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2008年2月18日 (月)

ゲーム脳の説明

興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ

これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。

「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」

「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」

これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。

悩ましいなあ。

そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。

自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。

スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。

冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。

※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。

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コメント

> 自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

 「止めたくない」と思うような「自分の好きなもの」が無いように見える人も、世の中にはそれなりに存在するようで、そういう場合は問題がもっと複雑ですよね。

投稿: newKamer | 2008年2月18日 (月) 10:21

newKamerさん、今日は。

そうですね。入れ替えられるようなものが無い場合と、あっても、それをゲームと交換するのに抵抗する場合と、ある気がします。だからこそ、ゲーム脳に飛びついてしまう、という事なのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 12:12

エントリー上げるまでも無いのでここに。

昨日、某ブクマNで、こんなのが(PDF)⇒http://www.city.kure.hiroshima.jp/~gohs/pdf/02-gakkousyoukai/tayori10.pdf

▼▼▼引用▼▼▼
おそろしい・・・「ゲーム脳!」
数年前から「ゲーム脳」のことが,新聞や雑誌でよく取り上げられています。
脳の中に,35%をしめる前頭葉の中に前頭葉前野という部分があるそうです。
ここは,記憶,感情,集団でのコミュニケーション,創造性,学習,感情のコント
ロール,犯罪の抑制を司る大切な部分だと言われています。
この司令塔が,ゲームや携帯メール,過激な映画やビデオ,テレビに熱中しすぎ
ると,働かなくなり,「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるそうです。
(東北大の川島隆教授による)
▲▲引用終了▲▲
もう、どこをどう突っ込んでいいのやら。何重にも間違ってるし。いや、まあ、名前は単なる脱字なんでしょうけどね。
ゲーム脳が川島氏提唱であるという誤解は、ある程度広まってるかもね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 12:38

TAKESANさん

リンク先⇒http://www.city.kure.hiroshima.jp/~gohs/pdf/02-gakkousyoukai/tayori10.pdf

のTAKESANさん引用部分の下のカコミ中

>「ゲーム脳」は,感情のコントロールがきかず,キレやすくなるのです。
さらに,学校では居眠りが多くなるなどの兆候がたくさん見られるようになります。これは,要注意のシグナルと見てよいと思います。

とありますが、「学校で居眠り」の記載が気になりました。
自分が小学生だったころは居眠りをしている同級生はいなかったと思うのですが(というより小学生のころは学校で眠くなったりしなかった)、最近の小学生様はよほどお疲れなんですかねえ。

投稿: Noe | 2008年2月18日 (月) 13:09

Noeさん、今日は。

そうですね。私の頃も、小学校で居眠りは、無かったですね。そういうのに、ゲームのやり過ぎが関係している、というのは、考えられなくも無いですよね。いや、別にゲームで無くとも、何でもいいのですが。何かをやっている、というより、一般的に「夜更かし」が原因と捉えるのが、妥当かな。
夜中にコンビニで、子どもが連れられているのを見て、夜更かしさんだねえ、と思う事は、しばしばあります。

個人的には、外で遊ぶ比率をある程度に保っていた方が良いと考えています。疲れれば、寝ちゃいますしね。さすがに、3時間も4時間もゲームしたりはダメですね。たまにはいいかも知れないけど。

投稿: TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 13:40

>これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。
我が家でも、十分実感しております。ホントを言うと、ゲーム脳にもすがりつきたいような気持ちがあります。
ただ、それをやると、マンガ脳、テレビ脳、何でも頼らざるを得なくて、自分での教育を放棄するようなものですね。
嫁さんは、ビール脳を提唱したいような雰囲気が最近はあります。

投稿: ドラゴン | 2008年2月18日 (月) 19:04

実際、ゲームの「魔力」は凄いと思います。これはもう、経験からも、そう感じます。だからこそ、何とかして離したい、と考えるのでしょうね。
私の親は、煩く言わなかったので、良かったですね。あまりきつく拘束されると、反発したかも知れません。

ゲームばっかやるとバカになる、という言い方自体は、ある程度は許容されるべきかな。事実で無いとも言えませんしね。だけれど、それを補強しようとするニセ科学があるから、フォローはしっかりするべきでしょうね。親が一緒にゲームするとか、そういうのでも良いのだと考えています。
養育者がゲームを「嫌う」場合がありますからね。ゲームばっかやるとバカになる、がいつの間にか、ゲームをやる奴はバカだ、になったり。いや、昔の私の事なのですが…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 19:32

TAKESANさま、ご無沙汰しておりました。

ゲームは好きになれないので、批判したくなしますが、これでは話が続きません。

ですから、

どうすればゲームが好きになるのでしょうか?
それには、どういう心がけとか努力が必要なのでしょう?

好きになるような科学的説明があるのでしょうか?

投稿: n_ohsaki | 2008年2月18日 (月) 20:22

n_ohsakiさん、今晩は。

お久しぶりですね。

「好きになる方法」は解りませんが、取り敢えず、「金を掛ける」事でしょう。有名なゲームを片っ端からやるのが良いと思います。身近に詳しい人がいれば、アドバイスを受けるのも良いでしょう。

科学的な説明は、どうでしょうね。心理学や行動分析学の文献を紐解けば、色々あるかも知れません。

ところで、好きになれないという事は、あまりおやりになっていない、という意味ですか? それとも、色々プレイされた上での感想ですか?
後者であれば、無理にする必要も無いでしょうね。好きになるために何かをやる、というのは、変ですし。
前者であれば、よく知らないものを「批判したくなる」という事で、これはこれで、不思議な話です。知らないものを批判するというのはね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月18日 (月) 23:32

TAKESANさん
> これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、
> つまり実感なのですよね。
石田も「養育者」ですが、「ゲーム脳」を利用するのはダメだと思ってます。「ゲーム脳」を利用するのは、子供に「自分の都合に合わせてテキトーなウソついても良い」って教えてるということだと、石田は考えています。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070709/1183926091


ドラゴンさん
> ただ、それをやると、マンガ脳、テレビ脳、
> 何でも頼らざるを得なくて、自分での教育
> を放棄するようなものですね。
石田は、この文は「自分での」の句を除いても成立すると考えています。「ゲーム脳」を利用してゲームをやめさせたり、ゲームをする時間を制限するのは、「教育」ではありえないと、石田は考えています。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070302/1172781700


n_ohsakiさん
どうして、そんなにゲームを好きになりたいのか、石田にはわからないのですが、これは何か事情がるのかもしれませんね。
好きになることに「科学的説明」が必要な理由は、たぶん無いと思います。

投稿: 石田剛 | 2008年2月19日 (火) 01:12

石田剛さん、今晩は。

先日の、サンタクロースのエントリーも、拝読し、共感しました。もちろん、サンタとゲーム脳を同列に扱っている訳ではありませんけれど、個人的には、石田剛さんのお考えに近いものを持っている、と思っています。

n_ohsakiさんのコメントの趣旨が解らないのは以前からでして、まあ、私も、全然解っておりません。

えっと、以前の、私とn_ohsakiさんとのやり取りを、ご紹介します。読むのはあまり、お勧め出来ませんが、一応⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fe9d.html

投稿: TAKESAN | 2008年2月19日 (火) 01:37

こんにちは、皆さん。

なんて言うか、前に書いた「ならず者のえん罪」なんてたとえ話をもう一度整理したくなりました。

これは、えん罪には2つの害悪があるということでして、一つは無実の人を罪人にしてしまう害悪ですが、もう一つは真の犯人を取り逃がしてしまうという害悪なんですね。でもって、多くの人が前者の害悪に目を向けてしまって後者の害悪のことを忘れてしまう訳です。そのため真面目な人がえん罪なったような事件だと、「警察・検察は何をやっているんだ」と厳しくなるけど「あいつなら、やりかねないよね」なんて思われるならず者がえん罪になったりしても、あまり怒りは湧いてこなくなる訳です。でも実のところ真の犯人を取り逃がすという点では、真面目な人のえん罪もならず者のえん罪も変わりは無いわけです。

ゲームをならず者に例えてはいけないのでしょうが、面白くて時間も忘れて熱中させるという部分はどうしてもあるので、子供の(大人も)生活習慣の乱れや学業の不振について「こいつが犯人だ」にされても、「まあ、あり得るよね」となるわけです。でも、実のところ、多くは複合的な原因はある訳ですよね。親そのものの生活習慣の乱れや、家庭内の秩序の緩み、親がきちんとした人生観を持たないことによるしつけの曖昧さとかね。

 なんていうか、これは「こいつが犯人だ」とすることで、そういう部分を見直す機会を失うとしたら、えん罪の後者の害悪の野放しと同じことが起こるんだろうなと思います。

投稿: 技術開発者 | 2008年2月19日 (火) 09:23

ゲームをならず者とたとえるのは、当を得ているように思います。ゲームというのは、本質的に娯楽ですし、「世の中に無くても良い」ものとして、興味の無い人からは捉えられやすい。で、物凄く熱中させる魔力を持つ訳ですね。だから、簡単に、ネガティブなイメージを持たれてしまう。

だけれど、仰る通り、ゲームに原因を押し付けてしまうと、他に考えるべき事が蔑ろにされてしまうのかも知れないのですよね。親子間のコミュニケーションの基本の部分が上手くいってなくて、それを何とかするべきなのに、「ゲーム」という見えやすいものが原因と看做す。

で、ゲーム脳は、ならず者が「本質的に」ならず者である、という事を、(もちろん、全く不充分な)「科学的根拠」をもって、示した訳ですね。これは、とても恐ろしい話だと思うのです。

よく言われる話で、「ゲームを3時間も4時間もやらせるのは、基本的な躾がおかしいんじゃないか?」というのがありますね。ゲーム脳系はそこに、「躾の問題では無くて、ゲームにはそういう力が本質的にあるのだ」、というロジックを見出して、害悪を云々する。当然、ゲームというのは文化ですから、それ自体、複雑なもので、定義すら難しいものですが、それを無視して、薬物中毒等のアナロジーを用いて説明する訳ですね。

やるなら、きっちりとした研究をやってもらって、慎重に評価して欲しいですね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月19日 (火) 12:47

TAKESANさま、こんばんは。

私は、スペースインベーダーの頃から拘っておりますが、ゲームにのめりこむことはありません。
不器用ですぐゲームオーバーです。

努力してもうまくなれません。しかもやっているとあたまがばーっとして来ます。

人によって違うのですが、不思議に思っています。

ゲームを知るということはどういうことなんでしょうか?

石田さま

好き嫌いは、科学的に説明する必要はないとのことですが、そうしたらゲーム脳論者は、ただ嫌いだといっているのではないでしょうか?

投稿: n_ohsaki | 2008年2月19日 (火) 21:45

また、前と同じような感じなので、以後、基本的に、スルーします。

て言うか。

相当凄いコメントの書き方です。いや、ご自分では解らないんでしょうけど。

願わくば。

・何を主張したいか。

これをはっきり書いて頂きたいものです。

「血液型と性格」に現れる幾人かの方々と、あんまり変わりませんね、実際。

ちゃんと出力しないと。他人の脳内が覗ける訳ではありませんから。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 00:40

「要は、子供が真実に気がついた時に親の発言をどう捉えるのか、よ。将来子供が人間不振に陥るかも知れないでしょ。その可能性を貴方は助長している訳よ。」
「貴方は楽をしたいから、安易に人の話を鵜呑みにするのよ。少しは先の事も考えないと、将来子供が詐欺に遭って、金銭的精神的に負担が増えて困るかもよ。」

>細かいことばっか

科学の資料を大量に部屋に持ち込んで、「細かい事は気にしないで。食えなくなったら困るから、いいのいいの。」とでも言い返せば良かったかもしれませんね。(いや、もっとややこしくなるから駄目か^^;)

ここから本題です(^^。

私は過去、ファミコンのスターソルジャーにハマリ、スプーンを使って14連打していました。(ボタンが壊れそうに)
当時はゲームにハマるというより、その世界観に夢中になると言う感じでしたね。いくらグラフィックやBGMが良くても、肝心の中身が底の浅いものであったならば、見向きもしませんでした。

ゲーム脳推進者の目的は何でしょうね。金儲けか、名声か。
ゲーム脳肯定者の目的は何でしょうね。懐古主義か、思考停止か。

ううむ、すぐには結論を出せませんね。やはり徹底的に調べないと。まずは、秋田に行って現地調査ですかな。「なまはげ」の。

投稿: TAKA | 2008年2月20日 (水) 03:45

TAKESANさん
> えっと、以前の、私とn_ohsakiさんとのやり取
> りを、ご紹介します。読むのはあまり、お勧め
> 出来ませんが、一応
ご紹介いただいたページと、そこからリンクされている物件(全部は読みませんでした)を見て、だいたいの事情は理解できました。ありがとうございました。


n_ohsakiさん
> 好き嫌いは、科学的に説明する必要はないとの
> ことですが、そうしたらゲーム脳論者は、ただ
> 嫌いだといっているのではないでしょうか?
いいえ、ちがいます。
どうちがうかは、あなたがかよっている、がっこうのせんせいにきいてください。


TAKAさん
親子連れ向けの「なまはげツアー」なるものがあるそうです。
http://www.oganavi.com/news/archives/2006/09/02161406.php
ツアー参加者によるものではないようですが、コメント欄で、こんなご意見が紹介されています。

> 我が家では、昨年末テレビでなまはげの映像を
> 見た長男(3歳)が大変怖がりました。「悪い子
> にしていたらなまはげが来て連れて行かれる」
> と教え、以来「まなはげ呼ぶよ」と言うと即言
> う事を聞くようになりました。

石田は、これは「教育」ではないと考えています。
この意見をわざわざ「男鹿なび」の管理者らしき方が取り上げてるあたりから、この「なまはげツアー」のダメっぷりが伺えます。

投稿: 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 06:46

 「なまはげ」の話が出ましたので、「なまはげファン」の私めからひとこと。
 「なまはげ」は(地)神です。言い換えてみようとすると、地域伝承、地域文化・行事と一体になったカミ、ですか。資料館みたいなところで観光客に面をつけて記念写真をとらせたりしていますが、これすら年配の方には認めたくないとおっしゃる方がおられます。でも、地元の観光収入の事もあるので気持ちは複雑なようです。先頃の報道でも「酒に酔ったなまはげが浴室に入り込み」とありましたが、なまはげは神前で御神酒を飲んでなまはげになるのです(本来酒はバーや晩酌でたしなむものではなかったそうで)。そんなわけで、「教育」に使うのもコンセプト違い、ホテルに連れて行って観光に使うのもコンセプト違い、なまはげが訪れる時に入浴しているのもコンセプト違いなわけです。
 似たことは他にもあって。話題になった蘇民祭というのも、本来は秘儀だったのではないでしょうか。キタナイものを公衆の面前に陳列するなとかの前に、被写体にして持ってくるという行為には何の反省もなかったのでしょうか。「異文化」から平板な価値観のもとで商品になりそうなものだけを切り出してくる、そういうことを私たち日本人は世界規模で繰り広げている気がします。
 柳田国男さんなどが、無くなる前に記録しておこうとしたものが無くなって久しく、わずかな痕跡すらもこういう形で次第にかき消されてゆく、というわけですね。以上ひとことにしては長すぎたかも。

投稿: ちがやまる | 2008年2月20日 (水) 10:12

おはようございます。
>石田剛さん

「教育」かどうかはわかりませんが、私は「なまはげ」は、「大きくなれば、ウソだとわかる」のしくみを、うまく利用した躾の例だと考えています。
親や近所の大人がやると、あとあと問題が残るところを、鬼や化け物といった象徴を用いることで、うまくかわしているのではないか、と。

投稿: A-WING | 2008年2月20日 (水) 10:26

皆さん、今日は。

何となく、ですが、J.B.ワトソンの実験の、アルバート坊やを思い出しました。←同じ話だ、と言ってる訳じゃ無いです。

なんて言うか、私は、姑息の効果を期待して、なまはげなりを利用する事には、嫌悪感に近いものを覚えます。と言って、そういうやり方を全部否定したい、という事でも無いんですよね。
うーん、何だか、考えが定まらないです、すみません。

ゲーム脳となまはげとを対比してみると、A-WINGさんが仰るように、なまはげは、事実で無いのがあまりに明らかであるが、ゲーム脳は、「脳」という実体についての主張で、「科学的」なものなのですよね。そこに、大きな違いがある。主唱者がそもそも科学的だと言ってる説ですしね。

だけれど、ゲーム脳をなまはげ側に引き寄せて捉える人も、いる訳ですね。で、ゲーム脳肯定側には、完全に事実だと思っている人もいるので、「事実」と、「学習の道具であって、事実かどうかは問わない」という所が繋がってしまっている、と言うか。
だから、「ゲーム脳が間違いだと後から子どもが気付いたらどうするの?」と言われて、「そんなの、なまはげなんかと一緒だよ。あれもウソでしょ」、と返す人がいるのでしょうね。結局、わずかな共通点だけクローズアップされて、その他の膨大な相違点は捨象してしまうのでしょう。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 13:03

石田さん、こんにちは。

私は、石田さんとはちょっと違います。
なまはげOKですし、ばちがあたるもOKです。
理屈付けするために、昔の宗教社会学の授業から援用します。
「ばちがあたる」というのは、嘘をついて教育することではなく、属する集団の規範として土着宗教に依っているということだそうです。
キリスト教で「神」が出てくるのと同じです。その社会で、何がよくて何がいけないか、今は法律がありますが、昔はその大元となるものが、大体は宗教でした。日本の市井の人は、何でも取り入れて、「ばちがあたる」「お天道様が見ている」「ご先祖様が…」となっているそうです。そんなふうに習いました。キリスト教で「神」に宣誓するというのも「嘘」と否定されるのでしょうか。
「なまはげ」に関しても、「なまはげ」そのものではなく、その集団における信仰に依っているのでしょう。
このようなものは、社会的文化的な物であるので、道徳の規範とは成り得るのではないでしょうか。科学に依るのではなく、人間が創り上げた社会、文化に依るわけですから。不都合があれば変えていける問題です。
ですから、「なまはげ」だけを取り出して、別の集団の子どもの教育に使うというのであれば、違和感が出ても不思議ではないでしょう。
私も田舎で年寄りに育てられたので、OKなんです。

投稿: ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 15:20

連投失礼します。

ゲーム脳の教育効果を考えてみます。
TOSSでも消されたようなので、水伝みたいな子どもの感想が見つかりませんでした。
私の周囲では、ゲーム脳のような教材を脅迫型と言っています。子どもを脅かして言うことを聞かせるパターンです。
ゲーム脳の事例は知りませんが、タバコの学習では、あまり効果がないと言われています。
タバコを吸っている大人のほとんどが、タバコの害を知っているはずです。それでも止められない。大人ができないことであれば、子どもはもっとできないでしょう。
禁煙の動機の一番は、「子どもができたこと」ではないでしょうか。大事な何かを守る、その気持ちが、もっとも有効なようです。
そんな考えで、子どもの喫煙防止教育を考えている先生方もいます。なかなか難しいようですが。
そんなわけで、子どもも大人も、ゲームに嵌ってしまったら、ゲーム脳なんて関係なくなると思います。
したがって、ゲーム脳には教育効果はないと思うんです。

投稿: ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 15:35

たびたびすみません。
よくまとまっていないので、もう一言。
例えば「道路にゴミをすてちゃだめだよ」という、その規範はその社会で醸成されたものですね。でも具体的な根拠は乏しい(今は法律がありますが)。そんなときに「神様」がいれば解決。
「なまはげ」はそれを子どもに伝えるためのメッセンジャー、という感じでしょうか。インパクトがあるぶん、「それをしてはいけないんだ」ということが伝わりやすい。
「ばちがあたる」というのも、「いけない」ということを伝えるための一つのメッセージ。
怖がらせて子どもを操作するというのではなく、子どもに「してはいけない」ことを伝えるセレモニー。
そんなイメージでしょうか。
うーん。うまくまとまりません。なんとかご理解下さい。

投稿: ドラゴン | 2008年2月20日 (水) 17:12

ドラゴンさん、今日は。

私自身は、なまはげなどが用いら「ている事」には、それほど大きな抵抗はありません。ただ、自分が子どもと接する場合には、どれくらいまで許容するかな、と考えると、ちょっと悩ましいですね。状況によるかも知れません。何か行動を制限する場では、用いる事は無いだろうと思います。

私は、子どもと接する時も、大人に対する時と同じ話し方、態度で、他人との関係性とかそういう所から、きちんと説明しますね。いや、ごく身近の例なので、書いてもしょうが無いですけど。

たとえば、食べ物を残す事を叱る時に、「もったいないお化け」を出す事は無いでしょうね。

ゲーム脳の教育効果、について。
もちろん、正確に把握するには事例の検討が必要である、というのは前提ですが、一応、それは措いて、個人的な考えを書きます。

どの状況にあるか、というのは考慮すべきかと思います。
たとえば、学校で教えられたとして、それについて家庭で情報をどうフォローするか、とか、教えられた年齢はどれくらいだったか、とか。タバコとの比較で言うと、「脳」が悪くなるというアプローチという異なりをどう考えるか、とか。
どのくらいゲームをやっていて、どれくらい思い入れがあるか、というのも考慮すべきですね。

ここで言う「教育効果」はつまり、「比較的低年齢の人」に関して、「ゲームをやらなくなる」、という事ですよね。うーん、どれくらいの効果を及ぼすものでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 17:23

三つ目のコメントへのレスです。

上にも書いたように、私自身は、石田剛さんのお考えと近いと思っています。

いや、ドラゴンさんが仰る事は、多分解ると思います。解るし、自分もそうやって育てられてきたのです。だけれど、後から振り返ってみると、あれは果たして本当に有効だったのか、というのも考えるのですね。相対化するのに、それなりの苦労もした訳で。

▼▼▼引用▼▼▼
怖がらせて子どもを操作するというのではなく、子どもに「してはいけない」ことを伝えるセレモニー。
▲▲引用終了▲▲
いや、これは多分、どちらか、というのでは無くて、本質的に、両面価値的なものだと思います。問題は、それをどのくらい許容するか、という事じゃないかと。操作をするというのは、多かれ少なかれ、ある事だと思いますし。特に、学校教育の現場のように、大人数が対象だと、一筋縄じゃいかないのでしょうね。

家庭教育と学校教育の場の違い、というのも考える必要があるような。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 17:31

お久しぶりです。私、一時、ゲームで子供に勝つことで父親の権威を示していたかも。

コンピューターとディスプレイを使ったゲームには、われわれが子供の頃遊んでいたボードゲームやカードゲームと比べて、単に高度で複雑でビジュアルだからというだけではない、人をのめり込ませる根本的な要因がありそうですね。

ゲームの話からそれて恐縮ですが、以前子供が買ってきたDSのソフト「マジック大全」には結構感心しました。マジックが何種類か出来るソフトなのですが、マジックの原理的な不思議さにランクを付けるとしたら、恐らくトップクラスでしょう。

しかもその不思議さは、コンピューターとディスプレイが介在することによって初めて成り立つ原理に基づいているのです(少々大げさかな)。

ですから、あまり論理にこだわらない人には「どうせコンピューターなのだからそのぐらい出来てもおかしくないでしょ」ということになってあまりうけないかもしれませんが、「何故そうなるのか」にこだわる人にはきわめて不思議なマジックなので、頭を悩ます友人、知人を見るのが楽しくて私も結構やりました。

すでにご存じかもしれませんが、軽い話題ということで失礼致しました。

投稿: ネット沙代 | 2008年2月20日 (水) 19:12

ネット沙代さん、今晩は。

▼▼▼引用▼▼▼
われわれが子供の頃遊んでいたボードゲームやカードゲームと比べて、単に高度で複雑でビジュアルだからというだけではない、人をのめり込ませる根本的な要因がありそうですね。
▲▲引用終了▲▲
そうですね。インタラクティブ性や、絶妙なタイミングで与えられる報酬(ゲーム内での)等、色々考えられているようです。行動分析などから見ても、興味深いのではないかと思います。

『マジック大全』、内容はよく知らなかったので、調べてみたのですが、なるほど面白そうですね。一つマジックの例を紹介しているのを見つけたのですが、ほー、と思いました。何となく予測は出来るのですが、いや、違うかなあ、とか(笑)

ところで、私は、子どもにゲームで勝つ、って、結構重要な気がしています。養育者が子と同じものに興味を持っている事を子に示して、しかも力を見せ付けるのですものね。それも「コミュニケーション」の一つかな、と。

▼▼▼引用▼▼▼
ですから、あまり論理にこだわらない人には「どうせコンピューターなのだからそのぐらい出来てもおかしくないでしょ」ということになってあまりうけないかもしれませんが、「何故そうなるのか」にこだわる人にはきわめて不思議なマジックなので、頭を悩ます友人、知人を見るのが楽しくて私も結構やりました。
▲▲引用終了▲▲
この部分は極めて示唆的である、と感じました。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 19:38

石田さま

きょう、がっこうのちぇんちぇいにきいたら、げーむばっかりやってはいけまちぇんよ、っておこられちゃいました。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 19:53

そういうやり取りは、やめましょうね。

ご両人に言っています。

コメントは残しときますので。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 20:01

TAKESANさま

私はおこちゃまだし考えに偏りがあるので、この際ゲームを肯定することによって変わりたいと思います。

ゲームのよさを納得したい。それだけで他意はありません。

そういうことで今後の議論の推移を静かにみてまいりたいと思います。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 20:24

こんばんは
 
ゲームがいいとか悪いとか好きとかとか嫌いとかの話ではないと思います。
 
問題はある特定のものをスケープゴートにして本質的問題から目をそらす事を志向するロジックを把握する事や、単純に象徴化する行為が、何を見えなくしているのかを意識する事だと思いますが。
 
ゲーム脳をゲームの肯定・否定だけで見ていては見えてこないのではないでしょうか?

投稿: FREE | 2008年2月20日 (水) 21:17

FREEさん、今晩は。

私の推測ですと、FREEさんが丁寧に書いて下さった文章は、全く正確に読解される事は無いと思われます。今までのコメントの書き方からの帰結ですね。

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あんなコメントを放っておいて、このブログの管理者は寛容だなあ、と思われる方もあるかも知れませんけれど。

逆ですね。

書けば書くほど、というやつです。

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「よさを納得」したいのなら、ゲームを100本買ってきて、ブログにレポートを書きましょう。
金と時間を掛ける労を惜しんで「納得」だけしたいというのは、都合が良過ぎますよね。

自分がどれだけ失礼な事を書いているのかを認識出来ない状況のようですので、あまり期待は出来ませんけれども。

投稿: TAKESAN | 2008年2月20日 (水) 22:37

こんばんは。

ちょっと「なまはげ」の話を蒸し返しますが、これについては、どなたの仰る事もそれぞれ一理あるように思えます。私自身の考えを述べますと「条件付で、なまはげOK」となります。ちょっとその辺を説明させてください。

まず、なまはげやその他の民間伝承(例えばドイツの「ザントマン」など)が子育てに一定の役割を果たしてきたのは事実だと思います。しかしそれを「教育」とは呼びたくない。では何かというと「躾(しつけ)」だと考えています。教育と躾があまり区別されない事もあるようですが、ここは区別すべきでしょう(TAKESANさんの仰る「家庭教育と学校教育の場の違い」と類似しているとも思えますが、完全に同じという訳にもいかないようです)。
それでは、躾とは何か。それは「癖を付ける」「習慣にする」事だと思います。ですから、躾けられる側は、その理由を問うてはならないのです。何故なら本質的な意味での是非、善悪、正邪を判断するのは大人でも難しいので、子供にきちんと解る様に説明するのは極めて困難であるからです。加えて、その説明に子供が納得しなかった場合には、もうお手上げになってしまいます。
ですから躾に於いては理由を付けてはいけない。理由は大人になってから各自が考えるべきなのです。どうしても理由付けが必要な場合でも、あくまで方便に留めるべきです。ここで方便という意味は、1)大人になるにつれて自然に剥がれ落ちていき、理由が消滅した後でも習慣だけは残るようなもの、あるいは2)正/誤の判定の枠外に存在する概念である為、死ぬまで信じ続ける事も可能である、そのいずれかを指しています。どちらかがあれば、躾の理由として許容範囲内だと考えます。
おそらく、なまはげにはこの両者が混在しているのでしょう。一方で、ゲーム脳や水伝は、もっともらしい理由を付けているという、まさにその点においてNGな訳ですし、本来「躾」であるはずなのに「教育」のような顔をしている点もNGです。

余談ですが、躾と教育が混同された結果「躾に理由を付さなければならない」と考える人が増えている印象を持っています。その理由として考え出されたのが「他人に迷惑をかけるからいけない」ではないでしょうか。この理由は一見すると良いようですが、実際には上手く機能しないと考えています。何故なら、そういう「躾もどき」を受け続けた結果として、周囲の顔色を非常に気にするにも関わらず、迷惑さえかけなければ(それも自分の限られた想像力の範囲内で迷惑だと感じなければ)何をするのも勝手、という風に考える人が出来上がっている可能性があるからです(あくまで個人的な印象です)。

ちょっと暗くなったので、お口直しに明るい話をしましょう。
先日、男子テニスの錦織(にしこり)選手が弱冠18歳、プロ転向後僅か5ヶ月で国際大会初優勝を成し遂げました。日本男子のツアー優勝は松岡修三さん以来史上二人目の快挙であり、しかも決勝で破った第1シードの選手は世界ランキング12位の強豪でした。松岡さんは錦織選手が小学生の頃から知っているそうですが、そんな松岡さんをして「僕が指導できるレベルの選手ではない」と言わしめた程の才能の持ち主です。
そんな錦織選手はとても練習熱心なのですが、まだ体が出来上がっていないので練習をし過ぎて体調を崩す事もあるようです。そんな折に、コーチから少し練習を控えるように言われた時の錦織選手の台詞とは
「テニスとテレビゲームを奪われるくらいなら、死んだ方がマシ」
だったそうです。
間違いなく日本テニス界最高の逸材と目される人物は、死ぬほどテレビゲーム好きなのですね。
「ゲームなんかやめろ、スポーツをやれ」などと仰るゲーム脳肯定論者に聞かせてあげたいお話、でした(でも、体調管理には気を付けてくださいね)。

投稿: PseuDoctor | 2008年2月20日 (水) 22:41

ちがやまるさん
信仰や習俗としての「なまはげ」については、その人のすきずきですね。石田はそういう人の好みには口出ししたい気持ちはないです。
『「教育」に使うのもコンセプト違い』は、人によって「なまはげ」に期待する物が違うだけで、信仰の対象としている方もあれば、「躾の道具」だと思ってる方もあるのでしょう。

石田としては、「躾の道具」としての「なまはげ」は、好ましくないと考えています。けど、それも石田がそう考えてるだけで、その考えを誰かに押し付けたいとは考えていません。誰に押し付けるのでなくとも、意見を述べることには意味があると考えています。

とりあえず、政府が出す白書で、「躾の道具」としての「なまはげ」を、肯定的に取り上げていることには、政府の主のひとりとして、異存があるので意見を述べたことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070627/1182885891


A-WINGさん
> 親や近所の大人がやると、あとあと問題が残る
> ところを、鬼や化け物といった象徴を用いること
> で、うまくかわしているのではないか、と。

この『あとあと問題が残るところ』に、石田は心当たりがありません。今のところ、石田はそういう問題に気付いていないので、具体的に教えていただければ参考になるかもしれません。
これがわからないので、『うまくかわしている』が、どううまいのか、何をかわしているのかも、石田にはわかりませんでした。
ぜひ、教えてください。

ちなみに、石田は 4歳 と 5歳 の子持ちで、教職など教育の専門家じゃないです。教えを請う立場として、石田が「教育」をどのような立場で考えているのか、明らかにしておきます。


ドラゴンさん
石田は、わが子の教育に「なまはげ」も「ばちがあたる」も使ってませんし、使いたくありません。わが子には『属する集団の規範』に *なぜ従う必要があるのか* を、自分の頭で考えて理解して欲しいと、石田は考えています。

今の法律でも、大昔の宗教でも、『何がよくて何がいけないか』は、一部を除けば、なにか必要な理由があって、その集団の中で合意が形成されたはずだと、石田は考えています。この「必要な理由を」考える能力を、わが子には備えて欲しいと考えています。

石田は道徳の根拠を「なまはげ」や「キリスト」や「神」にではなく、「社会の合意」に求めるべきと考えています。
もし、社会を構成する個人の大多数が、 *なぜ従う必要があるのか* を、自分の頭で考えなくなってしまえば、『不都合があれば変えていける問題』は変えることができなくなります。

あと、いちおう疑問形の文があったので答えておきます。
> キリスト教で「神」に宣誓するというのも
> 「嘘」と否定されるのでしょうか。
いいえ。

投稿: 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:08

TAKESANさん
> コメントは残しときますので。
石田としては、残して置いていただく方が良いです。石田は、別に揶揄するとかいった意図はなく、 n_ohsakiさん を子供として扱うべきだと判断したのです。
もちろん、 TAKESANさん が不快でしたら、消していただいてかまいません。

投稿: 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:09

FREEさま はじめまして

前回のエントリーにてしばらく書き込みを見送ろうと思いましたが、FREEさまのご見解が気になりました。様々な対象におきましてまさしくその通りかと存じます。それらの構図を明らかにしていきたいと思います。

TAKESANさま

ゲーム脳という似非科学を信じる人をこの世からなくしたい、というご趣旨が根底にある様子と受け取りました。

その意向に沿うような見解が見出せましたらエントリーいたします。

100本のゲームを購入する前の段階で詰まっていますので、そこを何とかしたいのです。

大変失礼かもしれません。

生理的に受け付けないものがありまして、どうすればこれが解消できるのでしょうか?

まずはこのハードルを越えるような知見をお願いいたします。

以前にも暗示という方法があるというようなアドバイスを頂きましたがうまく行きませんでした。

出来るだけ少ないコストにて物事を捉えたいことがあります。

TAKESANさまのご趣旨に添えられない見解はエントリー禁止ということでありましたら差し控えさせていただきます。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月20日 (水) 23:29

すいません。typoです。
誤:石田は 4歳 と 5歳 の子持ち
正:石田は 4歳 と 2歳 の子持ち
失礼しました。

投稿: 石田剛 | 2008年2月20日 (水) 23:41

PseuDoctorさん、今晩は。

>皆さん

私は、子として「育てられた」経験はありますが、自分には子はおらず、従って、「育てた」経験は、ありません。
ですから、この問題について、こうであるべきだ、こうしたらこうなった、という意見は、出来ないのですね。ものを教えた経験はありますが、それは、大人に対してであって、いわゆる(狭義の)「教育」に関しては、想像でしかものを言えない立場です。自分ならこうするであろう、というのは、こういう文脈では、あまり意味が無いと考えています。

------

>PseuDoctorさん

 >テニスとテレビゲーム

テニス”と”テレビゲームなんですね。素敵です。
やわらかい身体を保ったまま、頑張って貰いたいですね。周りの大人が逸ると、壊してしまいかねないので、慎重にやって欲しいものです。

------

>石田剛さん

ああ、いや。コメントを残す、って、石田剛さんのコメントの事じゃ無いですよ。

ちなみに私は、自身が不快であるという理由のみでコメントを消す事は、あり得ないです。「ただ無意味」なコメントは消す可能性があるので、その事について書きました。n_ohsakiさんのコメントは、ほとんどが「ただ無意味」だが、残しておきます、という意味です。

------

ゲームやってレポートを、というのを冗談で書いた、とでも思われたのでしょうかね。

まあ、簡単に言うと、
そんなコメントを書く時間を、今興味を持つ対象について調べる時間に充てたらどうでしょう、という事なんですけどね。

やっぱ、ここのブログの管理者は、かなり寛容なのかも知れない。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 00:19

こんばんは
 
今ひとつふたつ伝わっていないようです。
釣られているのかいないのかいまいち釈然としませんが改めて書きます。(改めてってなんだかえらそうですね)

ゲーム脳について検討をする事については、ゲーム自体への評価は全く必要ありません。好きでも嫌いでも経験していなくてもゲーム脳を検討する事に支障はありません。
ゲームを行う事によって、ゲーム脳という現象がおこるという主張がどのような内容であり、現象の確認はどのように行われたかを把握する事から始まります。そしてゲーム脳の原因たるゲームにはどのようなゲームが含まれ、どのようなゲームが含まれていないのかをどのように選別しているのかを検討してください。全てはその後です。
 
もしこれが、ゲームという文化への理解であるならばゲームを行う事にフィールドワークという意味において意味はあります。ただこれも十分条件ではありますが必要条件だとは思いません。他の文化的な事柄に対して経験しなければ概要を把握できない訳ではないからです。
もちろん経験しなければわからない事があるとは思いますが、経験しなければ概要すらつかめないという事柄は少ないと考えています。

 
n_ohsakiさんは前者と後者どちらがしたいのでしょうか?

投稿: FREE | 2008年2月21日 (木) 01:31

n_ohsakiさんは、FREEさんのコメントを何度も読んで、よく咀嚼、反芻なさって下さい。

他人に説明するために思考のリソースを使う、という所に思いを馳せるのが肝要かと。実際、これだけ(以前のエントリーのコメント欄含め)丁寧に説明されている、というのは、n_ohsakiさんのコメントの内容を鑑みると、奇跡的な事なのです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 03:37

石田さん、みなさん、こんばんは。

石田さんのところに書こうと思いましたが、PseuDoctorさんのお考えに近いかなと思いましたので、もう一度ここに書きます。
TAKESANさん、脱線してすみません。

教育観の違いでしょうから、正しい、正しくないでではなく、お互いの主張と言うことで。

私はご飯を一粒も残すのはいけないと思っております。まあ、育ったところが田舎ですし、祖父母もまわりもお米を作っていましたから、大切にしようという、そういう背景と規範があったわけです。
それで、お米に七人の神様がいるとも言われましたが、それを信じたわけではありませんが、お米は大切にしなければいけないと体に染みついています。
お米を一粒も残さないということには根拠は無いんです。昔とは事情が違います。今の状況で子どもに理由を考えることも難しいでしょう。
だから、こういうのは、やはり理屈抜きですね。子どもが、「誰にも迷惑をかけない。植木の肥料にしてゴミにもしない」と言われても、やっぱり嫌です。
親の価値観を押しつけるなとも言われるかもしれませんが、幼児に自分で判断できるわけもなく、理想をもつこともできませんから、親としての理想があって、そういう子どもに育ってほしいと思うのは、自然かと思います。

同様に、私は本や新聞を踏むことができません。祖父が「文字は智恵を与えてくれる大事なものだから」と跨ぐことも許されませんでした。それこそ「ばちがあたって勉強ができなくなる」的に育てられました。
本を踏んでも、誰にも迷惑をかけませんし、勉強ができなくなることはないでしょう。そういう規範ができた背景は、今の時代とはまったく違うことです。
それでも、私は子どもに本を踏んでも平気でいてほしくはないんです。

みなさんにも、そういうことの一つ二つはないでしょうか。実際に、そう育てられても「お米の中の神様」を信じるわけでもなく「ばちがあたる」ことを信じてるわけでもありません。そのあたりについては、まっとうに育ったと思います。
ここにいるみなさんもそうではないでしょうか。

「ばちあたり教」みたいな新興宗教ができて問題を起きれば、その話については変更が可能です。人間が創りだしたものですから。

こういうところは、水伝やゲーム脳とは違うところで、一緒にする必要はないと思っております。

投稿: ドラゴン | 2008年2月21日 (木) 18:27

>石田剛さん

人が恐怖を与えれば、子供は人を怖がり続けるかもしれません。人はいつまでたっても人ですから。
しかし「なまはげ」の場合、子供の成長によって、それは恐怖の対象ではなくなってきます。
子供にとっては、なまはげは人ではないというところが、ポイントだと思います。

投稿: A-WING | 2008年2月21日 (木) 18:27

ドラゴンさん、A-WINGさん、今晩は。

「脱線」、という所については、お気になさらずに。私も、参考にさせて頂いています。

ただ、これはドラゴンさんも仰って下さっていますが、こういう話は、個人の教育観に関わる事で、一般論に拡張するのは、かなり難しいと思います(そこまでいくと、「科学」の話になるので、この場で収拾が付かなくなりますので)。そこの所は、ご配慮願います。

ご飯を残さない、という話題について、個人的な経験を。
私は、ご飯を残さない云々については、「農家の人がせっかく作ってくれたものを残すのは失礼だ」的な教えられ方をされて、それを受け容れたと思います。

躾は、初めの内は、「有無を言わさず」(←当たり前だけど)で、言葉が解るようになれば、合理的に理由を説明する、というのがいいんじゃないかな、と、個人的には考えています。…うーん、これは、自分が子どもの頃からそういう(合理性を求める)精神性だったから、なのかな。

やっぱり、石田剛さんのお書きの事に近いかな。世代とかも関係するのだろうか…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 19:48

私も、文字は踏めません。それで近頃、近くの駅の改札を出たところの地面に大きな文字で行き先情報が書かれたのにとまどっています。

「なまはげ」の運ぶメッセージは、言葉にするなら「村で生きる覚悟」「祖先/歴史との一体感」というものであって子は親の嫁は姑の言うことを聞けというような「(封建的な)規範」なのではないだろうと考えています。これは地元の人に聞いても「規範だ」と言うかもしれませんし微妙なところが残るのも事実で、これにこだわっては本来の「ゲーム脳」の話から外れてしまいますので、もう引っ込めることにします。

私は小さな子供にも説明はしたほうがいいと思います。「ここはお話をしちゃいけないところなんだよ。面白くなかったら寝てもいいからね。そのときだっこしていてほしかったら抱っこはしてあげるから。がまんできなかったらそっと教えるんだよ、お父さんが一緒に出てあげるから。」と当時3つくらいだったチビにいいふくめておいたところ、もののけ姫は抱っこまでですみました_V

投稿: ちがやまる | 2008年2月21日 (木) 19:51

ちがやまるさん、今晩は。

え、そういう文字まで踏めないのですか。それは凄いですね。

後半、微笑ましく、心温まるエピソードであります。

あー、そういえば、子どもを叱る親が、明らかに、子どもの語彙に無い言葉を使って怒鳴り散らしてるのを、見かける事がありますね。あれはダメです。周りの人間が、すこぶる不快になるし。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 20:08

ドラゴンさん
石田は現代の日本においても、「お米を一粒も残すべきでない」と教える根拠が有ると考えています。
石田も幼児が判断することは期待していません。けど、考える練習はさせているし、させるべきだと考えています。
石田は本を踏まないし、わが子にも本を踏まないように教えています。そのときは、なぜ踏んではいけないか必ず話しますし、子供に「なぜだと思う?」と問いかけたりもします。

石田は、わが子にこれらのことを教える上で、「なまはげ」や「ばちあたり」という概念を必要としていません。


A-WINGさん
石田がおたずねした『あとあと問題が残るところ』の件は、教えていただけないのですね。残念です。
あと、石田は今でもオバケが怖くて、暗いところが苦手です。

投稿: 石田剛 | 2008年2月21日 (木) 20:59

FREEさま、ご丁寧にありがとうございます。

まずは、

「ゲームを行う事によって、ゲーム脳という現象がおこるという主張がどのような内容であり、
現象の確認はどのように行われたかを把握する事から始まります。」におきまして、確認をさせてください。

ゲームの解釈として、次のような種類があります。
・野球やテニス、サッカーなどのスポーツゲーム
・トランプや花札、将棋、囲碁などのゲーム
・インベーダーゲームやテトリスなどの反応系ビデオゲーム
・人生ゲームというようにある規則にしたがって生活すること

次に現象の確認方法は次の通りです。
・自覚現象
つまり自分で嬉しい、楽しい、辛い、疲れる、ぼーっとしていると自覚すること
・他覚現象
つまり他人からみて、楽しそうに見える、辛そうに見える、疲れているように見える、ぼーっとしているように見えること
・現象の捕捉方法
自己申告、他人からの評判、脳波やfMRI、PETなどにより脳の賦活・不賦活の状態を計測するなど測定機器を使う方法。

いずれのゲームをやっても、いずれの現象も可能性として起こりますね。

ゲーム脳というのは、どちらかといえばネガティブな現象に捉えられるのではと思います。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月21日 (木) 21:09

こんばんは。
n_ohsaki さんのエントリーを読むと、大変な思い違いをされているように思います。
http://n-ohsaki.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4164.html
n_ohsakさんがお書きになっているブログとは、TAKESANさんのこのブログのことでしょうか?

投稿: corvo | 2008年2月21日 (木) 23:05

皆さん、今晩は。

躾については、これで仕舞いとします。よろしく>皆さん

------

>n_ohsakiさん

質問。

森昭雄著 『ゲーム脳の恐怖』は既読ですか?

この質問には、答えて下さい。

やっぱり、FREEさんのコメントをちゃんと読んで無いですね。引用してるのに、書かれてある事とは全く違う事を言っておられるのは、凄いですね。

まあ、何と言うか。
その内容をここに書いてどうするの、という感じです。ブログに見解を纏めてTB送るなりなされば良いのに。止めはしませんが…(あまりにも続くようだと、何か考えますので、よろしく)。

------

corvoさん、今晩は。上の文を書いた後に、corvoさんのコメントが入っているのを見つけました。

あ、ありがとうございます。それは読んでいませんでした。

うーん、多分、私のブログの事じゃ無いですね。後半には、私が書いた文章と同様のものが紹介されていますが、恐らく、別所に、似たような事を書いた方がおられたのでしょう。
と言うか、物凄く読解しにくい文章で、どの語がどこに、誰に掛かっているかが、さっぱりです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 23:19

で。

n_ohsakiさんがお書きのエントリーにある、「ある方のブログ」って、ここの事ですか?
全く言った憶えも考えた事も無い話も書かれてるので、違うとは思いますが、一応、確認させて下さい。

投稿: TAKESAN | 2008年2月21日 (木) 23:35

corvoさま、はじめまして。

今晩のエントリーは特にTAKESANさまのブログについて書いたわけではありません。自分を含めそういう傾向にあるようなことが幾らか見かけたので書き残しておきました。

TAKESANさま

森氏のゲーム脳の恐怖は5年ほど前に読みました。
あまり良く覚えていませんが、検証方法に問題があるというのは認識しております。

まだFREEさまと議論したことがないので、確認の意味にて書きました。

TAKESANさまは、ゲーム脳の是非についてすでに議論は決着済みとなっていて今更何だ、というお気持ちかと存じますが、そうでしたら止めますね。

ただまだオープンとなっているFREEさんとの議論は継続してよろしいでしょうか?

投稿: n_ohsaki | 2008年2月21日 (木) 23:39

私は過去に、なまはげツアーの様子をTVで見ました。
「親の言うことを聞かない子供」を連れたツアー客が、参加していました。企画者が親と事前に、「親の威厳を子に印象付ける手立て」の打ち合わせしていました。
私はその時、なまはげツアーは「その地域の素朴な祭り」の延長なのかなと、勝手に思い込んでいました。

その後、「ゲーム脳」の存在を知りました。その説明はまさに、痛恨の一撃でしたorz。

「ゲーム脳となまはげの違い」
あの時のなまはげを、科学的に説明していたという事実を、現時点では私は知りません。あの子供が後で、なまはげが存在しない事に気がつくのは、おそらく容易でしょう。「ああ、私のわがままが酷くて、親はなまはげに頼ったのだな。」とすぐに思い当たれる事と、考えます。
一方ゲーム脳は、一見すると科学的に見えるので、疑問に思わない人はしばらくの間、その概念に振り回されてしまう可能性が高いです。

二択ならば、私自身はあの「なまはげ」に頼ろうと思います。
ゲーム脳のその「効能と副作用」を鑑みれば当然です。私は、ゲーム脳を推す人には一切与しません。一方的に、「自身の価値観をゲーム脳に重ねて主張される事」に、辟易しているからです。

ただしゲーム脳肯定者が、「先日、『なまはげと一緒に学ぶゲーム脳見直しツアー』を開催致しました。」と言い始めた時は、その限りではありません。

ところで大変重要な箇所なのですが、ここで言う「痛恨の一撃」とは、ギガントスの「挨拶」のことです。(なまはげの遠い親戚に当たります)

投稿: TAKA | 2008年2月22日 (金) 00:06

何だか、少し勘違いなさってるみたいですが。
n_ohsakiさんとFREEさんのやり取りは、「議論」などではありませんし、そうはならないでしょう。
もちろん、やり取りはご自由にやって頂いて構いません、今の所は。ただ、FREEさんが応じて下さるかは判りません。FREEさんがお付き合いなさる義理も無いです。
一応言っておきますが、「議論」というのは、意見のレベルが対称であって初めて成り立つものです。

言い回しが曖昧で、今一つ判然としませんが、私のブログの事では無い、という事ですね。説明を頂き、ありがとうございます。
という事なので、よろしくです>お読みの皆さん

もう一回訊きます。
一体、ここで、「何を主張したい」のですか。
そして、それをこの場に書く理由は何ですか。

ところで、森氏の検証方法には、どういった問題があるのでしょう?

------

TAKAさん、今晩は。

ゲーム脳の大きな問題はやはり、「科学を装っている」、という所でしょうね。これは、ゲーム脳カテゴリーでも色々書いたのですが、一言で言って、「脳がぶっ壊れる」という主張ですからね。で、脳が精神の座であるというのは、日本のような科学の発達した社会に住む人間なら、ほとんど知っているのですよね。

後は、明確に言って、「ゲームに関わる人々を傷付ける」、という事でしょうね。
これにはいくつか意味があって、一つは、ゲームを好きな人が精神的にダメージを受ける、という可能性。子どもだと顕著かも知れません。
もう一つは、いわれの無い説を流す事で、対象についてのイメージを破壊し、不当な社会的認知を形成する、という可能性。やれば脳を破壊される文化だ、と言われている訳で、これは、物凄い主張なのですよね。

 >ギガントス

ドラクエ的には、「ギガンテス」ですね(笑) 彼らは、つうこんのいちげきも多いけど、ミスばっかり。

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 01:23

TAKAさん
> 二択ならば、私自身はあの「なまはげ」に
> 頼ろうと思います。
石田ならその二択は「両方なし」ですね。
石田は「ゲーム脳」は「なまはげ」よりもっと大嫌いです。

まぁ、「ゲーム脳」と「なまはげ」とどっちがよりダメかと聞かれたら、『どちらかといえば「ゲーム脳」』と答えるかもしれません。これはそのとき問題になっている評価軸によって、どちらがよりダメかがちょっと変わるだろう考えているからです。

「躾については、これで仕舞い」とのことなので、もしまだ続けたいという方がいらっしゃれば、こちらへどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20080222/1203624196

投稿: 石田剛 | 2008年2月22日 (金) 05:20

石田剛さん、今日は。

私なら、「その二択しか無いという状況が想像出来ない」、となるでしょうね(TAKAさんごめんなさい)。

ゲーム脳となまはげの違いは、上にも書いたように、なまはげは閉じていて、ゲーム脳は色々な所に「繋がっている」、という事だと思います。しかも、科学を装っている。

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 11:40

 なんだか楽しそうですね!
 コメント欄のやりとりを読ませていただいて、思い出したことがありました。
 学校でカビのことを習いまして、家に帰って、家にあった苔むした石(カビでないんですが笑)をこれはきれいにせんといかんと思ってゴシゴシとタワシで洗って磨いてしまったことがあります。「おかあさん、きれいにしといたよーさっぱりー」と言いにいったら、ものすごく複雑な表情をされたことがあります。怒られはしませんでしたが、「これはまずカビじゃない」といわれ、そのあと理科の百科事典を書ってもらって勉強しろといわれました。さらに「苔むした石」というのは「きれいだな」と思う価値観があることを教えてもらいました。それは「紅葉」みたいなものだといわれました。わざわざ苔をはやすことに価値を置く人がいるということを知って子供ながらに驚愕しました。「きれいと思え」といわれたわけではありません。後年、小学生のときに、その百科事典の写真を切り抜いて夏休みの自由研究作ったら、これは怒られました。私としては「新聞切り抜いてるじゃん!」と判断したわけですが、そんときは素直に怒られておりました(笑) きっと頭にきたんでしょうね。「写真撮りにいくの手伝おう」もしくは「写真撮りにいくの手伝って」といってくれるか、いえば、よかったのではないかと思います。

投稿: 安原 | 2008年2月22日 (金) 11:48

内容の濃い話で盛り上がっているときに脱線の部分だけを引っ張って申し訳ないのですが、このソフトの中で私が一番感心した原理についての説明を書き忘れたので(汗)、そこだけ補足させて下さいね。

>一つマジックの例を紹介しているのを見つけたのですが、ほー、と思いました。何となく予測は出来るのですが、いや、違うかなあ、とか(笑)

これを書くとわかってしまうかもしれませんが、実は、銀行の自動振り込み装置なども含め、コンピューターのディスプレイ操作の約束事に慣れている人達にとっては、それが盲点となってタネがわからないのです。「どうして(何も怪しいことはしていないのに)私の選んだカードがコンピューターにわかっちゃうの?」ということです。

仮にこういったディスプレイ操作について一切知らず、しかも非常に論理的な人がいたとすると、むしろその秘密にたどりつきやすいでしょう。もしくは、常識というものを一旦白紙に戻して考えてみるミステリーマニアなら盲点にならないかもしれません。

投稿: ネット沙代 | 2008年2月22日 (金) 11:57

安原さん、今日は。

あー、そのエピソードも、示唆的ですねえ。安原さんのエピソードは、示唆的で、実に楽しいです。スイミーとか(いや、ご本人はそうでも無いんでしょうけど…)。

百科事典の写真を切り取るという発想は無かった…。ああいう上等の紙は切ったりしちゃいかん、というのが刷り込まれていたかも。

------

ネット沙代さん、今日は。

いえいえ、全然構いませんので、お気遣い無く。

知識が邪魔をして、もっと合理的・論理的な所に思考が巡らなくなってしまう、という事は、ありがちですよね。大人が悩んでいる問題を子どもが一瞬で解いてしまう、とか。
犀川先生ならカッコ良く説明してくれそう(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 12:33

>石田さん
>『あとあと問題が残るところ』

は、

>子供は人を怖がり続ける

ということです。

投稿: A-WING | 2008年2月22日 (金) 18:09

TAKESANさま

目的は、私が述べた意味でのゲーム(ビデオゲームだけではありませんよ)を肯定的に考える方法を伺うためです。

検証方法に問題があるというのは、その知見をどのように用いいれば有意なのかさっぱり判らない、という意味です。

ゲーム(ビデオゲームだけではありません)をネガティブに喧伝してゲームの胴元側の人を傷付けるのと、ゲーム(無論ビデオゲームだけではありません)がうまく出来なくて傷付くのといずれもあるわけですが、いかがでしょうか?

まだFEEEさまとのやり取りでは視点が揃うところまでいっていませんね。もしよろしければお付き合いいただけるでしょうし、そうでなければ放置されます。それはいたし方ありません。

少しずついきましょう。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月22日 (金) 22:41

A-WINGさん
石田は今のところ、わが子を教育するために、子供を怖がらせることを必要としていません。将来必要になるとも考えていません。

どうやら、この『あとあと問題が残るところ』は、石田はそれほど心配しなくて良いようです。石田は、このことをとてもありがたいことだと思っています。

投稿: 石田剛 | 2008年2月22日 (金) 23:28

皆さん、今晩は。

>n_ohsakiさん

他人のブログのコメント欄である、という事くらいは、意識しましょう。

以下、段落毎に(「目的は~」を、1段落目とする)。

・1段落目

意味が全く解りません。

・2段落目

おかしな文章です。検証方法の不備を訊かれているのに、知見の用いられ方の話が出てくるのは、変では。森氏の研究の何がまずいか、という事ですよ。

・3段落目

詭弁です。「うまく出来なくて傷付く」、などという普遍的な現象を持ってくる意味が解りません。「ゲーム」の部分に、「スポーツ」でも代入してみましょう。

・4段落目

それを他人のブログのコメント欄で書ける所が凄いです。

---

まずゲームをおやりになれば、と言いましたよね。訊かれて答えたのに、それを受け容れるようなコメントは皆無ですね。要するに、「何も考えていない」のでは?
一応書いときますが、まずゲームをやってみれば、というのは、「本気」ですよ。
○△□という作家の良さはどうやったら解るか、と問われれば、その人が書いたものを読むように、と言われるのは当たり前だと思うんですけどね。

結局、見くびっていますでしょう? 色々と。

------

お仕舞い、って言ったのにね。

その調子でやり取りを続けて、どうなります?

もう一回書きます。

躾の話は、終わりです。自分の所はこうだった、的な体験談とかは構いませんけれどね。参考になるし。

投稿: TAKESAN | 2008年2月22日 (金) 23:47

こんばんは
 
n_ohsakiさん
 
どのような書き出しをしたら良いか悩みますが・・・。私の書いた1度目と2度目を読まれたのですよね。

 1度目の内容はゲーム脳は好き嫌いという文脈から読み解くものではなく、ゲーム脳という科学者の発した論の構造やバイアス検討しなければゲーム脳の問題点はわからないという内容です。

 2度目の内容は2つにわかれており、ゲーム脳について検討したければ、森教授の主張するゲーム脳を把握し、ゲーム脳を起こすゲームと森教授が選択しているゲームに対するバイアスを考えましょうという話が前半です。後半はn_ohsakiさんのお話がゲームに対するものとゲーム脳に対するものが混乱してひとつの話の中に纏まってしまっており不明瞭なので、確認をするために書きました。
 
ところがゲームを肯定的に考える為にゲーム脳の話をしたいとおっしゃる。2度目の内容で分離するようにお話したつもりでしたが、書き方が悪かったのかお分かりいただけなかったようです。

そして文化として概要を理解するでもなく「肯定的に考える為」とはいかなる事なのか捉える事ができません。
 
否定的なものでもでも仮定として肯定的に検討する事は可能ですし、だとするとこの「肯定的に考える」は極めて感情的なものからの発露として見る事以外に私には考えられませんが、だとすれば嫌いなものを好きになりたいという事のみでしょうか?
 
少しきつい書き方になりますが、本当はゲーム脳に関してあまり興味をお持ちではないのではないですか?
ただ単にゲームが好きな人がゲーム脳のニセ科学性を批判する事から、ゲーム脳を批判的に見れればゲームが好きになるという、あまり好きではないゲームを好きになる手段としてゲーム脳の話をされたのではないかと見えるのですがどうなのでしょう?
 
だとすれば欺瞞でしかありません。
 
TAKESANさん、コメント欄に少し感情的に書いてしまい、失礼しました。

投稿: FREE | 2008年2月23日 (土) 00:47

TAKESANさん
 
前回のコメントが感情の抑制が足りないと判断された場合は消してください。

投稿: FREE | 2008年2月23日 (土) 01:08

FREEさん、今晩は。

いえ、極めて冷静な書き方だと思います。

あからさまな誹謗や無意味なコメントで無い限りは、削除はしませんので、お気遣い無く・・。

n_ohsakiさんは恐らく、ゲーム脳について、ほとんど理解しておらず、しかも、理解しようとすらしていないと思われます。

そもそも、ゲーム脳の話なのか、それとも他の話をしているのかすら、全く判然としないのですよね。コンテクストが全然考慮されていない書き方。

------

ああ、そうだ。

n_ohsakiさんは、
▼▼▼引用▼▼▼
検証方法に問題があるというのは、その知見をどのように用いいれば有意なのかさっぱり判らない、という意味です。
▲▲引用終了▲▲
こういう事を書かれましたね。
確か、化学物質過敏症とゲーム脳を繋げるような主張をなさっていたと思うのですが、それについて、問題を切り離して考えるに至った、と判断して良いのかな…。

------

補足。

当ブログの管理者によるゲーム脳についての考察は、「ゲーム脳」および「ゲーム論」カテゴリーに、書いてあります。ある程度の事は、言い尽くしたと思いますので、私がゲーム脳説についてどのような認識を持っているか、というのを参考にする場合があれば、エントリーを参照なさるのが良いかと思います。
過去のエントリーへのコメントも歓迎なので、よろしくです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 01:36

FREEさま

ご丁寧にありがとうございます。

私自身ゲーム脳をビデオゲームに限らず色々な意味でゲームをすることによって事後的に倦怠感や疲労、酩酊を催して、そのときの脳の状態を指し示しているものと捉えております。

森昭雄氏も趣旨として私と同様なことを言われたいのかと思われます。彼はそのためにご自身で脳波測定装置を作成され結果として彼の云わんとしている結論に導きだそうとされています。

その導出方法が、科学一般的に無理がありこじつけがあるというように伺っております。

森氏以外にも、fMRIや光トポロジーなどの実験にてゲームを長時間やることによって前頭葉の活性度が低下するということも聞いています。川島隆太氏もそういう実験データをお持ちかと思われます。

私自身、自覚症状で森氏の主張される結論と類似していますので、あまり彼の実験内容について云々議論することに興味がありません。

あくまで自覚症状があるのでそこが気になっています。

同じケーキを食べておいしいという人もいるしまずいという人もいる、温泉に入って気持ち良いと言う人もいればそう感じないという人もいる、滝のそばに立って気持ち良いと言う人もいるし感じない人もいる。またパワースポットに行って感じる人もいるしいない人もいる。それぞれの主観的体験が違うわけです。

それぞれの主観的体験に対して科学的にどうだとはいえないはずです。それぞれの主観的体験に科学的根拠がないといって否定はしないはずです。

ビデオゲームも好き嫌いがあるでしょう。

嫌いなヒトが、害があるとある科学的な説明をつけて否定に拍車をかけることが問題視されているのでしょう。ビデオゲームの胴元にとって不快となります。

以上がビデオゲームに関する私の見解です。

そして世の中ビデオゲームに限らずゲーム的要素があります。そのゲームが主観的に厭でも拘らざるを得ないことが多いのです。

そこで、嫌いなものでも好きになる方法はないものだろうかと考えた次第です。

欺瞞といえば欺瞞でしょうけど欺瞞も時には必要ではないでしょうか?

これで意味は通りましたでしょうか?

投稿: n_ohsaki | 2008年2月23日 (土) 01:56

▼▼▼引用▼▼▼
私自身ゲーム脳をビデオゲームに限らず色々な意味でゲームをすることによって事後的に倦怠感や疲労、酩酊を催して、そのときの脳の状態を指し示しているものと捉えております。
▲▲引用終了▲▲
あれほど、原典か私が書いたもの(←森氏の文章を引用してあるので)を読んで下さい、とお願いしたのに、全く聞き入れる気は無いようですね。

あまりにもどうしようも無いから、ここに置きます。

以下、引用文献は、森昭雄著 『ゲーム脳の恐怖』

▼▼▼引用▼▼▼(P25)
「前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。」
▲▲引用終了▲▲

▼▼▼引用▼▼▼
「子どもはテレビゲームをする習慣がつき、麻薬と同じようにやめられなくなっていきます。やがて、子どもの前頭前野の働きは低下し、動物脳と呼ばれる古い脳である大脳辺縁系に対して、常時動物的な行動に出ないようにする抑制がかけられなくなってくるのです。」(P155)

「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(P158)

「テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性がつくられないことになるのです。」(P175)
▲▲引用終了▲▲

これも参考に⇒http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/game_brain.html

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_85db.html

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 04:08

スイミーを「みんなで集まれば怖い」って解釈した話ですよね(笑)
あの話は、あとあと考えてみると、まず大きな魚からしてみれば、あたりまえのことをやってるんですよね。くじらの狩りなんかを考えるとわかりやすいですが、わざわざ小さな魚を集めて狩をするわけですね。大きな魚からしてみると効率的だし、小さな魚からしてみれば食べられる確率を下げるってことですよね。日本の国語は「道徳的過ぎる」と批判する方もいますし、そうだなと思うこともよくあります。私にとっては科学的知識というのは、「その解釈は違う」といわれたときに、物事を違った面から解釈できる武器でもあったように思います。そしてフィクションはフィクションと楽しめるようになりました。教育実習行ったときに、そういう子供もなかにはいるんですよね。でもそういった子供が決してひねくれてるわけじゃなくて、本人にしてみれば、合理的に考えている場合もあるんだなあとは思うこともありました。「科学」的思考を強調すれば、「子どもらしい夢がない」という方もいますが、遊鬱さんのところのコメントで書いた「蚊」だって、「なんで蚊に刺されたら痛くないんだろう」という、子供できる発想からインシュリン用の針ができますよね。「小さな虫かわいそう」とか「小さな虫汚い」という発想からだけでは出てこない発想なんじゃないかなあと思います。

投稿: 安原 | 2008年2月23日 (土) 10:13

安原さん、今日は。

道徳の授業とかって(スイミーは国語だったかな)、「いかにもいい話」的なのがありますよね。でも、そういうのを懐疑的(と言うと大袈裟か)に見る子どもなんて、結構いる訳ですね。
まあ、自分がそうなのです(笑)

自分自身は、「科学」については、どちらかと言うと、ネガティブな印象を持っていました。もちろん、マスメディアの報道であったり、フィクションで科学者がワルモノとして戯画化されていたり、という理由からだと思います。

スイミーでちょっとググったら、私と全く同じ事考えてた方がいました⇒http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC274.HTML

やっぱそう思いますよね(笑) いや、当時にそう考えたかどうかは、もはや定かでは無いですが、これ程度に気付く小学生は、いくらでもいそうです。ビジュアル的にものを考える子ですね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 12:36

ところで、スイミーの話から、「一心同体は怖い」と感じるセンスは、結構凄いですよね。先生からすると、意外なのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 12:39

 リンク先のは受けました(笑)なるほどー立体的に見るんですね。
 私はスイミーに関しては国語で「作者の気持ちになりましょう」的に教わりますよね。
 単純にレオ・レオニの絵がグロテスクに見えたんですよね。私も気持ち悪かった。
 だから作者は「一心同体は怖い」っていいたいのかなあーと思ったように思います。
 苔の話もそうですね。言うこと聞いて誉めてもらう気満々なのにあれ?みたいな(笑)
 大学の実習先で「世の中に不必要なものを考えましょう」(で、いろいろと調べるという)という
 別に答えがない研究授業みたいなのがあって、
 ある子供が「ネクタイ」っていったんですよね。
 あーなるほどーとけっこう考えましたね。
 当時調べたら(ほかの説もあるのかも)、「ボタンは服装の格としては下でそれを隠すためのもの。だからカフスボタンやくるみボタンと意味は同じ」みたいな話だったような。
 「必要か必要じゃないか」っていわれると困りました(笑)

投稿: 安原 | 2008年2月23日 (土) 13:21

私がスイミーに感じたのは、「それだと、横からしか魚に見えないじゃないか。マグロは、そんな都合の良いポジションにいるの?」でした。さすがに、子どもの頃にはそこまでは考えなかったかな。

子どもだから、社会的な論理には気付きにくくて、より物理的な所に思いを馳せる事が、あるのかも知れません。


もちろん、教材としての有用さについて言っているのでは無く、こう考える人もいる、という事ですね。
子どもが、「せんせー。まぐろがまえのほうからみたらどうなるんですかー。」なんて質問したら、どうなるのかな(笑)

ああ無粋。ああ野暮。

「世の中に不必要なものを考える」って、凄まじく難しい課題ですよね。子どもからすると、色んなものが、必要とは思えないでしょうしね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 14:03

TAKESANさん。
こんにちは。
あまりに面白い話題なのでつい仲間に入れて欲しくて書きます、、、

道徳ではないのですが、
我が子は小学生のとき、国語の問題にいつも悩んでいました。
「棒線の箇所は作者がどのように思ったところか?」と言う質問に、
「作者じゃないのでわからない」と答えて、担任から力いっぱいバァ〜〜〜〜ツをもらっていました。しかし中学生以上になると点数の稼ぎ方なんて覚えて、何にも考えずに(むしろ考えると深みにはまり抜けれなくなる)正解に結びつけていました、、、
これって国語教育の貧困と言うか、
かなり問題だと私は思うのですよね。

TAKESANさんが言われるように子どもの感性って伸びやかだから、「いいはなし」なんかでは、そうそうひっかりません。
と、言うことで中教審あたりに物申したくなる私です。

では、、、またね(*^_^*)

投稿: せとともこ | 2008年2月23日 (土) 14:46

せとともこさん、今日は。

その類のテストの問題、についての疑問は、通る道ですよね。しかも、一応「答え」が用意してあって、納得がいかない。
そこから、不信に思ったりするのですよね。テストなので、そういう訓練だと割り切る、というのも重要なのかも知れないですけれど。いわゆるゲームとかクイズ感覚で。

こちらのエントリーを思い出しました⇒http://plaza.rakuten.co.jp/yotayotaahiru/diary/200802110000/

深く読み、ちょっとやそっとで「納得」しない人は、考え過ぎてワケが解らなくなるのですよね。私もでした。
そこで、周りの人に適確にアドバイスされると、もっと客観的に見られて、良かったのでしょうね。

大事なのは、「広く」興味を持つ事だと感じます。これも経験からの教訓で、私はある分野に興味を持っていて、「それ以外の事に興味を持つのは時間を無駄にする」、なんて考えてしまったのですね。それが視野狭窄に繋がって、色々な物事を結び付ける論理なりに気付かないような認識を作ってしまいました。
色んな所に色んな考えを持っている人がいる、というのを知るのが大事かな、と。「想像力」にも関わってきますね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月23日 (土) 16:58

>「世の中に不必要なものを考える」って、凄まじく難しい課題ですよね。
難しいですね(笑)すさまじく時間かかりますね。そして時間をかけても答えがでるとも限りませんしね。答えは出さなくてよいようなものをもってくる子供もいますしね。「困りましたね。はてー(自分で考えて)」で教師は終わっていい授業を学べってことだったのかもしれません。おもしろい担当教官だったので。

大きな傾向でいうと、PISAの学力テストでも日本の子供は何かの「情報」から何らかの「教訓」を見出さなければ「ならない」という傾向(道徳的といってもいいのかな)があって、リテラシーの設問では低い点が出てます(全般的には高いんですが)。ようするに「批判的」「懐疑的」(といっておきますが)なものの見方がイマイチできてないという専門家もいらっしゃいます。PISAの採点基準からすると、TAKESANさん的な「まぐろよそみ派」(笑)のお子さんやせとさんのお子さんは◎かもしれませんね。そして、「伸びやかな感性」というのは「(大人からみれば)失礼」とも表裏一体だったりもするのでそこも難しいところかなと思います。(もちろん、せとさんのお子さんがそういうお子さんだといってるわけでは決してありません)。
 ただの一例ですが実習先でポリンキーの替え歌が流行ってて「初任給、初任給、初任給は13万、暮らしていけないよ、じゃん」とか歌ってましたからねえ、担当教官は冗談で後ろから蹴り飛ばそうかといってました。個人的には笑える(+おーある意味本質を突いている!)んですが、教師としては「おもしろいじゃん」っていってるだけじゃいかんのですよね、きっと。

 私の基本実習先は国立の附属で、まさに「研究授業」だらけですから、おもしろかったですし、勉強にもなりました。ただし子供たちは親も家庭的にもそう問題がないんですね。学力も全般的に高い。クラスの人数も少ない。さらに実習の時期になると実習生が4人も各クラスに配属されます(つまり人材補填の意味も)。ちょうど運動会シーズンの時期です。そのころは「ウォーリーを探せ」が子供たちに人気で、運動場をウォーリーで埋め尽くす企画をどちらかの先生が考え、実習生がその準備にあたります。人手があるからできる企画です。授業後はあけてもくれてもウォーリーの目玉切り。子供を伸びやかに育てるためには、教師も伸びやかになれる環境が必要なんじゃないかなとも思ったりします。

投稿: 安原 | 2008年2月23日 (土) 21:38

TAKESANさま

前回の記事は、前後してしまいましたね。
すみません。FREEさんの記事を拝見し、40分ほど考えながら書いて投稿しましたところ、前にTAKESANさまの記事が入っておりました。

森昭雄氏のゲーム論のご提示大変恐縮です。
大変荒っぽいかもしれませんが、TAKESANさまがご引用された見解は概ね違和感を覚えます。私と考え方が違う。TPOや空気が読めなくなる、動物的脳を抑制できなくなる、中毒性がある、といわれていますが、より空気を読む人間になる、爬虫類脳の機能が低下する、中毒性というよりもゲーム的なリアクションパターンが刷り込まれる、というように考えております。

同じなのは、ゲームによってネガティブな影響があるだろう、と仮説を立てている点ですね。

化学物質過敏症やシックハウス症候群といわゆるゲーム脳との関連性は、検討中です。

換気扇の音を嫌って換気が十分されない可能性があること、冬場、暖気が逃げないように換気量が減少すること、に注目しております。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月24日 (日) 00:05

>安原さん

日本の子どもは、無回答が結構あるのでしたよね。そこがポイントで、何か思っても、それを「出す」のにためらいを覚える、という事があるんじゃないかな、と。ある「求められている」解答の「型」みたいなものを意識していて、そこからはずれそうな答えが浮かんでも、書かなかったり。
考え付くけどそれを披露したりするのにためらう、という。

あ、替え歌、面白いです(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年2月24日 (日) 01:06

n-ohsakiさんへ
前にも書きましたが、ちゃんとした定義のあるものを「自分勝手な解釈」をし、本来の定義がそこから外れるから「違う」と言うのは、明らかにダメです。

>TPOや空気が読めなくなる、動物的脳を抑制できなくなる、中毒性がある、といわれていますが、より空気を読む人間になる、爬虫類脳の機能が低下する、中毒性というよりもゲーム的なリアクションパターンが刷り込まれる、というように考えております。

「ゲーム脳」とは、森昭雄氏が言ったもの意外に無いのであり、あなたが仰っているのは「n-ohsakIさんの考えるゲームの影響」以外の何者でもありません(その考えが間違えである、という意味ではありません。それと「ゲーム脳」は全く違うものである、ということです)

ちゃんと定義のあるものは、ちゃんとその定義を守ってください。ちゃんと定義がある概念にも関わらず、その概念の名前を使った全く別の意味を言われたのでは誰にも理解できません。言葉の意味について、もう少し慎重になることをお勧めします。

TAKESANさんへ
ちょっとやりとりを見ていて感じたことを書かせていただきました。
でしゃばりでしたら申し訳ありません。

投稿: たこやき | 2008年2月24日 (日) 01:09

たこやきさま

私は、ゲーム脳をビデオゲームをやることによって、やる以前と以後で脳の状態が変化すると予測される仮説と解釈しております。

どう変化するかについて森氏が主張されるところまで限定してゲーム脳と定義を想定しておりませんでした。

脳の状態変化の可能性を森氏が始めて提言したのですから、もっと一般的にゲーム脳というように活用してもいいのではと思われます。

森氏がどのように変化するかということについて述べておりますが、そこまでは同意しておりません。

限定の意味で定義するのならゲーム脳という仮説はより黒いものとなりますね。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月24日 (日) 01:43

n-ohsakiさんへ
>森氏がどのように変化するかということについて述べておりますが、そこまでは同意しておりません。
いえ、その結果部分も全て含めてが「ゲーム脳」と言う言葉になります。というよりは、その「結果部分こそ」が「ゲーム脳」です。
そもそも、森氏の論は、ゲームをした人の脳の状態が、認知症の人のそれと同じである、というところからスタートしています。本来、認知症でないにも関わらず、認知症と同じ状態である脳のことを「ゲーム脳」と森氏は呼んでいるのです(ゲーム脳と名づけたのは、テレビゲームをやった人に、そのような状態の人が多いから、という理由だそうです。この計測方法にも問題が多いのですが)

実際、森氏は携帯電話、パソコン、テレビ、漫画、将棋…といったものでも「ゲーム脳」になる、と述べています。n-ohsakiさんの仰っている「ゲーム脳をビデオゲームをやることによって、やる以前と以後で脳の状態が変化すると予測される仮説」というのであれば、携帯電話などについては、無関係となるはずです。

ちなみに、
>脳の状態変化の可能性を森氏が初めて提言した
についても間違いです。特定のことをすることで、脳の状態が変化する、ということ事態は昔から研究されています。また、テレビゲームをすることによる状態変化などは、東北大の川島隆太氏などが前から研究しています(ちなみに、川島氏は、状態変化の「善悪」は述べていません)

投稿: たこやき | 2008年2月24日 (日) 02:15

>ドラクエではギガンテス
痛恨のミスorz。

>あとあと問題が残るところ

私も気になったので、考えてみました。

秋田の昔の人の生活は、今よりもお互いに助け合う気持ちが強かったのではないか。そんな時、実際に知っている人の名前を出すと、その後の近所付き合いがうまくいかない可能性が高くなる。

そうなれば、今までの生活が出来なくなって困る可能性も出てくる。そうなるのは嫌だ。しかし「なまはげ」ならば、波風が立たない可能性が高い。よって「蒼坊主」に頼る方が、余計な心配をしなくて済む。
______________

実際のところ、「秋田の昔の人が子をしかる時、実在する人の名を出さずに、摩訶不思議ななまはげに頼った理由」はどうなのでしょうね。「昔の秋田の人」にでも聞けば良いのかな。今の秋田の人の生活は、事情が変わっていそうですから。

ああ、だれか試しに「わがまま言っていると、隣のオバマさんが来るよ。」とでも言ってくれないかな。きっと「身に染みて分かる」のではないかしら。(もちろん自己責任で)

しかし、自分で色々考えるのは本当に面倒ですね。物知りの夜行さんにでも聞いていた方が、まだ楽でしたorz。

投稿: TAKA | 2008年2月24日 (日) 02:17

たこやきさん、今晩は。

いえ、コメントを下さる方とやり取りするのは、全然構いませんので・・。

えっと、ちょっと補足です。

正確には、ゲーム脳には、科学的に明確で妥当な定義は無い、と言った方が良いかと思います。あるのは、森氏による、定性的な「定義らしきもの」、ですね。
ですので、色々な人が、それぞれの「ゲームの有害性」を持ち出して、それをも「ゲーム脳」と表現する訳ですね。これが、ゲーム脳の本質的な厄介さであろうと思います。

で、ここでたこやきさんが仰る定義というのは、森氏が著書や講演で主張したもの、という事ですね。この文脈での定義を、そういう概念として捉えます。
私も、散々(もう、何度も何度も)、「森氏の発言を踏まえて言葉を用いないとダメだ」、という事を言っているのですが、まあ、あんな感じです。
無闇に概念を拡張してはならない、と言っているのですけれどね。

多分、このコメントも、誤読する事でしょう。私はたこやきさんと同じ事を言っている訳ですが(「定義」の使われ方を補足しただけ)、それを読み取るのは無理でしょうね。定義が無いという所をクローズアップして、好きに読むだろうから。

---

解釈も何も、森氏が何を言って何を言ってないかを参照するように、と書いたのですが、まあ、どうしようも無いかもです。

------

TAKAさん、今晩は。

「人で無い」という事は、時には凄まじく危険である、と考えています。

投稿: TAKESAN | 2008年2月24日 (日) 02:26

こんにちわー。
>日本の子どもは、無回答が結構あるのでしたよね。
そうですね、そういう傾向もあります。

上でコメントを書いた話は2000年のPISAの試験からの解釈で、警察の「DNA鑑定」について説明だけをしてる文章に対して
「この文章で筆者が伝えたい最大の目的は何でしょう?」という選択問題なのですが
その選択肢が
1 警告すること
2 楽しませること
3 情報を伝えること
4 納得させること
なのですが、正解は3なのですね。
これはOECD平均で80.5%と高い回答率をとってる問題で(日本は50.4)(私もやってみましたが難しい問題だとは思いませんでした)。日本の子供は1と4がほかの国に比べてかなり多いんです。1の回答のOECD平均が6.4のところ日本は17.4で、4のOECD平均が8.9が日本は29.8なんですね。「警告すること」も「納得すること」もメタ認識なんですが、情報を与えるためだけの情報にメタ認識が「書かれてあるんだろう」って思ってると。警察が何かいうことは、いつも1.4なのかな(笑)とも思ったりするんですが。

投稿: 安原 | 2008年2月24日 (日) 11:58

こんにちは。国際的な比較となると、ことばの問題も出てきそうですね。日常で「納得する」ということばは「情報を受け取った」という感じでも使っているような気がしますし。選択肢が「4. 説得すること」とでもなっていたらそこの回答率はもっと下がっていたかもしれないと思ったりします。

投稿: ちがやまる | 2008年2月24日 (日) 12:25

安原さん、ちがやまるさん、今日は。

面白い例ですね。選択肢の内容の違いが良く解らない場合、逡巡しそうです。「警告」や「納得」に、「情報を伝える+何か」、を「読み取ってしまった」のでしょうね。答えが「情報を伝える」、では「問題として面白く無い」、なんてメタな認識があるのかも。
問題を深読みしてしまって、出題者が考えてもいない所で悩んでしまうというのも、よくありますからねえ。

ちがやまるさんも仰るように、言葉等の文化的背景というのも、考慮すべきなのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月24日 (日) 12:44

 この回答率の解釈をされている人も「情報を伝えること」が果たして正解なのかと保留はかけてます(その理由は書かれていません)。
 この問題自体は「殺人事件が発生しました。しかし、その容疑者は容疑を全面的に否認しています。容疑者が被害者を面識がないと言い張っています。一度も会ったことがないし、そばに近づいたことも、触れたこともない・・と主張しています。刑事も判事もこの容疑者がうそをついていると確信しています。だがそれを立証するかが問題です。」という前段があって、その立証のために、遺伝子調査があるということで遺伝子調査の説明をしていてそれが文章の主の話になります。「4. 説得すること」を選んでいる子どもは「(被疑者をもしくは刑事や判事を「納得させること」)と読み取っているのかなとは思いました。「言い張って」「うそをついていると確信しています」とか書かれてますからね。ですから「説得すること」となっても、そういうふうに読み取っていれば、回答率は変わらないかなと思います。私は「判事が確信しています」って「オイッ」って思ったんですが(笑)言語の考慮については、ちょっと私にはその知識がないので、何ともいいがたいのですが、文化的背景は別の「落書き」の問題は日本の子供には厳しい問題だなと思いました。
 どちらにせよ、PISAの点数低下が「学力低下」と騒がれた一因なわけなんですが、何が低いのか、何を「不正解」とみなされるのかという検討をして騒いでいるかというとそこは違うなあとは思います。実際の問題を見ないと難しいと思います。まさにマスコミ批判的な「テレビのレポーターが2ケ年のデータを比べて“急増してます”っていってますが、これは妥当ですか」みたいな問題ができないんですが、これは子どもだけの責任ではないように思います。

投稿: 安原 | 2008年2月24日 (日) 13:46

>「4. 説得すること」を選んでいる子どもは

失礼しました。書き間違いです。
「4.納得をさせること」を選んでいる子どもは

投稿: 安原 | 2008年2月24日 (日) 14:01

なるほど。その問題の説明を読むと、益々、答えを選ぶのが難しそうなものに思います。

そうですそうです。文化的背景というのは、「落書き」問題を念頭に置いて書きました。あれも凄く難しい。

言葉については、言語によらず、選択肢ごとに用いられている言葉の意味内容がきちんと共通であるようにする、と言うか。いや、思い付きですが…。

あの、グラフ(「急増」しているか、というやつ)の問題、まずマスメディアが率先してやらかしている例ですよね。ああいう問題を、果たして「大人」が、どれくらいちゃんと答えられるか…。統計の読み方とかは、まず大人もきちんとやらないと、と思います。大人が出来ないのに子どもに求める、というのは、明らかに変ですしね。統計数字っぽいのは、マスメディアもどんどん採り上げているので。

その、PISA2000のDNA鑑定の問題例、WEBでは参照出来ないものでしょうか? ググっても見つけられなかったもので…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月24日 (日) 14:51

ご存知無い方のために補足。

上で話題になっている、「グラフ」、「落書き」の問題はこちら⇒http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016182461.html

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016225955.html

いずれも安原さんのブログです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月24日 (日) 15:01

「理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっている」ですか。

なるほど。

なるほど。

ああ、言いたいなあ……。(^^;

投稿: みづ | 2008年2月25日 (月) 00:27

みづさん、今晩は。

そこは ぐっと堪えて、自分は理性を保っている、事を身を以って示すのが、肝要なのであります。

投稿: TAKESAN | 2008年2月25日 (月) 00:36

こんにちは

「ゲーム」という言葉の定義を考えると、
ヴィトゲンシュタインが家族的類似の例として「ゲーム」を挙げている事を思い出しました。森教授の「ゲーム」は家族的類似で括れないほど広がっていて共通項があるかどうか不明ですが。
 
「ゲーム」という言葉があいまいで定義できないのは今に始まった事でない事な訳で、そんな「ゲーム」という言葉が、受け取り手の見たい願望を見せているのかもしれませんね。

投稿: FREE | 2008年2月25日 (月) 11:49

FREEさん、今日は。

「ゲーム」の定義を考えるとすると、これは相当に難しい問題なのでしょうね。

恐らく、ゲーム脳系の人達は、コンピュータゲームで「ディスプレイ」を用いる所に、注目していると思われます。なので、コンピュータゲームだけで無く、電子メディア全般の有害性を主張したりする訳ですね。

従って、私が推察するに、森氏が言う「ゲーム」の共通項は、「ディスプレイ」を用いる事、だと考えています。だからこそ、ゲーム個別の内容を考察する「必要が無い」のですね。
で、その共通項で結ばれるものは有害である、と主張するために、アド・ホックに根拠を見出すのですよね。
つまり、

ディスプレイに向かって一人で何かする文化は有害だ、という直感があり、それを前提とする→その共通項で結ばれた文化に属するものの、個別の特徴を見付ける→そういう特徴までも、アド・ホックに、「有害性を説明する根拠」として挙げる 例:チャットや掲示板は、手書きで無くキーボードタッチでの文字入力だから、良くない

と、こういうロジックなのではないかと考えています。そしてそれが、きちんとした研究、たとえば、ゲームと攻撃性との関係を社会心理学的に研究したもの等、とも結び付けられて、主張の補強として用いられてしまう。

しかし、最近になって、脳トレ系は良い効果を及ぼすかも知れないと発言したりして、一貫性は無いのですよね。その一貫性の無さが、ゲーム脳の厄介な所な訳ですけれど。

こういう所を含めて、「森氏が何を主張したか」を把握するのが、重要なのですね。ゲーム脳は本質的には、「何も言っていない」に等しいのですから。

私も、コンピュータゲームを定義しようとした事がありますが、なかなか困難でした。

投稿: TAKESAN | 2008年2月25日 (月) 12:43

安原さんのブログを拝見しました。脇道になりますが、kirikoさんのコメントの「凶悪犯と万引き経験」の話は、ベイズの定理の練習問題ですね。

「凶悪犯の半数は万引き経験がある」ことだけからは、万引き経験の有るもののうちどの程度が凶悪犯になるかはわからないわけですが、うっかり騙されることもあるんでしょうね。次のような例を考えれば分かりやすいかと。

「凶悪犯のほとんどが、軽犯罪の立ち小便を経験している。」あるいは「凶悪犯のほとんどが、小さな親切のような善行の経験がある。」

「数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活」(ゲルト・ゲーレンツァー著、吉田利子訳)には、裁判や検診などの命にかかわる深刻な実例が分かりやすく紹介されていますね。

投稿: zorori | 2008年2月25日 (月) 19:59

zorori さん、今晩は。

同じような問題は、統計のテキストで、見ますよね。よく読む心理統計のテキストにも、出てきます。

 >「数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活」

あ、これ、前に図書館で見かけて、いつか読むリストに入れている本です。

安原さんの所のコメント欄を読まれたんですね。あちらに私のコメントもありますが、あんまり気にしないで下さい(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年2月25日 (月) 23:08

美味しそうなぶどうですね。

たこやきさま

脳が痴呆状態になるって頭がぼーっとすることですよね。判断力もなくなってくる。

押しなべて携帯もパソコンもテレビ、漫画、将棋も条件が揃えばぼーっとします。換気が悪かったり、インクの匂いや畳の防虫剤で気持ち悪くなったりします。

携帯でメールを打って気分が悪くなりいらいらしました。目を凝視して呼吸が少なくなるからでしょう。ビデオゲームも私にとって運動が小まめ過ぎて息が詰まってぼーっとしてきます。

野球でも作家でも気負いすぎたりプレッシャーで息が止まってぼーっとしてうまくいかなくなりますね。サッカー日本代表がブラジルに負けるときも頭がぼーっとしていることもあるのではないでしょうか?丸山茂樹が全英オープンで惜しくも優勝を逃してしまったことがありますが、あれも夢見た優勝だ、と頭が一杯になって呼吸不足になってぼーっとして以後調子を落としてしまったのではないでしょうか?

だから、これら全部が悪いから止めましょう、とはならないはずです。

自分にとってどうにもならない問題解決方法がなければやること事体問題ないでしょう。

換気を良くしたり、気負い過ぎないとかは解決するのですが、小まめな運動を強いられ呼吸不足に陥るのだけは、ビデオゲームのインタラクションのペースを変えていただかないと無理です。

TAKESANさま

ディスプレイは、色々言われているように思います。

X線が出るとか、空気中の窒素や二酸化炭素と光化学反応を起こしてNOxやCOを出すとか、液晶が揮発したり、プラスチックの可塑剤が溶けてフタル酸を出すとか、こういいつつディスプレイに向かっているのも矛盾していますが。

疲労感がありますね。

おそらくTAKESANさまの緻密な文章を読み取れない原因かもしれません。

ぎっしり詰まって書かれていると途中で記憶が飛んで何が書いてあるのか判らなくなります。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月25日 (月) 23:12

n-ohsakiさん

ほら、また自分勝手な「定義」を作りましたね。それが一番ダメ、と言ったそばから…。

>脳が痴呆状態になるって頭がぼーっとすることですよね。判断力もなくなってくる。

違います。少なくとも、ぼーっとしているのと、認知症の状態というのは全く違いますし、また森昭雄氏もそのようなことは書いていません。自分勝手に「認知症状態の脳」=「ぼーっとしている状態」などと定義を変えてはダメです。
森氏の言う「認知症状態の脳」とは、「脳波の中のα波とβ波の割合を測定し、α波の割合が高い状態」です。この形からすれば、仮に「ぼーっとしている状態」であっても、「認知症の状態」とは言いませんし、また、「ぼーっとしていない状態」であっても、「α波優位の状態」であれば、「認知症と同じ」です(もっとも、これはあくまでも森昭雄氏が言っていることで、医学の世界全般がこの認識であるわけではありません。ただ、「ゲーム脳」の概念、理論など、全てが森昭雄氏によって作られたものですから、まず、森昭雄氏の主張を重視すべきです)

>野球でも作家でも気負いすぎたりプレッシャーで息が止まってぼーっとしてうまくいかなくなりますね。サッカー日本代表がブラジルに負けるときも頭がぼーっとしていることもあるのではないでしょうか?丸山茂樹が全英オープンで惜しくも優勝を逃してしまったことがありますが、あれも夢見た優勝だ、と頭が一杯になって呼吸不足になってぼーっとして以後調子を落としてしまったのではないでしょうか?

それは単に集中力を欠いたり、プレッシャーに負けている、というだけでは? 少なくとも、彼らに認知症の症状があるとは言えません。
このような形で話を広げるのもやめたほうが良いと思います。

投稿: たこやき | 2008年2月25日 (月) 23:55

たこやきさま

厳密に言いますと認知症と頭がぼーっとするのは違うかもしれません。

しかし、頭がぼーっとするのは問題ありませんか?
若年性認知症があります。どういう人がなりやすいというとディスプレイとにらめこしている人でしょう。

しかも頭がぼーっとするようなストレスをたくさん体験した人は、老後認知症にかかる確率が高いと言われるでしょう。

ぼーっという自覚をするとやばいでしょう。
あの疲労感が問題なわけですよ。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月26日 (火) 00:05

たこやきさん、今晩は。

------

はい、終わりです。

▼▼▼引用▼▼▼
おそらくTAKESANさまの緻密な文章を読み取れない原因かもしれません。

ぎっしり詰まって書かれていると途中で記憶が飛んで何が書いてあるのか判らなくなります。
▲▲引用終了▲▲
あれだけ何度もやり取りを繰り返したにも拘らず、具体的に不明な部分を指摘する事無くこのようなレスをするというのは、言葉を用いたやり取りについて全く不誠実である事を自ら宣言した、という意味です。要するに、読んでいない、という事なので。

私は、今後一切、レスする事はありません。

------

>たこやきさん

丁度さっき、森氏の本についてのエントリーを上げたところです。かなり長くなるかもです。

私は、上に書いたように、完全スルーしますが(何故スルーに至ったか、という根拠も、充分示されている、と思うので)、引き続き、コメント欄でのやり取りは、自由にして頂いても構いませんので・・。

投稿: TAKESAN | 2008年2月26日 (火) 00:29

n-ohsakiさん

>厳密に言いますと認知症と頭がぼーっとするのは違うかもしれません。

厳密に言わなくとも全く別物です。
ぼーっとしている人の脳が、認知症の人の脳と全く同じである、なんて滅茶苦茶ですよ。ちゃんと認知症の定義もあるわけで、それをしっかりと把握してからモノを言うほうが良いと思います。

>若年性認知症があります。どういう人がなりやすいというとディスプレイとにらめこしている人でしょう。
>しかも頭がぼーっとするようなストレスをたくさん体験した人は、老後認知症にかかる確率が高いと言われるでしょう。

それは誰が言っているんですか? 少なくとも私は知りません。誰が言っているのかお教え願えませんでしょうか? まさか、n-ohsakiさんが「そう思っているだけ」じゃないですよね?

>ぼーっという自覚をするとやばいでしょう。
>あの疲労感が問題なわけですよ。

で、ゲーム脳のほうに戻りますが、森氏は「ぼーっとしているかどうか」で判断しているわけではないです。さっきも書きましたが、仮に「ぼーっとしていない」状態でも、「α波優位」ならば「ゲーム脳」で「認知症と同じ」と言っているわけです。
ぼーっとするような疲労感がするのは、認知症にしやすくする、なんていうのは、「n-ohsakiさんの考えるゲームの影響」であり「ゲーム脳」とは別物です。「ゲーム脳」という言葉を使って説明されても、誰にも伝わりません(森氏の言うものが、一般の人にとっての「ゲーム脳」ですから)。だから、何度も「自分勝手な定義を作るのはやめましょう」と言っているんですが。

投稿: たこやき | 2008年2月26日 (火) 00:40

 TAKESANさん

 リンクまでしていただいてありがとうございます。お手数かけてすいませんでした。
 私が引用したのは、その問題はユリイカ2006年9月号「理想の教科書」特集です。PISA2000の出題例は「国語教科書の思想」著者の石原千秋さんが引用されています。

 >ちゃんと認知症の定義もあるわけで、それをしっかりと把握してからモノを言うほうが良いと思います。
取材先で認知症の先生が同じことをおっしゃってました。

認知症とは
「認識したり、記憶したり、考えたり、判断する力が障害を受け、社会生活に支障をきたすようになった状態」をいいます。それを引き起こす原因にはさまざまなものがあります。アルツハイマーの発症理由は不明です。わかればきっと人類の救世主をいわれるでしょうね(笑)

認知症または認知症様症状示す疾患としては、アルツハイマー病が代表的なものですが、それだけと勘違いしてる人も多いようです(と、取材先の先生が言ってました)脳出血や脳梗塞などの脳血管障害でも起こります。
いろいろあるんですが・・・
・皮質性認知症
・皮質下性認知症
・辺縁型認知症
 などなどの型に分かれ、
 具体的には(ほかにもありますが)
●レビー小体病(アルツハイマー、脳血管障害に次いで多い病気です。脳の神経細胞にレビー小体という異常なたんぱく質が蓄積します。パーキンソン病のように手足がふるえたり、動作がゆったりになるなど、筋肉の硬化が見られること。そして幻視をいだきやすいことがあげられます。

●ピック病 前頭葉と側頭葉の萎縮が強い認知症です。人格が変わったようになって、反社会的行動をとるような場合があります(精神疾患と誤診される場合もあるそうです)。

投稿: 安原 | 2008年2月26日 (火) 01:43

安原さん、今晩は。

お二方に、色々補足説明を頂き、ありがとうございます。

言葉がどう使われているか、という所は、きちんと考えなくてはなりませんね。

------

出題例の情報、ありがとうございます>安原さん

投稿: TAKESAN | 2008年2月26日 (火) 02:27

あ、あとちなみに
私がもってる本だとアルツハイマー病では「後部帯状回や、海馬、さらに頭頂・後頭連合野で血流が減少します」とありますが。(SPECT 脳血流シンチグラティの調査の説明)-認知症・アルツハイマー病がよくわかる本--遠藤英俊著--認知症の専門医の方の本です。上の情報も同じ本から参照させてもらいました。

投稿: 安原 | 2008年2月26日 (火) 02:49

n_ohsaki さんに1つだけうかがいたいのですが……。

n_ohsaki さんが考えるその状態を、なぜあえて「ゲーム脳」と呼ばなければいけないんですか? あるいはなぜあえて「ゲーム脳」と呼ぶのですか?

投稿: みづ | 2008年2月26日 (火) 05:23

安原さん

レビー小体型認知症の幻視は非常にはっきりしていて、実際には存在しないものが、普通に存在しているかのように見え続けるそうです。
私は、自らを霊能者と仰っている方の何名かはこの病気ではないかと疑っています(もちろんほとんどは「ウソ」だと思っていますが)。

投稿: Noe | 2008年2月26日 (火) 08:15

皆さん、今日は。

自身の能力を確信している(嘘はついていない)場合には、色々な理由がありそうですね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月26日 (火) 12:00

こんばんは
 
TAKESANさんが失望するのはもっともです。読んでいないというのは文章でコミュニケーションをとる方法で一番不誠実で失礼で相手を侮辱する姿勢です。そのような状態であれば文章以外の方法でコミュニケーションをとるメディアを選択すべきだと思います。(それでもしたいのであれば、プリンターで印刷して読むとか)

一般的な「ゲーム」という言葉は明確な定義をができない言葉だという事を示したのに分かって頂けなくて残念です。森氏の「ゲーム」は一般的な「ゲーム」ではないと。婉曲すぎたのかな。

投稿: FREE | 2008年2月26日 (火) 22:13

たこやきさま

認知症になりやすい人の傾向について何度か読んだことがあり、それが私の思いになっているのです。

認知症とぼーっとすることは、脳の状態は異なるかもしれませんが関係あることには変わりがないでしょう。

将来的に認知症にならないにはどうすればよいかを当事者本位で考えていく場合、本当に役に立つ知見だけを選択してまいりたいと思います。

TAKESANさま

私の最大の関心は、日常頭がぼーっとした状態がなくなること、将来認知症にかかることを極力回避することです。

大変失礼ですが、TAKESANさまには、そういう当事者意識があまりなく、回避しようとする方法とはあまり関係ないことをながなが羅列されておられるように感じました。
大変申し訳ございません。「ゲーム脳」というタームに接する動機が違っているようですので、申し訳ございませんでした。

ちなみに、どうしてゲーム脳を森氏の発言に即して論じる必要があるのですか?ゲームをやることによって何かしら脳に悪影響が起こるという仮説ではいけませんか?
あくまで仮説について論じているのですよ。白黒つけたわけではないのですから。

安原さま

認知症における情報展開ありがとうございます。
まだ認知症の原因や治療法が確立されていない中、私たちが高齢化したとき認知症にならないように今後の生活習慣を見直していきたいと思います。

血流が減少してはいけない部位を活性化させるためには、どういうゲームをどのくらいの時間やればいいのかまで含めて検討していきたいですね。

安原さまが展開された知見をもしご自身が認知症にかかられた場合、あるいは今後回避していこうとするとき、本当に活用できるのでしょうか?

確かに定義もされ脳の部位の血流状態も説明されますが、これらの知見が、将来的に当事者となったとき活用可能でしょうか?

FREEさま

ゲームの定義が困難といわれますが、やはりある範囲で定義していかざるを得ないのでしょう。

難しいから判らないから手をこまねいているわけではなく何かしらの意思決定は必要です。

わかっていないことは言わないほういいとは言われますが、わかっていない中でもわかる範囲で判断せざるを得ません。

今のところゲーム脳の是非は判りませんが、ゲームに対してある意思決定や判断をします。森氏のいうことが正しかろうが間違っていても。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月27日 (水) 00:42

みづさま

このブログに集われる皆様では、ゲーム脳を森氏の言説一字一句まで即した限定的なものとしてトラえらr手いるようですが、メディアや私の周囲では、ゲームをやることによって脳に何かしら影響があるというように捉えているのではと思ったからです。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月27日 (水) 00:48

FREEさん、今晩は。

いえ、FREEさんの書き方には、全く、微塵も問題はありませんでした。

お疲れ様です。FREEさんや他の方々の、丁寧で誠実な文章が、まるで読まれていない、というのは、残念な事です。

投稿: TAKESAN | 2008年2月27日 (水) 00:57

n_ohsaki さん

いえ、まず、「ゲーム脳」という言葉自体を作ったのは森氏ですし、その森氏のいう「ゲーム脳」の概念とn_ohsaki が捉えるそれとは一字一句「すら」一致していないようです。

にもかかわらずどうしてあえて「ゲーム脳」という言葉を「オレ定義」をしてまで使う必要があるのでしょうか、と聞いています。

コミュニケーションが成り立てばいいのですが。

投稿: みづ | 2008年2月27日 (水) 02:10

 認知症とかかわる生活習慣として、相関するものとしては、『日本医学会雑誌(第119号第7号)に放送大学教養学部近藤喜代太郎先生が、脳血管痴呆にかかわるものとしては「余暇利用の不活発」「高血圧の既往」「運動が不活発」「意識を失う頭部外傷」「検診不参加」の5つが。アルツハイマーに関しては「読書をしない」「他人との余暇利用不活発」「意識を失う頭部外傷」「散歩しない」「歯は半数以上失う」の5つがあげられています。ほかの説もきっとあると思いますが、補足しますがそれが「原因」とは混同しないでくださいね。つまりやっても無駄かもしれません。とりあえず、若年性認知症も心配されているようですから、まず病院に行って検診などされてみるのはよろしいかもしれません。私ならまずそうしますでしょうか。
 ちなみにアルツハイマーの薬は日本では確か1種類ですが、それでも「進行を1年ほど遅らせる効果がある」という薬です。基本的には不治の病です。認知症の進行を遅らせる効果があるのではないかという話では、脳トレ的な簡単なクイズ(それは新しいことを覚える能力に支障があるわけだから、難しいのはイライラする)や軽いスポーツは効果があるのではないかという話はありますが、それは患者の病気の改善ではなくQOLの向上だという先生もいました。私が取材した先生だとスポーツでも軽いもので1日30分程度のものくらいで、それ以上すると、あんまりQOLがよくないっていってました。ようするに老体なので疲れるからなんじゃないかと。補足しますが、健康な人がそれをやって「認知症を回避できるかどうか」は別です。
 とりあえず定義に従って「社会生活に支障をきたすようになった状態」とあるわけですから、QOLの向上(周辺症状の改善)も“病気の改善である”に一定の説得性があるとしますと、介護の質 (介護する人の病気への正しい理解がベースにあること)が病気の状態そのものと関わってきます。介護をしなくちゃならない人にとっても「認知症についての誤解」をとくのは大変なことだそうです(誤解しているほうが、ラクな場合もありますからね)。健康なうちにまわりの人を大事にして、正しい知識を理解してもらうことは重要かもしれません(例えば、いきなり祈祷とかに連れていかれたら私は嫌です)。さらに世の中には認知症になったときに残念ながらまわりにサポートをしてくれる人がいない方もいらっしゃいますので、社会的なサポート体制を充実できるような、言論活動も重要ではないかと思っています。そういった意味でも認知症を安易にゲームに結びつけられるような影響のある言論はあまりよろしくないかなと思うのですが、いかがでしょうか?
 あと認知症の認知の領域の能力が減退していきますが、「感情領域」が壊れるわけではなく、自分の能力が減退していること、まわりに迷惑をかけていることに対しての認識はあるので、それが悲しかったり、イライラしたり、怒りっぽくなることにつながるわけです。ですから「ボケたんだから本人は幸せ」的な言動は誤解だそうです。

投稿: 安原 | 2008年2月27日 (水) 02:38

みづさん、安原さん、今晩は。

色々と説明を書いて頂いて、感謝です。私も勉強になります。

投稿: TAKESAN | 2008年2月27日 (水) 02:53

こんなの発見⇒http://d.hatena.ne.jp/opemu/20080224/1203830046

むう。お決まりの論理展開で、ネットやらゲームやらの危険性が喧伝されているのですね…。そんなちらし、誰に配るんだ。

不安を煽るんじゃなくて、きちんと使い方を教えるのが先だと思うんですけどね。しかも、根拠不明確な煽り方ですしね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月27日 (水) 03:15

n-ohsakiさん

>認知症になりやすい人の傾向について何度か読んだことがあり、それが私の思いになっているのです。

ですから、誰が言っているのですか? 本に書いてあったのならば、何という本に書いてあったのですか? 誰が言っているのか、というのがわからなければ、こちらとしては確認のしようがありません。そんな状態で、

>認知症とぼーっとすることは、脳の状態は異なるかもしれませんが関係あることには変わりがないでしょう。

などと言われても納得しかねるわけですよ(実際に関係があるのかどうかもわかりませんし)
具体的にお願いします。


それから、私はTAKESANさんではないですが…

>ちなみに、どうしてゲーム脳を森氏の発言に即して論じる必要があるのですか?ゲームをやることによって何かしら脳に悪影響が起こるという仮説ではいけませんか?

「ゲーム脳」は森氏が作った概念だからです。ですから、それについて論じるには、森氏の発言に即するのは当然です。
別に、ゲームをやることで脳に悪影響が起こる、という仮説そのものは良いのですが、ちゃんと定義のあるものを自分勝手な定義に置き換えてはダメだということです。良いじゃないですか、「ゲーム脳」なんて言葉を使わず、「n-ohsakiの考える、ゲームの脳への悪影響」で。

投稿: たこやき | 2008年2月27日 (水) 08:27

>認知症とぼーっとすることは、脳の状態は異なるかもしれませんが関係あることには変わりがないでしょう。

少なくともDHMO摂取後の死亡率はなんと100%!!ってぐらいには関係あると思います。

投稿: Noe | 2008年2月27日 (水) 12:13

たこやきさん、Noeさん、今日は。

認知症との関係、とは離れますが、確か、ゲームの影響についての疫学的研究は、今行われている所でしたよね。かなり大規模なものだったので、時間が掛かるみたいですが。

窒素や酸素や他の気体の混合物も、摂取した後に死ぬ人は100%ですね。
テストで平均点以下を取った人は全員、その気体を吸っていますね。←別ネタの流用

余談ですが。
以前、某掲示板で、DHMOのネタの、危険性を煽る部分だけ書いて、この物質についてどう思うかと問うて、直後にネタばらしをするつもりが、それをする前に、読んだ方に、深刻に受け止められてしまった事があります。あの時は、物凄く申し訳無い事をしました…。分けずにちゃんと、一つの投稿に書いとくべきだった。

あ、ご存知無い方は、「DHMO」でググって下さいね。

投稿: TAKESAN | 2008年2月27日 (水) 12:32

ちょっと補足します。「頭がボーッとする」というのが認知症の定義ではないですが、認知症の患者さんの中にはもちろん「頭がぼーっとする」とか「もやもやする」といった自覚症状があって外来を訪ねる方もいらっしゃいます。もしくは家族に連れられてくる方もいらっしゃいます。そこを勘違いされていらっしゃるのかしら。n_ohsaki さんが「主観的に」ほんとに気になるようでしたら(もしくはまわりの大事な人が何かおかしいという場合)、世界中の頭の良いお医者さんが原因を探して必死でがんばっているわけですから、そこの検討はお任せして、物忘れ外来などをサクサクと訪ねてみるのが現実的ではないでしょうか?

 病院に行くのを嫌がる方も多いのがこの病気です。
 不安に思っている方に理詰めの説得は難しい場合も確かにあります。
 そういった場合は「嘘」でもいいから、連れていく場合の説得方法なども薦められている専門医の方もいます。

 たとえば
 「市から検診を受けてくださいと連絡があったから、天気のいい日に散歩がてら病院に行ってみましょうか」
 「健康の秘訣は元気なうちから病院に行って定期的に検査をしておくことですって。近所の○○さんもそうしているらしいから一度検診に行ってみましょうよ」など。

>当事者本位で考えていく場合、本当に役に立つ知見だけを選択してまいりたいと思います。
 なるほど。当事者じゃない方から「当事者の気持ちがわかるのか」と詰め寄られる場合は治安悪化の話のときもありましたが(苦笑)、当事者の方ですか?(この疑問は個人的な興味ですので答えたくなければぜんぜん答えていただかなくてかまいません。)まず当事者(家族の)としてのひとつの経験ですので、役立つかどうかはご自身で判断してみてください。違う意見もあると思いますよ。
 私が感じた必要なもの
 ・お金(治療に必要な)
 ・時間(治療に必要な) 
 ・正しい情報(治療に必要な)
 ・社会的なサポート
 ・体力(介護のため)
 ・グチのいえる友人(介護疲れの息抜き)
 この5つです。
 私が感じた一番不要なもの
 ・宗教の勧誘(お金と時間と体力の無駄)
 (この●●→鰯の頭的なもの*が効くみたいな話も含む)
 ・治療やトラブルの内容とは関係のない過去の粗探し
  (●●ちゃんはを●●をしたから、いけなかったんだみたいな話)

投稿: 安原 | 2008年2月27日 (水) 14:45

こんばんは
 
n_ohsaki さん

やはりよく読んでいらっしゃらない。

《一般的な「ゲーム」という言葉は》と、どの文脈でのゲームかを限定しているのに。森氏の言う「ゲーム」、そしてそのゲームを受けての「ゲーム脳」は森氏の文脈において限定されたものです。たとえ一般的なゲームと離れていても。

また言葉の定義は言葉を使ってコミュニケーションをしている以上、言葉と意味をなるべく一致するように心がけるためにある程度固定しなければなりません。森氏のゲームについて考えたいのならば、「私の定義」を森氏の文脈に押し込まないでください。 

また、科学的な因果関係を検討するということは「原因を考える」事ではないですよ。

 
長く書いても短く書いても読んでいただけるか疑問ですが、私のn_ohsaki さんへのメッセージはこれを最後にするつもりです。

 私は少なくとも言葉を大切にしてきているつもりです。前回も書きましたが文章を通じて行うコミュニケーションにおいて臆面もなくTAKESANさんにあのような返答をされる方とは私にはコミュニケーションをする理由が見つかりません。(たとえこのブログ主であるTAKESANさんへの対応でなくても同じです)

あまり感情的な対応をする事は私個人としては好みではありませんが、ここは譲れない線です。うまく伝わらない、考え方が違うなどということはは私の中では、はっきり言って「たいした事ではありません」が、これは私の中で一線を超えてしまっています。

投稿: FREE | 2008年2月27日 (水) 22:38

安原さん、FREEさん、今晩は。

丁寧なご説明と、極めて冷静な文章、ありがとうございます。

少なくとも、誰がどのような意味で言葉を用いているか、という部分に注意を払うのは、コミュニケーションを行う際の基本だと考えています。

ちなみに、このコメント欄で、私は、削除や投稿規制等する事無く、ずっとそのままにしていますが、これは、ある意味で、結構厳しい態度だと思っています。自身は気付かなくとも、間違い無く、「何を書いたか」は、蓄積されていくのですから。
これはもう、仕方が無いと考えています。誰でも読める場に文章を書くというのは、そういう事だと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年2月28日 (木) 01:05

非常に横道で申し訳ありませんが。

よそんちのコメント欄って、けっこう怖いんですよね。いったん書いてしまうと、自分の手元でコントロールが効きませんから。

投稿: pooh | 2008年2月28日 (木) 08:09

poohさん、今日は。

そうですよね。書く時には、かなり気を遣います。これはダメかな、と思って消し去る事も、しばしばですし。

投稿: TAKESAN | 2008年2月28日 (木) 12:28

 「認知症」についての予防についてご興味がありそうなので、 「認知症における被害の予防」という意味では私がなぜ、「病院に行ったら?」と押し付けがましいとも思われるようなことをいってるかというと、そこが病気についての話だけではなく、制度的な保護の情報アクセスのポイントでもあるからです。一応ご紹介しておきます。

 認知症になると、財産管理などができなくなり、悪徳商法にひっかかって、たとえば地元の民生委員から消費者保護の行政機関に通報がいく場合があります(高齢化社会ですからね。けっこう現場レベルでも大きな問題になっているようです)。サポートする人がいない場合は「法定成年後見制度」という制度があります。なお、本人の判断能力があるうちは、自分で任意後見人を選んでおくことができます。家庭裁判所でもできますが
「成年後見センター・リーガルサポート」でもサポートをしてくれます。詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.legal-support.or.jp/cios/organization/page1/index.html
 判断能力がないときは、家裁が後見人を選任します。
 この制度はちなみに認知症だけでなく、知的障害や精神障害も含まれます。

>TAKESAN さん
 コメント欄大量に使ってすいませんでした。私も最後にしておきます。長々と失礼いたしました。

投稿: 安原 | 2008年2月28日 (木) 13:16

安原さん、今日は。

いえ、私も参考にさせて頂きましたので、ありがたいです。

 >私も最後にしておきます。
 
お疲れ様です…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月28日 (木) 15:36

TAKESANさま

昨日コメントを送信しようとしましたところ不可能でした。

安原さま

色々アドバイスありがとうございます。
色々議論したいところですが、出来なさそうですね。

投稿: n_ohsaki | 2008年2月28日 (木) 23:47

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