« 辞書の間違い | トップページ | 科学観 »

2008年1月21日 (月)

統計主義的実証主義?

社会学玄論 : 後藤和智の宮台批判への疑問

論宅さんのブログに、後藤さん(後藤和智さん)を批判するエントリーが上がってますけど、なんか、「統計主義的実証主義」とか、ちゃんと意味を考えずに適当に使っている、という風にしか、見えないんですよね。多分造語でしょうし(他に、学術的にきちんとした使用例があれば、教えて頂けるとありがたいです)。たとえば、「統計主義的実証主義」って何? って訊いたら、「統計的方法を絶対視する実証主義的立場だ」、とか返されそうな…。※ググると、「統計主義」という語が用いられているのは、いくつか見つかります。物凄く多義的ですが。

当たり前ですが、統計的方法が有効かどうか、あるいは、どのような統計解析法を選択すべきか、というのは、研究対象、主張の内容、データの種類等によって、変わってくるでしょう。そこを吟味して、有用なツールを用いて分析しているか、等が、評価されるのだと思います。

社会学者の「鈍い/鋭い」を見分けるのは、どうするんでしょうね。私には、よく解らないです。

相変わらず、「ニセ科学批判の前提」と言って、的外れな事書いているし。必ずしも、「多くの人に”信じられている”」という条件が要る訳では無い、と。

論宅さんは、社会調査云々とよく書かれるけれど、それにしては、調査法について、とても素朴な認識に見えるのだが、気のせいなのだろうか。たとえば、

調査者の視点から質問して切り込めるので、調査対象の恣意性は統制しやすい。

の部分とか。まず、読解が難しいし。質問者に掛かるバイアスを考慮しなくて良い、って事なのかな。そして、被面接者も、「ありのまま」に答える、とか?

※補足
私は、宮台氏の言説を知らないので、後藤さんの批判が妥当かは判らない。

よって、後藤さんの用いた「ニセ科学」という表現が妥当か、それも判らない。難しいですしね。

そもそも、社会科学的に「実証」と言った場合、統計的方法によって集団の性質を推測したり、面接によってケースを収集したり、というのを、相補的に用いて進めていくものでしょう。後藤さんは、宮台氏の言説の根拠には、そのようなものが不足している、として批判しておられるのですよね。それが何故、「統計主義」と、他の方法を蔑ろにしているかの如き表現になるのでしょうかね。後藤さんが、そう取れる主張をされたとか? もしそうだとするならば、ちゃんと言及すべきだろうな、と思います。無ければ、相手は藁人形、って事ですが。

|

« 辞書の間違い | トップページ | 科学観 »

「科学論」カテゴリの記事

コメント

かねがね人の話を聞かない人だとは聞いていましたが、「○○は科学的事実であると社会的に誤解されている」ということを統計的に調査しても実証云々の問題にはならず、「○○を批判することの社会的関心の範囲」「騙されそうな人のおおよその規模」しかわからないと百万回言ってもわからないんですかね。この人は「正しいと思えば、ニセ科学批判者の見識を取り入れています」と言ってますから、自動的に却下されたってことですかねぇ(笑)。

とにかく窮めて論旨が混濁していて意味のとりにくいエントリーなんですが、実証性を軸にして「それってただ言ってるだけとちゃうんか」とニセ社会科学を批判する言説に対して、脊髄反射的に噛み付いたから誰にも理解出来ない反論になったという理解でよろしいんでしょうか(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月21日 (月) 11:57

以前より批判的に捉えていた後藤さんが、ニセ科学という語を用いて宮台氏を批判したので、特に論を煮詰めないままに、エントリーを起こしてしまった、という印象ですね。

しかし本当に、他人の話を聴かない方だなあ、と。ご自身の言説にどれだけ矛盾が含まれているのかに、無頓着なのだろうか…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月21日 (月) 12:38

後藤さんがニセ科学について定義したからといって、なぜそれを勝手に(自分が設定した)ニセ科学批判の前提に絡めるんでしょうね?

自説(ニセ科学批判ダメダメ説)を補強するためなら何でも利用(悪用?)するってことですか。

どこかの業者さんと同じ発想ですね。

投稿: Noe | 2008年1月21日 (月) 12:53

Noeさん、今日は。

強引に自説と絡めてしまっている、という印象はありますね。

論宅さんの場合、治安悪化言説を批判する人達に批判的(←解りにくい…)でしたから、流れとしては、まあ、言及するだろうな、とは思っていましたが。ご丁寧にも、一人永劫回帰氏が、コピペして回ってますしね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月21日 (月) 13:28

TAKESENさん。
こんにちは。
ご無沙汰しています。

もうご存知かもしれしれませんが、
先日某所での水伝問題で「ポカ」をやらかしました、、、
反省。

津村さんのときも、菊池さんに、「赦してやってください」っておせっかいをここで書きましたが、
どうも、性格的におっせかいです、、、
今回は、論理というより当事者同士の感情の部分で私の認識の甘さがあったと反省しています。


それはそれとして、
今回のこと(ご存知ですよね?)で、論理の面で拘ったのは検体の鮮度だったのですが、
TAKESENさんはどのようにお考えですか???
擬似科学批判をする場合、検体について検証を加えず批判していいのか?
批判する場合、それはあくまでサンプルであって、人格は漂白されていると考えていいのか?
あるいは、人格も含めてサンプルなのか???
悩んでしまいます。

いずれにしても、私は論理として誰もが納得できる「ニセ科学の批判」方法について勉強して行く必要を強く感じました。
ここで、いつも内緒で勉強させていただいていたのに、、、
と、言う事でまだまだ修行は続きます〜〜〜〜〜
こんな私ですがこれからもよろしくお願い致します。

投稿: せとともこ | 2008年1月21日 (月) 13:31

TAKESANさん。
上の書き込み、お名前間違えてうっちゃってしまいました。
ごめんなさい。

友人に武○という名まえの教師がいて、
「タケセン」ってみんなで呼んでいるので、つい間違えました。
失礼を致しました。

投稿: せとともこ | 2008年1月21日 (月) 13:40

せとともこさん、今日は。

そのお書きのエントリーは、読んでいました。私は、あの騒動をちゃんと押さえていなかったので、どういった意見が妥当なのかは、よく解っていなかったりします。

---

えっと、色々書いたのですが、何だか、物凄く的がはずれてしまったので、消してしまいました…。

これは、自分だったらどうするか、というのを書いた方が、良いのかも知れませんね。

私だったら、対象が、数年前に書かれたニセ科学肯定記事であれば、当時信用していたようだが今はどう考えておられるのだろうか、とか、そういう風に言及するかも知れません。で、そもそも、言及しないかも知れません。もし、かなり前に書かれたものに言及するなら、それなりの理由を見つけたから、という事になるだろうと思いますが、それは、ニセ科学に絡めて何を主張したか、という所が関わってくると考えています。
これは、自分が採り上げるとしたら、という観点ですね。
言及される側としては、批判に対しては、開かれた態度を採るべきだと思います。いつ書かれたものであるか、というのは、その時点と現在の認識が相違していないのであれば、考慮する必要は無い、とも。ただ、数年も経てば、認識は変化する可能性があるので、そこは、批判する側は、念頭に置くべきだとは感じます。

具体的に書くと、3年前にゲーム脳礼賛記事を書いていたブログ、を批判・罵倒するエントリーを私が上げたとして、実は言及先のブログでは、礼賛記事が書かれた2年後に、ゲーム脳がニセ科学である事を知って反省したエントリーが書かれていた、とすると、批判した私が、恥を掻くだろうな、という事ですね。もし、過去の記事の内容をもって現在の認識態度を批判した場合には、そういう事は、起こり得ると思います。

もし私が、批判される側だったとすると。
批判は歓迎します。そのためにブログを書いているようなものですから。
ただ、前にはそう書いたが今は認識が違う、という場合には、その事実を説明すると思います。
少なくとも、事実に関して誤解していた内容を批判されるのであれば、それは、甘んじて受けます。何故なら、自身が間違った知識を発信していた、という事だからです。その点で、ブログの読み手は、いつ書かれたものか、という部分は、必ずしも考慮しないものですね。自分が詳しく無い分野について書かれたものであれば、すぐに信用する可能性もありますし。書き手は、間違った知識を流布する危険性は、常に意識しておくべきかと思います。
「言い方」にもよるとは思います。ただし、ある程度罵倒に近い表現を用いて批判されたとしても、私は、受け容れます。明らかに、論理を飛躍させて、相手の主張に無理に絡められている場合には、反論をするでしょうね。

---

全く纏まっていませんが、こんな感じです。

※今回の騒動の当事者の態度に言及しているものでは無い事を、お断りしておきます。なにしろ、ほとんど読んでいませんので。

投稿: TAKESAN | 2008年1月21日 (月) 14:39

とても丁寧に教えて頂きありがとうございました。
私も、ゆっくりと考えました。

件の問題については私も、当事者間の経緯は門外漢なので(なら、初めから余計なおせっかいをするな、、、ともう一人の自分が言う(^^;)、もうとっくに手から放しています。

しかし、この問題は本当に今後と言うことで私にとって示唆することの多い話題でした。

以前、子どもたちに理科実験を教えていました。
その折、論文(?)を書く練習というか、合理的に考えを構築できるようにと思って、ディベートをやらせたことがあります。
結果、ケンカになったんですね〜〜〜
子どもゆえ、感情的な対立になって、相手を析伏するとか、とか、、、
そこで、私は子どもたちに「自分の説」を相手に伝える方法としてお店やさんごっこをやらせました。
すると、これが結構、子どものツボにはまったようで、楽しくディベートをすることができました。
今回の件を見ながら、なんとなく、この時の事を彷彿とさせていたのです。

考えや思いを相手に伝える、しかも極力誤読、誤解のないように伝えるスキルをもう一度考え直そうと思いました。
TAKASANさんの、いつだったかのエントリーで、
短い言葉で書く云々ってありましたよね。
私は御意御意と思いながら拝見しました。
私のこれからの課題です。
では、、、またね!

投稿: せとともこ | 2008年1月21日 (月) 17:18

雰囲気と言うか、文脈と言うか、そういうのも重要ですよね。同じ言葉であっても、どういう流れで投げかけるか、という事が、受け取られ方に影響を及ぼす、のだと思います。
また、第三者から見ると、見え方が全然違うのかも知れないのですよね。今回の騒動をさらっと眺めて、「共闘」なんて言葉を見かけた時には、自分は絶対やらない言葉遣いだなあ、なんて思ったものです。でも、当事者としては、普通の書き方なのだろうな、と。

自分の認識を正確に言葉にする、というのは、難しいですね。そもそも思考が纏まっていない事も、ありますし(このブログが例です(笑) )。ある程度出来たとしても、全く聴く気が無い人もいますけれど。そういう人は、「どうしようも無い」場合があります。そこら辺を割り切るのも重要ですね。←経験者語る、です。

投稿: TAKESAN | 2008年1月21日 (月) 18:13

http://mercamun.exblog.jp/7966126/

▽▽▽引用▽▽▽
 おっしゃるとおり、統計調査と質的調査は、本来、相互補完的なものですね。特に、統計調査の違和感、例えば擬似相関関係は、質的調査によって見破ることができる可能性があります。
△△引用終了△△
これって、このエントリーへの言及なのかな? よく判らないですが。いずれにしても、何を言いたいのかが、理解出来ないけれど。「擬似相関関係」って、どういう意味で使ってるんだろうか。

後藤さんや安原さんは別に、理論社会学そのものを否定している訳では無いんじゃないですかね。と言うか、理論(仮説)は実験・観察によって確かめなければならない、という観点は無いのかな。
もし、仮説が、「○○が増えた」、とか、「△△が多い」、という類のものだったら、統計的方法が有効でしょう。何を主張しているか、というのは重要だと思うんですけどね。尤も、それを無視してニセ科学批判を非難しているのが、実際な訳ですが。ニセ科学批判論を非難する際には、信じられているという統計的根拠を出せ、と言っているのにね。ここら辺、凄く都合良く見えるのだけど。まさか、わざとじゃないですよね。

私が見た限りでは、後藤さんは宮台氏に対し、「実証性を欠いている」と指摘なさっていて、統計的方法を採っていない、とは仰っていない(※研究対象によっては、統計的方法によるのがベターである場合に、統計的方法を採っていないのが批判される事も、当然ある)と思ったんですけどね。何故そこから、統計を絶対視、などという表現が出てくるのか、よく解らない。

もしかしたら、「統計」という語を、極めて狭く、固定的に捉えておられるのかも知れないなあ。

投稿: TAKESAN | 2008年1月22日 (火) 15:07

 こんばんわ。
 私は理論も質的調査も否定してませんけどねえ。定量調査と定性調査っていいますよね。理論はモノゴトを解釈するための近道だと思うので、勉強したほうがいいかと思っておりますけど。
 宮台さんの「アンケート」(笑)引用するとこうですよ。
 97.8.29 週間朝日 林真理子との対談
------------
●リード●
 援助交際やブルセラといった社会現象の研究で知られる社会学者、宮台真司さん。今回の「酒鬼薔薇聖斗」事件でも現場となった神戸の街を歩いていたり、中学生にその感想を聞いたりと、持ち味のフィールドワークに基づいた分析をしている。事件の背景や少年像について、話を聞いた。
●大見出し●
 中学生の5人に1人が殺人計画を立てた経験があるんです。

 宮台 僕が意見を聞いた中学生の半分が「透明な存在であるボクたち」に共感しているわけだから、僕が調べたところ、「人を殺したいと思ったがあるか」という抽象的な質問だと6、7割の子は「ある」と答え、さあらに「殺人計画を立てたことがあるか」という質問では、5人に1人が「ある」と答えている。多いですよ、これは。

 林 でも「君たちも大変だね。人殺したいと思うときない?」と持ちかければ、子供は単なる自己顕示欲から「ある」と答えることもあると思うんですけど・・・。

 宮台 ただ自己顕示欲はどの時代関係にしてもあるけど、それを人殺しに同情する形で示す人間がこれだけいるとすれば問題がありますよ。そういう方法で自己顕示をしてしまう子供たちをなんとかしなければならない。
------------
 適当にとったアンケートをかなーり拡大解釈してますし(彼はよく媒体でとったアンケートを根拠にしてますけど、まあそりゃ“興味”がある人が返信しますよね。ちなみにこの週刊誌ではどういうデータなのか明記されてません)。100歩譲って5人に1人でもいいですけど、私は林真理子のほうが、「まあまあ落ち着いて、宮台さん」ってかんじで、ずいぶん、まともだと思うんですけどねえ。 当時の「文脈」(笑)でも「落ち着いて」っていってる人はいるってことです。

 「犯罪不安社会」でも前書きで浜井先生が書かれてますけど、現場の刑務官が「最近治安が悪くなってるんですね」といっているところに「目の前(障害者や高齢者が外国人であふれている状態)を 見てどう思う?」とわざわざ書いてらっしゃいますけど、それだけマスメディアの「治安悪化論」に現場の人が影響されているということです。つまり目の前にまさに現実が広がっていても、そこでフィールドをしようとも、わからない場合もあるし、わからない人もいるだけのことなんですけど。

 私としては、以下の記事のようなニュースが知られるようになることが一番大事だと思っています。
 でも浜井先生のような方、まだまだ少ないですよね。より考えるべき問題に焦点を当てられる人って。くだらないことで脚ひっぱってないで、きちんと研究したらいいのに。
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20080105ddp041040014000c.html
「刑務所の高齢化問題に詳しい浜井浩一・龍谷大法科大学院教授(犯罪学)の話 少子高齢化の中で若年層が起こす殺人などの凶悪犯罪は減る傾向にある。だが、社会から孤立し、犯罪に追い込まれ、刑務所以外では生きられない高齢者は急増している。受刑者の高齢化に伴い、受刑者や刑務所ごとの手当てや対策の検討が必要な時代が来ている。」

 長々と失礼しました。

投稿: 安原 | 2008年1月23日 (水) 00:20

安原さん、今晩は。

あ、私は宮台氏の論考は読んだ事が無いので、参考になります。

…引用文を読む限りだと、随分とまた、簡便な、と言うか。一般化は出来ませんねえ、あの内容では。
実証的方法を軽んずる人は(宮台氏の事では無いです。念のため)、質の悪い「データ」を恣意的に解釈して、アド・ホックに「理論」を再構成させて、自身の正当性をアピールしたりしますね。ゲーム脳とか、まさにそうですね。

前に荻上チキさんのインタビューを読んだ時にも思ったのですが、「治安悪化論に反論を加える人は、社会はこのままでいいと安直に考えている」、と捉えている場合があるのかな、という気がします。ある説に反論したからといって、それを成り立たせている現状を全部肯定する、とは限らないんですよね。なんだか、藁人形を相手にしてしまっている気がします。

投稿: TAKESAN | 2008年1月23日 (水) 00:50

自己レス。

▽▽▽引用▽▽▽
ある説に反論したからといって、それを成り立たせている現状を全部肯定する、とは限らないんですよね。なんだか、藁人形を相手にしてしまっている気がします。
△△引用終了△△
ここら辺、結構重要な点な気がするなあ。

ある説があったとして、それを論証するには、統計的なデータを分析する必要があるとする。
で、詳しくデータを検討した所、「ある説」は、かなり妥当性の低いものである事が判明した。「間違っていた」と考えても良い。
そこで、「ある説」を肯定的に捉えている言説を見つけ、それは妥当で無いと、批判を加えた。
すると、批判対象は、「統計の数値だけで無く、もっと質的な所を考えないと、社会の本質は見えてこない」、と反論された。

と、こんな感じで。要するに、問題の切り分けが出来ていないのかな、と。何に対して批判しているのか、とか、その対象はどのように検討すべきか、とかをちゃんと吟味せずに、いきなりメタ次元に話を摩り替えて、的外れな反論を加えたりする事が、あるんじゃないかな。

投稿: TAKESAN | 2008年1月23日 (水) 01:06

ああ、すみません。完全に勘違い。

上の方の私のコメントにある、
 >これって、このエントリーへの言及なの
 >かな?
という部分、全然違いました。きはむさんのブログのコメントの転載だったのですね。

大変失礼しました>論宅さん

投稿: TAKESAN | 2008年1月23日 (水) 01:11

 こんばんわ。

----すると、批判対象は、「統計の数値だけで無く、もっと質的な所を考えないと、社会の本質は見えてこない」、と反論された。----

 なんだか、「犯罪の量じゃないんだ、犯罪の質が変わったんだ」という治安悪化論の典型を見るかんじが(笑)

 論宅さんがいってるのは
-------------
 統計的現実は学者によってつくられた二次構成物であり、むしろ直に調査対象と接して生の現実を観察されることをお勧めしたいですね。原爆を例に出すのも変ですが、統計だけではキノコ雲の上だけ見てその下の悲惨な現実を見ない立場です。死者の数という統計だけでは原爆の真実は伝わりません。
-------------

 簡単にすると、「インタビューやフィールドワークをやってないから後藤さんより宮台のほうがえらいの、すごいのー」って言いたいだけなんじゃないですかね。それは手法の違いだけの話だけだと思うんですけど。
 先のコメントでも書きましたけど、現実を目の前にしても、他人と会ってインタビューしてもわからない人もいるでしょうしね。それこそセンスや触れている情報量と質の差なんじゃないですか。「正社員になりたい」や「刑務所の風景」や「累犯障害者」は本当によい本だと思いますよ。
 それに後藤さんは「統計的事実がない」ということだけで書いてるわけではないですし、せめて論宅さんは、擁護するにせよ、批判するにせよ、宮台さんの本も後藤さんの論考もきちんと読んでから書けばいいのにと思いますね。

 TAKESANさんがおっしゃってるように「治安悪化論に反論を加える人は、社会はこのままでいいと安直に考えている」って一部このへんの方たちには思われてるのかもしれないけど「このままでよくない」ことがほっておかれるわけで。じゃなきゃ、本出しませんよね。だから、別に後藤さんや私を(同列にするのはどうかと思いますが)、いちいち言あげする必要があるのかねと思いますね。内容に具体的に批判いただいたことないですし。
 治安悪化論に基づく行政の政策のそれぞれのシングルイシューにおいては、「このままでいい」こともあるし、「このままでいい」はずななのに「何かやらなければならない」と思い込んで作られてしまった不審者メールなどの政策の副作用をについて言上げして批判はしてます。でも例えば別に、監視カメラ等を全部否定(すいません根拠・説明はここでは割愛)してるわけでもないですしね。

投稿: 安原 | 2008年1月24日 (木) 23:01

安原さん、今晩は。

当然の事ながら、何かを考える際には、問題をどう設定したか、という部分が、とても重要な訳ですよね。社会全体の何らかの傾向を知りたいなら、統計的方法によって実態を把握するのが重要だし、具体的な例がどのような構造を持っているか、という場合には、面接による方法を用いたりすれば良い。
だから、どのような問題についての主張かをよく吟味して、批判を行うべきなのですよね。論宅さんが出した原爆の喩えは、論点の誤解も甚だしいものだと思います。

社会的なリソースは有限な訳で(当たり前ですが)、もし社会の現状の把握が間違っていれば、「やらなくても良い」所に資源が投入され、「やるべき事」への配慮が疎かになる可能性があるのですよね。

別の所でも軽く話題にしていますが、「主義」って付ければいいってもんじゃない、なんて思ったり。

投稿: TAKESAN | 2008年1月24日 (木) 23:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/9991707

この記事へのトラックバック一覧です: 統計主義的実証主義?:

« 辞書の間違い | トップページ | 科学観 »