ゲーム脳の説明
興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ
これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。
「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」
「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」
「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」
これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。
悩ましいなあ。
そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。
自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。
私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。
スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。
冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。
※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。
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「Interdisciplinary: ゲーム脳の説明」のコメント欄で、石田が「なまはげ」について述べたこととかをまとめておく。 親子連れ向けの「なまはげツアー」なるものがある。ツアー参加者によるものではないようだが、コメント欄でこんな「意見」が紹介されて... [続きを読む]
受信: 2008年2月22日 (金) 05:09
» 習俗 [Chromeplated Rat]
TAKESANさんのゲーム脳の説明と云うエントリのコメント欄における「なまはげ」議論を引き継ぐ形で、石田剛さんが「なまはげツアー」のサイトで紹介された「声」が示すことと云うエントリを挙げていらっしゃる。この時点で議論に参加すると単に紛糾させるだけになりそうなので、石田さんのエントリに言及するかたちで私見を述べておく。
なまはげと云う習俗が生まれたのは、それが生まれた時代・社会において合理的だったからだ、と思う。
そして、それはその時代・社会が「未開」だったからではない。
なまはげをしつけの道... [続きを読む]
受信: 2008年2月22日 (金) 22:18
コメント
> 自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。
「止めたくない」と思うような「自分の好きなもの」が無いように見える人も、世の中にはそれなりに存在するようで、そういう場合は問題がもっと複雑ですよね。
投稿 newKamer | 2008年2月18日 (月) 10:21
newKamerさん、今日は。
そうですね。入れ替えられるようなものが無い場合と、あっても、それをゲームと交換するのに抵抗する場合と、ある気がします。だからこそ、ゲーム脳に飛びついてしまう、という事なのでしょうね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 12:12
エントリー上げるまでも無いのでここに。
昨日、某ブクマNで、こんなのが(PDF)⇒http://www.city.kure.hiroshima.jp/~gohs/pdf/02-gakkousyoukai/tayori10.pdf
▼▼▼引用▼▼▼
おそろしい・・・「ゲーム脳!」
数年前から「ゲーム脳」のことが,新聞や雑誌でよく取り上げられています。
脳の中に,35%をしめる前頭葉の中に前頭葉前野という部分があるそうです。
ここは,記憶,感情,集団でのコミュニケーション,創造性,学習,感情のコント
ロール,犯罪の抑制を司る大切な部分だと言われています。
この司令塔が,ゲームや携帯メール,過激な映画やビデオ,テレビに熱中しすぎ
ると,働かなくなり,「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるそうです。
(東北大の川島隆教授による)
▲▲引用終了▲▲
もう、どこをどう突っ込んでいいのやら。何重にも間違ってるし。いや、まあ、名前は単なる脱字なんでしょうけどね。
ゲーム脳が川島氏提唱であるという誤解は、ある程度広まってるかもね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 12:38
TAKESANさん
リンク先⇒http://www.city.kure.hiroshima.jp/~gohs/pdf/02-gakkousyoukai/tayori10.pdf
のTAKESANさん引用部分の下のカコミ中
>「ゲーム脳」は,感情のコントロールがきかず,キレやすくなるのです。
さらに,学校では居眠りが多くなるなどの兆候がたくさん見られるようになります。これは,要注意のシグナルと見てよいと思います。
とありますが、「学校で居眠り」の記載が気になりました。
自分が小学生だったころは居眠りをしている同級生はいなかったと思うのですが(というより小学生のころは学校で眠くなったりしなかった)、最近の小学生様はよほどお疲れなんですかねえ。
投稿 Noe | 2008年2月18日 (月) 13:09
Noeさん、今日は。
そうですね。私の頃も、小学校で居眠りは、無かったですね。そういうのに、ゲームのやり過ぎが関係している、というのは、考えられなくも無いですよね。いや、別にゲームで無くとも、何でもいいのですが。何かをやっている、というより、一般的に「夜更かし」が原因と捉えるのが、妥当かな。
夜中にコンビニで、子どもが連れられているのを見て、夜更かしさんだねえ、と思う事は、しばしばあります。
個人的には、外で遊ぶ比率をある程度に保っていた方が良いと考えています。疲れれば、寝ちゃいますしね。さすがに、3時間も4時間もゲームしたりはダメですね。たまにはいいかも知れないけど。
投稿 TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 13:40
>これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。
我が家でも、十分実感しております。ホントを言うと、ゲーム脳にもすがりつきたいような気持ちがあります。
ただ、それをやると、マンガ脳、テレビ脳、何でも頼らざるを得なくて、自分での教育を放棄するようなものですね。
嫁さんは、ビール脳を提唱したいような雰囲気が最近はあります。
投稿 ドラゴン | 2008年2月18日 (月) 19:04
実際、ゲームの「魔力」は凄いと思います。これはもう、経験からも、そう感じます。だからこそ、何とかして離したい、と考えるのでしょうね。
私の親は、煩く言わなかったので、良かったですね。あまりきつく拘束されると、反発したかも知れません。
ゲームばっかやるとバカになる、という言い方自体は、ある程度は許容されるべきかな。事実で無いとも言えませんしね。だけれど、それを補強しようとするニセ科学があるから、フォローはしっかりするべきでしょうね。親が一緒にゲームするとか、そういうのでも良いのだと考えています。
養育者がゲームを「嫌う」場合がありますからね。ゲームばっかやるとバカになる、がいつの間にか、ゲームをやる奴はバカだ、になったり。いや、昔の私の事なのですが…。
投稿 TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 19:32
TAKESANさま、ご無沙汰しておりました。
ゲームは好きになれないので、批判したくなしますが、これでは話が続きません。
ですから、
どうすればゲームが好きになるのでしょうか?
それには、どういう心がけとか努力が必要なのでしょう?
好きになるような科学的説明があるのでしょうか?
投稿 n_ohsaki | 2008年2月18日 (月) 20:22
n_ohsakiさん、今晩は。
お久しぶりですね。
「好きになる方法」は解りませんが、取り敢えず、「金を掛ける」事でしょう。有名なゲームを片っ端からやるのが良いと思います。身近に詳しい人がいれば、アドバイスを受けるのも良いでしょう。
科学的な説明は、どうでしょうね。心理学や行動分析学の文献を紐解けば、色々あるかも知れません。
ところで、好きになれないという事は、あまりおやりになっていない、という意味ですか? それとも、色々プレイされた上での感想ですか?
後者であれば、無理にする必要も無いでしょうね。好きになるために何かをやる、というのは、変ですし。
前者であれば、よく知らないものを「批判したくなる」という事で、これはこれで、不思議な話です。知らないものを批判するというのはね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 23:32
TAKESANさん
> これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、
> つまり実感なのですよね。
石田も「養育者」ですが、「ゲーム脳」を利用するのはダメだと思ってます。「ゲーム脳」を利用するのは、子供に「自分の都合に合わせてテキトーなウソついても良い」って教えてるということだと、石田は考えています。
参考:
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070709/1183926091
ドラゴンさん
> ただ、それをやると、マンガ脳、テレビ脳、
> 何でも頼らざるを得なくて、自分での教育
> を放棄するようなものですね。
石田は、この文は「自分での」の句を除いても成立すると考えています。「ゲーム脳」を利用してゲームをやめさせたり、ゲームをする時間を制限するのは、「教育」ではありえないと、石田は考えています。
参考:
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070302/1172781700
n_ohsakiさん
どうして、そんなにゲームを好きになりたいのか、石田にはわからないのですが、これは何か事情がるのかもしれませんね。
好きになることに「科学的説明」が必要な理由は、たぶん無いと思います。
投稿 石田剛 | 2008年2月19日 (火) 01:12
石田剛さん、今晩は。
先日の、サンタクロースのエントリーも、拝読し、共感しました。もちろん、サンタとゲーム脳を同列に扱っている訳ではありませんけれど、個人的には、石田剛さんのお考えに近いものを持っている、と思っています。
n_ohsakiさんのコメントの趣旨が解らないのは以前からでして、まあ、私も、全然解っておりません。
えっと、以前の、私とn_ohsakiさんとのやり取りを、ご紹介します。読むのはあまり、お勧め出来ませんが、一応⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fe9d.html
投稿 TAKESAN | 2008年2月19日 (火) 01:37
こんにちは、皆さん。
なんて言うか、前に書いた「ならず者のえん罪」なんてたとえ話をもう一度整理したくなりました。
これは、えん罪には2つの害悪があるということでして、一つは無実の人を罪人にしてしまう害悪ですが、もう一つは真の犯人を取り逃がしてしまうという害悪なんですね。でもって、多くの人が前者の害悪に目を向けてしまって後者の害悪のことを忘れてしまう訳です。そのため真面目な人がえん罪なったような事件だと、「警察・検察は何をやっているんだ」と厳しくなるけど「あいつなら、やりかねないよね」なんて思われるならず者がえん罪になったりしても、あまり怒りは湧いてこなくなる訳です。でも実のところ真の犯人を取り逃がすという点では、真面目な人のえん罪もならず者のえん罪も変わりは無いわけです。
ゲームをならず者に例えてはいけないのでしょうが、面白くて時間も忘れて熱中させるという部分はどうしてもあるので、子供の(大人も)生活習慣の乱れや学業の不振について「こいつが犯人だ」にされても、「まあ、あり得るよね」となるわけです。でも、実のところ、多くは複合的な原因はある訳ですよね。親そのものの生活習慣の乱れや、家庭内の秩序の緩み、親がきちんとした人生観を持たないことによるしつけの曖昧さとかね。
なんていうか、これは「こいつが犯人だ」とすることで、そういう部分を見直す機会を失うとしたら、えん罪の後者の害悪の野放しと同じことが起こるんだろうなと思います。
投稿 技術開発者 | 2008年2月19日 (火) 09:23
ゲームをならず者とたとえるのは、当を得ているように思います。ゲームというのは、本質的に娯楽ですし、「世の中に無くても良い」ものとして、興味の無い人からは捉えられやすい。で、物凄く熱中させる魔力を持つ訳ですね。だから、簡単に、ネガティブなイメージを持たれてしまう。
だけれど、仰る通り、ゲームに原因を押し付けてしまうと、他に考えるべき事が蔑ろにされてしまうのかも知れないのですよね。親子間のコミュニケーションの基本の部分が上手くいってなくて、それを何とかするべきなのに、「ゲーム」という見えやすいものが原因と看做す。
で、ゲーム脳は、ならず者が「本質的に」ならず者である、という事を、(もちろん、全く不充分な)「科学的根拠」をもって、示した訳ですね。これは、とても恐ろしい話だと思うのです。
よく言われる話で、「ゲームを3時間も4時間もやらせるのは、基本的な躾がおかしいんじゃないか?」というのがありますね。ゲーム脳系はそこに、「躾の問題では無くて、ゲームにはそういう力が本質的にあるのだ」、というロジックを見出して、害悪を云々する。当然、ゲームというのは文化ですから、それ自体、複雑なもので、定義すら難しいものですが、それを無視して、薬物中毒等のアナロジーを用いて説明する訳ですね。
やるなら、きっちりとした研究をやってもらって、慎重に評価して欲しいですね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月19日 (火) 12:47
TAKESANさま、こんばんは。
私は、スペースインベーダーの頃から拘っておりますが、ゲームにのめりこむことはありません。
不器用ですぐゲームオーバーです。
努力してもうまくなれません。しかもやっているとあたまがばーっとして来ます。
人によって違うのですが、不思議に思っています。
ゲームを知るということはどういうことなんでしょうか?
石田さま
好き嫌いは、科学的に説明する必要はないとのことですが、そうしたらゲーム脳論者は、ただ嫌いだといっているのではないでしょうか?
投稿 n_ohsaki | 2008年2月19日 (火) 21:45
また、前と同じような感じなので、以後、基本的に、スルーします。
て言うか。
相当凄いコメントの書き方です。いや、ご自分では解らないんでしょうけど。
願わくば。
・何を主張したいか。
これをはっきり書いて頂きたいものです。
「血液型と性格」に現れる幾人かの方々と、あんまり変わりませんね、実際。
ちゃんと出力しないと。他人の脳内が覗ける訳ではありませんから。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 00:40
「要は、子供が真実に気がついた時に親の発言をどう捉えるのか、よ。将来子供が人間不振に陥るかも知れないでしょ。その可能性を貴方は助長している訳よ。」
「貴方は楽をしたいから、安易に人の話を鵜呑みにするのよ。少しは先の事も考えないと、将来子供が詐欺に遭って、金銭的精神的に負担が増えて困るかもよ。」
>細かいことばっか
科学の資料を大量に部屋に持ち込んで、「細かい事は気にしないで。食えなくなったら困るから、いいのいいの。」とでも言い返せば良かったかもしれませんね。(いや、もっとややこしくなるから駄目か^^;)
ここから本題です(^^。
私は過去、ファミコンのスターソルジャーにハマリ、スプーンを使って14連打していました。(ボタンが壊れそうに)
当時はゲームにハマるというより、その世界観に夢中になると言う感じでしたね。いくらグラフィックやBGMが良くても、肝心の中身が底の浅いものであったならば、見向きもしませんでした。
ゲーム脳推進者の目的は何でしょうね。金儲けか、名声か。
ゲーム脳肯定者の目的は何でしょうね。懐古主義か、思考停止か。
ううむ、すぐには結論を出せませんね。やはり徹底的に調べないと。まずは、秋田に行って現地調査ですかな。「なまはげ」の。
投稿 TAKA | 2008年2月20日 (水) 03:45
TAKESANさん
> えっと、以前の、私とn_ohsakiさんとのやり取
> りを、ご紹介します。読むのはあまり、お勧め
> 出来ませんが、一応
ご紹介いただいたページと、そこからリンクされている物件(全部は読みませんでした)を見て、だいたいの事情は理解できました。ありがとうございました。
n_ohsakiさん
> 好き嫌いは、科学的に説明する必要はないとの
> ことですが、そうしたらゲーム脳論者は、ただ
> 嫌いだといっているのではないでしょうか?
いいえ、ちがいます。
どうちがうかは、あなたがかよっている、がっこうのせんせいにきいてください。
TAKAさん
親子連れ向けの「なまはげツアー」なるものがあるそうです。
http://www.oganavi.com/news/archives/2006/09/02161406.php
ツアー参加者によるものではないようですが、コメント欄で、こんなご意見が紹介されています。
> 我が家では、昨年末テレビでなまはげの映像を
> 見た長男(3歳)が大変怖がりました。「悪い子
> にしていたらなまはげが来て連れて行かれる」
> と教え、以来「まなはげ呼ぶよ」と言うと即言
> う事を聞くようになりました。
石田は、これは「教育」ではないと考えています。
この意見をわざわざ「男鹿なび」の管理者らしき方が取り上げてるあたりから、この「なまはげツアー」のダメっぷりが伺えます。
投稿 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 06:46
「なまはげ」の話が出ましたので、「なまはげファン」の私めからひとこと。
「なまはげ」は(地)神です。言い換えてみようとすると、地域伝承、地域文化・行事と一体になったカミ、ですか。資料館みたいなところで観光客に面をつけて記念写真をとらせたりしていますが、これすら年配の方には認めたくないとおっしゃる方がおられます。でも、地元の観光収入の事もあるので気持ちは複雑なようです。先頃の報道でも「酒に酔ったなまはげが浴室に入り込み」とありましたが、なまはげは神前で御神酒を飲んでなまはげになるのです(本来酒はバーや晩酌でたしなむものではなかったそうで)。そんなわけで、「教育」に使うのもコンセプト違い、ホテルに連れて行って観光に使うのもコンセプト違い、なまはげが訪れる時に入浴しているのもコンセプト違いなわけです。
似たことは他にもあって。話題になった蘇民祭というのも、本来は秘儀だったのではないでしょうか。キタナイものを公衆の面前に陳列するなとかの前に、被写体にして持ってくるという行為には何の反省もなかったのでしょうか。「異文化」から平板な価値観のもとで商品になりそうなものだけを切り出してくる、そういうことを私たち日本人は世界規模で繰り広げている気がします。
柳田国男さんなどが、無くなる前に記録しておこうとしたものが無くなって久しく、わずかな痕跡すらもこういう形で次第にかき消されてゆく、というわけですね。以上ひとことにしては長すぎたかも。
投稿 ちがやまる | 2008年2月20日 (水) 10:12
おはようございます。
>石田剛さん
「教育」かどうかはわかりませんが、私は「なまはげ」は、「大きくなれば、ウソだとわかる」のしくみを、うまく利用した躾の例だと考えています。
親や近所の大人がやると、あとあと問題が残るところを、鬼や化け物といった象徴を用いることで、うまくかわしているのではないか、と。
投稿 A-WING | 2008年2月20日 (水) 10:26
皆さん、今日は。
何となく、ですが、J.B.ワトソンの実験の、アルバート坊やを思い出しました。←同じ話だ、と言ってる訳じゃ無いです。
なんて言うか、私は、姑息の効果を期待して、なまはげなりを利用する事には、嫌悪感に近いものを覚えます。と言って、そういうやり方を全部否定したい、という事でも無いんですよね。
うーん、何だか、考えが定まらないです、すみません。
ゲーム脳となまはげとを対比してみると、A-WINGさんが仰るように、なまはげは、事実で無いのがあまりに明らかであるが、ゲーム脳は、「脳」という実体についての主張で、「科学的」なものなのですよね。そこに、大きな違いがある。主唱者がそもそも科学的だと言ってる説ですしね。
だけれど、ゲーム脳をなまはげ側に引き寄せて捉える人も、いる訳ですね。で、ゲーム脳肯定側には、完全に事実だと思っている人もいるので、「事実」と、「学習の道具であって、事実かどうかは問わない」という所が繋がってしまっている、と言うか。
だから、「ゲーム脳が間違いだと後から子どもが気付いたらどうするの?」と言われて、「そんなの、なまはげなんかと一緒だよ。あれもウソでしょ」、と返す人がいるのでしょうね。結局、わずかな共通点だけクローズアップされて、その他の膨大な相違点は捨象してしまうのでしょう。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 13:03
石田さん、こんにちは。
私は、石田さんとはちょっと違います。
なまはげOKですし、ばちがあたるもOKです。
理屈付けするために、昔の宗教社会学の授業から援用します。
「ばちがあたる」というのは、嘘をついて教育することではなく、属する集団の規範として土着宗教に依っているということだそうです。
キリスト教で「神」が出てくるのと同じです。その社会で、何がよくて何がいけないか、今は法律がありますが、昔はその大元となるものが、大体は宗教でした。日本の市井の人は、何でも取り入れて、「ばちがあたる」「お天道様が見ている」「ご先祖様が…」となっているそうです。そんなふうに習いました。キリスト教で「神」に宣誓するというのも「嘘」と否定されるのでしょうか。
「なまはげ」に関しても、「なまはげ」そのものではなく、その集団における信仰に依っているのでしょう。
このようなものは、社会的文化的な物であるので、道徳の規範とは成り得るのではないでしょうか。科学に依るのではなく、人間が創り上げた社会、文化に依るわけですから。不都合があれば変えていける問題です。
ですから、「なまはげ」だけを取り出して、別の集団の子どもの教育に使うというのであれば、違和感が出ても不思議ではないでしょう。
私も田舎で年寄りに育てられたので、OKなんです。
投稿 ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 15:20
連投失礼します。
ゲーム脳の教育効果を考えてみます。
TOSSでも消されたようなので、水伝みたいな子どもの感想が見つかりませんでした。
私の周囲では、ゲーム脳のような教材を脅迫型と言っています。子どもを脅かして言うことを聞かせるパターンです。
ゲーム脳の事例は知りませんが、タバコの学習では、あまり効果がないと言われています。
タバコを吸っている大人のほとんどが、タバコの害を知っているはずです。それでも止められない。大人ができないことであれば、子どもはもっとできないでしょう。
禁煙の動機の一番は、「子どもができたこと」ではないでしょうか。大事な何かを守る、その気持ちが、もっとも有効なようです。
そんな考えで、子どもの喫煙防止教育を考えている先生方もいます。なかなか難しいようですが。
そんなわけで、子どもも大人も、ゲームに嵌ってしまったら、ゲーム脳なんて関係なくなると思います。
したがって、ゲーム脳には教育効果はないと思うんです。
投稿 ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 15:35
たびたびすみません。
よくまとまっていないので、もう一言。
例えば「道路にゴミをすてちゃだめだよ」という、その規範はその社会で醸成されたものですね。でも具体的な根拠は乏しい(今は法律がありますが)。そんなときに「神様」がいれば解決。
「なまはげ」はそれを子どもに伝えるためのメッセンジャー、という感じでしょうか。インパクトがあるぶん、「それをしてはいけないんだ」ということが伝わりやすい。
「ばちがあたる」というのも、「いけない」ということを伝えるための一つのメッセージ。
怖がらせて子どもを操作するというのではなく、子どもに「してはいけない」ことを伝えるセレモニー。
そんなイメージでしょうか。
うーん。うまくまとまりません。なんとかご理解下さい。
投稿 ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 17:12
ドラゴンさん、今日は。
私自身は、なまはげなどが用いら「ている事」には、それほど大きな抵抗はありません。ただ、自分が子どもと接する場合には、どれくらいまで許容するかな、と考えると、ちょっと悩ましいですね。状況によるかも知れません。何か行動を制限する場では、用いる事は無いだろうと思います。
私は、子どもと接する時も、大人に対する時と同じ話し方、態度で、他人との関係性とかそういう所から、きちんと説明しますね。いや、ごく身近の例なので、書いてもしょうが無いですけど。
たとえば、食べ物を残す事を叱る時に、「もったいないお化け」を出す事は無いでしょうね。
ゲーム脳の教育効果、について。
もちろん、正確に把握するには事例の検討が必要である、というのは前提ですが、一応、それは措いて、個人的な考えを書きます。
どの状況にあるか、というのは考慮すべきかと思います。
たとえば、学校で教えられたとして、それについて家庭で情報をどうフォローするか、とか、教えられた年齢はどれくらいだったか、とか。タバコとの比較で言うと、「脳」が悪くなるというアプローチという異なりをどう考えるか、とか。
どのくらいゲームをやっていて、どれくらい思い入れがあるか、というのも考慮すべきですね。
ここで言う「教育効果」はつまり、「比較的低年齢の人」に関して、「ゲームをやらなくなる」、という事ですよね。うーん、どれくらいの効果を及ぼすものでしょうね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 17:23
三つ目のコメントへのレスです。
上にも書いたように、私自身は、石田剛さんのお考えと近いと思っています。
いや、ドラゴンさんが仰る事は、多分解ると思います。解るし、自分もそうやって育てられてきたのです。だけれど、後から振り返ってみると、あれは果たして本当に有効だったのか、というのも考えるのですね。相対化するのに、それなりの苦労もした訳で。
▼▼▼引用▼▼▼
怖がらせて子どもを操作するというのではなく、子どもに「してはいけない」ことを伝えるセレモニー。
▲▲引用終了▲▲
いや、これは多分、どちらか、というのでは無くて、本質的に、両面価値的なものだと思います。問題は、それをどのくらい許容するか、という事じゃないかと。操作をするというのは、多かれ少なかれ、ある事だと思いますし。特に、学校教育の現場のように、大人数が対象だと、一筋縄じゃいかないのでしょうね。
家庭教育と学校教育の場の違い、というのも考える必要があるような。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 17:31
お久しぶりです。私、一時、ゲームで子供に勝つことで父親の権威を示していたかも。
コンピューターとディスプレイを使ったゲームには、われわれが子供の頃遊んでいたボードゲームやカードゲームと比べて、単に高度で複雑でビジュアルだからというだけではない、人をのめり込ませる根本的な要因がありそうですね。
ゲームの話からそれて恐縮ですが、以前子供が買ってきたDSのソフト「マジック大全」には結構感心しました。マジックが何種類か出来るソフトなのですが、マジックの原理的な不思議さにランクを付けるとしたら、恐らくトップクラスでしょう。
しかもその不思議さは、コンピューターとディスプレイが介在することによって初めて成り立つ原理に基づいているのです(少々大げさかな)。
ですから、あまり論理にこだわらない人には「どうせコンピューターなのだからそのぐらい出来てもおかしくないでしょ」ということになってあまりうけないかもしれませんが、「何故そうなるのか」にこだわる人にはきわめて不思議なマジックなので、頭を悩ます友人、知人を見るのが楽しくて私も結構やりました。
すでにご存じかもしれませんが、軽い話題ということで失礼致しました。
投稿 ネット沙代 | 2008年2月20日 (水) 19:12
ネット沙代さん、今晩は。
▼▼▼引用▼▼▼
われわれが子供の頃遊んでいたボードゲームやカードゲームと比べて、単に高度で複雑でビジュアルだからというだけではない、人をのめり込ませる根本的な要因がありそうですね。
▲▲引用終了▲▲
そうですね。インタラクティブ性や、絶妙なタイミングで与えられる報酬(ゲーム内での)等、色々考えられているようです。行動分析などから見ても、興味深いのではないかと思います。
『マジック大全』、内容はよく知らなかったので、調べてみたのですが、なるほど面白そうですね。一つマジックの例を紹介しているのを見つけたのですが、ほー、と思いました。何となく予測は出来るのですが、いや、違うかなあ、とか(笑)
ところで、私は、子どもにゲームで勝つ、って、結構重要な気がしています。養育者が子と同じものに興味を持っている事を子に示して、しかも力を見せ付けるのですものね。それも「コミュニケーション」の一つかな、と。
▼▼▼引用▼▼▼
ですから、あまり論理にこだわらない人には「どうせコンピューターなのだからそのぐらい出来てもおかしくないでしょ」ということになってあまりうけないかもしれませんが、「何故そうなるのか」にこだわる人にはきわめて不思議なマジックなので、頭を悩ます友人、知人を見るのが楽しくて私も結構やりました。
▲▲引用終了▲▲
この部分は極めて示唆的である、と感じました。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 19:38
石田さま
きょう、がっこうのちぇんちぇいにきいたら、げーむばっかりやってはいけまちぇんよ、っておこられちゃいました。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 19:53
そういうやり取りは、やめましょうね。
ご両人に言っています。
コメントは残しときますので。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 20:01
TAKESANさま
私はおこちゃまだし考えに偏りがあるので、この際ゲームを肯定することによって変わりたいと思います。
ゲームのよさを納得したい。それだけで他意はありません。
そういうことで今後の議論の推移を静かにみてまいりたいと思います。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 20:24
こんばんは
ゲームがいいとか悪いとか好きとかとか嫌いとかの話ではないと思います。
問題はある特定のものをスケープゴートにして本質的問題から目をそらす事を志向するロジックを把握する事や、単純に象徴化する行為が、何を見えなくしているのかを意識する事だと思いますが。
ゲーム脳をゲームの肯定・否定だけで見ていては見えてこないのではないでしょうか?
投稿 FREE | 2008年2月20日 (水) 21:17
FREEさん、今晩は。
私の推測ですと、FREEさんが丁寧に書いて下さった文章は、全く正確に読解される事は無いと思われます。今までのコメントの書き方からの帰結ですね。
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あんなコメントを放っておいて、このブログの管理者は寛容だなあ、と思われる方もあるかも知れませんけれど。
逆ですね。
書けば書くほど、というやつです。
------
「よさを納得」したいのなら、ゲームを100本買ってきて、ブログにレポートを書きましょう。
金と時間を掛ける労を惜しんで「納得」だけしたいというのは、都合が良過ぎますよね。
自分がどれだけ失礼な事を書いているのかを認識出来ない状況のようですので、あまり期待は出来ませんけれども。
投稿 TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 22:37
こんばんは。
ちょっと「なまはげ」の話を蒸し返しますが、これについては、どなたの仰る事もそれぞれ一理あるように思えます。私自身の考えを述べますと「条件付で、なまはげOK」となります。ちょっとその辺を説明させてください。
まず、なまはげやその他の民間伝承(例えばドイツの「ザントマン」など)が子育てに一定の役割を果たしてきたのは事実だと思います。しかしそれを「教育」とは呼びたくない。では何かというと「躾(しつけ)」だと考えています。教育と躾があまり区別されない事もあるようですが、ここは区別すべきでしょう(TAKESANさんの仰る「家庭教育と学校教育の場の違い」と類似しているとも思えますが、完全に同じという訳にもいかないようです)。
それでは、躾とは何か。それは「癖を付ける」「習慣にする」事だと思います。ですから、躾けられる側は、その理由を問うてはならないのです。何故なら本質的な意味での是非、善悪、正邪を判断するのは大人でも難しいので、子供にきちんと解る様に説明するのは極めて困難であるからです。加えて、その説明に子供が納得しなかった場合には、もうお手上げになってしまいます。
ですから躾に於いては理由を付けてはいけない。理由は大人になってから各自が考えるべきなのです。どうしても理由付けが必要な場合でも、あくまで方便に留めるべきです。ここで方便という意味は、1)大人になるにつれて自然に剥がれ落ちていき、理由が消滅した後でも習慣だけは残るようなもの、あるいは2)正/誤の判定の枠外に存在する概念である為、死ぬまで信じ続ける事も可能である、そのいずれかを指しています。どちらかがあれば、躾の理由として許容範囲内だと考えます。
おそらく、なまはげにはこの両者が混在しているのでしょう。一方で、ゲーム脳や水伝は、もっともらしい理由を付けているという、まさにその点においてNGな訳ですし、本来「躾」であるはずなのに「教育」のような顔をしている点もNGです。
余談ですが、躾と教育が混同された結果「躾に理由を付さなければならない」と考える人が増えている印象を持っています。その理由として考え出されたのが「他人に迷惑をかけるからいけない」ではないでしょうか。この理由は一見すると良いようですが、実際には上手く機能しないと考えています。何故なら、そういう「躾もどき」を受け続けた結果として、周囲の顔色を非常に気にするにも関わらず、迷惑さえかけなければ(それも自分の限られた想像力の範囲内で迷惑だと感じなければ)何をするのも勝手、という風に考える人が出来上がっている可能性があるからです(あくまで個人的な印象です)。
ちょっと暗くなったので、お口直しに明るい話をしましょう。
先日、男子テニスの錦織(にしこり)選手が弱冠18歳、プロ転向後僅か5ヶ月で国際大会初優勝を成し遂げました。日本男子のツアー優勝は松岡修三さん以来史上二人目の快挙であり、しかも決勝で破った第1シードの選手は世界ランキング12位の強豪でした。松岡さんは錦織選手が小学生の頃から知っているそうですが、そんな松岡さんをして「僕が指導できるレベルの選手ではない」と言わしめた程の才能の持ち主です。
そんな錦織選手はとても練習熱心なのですが、まだ体が出来上がっていないので練習をし過ぎて体調を崩す事もあるようです。そんな折に、コーチから少し練習を控えるように言われた時の錦織選手の台詞とは
「テニスとテレビゲームを奪われるくらいなら、死んだ方がマシ」
だったそうです。
間違いなく日本テニス界最高の逸材と目される人物は、死ぬほどテレビゲーム好きなのですね。
「ゲームなんかやめろ、スポーツをやれ」などと仰るゲーム脳肯定論者に聞かせてあげたいお話、でした(でも、体調管理には気を付けてくださいね)。
投稿 PseuDoctor | 2008年2月20日 (水) 22:41
ちがやまるさん
信仰や習俗としての「なまはげ」については、その人のすきずきですね。石田はそういう人の好みには口出ししたい気持ちはないです。
『「教育」に使うのもコンセプト違い』は、人によって「なまはげ」に期待する物が違うだけで、信仰の対象としている方もあれば、「躾の道具」だと思ってる方もあるのでしょう。
石田としては、「躾の道具」としての「なまはげ」は、好ましくないと考えています。けど、それも石田がそう考えてるだけで、その考えを誰かに押し付けたいとは考えていません。誰に押し付けるのでなくとも、意見を述べることには意味があると考えています。
とりあえず、政府が出す白書で、「躾の道具」としての「なまはげ」を、肯定的に取り上げていることには、政府の主のひとりとして、異存があるので意見を述べたことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070627/1182885891
A-WINGさん
> 親や近所の大人がやると、あとあと問題が残る
> ところを、鬼や化け物といった象徴を用いること
> で、うまくかわしているのではないか、と。
この『あとあと問題が残るところ』に、石田は心当たりがありません。今のところ、石田はそういう問題に気付いていないので、具体的に教えていただければ参考になるかもしれません。
これがわからないので、『うまくかわしている』が、どううまいのか、何をかわしているのかも、石田にはわかりませんでした。
ぜひ、教えてください。
ちなみに、石田は 4歳 と 5歳 の子持ちで、教職など教育の専門家じゃないです。教えを請う立場として、石田が「教育」をどのような立場で考えているのか、明らかにしておきます。
ドラゴンさん
石田は、わが子の教育に「なまはげ」も「ばちがあたる」も使ってませんし、使いたくありません。わが子には『属する集団の規範』に *なぜ従う必要があるのか* を、自分の頭で考えて理解して欲しいと、石田は考えています。
今の法律でも、大昔の宗教でも、『何がよくて何がいけないか』は、一部を除けば、なにか必要な理由があって、その集団の中で合意が形成されたはずだと、石田は考えています。この「必要な理由を」考える能力を、わが子には備えて欲しいと考えています。
石田は道徳の根拠を「なまはげ」や「キリスト」や「神」にではなく、「社会の合意」に求めるべきと考えています。
もし、社会を構成する個人の大多数が、 *なぜ従う必要があるのか* を、自分の頭で考えなくなってしまえば、『不都合があれば変えていける問題』は変えることができなくなります。
あと、いちおう疑問形の文があったので答えておきます。
> キリスト教で「神」に宣誓するというのも
> 「嘘」と否定されるのでしょうか。
いいえ。
投稿 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:08
TAKESANさん
> コメントは残しときますので。
石田としては、残して置いていただく方が良いです。石田は、別に揶揄するとかいった意図はなく、 n_ohsakiさん を子供として扱うべきだと判断したのです。
もちろん、 TAKESANさん が不快でしたら、消していただいてかまいません。
投稿 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:09
FREEさま はじめまして
前回のエントリーにてしばらく書き込みを見送ろうと思いましたが、FREEさまのご見解が気になりました。様々な対象におきましてまさしくその通りかと存じます。それらの構図を明らかにしていきたいと思います。
TAKESANさま
ゲーム脳という似非科学を信じる人をこの世からなくしたい、というご趣旨が根底にある様子と受け取りました。
その意向に沿うような見解が見出せましたらエントリーいたします。
100本のゲームを購入する前の段階で詰まっていますので、そこを何とかしたいのです。
大変失礼かもしれません。
生理的に受け付けないものがありまして、どうすればこれが解消できるのでしょうか?
まずはこのハードルを越えるような知見をお願いいたします。
以前にも暗示という方法があるというようなアドバイスを頂きましたがうまく行きませんでした。
出来るだけ少ないコストにて物事を捉えたいことがあります。
TAKESANさまのご趣旨に添えられない見解はエントリー禁止ということでありましたら差し控えさせていただきます。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 23:29
すいません。typoです。
誤:石田は 4歳 と 5歳 の子持ち
正:石田は 4歳 と 2歳 の子持ち
失礼しました。
投稿 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:41
PseuDoctorさん、今晩は。
>皆さん
私は、子として「育てられた」経験はありますが、自分には子はおらず、従って、「育てた」経験は、ありません。
ですから、この問題について、こうであるべきだ、こうしたらこうなった、という意見は、出来ないのですね。ものを教えた経験はありますが、それは、大人に対してであって、いわゆる(狭義の)「教育」に関しては、想像でしかものを言えない立場です。自分ならこうするであろう、というのは、こういう文脈では、あまり意味が無いと考えています。
------
>PseuDoctorさん
>テニスとテレビゲーム
テニス”と”テレビゲームなんですね。素敵です。
やわらかい身体を保ったまま、頑張って貰いたいですね。周りの大人が逸ると、壊してしまいかねないので、慎重にやって欲しいものです。
------
>石田剛さん
ああ、いや。コメントを残す、って、石田剛さんのコメントの事じゃ無いですよ。
ちなみに私は、自身が不快であるという理由のみでコメントを消す事は、あり得ないです。「ただ無意味」なコメントは消す可能性があるので、その事について書きました。n_ohsakiさんのコメントは、ほとんどが「ただ無意味」だが、残しておきます、という意味です。
------
ゲームやってレポートを、というのを冗談で書いた、とでも思われたのでしょうかね。
まあ、簡単に言うと、
そんなコメントを書く時間を、今興味を持つ対象について調べる時間に充てたらどうでしょう、という事なんですけどね。
やっぱ、ここのブログの管理者は、かなり寛容なのかも知れない。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 00:19
こんばんは
今ひとつふたつ伝わっていないようです。
釣られているのかいないのかいまいち釈然としませんが改めて書きます。(改めてってなんだかえらそうですね)
ゲーム脳について検討をする事については、ゲーム自体への評価は全く必要ありません。好きでも嫌いでも経験していなくてもゲーム脳を検討する事に支障はありません。
ゲームを行う事によって、ゲーム脳という現象がおこるという主張がどのような内容であり、現象の確認はどのように行われたかを把握する事から始まります。そしてゲーム脳の原因たるゲームにはどのようなゲームが含まれ、どのようなゲームが含まれていないのかをどのように選別しているのかを検討してください。全てはその後です。
もしこれが、ゲームという文化への理解であるならばゲームを行う事にフィールドワークという意味において意味はあります。ただこれも十分条件ではありますが必要条件だとは思いません。他の文化的な事柄に対して経験しなければ概要を把握できない訳ではないからです。
もちろん経験しなければわからない事があるとは思いますが、経験しなければ概要すらつかめないという事柄は少ないと考えています。
n_ohsakiさんは前者と後者どちらがしたいのでしょうか?
投稿 FREE | 2008年2月21日 (木) 01:31
n_ohsakiさんは、FREEさんのコメントを何度も読んで、よく咀嚼、反芻なさって下さい。
他人に説明するために思考のリソースを使う、という所に思いを馳せるのが肝要かと。実際、これだけ(以前のエントリーのコメント欄含め)丁寧に説明されている、というのは、n_ohsakiさんのコメントの内容を鑑みると、奇跡的な事なのです。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 03:37
石田さん、みなさん、こんばんは。
石田さんのところに書こうと思いましたが、PseuDoctorさんのお考えに近いかなと思いましたので、もう一度ここに書きます。
TAKESANさん、脱線してすみません。
教育観の違いでしょうから、正しい、正しくないでではなく、お互いの主張と言うことで。
私はご飯を一粒も残すのはいけないと思っております。まあ、育ったところが田舎ですし、祖父母もまわりもお米を作っていましたから、大切にしようという、そういう背景と規範があったわけです。
それで、お米に七人の神様がいるとも言われましたが、それを信じたわけではありませんが、お米は大切にしなければいけないと体に染みついています。
お米を一粒も残さないということには根拠は無いんです。昔とは事情が違います。今の状況で子どもに理由を考えることも難しいでしょう。
だから、こういうのは、やはり理屈抜きですね。子どもが、「誰にも迷惑をかけない。植木の肥料にしてゴミにもしない」と言われても、やっぱり嫌です。
親の価値観を押しつけるなとも言われるかもしれませんが、幼児に自分で判断できるわけもなく、理想をもつこともできませんから、親としての理想があって、そういう子どもに育ってほしいと思うのは、自然かと思います。
同様に、私は本や新聞を踏むことができません。祖父が「文字は智恵を与えてくれる大事なものだから」と跨ぐことも許されませんでした。それこそ「ばちがあたって勉強ができなくなる」的に育てられました。
本を踏んでも、誰にも迷惑をかけませんし、勉強ができなくなることはないでしょう。そういう規範ができた背景は、今の時代とはまったく違うことです。
それでも、私は子どもに本を踏んでも平気でいてほしくはないんです。
みなさんにも、そういうことの一つ二つはないでしょうか。実際に、そう育てられても「お米の中の神様」を信じるわけでもなく「ばちがあたる」ことを信じてるわけでもありません。そのあたりについては、まっとうに育ったと思います。
ここにいるみなさんもそうではないでしょうか。
「ばちあたり教」みたいな新興宗教ができて問題を起きれば、その話については変更が可能です。人間が創りだしたものですから。
こういうところは、水伝やゲーム脳とは違うところで、一緒にする必要はないと思っております。
投稿 ドラゴン | 2008年2月21日 (木) 18:27
>石田剛さん
人が恐怖を与えれば、子供は人を怖がり続けるかもしれません。人はいつまでたっても人ですから。
しかし「なまはげ」の場合、子供の成長によって、それは恐怖の対象ではなくなってきます。
子供にとっては、なまはげは人ではないというところが、ポイントだと思います。
投稿 A-WING | 2008年2月21日 (木) 18:27
ドラゴンさん、A-WINGさん、今晩は。
「脱線」、という所については、お気になさらずに。私も、参考にさせて頂いています。
ただ、これはドラゴンさんも仰って下さっていますが、こういう話は、個人の教育観に関わる事で、一般論に拡張するのは、かなり難しいと思います(そこまでいくと、「科学」の話になるので、この場で収拾が付かなくなりますので)。そこの所は、ご配慮願います。
ご飯を残さない、という話題について、個人的な経験を。
私は、ご飯を残さない云々については、「農家の人がせっかく作ってくれたものを残すのは失礼だ」的な教えられ方をされて、それを受け容れたと思います。
躾は、初めの内は、「有無を言わさず」(←当たり前だけど)で、言葉が解るようになれば、合理的に理由を説明する、というのがいいんじゃないかな、と、個人的には考えています。…うーん、これは、自分が子どもの頃からそういう(合理性を求める)精神性だったから、なのかな。
やっぱり、石田剛さんのお書きの事に近いかな。世代とかも関係するのだろうか…。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 19:48
私も、文字は踏めません。それで近頃、近くの駅の改札を出たところの地面に大きな文字で行き先情報が書かれたのにとまどっています。
「なまはげ」の運ぶメッセージは、言葉にするなら「村で生きる覚悟」「祖先/歴史との一体感」というものであって子は親の嫁は姑の言うことを聞けというような「(封建的な)規範」なのではないだろうと考えています。これは地元の人に聞いても「規範だ」と言うかもしれませんし微妙なところが残るのも事実で、これにこだわっては本来の「ゲーム脳」の話から外れてしまいますので、もう引っ込めることにします。
私は小さな子供にも説明はしたほうがいいと思います。「ここはお話をしちゃいけないところなんだよ。面白くなかったら寝てもいいからね。そのときだっこしていてほしかったら抱っこはしてあげるから。がまんできなかったらそっと教えるんだよ、お父さんが一緒に出てあげるから。」と当時3つくらいだったチビにいいふくめておいたところ、もののけ姫は抱っこまでですみました_V
投稿 ちがやまる | 2008年2月21日 (木) 19:51
ちがやまるさん、今晩は。
え、そういう文字まで踏めないのですか。それは凄いですね。
後半、微笑ましく、心温まるエピソードであります。
あー、そういえば、子どもを叱る親が、明らかに、子どもの語彙に無い言葉を使って怒鳴り散らしてるのを、見かける事がありますね。あれはダメです。周りの人間が、すこぶる不快になるし。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 20:08
ドラゴンさん
石田は現代の日本においても、「お米を一粒も残すべきでない」と教える根拠が有ると考えています。
石田も幼児が判断することは期待していません。けど、考える練習はさせているし、させるべきだと考えています。
石田は本を踏まないし、わが子にも本を踏まないように教えています。そのときは、なぜ踏んではいけないか必ず話しますし、子供に「なぜだと思う?」と問いかけたりもします。
石田は、わが子にこれらのことを教える上で、「なまはげ」や「ばちあたり」という概念を必要としていません。
A-WINGさん
石田がおたずねした『あとあと問題が残るところ』の件は、教えていただけないのですね。残念です。
あと、石田は今でもオバケが怖くて、暗いところが苦手です。
投稿 石田剛 | 2008年2月21日 (木) 20:59
FREEさま、ご丁寧にありがとうございます。
まずは、
「ゲームを行う事によって、ゲーム脳という現象がおこるという主張がどのような内容であり、
現象の確認はどのように行われたかを把握する事から始まります。」におきまして、確認をさせてください。
ゲームの解釈として、次のような種類があります。
・野球やテニス、サッカーなどのスポーツゲーム
・トランプや花札、将棋、囲碁などのゲーム
・インベーダーゲームやテトリスなどの反応系ビデオゲーム
・人生ゲームというようにある規則にしたがって生活すること
次に現象の確認方法は次の通りです。
・自覚現象
つまり自分で嬉しい、楽しい、辛い、疲れる、ぼーっとしていると自覚すること
・他覚現象
つまり他人からみて、楽しそうに見える、辛そうに見える、疲れているように見える、ぼーっとしているように見えること
・現象の捕捉方法
自己申告、他人からの評判、脳波やfMRI、PETなどにより脳の賦活・不賦活の状態を計測するなど測定機器を使う方法。
いずれのゲームをやっても、いずれの現象も可能性として起こりますね。
ゲーム脳というのは、どちらかといえばネガティブな現象に捉えられるのではと思います。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月21日 (木) 21:09
こんばんは。
n_ohsaki さんのエントリーを読むと、大変な思い違いをされているように思います。
http://n-ohsaki.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4164.html
n_ohsakさんがお書きになっているブログとは、TAKESANさんのこのブログのことでしょうか?
投稿 corvo | 2008年2月21日 (木) 23:05
皆さん、今晩は。
躾については、これで仕舞いとします。よろしく>皆さん
------
>n_ohsakiさん
質問。
森昭雄著 『ゲーム脳の恐怖』は既読ですか?
この質問には、答えて下さい。
やっぱり、FREEさんのコメントをちゃんと読んで無いですね。引用してるのに、書かれてある事とは全く違う事を言っておられるのは、凄いですね。
まあ、何と言うか。
その内容をここに書いてどうするの、という感じです。ブログに見解を纏めてTB送るなりなされば良いのに。止めはしませんが…(あまりにも続くようだと、何か考えますので、よろしく)。
------
corvoさん、今晩は。上の文を書いた後に、corvoさんのコメントが入っているのを見つけました。
あ、ありがとうございます。それは読んでいませんでした。
うーん、多分、私のブログの事じゃ無いですね。後半には、私が書いた文章と同様のものが紹介されていますが、恐らく、別所に、似たような事を書いた方がおられたのでしょう。
と言うか、物凄く読解しにくい文章で、どの語がどこに、誰に掛かっているかが、さっぱりです。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 23:19
で。
n_ohsakiさんがお書きのエントリーにある、「ある方のブログ」って、ここの事ですか?
全く言った憶えも考えた事も無い話も書かれてるので、違うとは思いますが、一応、確認させて下さい。
投稿 TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 23:35
corvoさま、はじめまして。
今晩のエントリーは特にTAKESANさまのブログについて書いたわけではありません。自分を含めそういう傾向にあるようなことが幾らか見かけたので書き残しておきました。
TAKESANさま
森氏のゲーム脳の恐怖は5年ほど前に読みました。
あまり良く覚えていませんが、検証方法に問題があるというのは認識しております。
まだFREEさまと議論したことがないので、確認の意味にて書きました。
TAKESANさまは、ゲーム脳の是非についてすでに議論は決着済みとなっていて今更何だ、というお気持ちかと存じますが、そうでしたら止めますね。
ただまだオープンとなっているFREEさんとの議論は継続してよろしいでしょうか?
投稿 n_ohsaki | 2008年2月21日 (木) 23:39
私は過去に、なまはげツアーの様子をTVで見ました。
「親の言うことを聞かない子供」を連れたツアー客が、参加していました。企画者が親と事前に、「親の威厳を子に印象付ける手立て」の打ち合わせしていました。
私はその時、なまはげツアーは「その地域の素朴な祭り」の延長なのかなと、勝手に思い込んでいました。
その後、「ゲーム脳」の存在を知りました。その説明はまさに、痛恨の一撃でしたorz。
「ゲーム脳となまはげの違い」
あの時のなまはげを、科学的に説明していたという事実を、現時点では私は知りません。あの子供が後で、なまはげが存在しない事に気がつくのは、おそらく容易でしょう。「ああ、私のわがままが酷くて、親はなまはげに頼ったのだな。」とすぐに思い当たれる事と、考えます。
一方ゲーム脳は、一見すると科学的に見えるので、疑問に思わない人はしばらくの間、その概念に振り回されてしまう可能性が高いです。
二択ならば、私自身はあの「なまはげ」に頼ろうと思います。
ゲーム脳のその「効能と副作用」を鑑みれば当然です。私は、ゲーム脳を推す人には一切与しません。一方的に、「自身の価値観をゲーム脳に重ねて主張される事」に、辟易しているからです。
ただしゲーム脳肯定者が、「先日、『なまはげと一緒に学ぶゲーム脳見直しツアー』を開催致しました。」と言い始めた時は、その限りではありません。
ところで大変重要な箇所なのですが、ここで言う「痛恨の一撃」とは、ギガントスの「挨拶」のことです。(なまはげの遠い親戚に当たります)
投稿 TAKA | 2008年2月22日 (金) 00:06
何だか、少し勘違いなさってるみたいですが。
n_ohsakiさんとFREEさんのやり取りは、「議論」などではありませんし、そうはならないでしょう。
もちろん、やり取りはご自由にやって頂いて構いません、今の所は。ただ、FREEさんが応じて下さるかは判りません。FREEさんがお付き合いなさる義理も無いです。
一応言っておきますが、「議論」というのは、意見のレベルが対称であって初めて成り立つものです。
言い回しが曖昧で、今一つ判然としませんが、私のブログの事では無い、という事ですね。説明を頂き、ありがとうございます。
という事なので、よろしくです>お読みの皆さん
もう一回訊きます。
一体、ここで、「何を主張したい」のですか。
そして、それをこの場に書く理由は何ですか。
ところで、森氏の検証方法には、どういった問題があるのでしょう?
------
TAKAさん、今晩は。
ゲーム脳の大きな問題はやはり、「科学を装っている」、という所でしょうね。これは、ゲーム脳カテゴリーでも色々書いたのですが、一言で言って、「脳がぶっ壊れる」という主張ですからね。で、脳が精神の座であるというのは、日本のような科学の発達した社会に住む人間なら、ほとんど知っているのですよね。
後は、明確に言って、「ゲームに関わる人々を傷付ける」、という事でしょうね。
これにはいくつか意味があって、一つは、ゲームを好きな人が精神的にダメージを受ける、という可能性。子どもだと顕著かも知れません。
もう一つは、いわれの無い説を流す事で、対象についてのイメージを破壊し、不当な社会的認知を形成する、という可能性。やれば脳を破壊される文化だ、と言われている訳で、これは、物凄い主張なのですよね。
>ギガントス
ドラクエ的には、「ギガンテス」ですね(笑) 彼らは、つうこんのいちげきも多いけど、ミスばっかり。
投稿 TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 01:23
TAKAさん
> 二択ならば、私自身はあの「なまはげ」に
> 頼ろうと思います。
石田ならその二択は「両方なし」ですね。
石田は「ゲーム脳」は「なまはげ」よりもっと大嫌いです。
まぁ、「ゲーム脳」と「なまはげ」とどっちがよりダメかと聞かれたら、『どちらかといえば「ゲーム脳」』と答えるかもしれません。これはそのとき問題になっている評価軸によって、どちらがよりダメかがちょっと変わるだろう考えているからです。
「躾については、これで仕舞い」とのことなので、もしまだ続けたいという方がいらっしゃれば、こちらへどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20080222/1203624196
投稿 石田剛 | 2008年2月22日 (金) 05:20
石田剛さん、今日は。
私なら、「その二択しか無いという状況が想像出来ない」、となるでしょうね(TAKAさんごめんなさい)。
ゲーム脳となまはげの違いは、上にも書いたように、なまはげは閉じていて、ゲーム脳は色々な所に「繋がっている」、という事だと思います。しかも、科学を装っている。
投稿 TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 11:40
なんだか楽しそうですね!
コメント欄のやりとりを読ませていただいて、思い出したことがありました。
学校でカビのことを習いまして、家に帰って、家にあった苔むした石(カビでないんですが笑)をこれはきれいにせんといかんと思ってゴシゴシとタワシで洗って磨いてしまったことがあります。「おかあさん、きれいにしといたよーさっぱりー」と言いにいったら、ものすごく複雑な表情をされたことがあります。怒られはしませんでしたが、「これはまずカビじゃない」といわれ、そのあと理科の百科事典を書ってもらって勉強しろといわれました。さらに「苔むした石」というのは「きれいだな」と思う価値観があることを教えてもらいました。それは「紅葉」みたいなものだといわれました。わざわざ苔をはやすことに価値を置く人がいるということを知って子供ながらに驚愕しました。「きれいと思え」といわれたわけではありません。後年、小学生のときに、その百科事典の写真を切り抜いて夏休みの自由研究作ったら、これは怒られました。私としては「新聞切り抜いてるじゃん!」と判断したわけですが、そんときは素直に怒られておりました(笑) きっと頭にきたんでしょうね。「写真撮りにいくの手伝おう」もしくは「写真撮りにいくの手伝って」といってくれるか、いえば、よかったのではないかと思います。
投稿 安原 | 2008年2月22日 (金) 11:48
内容の濃い話で盛り上がっているときに脱線の部分だけを引っ張って申し訳ないのですが、このソフトの中で私が一番感心した原理についての説明を書き忘れたので(汗)、そこだけ補足させて下さいね。
>一つマジックの例を紹介しているのを見つけたのですが、ほー、と思いました。何となく予測は出来るのですが、いや、違うかなあ、とか(笑)
これを書くとわかってしまうかもしれませんが、実は、銀行の自動振り込み装置なども含め、コンピューターのディスプレイ操作の約束事に慣れている人達にとっては、それが盲点となってタネがわからないのです。「どうして(何も怪しいことはしていないのに)私の選んだカードがコンピューターにわかっちゃうの?」ということです。
仮にこういったディスプレイ操作について一切知らず、しかも非常に論理的な人がいたとすると、むしろその秘密にたどりつきやすいでしょう。もしくは、常識というものを一旦白紙に戻して考えてみるミステリーマニアなら盲点にならないかもしれません。
投稿 ネット沙代 | 2008年2月22日 (金) 11:57
安原さん、今日は。
あー、そのエピソードも、示唆的ですねえ。安原さんのエピソードは、示唆的で、実に楽しいです。スイミーとか(いや、ご本人はそうでも無いんでしょうけど…)。
百科事典の写真を切り取るという発想は無かった…。ああいう上等の紙は切ったりしちゃいかん、というのが刷り込まれていたかも。
------
ネット沙代さん、今日は。
いえいえ、全然構いませんので、お気遣い無く。
知識が邪魔をして、もっと合理的・論理的な所に思考が巡らなくなってしまう、という事は、ありがちですよね。大人が悩んでいる問題を子どもが一瞬で解いてしまう、とか。
犀川先生ならカッコ良く説明してくれそう(笑)
投稿 TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 12:33
>石田さん
>『あとあと問題が残るところ』
は、
>子供は人を怖がり続ける
ということです。
投稿 A-WING | 2008年2月22日 (金) 18:09
TAKESANさま
目的は、私が述べた意味でのゲーム(ビデオゲームだけではありませんよ)を肯定的に考える方法を伺うためです。
検証方法に問題があるというのは、その知見をどのように用いいれば有意なのかさっぱり判らない、という意味です。
ゲーム(ビデオゲームだけではありません)をネガティブに喧伝してゲームの胴元側の人を傷付けるのと、ゲーム(無論ビデオゲームだけではありません)がうまく出来なくて傷付くのといずれもあるわけですが、いかがでしょうか?
まだFEEEさまとのやり取りでは視点が揃うところまでいっていませんね。もしよろしければお付き合いいただけるでしょうし、そうでなければ放置されます。それはいたし方ありません。
少しずついきましょう。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月22日 (金) 22:41
A-WINGさん
石田は今のところ、わが子を教育するために、子供を怖がらせることを必要としていません。将来必要になるとも考えていません。
どうやら、この『あとあと問題が残るところ』は、石田はそれほど心配しなくて良いようです。石田は、このことをとてもありがたいことだと思っています。
投稿 石田剛 | 2008年2月22日 (金) 23:28
皆さん、今晩は。
>n_ohsakiさん
他人のブログのコメント欄である、という事くらいは、意識しましょう。
以下、段落毎に(「目的は~」を、1段落目とする)。
・1段落目
意味が全く解りません。
・2段落目
おかしな文章です。検証方法の不備を訊かれているのに、知見の用いられ方の話が出てくるのは、変では。森氏の研究の何がまずいか、という事ですよ。
・3段落目
詭弁です。「うまく出来なくて傷付く」、などという普遍的な現象を持ってくる意味が解りません。「ゲーム」の部分に、「スポーツ」でも代入してみましょう。
・4段落目
それを他人のブログのコメント欄で書ける所が凄いです。
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まずゲームをおやりになれば、と言いましたよね。訊かれて答えたのに、それを受け容れるようなコメントは皆無ですね。要するに、「何も考えていない」のでは?
一応書いときますが、まずゲームをやってみれば、というのは、「本気」ですよ。
○△□という作家の良さはどうやったら解るか、と問われれば、その人が書いたものを読むように、と言われるのは当たり前だと思うんですけどね。
結局、見くびっていますでしょう? 色々と。
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お仕舞い、って言ったのにね。
その調子でやり取りを続けて、どうなります?
もう一回書きます。
躾の話は、終わりです。自分の所はこうだった、的な体験談とかは構いませんけれどね。参考になるし。
投稿 TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 23:47
こんばんは
n_ohsakiさん
どのような書き出しをしたら良いか悩みますが・・・。私の書いた1度目と2度目を読まれたのですよね。
1度目の内容はゲーム脳は好き嫌いという文脈から読み解くものではなく、ゲーム脳という科学者の発した論の構造やバイアス検討しなければゲーム脳の問題点はわからないという内容です。
2度目の内容は2つにわかれており、ゲーム脳について検討したければ、森教授の主張するゲーム脳を把握し、ゲーム脳を起こすゲームと森教授が選択しているゲームに対するバイアスを考えましょうという話が前半です。後半はn_ohsakiさんのお話がゲームに対するものとゲーム脳に対するものが混乱してひとつの話の中に纏まってしまっており不明瞭なので、確認をするために書きました。
ところがゲームを肯定的に考える為にゲーム脳の話をしたいとおっしゃる。2度目の内容で分離するようにお話したつもりでしたが、書き方が悪かったのかお分かりいただけなかったようです。
そして文化として概要を理解するでもなく「肯定的に考える為」とはいかなる事なのか捉える事ができません。
否定的なものでもでも仮定として肯定的に検討する事は可能ですし、だとするとこの「肯定的に考える」は極めて感情的なものからの発露として見る事以外に私には考えられませんが、だとすれば嫌いなものを好きになりたいという事のみでしょうか?
少しきつい書き方になりますが、本当はゲーム脳に関してあまり興味をお持ちではないのではないですか?
ただ単にゲームが好きな人がゲーム脳のニセ科学性を批判する事から、ゲーム脳を批判的に見れればゲームが好きになるという、あまり好きではないゲームを好きになる手段としてゲーム脳の話をされたのではないかと見えるのですがどうなのでしょう?
だとすれば欺瞞でしかありません。
TAKESANさん、コメント欄に少し感情的に書いてしまい、失礼しました。
投稿 FREE | 2008年2月23日 (土) 00:47
TAKESANさん
前回のコメントが感情の抑制が足りないと判断された場合は消してください。
投稿 FREE | 2008年2月23日 (土) 01:08
FREEさん、今晩は。
いえ、極めて冷静な書き方だと思います。
あからさまな誹謗や無意味なコメントで無い限りは、削除はしませんので、お気遣い無く・・。
n_ohsakiさんは恐らく、ゲーム脳について、ほとんど理解しておらず、しかも、理解しようとすらしていないと思われます。
そもそも、ゲーム脳の話なのか、それとも他の話をしているのかすら、全く判然としないのですよね。コンテクストが全然考慮されていない書き方。
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ああ、そうだ。
n_ohsakiさんは、
▼▼▼引用▼▼▼
検証方法に問題があるというのは、その知見をどのように用いいれば有意なのかさっぱり判らない、という意味です。
▲▲引用終了▲▲
こういう事を書かれましたね。
確か、化学物質過敏症とゲーム脳を繋げるような主張をなさっていたと思うのですが、それについて、問題を切り離して考えるに至った、と判断して良いのかな…。
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補足。
当ブログの管理者によるゲーム脳についての考察は、「ゲーム脳」および「ゲーム論」カテゴリーに、書いてあります。ある程度の事は、言い尽くしたと思いますので、私がゲーム脳説についてどのような認識を持っているか、というのを参考にする場合があれば、エントリーを参照なさるのが良いかと思います。
過去のエントリーへのコメントも歓迎なので、よろしくです。
投稿 TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 01:36
FREEさま
ご丁寧にありがとうございます。
私自身ゲーム脳をビデオゲームに限らず色々な意味でゲームをすることによって事後的に倦怠感や疲労、酩酊を催して、そのときの脳の状態を指し示しているものと捉えております。
森昭雄氏も趣旨として私と同様なことを言われたいのかと思われます。彼はそのためにご自身で脳波測定装置を作成され結果として彼の云わんとしている結論に導きだそうとされています。
その導出方法が、科学一般的に無理がありこじつけがあるというように伺っております。
森氏以外にも、fMRIや光トポロジーなどの実験にてゲームを長時間やることによって前頭葉の活性度が低下するということも聞いています。川島隆太氏もそういう実験データをお持ちかと思われます。
私自身、自覚症状で森氏の主張される結論と類似していますので、あまり彼の実験内容について云々議論することに興味がありません。
あくまで自覚症状があるのでそこが気になっています。
同じケーキを食べておいしいという人もいるしまずいという人もいる、温泉に入って気持ち良いと言う人もいればそう感じないという人もいる、滝のそばに立って気持ち良いと言う人もいるし感じない人もいる。またパワースポットに行って感じる人もいるしいない人もいる。それぞれの主観的体験が違うわけです。
それぞれの主観的体験に対して科学的にどうだとはいえないはずです。それぞれの主観的体験に科学的根拠がないといって否定はしないはずです。
ビデオゲームも好き嫌いがあるでしょう。
嫌いなヒトが、害があるとある科学的な説明をつけて否定に拍車をかけることが問題視されているのでしょう。ビデオゲームの胴元にとって不快となります。
以上がビデオゲームに関する私の見解です。
そして世の中ビデオゲームに限らずゲーム的要素があります。そのゲームが主観的に厭でも拘らざるを得ないことが多いのです。
そこで、嫌いなものでも好きになる方法はないものだろうかと考えた次第です。
欺瞞といえば欺瞞でしょうけど欺瞞も時には必要ではないでしょうか?
これで意味は通りましたでしょうか?
投稿 n_ohsaki | 2008年2月23日 (土) 01:56
▼▼▼引用▼▼▼
私自身ゲーム脳をビデオゲームに限らず色々な意味でゲームをすることによって事後的に倦怠感や疲労、酩酊を催して、そのときの脳の状態を指し示しているものと捉えております。
▲▲引用終了▲▲
あれほど、原典か私が書いたもの(←森氏の文章を引用してあるので)を読んで下さい、とお願いしたのに、全く聞き入れる気は無いようですね。
あまりにもどうしようも無いから、ここに置きます。
以下、引用文献は、森昭雄著 『ゲーム脳の恐怖』
▼▼▼引用▼▼▼(P25)
「前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。」
▲▲引用終了▲▲
▼▼▼引用▼▼▼
「子どもはテレビゲームをする習慣がつき、麻薬と同じようにやめられなくなっていきます。やがて、子どもの前頭前野の働きは低下し、動物脳と呼ばれる古い脳である大脳辺縁系に対して、常時動物的な行動に出ないようにする抑制がかけられなくなってくるのです。」(P155)
「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(P158)
「テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性がつくられないことになるのです。」(P175)
▲▲引用終了▲▲
これも参考に⇒http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/game_brain.html
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_85db.html
投稿 TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 04:08
スイミーを「みんなで集まれば怖い」って解釈した話ですよね(笑)
あの話は、あとあと考えてみると、まず大きな魚からしてみれば、あたりまえのことをやってるんですよね。くじらの狩りなんかを考えるとわかりやすいですが、わざわざ小さな魚を集めて狩をするわけですね。大きな魚からしてみると効率的だし、小さな魚からしてみれば食べられる確率を下げるってことですよね。日本の国語は「道徳的過ぎる」と批判する方もいますし、そうだなと思うこともよくあります。私にとっては科学的知識というのは、「その解釈は違う」といわれたときに、物事を違った面から解釈できる武器でもあったように思います。そしてフィクションはフィクションと楽しめるようになりました。教育実習行ったときに、そういう子供もなかにはいるんですよね。でもそういった子供が決してひねくれてるわけじゃなくて、本人にしてみれば、合理的に考えている場合もあるんだなあとは思うこともありました。「科学」的思考を強調すれば、「子どもらしい夢がない」という方もいますが、遊鬱さんのところのコメントで書いた「蚊」だって、「なんで蚊に刺されたら痛くないんだろう」という、子供できる発想からインシュリン用の針ができますよね。「小さな虫かわいそう」とか「小さな虫汚い」という発想からだけでは出てこない発想なんじゃないかなあと思います。
投稿 安原 | 2008年2月23日 (土) 10:13
安原さん、今日は。
道徳の授業とかって(スイミーは国語だったかな)、「いかにもいい話」的なのがありますよね。でも、そういうのを懐疑的(と言うと大袈裟か)に見る子どもなんて、結構いる訳ですね。
まあ、自分がそうなのです(笑)
自分自身は、「科学」については、どちらかと言うと、ネガティブな印象を持っていました。もちろん、マスメディアの報道であったり、フィクションで科学者がワルモノとして戯画化されていたり、という理由からだと思います。
スイミーでちょっとググったら、私と全く同じ事考えてた方がいました⇒http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC274.HTML
やっぱそう思いますよね(笑) いや、当時にそう考えたかどうかは、もはや定かでは無いですが、これ程度に気付く小学生は、いくらでもいそうです。ビジュアル的にものを考える子ですね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 12:36
ところで、スイミーの話から、「一心同体は怖い」と感じるセンスは、結構凄いですよね。先生からすると、意外なのでしょうね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 12:39
リンク先のは受けました(笑)なるほどー立体的に見るんですね。
私はスイミーに関しては国語で「作者の気持ちになりましょう」的に教わりますよね。
単純にレオ・レオニの絵がグロテスクに見えたんですよね。私も気持ち悪かった。
だから作者は「一心同体は怖い」っていいたいのかなあーと思ったように思います。
苔の話もそうですね。言うこと聞いて誉めてもらう気満々なのにあれ?みたいな(笑)
大学の実習先で「世の中に不必要なものを考えましょう」(で、いろいろと調べるという)という
別に答えがない研究授業みたいなのがあって、
ある子供が「ネクタイ」っていったんですよね。
あーなるほどーとけっこう考えましたね。
当時調べたら(ほかの説もあるのかも)、「ボタンは服装の格としては下でそれを隠すためのもの。だからカフスボタンやくるみボタンと意味は同じ」みたいな話だったような。
「必要か必要じゃないか」っていわれると困りました(笑)
投稿 安原 | 2008年2月23日 (土) 13:21
私がスイミーに感じたのは、「それだと、横からしか魚に見えないじゃないか。マグロは、そんな都合の良いポジションにいるの?」でした。さすがに、子どもの頃にはそこまでは考えなかったかな。
子どもだから、社会的な論理には気付きにくくて、より物理的な所に思いを馳せる事が、あるのかも知れません。
↑
もちろん、教材としての有用さについて言っているのでは無く、こう考える人もいる、という事ですね。
子どもが、「せんせー。まぐろがまえのほうからみたらどうなるんですかー。」なんて質問したら、どうなるのかな(笑)
ああ無粋。ああ野暮。
「世の中に不必要なものを考える」って、凄まじく難しい課題ですよね。子どもからすると、色んなものが、必要とは思えないでしょうしね。
投稿 TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 14:03
TAKESANさん。
こんにちは。
あまりに面白い話題なのでつい仲間に入れて欲しくて書きます、、、
道徳ではないのですが、
我が子は小学生のとき、国語の問題にいつも悩んでいました。
「棒線の箇所は作者が