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2008年1月31日 (木)

森を見て木を見ず

多分。

当たり前の事を改めて言われると、

ん? いや、解っていますよ…。

となるのだと思う。

言った人が、その事に実際に関わっていて、その立場から苦言を呈するならば、耳を傾けるかも知れない。

でも、

よく知らないのに一般論めいた事を言っているのを見ると、

えっと、それはそうですね。で、そのメッセージを、誰に対して向けているのでしょう?

と思ってしまう。

もう、とっくに考えられた事かも知れないのに。

もちろん、偏ってしまったり、行き過ぎてしまったり、というのを戒める目的で、というのは、解らない事は無い。

だけれど、それならそれで、誰がどこで言ったどのような事について、というのを付け加えて欲しい。

でないと、

はい、そうですよね。

で、終わってしまう気がする。

別に、そんな事言われなくても解ってるよ、と言いたい訳では無いのだけれどね。そうでは無いけど、もうちょっと具体的に論じてくれてもいいんじゃないかな、とは感じる。

結局、誰が言ったか、誰に言っているか、というのは、大切なのだろうなあ、と思う。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

あああっ、このタイトルと同じフレーズを、ここ数日頭の中で転がしていました。先にやられたー(><)なんちて(^^;;

遠くから見ないと見えないこともあるし、逆に近づかないと見えないこともあるし、以前のメタな視点のお話ともつながりますが、難しいですねー。

投稿: 亀@渋研X | 2008年1月31日 (木) 08:42

TAKESANさん。
亀さん。
おはようございます。


そうかぁ〜〜〜〜
亀さんもですかぁ。
実は私も。
昨日なんか別のお友達ブログで「枝葉」の話をしていたところなんです。
で、TAKESANさんのエントリーを見て、
「うわっ〜〜〜気が合う♪」と喜んでいたら、
なんと!亀さんも♪

さて、
このところとみに思う事は「分かり易い文」を書く事。
これが私の課題です。
権威とか知識とかとか、そんなものに頼らない、自分の声を出したいと切に願っています。
たとえ、それが稚拙でも、、、

TAKESANさんや亀さんの文には癒されます。
人への思いの優しさが出ているから、、、

私も楽しくゆっくりと修行、修行。
これまで同様、おつきあいくださいね!!!
蒙を啓きに参ります。
では、、、、またね!

投稿: せとともこ | 2008年1月31日 (木) 09:56

亀@渋研Xさん、今日は。

おお、そうだったんですか。

ベタとメタってやつですね。
なんと言うか(誤解を招くかも知れないけれど)、格闘技をほとんど観た事も無い人がプロレスのついてメタに語っているような、そんな違和感を覚えるのですよね。

メタ風な言説が有効に働くのは、中にいる人が誰も気付いていないか、あるいは、実行出来ていない事が明らかな場合、なのではないかと思います。そうで無いと、改めて一般論を言われても、と感じてしまいます。

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せとともこさん、今日は。

解りやすい文章を書きたいというのは、常に求めています。でも、難しいですよね。幅広い知識とそれを上手く噛み砕いて説明する能力。また、読み手の適切な想定とか、色々な要素が絡んでくると思います。

実は最近、ある概念について、解りやすく解説しようと文章を書き始めたのですが、途中で挫折しました。1教えるには10知らなければならない、という所に嵌ってしまったのでした。自分は3くらいしか知らない、という。

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亀さんの文章はその通りですけれど、私のは褒め過ぎです(笑) そんなに優しく無いかも…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月31日 (木) 13:50

こんばんわー。

そもそも木すらも見れないくせに森を語りうるとか思っているみたいだからちゃんちゃらおかしいんじゃないですか?

∴「木も見れずして森を語る」というのが正しいのでは?

根無し草、空中楼閣だからこそ、いったい何を批判されているのかがわからない。いや、単なる言説の戯れでしかないということを認めてしまうと現在の自己の全否定になってしまうから必死なんじゃないかと想像しています。

投稿: 遊鬱 | 2008年2月 1日 (金) 00:54

遊鬱さん、今晩は。

私なんか、自己否定と言うか、自己批判の連続なんですよねえ。
自分が書いた10年近く前の文章を読むと、まあ、メタぶってます。
何て言うか、森の写真を見比べただけで、もっと深い所を論じようとしてしまっている、みたいな感じかなあ。
言っている事を表面的に読むと、間違ってはいなかったりするんですよね。でも、あまりにも当たり前過ぎたり、中身が空疎だったり。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 01:00

>森を見て木を見ず

私の場合、「木を見て森を見られず。」林の中で一本の木をじっくり見れば、私でもなんとかその木の素性は分かるのですが、森全体、さらには山全体となると、本職の林業家にはかないません。

実際、林業家は山を遠くから眺めて、利益の多い山かどうかをある程度判断していました。もちろん長年の経験からくる判断でしょう。
そして大抵は予想通りの利益を上げていたと思います。ただしアクシデントで余計な出費が出た場合を除きます。(色々あるのですが長くなるので省略します)その場合でも、特に慌てず騒がず淡々と出来る事から処理していましたね。貫禄というものを感じました。

班長クラスの人も、合理的な考えを作業中に、常に発揮していました。一歩も二歩も先の事態を想定した、仕事運びでした。本物の職人を見たような気がしました。良い手本とさせて頂いていました。

私は強く思います。実体験が伴わない人の意見は、実に薄っぺらいものだと。

投稿: TAKA | 2008年2月 1日 (金) 02:33

TAKAさん、今日は。

なんか、野球の経験が全く無い人が解説をするような、そんな感じの違和感なのだと思います。

虫の目を鳥の目を、共に持ちたいものです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 12:36

こんばんは。poohさんの所のエントリー、『科学への「信頼」』経由で見た、 庄内拓明さんの『「波動測定器」 を巡る冒険』を見て考えた事を、山の話で表してみました。長いので、寒餅でも食べながらどうぞ。

ある人が呟きました。
「木を見て森を見ず。森を見て木を見ず。林の中に居て、外の様子が分からず。林の外に居て、中の様子が分からず。その人の目は、ただ一点を見つめるのみ。その文明の利器は、圏外の悲鳴を、ただ上げるのみ。傍らのグラップルは、目の前の材木を、黙々と積み上げるのみ。無言の山ノ神は、しばし見届けた後、遠くの山に、隠れてしまわれた。一羽の郭公が鳴く。なぜか寂しそうに。やがて哀れなその鳥も、よたよたと飛び去っていった。静かな谷奥の、その向こうの裏陰に。」

「ふと目を凝らせば、遠くの山の谷底を、ウロウロしている登山者が見える。どうやら頼みの携帯電話も、その人の期待に、答えてはいないようだ。やがてけたたましい音が、こちらに響いてきた。休んでいた木材搬出作業が、再び動き始めたのだ。そういえば、全てを見守っていた林業家の姿も、いつの間にか見えない。そう、皆、忙しいのだ。自分勝手な行動をする人に、いつまでも他人はかまってはいられないのだ。私は今、思う。自分の今までの経験だけでは、その山の全てが、理解できるはずも、無いのだと。」

己を過信する登山客は、目に見える範囲だけで、その先の様子を判断しがちです。さんざん迷った挙句、「しまった。」と叫んでから、初めて思い出すのです。「その準備では危ない。山に入るのはおよしなさい。」という地元の人達の、先を見越した忠告を。

そういえば以前こんな人を、登山口の駐車場で私は見ました。「手にはGPS受信機、ポケットには携帯電話。首には遭難防止用のビーコン。二つの耳にはBGM用の、サウンドイヤホン。リュックには携帯ガスコンロと、レトルト食品。そしてヨレヨレになった、国土地理院発行の、山の詳細な地図。」
何やら呟いていました。確かこうだったと思います。「私の直感は、現代科学よりも優れている。」
その日は予想が外れて、とても良いお天気でした。ここまでの格好をした登山客だからこそ、山ノ神も聞き入れてくれたのかもしれませんね。
すなわち、「台風の心配の無い、そして絶対安全な、お気楽お手軽な観光登山」を。

投稿: TAKA | 2008年2月 2日 (土) 21:42

>TAKAさん

今まで拝見したTAKAさんの喩え話の中で、一番詩情と寓意の妥当性を感じました(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 2日 (土) 21:49

黒猫亭さん、こんばんは。褒めていただき、恐縮です。

ところで私が今年の初めに、TAKESANさんの許しを得て連続投稿させてもらった、「熾り火」はイマイチだったでしょうか。
もし、黒猫亭さんがまだ既読でなく、そして興味をお持ちになられましたならば、是非見てください。
黒猫亭さんの感想が聞けたら、私はさらにうれしいです。
2008年1月一番始めの、「あけおめー」というエントリーです。
長いので、カツオのタタキでも食べながら読んで下さいね。

投稿: TAKA | 2008年2月 2日 (土) 22:46

TAKAさん、今晩は。

>黒猫亭さん、TAKAさん

木を見て森を見ず、森を見て木を見ず、って、上手い表現ですよねえ。物凄く解りやすい喩えの一つだと思います。

「過信」はしたく無いものです。自戒も込めて。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 2日 (土) 23:55

カッパやひだる神のたとえは駄目なのかしら。kikulogでの反応は、イマイチですorz。
そうかと思って「たとえ話無し」だと、ROCKY 江藤さんに、「空気読め。」と言われたりorz。(人類の月面着陸はあったんだ論 のエントリーです)

そういえば、ここで今年の初めに投稿させて頂いた「熾り火」も、TAKESANさん以外全く反応無しでした。(TAKESANさん読んでくださりありがとうなのです^^)
やっぱり「実体験」が伴わないと、その底の浅さを読者にはすぐに見破られてしまうのですね。

ちなみに今度は、絶滅したという日本オオカミの事を調べようかと考えています。というのも以前山で、オオカミらしき生物を見たからです。なんとなくシベリアンハスキーに似ていました。

投稿: TAKA | 2008年2月 3日 (日) 01:11

ああ、あれです。

コメントで直接レスされるだけが「反応」とは、限らないのです。
もし、読み手の心理に何がしかの運動を起こせば、それは反応なのです。

喩え話って、基本的には、言及が難しいのですね。どこを何に喩えているかを読み解く作業でもあるので。で、それを読み解くのは、楽しみでもある訳です。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 3日 (日) 01:20

TAKESANさん、了解です。取り合えず、私は今の路線で頑張ります(^^。ただし、途中でがらりと変えるかもしれません。今も自分の思考が定まっていないからです。ううむ、やっぱり気ままな放言の方が、楽ですね^^;。

投稿: TAKA | 2008年2月 3日 (日) 02:58

TAKAさん、今日は。

どう書けばいいか、というのは、なかなか悩ましいですね。私も結構、ああでも無いこうでも無い、とやってますです。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 3日 (日) 12:30

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