態度
記憶が薄れない内に、メモ。
倖田さんのインタビューを観た。
今、言葉に対して強く敏感になっているように感じた。
観察による印象を素直に解釈するならば、「萎縮」している、と言って良いと思う。
言葉を出した直後に言い換えたり、「聞いた人にどのように響くか」、という所を考えている様子だった。
言葉を発するまでに少し間が空くのは、自分が発しようとしている言葉を内言として再生し、それがどう聞かれるか、というのを想像しているから。
本来は、それがデフォルトであるべきなのだけど、今までは、軽んじてしまっていたのだろう。
とにかく、色々考えているように見えた。
舌禍を起こした事を反省するというのは、本質的に、「聞いた人に言葉がどのように響くか」、というのを強烈に内省するのが重要であって、「自身の評判を落とすような事を”言ってしまった”」、と考え、それを「取り繕う」所では無い。
そういう意味では、私には、「反省」しているように見えた。
もちろん、本心は解らない。自分自身と、ごく身近にいる人にしか解らないだろう。そこを考えても、詮無い事だ。やろうと思えばどのようにでも解釈が出来てしまうし、それは意味が無いから。
元々、明るく、毒舌も織り交ぜながら物言いをするキャラクターが売りの一つであった人が、今後どのように歩んで行くか。
今までと、「まるで変わらない」か。
「感じ」は今までのようでも、細かい配慮の行き届いた言葉の使い方になるか。
今までとは異なったキャラクターに変貌するか。
どうなるのでしょうね。一番最後のは、無いとは思うけど。あのキャラクターは、切る事は出来ないだろうから。
前後に、元時津風親方のインタビューのようなものもあって、その態度と比較をして観ていました(事件の内容の具体性が異なるという所もあるが)。いかに自分がやっていた事を正当化しようか、と認識しているか、と、いかに自分の発言が無知に基づいていて、配慮に欠けていたか、を認識しようとしているか、の違いと言うか。
私が先ほどインタビューを観た際には、そのような印象を覚えました。
※発言の内容については、調べてみて、それは根拠が無い事を知った、という意味合いの発言をしていました。事実としてそう信じていたか、というのは判りませんでした。
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コメント
http://www.daiwashobo.co.jp/mazzarino/index.html
ん?
何か違うような。
いくらなんでも、
▼▼▼引用▼▼▼
今回の件で
はむしろ、羊水は腐らないとわかって安心した人も多いことでしょう。
▲▲引用終了▲▲
これは、ずれ過ぎじゃないかな。科学の話への持っていき方も、強引に見える。
ところで、当人が、「羊水が腐る」を事実だと信じて発言したかどうか、ご存知の方はおられますか。ご存知でしたら、教えて頂ければ、ありがたいです。フジのインタビューでは、はっきりとは判りませんでした(事実で無い事を知った、という発言あり)。発言の問題性は変わりませんが、その部分がどうであるかによって、解釈は変えなくてはなりませんので。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 7日 (木) 19:20
上のリンクは、「第64回」を参照して下さい。バックナンバーは消えるらしいので、その内読めなくなります。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 7日 (木) 19:22
こんばんは。
そうですね、今後に注目したいです、私も。
ところで、確かにパオロさんの記事は、結構突っ込みどころがありますね。TAKESANさんご指摘の部分とも重複しますが、ちょっと書いてみましょう(ABO FANさんの文章へのツッコミを自粛しているので、ちょっと欲求不満気味なのです(笑))。
まず、あの論理展開だとどうしても「羊水腐る」が「常識として流布している」事になってしまいますね。しかもその根拠として挙げているのが「だれかから聞いて鵜呑(うの)みにしてたのでしょう」という推測のみ(しかもその「誰か」はたった一人かもしれない)です。なのに、どうしてそれが「日本中で長年にわたって、根も葉もない珍説を吹聴して相手を不安に陥れてきた人たちがたくさんいる」事になるのでしょう。相当な強引さですよね。
それから、
>新たな発見でそれまでの科学常識が覆ることがありますけど、そのたびに、旧説を支持してた科学者は活動を自粛(じしゅく)しないといけないのですか?
この言い草は、あまりにも科学に対して失礼でしょう。倖田さんが信じていたのは単なるデタラメですが、科学の旧説とはそれなりに根拠と論理的妥当性があって存在していたものなのですから、それらを同一に扱うのは、科学に対する無理解を示しているものに他なりません。
Poohさんのところにも先ほど書かせて頂きましたが、中途半端な擁護論を口にする人が実は一番倖田さんを馬鹿にしていると思うのですね。しかもパオロさんは「倖田さんのファンではありません」だそうですから、尚更そう思います。
投稿: PseuDoctor | 2008年2月 7日 (木) 23:25
TAKESANさんこんばんは。
私も倖田來未のインタビュー、夕方のニュースで見たんですが、正直な話私は「謝罪」は涙を見せながらもキチンとしていたと思いますが、「反省」はあまりしていないのではと感じました。
まず、科学的な裏付けの全く無い知識を公の場、それもANNのような多くのリスナーが聴く番組で語った事に対しての反省が、何か「ついつい軽い気持ちで発言してしまった」程度で終わっていて、自らの想像力、思考力や情報リテラシーの無さという問題に踏み込んで言及してもいないのが問題。
また謝罪も全体的に「羊水発言で傷ついた女性の方達」に向けられたものが多くて、間違った知識を多くの人間に伝えた事に対してはほとんど謝罪をしていないところもマズい。
そして「そもそもなぜこんな自分で調べたことも無かった根拠の無い話を信じて、それを人前で語ろうとしたのか」といった疑問にはほぼ答えていない。
この時点であのインタビューは、ほとんど何も言ってないと判断してもいい(一般人の同情を誘う戦略と見るなら、そこそこ成功したとは思いますが(^_^;))と考えます。
投稿: 内海 | 2008年2月 8日 (金) 00:27
初めに。この問題に興味がある方へ。
WEBで、インタビューの様子を紹介している記事を読んだのですが、びっくりするほど印象誘導的な書き方をしているのがありました。ああ、やっぱこういう事するか、っていう感じで。
という訳で、実際の様子を見るのとテキストに起こされたのとでは、かなり印象が変わるかも知れません(もちろん、映像を観て印象が悪くなる可能性もある)。もし出来れば、実際の映像を観るのをお勧めします。これは、かなり強調したい所です。
------
>PseuDoctorさん
そうなんですよね。あの強引さは、え、なんなんだろうな、と。もしかすると、自身が強引な論法を用いる事で、それをアイロニーとして機能させている、と読めなくも無いですが、もちろん、そんな深読みをする必要なんて、全く無い訳で。
科学についての言及は、何と言うか、結構典型的な揶揄の仕方だなあ、と…。ニセ科学信奉者が正当科学を非難する論調にも似ていて。
中途半端な擁護をしている人が、実は凄くバカにしてしまっている、というのは、その通りだと思いました。結局、その人の発言に重みがあるというのを認めていない訳で。そんなのが周りにいれば、言葉に対する思慮を欠いてしまう事に、無頓着になるかも知れません。
------
内海さん、今晩は。
なるほど。
私の認識としては、現時点では、自分がかなり同情的である、と思っています。
本文にも書いた通り、私は「反省」を、「自分が何をしたかを捉え直す強い内省の作業」、という風に捉えています。つまり、内海さんが仰る意味での反省の段階には達していないが、そこに接近すべく心が運動している、といった所でしょうか。もちろんこれは、反省の様子を社会に対して知らしめる、という意味では、全く不足しているかも知れませんね。ただ、「羊水が腐る」などという、常識的にはほとんど考えられない発言をした人、と、ああいう風に、しゅんとしている様子とのギャップを見ると、やはり、強い内省状態にはあるのかな、と推察しました。
もちろん、実際の所は解らない、というのは、本文にも書いた通りですけれど。
▼▼▼引用▼▼▼
この時点であのインタビューは、ほとんど何も言ってないと判断してもいい
▲▲引用終了▲▲
あ、ここがもしかすると、捉え方が違っている所かも知れません。
私は、自分が何を言えばいいかを考えあぐねていて、人に自分の言葉がどう響くか、というのを内省している所に、「反省」を見て取ったのですよね。端的に言ってしまうと、謝罪の言葉を並べ立てて謝った気になる、というよりは遥かに誠実な態度かな、と。
------
何故こんなに同情的なのか、自分でもよく解りません。なるべくバイアスを排して、インタビューを観ようと思いました。その結果、こういった印象を持ちました。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 8日 (金) 01:36
こんばんは。
あのインタビューの大きな問題は録画であってということだと思います。
また、フジテレビが独占的に行ったインタビューであり、多くの編集がなされていたのは確かでしょう。
些末な事ですが「インターネットで調べさせていただいて」とか、おかしな敬語の連発に、「気遣い」を装飾しているようにも感じてしまいました。過剰な反応かもしれませんね。
余談ですが、最近の若い芸能人なんかがよく使う「〜に出させていただいています」とか「〜の役をやらさせていただいています」とかの言い回しが、虫酸が走るほど嫌いなのですが、おかしな言葉の使い方とともに、「感謝する」ということを過剰に装飾しているように感じてしまいます。
内省はあったかもしれないけど、人前で話すための表現までには至っていなかったのでは、というのが僕の感想です。
投稿: corvo | 2008年2月 8日 (金) 02:42
録画と編集、の問題は、各所で指摘されていますね。確かにそこは、考慮すべきですね。
▼▼▼引用▼▼▼
「気遣い」を装飾しているようにも感じてしまいました。過剰な反応かもしれませんね。
▲▲引用終了▲▲
いや、これはまさに、その通り、だと思います。つまり、言葉がどう響くか、という所を「気にしている」訳ですね。でも、そもそもそういう言葉の配慮はあまり持っていなかっただろうから、いざ本気で使おうとすると、ちぐはぐになってしまう。
言葉って、「発信者の意図」と、受信者にどう捉えられるか、という面、つまり、型として「納得される」ものが作れているか、という、両方を考える必要があるかと思います。
私が、どちらかというと同情的なのは、「羊水が腐る」という表現をした人が、ほんの数日経ってから、「誰が見ても納得出来る謝罪の態度」を見せるのは、却っておかしい、と考えているから、なのですね。それこそ、言葉についての認識は、そんなに短期間に劇的に変わるはずが、無い訳ですから。もし、「きちんとした」言葉を使っていたら、私は逆に、作為を見て取ったかも知れません。
そういう意味で、元々言葉についてとても無頓着だった、と考えています。発言についての感想は、kikulogと、poohさんの所に書いた通りですね。
あ、「出させて頂いて~」等の表現は、私もあんまり好きではありません(笑)
でも、自分が普通に使っている言い回しが全然間違っている場合も、ある訳ですね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 8日 (金) 03:08
あ、後。
敬語の誤用、つまり、多重敬語であるとか、何でも謙譲語にするとか、そういうのを気を付けるのは、書くのはある程度出来ますが、「喋る」となると、私自身は、まるで自信がありません。
時間的な制限が、文字を書くより遥かにきつく、下書きに相当する内言の時間も、長くとも数秒なので、相当訓練されていないと、難しいかと思います。
何が言いたいか、というと。
元々言葉がちゃんと使えていなかった人が、舌禍を及ぼした事を謝罪するのだから、それに応じたハードルを設定する必要がある、という事ですね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 8日 (金) 03:24
テレビをほとんど見ない人間なので、件の会見も見てません。エントリも起こしていることだし、どこかで探して見ておくべきなのかなぁ。
まっつぁんについては、「こんなボケたことさえそれらしく語ればなんとなくだまされるやつはいるよ。ほら、これを読んでるあんたとか」みたいなスタンスで書かれているとしか読めません。メタと云えばメタかなぁ。いいことかわるいことか分かりませんけど、わりと安い芸ですよね。
投稿: pooh | 2008年2月 8日 (金) 08:19
>ところで、当人が、「羊水が腐る」を事実だと信じて発言したかどうか、ご存知の方はおられますか。ご存知でしたら、教えて頂ければ、ありがたいです。
どなたかのブログのコメント欄で拝見したのですが、実際の音声を聞いた方が、
「発言の直後、即座に周りから「それはちょっと・・・」的な発言があった時に「いや、本当やねんて」みたいに反論していた」
という感じに書かれていたので(どなたのブログのコメント欄か忘れてしまった・・・)、素で信じていたのではないかと推測されますが・・・
投稿: Noe | 2008年2月 8日 (金) 08:25
>Noeさん
それは多分、poohさんのところのオレのコメントだと思うんですが、あれからもう一回聞いたところ、正確には「お母さんの羊水が腐ってくるんですよ」発言で笑い声が起こって、それに対して「ちゃう、本当に」と強調して「たとえば、汚れてくるんですよね」とかなり強い口調で言い直してますね。
誰かからツッコミが入ったというのは記憶違いでしたが、周囲が冗談だと解して笑いが起こったところに、これはマジで言っているんだという調子で応じているわけですから、「羊水が腐る」「汚れてくる」という表現でどのような事実を想定していたのかはわかりませんが、そういう事実を信じていたことは間違いないと思います。
投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 8日 (金) 09:00
>黒猫亭さん
ああっ、poohさんのところでしたか・・・
poohさん並びに黒猫亭さん、失礼いたしました。
投稿: | 2008年2月 8日 (金) 10:01
また名前を入れ忘れてしまったorz
上のは私です。
度々失礼いたしました。
投稿: Noe | 2008年2月 8日 (金) 12:09
poohさん、今日は。
まっつぁんの書きぶりには、若干ガックリなのです。あの名著の切れ味はいずこに、という感じで。
映像は、案の定、ようつべに落ちてますね。すぐに消されると思うけど…。
------
>Noeさん、黒猫亭さん
あ、私もその音声は聞いたのでした。で、「ちゃう、ホントにっ」、という言い回しが「信じている」のを示しているのか、って所が、よく解らないのですね。若い人間の言い回しだと、必ずしもそういう意味合いにはならなかったりしますしね。印象的には、腐る、はともかく、汚れるとかいった所は信じていたのかな、という感じですね。
------
この件に関して思うのは。
琴子さんじゃ無いけど、想像力が豊か過ぎる意見も見られるな、と。あの発言、及び謝罪会見、という情報からだけは推測しようの無い事が語られていたり。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 8日 (金) 12:27
あ、名前の入れ忘れは、お気になさらずに。
名前必須にすると、メールアドレスも必須にしなきゃならないので、このままにしてるんですよね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 8日 (金) 12:29
こんばんは。
私もパオロさんに関しては、かなりがっかりしています。「反社会学講座」が結構面白かったので、一時期私の中では注目の作家だったのですが「つっこみ力」には失望しました。というか途中で挫折してしまい最後まで読み通せませんでした。
Poohさんの「安い芸」という表現に、そこはかとなく「もののあはれ」を感じています。
ところで、kikulogで「耳障り」と「耳触り」の話題が出た時にちょっと薀蓄を傾けたかったのですが、どうもそちらの話題を掘り下げてはいけないような雰囲気になっているので、こちらに書かせて下さい。
まず「耳障り」「目障り」そして気障の語源でもある「気に障る」とか「癪に障る」「癇に障る」などは全て、対象に直接触れなくても情報を得られる「遠隔型」の感覚に関わる表現です。これに対して「手触り」「肌触り」「舌触り」などは(「触る」のだから当然かもしれませんが)対象に直接触れなければ情報が得られない「接触型」の感覚に関わる表現です。ですから語感は似ていても異なるものである事が解ります。
ところが最近「耳触り」という漢字を当ててまでこういう表現がされるようになってきた背景には、単なる語感の一致だけでなく「聴覚」に対する私達の意識が変化してきているのではないかと感じています。
(以下は私の単なる推測による個人的意見です)
例えば皆さんは最近、遥か彼方から聞こえてくる音を、耳を澄ませて聞いた事がありますか?私は最後にそういう事をしたのはいつだったか忘れてしまいました。一方で、多くの人が日常的に使用しているであろう携帯電話やヘッドホンでは、発音体と耳との距離は限りなくゼロに近く、まさしく「音が直接耳に触る感覚」になっています。またそれらを別にしても日常生活では様々な音が半ば強引に我々の耳に流れ込んでおり「聴覚は遠隔型の知覚である」という意識に変化が生じているように思うのです。
もし「耳触り」という言葉が生まれつつある背景にこうした状況があるのならば、現在全く認められていない「目触り」に関しても、近い将来にヘッドマウントディスプレイやスカウター型の携帯電話(ちょっと欲しいです)が普及したとすれば「目触りの良いHMDを搭載した新型携帯電話」なんて言葉が登場するのも時間の問題かもしれません。
個人的には言葉に対しては保守的な方なので「耳触り」なんて単語は使いませんが、でも言葉は生き物ですから変化していくのも仕方ないかな、という諦めに似た感情も持っています。
投稿: PseuDoctor | 2008年2月 8日 (金) 23:53
PseuDoctorさん、今晩は。
▼▼▼引用▼▼▼
「つっこみ力」には失望しました。というか途中で挫折してしまい最後まで読み通せませんでした。
▲▲引用終了▲▲
私は読んではいないのですが、なるほど…。
「触り」、についての考察、凄い面白いですね。
私の言葉についての認識も、多分、仰る事に近いと思っています。なので、たまに、「間違っている日本語」というのテーマにしたものを書いたりするのですよね。あんまり拘束的でも駄目だし、何でもいいじゃん、も駄目。柔軟でありたいと思いますね。基本的には「かっちり」と使って、時々「ゆるみ」を入れています。「凄い面白い」、なんて表現を使うのも、わざとですしね(笑)
自分が知っている言葉なんて、日本語の語彙のごくごく一部なんだから、「自分は言葉を知っている」と思い込んでいても、実は全然、という事もあるので、謙虚に行きたい所です。いや、記事とかの誤用を突っ込む事はあるけど…。
kikulogでの指摘については、YOさんが仰っていた事に同意で、disraffさんのコメントを読んでて、もうちょっと違う指摘の仕方があったかもなあ、なんて思いました。
「閑話休題」に至っては、皆解ってるのに野暮っぽいな、なんて思っちゃいました。
ところで。
「触り」繋がりで。
「触りの部分」と言った時、それが「導入部」の事だと思っている人って、結構いますよね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 00:11
お知らせ、と言うか、お願い。
件の会見については、上の私のコメントで、取り敢えずはお仕舞い、という事で。
出来れば、というくらいで。
よろしくです。
それ以外の話題でしたら、何でも書いて頂いて構いませんので。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 00:59
脱線に乗せていただいて。
じつはぼくはけっこう、自分の文章では造語まがいのことをします。存在するかどうかわからない語彙でも、文脈に乗って必要な含意を示せる言葉なら使ってしまう(かぎかっこでくくったりもしますね)。
件の「耳触り」も、まさにPseuDoctorさんのおっしゃったような「音声の触感」的な意味で使います(自分のエントリで使ったことがあるかどうかは覚えていませんが)。それは音楽の話なら音色の質感の意味だったり、言葉の話なら音韻の響きのことだったり。「耳障り」とは別の言葉として。
こう云うのは表現のふくらみのような部分だと自分では認識していますです。ぼくの文章はニュアンスと云うか、字面(「目触り」?)や音韻のイメージ喚起力に期待する部分も大きいので(このあたりTAKESANさんの文章にある贅肉を落とした洗練や、黒猫亭さんの細部まで言葉を尽くす周到さとは質的にだいぶ違ったりしますね)。
誤解もまた善し、そこから議論も広がる、みたいなものもぼくのなかではあったりしますが、正しい日本語かと云うとそこはそれ、なんて部分もありますね。
投稿: pooh | 2008年2月 9日 (土) 08:22
私も造語的な事をしたりします。括弧で括ったり、わざと浮くようにしたり。
「耳触り」という語を見ると、何だか耳の辺りがムズムズして、面白いものです。「触り」には、弦楽器の音を表す意味も、元々あるみたいですね。
文脈によって、言葉の厳密さをどれくらい求めるか、というのもあるでしょうね。学術的な議論なら、徹底的に、定義についてやり取りしたり。それでも、基本的には、文脈(狭義の)を考慮して、「推し量る」のを、基本としていますけれど。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 09:14
おはようございます。
読売テレビのコラムによると、江戸中期の俳諧集「雲の峯」の中に、「風の音 耳さわりよき 幟かな」という詩が出てくるそうです。
http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/0101-0200/0176.html#1
http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/0201-0300/0256.html#3
投稿: A-WING | 2008年2月 9日 (土) 10:22
おはようございます。倖田さんのインタビューは見てないので、触れません。
多重敬語についてですけど、僕は書く方も苦手で、今密かに勉強中だったり。
言葉の誤用、新表現、造語の方ですが、僕は一週間前かな?ここで小説の話題が出ていたとき、「腑に落ちる」って言葉を使おうかどうか悩んで、結局書き込み自体をやめました(笑)。
「落とす」という言葉に対応して、「落ちる」って言葉を使いたくなったりするんですね。
投稿: No.4560 | 2008年2月 9日 (土) 10:46
No.4560さん、おはようございます。
敬語も難しいですね。私も、言うよりは書く方が、少しは出来ていると思いますが、ちゃんと書けるという自信は、全然無いですね。
腑に落ちる、という言い方は、以前に、そういう言い方は一般的なんだっけ? と思って、辞書を調べた事がありましたねえ。
------
A-WINGさん、お早うございます。
いやあ、素晴らしい。
ミステリーを読んでいるようでした。
目から鱗って言うか。
凄く月並みですけど、
言葉って、面白いですね。
これは是非とも、皆さんにもお読み頂きたいです。
やっぱり、言葉について、自分が知っているのが「正しい」とは、安易に考えるべきでは無いですね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 10:48
私もkikulog拝見して,彼女のとんでも発言の背景には「水伝」があるということを理解しました。
女性も年令が行くとまわりから可愛い,綺麗と言い続けられなくなるから,80%が水で出来ているその水が劣化するということのようで,身ごもらない女性の体にも羊水があるという勘違いの果てああいう発想に行き着いているというのは慧眼かと思いました。謝罪のVTRを見ると,間違ったことを言ったと言うことでは謝罪していないように見受けられます。少なくとも,その部分の否定がないのに違和感を感じた人は少なくないようです。
まともに聴いたことがあるわけではないのですが,PVが流れているのを見た印象では,どおりで,薄っぺらいうわべだけの綺麗な言葉だらけの歌詞ばかり。「水伝」の本当の意味での危険性を啓蒙する一つの事件になるかも知れませんね。
投稿: complex_cat | 2008年2月 9日 (土) 11:29
complex_catさん、今日は。
あの発言と水伝がどのくらい関わっているか、という部分は、実は、私にはよく解らないのです。
私が感じたのは、自身が位置している立場と、どのような言葉を発したらどういった反応が予測出来るか、という部分への「想像力」が全く足りなかった、という所と、「水に綺麗な言葉を掛けると綺麗な結晶が出来る」という説を肯定的に紹介していたのに「羊水が腐る」という発言をした事の不整合への違和感、でした。
で、それ以外の部分、ピュア志向とやらが影響していたのではないか、また、水伝を信ずる事と繋がっているのでは、という所は、はっきり言って、「解らない」のですね。あの発言からそこまで推測するのは、私には出来ませんでした。
人が認識を作るにあたって、何がどれくらいの重み付けを持っているか、というのは、容易には解らないものだと思います。
ですので、kikulogで出ている皆さんのご意見には、必ずしも賛同している訳では無いのですね。
差し出がましいですが、
▼▼▼引用▼▼▼
薄っぺらいうわべだけの綺麗な言葉だらけの歌詞ばかり。
▲▲引用終了▲▲
これは、他人の創造した作品への評価ですので、出来れば控えて頂きたいです。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 13:13
TAKESANさん,丁寧に考えていく姿勢は,いつも賞賛に値すると尊敬しております。
私も,ここにキス言葉として不用意でしたが,ただ,彼女と彼女と共に仕事をしている方々に,「貴方たちがエネルギーをかけて構築してきた世界と,あの残酷な言葉とを繋ぐものが何もない」ということに,憤りを感じたということを理解して欲しいと思います。
「創造」ということが全て高い次元の行為であり尊いという価値感を私は持っていません。平凡に一生懸命生きている人たちの「生」の方が,私にとっては尊い創造だと思います。
投稿: complex_cat | 2008年2月 9日 (土) 20:10
あ、いえ。
創造した作品、たとえばフィクションについての批評は遠慮して頂きたい、というのは、このブログの方針である、と思って頂ければありがたいです。他のエントリーでも、お願いした事があるのですね。「書くべきでは無い」という意味合いでは無く、「控えて頂きたい」と書いたのも、そういう考えからでした。
誰のものであれ、「創造されたもの」が悉く尊い、と私が考えている、という訳では無く、他人が精力を注いで作り上げたものなのだから、それを批判する際にも、徹底的に考え、言葉を尽くして行うのが筋である、と、そう思っています。それが、誰でも参照出来る場であれば。で、私は、そういう場としてここを提供する、というのは、今の所考えていないのですね。
こういうのも程度問題なので、一切書かないで欲しい、とも言えないですが…。
投稿: TAKESAN | 2008年2月 9日 (土) 20:25
こんばんは。
A-WINGさんご紹介のリンク読みました。
私が偉そうに書いた部分は全部ハズレですね。
うわー、恥ずかしい。
でも、おかげ様でまたひとつ賢くなれました。
やっぱり、ことばの話って面白いです。
そのすぐ下に書いてある
>ことばの話257「マイクからミチウラ」
を読んで、ハムをやっていた時の事を思い出しました(フォネティクス・コードの話ですね)。
投稿: PseuDoctor | 2008年2月 9日 (土) 20:38
>No.4560
すいません、こちらで「腑に落ちる」という言葉を何度も遣って、つい最近自分のところのエントリーのタイトルにまでした男です(笑)。
大本の「みみざわり」についてはオレも素朴に「耳障り」だと思っていて、それでも通用している言葉であるならまあ煩瑣く言うことでもないかな、程度の態度でしたね。
しかし、「腑に落ちる」にも「否定形でしか用いない」という説があることは識りませんでした。普通の文芸作品だと、かなり時代を遡った用例がありますので、普通の日本語だと思っていました。気になって調べてみたのですが、「否定形でしか用いない」という説のほうがどうやら歴史的な根拠がないらしいです。
http://yeemar.seesaa.net/article/12334760.html
http://gogen-allguide.com/hu/funiochinai.html
この辺、オレは「納得する」「心に入ってくる」というニュアンスを「腑に落ちる」と表現する言い回しが好きなので、まあ今後もこの言葉を遣うと思いますが、「否定形でしか用いない」式の指摘をされたらその都度説明すべきだろうし、指摘せずに「こいつは物を識らない」と思われたらそう思われているしかないということですねぇ。
出来ればそう思った人が指摘してくだされば、ウチのエントリーを読む範囲の人々の間で「ああそうなんだ」という気附きの機会になるよな、とは思いますが、多分黙ってせせら笑ってる人のほうが多いんだろうなとは思います(笑)。
一方、「みみざわり」のほうは自分の中で必然のある言い回しではないので、自分がこういう言い方をすることに心理的抵抗を感じるとは思いますが、他人様が「耳触りが良い」という表現をしていても間違いではないという気附きのきっかけになったのは有り難いですね。
投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 9日 (土) 22:46
PseuDoctorさん、今晩は。
いやあ、面白いですよねえ。
色々調べていく探究心も素晴らしいですね。
耳触りが広まってきたのにPseuDoctorさんが仰ったような説が関わっている、というのは、ありそうな気もします。
------
黒猫亭さん、今晩は。
私は、「落ちる」という語に、落ち着く、とか、安定する、という意味も感じるので、「腑に落ちる」、という言い回しは、しっくりきます。自分で使う時に、辞書で調べはしましたが(笑)
耳触りも、元々耳障りという語自体、それほど使う機会が無かったので、すんなり受け容れられました。
------
いやあ、言葉って、面白いですねえ。←そればっか
投稿: TAKESAN | 2008年2月10日 (日) 00:08
私はあのインタビューを見た後は、TAKESANさんに近い印象を持ちました。
自身の発言が社会にどれだけ影響していたか、身にしみて分かったのでは。再登場した時は、一味違うアーティストになっていると思います。その根拠は、そう、あの涙です。(私は甘いのかしら^^;)
ところで黒猫亭さんの所にコメントしようとしたら、「メール欄は必須です!」となっていました。残念ながら私はメールアドレスは持っていないorz。(色々事情がありまして^^;)黒猫亭さんと「イノシシ談義」をしたかったのですが、残念です。
そういう意味では、TAKESANさんの所は結構無防備ですね。私のような無名の放言にも付き合ってくれていますから。ありがたいことです(^^。TAKESANさん、これからもよろしくお願いしますね(^^。
投稿: TAKA | 2008年2月10日 (日) 01:29
そうですね。パフォーマンスに直結するかは解らないですが、せめて、「言葉に対する感受性」は、高めてくれればいいな、と思います。
尤も私は、好意的な方に、バイアスを掛けていますけれど。実際どういう気持ちであるかは、不可知ですし。それを確かめる術は、将来の言動に着目する以外には、無いと考えています。
ああ、私の所がそうなっているのは、駄目過ぎる人がコメントすれば、一瞬で消す、という方針だから、です(笑) 今の所、ほとんどそういう人はいなかったので、助かっています。このブログは、コメントの質が高いというのが、一番の特徴なのです。
投稿: TAKESAN | 2008年2月10日 (日) 01:48
屋那雄さんのコメントはOKなのですね^^;。いや、あれが限界かしら?
ちなみに私は、この部分が残念でした。「ほろんのちょんですな」
ここは、「ほろんのちょろんですな」と来てほしかったです。
今だに気なっていたのですよ。
投稿: TAKA | 2008年2月10日 (日) 02:50
>黒猫亭さん
何度かすれ違ってますが、はじめまして。
>「否定形でしか用いない」という説のほうがどうやら歴史的な根拠がないらしいです。
リンク先見てきましたが、ほんとですね。これはさらに勉強させていただきました。書いてみるもんですね。
ちなみに僕が「腑に落ちる」という言葉を使いたかったのも、ちょうど 黒猫亭さんのコメントの中の「塗仏」と「JDCシリーズ」との関連云々の部分でした。
ほんとに読んでて「腑に落ちちゃった」ので。
投稿: No.4560 | 2008年2月10日 (日) 07:27
TAKAさん、今日は。
よく憶えてますねえ…。
わたし的な、「駄目過ぎる」の閾値が、結構高いのかも。
ちなみに、「閾値」を「しきいち」と読む事に違和感を持つ人です。
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>No.4560さん
私は、「ハラに落ちる」などと同じ感じを語に覚えたので、そういう意味で使えるんだろうな、と思いました。
こういうのは面白いですね。安易に「正しい」と考えるより、「正しいと言われてるけど、本当にそうなのかな」、と考える方が、楽しいし、勉強にもなりますですね。
投稿: TAKESAN | 2008年2月10日 (日) 11:36
>TAKAさん
メアドの件はすいません、仕様です(笑)。日乗のほうはたしかにTAKESANさんのところに比べるとコメントの公開に積極的ではないですね。芸風が芸風だけに「駄目すぎる人」の殴り込みを呼びやすいだろうから、そういう人のコメントは公開すらしないという方針で設定を決めたのですが、考えてみれば、エントリーを通読する人自体が限られるので、その上でさらにそれを踏まえて書き込みされる人はもっと少なかったというオチでした(笑)。
なんだかウチのエントリーを熱心に2ちゃんに貼ってる人もいましたが、ウチは開設以来2ちゃんとの「相性」は良くなくて、二、三回貼られましたが全然盛り上がらなかったですね、「今北産業」の世界では誰もあんなモン読みませんから(笑)。
>No.4560さん
はじめまして。いや、ああいうコメントがあると「気附き」の機会になって助かりますね。早速ウチのエントリーにも補足説明を上げました。結果だけ視ると「『腑に落ちる』でいいんじゃん」みたいな話になりがちですが、一定範囲で「否定形でしか用いない」という感じ方が流通している以上、問題性というのは内在しているわけで、可能性としてはその説のほうが正しかったということもあり得るわけです。
そういう問題性の存在に気附かずに、結果的にどうであるかだけを重視しても、それはその用法への確信に根拠がないということですから、疑問が提示されてそれを確認するというプロセスが大事なんだと思います。その結果、今の自分が自明だと感じていた用法が誤っていたと判明しても、次から正確な用法を用いることが出来ますから、間違いが判明したとしてもお得なはずですよね。
それから、塗仏とJDCの件ですが、連作中編群で複数のアニメ的な敵キャラをキャラ立てして、最終的に一点のゴールを目指す形で対決を設けるという劇画的な筋立てや、ラスボス堂島大佐の造形なんかを視ると、清涼院流水の存在に意識があったのかなという勘働きがしますよね。
>TAKESANさん
コメントを分けると左の柱の「最近のコメント」が流れて不便なので一つにまとめているんですが、なんかこういうふうにマルチレスしていると、「どこぞの困った人」になったみたいな気がして楽しいです(笑)。調子に乗ってTAKESANさんが仰る「さわり」についても調べてみました。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%95%E3%82%8F%E3%82%8A&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=07817107503600
http://jp.blurtit.com/q136996.html
http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/sawari.htm
辞書的説明→一般向け解説→用語説明という順で読み進むと、言葉の成り立ちがわかりやすいと思います。一般には「サワリ」とカナ書きしてターム化するようですが、「佐和利」という当て字もよく見ますね。
投稿: 黒猫亭 | 2008年2月10日 (日) 13:03
黒猫亭さん、今日は。
よく考えると、私のエントリーとかコメントの書き方、と言うか方針が、駄目過ぎる人が参入しにくくなるようなものなのかも知れません。いや、よく考えると、て言うか、ある程度は、意識してやってる訳ですけれど(フィクションへのネガティブな批判は控える、面白いと思ったもの以外は採り上げない、とか)。簡単に言うと、「好き嫌い」が関わる比率が大きくなりそうな話題は採り上げない、という感じです。
最近のコメント欄は、増やせればいいんですけどねえ…。コメントでの活発な議論が主体の所もあるのだから、出来れば実装して欲しいですね。
「佐和利」って、初めて見ました。へえ、へえ(←微妙に古い)。
投稿: TAKESAN | 2008年2月10日 (日) 17:06
コウダさん、四月の芸能活動も取り止めだそうですね。思ったより、深く落ち込んでいるのかもしれませんね。まさか、羽を伸ばしているという事は無いと思います。
>閾値
「生き血」だと、ダークな感じになるから、なのです(^^。それとも、「敷居はそれほど高くないよ。」という学者のアピールかしら?
_________
>黒猫亭さん
なんとなく分かります。おそらく、自分の主張が認められなくて暴れる人が過去に居たための、結果なのでしょうね。「野生のイノシシが普段何を食べているのか。」というお話は、気が向いた時にでもします。
投稿: TAKA | 2008年2月12日 (火) 03:10
TAKAさん、今日は。
しばらくは続きそうですね。
私は初めに「いきち」で憶えてて、「しきいち」に違和感を覚えるくらいなのです。最初の印象は残りますね(笑)
投稿: TAKESAN | 2008年2月12日 (火) 12:42