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2008年2月に作成された記事

2008年2月29日 (金)

リンクの追加と修正・水伝に関するFAQ追加

亀@渋研Xさんによる力作、水伝に関するFAQが公開されたので、こちらでもご紹介します。

【作成中】『水からの伝言』の基礎知識【基礎編】

水からの伝言、あるいは、良い言葉を掛ければ美しい氷が出来る、という説に触れた事がある方には、こちらを読まれる事を、強くお勧めします。

以下、感想。

お疲れ様です。あれだけの量をまとめ、さらに、平易な記述を心掛けられたという事は、大変な作業であったと思います。頭が下がります。

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右サイドバーに追加。

また、ニセ科学関連のリンクを総論と各論に分け、サイドバーに追加。

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努力

作品でもパフォーマンスでも何でもいいのですが、それについて批判なりをすると、「一生懸命やっているのだから」、とか、「現場は本気なのだ」とか、そういう風に反論する人が、時折見られます。

でもそれって、全然違うのではないかと思うのです。

「その人がいかに努力したか」、というのは、作品なりを評価する「参考」になる事はあるけれど、それは決して、出来の悪さを正当化したりするような使い方をしてはならない。

学芸会じゃ無いのだからね(そういう文脈ではあり、という事)。子どもに対して、「努力した事そのもの」を褒めるという場合ならいざ知らず。

もちろん、当人が開き直り的に言うのは、全くもって論外ですが、近しい人が、庇うためにそういう事を言うのも、ダメだと思います。

もし当人が「本気」だった場合、その人に対しても、物凄く失礼になるかも知れない。

その人が何をしてきたか、というのも確かに大切でしょうけれど、人からは離れた作品として、評価するべきでしょう。見る方も、それを心掛けるべきだと思います。

別の文脈では、「善意」がある事をもって、駄目な活動なりを擁護する人がいます。これも妥当では無いと考えています。

poohさんがよく仰る事ですが、ある行為を、「善意」によって免責・正当化するべきでは無い。特に、医療に関わる分野等の場合、それは即、命に関わる問題になる訳ですから。

テレビ番組なんか観てると、結構、そういうのを目にします。「いかに努力したか」をドラマティックに伝え、「良い結果は得られなかったが、努力をした所は評価する」、的な。そうで無くて、努力の方向性は妥当だったか、とか、パフォーマンスのどこが良くなかったか、等を論ずるべきだと思うんですけどね。「間違った方向への努力」というのは、いくらでもある訳で。「努力したという事実」ばかりを重んじてはいけないんじゃないかな。

ちょっと極端に思える意見かも知れませんが、もちろん、全くそういう事をしてはならない、というほど強い主張をしたい訳でもありません。物事によっては、密接不可分な場合もあるでしょうから。

ただ、「心情」にばかり思いを馳せるのは、客観的な評価の目を曇らせる事がある、というのは、念頭に置くべきだと考えます。

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2008年2月28日 (木)

はな

先日、テレビをつけたまま他の事をしてたら、なんか歌声が流れていたのに気付いて、そちらを観てみたら、『みんなのうた』をやっていました。

で、ちゃんと聴いてみると、実に興味深い声で、サビの部分で、じーんときたのでした。

ちょうどその時、ネットをやっていたので、画面に表示されていた歌詞を憶え、それでググり、歌い手と曲名を知りました。

という訳で、OnGenで購入しました。↓

NHKみんなのうた「HANA」(DVD付) Music NHKみんなのうた「HANA」(DVD付)

アーティスト:暮部拓哉
販売元:Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
発売日:2008/03/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

HANA Music HANA

アーティスト:暮部拓哉
販売元:Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
発売日:2008/02/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この曲は、じわじわ来るんじゃないだろうか…。て言うか、CD品切れの所もあるみたいだから、今、じわじわの最中なのかな。

歌っている暮部拓哉さんのサイトはこちら⇒暮部拓哉 Official Web Site

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2008年2月27日 (水)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(2)

1章 ゲーム中の驚くべき脳波の変化

社会が注目するテレビゲームの影響

冒頭、校内暴力の急増がマスメディアによって報道されている事が紹介され、

 「キレる」とか「むかつく」という言葉に象徴されるように、子どもの自己抑制力やコミュニケーション能力の欠如が、改めて浮き彫りになっています。ちょっと注意をされても言葉で反応するのではなく、カッとなっていきなり暴力を振るってしまうというような、状況を冷静に判断できない行動は大きな問題です。(P18)

と、いわゆる「キレる」、「むかつく」という状態への懸念が示されています。そして、その原因として、「親の価値観や躾」(P18)が言われている事等を指摘し、また、テレビゲームとの関係について採り上げられるようになった事も指摘します。いわく、

 その一方で、テレビゲームとの関係も取り上げられるようになっています。虚構の世界に没入することで、現実との区別がつかなくなっているのではないか、あるいは、ゲームの暴力行為に加わることで、攻撃的な性格が形成されていくのではないかなどの指摘がされています。(P19)

そして、その直後に、あるゲームを30時間(「約二日」)でクリアした大学生のエピソードを出しています。その大学生の感想として、疲労感を覚えた事、画像が鮮明である事、恐怖を感じた事、が紹介されています。ちなみに、このゲームの説明は、「最近発売された、ホラー映画のような恐怖を感じさせるテレビゲームで、敵にみつからないようにいろいろな部屋に進入して武器を獲得し、相手を殺しながら勝ち進んでいくというものがあります。」(P19) というものです。タイトルは書かれていないので、断定は出来ませんが、説明文から推測するに、『バイオハザード』を代表とする、ホラー系のアクションアドベンチャー(サバイバルホラー。参照:サバイバルホラー - Wikipedia)を示しているものと思われます。

ここから森氏は、そのようなゲームが、「暗い夜道などを歩くと凶悪な殺人者が出てくるのではないかと錯覚させてしまいそうな要素を十分もっていると思われます。虚構と現実の世界が重なってしまう例でしょう」(P19)と主張し、もしテレビゲームの長期使用が「キレる」事の要因であれば社会的に問題である事、そして、ゲームが問題であるという意見のほとんどについて、「科学的に裏付けのない憶測にすぎません」(P19)、と、当時のゲーム研究の評価を行っています。(ゲームの好影響を主張している人がいる事も紹介)

さて、上に挙げた、森氏による大学生の事例、二日で30時間プレイしたという、極端な例であり、疲労感を覚えるのは、当然の事であると考えられます。十数時間一つのものに取り組めば、疲労するのは当たり前ですし、更に、恐怖感を覚えるというのは、そもそも、当該ソフトがサバイバルホラーである事から、これも当然であると言えるでしょう。ゲームに明るく無い方のために、映画でたとえると、ホラー映画を5本連続で観た人に感想を聞いて、疲れた、恐怖を覚えた、と言われたのを元にして、「虚構と現実の世界が重なってしまう例」、と主張しているようなものな訳です。

ゲーム中の脳波は痴呆と同じ

まず森氏は、

 私たちは、テレビゲームをしている人の脳波が変化することを発見しました。その変化は劇的で、驚くほどはっきりしていて、データをみるとひと目でわかるほどです。(P20)

と言い、自身の経歴を紹介しています。そして、自身の研究によって、痴呆(表現は、著書に従います。文脈によっては、認知症とします)を判定出来る機器および方法を開発した、と主張します。その方法とは、「おでこに相当する前頭前野領域の頭皮上から記録されるα波とβ波の比を求めることで、約八五パーセント判定できる」(P21)というものです。

次に、森氏が、テレビゲームをしている子どもの脳波を調べようと思い至った動機が、書かれています。森氏によると、脳波を計測する機器の製作過程で、「機器の調子をみるため実験的にソフトウェアを開発していた人たち八人の脳波を記録」(P21)した所、全員が、「痴呆者と同じ脳波を示した」(P21)という事があり、そこから、何故そのようなデータが取得されたかを推測します。

 どうしてこのようなデータになったのか考えてみました。ソフトウェア開発者は、視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、ずっと使い続けているわけではありません。開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。(P21・22)

森氏はこのように論理を展開し、更に、開発者達が一日に会話をほとんどしない事を挙げ、前頭前野の機能低下が、画面に向かっている時間が長いからではないか、と、推測を進めます。そして、この事をきっかけにし、「視覚を中心としたテレビゲームでは前頭前野の働きがどうなっているのか、たいへん興味をもった」(P22)と、テレビゲーム中の人の脳活動を計測するに至った経緯を紹介しています。

ここからは、実際にテレビゲームを行っている人の脳波についての説明に移ります。テレビゲームを長期間行っている人の脳波が「重い痴呆の人の脳波にたいへん類似」(P22)しており、α波とβ波のレベルが完全に重なり、ついには(更に深刻になれば)β波がほとんど出現しなくなる、と言います。

この節でのポイントは、森氏が開発したと称する機器によって、ソフトウェア開発者の脳波が計測され、それが痴呆者と同様であった、と主張されている所でしょう。まず、森氏の開発した機器および方法がどれほど妥当か(一般的には、認知症は、精神医学的、心理学的診断や身体的な診断を総合的に用いて、診断していくものだろうと思います)、仮に、痴呆者の脳波のパターンに、ある共通性が見られるとしても、論理的には、同様のパターンの脳波が見出された場合に、必ずしもその人が痴呆であるとは言えない、という所は、押さえておくべきでしょう。

次節からは、実際にゲームを行っている人を計測したデータが紹介されます。

次回へ続く

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2008年2月26日 (火)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(1)

先日お知らせしましたが、森昭雄氏の著作、『ゲーム脳の恐怖』の内容を検討するシリーズを、始めます。不定期の連載になると思います。

今更? と思われる方もおられるでしょうけれど、ゲーム脳説は、現在ある程度流布されており、森氏の講演会や、ゲーム脳をテーマにしたイベント等も、たびたび行われています。そういう状況を鑑みれば、森氏が著作で何を主張したか、というのを検討するのは、決して意味の無い作業では無いと考えます。

カテゴリーとして、「『ゲーム脳の恐怖』を読む」を追加します。

引用文は、特に断らない限りは、森昭雄 『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)からのものです。

強調部分は、引用書の見出しを示します。

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前書き

まず、ファミコンの誕生、いくつかの有名ソフトの紹介および、ゲームハードの出現の大まかな歴史を、紹介しています。その後に、ゲームの悪影響についての指摘がある事を紹介し、木村文香氏の論考を引用し、テレビゲームの真似をして傷害事件が起こった例を挙げています。

次に、森氏が、幕張メッセで行われたイベントに行き、そこで見たコスプレをした少女にショックを受けたエピソードが、紹介されています。

 昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。(P4・5)

この引用文から、森氏が、恐らくコスプレという文化に無知である事が、窺えます。更に、印象として、「異様な雰囲気」、「無表情で歩いている」、等の表現を用いています。この後森氏は、その印象を元に、将来の日本についての危機感を表明しています。

 このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。(P5)

この文章から、森氏が、自身の知らない文化について、その内容を調べようともせず、「印象」のみをもって評価し、その印象を不当に一般化しているのが、見て取れます。

さて、森氏はこの後、自身の研究によって脳波が容易に記録出来るようになり、その方法によって、テレビゲームや携帯ゲーム中の前頭前野の活動を調べた結果を纏めた、と主張します。そして、その結果から、

驚くことに、テレビゲームのなかには前頭前野の脳活動をあきらかに劇的に低下させるものが多いことがわかったのです。このままこれを放置していると、テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしまうと思われます。さらに若年性痴呆症状態を加速する可能性が高くなるのではないかと危惧しています。(P6)

こう結論しています。ここで注目すべきなのは、キレやすい、注意散漫、創造性を養えない、という心理学的な悪影響および、「若年性痴呆症状態を加速」するという、医学的悪影響が、明確に主張されている所です。

この後には、IT革命による、「子どもたちの限りない潜在脳(ママ)力を削ぎとっている可能性」(P6)への懸念を表明し、五感を駆使し、人と触れ合う事の大切さを主張します。そして、飼育していたカブトムシが死んでしまい、親に、「電池を交換すればいい」と言う子どもの例(森氏の友人の話として紹介)が挙げられ、「この話に私は非常に強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」(P7)としています。当然、生き物が死んだのを見て電池を交換すれば良いと発言する事は、脳の状態について推測する材料には、特にならない訳ですが、森氏はそこも、強引に結び付けています。

次回へ続く

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回復薬

バンダイ、大人気PSPゲーム「モンスターハンター」の「回復薬」をイメージした飲料水を発売(MarkeZine) - Yahoo!ニュース

ほう…。

(200円・税込)

高っ。

なるほど、回復薬だから、栄養ドリンク系なのね。

モンスターハンターポータブル 2nd G Video Games モンスターハンターポータブル 2nd G

販売元:カプコン
発売日:2008/03/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年2月25日 (月)

ぐれいぷ

テンプレートを替えました。

シンプルで爽やかな感じに。

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デザインの妙

Game Developers Conference 2008現地レポート

実に興味深い。

キャラクターのモーションの話は面白いですね。モーションキャプチャを使わずに、フィギュアを用いていたんですね。

イメージを具体的なかたちにして傑作を生み出した桜井氏だからこその、説得力がある。

「頭の中で仕様を転がして、頭の中のゲームで遊んだ上で、しっかりスタッフに指示ができるように頑張って欲しい」

なるほどねー。

大乱闘スマッシュブラザーズX Video Games 大乱闘スマッシュブラザーズX

販売元:任天堂
発売日:2008/01/31
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年2月24日 (日)

ちょっとお知らせ

その内に、再び森氏の著作を採り上げて、論評しようと思っています。多分、本を丸ごと一冊検討しますので、長~い連載になります。

随分前からやろうと考えてたのですが、なかなか手をつけられず。

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2008年2月23日 (土)

出演

キタ↓

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※画像は、ラジオ番組、Saturday Hot Request -サタデーホットリクエスト-のWEBサイトより引用。

このエントリーを見た方は、3月15日に、サタリクを聴かなければなりません。

ライブなので、聴かなければなりません。サタリク出演は、3年ちょっと振りなのです。

Music 名曲撰 ユメミゴコチ

アーティスト:諫山実生
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/12/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

名曲撰 ユメミゴコチ / 諫山実生 名曲撰 ユメミゴコチ / 諫山実生
販売元:CD&DVD Neowing
CD&DVD Neowingで詳細を確認する

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子どもがやるもの? そうだよ

はてブ経由(はてなブックマーク - 代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)で、面白いブログを発見⇒代々木blog

ゲームが好きな事が伝わってきますね。

ところで、上の、はてブが付いたエントリー(代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)に関連して。

私の周りには、ゲームは子どものするもの(大人がやるようなものでは無い)だ、とか、○○歳にもなって…と言う人は、あんまりいないですね(まあ、何人かはいるでしょう)。幸いな事に。まあ、60前でドラクエ8をクリアしたりする人が、身近にいたりする訳です。

マンガとかアニメとかゲームとかって、結構冷たい目で見られがちなのかな。いや、何でも、のめりこんだらそう見られるかな。まあ、「いかにも」、というのは、あるかも。今挙げたものの他に、たとえば、模型とかね。やっぱり、サブカルチャーと繋がると、そういう傾向が強くなるのだろうか。模型でも、鉄道模型よりキャラクターモデルが、という具合に。やはり、「子どもがやりそうなもの」、というイメージが、関係しているのかな。子どもは素朴で未熟、という前提から、子どもがよくやってるものをやっている→子どもがやってるものを、いい大人が、と考える→みっともない  と、こんな感じか。

まあ、思うのは勝手ですが、そんな事で人の性質を判断したってしょうが無いよね、とは感じます。

ゲームから色々学び、得た人にとっては、あまり気分のいいものでは無いんですよね。

追記:TB、送信されました。リンクした気になってた…。手数をお掛けしました。また、教えて頂いて感謝です>佐々木さん

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2008年2月22日 (金)

似てない?

子鬼(小鬼じゃ無いのね)トリオのアカネと にしおかすみこさんの喋り方がそっくりだ、と感じるのは、私だけなんでしょうか。

「おじゃるまる」を変換したら、「尾JAL○」に…。

あたしだよ!! DVD あたしだよ!!

販売元:Viictor Entertainment,Inc.(V)(D)
発売日:2007/07/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Music NHKアニメおじゃる丸(音符記号)そんぐ・これくしょん(音符記号)

アーティスト:TVサントラ,おじゃる丸(西村ちなみ),子鬼トリオ,電ボ(岩坪理江),貧ちゃん(斎藤彩夏),SUS4,北島三郎,カズマ(渕崎ゆり子),金ちゃん(生駒治美),小町ちゃん(西村ちなみ),オカメ姫(三石琴乃)
販売元:日本クラウン
発売日:2003/07/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年2月21日 (木)

色んな想像力

「想像力」というのを考える場合、「事実」に思い至るか、というのが重要だと考えます。簡単に言うと、「実際どうなってるんだ?」と考えて、色々調べる、とか。

後、これは何度も書いているけど、「自分程度の想像力は他人も持っているだろう」、と考える「想像力」は、必要ですね。それは結局、自分を過大評価せず、自尊心の肥大化のストッパーの役割を果たす訳ですね。つまり、「謙虚」。

それから、喋る時には、自分が喋る内容を内言として再生して、それがどう解釈されるかを推測する、というのも肝腎。文章だと、推敲を丁寧にやって、様々な「読まれ方」を想定する。

で、想像力には当然、「知識」が絡んでくる訳ですね。知らなきゃ、想像した事が合っているか、他に同じ事を考えた人はいないか、というのは、当たり前ですが、解らない。だから、それを知るために、「調べる」のです。知識が積み上がってくれば、他人が言った事が、どこに位置付けられるか、というのも出来るようになる。自分の想像が、とっくに考えられたであるのを知る。そうやって、頭の中に、知識のネットワークが構築されてくる。調べるのを癖にする。※この段落には、矛盾を感じるかも。

また、これは他所で書いたのですが、想像力というのは、考える対象によって、発揮のされ具合が異なってくる、というのもありそうです。「こんな賢い人が何故あんなのを信じるの」、という場合がありますね。これは、誰が言ったか、とか、情報を受け容れた場とかが関係していたり、対象を批判的に吟味出来るだけの知識が無かった、とか、そういうのが関係しているのだと思います。

それと、「保留」する事。知識が足りない分野については、知識が積み上がるまでは、判断を保留する。特に、ある程度専門的な話題だと、保留するのは重要。もちろん、専門的な話題だからといって、他分野と隔絶している訳では無いから、自分が知っている知識から類推する、というのも大切。

まあ、そんな感じなんじゃないかな、と。

参考:PSJ渋谷研究所X: きくちまことはkikulogで想像力について何を語ったことがあるか

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2008年2月20日 (水)

見やすさ、読みやすさ

これはまあ、とても基本的な事なんですが。

ブログなり掲示板なりに文章を書く時、

「読みやすい」(読解しやすい)文を心掛けるのが当然なのは、言うまでも無い事ですけれど、

それとともに、

「見やすい」文を書く、というのも心得ておくべきかな、と。

地の文と引用文とをきちんと区別したり、適度に改行したり、という、細かい所とかね。

コメント欄が長くなったら、誰のどの文のコメントからの引用なのかを、ちゃんと明記する、とか。ツリー形式で無い場合は、凄く判りにくくなりますしね。

「配慮」というのは、そういう所にも行き届かせるものだよな、と思った次第。

自分が出来ているかどうかは、別の話。自分の文章を読み返して、書き方を改良していっていますけれど、限界がありますからねえ。

こんな事をよく考えるのは、私が元々、「文章を読むのが大嫌い」だったから、なんじゃないかと思っています。

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マナー?

痛いニュース(ノ∀`):“音をたてて蕎麦を食す…○”“おしぼりで顔を拭く、割り箸をこする…×”…女性からダメ男の烙印を押されない為の食事マナー

凄く気になった事。全然本題と関係無いけど。

「私の蕎麦つゆがなくなったことに気づいた男性が、  自分のつゆを私の猪口に入れたんです。さすがに愕然としましたね」

何で蕎麦つゆが無くなるんだろう。

その男性、いきなり他人の器に、って事なんですか。そりゃ凄いなあ。相当親しい間柄じゃないと、あり得ないと思うけど。

結局、コンサルタント?氏の好き嫌いを言っているだけにも、見えなくも無いなあ。このコンサルタント?氏は、なんか、自信に満ち溢れているようですね。

「モテる男が日本に大量増殖することで少子晩婚化を解決し、日本の国力アップに貢献したい」

だそうです。

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ところで。

ワイドショーなんかで、蕎麦をすする音がどうとか、やってますね。

あれ、稀に見る、どうでもいい話ですよね。いくらなんでも、それをテレビで流すのはどうよ、という感じで。

まあ、そんな事を言うと、ワイドショーネタなんか、ほとんどどうでもいいものばっかじゃないか、て突っ込まれそうですけど。

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2008年2月19日 (火)

文科/理科

いでよ広辞苑第五版! そして願いを叶え給え!!

【文系】 文科に属する系統。

【文科】 (1)人文科学・社会科学に関する分野。また、大学などでもっぱらその分野を修める学部・学科。「―系」 (2)文学部。文学科。

【人文科学】 (human sciences)政治・経済・社会・歴史・文芸など、広く文科系の学問の総称。狭義には、自然科学・社会科学に対して、哲学・言語・文芸・歴史などに関する学問の称。文化科学。

【理系】 理科の系統。理・工・農・医・薬などの学部を指す。

【理科】 (1)学校教育で、自然界の事物および現象を学ぶ教科。(2)自然科学の学問。また、大学などでそれを専攻する部門。理学部・工学部・農学部などの総称。また特に、理学部。「―系」

※引用元:『広辞苑』第五版 一部省略

Interdisciplinary: 「科学」でも纏めたけれど、基本的、「文字通り」的には、研究の対象によって分類される、という事でしょうね。

さて、日常的な使われ方について。

学校教育の印象が、強く残るのかも知れません。理系を象徴するものとしての、数学や自然科学。記号を操り、手順をきちんとして進めていく学問。「文系」は、「それ以外」と看做されるのかな(理系の補集合、的な)。「理系で無い」、という意味合いで使うと言うか。数学や記号を操るという所が、「理詰め」、「論理的」、「厳密にものを考える」、と印象付ける、のか。あるいは、「文系」というのが、たとえば「文学」を想起させ、更にそれが、「直感」や「感情」を思い起こさせ、「論理」と排他的な関係にある、と思わせるのかな。これ(社会による言葉の用いられ方)自体は、社会科学的な対象でしょうか。

端的に、「数学が使えない」、「数学を勉強してこなかった」、という意味で、「文系」が用いられる事もある気がする。カリキュラムの影響かな。理系と文系の高校では、やる事全然違いますしね。ちなみに、私は高校時代、微積分すらやりませんでした。あり得んですよ。

なんでしょうね。理系はクローズアップしやすいが、文系はそうでも無い、と言うか、「学問」とは看做されにくい、と言うか。理系と言われれば、数学や物理や化学や生物やらがすぐに浮かんで、「記号や公式やらを憶えさせられた」経験が想起されるのかな。で、文系は、「それ以外」。

そして、論理的にものを考えていく文章なりを目の当たりにして、それについていけない人が、言い訳等の言い回しとして、「自分は文系だから…」的な言葉を出す、という。文系/理系が、「それまでに学んできた分野」を表す言葉として用いられるなら全然構わないけれど(私は、基本的にそう使う)、「言い訳」として用いられてしまう事が、あるのでしょうね。

哲学とか言語学とか、高校までにはほとんどやりませんしね。普通科以外だと、倫理すら無いし。文系学問をある程度突き詰める機会が少なくて、しかも、理系が理詰め(理という字が入ってるし)である事の解りやすさが相俟って、「文系」という言葉の意味内容が、構成されたのかな。

後、「定量的」、あるいは「計量的」に考えるのが、ポイントかも。厳密に測定し、それを記録して、得られたデータを操作していく、という過程が、厳密さや「曖昧さの排除」を、強く印象付ける、と言うか。で、「理系」にそういう印象を持って、「非・理系」である所の「文系」を、理系の持つ特性「を持たない」分野と認識してしまう、と。

うむ、まことに取りとめの無い文章。dlitさんのエントリーとコメント欄を読むと、文系:非・理系と考える方は、やはりいらっしゃいますね。

「科学」を、現象の仕組みの構造を解き明かす知的営為だと捉えれば、理系にしろ文系にしろ、共通する部分は多いでしょう。違いは、「何を」知りたいか、という事と、道具立ての異なり、等でしょうね。

私をインスパイヤしてくれた方々⇒理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ - 思索の海  So-net blog:王様は裸だ!Annex:文系・理系の分類基準

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2008年2月18日 (月)

言葉

言葉とは、器のようなものです。

言葉の意味とかたちは、きつく結ばれている訳では無いのです。

言葉に、強い力が分かちがたく繋がっている、と考えてはいけません。

言葉に、力を持たせてはいけません。

言葉を恐れてはいけません。

言葉を受ける時は、言葉が力を持っていない事を、心得ておくべきです。

だけれど、

言葉を投げ掛ける時には、深く慮らねばなりません。

なぜなら、

言葉と力が絶対的に結び付いていないという事は、

言葉はどんな力も持ち得る

という事を意味しているから、です。

言葉は、私達で作っていくものです。

それは、自分と相手との関係、場の雰囲気、お互いの気分、感情、そういったものと絡み合って、作り上げていくものです。

そう、まるで、生きているかのように。

言葉に力を持たせてはなりません。

でも、

言葉はどんな力も持ち得る事は、常に考えなければなりません。

大変かも知れないけれど、それが言葉というものなのです。

言葉に囚われてはなりません。

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ゲーム脳の説明

興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ

これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。

「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」

「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」

これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。

悩ましいなあ。

そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。

自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。

スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。

冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。

※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。

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2008年2月17日 (日)

しんじぬもの

これかっ⇒信じぬ者は救われる

読みます。

対談でしたよね。どんな感じなのかな。

この本について書かれた、菊池誠さんのエントリーは、こちら⇒kikulog:香山さんとの対談

ゲーム脳の話が出る事に、仄かな期待。

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hypothesis

セブンアンドワイ - 本 - 白い仮説・黒い仮説

apjさんのブログのコメント欄経由で知りました。

竹内氏が、「ニセ科学」という語を冠した書を出すというのは、なかなか興味深い。

出たら読んでみようと思います。

ちなみに私、これは未読だったり↓

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 Book 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方

著者:竹内 薫
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賛否両論ある本のようなので、こちらも読んでみようかな。

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2008年2月16日 (土)

範疇追加

Jさんのブログ(So-net blog:王様は裸だ!Annex)を読んでいて、そういえば私のブログでも、文系と理系についてはちょくちょく書かれているなあ、と思ったので、”「理系/文系」について”というカテゴリーを追加しました。

ほとんどは、コメント欄でやり取りがなされているので、そちらをどうぞ。

でも、いざまとめてみると、実はそんなに量がある訳でも無く、別にカテゴリーを追加するまでも…という気も、しないでも無いかも知れない。

いや、後で自分が参照しやすいように、っていう理由なんですけどね(笑) 多分需要無いだろうし。

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脳速検定

左サイドバー下部を見てね。

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TATAMI

頭のいい子に育てたいなら子供部屋は“和室”にしろ(日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース

うーん、どうなんだろう。

この本文の内容なら、「何だこのおバカなタイトルは」、というくらいで、軽く捉えた方がいいのかな。いや、さすがにここから、「和室がいいのかっ」、となる人は、さほど多くは無いだろう、と思ったので。

研究は面白いですね。香りがリラックス効果を及ぼす事は充分考えられるし。どんな内容だったのか、興味深いです。

このタイトルと記事の書き方から、この研究自体も怪しく見られてしまったりするんじゃないか、という、余計なお世話的な考えも浮かんじゃったり。

これで難関校突破なら安いものだ。

軽く噴いた。

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2008年2月15日 (金)

鉛筆と太刀

はてなブックマーク - 小学生に鉛筆を使わせていた理由

あれですよね。自分が鉛筆使ってる時は、シャーペンに憧れましたね。

何て言うか、そう……

メカニカル。

うん、あの金属感とか、手にずっしりくる重さとかが、なんか良かった。高級な感じがしたしね。カチカチやって芯を出したり、足りなくなったら装填するっていうのが、カッコイイじゃないですか。なんかハイレベルなアイテムを使いこなしてるぜっ、て感じで。

コンパスなんかもそうでしたねえ。メカってますよ。子どもはそういう所に惹かれるんですって。

シャーペンを使い出したのは、いつだったかな……中学かな。大人になった気分でしたね。うむ、大人。いや、実はあんまり憶えて無いんですけどね。

成人してからは、ノートにものを書く時は、鉛筆でもシャーペンでも無く、ボールペンになっちゃいました。何となく。

で、今は、手書きをする事自体、ほとんど無いですねえ。いいのか悪いのか知りませんが。

増田で紹介されている話は(やっと本題かよ)、つまり、「型」論のようなものですよね。鉛筆という、(多分)メーカー等の違いによるばらつきの小さい形状で、「鉛筆という道具」を用いる「基本」を身に着けさせる、という事なんでしょうね。それから応用と言うか、基本的な道具の使い方を学んで慣れてから、色々な形の物を扱わせる、という、そういう流れなんでしょう。大きな形状の変化は、長さの違いくらい、という事で。

はてブにありましたが、筆記具と書字の関係についての研究があるようで。それはそうですよね。メーカーも、そういうのを研究してデザインを行うのでしょうし。

あれですかね。

木剣と杖(棒)をしっかり扱う事が出来れば、鉄扇やら小太刀やら槍やらの操作に適応が可能、みたいな。一部の人にしか解らない喩えだけど。

うーん、何というアホ丸出しの文章。

そういえば、「万年筆」という、オトナの領域もありますね。お金が有り余るほどあれば、一本イイのを置いておきたいですね。あの製造工程とか細工の美しさは、ぐっとくる。

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↑何かミラクルな値段なので、貼ってみた。

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2008年2月14日 (木)

思ひ出

今は無くなりましたが、以前、livedoorのサイトに、掲示板がありました。

で、その中に、「ライブドア特設掲示板」というトピックがあったのですね。

確か、ライブドアがニッポン放送の株を取得した辺りに出来たトピックだったと思いますが、その掲示板、実に面白かった。

色々ありましたねえ。堀江氏擁護と批判のそれぞれの立場から議論を戦わせていたのが基本ですが、それ以外にも、地震が起こった際に、投稿者から色々なアドバイスがあったりして情報を交換したり、投稿者同士が連帯して、新たなトピックを作って、そこで交流を深めたり。荒らしが跋扈して、掲示板運営について活発な議論がなされた事もありました。初めはIDか匿名での投稿だったかな。それが、一つのIDでニックネームを10個取得出来るようになって、マネハンがめちゃくちゃな内容のコメントを書き散らしたり。トピックによっては、IDの投稿以外はスルー、というルールを決めた所もありましたね。投稿者が運営に様々な意見を出して、それがフィードバックされて、どんどんデザインが変わっていきましたね。最後の方は、物凄く使いやすいものになったと思います。て言うか、あれだけ早く意見が反映されるって、実は結構凄い事なんじゃないかな、なんて。

話題には事欠きませんでしたね。何しろ、堀江氏の行動なので、まあ、色々あった訳です。ライブドアvsフジテレビ・ニッポン放送とか、堀江氏出馬とか、堀江氏逮捕とか。その度に、大いに盛り上がったものです。熱かったなあ。

上にも書きましたけど、雑談がだんだん増えてきて、そこからトピックが派生していったりしましたね。色々な有名人もいましたね。グループみたいなものが出来て、面白かった。「シロアリ」さんとかね。

変わった人もいましたねえ。なんか、自宅が盗聴だか盗撮だかをされているとひたすら訴えていた人とか、自称ハーバード卒の、「学問さん」と呼ばれた人とか。学問さんのコメントの内容とか、結構凄まじかったけど、なんとなく受け容れられているようでもあって、不思議でした。

コメントの最後に、必ず「スイーツ(と星印だったかな)」を入れる「ひなたぼっこ」さんという人もいましたね。時代を先取りしてたんだなあ(笑) 特設名物な感じの人でしたね。

マスメディアの報道姿勢についても、色々議論しましたね。局によって全く印象が違ったり、都合良く切り取っているような流し方をしていたり、そういう所の指摘とかあって、一層懐疑的になりましたね。

とにかく、色々ありました。大げさに言うと、「ドラマ」? 特設のトピックだけで、投稿数10万超えたよなあ、確か。

まあ、そんな掲示板も、堀江氏逮捕後辺りから、段々人も少なくなってきて、ついには掲示板そのものが無くなる、となった訳ですね。当日の24:00に終わるのかな、と皆が思っていたら、18:00時頃に突然閉鎖されて、何ともあっけない終わり方なのでした。

私は、特設にはそれほど投稿しませんでしたが、随分勉強させてもらったし、とても有意義でした。いや、ホントに。めちゃくちゃ賢い人達ばかりで、ダメだ自分、と思いまくったものです。

罵倒や荒らしの耐性もついたしね(笑) あのカオスに慣れれば、大概の事は何とも無いのですなあ。

皆さん、元気でやってるかな。

さすがに、ここの読者さんで、特設読んでいた、って方は、いらっしゃらないですよねえ。でも、あれほど盛り上がった所もなかなか無いと思うので、覗いた事がある人は、結構いるかもね。

とまあ、全然取り留めないですが、結構印象に残っている思い出なのです。このブログを作った頃には、まだ特設あったしね。そんなに前じゃないのに、なんだか懐かしいのでした。

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算数の町

さっきテレビでやっていたのですが、新潟県にある水原(すいばら)という町では、商店街にある店に、算数の問題が貼ってあるそうです(窓の所とかに)。で、各店に解答用紙が備えてあって、答え合わせをする事が出来るとか。なんでも、山口坎山(かんざん)という数学者が出身地である事に、ちなんでいるそうです⇒参照:http://www.xyj.co.jp/suibara/yumekukan/kawaraban/2001_2/info.htm(”『算数推進の町』すいばら”の部分をクリック)

これは素晴らしいですね。社会に浸透させている、と言うか。これが即リテラシーを高める、とか、そういう事じゃ無いとは思うけど、「慣らす」と言うか、「当たり前」にさせるには、効果的だと思います。もっと大きな規模でやってみてもいいんじゃないかな。私の持論は、「嫌わせない」事が重要、というものなので、こういうのを知ると、嬉しくなります。道往く子ども達が、算数の問題に嬉々として取り組む、というのは、実に良い光景ではありませんか。

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2008年2月13日 (水)

水伝を用いるパターン

kikulogに書いたコメントを、こちらに抜粋⇒倖田來未舌禍事件または想像力の欠如について(TAKESAN February 12, 2008 @15:15:26)※文脈は、前後のコメントをご参照下さい。

パターンとしては、
 1.水伝を全く事実で無いと認識しながら授業に用いる
 2.もしかしたらあり得るかも、と認識しながら授業に用いる
 3.完全に本当だと認識しながら授業に用いる
 
これらが考えられますよね(2.は、1.よりと3.よりがあるかも知れませんが)。これらのパターンの比率がどうなっているのかは判りませんが、2.と3.は、基本的な科学の知識が無いという所が問題で、更に共通しているのは、言語や道徳への無理解・無思慮であると思います。
 
それで、1.の場合ですが、これは、事実で無いと知っておきながら、児童・生徒の行動を制御する装置として有効に働く事を期待して用いている訳ですから、極めて悪質であろうと思います。自分は事実で無いと知っているのに、子どもには本当であると思い込ませるのですから。要するに、短期的・限定的な有効性を取って、その他の事を蔑ろにしている訳ですね。極めて限られた空間で、極めて短い期間のコミュニケーションを円滑にする可能性が、極めて低いながらもあり得る、という程度の効果しか無い。
 
基本的に水伝は、不寛容・排他的な構造なのですよね。また、水伝の紹介から、”ただ単に”、「良い言葉を使おう」と認識するのも、考えにくいと思われます。A-WINGさんも仰るように、「実験」と「良い話」が、密接不可分の関係にあるのですから、そんなに都合良く情報を捨象するのは考えづらいですよね。

事実で無いとちゃんと認識していながら授業に用いている人が、どのくらいいるかは、不明ですね。私は、その実例を、今の所知りません。もちろん、それが全く有効では無いのは、コメントでも書いた通りです(corvoさんのブログに言及した際にも、ここに書いた)。

簡単に言うと、水伝のような主張が有効に働くには、「皆が同じ」にならないといけない訳です。で、当たり前の話、そんな事は不可能。でも、それを実現させようとするのですよね。

水伝は、排他と善意の両面価値的な構造だと思います。表面の主張は、「良い言葉を使いましょう」というものですが、それはつまり、「悪い言葉」等を強烈に排除する、というのを意味する。「良い」言葉を使おうと言っているのだから、善意ではあります。でも、本質的に恣意性を持つ言語の、語意と語義を無理矢理に結び付けようとする。だから、「死海」のような件が起こる訳で。

もちろん、信じ方は様々だから、浅い所にいる人は、別の認識かも知れません。まあ、「軽く」信じる、と言うか。でも、主張のコアの部分を見ていくと、上のような論理が浮かび上がってくるのですね。つまり、「本気」で信じれば信じるほど、排他的・不寛容な論理を「受け容れざるを得ない」訳です。

ここで、ちょっと想像をしてみましょう。

「軽く信じた」、もしくは「本気で信じた」人が、「本気で信じた人」に、悪意を持っている場合、どういう事が起こり得るか。前者が後者よりも「力」を持っていたら、何が起こるか。

言葉が「武器」になるのですね。もう、文字通りの。あらゆる所で飛び交っているものが、そうなる。これがどういう意味を持つかは、少し想像力を働かせれば、容易に思いつくはずです。

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2008年2月12日 (火)

充実

ニセ科学批判まとめ %作成中 - トップページ

大分、コンテンツが蓄積されてきましたですね。素晴らしい。

編集なさっている皆様、お疲れ様です。て言うか、あそこまで様々な論点や議論を押さえているというのは、凄いと思う。しかも、バラバラになっていなくて、きちんと整合性を保っているし。

ニセ科学に興味を持っている人を案内する時、「取り敢えずここを読んでみて」、と誘導出来ますね。

ところで、タイトルの「%」の文字が、ペンを摘んでいる手に見えるのは、私だけですかそうですか。

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2008年2月11日 (月)

悪い意味で評論家的

この話題に関する事ばかり書いている気もするけど、大切な事なので、やっぱり書きます。

------------

このエピソードも書いておこう。

確かkikulogにも書いたかと思いますが。
何度か言った通り、私は、以前は、超常現象等には、どちらかと言うと肯定的な人間でした。
で、テレビなんかで、肯定派対否定派のバトルをやっているのも、たまに観ていた訳ですね。

当時は(今も? あんまり観ないので知らない)、そういう番組には、大槻教授がよく出ていたので、大槻氏の意見を、「科学者の意見」として、よく聞く訳です。

で、その時の印象を率直に書くと、

  • 頭ごなしな否定
  • 科学を中心にしてものを語っている
  • 相手の話をまともに聴かない
  • 相手を嘲笑しているように見える

と、こんな感じで、そこから、「科学者ステレオタイプ」を作り上げるのは、すぐでした。

こういう自分の経験も元になっているのですね。一部の要素なり集合なりを観察して、それを一般化する事は、往々にしてある。で、ニセ科学なりを信奉している人がそうなるのは、ある意味「当たり前」の話なのですね。
だけれど、メタ的な視点からニセ科学論に言及する人が、「批判者の態度」を一般化するのは、まずい。オカルトには懐疑的である人が、上に書いたような番組を観、大槻教授の言動に接して、「科学者は頭が固く、相手を頭ごなしに否定する、駄目な人達だ」、と言うようなもので。

後、ニセ科学批判に批判的にアプローチする方々に知って頂きたいのは、ニセ科学を批判するのは、必ずしも科学者では無い、という事実です。そんなに単純な構図では無いのですよね。

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りょーしりきがく

図書館で、自然科学関連の本の書架の前で色々見てたら、隣に、小学5年生くらいと思しき男の子が現れました。

何となく気になったので、そちらを見やると、普通に、量子力学の本を物色していました。

ほう。やるな、少年。

その少年が、どのような経緯でそういう本を探し求めているか、そこにはどんなストーリィがあるか、という所に思いを馳せた……りは特にしませんでしたが、何となく、微笑ましかったのでした。

もちろん、可能性としては、見た目は小5くらいであったが実年齢は24歳であった、とか、私が幻覚を見ていた、という事も考えられる訳ですが、別に、小学生が量子力学に興味を持つ事なんて、そんなに珍しい話でも無いんだろう、とも考えると、特にブログにアップして披露するほどのエピソードでも無いか、と思ってしまったりもする訳です。

いずれにしても、自身を振り返って見るならば、小学生の頃にその手の方面に興味を持つ事など、全く考えられなかったのであります。

あー、羨ましい。

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2008年2月10日 (日)

一般化が足りない?

ニセ科学批判批判をする人が主張する、「ニセ科学批判者が、ビリーバー及びその周辺に対する言及の仕方は問題である」系の言説について、ちょっと考えていて、思いついた事が。

多分、相手を罵倒する、とか、自分より無知な人を見下す、というのは、ニセ科学批判とかそういうのじゃ無くて、もっと根本的な心性に関わる事なんだと思う。

つまり、別にニセ科学の話じゃ無くても、音楽でも、マンガでも、アニメでもゲームでも、どんな文化でも、そういう風に、「知らない人を叩く」、というのはある訳で。

それは、対象が何であるか、という以前の問題かな、と。

だから、ちょっと変な言い方になるけど、実は、「一般化が足りない」のでは無いか、とか思ったり。

たとえば、「ものをあまり知らない人を頭ごなしに否定してはならない」、とか、「嘲笑したり罵倒はほどほどに」、と言うだけなら、それを意識する人は、「うん、そうだよね」、となる。そしてそれを、ニセ科学批判なりの文脈に適用していけば、それで良い訳で。

なので、「ニセ科学批判者は~」というような言われ方をされると、違和感と言うか、ちょっと待って貰いたい、と思う。もし、ニセ科学批判者が、という主張が妥当であるためには、それ(批判者の横暴な態度)が、かなり普遍的に見られないといけない訳で。

でも、批判者というのは、様々な立場の人が、色々な角度から、批判を行っている。つまり、「ニセ科学を批判する」という共通項で結ばれる集合であって、「批判の仕方がおかしい」集合では無い。特定の組織に属しているとか、そういう事でも無いし。

だからこそ、私達は、反論する時に、「具体例を出して欲しい」、と言うのだと思う。批判者同士の相互批判は厭わないし、駄目な批判は、「批判者」の印象を下げてしまうので、止めて欲しいと思っているのだから。

だから、

「ニセ科学批判は駄目だ」、と読める主張をするより、

「こういう”批判”の仕方は駄目だ」、と書くべきなんじゃないかな。そして、ニセ科学批判者にそういう人がいれば、駄目な批判の例として、それを批判すれば良いのかな、と。

と、そんな風に思ったのでした。

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殺し屋の本能?

男性の方が「ゲームによる快感」が強い:fMRIで脳を分析 | WIRED VISION

研究自体も興味深いですが、最後の方にある、

このデータに基づく結論は何だろうか?

ひとつ明らかなのは、男性は狩りがうまいという進化的特質を踏まえれば、このデータは意外なものではないということだ。いわゆる「殺し屋の本能」がまだ存在していて、ゲーム中に発揮するチャンスがあると、そうした本能が働くのだろう。

不幸なことに、この傾向は同時に、男性の方がこうした報酬に基づく神経科学的依存――いわゆる「ゲーム中毒」――になりやすい原因にもなっているかもしれない。

この記述が、なかなかに味わい深い。

紹介されている研究の結果から、こういう進化心理学的?論理を引き出すのは、ちょっと飛躍に見えますが、どうでしょうか。「殺し屋の本能」というフレーズが、なんか可笑しい。

他に、いくらでも考慮すべき変数があるようにも思えるのですが、どうなんだろう。性差があるとして、それが何に由来しているかは、きちんと考える必要がある、と感じるのだけれど。社会心理学的なメカニズムとか。

ともあれ、こういう研究は、どんどんやれば良いと思います。ただ、マスメディアは、慎重に報道すべきでしょうね。あまり期待は出来ませんけれども。

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見かけた

はてなブックマーク - 人間にはニセ科学が必要だっ! - おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日

言及先は、今ひとつ、何を仰りたいのかが読み取りにくいので、置いておくとして。はてブに↓

kikulogを知っていて尚こんな周回遅れを書く人がいるとなると、やっぱりNKHHって流行ってるのかな?と思う

おおっ、こんな所で「NKHH」を見かけるとは。

ほとんどの人は、意味が解らんのじゃないか、とも思うけど(笑)

ニセ科学批判批判じゃ、結構文章が読みにくくなるしねえ。でも、他に適切な呼び方が無いから、これが定着するのでしょうね。いつの間にか、タグもあるし。

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2008年2月 9日 (土)

狩るっ

言葉の誤解といえば。

私は、

「もみじ狩り」

を、

色付いた葉っぱを採ってきて、

天ぷらか何かで食べる、

という事だと、思っていました。

しかも、3年くらい前までですよ。

当時、「あんなもん、食べられるのかね?」

とか考えていたものです。

本当にありがとうございました。

追記

「もみじ狩り 食べる」

などでググってみると、

私の仲間が結構いる事に、気付かされました。

勇気が沸いて湧いてきました。

どこかにブリンクがいるようです。

本当にありがとうございました。

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オトモ

「モンスターハンターポータブル 2nd G」プレミアム発表会を開催 (1/2) - ITmedia +D Games

へえ、色々追加要素がありますねー。

モンスターのアクションも追加されましたね。テオとか波動砲撃ってるし(笑)

MHFをやり慣れてると、他のハードのって、ロードが長~く感じますよね。メディアインストールってやつは、いいですね。

辻本氏からはこのほか、講談社から4月に創刊される「月刊少年ライバル」にて、「RAVE」などを描いた真島ヒロさんの手による「モンスターハンターオラージュ」が連載スタートすることも紹介された。

ほう…。マンガですか。小説はあったけど、マンガは初?

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2008年2月 8日 (金)

私の記憶が確かならば、ツンデレとは…

2008年2月10日追記:コメント欄で、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』に関して、ストーリー等の紹介がなされていますので、当該作品を視聴途中の方は、ご注意下さい。

フジTVの人気番組「料理の鉄人」が米国でアニメ化(MarkeZine) - Yahoo!ニュース

ほう。

これは、色々な意味で興味深いですな。

どんな方向性で行くんだろう。料理がピカッと光ったりして、和装で髭の偉い人が料理を講評する、とか。

観てみたい。

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バンダイ ∞プチプチ ぷち萌え feat. 釘宮理恵 - Engadget Japanese

この実行力は凄いねえ(笑)

て言うか、CVのチョイスが、解りやす過ぎる。

アイデアが出ても、それをやるかどうか、ってとこなんだろうなあ。

そういえば、このアイテム。このブログで前に紹介したんですが、私は、「これはウケないんじゃ?」と書きました。ものの見事にはずれましたですね。

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2008年2月 7日 (木)

態度

記憶が薄れない内に、メモ。

倖田さんのインタビューを観た。

今、言葉に対して強く敏感になっているように感じた。
観察による印象を素直に解釈するならば、「萎縮」している、と言って良いと思う。
言葉を出した直後に言い換えたり、「聞いた人にどのように響くか」、という所を考えている様子だった。
言葉を発するまでに少し間が空くのは、自分が発しようとしている言葉を内言として再生し、それがどう聞かれるか、というのを想像しているから。
本来は、それがデフォルトであるべきなのだけど、今までは、軽んじてしまっていたのだろう。

とにかく、色々考えているように見えた。

舌禍を起こした事を反省するというのは、本質的に、「聞いた人に言葉がどのように響くか」、というのを強烈に内省するのが重要であって、「自身の評判を落とすような事を”言ってしまった”」、と考え、それを「取り繕う」所では無い。

そういう意味では、私には、「反省」しているように見えた。

もちろん、本心は解らない。自分自身と、ごく身近にいる人にしか解らないだろう。そこを考えても、詮無い事だ。やろうと思えばどのようにでも解釈が出来てしまうし、それは意味が無いから。

元々、明るく、毒舌も織り交ぜながら物言いをするキャラクターが売りの一つであった人が、今後どのように歩んで行くか。
今までと、「まるで変わらない」か。
「感じ」は今までのようでも、細かい配慮の行き届いた言葉の使い方になるか。
今までとは異なったキャラクターに変貌するか。
どうなるのでしょうね。一番最後のは、無いとは思うけど。あのキャラクターは、切る事は出来ないだろうから。

前後に、元時津風親方のインタビューのようなものもあって、その態度と比較をして観ていました(事件の内容の具体性が異なるという所もあるが)。いかに自分がやっていた事を正当化しようか、と認識しているか、と、いかに自分の発言が無知に基づいていて、配慮に欠けていたか、を認識しようとしているか、の違いと言うか。

私が先ほどインタビューを観た際には、そのような印象を覚えました。

※発言の内容については、調べてみて、それは根拠が無い事を知った、という意味合いの発言をしていました。事実としてそう信じていたか、というのは判りませんでした。

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自然現象と解釈

poohさんや黒猫亭さんもご紹介なさっていたので、私も⇒『水からの伝言』の2つの側面 - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録

これは素晴らしい論考。

あれですね。こういうイイものを見ると、「やられたっ」、て思いますよね。とても楽しい。

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以下、超余談。解らない人は全く解らないです。

「某所」ってどこの事だろう、と、かなり長く思った私は、馬鹿ですかそうですか。自分の記憶力に脱帽。

最初、別の人(語尾に特徴がある人)かと思って、今までとキャラが全然違うじゃないかっ、と思った私は、アホですかそうですか。

結論に至るまでの所要時間:約数十分

実は私がまだ勘違いしている可能性:12.65%

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2008年2月 6日 (水)

方針と選択

12億円を辞退、ゲームもしない:『脳トレ』の川島教授(WIRED VISION) - Yahoo!ニュース

「ゲームの恐ろしいところは、いくらでも多くの時間を注ぎ込めることだ。ゲームをすること自体が悪いとは思わない。問題なのは、ゲームをすることで子供たちが、勉強や家族との会話といった大切なことをできなくなってしまうことだ」と、川島教授は言う。

若干の異論はありますけどね。でも、全く間違った事を言っている、という訳では無いからなあ。ポイントは、ゲームで家族の会話が弾む、というのは、いくらでもある、という所。ゲームをコミュニケーションツールとして捉えるかどうかの問題。勉強の時間が無くなる、というのは、ほぼ妥当でしょう。ゲームで勉強をする、というのは、今の所は例外的だから。

後、報酬を断った、というトピックについては、それを選択する事が、自身に最もメリットになる、という合理的判断なのだろうから、外部の人間がごちゃごちゃ論評する事では無い、と思う。どっちでもいいんじゃない、という感じ。十数億の報酬の受け取りを辞退した、という事実だけから川島氏の思惑を穿鑿しても、しょうが無いんじゃないですかね。研究資金にまわすにしても、個人が受け取るにしても、いずれも、「有効な使い方」なのでしょうから。

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やれ、やれ、は鬱陶しい

あれだよね。

子どもに勉強しろ、って言う前に、大人は、自分が勉強しなきゃね。

自分がやっても無い事をやれって言われたら、そりゃ、普通は、納得行かない。

んで、何でやらなきゃならないの、って疑問には、将来役立つから、なんて言う。

いや、ちょっと待ってよ。自分はやって無いんでしょ。別に役に立たないってのを、自分で証明しちゃってるじゃないか。これって、結構重要なんだけど、大人はそれを、都合良く無視したりする。

役に立つ、とか言って、どこにどう役立つか、説明出来る? それをちゃんと言えるくらい、ものを知ってる?

別に、自分が出来ない事を他人にやらせる、というのをしちゃいけない、という意味では無いんだけどね。でも、説得力はあまり持たない、っていう所は、考えといた方がいい、とは思う。だって、そうでしょ。大人が別の大人に同じ様な事言われても、やっぱ納得はしにくいだろうしね。

範を示す、って訳でも無いけどね。宿題で解らない所がある、って言ってきた所に一瞬で答えたら、何かが伝わるかも知れない。「凄さ」を感じさせる、と言うか。それは、何かをやれ、と言うより、有効かもね。「見せ付ける」って言うか。

尤も、見せ付けるには、相手がそれに興味をある程度でも持っている事が、必要な訳だけど。そのためにも、自分が知っといた方がいいよね。だって、知らない事の面白さを教えるなんて、ほとんど不可能でしょ?

自分の趣味を他人に薦める時を思い浮かべると良いかな。全力で、良さを薦める。あれこれ考えて、いかにその素晴らしさが伝わるかを練りに練って、プレゼンテーションする。その時の熱意って、結構凄いものがある。それで、相手が興味を示してくれないと、ガックリくる。

子どもに勉強をさせる時に、そんな努力をしているか、って事。全力で趣味を薦めても興味を持たれないんだからね。いわんや…だと思う。良い学校に入れるから、とかを熱心に説くのは、刃物を扱えないと、無人島に漂着した時死ぬぜ、って言うくらい、はずれてると、思ったりもする。全然説得力が無い。

え、理想論を言うな、って?

全然違う。

「そのもの」について教えないで、それを身に着けさせる、という方が、遥かに、現実と乖離した、無理がある考え方じゃない?

------------

何か、増田みたいになったなあ。

まあ、本音ではあります。若干中二病的ではあるけどね。

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2008年2月 5日 (火)

華麗なる威力

「朝カレー」で脳が活性化 受験生の味方になる!?(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

へ、へえ…。

なんか、凄いなあ。うん、凄い。

イチロー選手の話に繋げる所も凄い。

パーフェクトなクオリティの記事ですね。

今日辺り、はてブとか付きそうな気がする。

※研究内容を否定するものではありません。と言うか、記事の内容からは、評価のしようが無いですし。記事の書き方の話です。尤も、ホントに”「カレーを食べると頭が良くなるんです」”と言ったとすれば、不用意だなあ、とは思いますけれど。

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ばんなそかなっ!

英国人の4人に1人がチャーチルは架空の人物=6割がホームズは実在(時事通信) - Yahoo!ニュース

見出しを見て、んなアホな、と思ったのですが、よく考えると、もしかすると、日本でも似たような事はあるのかな、なんて。

何かありますかね。日本で創作されたキャラクターで、実在の人物と思われていそうなのって。

あ、タイトルは、上田次郎教授(@日本科学技術大学)の言を、インスパイヤしました。架空の人物ですけど。

上田次郎 - Wikipedia

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2008年2月 4日 (月)

まだ続くかな

kikulog:血液型と性格3

ついに、3エントリー目に突入。2千余のコメントが蓄積されました。

ABO FAN氏が再登場なさらない事を、祈りましょう。

最近だと、ABO FAN氏に匹敵するつわものもおられますが。再びコメントを入れる予感も。個人的には、完全スルー対象だと思うのですが。

2000コメントを要約するなら、「血液型性格判断は誤り」「血液型性格判断肯定派として有名なABOFAN氏の論理はでたらめ」ということです。

簡潔にして当を得た要約であります。「ABO FAN氏の言っている事は理解不能である」、というのも付け加えておきたいです。

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ゲームANN

ファミ通通刊1000号記念! ”よゐこのオールナイトニッポン ゲームナイトニッポンスペシャル”がオンエアー / ファミ通.com

これ、聴きました。めちゃくちゃ面白かった。

ゲーム対決をラジオで実況するという画期的?な企画が、最高でした。アナウンサーさんもかなり困惑してたし(笑) 途中で、「あ。」 「あっ!」 「あっ!?」 という、およそラジオとは思えない、ミラクルなやり取りが。

ゲームしない人(というか、あのソフトを知らない人)には、もう、全くもって意味が解らなかったでしょうね。うーん、マニアック。

是非、第二弾をやって欲しいですね。

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2008年2月 3日 (日)

不具合

<任天堂>「スマブラX」ディスク読み込みでWiiのレンズに問題 無償洗浄実施(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

私の友人も、かなり読み込みにくいって言ってました。

それにしても、こういうケースで、本体を無償修理というのは、初めて聞きました。2層ディスクが読み取れないという事自体は、結構ある話ですしね。別の、ソフト的な不具合もある、という事なのかな。

こういう、パーティでわいわい楽しむ系でもあるゲームでは、ロードが長くなるとか、致命的ですものね。かなりストレス溜まるし。

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2008年2月 2日 (土)

どうするか

独り言。

たとえば、ABO FAN氏やSSFSさんや正論一喝氏とコミュニケーションを取る際に、「一体どうすればいいんだ?」とか考えたりする訳です。
corvoさんのブログで起こった議論(水伝やホメオパシー)に参加したり、別の所でゲーム脳関連でやり取りしたりすると、いかに難しいかを、痛感するんですよね。
そういった議論や、あるいはゲーム脳に纏わる議論などに参加した経験からは、科学的な誤りを指摘して、という部分でどうやって説得するか、どこまで出来るか、という事も、思ってしまうんです。

悩ましかったりするんですよ、これでも。

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2008年2月 1日 (金)

Genさんへ質問

※これは、言及先のブログに投稿しようとしたコメントを、エントリーとして起こしたものです。結構長文だったので、エントリーにしました。

疑似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよ参照

初めまして。

いくつか疑問に思った、と言うか、文意が判然としない箇所がありましたので、質問させて頂きます。

まず、

  • 「疑似科学批判」という言葉を用いる際に、具体的な批判活動なりを想定していたか。

という事です。疑似科学、あるいはニセ科学には、様々なものがありますが、具体的に、どのようなものに対する批判を想定して、疑似科学批判という概念を用いておられるのでしょうか。

「市井のふつうの人」がニセ科学を批判する場合、それはあくまで「2.道徳的・政治的な批判」であるといえます。

これは、科学者以外の人間が批判する場合には、実証科学的観点は入ってこない、という意味なのでしょうか。そもそも、ここで言う(亀@渋研Xさんの文章の解釈では無く)”「市井のふつうの人」”とは、どのような概念でしょうか。
科学的な観点を持たずに「ニセ科学批判」が行われる場合がある、という事なのでしょうか。あるとすれば、具体的に、どういった例が挙げられるでしょうか。

 自分の主張は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションを改善するために

ニセ科学を信奉している方と、実際にコミュニケーションを取った事はおありでしょうか。あるとすれば、その事例をご紹介して頂けると、参考になると思います。

「2.道徳的・政治的な批判」において、疑似科学批判者側が「自分たちは絶対に正しく、有能だ」と思う気持ちを封印して、より対話的な態度を取ろうではないか、ということでした。

「絶対に正しく、有能だ」という認識を戒めるべきだ、という部分には、全く同意ですし、異論はありません。ただ、ここで気になるのが、これは、単に一般論を改めて述べられただけなのか、それとも、具体的な例を想定して書かれているのか、という所です。誰かの主張を見て、その人が自身を「有能」だと認識しているのを見抜くのは容易では無いと思うのですが、いかがでしょうか。ともすれば、ニセ科学批判者は一般的に、有能感を持っており、自身の主張の正しさを確信している、と誤読されかねない文章なので、ご説明を頂きたいです。

ところで、私が読んだ限りでは、疑似科学(ニセ科学)を信奉する側、という意味合いの事は書かれているが、そちら側の人々でも、主唱者や、主唱者に心酔する人、あるいは、説を何となく信じている人、等の層がある事について、言及がなされていないように思われました。ニセ科学批判と一口に言っても、言及対象によって、批判の形態は変わります。そういった具体的な部分について、若干、考察が行き届いていないのではないか、と思った次第です。

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理解る事を保留する

賢い人は、自分がそれほど詳しく無い分野について、ちょっとした興味を持って調べたら、すぐに「わかる」ような感じがするのかも知れない。

論理性が高く、頭の回転が速いが故に、自分が詳しい分野の知識から類推したり、対象をメタに、一般化・相対化する事が出来るのではないか。

そうすると、実際そこで何が行われているか、とか、中でどういう議論が行われているか、という部分が、蔑ろにされる。

だから、そこから物を言うと、「間違ってはいない」意見にはなるが、誰でも解り切っている一般論を尤もらしく語ったり、具体的・詳細な考察を欠く事があるのだろう。

だから、立ち止まって、じっくり考えてみるべきだろう。

自分が感じた事は、既に論じられているのではないだろうか。どのように捉えられているだろうか。

自分が対象について感じ取った印象等を、安易に一般化して良いのだろうか、と。

「わかったつもり」にならない、という事。

自分が解ったかどうか、というのを、徹底的に問い掛ける事。

これは逆説的だが。

私は、あまり、頭の回転が良く無い。

興味を持った分野があれば、何度も何度も関連した文章なりを読むし、同じテキストを繰り返し読む事も、しばしば。

それが、結果的に、良かったのかも知れない。

ニセ科学について興味を持った時も、代表的なニセ科学を批判する皆さんの主張を、繰り返し読んだ。そうしないと、「全体像」が、ぼんやりとも見えてこなかったから。

「わからない」んだよね。でも、そのままだと気持ちが悪いから、色々調べる。ちょっと調べたくらいじゃ、俯瞰してものを見られないから。

そんな事を、考えたのでした。

なんか最近、こんなエントリーばっかりだなあ。

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