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2008年2月に作成された記事

リンクの追加と修正・水伝に関するFAQ追加

亀@渋研Xさんによる力作、水伝に関するFAQが公開されたので、こちらでもご紹介します。

【作成中】『水からの伝言』の基礎知識【基礎編】

水からの伝言、あるいは、良い言葉を掛ければ美しい氷が出来る、という説に触れた事がある方には、こちらを読まれる事を、強くお勧めします。

以下、感想。

お疲れ様です。あれだけの量をまとめ、さらに、平易な記述を心掛けられたという事は、大変な作業であったと思います。頭が下がります。

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右サイドバーに追加。

また、ニセ科学関連のリンクを総論と各論に分け、サイドバーに追加。

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努力

作品でもパフォーマンスでも何でもいいのですが、それについて批判なりをすると、「一生懸命やっているのだから」、とか、「現場は本気なのだ」とか、そういう風に反論する人が、時折見られます。

でもそれって、全然違うのではないかと思うのです。

「その人がいかに努力したか」、というのは、作品なりを評価する「参考」になる事はあるけれど、それは決して、出来の悪さを正当化したりするような使い方をしてはならない。

学芸会じゃ無いのだからね(そういう文脈ではあり、という事)。子どもに対して、「努力した事そのもの」を褒めるという場合ならいざ知らず。

もちろん、当人が開き直り的に言うのは、全くもって論外ですが、近しい人が、庇うためにそういう事を言うのも、ダメだと思います。

もし当人が「本気」だった場合、その人に対しても、物凄く失礼になるかも知れない。

その人が何をしてきたか、というのも確かに大切でしょうけれど、人からは離れた作品として、評価するべきでしょう。見る方も、それを心掛けるべきだと思います。

別の文脈では、「善意」がある事をもって、駄目な活動なりを擁護する人がいます。これも妥当では無いと考えています。

poohさんがよく仰る事ですが、ある行為を、「善意」によって免責・正当化するべきでは無い。特に、医療に関わる分野等の場合、それは即、命に関わる問題になる訳ですから。

テレビ番組なんか観てると、結構、そういうのを目にします。「いかに努力したか」をドラマティックに伝え、「良い結果は得られなかったが、努力をした所は評価する」、的な。そうで無くて、努力の方向性は妥当だったか、とか、パフォーマンスのどこが良くなかったか、等を論ずるべきだと思うんですけどね。「間違った方向への努力」というのは、いくらでもある訳で。「努力したという事実」ばかりを重んじてはいけないんじゃないかな。

ちょっと極端に思える意見かも知れませんが、もちろん、全くそういう事をしてはならない、というほど強い主張をしたい訳でもありません。物事によっては、密接不可分な場合もあるでしょうから。

ただ、「心情」にばかり思いを馳せるのは、客観的な評価の目を曇らせる事がある、というのは、念頭に置くべきだと考えます。

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はな

先日、テレビをつけたまま他の事をしてたら、なんか歌声が流れていたのに気付いて、そちらを観てみたら、『みんなのうた』をやっていました。

で、ちゃんと聴いてみると、実に興味深い声で、サビの部分で、じーんときたのでした。

ちょうどその時、ネットをやっていたので、画面に表示されていた歌詞を憶え、それでググり、歌い手と曲名を知りました。

という訳で、OnGenで購入しました。↓

NHKみんなのうた「HANA」(DVD付) Music NHKみんなのうた「HANA」(DVD付)

アーティスト:暮部拓哉
販売元:Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
発売日:2008/03/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

HANA Music HANA

アーティスト:暮部拓哉
販売元:Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
発売日:2008/02/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この曲は、じわじわ来るんじゃないだろうか…。て言うか、CD品切れの所もあるみたいだから、今、じわじわの最中なのかな。

歌っている暮部拓哉さんのサイトはこちら⇒暮部拓哉 Official Web Site

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『ゲーム脳の恐怖』を読む(2)

1章 ゲーム中の驚くべき脳波の変化

社会が注目するテレビゲームの影響

冒頭、校内暴力の急増がマスメディアによって報道されている事が紹介され、

 「キレる」とか「むかつく」という言葉に象徴されるように、子どもの自己抑制力やコミュニケーション能力の欠如が、改めて浮き彫りになっています。ちょっと注意をされても言葉で反応するのではなく、カッとなっていきなり暴力を振るってしまうというような、状況を冷静に判断できない行動は大きな問題です。(P18)

と、いわゆる「キレる」、「むかつく」という状態への懸念が示されています。そして、その原因として、「親の価値観や躾」(P18)が言われている事等を指摘し、また、テレビゲームとの関係について採り上げられるようになった事も指摘します。いわく、

 その一方で、テレビゲームとの関係も取り上げられるようになっています。虚構の世界に没入することで、現実との区別がつかなくなっているのではないか、あるいは、ゲームの暴力行為に加わることで、攻撃的な性格が形成されていくのではないかなどの指摘がされています。(P19)

そして、その直後に、あるゲームを30時間(「約二日」)でクリアした大学生のエピソードを出しています。その大学生の感想として、疲労感を覚えた事、画像が鮮明である事、恐怖を感じた事、が紹介されています。ちなみに、このゲームの説明は、「最近発売された、ホラー映画のような恐怖を感じさせるテレビゲームで、敵にみつからないようにいろいろな部屋に進入して武器を獲得し、相手を殺しながら勝ち進んでいくというものがあります。」(P19) というものです。タイトルは書かれていないので、断定は出来ませんが、説明文から推測するに、『バイオハザード』を代表とする、ホラー系のアクションアドベンチャー(サバイバルホラー。参照:サバイバルホラー - Wikipedia)を示しているものと思われます。

ここから森氏は、そのようなゲームが、「暗い夜道などを歩くと凶悪な殺人者が出てくるのではないかと錯覚させてしまいそうな要素を十分もっていると思われます。虚構と現実の世界が重なってしまう例でしょう」(P19)と主張し、もしテレビゲームの長期使用が「キレる」事の要因であれば社会的に問題である事、そして、ゲームが問題であるという意見のほとんどについて、「科学的に裏付けのない憶測にすぎません」(P19)、と、当時のゲーム研究の評価を行っています。(ゲームの好影響を主張している人がいる事も紹介)

さて、上に挙げた、森氏による大学生の事例、二日で30時間プレイしたという、極端な例であり、疲労感を覚えるのは、当然の事であると考えられます。十数時間一つのものに取り組めば、疲労するのは当たり前ですし、更に、恐怖感を覚えるというのは、そもそも、当該ソフトがサバイバルホラーである事から、これも当然であると言えるでしょう。ゲームに明るく無い方のために、映画でたとえると、ホラー映画を5本連続で観た人に感想を聞いて、疲れた、恐怖を覚えた、と言われたのを元にして、「虚構と現実の世界が重なってしまう例」、と主張しているようなものな訳です。

ゲーム中の脳波は痴呆と同じ

まず森氏は、

 私たちは、テレビゲームをしている人の脳波が変化することを発見しました。その変化は劇的で、驚くほどはっきりしていて、データをみるとひと目でわかるほどです。(P20)

と言い、自身の経歴を紹介しています。そして、自身の研究によって、痴呆(表現は、著書に従います。文脈によっては、認知症とします)を判定出来る機器および方法を開発した、と主張します。その方法とは、「おでこに相当する前頭前野領域の頭皮上から記録されるα波とβ波の比を求めることで、約八五パーセント判定できる」(P21)というものです。

次に、森氏が、テレビゲームをしている子どもの脳波を調べようと思い至った動機が、書かれています。森氏によると、脳波を計測する機器の製作過程で、「機器の調子をみるため実験的にソフトウェアを開発していた人たち八人の脳波を記録」(P21)した所、全員が、「痴呆者と同じ脳波を示した」(P21)という事があり、そこから、何故そのようなデータが取得されたかを推測します。

 どうしてこのようなデータになったのか考えてみました。ソフトウェア開発者は、視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、ずっと使い続けているわけではありません。開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。(P21・22)

森氏はこのように論理を展開し、更に、開発者達が一日に会話をほとんどしない事を挙げ、前頭前野の機能低下が、画面に向かっている時間が長いからではないか、と、推測を進めます。そして、この事をきっかけにし、「視覚を中心としたテレビゲームでは前頭前野の働きがどうなっているのか、たいへん興味をもった」(P22)と、テレビゲーム中の人の脳活動を計測するに至った経緯を紹介しています。

ここからは、実際にテレビゲームを行っている人の脳波についての説明に移ります。テレビゲームを長期間行っている人の脳波が「重い痴呆の人の脳波にたいへん類似」(P22)しており、α波とβ波のレベルが完全に重なり、ついには(更に深刻になれば)β波がほとんど出現しなくなる、と言います。

この節でのポイントは、森氏が開発したと称する機器によって、ソフトウェア開発者の脳波が計測され、それが痴呆者と同様であった、と主張されている所でしょう。まず、森氏の開発した機器および方法がどれほど妥当か(一般的には、認知症は、精神医学的、心理学的診断や身体的な診断を総合的に用いて、診断していくものだろうと思います)、仮に、痴呆者の脳波のパターンに、ある共通性が見られるとしても、論理的には、同様のパターンの脳波が見出された場合に、必ずしもその人が痴呆であるとは言えない、という所は、押さえておくべきでしょう。

次節からは、実際にゲームを行っている人を計測したデータが紹介されます。

次回へ続く

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『ゲーム脳の恐怖』を読む(1)

先日お知らせしましたが、森昭雄氏の著作、『ゲーム脳の恐怖』の内容を検討するシリーズを、始めます。不定期の連載になると思います。

今更? と思われる方もおられるでしょうけれど、ゲーム脳説は、現在ある程度流布されており、森氏の講演会や、ゲーム脳をテーマにしたイベント等も、たびたび行われています。そういう状況を鑑みれば、森氏が著作で何を主張したか、というのを検討するのは、決して意味の無い作業では無いと考えます。

カテゴリーとして、「『ゲーム脳の恐怖』を読む」を追加します。

引用文は、特に断らない限りは、森昭雄 『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)からのものです。

強調部分は、引用書の見出しを示します。

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前書き

まず、ファミコンの誕生、いくつかの有名ソフトの紹介および、ゲームハードの出現の大まかな歴史を、紹介しています。その後に、ゲームの悪影響についての指摘がある事を紹介し、木村文香氏の論考を引用し、テレビゲームの真似をして傷害事件が起こった例を挙げています。

次に、森氏が、幕張メッセで行われたイベントに行き、そこで見たコスプレをした少女にショックを受けたエピソードが、紹介されています。

 昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。(P4・5)

この引用文から、森氏が、恐らくコスプレという文化に無知である事が、窺えます。更に、印象として、「異様な雰囲気」、「無表情で歩いている」、等の表現を用いています。この後森氏は、その印象を元に、将来の日本についての危機感を表明しています。

 このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。(P5)

この文章から、森氏が、自身の知らない文化について、その内容を調べようともせず、「印象」のみをもって評価し、その印象を不当に一般化しているのが、見て取れます。

さて、森氏はこの後、自身の研究によって脳波が容易に記録出来るようになり、その方法によって、テレビゲームや携帯ゲーム中の前頭前野の活動を調べた結果を纏めた、と主張します。そして、その結果から、

驚くことに、テレビゲームのなかには前頭前野の脳活動をあきらかに劇的に低下させるものが多いことがわかったのです。このままこれを放置していると、テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしまうと思われます。さらに若年性痴呆症状態を加速する可能性が高くなるのではないかと危惧しています。(P6)

こう結論しています。ここで注目すべきなのは、キレやすい、注意散漫、創造性を養えない、という心理学的な悪影響および、「若年性痴呆症状態を加速」するという、医学的悪影響が、明確に主張されている所です。

この後には、IT革命による、「子どもたちの限りない潜在脳(ママ)力を削ぎとっている可能性」(P6)への懸念を表明し、五感を駆使し、人と触れ合う事の大切さを主張します。そして、飼育していたカブトムシが死んでしまい、親に、「電池を交換すればいい」と言う子どもの例(森氏の友人の話として紹介)が挙げられ、「この話に私は非常に強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」(P7)としています。当然、生き物が死んだのを見て電池を交換すれば良いと発言する事は、脳の状態について推測する材料には、特にならない訳ですが、森氏はそこも、強引に結び付けています。

次回へ続く

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回復薬

バンダイ、大人気PSPゲーム「モンスターハンター」の「回復薬」をイメージした飲料水を発売(MarkeZine) - Yahoo!ニュース

ほう…。

(200円・税込)

高っ。

なるほど、回復薬だから、栄養ドリンク系なのね。

モンスターハンターポータブル 2nd G Video Games モンスターハンターポータブル 2nd G

販売元:カプコン
発売日:2008/03/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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ぐれいぷ

テンプレートを替えました。

シンプルで爽やかな感じに。

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デザインの妙

Game Developers Conference 2008現地レポート

実に興味深い。

キャラクターのモーションの話は面白いですね。モーションキャプチャを使わずに、フィギュアを用いていたんですね。

イメージを具体的なかたちにして傑作を生み出した桜井氏だからこその、説得力がある。

「頭の中で仕様を転がして、頭の中のゲームで遊んだ上で、しっかりスタッフに指示ができるように頑張って欲しい」

なるほどねー。

大乱闘スマッシュブラザーズX Video Games 大乱闘スマッシュブラザーズX

販売元:任天堂
発売日:2008/01/31
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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ちょっとお知らせ

その内に、再び森氏の著作を採り上げて、論評しようと思っています。多分、本を丸ごと一冊検討しますので、長~い連載になります。

随分前からやろうと考えてたのですが、なかなか手をつけられず。

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出演

キタ↓

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※画像は、ラジオ番組、Saturday Hot Request -サタデーホットリクエスト-のWEBサイトより引用。

このエントリーを見た方は、3月15日に、サタリクを聴かなければなりません。

ライブなので、聴かなければなりません。サタリク出演は、3年ちょっと振りなのです。

Music 名曲撰 ユメミゴコチ

アーティスト:諫山実生
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/12/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

名曲撰 ユメミゴコチ / 諫山実生 名曲撰 ユメミゴコチ / 諫山実生
販売元:CD&DVD Neowing
CD&DVD Neowingで詳細を確認する

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子どもがやるもの? そうだよ

はてブ経由(はてなブックマーク - 代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)で、面白いブログを発見⇒代々木blog

ゲームが好きな事が伝わってきますね。

ところで、上の、はてブが付いたエントリー(代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)に関連して。

私の周りには、ゲームは子どものするもの(大人がやるようなものでは無い)だ、とか、○○歳にもなって…と言う人は、あんまりいないですね(まあ、何人かはいるでしょう)。幸いな事に。まあ、60前でドラクエ8をクリアしたりする人が、身近にいたりする訳です。

マンガとかアニメとかゲームとかって、結構冷たい目で見られがちなのかな。いや、何でも、のめりこんだらそう見られるかな。まあ、「いかにも」、というのは、あるかも。今挙げたものの他に、たとえば、模型とかね。やっぱり、サブカルチャーと繋がると、そういう傾向が強くなるのだろうか。模型でも、鉄道模型よりキャラクターモデルが、という具合に。やはり、「子どもがやりそうなもの」、というイメージが、関係しているのかな。子どもは素朴で未熟、という前提から、子どもがよくやってるものをやっている→子どもがやってるものを、いい大人が、と考える→みっともない  と、こんな感じか。

まあ、思うのは勝手ですが、そんな事で人の性質を判断したってしょうが無いよね、とは感じます。

ゲームから色々学び、得た人にとっては、あまり気分のいいものでは無いんですよね。

追記:TB、送信されました。リンクした気になってた…。手数をお掛けしました。また、教えて頂いて感謝です>佐々木さん

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似てない?

子鬼(小鬼じゃ無いのね)トリオのアカネと にしおかすみこさんの喋り方がそっくりだ、と感じるのは、私だけなんでしょうか。

「おじゃるまる」を変換したら、「尾JAL○」に…。

あたしだよ!! DVD あたしだよ!!

販売元:Viictor Entertainment,Inc.(V)(D)
発売日:2007/07/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Music NHKアニメおじゃる丸(音符記号)そんぐ・これくしょん(音符記号)

アーティスト:TVサントラ,おじゃる丸(西村ちなみ),子鬼トリオ,電ボ(岩坪理江),貧ちゃん(斎藤彩夏),SUS4,北島三郎,カズマ(渕崎ゆり子),金ちゃん(生駒治美),小町ちゃん(西村ちなみ),オカメ姫(三石琴乃)
販売元:日本クラウン
発売日:2003/07/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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色んな想像力

「想像力」というのを考える場合、「事実」に思い至るか、というのが重要だと考えます。簡単に言うと、「実際どうなってるんだ?」と考えて、色々調べる、とか。

後、これは何度も書いているけど、「自分程度の想像力は他人も持っているだろう」、と考える「想像力」は、必要ですね。それは結局、自分を過大評価せず、自尊心の肥大化のストッパーの役割を果たす訳ですね。つまり、「謙虚」。

それから、喋る時には、自分が喋る内容を内言として再生して、それがどう解釈されるかを推測する、というのも肝腎。文章だと、推敲を丁寧にやって、様々な「読まれ方」を想定する。

で、想像力には当然、「知識」が絡んでくる訳ですね。知らなきゃ、想像した事が合っているか、他に同じ事を考えた人はいないか、というのは、当たり前ですが、解らない。だから、それを知るために、「調べる」のです。知識が積み上がってくれば、他人が言った事が、どこに位置付けられるか、というのも出来るようになる。自分の想像が、とっくに考えられたであるのを知る。そうやって、頭の中に、知識のネットワークが構築されてくる。調べるのを癖にする。※この段落には、矛盾を感じるかも。

また、これは他所で書いたのですが、想像力というのは、考える対象によって、発揮のされ具合が異なってくる、というのもありそうです。「こんな賢い人が何故あんなのを信じるの」、という場合がありますね。これは、誰が言ったか、とか、情報を受け容れた場とかが関係していたり、対象を批判的に吟味出来るだけの知識が無かった、とか、そういうのが関係しているのだと思います。

それと、「保留」する事。知識が足りない分野については、知識が積み上がるまでは、判断を保留する。特に、ある程度専門的な話題だと、保留するのは重要。もちろん、専門的な話題だからといって、他分野と隔絶している訳では無いから、自分が知っている知識から類推する、というのも大切。

まあ、そんな感じなんじゃないかな、と。

参考:PSJ渋谷研究所X: きくちまことはkikulogで想像力について何を語ったことがあるか

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見やすさ、読みやすさ

これはまあ、とても基本的な事なんですが。

ブログなり掲示板なりに文章を書く時、

「読みやすい」(読解しやすい)文を心掛けるのが当然なのは、言うまでも無い事ですけれど、

それとともに、

「見やすい」文を書く、というのも心得ておくべきかな、と。

地の文と引用文とをきちんと区別したり、適度に改行したり、という、細かい所とかね。

コメント欄が長くなったら、誰のどの文のコメントからの引用なのかを、ちゃんと明記する、とか。ツリー形式で無い場合は、凄く判りにくくなりますしね。

「配慮」というのは、そういう所にも行き届かせるものだよな、と思った次第。

自分が出来ているかどうかは、別の話。自分の文章を読み返して、書き方を改良していっていますけれど、限界がありますからねえ。

こんな事をよく考えるのは、私が元々、「文章を読むのが大嫌い」だったから、なんじゃないかと思っています。

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マナー?

痛いニュース(ノ∀`):“音をたてて蕎麦を食す…○”“おしぼりで顔を拭く、割り箸をこする…×”…女性からダメ男の烙印を押されない為の食事マナー

凄く気になった事。全然本題と関係無いけど。

「私の蕎麦つゆがなくなったことに気づいた男性が、  自分のつゆを私の猪口に入れたんです。さすがに愕然としましたね」

何で蕎麦つゆが無くなるんだろう。

その男性、いきなり他人の器に、って事なんですか。そりゃ凄いなあ。相当親しい間柄じゃないと、あり得ないと思うけど。

結局、コンサルタント?氏の好き嫌いを言っているだけにも、見えなくも無いなあ。このコンサルタント?氏は、なんか、自信に満ち溢れているようですね。

「モテる男が日本に大量増殖することで少子晩婚化を解決し、日本の国力アップに貢献したい」

だそうです。

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ところで。

ワイドショーなんかで、蕎麦をすする音がどうとか、やってますね。

あれ、稀に見る、どうでもいい話ですよね。いくらなんでも、それをテレビで流すのはどうよ、という感じで。

まあ、そんな事を言うと、ワイドショーネタなんか、ほとんどどうでもいいものばっかじゃないか、て突っ込まれそうですけど。

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文科/理科

いでよ広辞苑第五版! そして願いを叶え給え!!

【文系】 文科に属する系統。

【文科】 (1)人文科学・社会科学に関する分野。また、大学などでもっぱらその分野を修める学部・学科。「―系」 (2)文学部。文学科。

【人文科学】 (human sciences)政治・経済・社会・歴史・文芸など、広く文科系の学問の総称。狭義には、自然科学・社会科学に対して、哲学・言語・文芸・歴史などに関する学問の称。文化科学。

【理系】 理科の系統。理・工・農・医・薬などの学部を指す。

【理科】 (1)学校教育で、自然界の事物および現象を学ぶ教科。(2)自然科学の学問。また、大学などでそれを専攻する部門。理学部・工学部・農学部などの総称。また特に、理学部。「―系」

※引用元:『広辞苑』第五版 一部省略

Interdisciplinary: 「科学」でも纏めたけれど、基本的、「文字通り」的には、研究の対象によって分類される、という事でしょうね。

さて、日常的な使われ方について。

学校教育の印象が、強く残るのかも知れません。理系を象徴するものとしての、数学や自然科学。記号を操り、手順をきちんとして進めていく学問。「文系」は、「それ以外」と看做されるのかな(理系の補集合、的な)。「理系で無い」、という意味合いで使うと言うか。数学や記号を操るという所が、「理詰め」、「論理的」、「厳密にものを考える」、と印象付ける、のか。あるいは、「文系」というのが、たとえば「文学」を想起させ、更にそれが、「直感」や「感情」を思い起こさせ、「論理」と排他的な関係にある、と思わせるのかな。これ(社会による言葉の用いられ方)自体は、社会科学的な対象でしょうか。

端的に、「数学が使えない」、「数学を勉強してこなかった」、という意味で、「文系」が用いられる事もある気がする。カリキュラムの影響かな。理系と文系の高校では、やる事全然違いますしね。ちなみに、私は高校時代、微積分すらやりませんでした。あり得んですよ。

なんでしょうね。理系はクローズアップしやすいが、文系はそうでも無い、と言うか、「学問」とは看做されにくい、と言うか。理系と言われれば、数学や物理や化学や生物やらがすぐに浮かんで、「記号や公式やらを憶えさせられた」経験が想起されるのかな。で、文系は、「それ以外」。

そして、論理的にものを考えていく文章なりを目の当たりにして、それについていけない人が、言い訳等の言い回しとして、「自分は文系だから…」的な言葉を出す、という。文系/理系が、「それまでに学んできた分野」を表す言葉として用いられるなら全然構わないけれど(私は、基本的にそう使う)、「言い訳」として用いられてしまう事が、あるのでしょうね。

哲学とか言語学とか、高校までにはほとんどやりませんしね。普通科以外だと、倫理すら無いし。文系学問をある程度突き詰める機会が少なくて、しかも、理系が理詰め(理という字が入ってるし)である事の解りやすさが相俟って、「文系」という言葉の意味内容が、構成されたのかな。

後、「定量的」、あるいは「計量的」に考えるのが、ポイントかも。厳密に測定し、それを記録して、得られたデータを操作していく、という過程が、厳密さや「曖昧さの排除」を、強く印象付ける、と言うか。で、「理系」にそういう印象を持って、「非・理系」である所の「文系」を、理系の持つ特性「を持たない」分野と認識してしまう、と。

うむ、まことに取りとめの無い文章。dlitさんのエントリーとコメント欄を読むと、文系:非・理系と考える方は、やはりいらっしゃいますね。

「科学」を、現象の仕組みの構造を解き明かす知的営為だと捉えれば、理系にしろ文系にしろ、共通する部分は多いでしょう。違いは、「何を」知りたいか、という事と、道具立ての異なり、等でしょうね。

私をインスパイヤしてくれた方々⇒理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ - 思索の海  So-net blog:王様は裸だ!Annex:文系・理系の分類基準

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言葉

言葉とは、器のようなものです。

言葉の意味とかたちは、きつく結ばれている訳では無いのです。

言葉に、強い力が分かちがたく繋がっている、と考えてはいけません。

言葉に、力を持たせてはいけません。

言葉を恐れてはいけません。

言葉を受ける時は、言葉が力を持っていない事を、心得ておくべきです。

だけれど、

言葉を投げ掛ける時には、深く慮らねばなりません。

なぜなら、

言葉と力が絶対的に結び付いていないという事は、

言葉はどんな力も持ち得る

という事を意味しているから、です。

言葉は、私達で作っていくものです。

それは、自分と相手との関係、場の雰囲気、お互いの気分、感情、そういったものと絡み合って、作り上げていくものです。

そう、まるで、生きているかのように。

言葉に力を持たせてはなりません。

でも、

言葉はどんな力も持ち得る事は、常に考えなければなりません。

大変かも知れないけれど、それが言葉というものなのです。

言葉に囚われてはなりません。

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ゲーム脳の説明

興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ

これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。

「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」

「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」

これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。

悩ましいなあ。

そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。

自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。

スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。

冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。

※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。

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しんじぬもの

これかっ⇒信じぬ者は救われる

読みます。

対談でしたよね。どんな感じなのかな。

この本について書かれた、菊池誠さんのエントリーは、こちら⇒kikulog:香山さんとの対談

ゲーム脳の話が出る事に、仄かな期待。

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hypothesis

セブンアンドワイ - 本 - 白い仮説・黒い仮説

apjさんのブログのコメント欄経由で知りました。

竹内氏が、「ニセ科学」という語を冠した書を出すというのは、なかなか興味深い。

出たら読んでみようと思います。

ちなみに私、これは未読だったり↓

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 Book 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方

著者:竹内 薫
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賛否両論ある本のようなので、こちらも読んでみようかな。

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範疇追加

Jさんのブログ(So-net blog:王様は裸だ!Annex)を読んでいて、そういえば私のブログでも、文系と理系についてはちょくちょく書かれているなあ、と思ったので、”「理系/文系」について”というカテゴリーを追加しました。

ほとんどは、コメント欄でやり取りがなされているので、そちらをどうぞ。

でも、いざまとめてみると、実はそんなに量がある訳でも無く、別にカテゴリーを追加するまでも…という気も、しないでも無いかも知れない。

いや、後で自分が参照しやすいように、っていう理由なんですけどね(笑) 多分需要無いだろうし。

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脳速検定

左サイドバー下部を見てね。

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TATAMI

頭のいい子に育てたいなら子供部屋は“和室”にしろ(日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース

うーん、どうなんだろう。

この本文の内容なら、「何だこのおバカなタイトルは」、というくらいで、軽く捉えた方がいいのかな。いや、さすがにここから、「和室がいいのかっ」、となる人は、さほど多くは無いだろう、と思ったので。

研究は面白いですね。香りがリラックス効果を及ぼす事は充分考えられるし。どんな内容だったのか、興味深いです。

このタイトルと記事の書き方から、この研究自体も怪しく見られてしまったりするんじゃないか、という、余計なお世話的な考えも浮かんじゃったり。

これで難関校突破なら安いものだ。

軽く噴いた。

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鉛筆と太刀

はてなブックマーク - 小学生に鉛筆を使わせていた理由

あれですよね。自分が鉛筆使ってる時は、シャーペンに憧れましたね。

何て言うか、そう……

メカニカル。

うん、あの金属感とか、手にずっしりくる重さとかが、なんか良かった。高級な感じがしたしね。カチカチやって芯を出したり、足りなくなったら装填するっていうのが、カッコイイじゃないですか。なんかハイレベルなアイテムを使いこなしてるぜっ、て感じで。

コンパスなんかもそうでしたねえ。メカってますよ。子どもはそういう所に惹かれるんですって。

シャーペンを使い出したのは、いつだったかな……中学かな。大人になった気分でしたね。うむ、大人。いや、実はあんまり憶えて無いんですけどね。

成人してからは、ノートにものを書く時は、鉛筆でもシャーペンでも無く、ボールペンになっちゃいました。何となく。

で、今は、手書きをする事自体、ほとんど無いですねえ。いいのか悪いのか知りませんが。

増田で紹介されている話は(やっと本題かよ)、つまり、「型」論のようなものですよね。鉛筆という、(多分)メーカー等の違いによるばらつきの小さい形状で、「鉛筆という道具」を用いる「基本」を身に着けさせる、という事なんでしょうね。それから応用と言うか、基本的な道具の使い方を学んで慣れてから、色々な形の物を扱わせる、という、そういう流れなんでしょう。大きな形状の変化は、長さの違いくらい、という事で。

はてブにありましたが、筆記具と書字の関係についての研究があるようで。それはそうですよね。メーカーも、そういうのを研究してデザインを行うのでしょうし。

あれですかね。

木剣と杖(棒)をしっかり扱う事が出来れば、鉄扇やら小太刀やら槍やらの操作に適応が可能、みたいな。一部の人にしか解らない喩えだけど。

うーん、何というアホ丸出しの文章。

そういえば、「万年筆」という、オトナの領域もありますね。お金が有り余るほどあれば、一本イイのを置いておきたいですね。あの製造工程とか細工の美しさは、ぐっとくる。

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↑何かミラクルな値段なので、貼ってみた。

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思ひ出

今は無くなりましたが、以前、livedoorのサイトに、掲示板がありました。

で、その中に、「ライブドア特設掲示板」というトピックがあったのですね。

確か、ライブドアがニッポン放送の株を取得した辺りに出来たトピックだったと思いますが、その掲示板、実に面白かった。

色々ありましたねえ。堀江氏擁護と批判のそれぞれの立場から議論を戦わせていたのが基本ですが、それ以外にも、地震が起こった際に、投稿者から色々なアドバイスがあったりして情報を交換したり、投稿者同士が連帯して、新たなトピックを作って、そこで交流を深めたり。荒らしが跋扈して、掲示板運営について活発な議論がなされた事もありました。初めはIDか匿名での投稿だったかな。それが、一つのIDでニックネームを10個取得出来るようになって、マネハンがめちゃくちゃな内容のコメントを書き散らしたり。トピックによっては、IDの投稿以外はスルー、というルールを決めた所もありましたね。投稿者が運営に様々な意見を出して、それがフィードバックされて、どんどんデザインが変わっていきましたね。最後の方は、物凄く使いやすいものになったと思います。て言うか、あれだけ早く意見が反映されるって、実は結構凄い事なんじゃないかな、なんて。

話題には事欠きませんでしたね。何しろ、堀江氏の行動なので、まあ、色々あった訳です。ライブドアvsフジテレビ・ニッポン放送とか、堀江氏出馬とか、堀江氏逮捕とか。その度に、大いに盛り上がったものです。熱かったなあ。

上にも書きましたけど、雑談がだんだん増えてきて、そこからトピックが派生していったりしましたね。色々な有名人もいましたね。グループみたいなものが出来て、面白かった。「シロアリ」さんとかね。

変わった人もいましたねえ。なんか、自宅が盗聴だか盗撮だかをされているとひたすら訴えていた人とか、自称ハーバード卒の、「学問さん」と呼ばれた人とか。学問さんのコメントの内容とか、結構凄まじかったけど、なんとなく受け容れられているようでもあって、不思議でした。

コメントの最後に、必ず「スイーツ(と星印だったかな)」を入れる「ひなたぼっこ」さんという人もいましたね。時代を先取りしてたんだなあ(笑) 特設名物な感じの人でしたね。

マスメディアの報道姿勢についても、色々議論しましたね。局によって全く印象が違ったり、都合良く切り取っているような流し方をしていたり、そういう所の指摘とかあって、一層懐疑的になりましたね。

とにかく、色々ありました。大げさに言うと、「ドラマ」? 特設のトピックだけで、投稿数10万超えたよなあ、確か。

まあ、そんな掲示板も、堀江氏逮捕後辺りから、段々人も少なくなってきて、ついには掲示板そのものが無くなる、となった訳ですね。当日の24:00に終わるのかな、と皆が思っていたら、18:00時頃に突然閉鎖されて、何ともあっけない終わり方なのでした。

私は、特設にはそれほど投稿しませんでしたが、随分勉強させてもらったし、とても有意義でした。いや、ホントに。めちゃくちゃ賢い人達ばかりで、ダメだ自分、と思いまくったものです。

罵倒や荒らしの耐性もついたしね(笑) あのカオスに慣れれば、大概の事は何とも無いのですなあ。

皆さん、元気でやってるかな。

さすがに、ここの読者さんで、特設読んでいた、って方は、いらっしゃらないですよねえ。でも、あれほど盛り上がった所もなかなか無いと思うので、覗いた事がある人は、結構いるかもね。

とまあ、全然取り留めないですが、結構印象に残っている思い出なのです。このブログを作った頃には、まだ特設あったしね。そんなに前じゃないのに、なんだか懐かしいのでした。

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算数の町

さっきテレビでやっていたのですが、新潟県にある水原(すいばら)という町では、商店街にある店に、算数の問題が貼ってあるそうです(窓の所とかに)。で、各店に解答用紙が備えてあって、答え合わせをする事が出来るとか。なんでも、山口坎山(かんざん)という数学者が出身地である事に、ちなんでいるそうです⇒参照:http://www.xyj.co.jp/suibara/yumekukan/kawaraban/2001_2/info.htm(”『算数推進の町』すいばら”の部分をクリック)

これは素晴らしいですね。社会に浸透させている、と言うか。これが即リテラシーを高める、とか、そういう事じゃ無いとは思うけど、「慣らす」と言うか、「当たり前」にさせるには、効果的だと思います。もっと大きな規模でやってみてもいいんじゃないかな。私の持論は、「嫌わせない」事が重要、というものなので、こういうのを知ると、嬉しくなります。道往く子ども達が、算数の問題に嬉々として取り組む、というのは、実に良い光景ではありませんか。

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水伝を用いるパターン

kikulogに書いたコメントを、こちらに抜粋⇒