キレやすい?
<小学生国際比較>日本は親にキレやすく、反抗的 創価大(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
素晴らしいタイトルですね。
内容は、いつものごとく、という感じです。
日本の子どもは家庭や学校で人間関係を維持する力が劣っているのではないか。学校教育の中で子ども同士がふれ合う集団行動を重視する必要がある
※上は、研究チーム代表の言の引用
調査結果から、どうしてこういう論理展開が出来るのか、私には、よく解りません。飛躍があるし。
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コメント
TAKESANさん
>どうしてこういう論理展開が
こう言いたいのかな?「昨今の個人主義は嫌だ。義務教育から徹底的に集団行動を教え込むべきだ。」昔は良かった、という事ですか。自分の主張を世間に認めさせる為の調査結果に見えます。他に解釈しようが無いです。
>内容は、いつものごとく、という感じ
大体予想はつきます。「あれこれ言わず、私の言う事を聞いていればよろしい。」という主張をしているのでしょう。私も、自分に自信が無い時はそんな感じになりますからね。確かに集団行動は楽です。深く考えず、「はいはい」言ってれば良いのですから。その方が都合が良い方も、世の中には居るのでしょうね。
投稿: TAKA | 2008年1月 6日 (日) 01:28
ってか、キレる老人が増えているという記事を見たばっかりだし、子供の問題だという論調で書かれても何だかなあ、ですよ。
投稿: apj | 2008年1月 6日 (日) 01:30
>TAKAさん
多分、そんな感じです。いわゆる、「直感を補強する」ような解釈、というやつですね。
この記事の場合は、タイトルからしてアレ過ぎる訳ですけれど。
------
apjさん、今晩は。
”「親に乱暴な言葉遣いをするか」”という質問への回答の傾向から、”親にキレやすく、反抗的”という風に結び付けるクオリティの高さに、感嘆せざるを得ません。
実際、高齢者がキレやすいって話も、結構出てくるんですよね。
……む。という事は、日本人皆キレやすいのか。とすると、今の食生活が悪いんじゃあ。うむ、やはり食育が大事か――なんて事も言えちゃったりするのかな。←冗談。念の為。本気で言う人もいるから恐いけど…。
投稿: TAKESAN | 2008年1月 6日 (日) 04:50
そもそも「かっとなる」「乱暴な言葉遣い」という自己申告が曖昧なものですからね…。
しかし、「かっとなる」が。日本56%、南アフリカ52%って、統計的な有意差があるかどうかも疑わしいですね。
合計8700名あまりのうち、日本(それも東京だけ)が2000人と、サンプル数も各地域でバラバラですし…。ここから考えると、他の地域でも人数がバラバラって可能性ありますからね。
無論、サンプリングの問題だって気になりますし(東京を日本全体と同一化することだって大きな問題でしょう)、考えれば考えるほど、「ダメ調査」と言う印象が強いですね。
投稿: たこやき | 2008年1月 6日 (日) 07:33
石田も、この調査結果からどうしてこんな推論(だっけ?)ができるのか、さっぱりわかりません。
自分の主張に沿う結果が出るように仕込んだ調査をして、その結果から「自分の主張」を補強する推論を導くって手法は聞いたことがありますが、これはそれとは全然違うようですね。
このケースでは調査結果と推論の関連がまったくわかりません。こんなのがこの調査結果の推論としてアリなら、「日本の子どもは家庭や学校で意見の相違に対処する力が劣っているのではないか。学校教育の中で意見の異なる者同士が共存できる自由闊達な環境の構築を重視する必要がある」だってアリでは?
あと「日本の子供は正直だ」って推論なら、記事に載った推論より妥当な気がします。
投稿: 石田剛 | 2008年1月 6日 (日) 08:31
なんかですねぇ。じつは昨日自分のところで書いたこととも関わってくるんですが。
http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-05
調査による数字は、もともと無色なんです。その無色の数字からあるスペクトルを読み取るためには、調査の意義の理解から適切なデザイン、解釈に至るまでを通じてちゃんとした知見が必要とされる。また、そこから導き出された結論を、当初想定された仮説の内容や調査の設計まで踏まえて正当なものかどうか判断する能力を、リテラシ、と云うんだろうと思います。
実際のところ、この記事の内容だけでは、そもそも論じるに値する質の調査なのかどうかは判断できません。でも、このかたちで記事にして公表すると云うことは、記者が常識として求められる水準での(報道する立場として要求される水準よりも遥かに低い)リテラシを欠いているか、あるいは読者のリテラシを極めて低く想定している(ありていに云うとあからさまに侮蔑している)かのいずれか、または両方だと感じます。
投稿: pooh | 2008年1月 6日 (日) 10:34
あぁ、分かりづらいので自己レス的に追記させて下さい。
> 正当なものかどうか判断する能力
これは、受け取り手側の能力、です。
投稿: pooh | 2008年1月 6日 (日) 10:35
たこやきさん、今日は。
まず調査方法が不明確であるし、たとえそれが妥当であり、差が有意であっても、それを実質的にどう判断するかは、また別の問題であるのに、論理が飛躍するのですよね。他にも、尺度がどう組み立てられたか、とか、妥当性・信頼性はどうか、とか、そもそも仮説はなんなのか、とか。色々あるのですよね。
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石田剛さん、今日は。
そうなんですよね。あの調査結果だけからは、かなり色々異なった考えが出来る。
社会学者の盛山和夫氏は確か、社会調査とは(社会学は、だったかな…)解釈である、という意味合いの事を書いておられました。これは結局、解釈次第では、全く恣意的に(ここでは好きなように、という意味)論を組み立てる事が出来るのですよね。本来、他の知識との整合性を考慮して、慎重に解釈しなければならないのに、それを無視してしまう、という。
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poohさん、今日は。
あ、丁度、さっき読んだ所です。
この種の記事は、よく目にしますよね。記者が素朴であったにしても、半ば意図的にやっているにしても、内容としては、甘いと言わざるを得ない、と思います。この記事の場合には、タイトルのダメさが相俟って、微妙さを際立たせている気もします。
投稿: TAKESAN | 2008年1月 6日 (日) 13:04