月22日 (金) 21:57

OSATOさん、今晩は。

あー、なるほど。納得力。

やっぱり、「実感」と関わっているのでしょうね。うーん、何と言うか、解りやすい現象を単純に説明してくれて、納得、とか。インパクトの強い人がデカい声で言っているのに納得、とか。

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 23:54

TAKESANさん、こんにちは。
レスが遅くなってしまいました。「増えている」はよい表現ではないですね。強いて言うなら、僕のまわりでよく見かけることがある、ということに訂正したいと思います。
いつも僕の仕事の話になってしまうのですが、具体的にこうすればこういう風に描けるようになるとか、ある画材をどのように使えばこういった効果が出る、というような極めて明解なことについては、意外とやりたがらない人が多いと感じています。すぐに「面倒くさい」とか言ってしまうわけです。
一方、どうやったら成功するか?とか売れっ子になれるか?ということには興味をもって、成功事例をなぞろうとします。でも、そんなの人それぞれ、成功にむかう道程は違うわけです。ある人にとってはベストの道でも、ある人にとってワーストの場合もあります。
身近に実践できることは目をそらして、夢物語のようなものに共感するのは、決して想像力が豊かであるとは思えないです。

投稿: corvo | 2008年2月25日 (月) 15:01

corvoさん、今晩は。

▼▼▼引用▼▼▼
ある画材をどのように使えばこういった効果が出る、というような極めて明解なことについては、意外とやりたがらない人が多いと感じています。すぐに「面倒くさい」とか言ってしまうわけです。
▲▲引用終了▲▲
よく解ります。何と言うか、「強く”思って”いれば」、色々具体的な所をやらなくても出来るようになる、と感がえている、という感じでしょうか。地道な作業を忌避する、とか。
私は、この、「思ってさえいれば」、という考えは、かなり問題だと考えています。水伝にも繋がってくる話ですけれども。

思い、願うのも結構だが、やらなくちゃしょうが無いよ、という事は、ありますよね。

成功って、様々なパターンがあるのですよね。そういう所に思いを馳せずに、表面的な解りやすい部分に目を向けて、「マネ」をして よしとしたり。

武術なんかでもそういう事があって、達人が書き残したものとか発言とかを見るだけで、もっとベタな、具体的な所は無視したり、という。変な話ですが、「達人が毎日祈りを捧げていた」、という事実を知って、「祈りを捧げれば達人になれる」、的な思考に陥ってしまう場合があります。

前に話題に出た、イチロー選手の「ルーチン」のエピソードにも、似ているかも知れません。
何かを達成した人が、何か習慣を持っていたとして、その習慣があったからこそ達成出来た、という事では、必ずしも無い訳ですよね。

「憧れ」は、想像力を鈍らせる場合があるんじゃないかな、なんて思っています。

なんか、ちょっと話がずれちゃいました(笑)

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「増えている」、の部分、凄く細かくて申し訳無い、と思いつつ書きました。結構拘っている所なのですよね。kikulogのコメント欄で綾香さんに向けて書いた文も、同じ事を念頭に置いていました。
たとえば、私自身の経験では、身の周りでは、年配者が圧倒的に、想像力も足りないし、融通も利かない、という感じだったのですね。でもそれは、自身が活動している空間での事であって、ただちに一般化は出来ないのですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月25日 (月) 18:02

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